新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代35「大学生の中古車乗り始めの頃(その2)」

●大学生の中古車乗り始めの頃(その2)

 実家の前の県道からほんの1kmほどすると国道116号に入る。あとは新潟市まで一本道であり、信号も比較的少ないので、他の車の流れに併せて運転して行けばいい…。少し落ち着きを取り戻したが、それもつかの間。片側1車線の区間においては、トラックがえらく煽ってくる。スピードメーターを見ると法定の60km/hより控えめな50km/hくらいの速度だったようだ。バックミラーには鬼の形相のトラック運転手が見えた。
 初めて乗る車ということで私はどうしても慎重になっていた。教習車であればそれとわかる外観なので「仕方ない」と容赦してくれていたと思うが、そのときの私の事情など車の外観から誰も知りようがない。初心者マークはつけていたと思うが、当時は荒っぽいドライバーが多く、追い越し禁止区間でもあったのでトラックは速く走れとばかり追い立ててくるばかり。
 私は、さすがに辛抱たまらず、路肩が広いところで片寄せして減速。すると偉い勢いで大型トラックは追い越して過ぎ去っていった。実際はあり得ないとは思うのだが、頭にきた大型トラックに追突されれば我が愛車などひとたまりもないだろう。そんなことが初心者においてはリアルな不安になるものだ。大変な洗礼を受けたなあと肝が潰れる思いだった。
 冷や汗ものの道中約80kmをなんとか凌ぎきり、新潟市五十嵐のアパートに着くも、自分の車のための駐車場はまだ無い。当時はおおらかだったので、アパート前の砂利道の路肩に止めておくことに。アパート建物の前ということだと、ほんの2台くらいが縦列できる幅しかなかったので、自分と同様な住人や住人の友人などが駐車したらもう停められなくなってしまう。日々が早い者勝ち占有したもの勝ちのサバイバルなのだ。
 それでも昔の車というのはそもそも殆どが5ナンバーの細身であり、今の乗用車からみれば小柄であるばかりか、すっかり大きくなった今の軽自動車よりも少し大きいくらいの車体だったので、路肩に停めておいてもドヤドヤ感がなく控えめなのが良かった。すれ違いも容易だったし辺りも学生アパートばかりだったので"目くじらを立てるうるさ型"の住人などがおらず有り難かった。
 とりあえず無事に車でアパートに帰着した私は、直ぐに共用のピンク電話から管理業者に「アパートの駐車場が空く場合は私に斡旋して」と申し入れたのだった。

(「新潟独り暮らし時代35「大学生の中古車乗り始めの頃(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代36「大学生の中古車乗り始めの頃(その3)」」に続きます。)
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