今日は朝から病院に行ってきた。電車で50分。終点の駅に着いたら眠ってしまっていて駅員さんに起こされた。焦った~!バスも出てしまっていた。次のバスまで15分。私はこういうところはせっかちなので、歩いてもいいや、たまには運動と思って歩き出した。排気ガスにまみれて国道をてくてく歩いていたら途中で、乗るつもりだったバスに抜かれた。まだ半分だ。いやもう半分歩いてる。マスクもしてるし帽子も被ってるし、そんなに寒くもないし・・・・・。結局30分、2kmを歩いた。
9時半の予約が受付に9時5分に着いて、担当の科に行って待合室でまってたらすぐ名前を呼ばれた。ひととおりの問診と次の予約で終わり。診療内容の紙を持ってレジに向かう。料金と次回の予約票と薬の受付番号をもらう。薬は特殊なので出すのに時間がかかるので、別館にあるコーヒーショップに行きブルーベリーラテとプレッツェルを注文する。田舎だけどね、こういうところは小洒落てるんですわ。そのあと売店を覗いて、オーガニックのシャンプーとうさぎのメモパッドとキャスキッドソンぽい薔薇の花の模様の付いたマスキングテープを買う。本当に田舎の病院の売店とも思えない掘り出し物があるのよね。あなどれない。
で、薬局に行くともう薬が出ていたので受け取って、今度はタクシーで実家に行く。
最近のタクシーの運転手さんて、すごく感じが良いのはどうしてかしら。前に乗ったときもそうだったけど、今日の運転手さんもすごく愛想が良かったのでした。お礼を言って降りる。
実家の門をくぐったら庭に黒猫が遊びにきてた。どうやら雄と雌がいるらしい。
ところでいくらそれほど寒くないとはいえ、そとの濡れ縁で母と近所のおばさんが話してる。風邪でもひかれちゃたまらんと思う。
おばさんにあいさつして「そこじゃ寒くないですか?(それとなくもう帰れば~のつもりも含めて)」と言ったけど「大丈夫よ~」と言われてしまった。空気読めない人だな、本当に・・・・・。こっちは母に風邪引かれたくないし、たまに娘が帰ってきたんだから「じゃあまたね」で帰ればいいのにと思うんだけど、父に言ったら「そんなことに気を使うような女じゃねえよ」と言われた。やっぱり。
母が外にいるので、父に「どうよ」と聞いたら相当参ってる様子だった。母は「じいさんは何もやってくれない」と言ってるけどそれは「大嘘っぽ!皆俺がやってる。洗濯もおつかいも飯を作るのも。86にもなってこっちも脳梗塞があるしさっきも大喧嘩したんだ。」と言うので「ああ、わかるよ、わかるけどね病気が言わせてるんだよね。認知症でも一番たちの悪い症状が出てるんだよね。だけどさ、包丁と電気コードだけはやめてね」としか言えなかった。家が近ければ一緒におかずを作って持って行けるんだけどね。電車で50分じゃちょっと無理だわ。で、ひとしきり父の愚痴を聞く。母はおばさんと話してるのでやりとりを聞かれなくてすんだので、ま、いっかと考え直す。そのうち、兄夫婦が、今日の母の病院、こっちは歯科なのだけど、連れて行くためにやってくる。もう母は「あら、あんたたち今日は何?」状態で「今日は歯医者さんですよ」よ義姉が答える。予約が12時半なので、食事をしてから行くということにして、兄夫婦にお昼を買って来てもらって食べようとしたら母が「病院に行く前だから食べられないよ」と言うので「歯医者だから食べたあと歯を磨けばいいじゃんよ」と私が言うと「あ、歯医者だっけ?内科じゃなかったっけ?」と言うので「歯医者です。食べてね、そのあと歯を磨いてね」と言って食べてもらう。う~んやっぱ呆けてるな・・・・。忘れちゃうんだよな。
認知症でイメージされる「アルツハイマー」はどっちかというとたちの良い症状なのだ。家族の顔とか忘れちゃうけど、「どこのどなたか判りませんが、こんなに良くしてくれてありがとうございます」なんだそうだ。切ないけど、周りに感謝していくらしい。
母の「前頭側頭型認知症」は感情の起伏が激しくなって、突然怒り出したり、昔のことを何度も何度も繰り返して言っては文句を言う。父曰く、夜中11時になると必ず目をさましてごそごそベッド周りを探してるらしい。それで、眠れなくなってしまって、その話をしたら、母が怒り狂って「じゃあもうここで私は寝ない!」とその場でベッドを分解し始めたことがあって、うっかりしたことも言えず、父はびくびくしている。これじゃあ大分ストレスもたまってるだろうなと思う。
