勝五十六の日本戦略論

この危機を機に、少しずつ、日本戦略論と今回の政府の対応の遅れを海外から見た視点で、書いていく予定です

アメリカ留学記1 1976年

2021-11-05 09:56:00 | 日記
懐かしい写真を発見。上の写真は1976年の7月頃の羽田からサンフランシスコへのボーディングパス。まだ成田がなく、国際線も全て羽田。生まれて初めて乗る飛行機が12時間の国際線。若いので恐怖などなかった。まだタバコも吸ってなかった。

まだ外貨持ち出し制限があり、確か1000ドル。1ドル360円の時代。学費、食費、寮費、語学研修、往復の飛行機代まで出たロータリー国際財団の奨学金だった。

この大学はカリフォルニアでも学食が美味しいので有名だった。半年で25キロ太った。学食食べ放題。デザートは日本で見たことのないものばかり。青山学院と交換留学協定があり、単位を日本に移せた。貧乏学生で洋服が着られなくなり古着を買った。アメリカは昔も古着屋があった。

下の写真は大学の学長と。確か財団のメンバーで数人の外国人奨学生と食事をしたあとの写真。



仲良しで寮の隣ロッジに住んで、郵便物の管理していた友達。日本に留学経験があり、大学4年生だった。写真は冗談です。

懐かしい写真が沢山出てきました。

留学記は時々書きます。アメリカ留学記、香港留学記。

英語と中国語事始3

2021-11-05 05:58:43 | 日記

上の写真は、大洗鹿島線。一両編成の電車です。それも一人に運転手が切符を切ります。ICカードは使えません。

語学でよく言われるのが、ガールフレンドを作れ。別にガールフレンドを作らなくも同性の友達や知人がいればいいので。会話の上達には、おしゃべりでないと。小生はもともとても恥ずかしがり屋ですが、でもおしゃべりは生まれつきです。息子も家内も内気ですが、娘と小生は、誰とでも話します。日本でも電車の隣の人や誰とでも話します。今の日本では、変人だと思われます。中国人は誰とでも話すので、中国生活20年の影響もあると思います。

地方から東京の大学に入り、英文科でクラスの9割以上が女性。帰国子女が多く、皆アメリカ人やイギリス人のように流暢に話し、英会話クラスでは、小学生と大人以上の差がありました。半分あきらめていましたが、日々努力しました。大学時代おつきあいした女性は、英語、スペイン語も母国語。ロンドン生まれで、南米育ちの帰国子女。
日本語もきちんと書けました。彼女たちには、どんなに努力しても勝てませんが、鈍行のように日々努力しました。

それとアメリカの広い大地と空を見たい夢と目標がありました。それで大学時代に全額給付(食事や寮費、飛行機代も含む)の奨学金をもらい、アメリカの大学に1年間学びました。

次回は1976年のアメリカ留学記1を書きたいと思います