まあ、糸を食い込ませつつ出勤です。久々のお仕事でしたが、溜まってる書類を見たり、WEBのアンケートをやったり。これがまた介護についてのアンケートだったので「10分くらいで終わります」と言われてたのですが、じっくり考えて答えを入れてたら30分以上かかってしまいました。だってさぁ・・・今まさに介護認定2の爺さん(私の実父)がそこにいるんですよ。でも一応私の携帯に電話とか掛けられるんですけどね。だってらくらくホンに私の携帯番号登録してあるから。でもよく使いこなせたなぁ・・・爺さんやるねぇ~。じゃなかった、アンケートなんですけどね、本当に身近にいると身につまされるんですよ。まあね、うちの会社の社員が高齢化してるってことですけどね。介護休職とか・・・・制度としてあるんですけどね、母にそれを使おうと思ってたら、さっさと死んじゃったし・・・・。(ってさらっと書いてますがそうは割り切れないです)
こう言ってはなんですが、亡くなった主人の父も私の母も、本当に申し訳ないくらい手を煩わせてくれなかった人でした。いや、母なんかは、去年、腎臓一個摘出手術したときなんかは2泊、泊まりこみで付き添ったんですけど、部屋がね、シャワーとかウォシュレットとか付いてたし、付き添いとしては申し分ない環境だったもんで・・・。まあ、手術の直後の晩などは、私もICUのサブベッドで寝て、母に異変があるたびに起きて(やっぱ熟睡は出来んです)看護師さん呼んで、痰とか吸い取ってもらったりしたんですが、やっぱアレですよね。付き添いは必要だわと思いました。まあ、母も半分認知症でしたけど。
病院としては、手術後に点滴を毟って外されたら困るんで、付き添いが欲しかったみたいなんですね。いや、私も懸念してましたが、実際は大人しいもんでした。翌日からはなんか変でしたけど・・・・。
ああ、今となってはいい思い出ですねぇ。キレイな病室だったので、ちょっとしたホテル並でした。母と一緒に旅行なんてしたこと無かったので、呆けた母が「ここはホテルかい?」と訊くので「ううん、病院だけど、きれいでホテルみたいだねぇ。一緒に旅行に来たみたいだねぇ」なんて言ってたのが、一年前のこととは夢のようです。あの過酷な手術に耐えた母がこんなにあっけなく死ぬとは、まだ信じられなくて。
私も鬱を患ってたのですが、メンタルのドクターに「皆さん、鬱の治療をしながら介護とかやってますよ。あなただけじゃないですよ」と言われて、あ~鬱でも介護できるんだ~と妙に励みになったり。鬱ながら、与えられた環境の中で、なるべく楽しもうって気持ちもあって、母と一緒に病院の廊下を歩いて運動したり、一緒に病院の窓から海を眺めたり。楽しかったよ、なかなか二人きりになることはなかったものね、おかあちゃん。もう、一緒に歩いたり、海を眺めることはできないけど、忘れないよ、あの日のことは。私はあなたの娘で幸せだったよ。ありがとう。
ということで、介護認定2になる父は今、一人で実家に住んでます。ケアマネさんは週1位で、誰か泊まりに来たほうがいいというので、今週末は私が泊まりに行きます。この程度なら誰にでもできますものね。ただ、言うは易く、実行は難しですけど。
ほらほら、口ばっかり出してるくせに、何もしてくれない誰かさん!お前らのことだよ。口先だけで言うだけだったら誰にだって出来るんだよ。言うんだったら一度やってみろ!と私は声を大にして言いたいですわ。いや、私の親族ではないんですけどね。
「そういうこともあってうざい」とアンケートに記入して送信しました。遠くの親戚より近くの他人と言いますが、近所の親戚ほど
めんどくさい存在は無いと思いますわ。
で、私は縫い目が夕方、痛くなってきまして、それでも仕事は辞めたくないなあと改めて思うのでした。
こう言ってはなんですが、亡くなった主人の父も私の母も、本当に申し訳ないくらい手を煩わせてくれなかった人でした。いや、母なんかは、去年、腎臓一個摘出手術したときなんかは2泊、泊まりこみで付き添ったんですけど、部屋がね、シャワーとかウォシュレットとか付いてたし、付き添いとしては申し分ない環境だったもんで・・・。まあ、手術の直後の晩などは、私もICUのサブベッドで寝て、母に異変があるたびに起きて(やっぱ熟睡は出来んです)看護師さん呼んで、痰とか吸い取ってもらったりしたんですが、やっぱアレですよね。付き添いは必要だわと思いました。まあ、母も半分認知症でしたけど。
病院としては、手術後に点滴を毟って外されたら困るんで、付き添いが欲しかったみたいなんですね。いや、私も懸念してましたが、実際は大人しいもんでした。翌日からはなんか変でしたけど・・・・。
ああ、今となってはいい思い出ですねぇ。キレイな病室だったので、ちょっとしたホテル並でした。母と一緒に旅行なんてしたこと無かったので、呆けた母が「ここはホテルかい?」と訊くので「ううん、病院だけど、きれいでホテルみたいだねぇ。一緒に旅行に来たみたいだねぇ」なんて言ってたのが、一年前のこととは夢のようです。あの過酷な手術に耐えた母がこんなにあっけなく死ぬとは、まだ信じられなくて。
私も鬱を患ってたのですが、メンタルのドクターに「皆さん、鬱の治療をしながら介護とかやってますよ。あなただけじゃないですよ」と言われて、あ~鬱でも介護できるんだ~と妙に励みになったり。鬱ながら、与えられた環境の中で、なるべく楽しもうって気持ちもあって、母と一緒に病院の廊下を歩いて運動したり、一緒に病院の窓から海を眺めたり。楽しかったよ、なかなか二人きりになることはなかったものね、おかあちゃん。もう、一緒に歩いたり、海を眺めることはできないけど、忘れないよ、あの日のことは。私はあなたの娘で幸せだったよ。ありがとう。
ということで、介護認定2になる父は今、一人で実家に住んでます。ケアマネさんは週1位で、誰か泊まりに来たほうがいいというので、今週末は私が泊まりに行きます。この程度なら誰にでもできますものね。ただ、言うは易く、実行は難しですけど。
ほらほら、口ばっかり出してるくせに、何もしてくれない誰かさん!お前らのことだよ。口先だけで言うだけだったら誰にだって出来るんだよ。言うんだったら一度やってみろ!と私は声を大にして言いたいですわ。いや、私の親族ではないんですけどね。
「そういうこともあってうざい」とアンケートに記入して送信しました。遠くの親戚より近くの他人と言いますが、近所の親戚ほど
めんどくさい存在は無いと思いますわ。
で、私は縫い目が夕方、痛くなってきまして、それでも仕事は辞めたくないなあと改めて思うのでした。