時間になったので兄夫婦が母を病院に連れて行ったあと、ふと横になってる父に「じいさんさ、ちょっと起きてみなよ」と声をかけた。父が起きて座ったので、「肩、凝ってないかい?」と訊いたら「肩か?ないな」と言ったけど「どれ、ちょっと揉んでみよっか」と言って背中を触ったらかちかちなのだ。ちょっと押したら「お、痛いな、そこ」というので「でしょう、凝ってるからだよ。多分ストレスだよ。少し揉んでやるよ」と言って「肩や背中や首筋を揉み返しが来ないていどに押したり揉んだりしたら「おお、気持ちがいいな、そうか、凝ってたのか、ああ、そこは痛いな」と言って喜んでいる。
昔、子供の頃、父の肩を揉まされたり、脚を踏まされたりしたが嫌だった。当時の父の歳を越えた私は、あの時は本当に凝ってたんだな、もっとまじめに揉んでやれば良かったなと、自分が肩凝りや腰痛に悩まされてる今、しみじみと後悔してる。
本当は寄りたくなかったけど寄ってよかった。明日お迎えが来てもおかしくない歳になってしまっているのだ、二人とも。あのとき顔を見ておけばと言う後悔はしたくないし、肩まじめに揉んでやればよかったと言う後悔もしたくない。
私は自分が肩凝りなのでマッサージには随分お金を使っている。そのぶんどこを押されたり揉まれたりすると気持ちよいか良く判る。なので、父の背中が随分張っていて、これは辛いだろうとわかった。どこを押しても「あ、そこは効くな」「ああ、そこは気持ちがいいな」といちいち反応してくれるのが嬉しい。父の肩を揉みながら、こんなに薄くなってしまった肩を寂しく思った。
そのうち兄達が母を連れて帰ってきた。「おお、だいぶ楽になったな」「揉み返しがくるといけないからあんまり力は入れて揉んでないよ。また揉んでやるよ。今度は1時間1万円で」と言ってやった。私はこのときに父が不器用な人間だと判った。感謝の気持ちを「ありがとう」という言葉で表せないのだ。「気持ちが良かった楽になった(ありがとうな)」なのだ。母は肝心の「ありがとうな」がずっと聞きたかったんだ。
私は「お~楽になった」=「ありがとうよ」だとわかるけど、他人である妻や嫁にはそれではいけないんだよな~でも今更な~。
感謝の言葉って、言いなれてないと出てこないものなのだ。
私は職場で必ず良くしてもらったら「ありがとうございます」「ありがとうね、助かったわ」「あ~おいしそう!ありがとうございます!ごちそうさまです!」を口に出して言うようにしている。
朝、事務室に入るときも「今日は何回、ありがとうを言えるかな~」と思いつつ職場の扉を開ける。
「ありがとうございます」「ひぇ~申し訳ありません!」そんな日々だけど、母の心が壊れたのが「ありがとうの無い人生」だったら、母も父もかわいそうだったなと思ってしまう。
で、帰りは同じ方向に帰る兄夫婦の車に乗っけてもらって、電車賃を浮かして帰りました。次回は本格的に家族で相談です。
9時半の予約が受付に9時5分に着いて、担当の科に行って待合室でまってたらすぐ名前を呼ばれた。ひととおりの問診と次の予約で終わり。診療内容の紙を持ってレジに向かう。料金と次回の予約票と薬の受付番号をもらう。薬は特殊なので出すのに時間がかかるので、別館にあるコーヒーショップに行きブルーベリーラテとプレッツェルを注文する。田舎だけどね、こういうところは小洒落てるんですわ。そのあと売店を覗いて、オーガニックのシャンプーとうさぎのメモパッドとキャスキッドソンぽい薔薇の花の模様の付いたマスキングテープを買う。本当に田舎の病院の売店とも思えない掘り出し物があるのよね。あなどれない。
で、薬局に行くともう薬が出ていたので受け取って、今度はタクシーで実家に行く。
最近のタクシーの運転手さんて、すごく感じが良いのはどうしてかしら。前に乗ったときもそうだったけど、今日の運転手さんもすごく愛想が良かったのでした。お礼を言って降りる。
実家の門をくぐったら庭に黒猫が遊びにきてた。どうやら雄と雌がいるらしい。
ところでいくらそれほど寒くないとはいえ、そとの濡れ縁で母と近所のおばさんが話してる。風邪でもひかれちゃたまらんと思う。
おばさんにあいさつして「そこじゃ寒くないですか?(それとなくもう帰れば~のつもりも含めて)」と言ったけど「大丈夫よ~」と言われてしまった。空気読めない人だな、本当に・・・・・。こっちは母に風邪引かれたくないし、たまに娘が帰ってきたんだから「じゃあまたね」で帰ればいいのにと思うんだけど、父に言ったら「そんなことに気を使うような女じゃねえよ」と言われた。やっぱり。
