新潟久紀ブログ版retrospective

農政企画4「岩盤に尻込む我々に黒船来襲だ」編

●岩盤に尻込む我々に黒船来襲だ
 然りながら、"農地法の壁"は職員にとって心理的に大きいものであった。農政企画課は、農業系の大学を卒業するなどして入庁している農業専門職の牙城とも言えるセクションであり、その課長は農林水産省からの出向によるいわゆる"キャリア"の農業技官であった。長い歴史と積み上げがあって重い存在である農地法の規制という壁は、どうにも抗し難いものであるとの意識が、農業専門職の面々においてはなおさら、根深くあるように若い事務職の私には感じられた。
 農業担い手への利用権設定による農地の流動化は、少しずつでも前に進んでいれば良い…そんなムードであった。当時は「昭和一桁世代が老齢化して雪崩のようにリタイアする」「若い働き手が他産業に奪われ減少している」と言われる中で、「やる気のある優れた農業者に早急に農地を集積しないと国土保全の面でも大問題だ」などと施策推進の緊急性が叫ばれていた。しかし、一方で農業機器や営農技術の向上等により、高齢者でもまだまだやっていけるし、稲作などはサラリーマン跡継ぎでも休日利用の片手間でやっていけるという実態を皆が知っていたので、危機感の盛り上がりに欠ける嫌いがあったのだ。
 さらに、国主導の立法政策に即して自治体が推し進めるという仕事内容と進め方が、県職員としての覇気とか牙のようなものを削いでいたようにも思える。私の係が担当する業務の多くは国の補助金の執行事務であり、更に殆どが県は審査・経由的な立ち位置で、実態は市町村現場が主体だったのだ。県はよく言われる"中二階"的存在だったのだ。
 農業の構造を変える政策について大いに興味を持ち、県として打って出る取組に参画したいものの、実践の主体となる市町村を111も抱えて(当時)の補助金関連業務など膨大な事務量に追われ辟易とする毎日…そんな歯がゆい状況が続いていたが、変革の大波が押し寄せてきた。
 GATTウルグアイラウンド農業合意である。国中が正に黒船来航のような大騒ぎとなった。コメ市場開放を迫られた日本は、コメの関税(778%)を維持する代わりに、毎年一定量を無税で輸入することを義務づけられた。この「ミニマムアクセス」と呼ばれる輸入米は最初40万トンから徐々に増えていくという。聖域とされたコメの部分的輸入開放に農業関係者は大いにうろたえ、どよめき、対策費が数年間で6兆円という大規模さに行政関係者も大わらわとなった。
 農業担い手への農地集積による経営強化の促進は、農業従事者の高齢化対策に加えて、国際競争力の強化対策としての側面が全面に打ち出され、加速が求められるようになった。最大の論点となっているコメの最大級の産地である新潟県においての、農地集積と規模拡大、規模の経済性を通じた強い農業者の育成は、ウルグアイラウンド対策の主戦場となる。なんといっても当課の課長は農林水産省キャリアの出向者。メンツもプライドも掛けて臨まざるをえまい。年末間近、風も肌寒くなる初冬の頃にも関わらず、我が農政企画課の各係から燃えるような熱気が沸き立ったかのようであった。(後にインフルエンザが流行っていたことも判明したが…(笑))

(「農政企画4「岩盤に尻込む我々に黒船来襲だ」編」終わり。県職員3か所目の職場である農政企画課の回顧録がまだまだ続きます。)

☆農政企画課勤務時代に自作したマンガリーフレットもご笑覧ください。
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