今日は平成6年に、75歳で亡くなった父親の命日です。
妻は、昨日からお供え物の買い物をしたり、今日の為準備万端!
父は、ある日突然、病気の症状がでて精密検査の結果余命半年でした。
一時は奇跡的に快復し、島に帰り自宅療養しましたが、また、関西の病院での入院、治療生活でした。
偶然、私が鹿児島で人間ドツクがあり、再検査が必要と言われ、3日間鹿児島滞在を延期し再検査したが異常無しでした。
島に帰る為、病院から自宅に電話を掛けると、父が危篤状態との電話があったとのことで急遽、特急電車と福岡から新幹線で新神戸駅に着いたのが深夜0時でした。
新神戸駅には西宮の姉夫婦が迎えにきており、翌日病院に父に面会に行きました。
父は大変喜んでくれました。肩を揉んだり、手を握ったり色々話をしているうち、仕事が大事だから顔も見たし、もう島に帰りなさいと言われ翌日の朝、再度面会し島に帰りました。 当分、大丈夫と思っていたら、島に帰りつくと同時に病院で看病に付き添い中の母から、もうだめだ・・葬式の準備等も段取りしてくれ!と言われ大変ショックを受け、気持ちでは「そんなはずはない、絶対死なない」と思いながらも母の言うとおり、親戚を集め真実を話しました。
その翌日あたりに、ついに父は帰らぬ人となりました。
父の死後5年間は、父の事が語れず、思い出しては涙の日々でした。 父の死を素直に受け入れられるまで長い年月を要しました。
早く検査をさせたら助かったのでは、とか色々悔やむ事だらけでしたが、多くのこどもや孫に恵まれ、幸せな父の一生涯だったと考え方を変えて日々を過ごせるようになりました。
若くして亡くなった父の分も母親に長生きしてもらいたく、母が70歳の時、同居生活をはじめました。
妻のお陰で、母も満88歳の今日まで、長生きさせてもらったと感謝です。
久し振りに父親の闘病生活からお葬式等を思いだし、涙が出てきながらの日記になりました、