多数決の世界にいるから、生きずらいのだと
子どものころから考えていた。
なぜだか、考え方がいつも、少数派なのだ。
という、独り言です。
…なぜこんな人間なんだろう。
あれこれ考えて行きつくところは、少数派の意見なのだ。
少数派の意見は、なかなか認めてもらえない。
多数決の世界だから、仕方がないとあきらめる。
でも、ときにはあきらめてはならないと踏ん張ってみるのだが。
自分ひとりの場合には、なんとでもなる。
最初に思い知ったのが、子育てのころである。たとえば…
健康に育ってほしくて、食事にこだわりを持った。無添加無農薬、市販の菓子は食べさせたくなかった。テレビも見させたくなかった。空気のきれいなところで育てたかった。
現実はどうだったろうか。
お友達の家や実家に行くと、チョコレートが待っていた。魅惑的な食べ物に満ち溢れていた。
テレビを見ないと仲間外れになると泣かれた。テレビなど壊れてしまえと何度思ったことか。
広い畑の隣に家を構えた。初夏の朝には、シュッシュッと農薬を撒く音。
それでも戦っている親子もいたにはいた。
私にはそれができなかった。
「子どもたちの未来のため原発はいらない」という運動に加わった。
高木仁三郎先生の講演を聴いた時から、あってはならないと、私の活動が始まった。
しかし、だ。
夏になると、冷房の効いた快適な部屋での会議。等々。
矛盾を感じて、活動から外れた。
せめて自分は、との思いから、エアコンを使わなくなった。
冬場は、石油ストーブだけの生活。家の中でも、息が白くなった。
電気代の少なさが、自慢であった(いや、誰に自慢するでもないけれど)。
私には、それくらいしかできなかった。
最近、原発事故のあと、子供を思いやって悩んでいるお母さん方の多さに心が痛い。
子を思うあまり、まわりとの軋轢を生じてしまう。
純粋無垢な子どもを責めてしまい、責めている自分自身を責める。
子どもたちに、そのような母の思いは通じているのだろうか、と、いつもいつも不安に駆られる、
ネットの中だけに安らぎを感じる…という発言を読むたびに、胸が痛む。
少子化は、ますます進むであろう。このような生きずらい世の中で子育てするのは、かわいそうでならない。子どもはもちろん、追いつめられていく母が、かわいそうだ。
がんばれなかった私が言えることではないが、自分の正しいと思った考えは、貫いてほしいと願う。
そして、まわりの大人たちは、子を持つ母を助けてほしい。
子育ては、国造りの原点でもあるのだから。目先の利益ばかりでなく、どうか10年20年後をみてほしい。
こんなこと、ここで書いたところで、何になろう、無力感で…なんてこと言っていられない。
こと、放射能に関しては、妥協してはならないと考える。
諦めちゃならないと考える。
危ないものは危ない。避けることができるのならば、避けねばならない。
何が正しいのか、私にはわからない。でも、苦しんでいる母親たちのことは、少しは理解できる。私にできることはなんなのだろうか。
※
あ、朗読についても、どうも私は、人並みでないような気がしてる。悪い意味で。
自信がないんだな。こんな自分に。
逃げてばかりきたから、そろそろどこかで、逃げずに踏ん張るところを決めなきゃならない。
追記
子育てをするまでは、私は私の意見を言うことができなかった。
こそこそと、「わからなぁい」と言いながら、のらりくらりと過ごした。
居心地の悪いところには、長居をしない。自分の意見はすべて非常識なのだと、なぜかわからないが思い込んでいた。私などが意見を述べることは、恥ずかしいことだと思い込んでいた。
なので、自分の意見を言うことが、とても下手です。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。嬉しいです。
ねこまくら
子どものころから考えていた。
なぜだか、考え方がいつも、少数派なのだ。
という、独り言です。
…なぜこんな人間なんだろう。
あれこれ考えて行きつくところは、少数派の意見なのだ。
少数派の意見は、なかなか認めてもらえない。
多数決の世界だから、仕方がないとあきらめる。
でも、ときにはあきらめてはならないと踏ん張ってみるのだが。
自分ひとりの場合には、なんとでもなる。
最初に思い知ったのが、子育てのころである。たとえば…
健康に育ってほしくて、食事にこだわりを持った。無添加無農薬、市販の菓子は食べさせたくなかった。テレビも見させたくなかった。空気のきれいなところで育てたかった。
現実はどうだったろうか。
お友達の家や実家に行くと、チョコレートが待っていた。魅惑的な食べ物に満ち溢れていた。
テレビを見ないと仲間外れになると泣かれた。テレビなど壊れてしまえと何度思ったことか。
広い畑の隣に家を構えた。初夏の朝には、シュッシュッと農薬を撒く音。
それでも戦っている親子もいたにはいた。
私にはそれができなかった。
「子どもたちの未来のため原発はいらない」という運動に加わった。
高木仁三郎先生の講演を聴いた時から、あってはならないと、私の活動が始まった。
しかし、だ。
夏になると、冷房の効いた快適な部屋での会議。等々。
矛盾を感じて、活動から外れた。
せめて自分は、との思いから、エアコンを使わなくなった。
冬場は、石油ストーブだけの生活。家の中でも、息が白くなった。
電気代の少なさが、自慢であった(いや、誰に自慢するでもないけれど)。
私には、それくらいしかできなかった。
最近、原発事故のあと、子供を思いやって悩んでいるお母さん方の多さに心が痛い。
子を思うあまり、まわりとの軋轢を生じてしまう。
純粋無垢な子どもを責めてしまい、責めている自分自身を責める。
子どもたちに、そのような母の思いは通じているのだろうか、と、いつもいつも不安に駆られる、
ネットの中だけに安らぎを感じる…という発言を読むたびに、胸が痛む。
少子化は、ますます進むであろう。このような生きずらい世の中で子育てするのは、かわいそうでならない。子どもはもちろん、追いつめられていく母が、かわいそうだ。
がんばれなかった私が言えることではないが、自分の正しいと思った考えは、貫いてほしいと願う。
そして、まわりの大人たちは、子を持つ母を助けてほしい。
子育ては、国造りの原点でもあるのだから。目先の利益ばかりでなく、どうか10年20年後をみてほしい。
こんなこと、ここで書いたところで、何になろう、無力感で…なんてこと言っていられない。
こと、放射能に関しては、妥協してはならないと考える。
諦めちゃならないと考える。
危ないものは危ない。避けることができるのならば、避けねばならない。
何が正しいのか、私にはわからない。でも、苦しんでいる母親たちのことは、少しは理解できる。私にできることはなんなのだろうか。
※
あ、朗読についても、どうも私は、人並みでないような気がしてる。悪い意味で。
自信がないんだな。こんな自分に。
逃げてばかりきたから、そろそろどこかで、逃げずに踏ん張るところを決めなきゃならない。
追記
子育てをするまでは、私は私の意見を言うことができなかった。
こそこそと、「わからなぁい」と言いながら、のらりくらりと過ごした。
居心地の悪いところには、長居をしない。自分の意見はすべて非常識なのだと、なぜかわからないが思い込んでいた。私などが意見を述べることは、恥ずかしいことだと思い込んでいた。
なので、自分の意見を言うことが、とても下手です。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。嬉しいです。
ねこまくら
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