母が外にいるので、父に「どうよ」と聞いたら相当参ってる様子だった。母は「じいさんは何もやってくれない」と言ってるけどそれは「大嘘っぽ!皆俺がやってる。洗濯もおつかいも飯を作るのも。86にもなってこっちも脳梗塞があるしさっきも大喧嘩したんだ。」と言うので「ああ、わかるよ、わかるけどね病気が言わせてるんだよね。認知症でも一番たちの悪い症状が出てるんだよね。だけどさ、包丁と電気コードだけはやめてね」としか言えなかった。家が近ければ一緒におかずを作って持って行けるんだけどね。電車で50分じゃちょっと無理だわ。で、ひとしきり父の愚痴を聞く。母はおばさんと話してるのでやりとりを聞かれなくてすんだので、ま、いっかと考え直す。そのうち、兄夫婦が、今日の母の病院、こっちは歯科なのだけど、連れて行くためにやってくる。もう母は「あら、あんたたち今日は何?」状態で「今日は歯医者さんですよ」よ義姉が答える。予約が12時半なので、食事をしてから行くということにして、兄夫婦にお昼を買って来てもらって食べようとしたら母が「病院に行く前だから食べられないよ」と言うので「歯医者だから食べたあと歯を磨けばいいじゃんよ」と私が言うと「あ、歯医者だっけ?内科じゃなかったっけ?」と言うので「歯医者です。食べてね、そのあと歯を磨いてね」と言って食べてもらう。う~んやっぱ呆けてるな・・・・。忘れちゃうんだよな。
認知症でイメージされる「アルツハイマー」はどっちかというとたちの良い症状なのだ。家族の顔とか忘れちゃうけど、「どこのどなたか判りませんが、こんなに良くしてくれてありがとうございます」なんだそうだ。切ないけど、周りに感謝していくらしい。
母の「前頭側頭型認知症」は感情の起伏が激しくなって、突然怒り出したり、昔のことを何度も何度も繰り返して言っては文句を言う。父曰く、夜中11時になると必ず目をさましてごそごそベッド周りを探してるらしい。それで、眠れなくなってしまって、その話をしたら、母が怒り狂って「じゃあもうここで私は寝ない!」とその場でベッドを分解し始めたことがあって、うっかりしたことも言えず、父はびくびくしている。これじゃあ大分ストレスもたまってるだろうなと思う。
時間になったので兄夫婦が母を病院に連れて行ったあと、ふと横になってる父に「じいさんさ、ちょっと起きてみなよ」と声をかけた。父が起きて座ったので、「肩、凝ってないかい?」と訊いたら「肩か?ないな」と言ったけど「どれ、ちょっと揉んでみよっか」と言って背中を触ったらかちかちなのだ。ちょっと押したら「お、痛いな、そこ」というので「でしょう、凝ってるからだよ。多分ストレスだよ。少し揉んでやるよ」と言って「肩や背中や首筋を揉み返しが来ないていどに押したり揉んだりしたら「おお、気持ちがいいな、そうか、凝ってたのか、ああ、そこは痛いな」と言って喜んでいる。
昔、子供の頃、父の肩を揉まされたり、脚を踏まされたりしたが嫌だった。当時の父の歳を越えた私は、あの時は本当に凝ってたんだな、もっとまじめに揉んでやれば良かったなと、自分が肩凝りや腰痛に悩まされてる今、しみじみと後悔してる。
本当は寄りたくなかったけど寄ってよかった。明日お迎えが来てもおかしくない歳になってしまっているのだ、二人とも。あのとき顔を見ておけばと言う後悔はしたくないし、肩まじめに揉んでやればよかったと言う後悔もしたくない。
私は自分が肩凝りなのでマッサージには随分お金を使っている。そのぶんどこを押されたり揉まれたりすると気持ちよいか良く判る。なので、父の背中が随分張っていて、これは辛いだろうとわかった。どこを押しても「あ、そこは効くな」「ああ、そこは気持ちがいいな」といちいち反応してくれるのが嬉しい。父の肩を揉みながら、こんなに薄くなってしまった肩を寂しく思った。
そのうち兄達が母を連れて帰ってきた。「おお、だいぶ楽になったな」「揉み返しがくるといけないからあんまり力は入れて揉んでないよ。また揉んでやるよ。今度は1時間1万円で」と言ってやった。私はこのときに父が不器用な人間だと判った。感謝の気持ちを「ありがとう」という言葉で表せないのだ。「気持ちが良かった楽になった(ありがとうな)」なのだ。母は肝心の「ありがとうな」がずっと聞きたかったんだ。
私は「お~楽になった」=「ありがとうよ」だとわかるけど、他人である妻や嫁にはそれではいけないんだよな~でも今更な~。
感謝の言葉って、言いなれてないと出てこないものなのだ。
私は職場で必ず良くしてもらったら「ありがとうございます」「ありがとうね、助かったわ」「あ~おいしそう!ありがとうございます!ごちそうさまです!」を口に出して言うようにしている。
朝、事務室に入るときも「今日は何回、ありがとうを言えるかな~」と思いつつ職場の扉を開ける。
「ありがとうございます」「ひぇ~申し訳ありません!」そんな日々だけど、母の心が壊れたのが「ありがとうの無い人生」だったら、母も父もかわいそうだったなと思ってしまう。
で、帰りは同じ方向に帰る兄夫婦の車に乗っけてもらって、電車賃を浮かして帰りました。次回は本格的に家族で相談です。