●大学生の中古車乗り始めの頃(その3)
車の運転というのは「習うより慣れろ」の最たるものではないだろうか。乗り回しを重ねると恐ろしいほど調子に乗っていけるものだ。
エアバックの標準装備など無いのはもとより、シートベルトすら装着せずに乗り回すのが一般的で、もともとヘルメットの装着を嫌ってバイクから足を洗った私には、自由な空間が極めて心地よかった。夏場は意外に暑い新潟の沿岸部においてエアコンが無いことも気にならないくらいだった。
人を乗せることにも不安が無くなり、サークル活動の仲間などを乗せては、海水浴だ、花火大会観覧だ、と縦横無尽だった。愛車の運転初日にビビりまくっていたのが自分でも嘘のように思えるほどだった。
それでも、初の四輪愛車のカリーナ1400DX号においては、過信を戒められたような教訓的な経験として思い出されることがある。
半年も経って車の運転に慣れきった頃、少し遠くへ出かけてみようという気になってきた。それまでに、時には"飛ばし屋"まがいに、今では言えないような走り方をするようになってはいたものの、それは新潟市と実家の柏崎市を結ぶ国道116号のバイパスかシーサイドラインであったりして、要は何かトラブルなどあった時に頼れる場所が近くにある範囲で少し暴れて見せる程度のものだった。
それはカリーナ1400DXが、当時としては立派なセダン仕立てのしっかりした車だったとはいえ、中古であり、突然の故障やエンストなど、いつ何が起きるかわからないという不安が漠然とあったからだ。自分は車の運転は好きであったが、レシプロエンジンなどメカニズムに関心を持って愛でるような車の面倒見ができる男子ではなかったのだ。
そんな"有事の不安"が片隅にありつつも、秋の頃のドライブシーズンになると遠出したいという引力には逆らえないようになり、安直ではあるが、季節の先取りとばかり北へ向かってみようという気持ちになった。すなわち地続きで新潟の北ということで、山形から秋田くらいまで足を伸ばしてみるかということにしたのだ。
山形には当時はそれほど関心がなかったが、秋田には男鹿半島や八郎潟など、以前から報道などで見聞きして関心があり訪れてみたい地域があった。東京都心などのような鉄道の利便もそれほど良くない日本海沿岸筋の最果てのような北の方面には、好きだったジョン・メレンキャンプなど泥臭いロックを聴きながら、ボロい中古車で渋く風を切って巡ることに憧れさえ感じるようでもあった。
そして、初の愛車カリーナ号における"最初の"背筋も凍るような思い出として、しばらくの間、夢にまで見てうなされた「鳥海山の悲劇」に見舞われることになるのだ。
エアバックの標準装備など無いのはもとより、シートベルトすら装着せずに乗り回すのが一般的で、もともとヘルメットの装着を嫌ってバイクから足を洗った私には、自由な空間が極めて心地よかった。夏場は意外に暑い新潟の沿岸部においてエアコンが無いことも気にならないくらいだった。
人を乗せることにも不安が無くなり、サークル活動の仲間などを乗せては、海水浴だ、花火大会観覧だ、と縦横無尽だった。愛車の運転初日にビビりまくっていたのが自分でも嘘のように思えるほどだった。
それでも、初の四輪愛車のカリーナ1400DX号においては、過信を戒められたような教訓的な経験として思い出されることがある。
半年も経って車の運転に慣れきった頃、少し遠くへ出かけてみようという気になってきた。それまでに、時には"飛ばし屋"まがいに、今では言えないような走り方をするようになってはいたものの、それは新潟市と実家の柏崎市を結ぶ国道116号のバイパスかシーサイドラインであったりして、要は何かトラブルなどあった時に頼れる場所が近くにある範囲で少し暴れて見せる程度のものだった。
それはカリーナ1400DXが、当時としては立派なセダン仕立てのしっかりした車だったとはいえ、中古であり、突然の故障やエンストなど、いつ何が起きるかわからないという不安が漠然とあったからだ。自分は車の運転は好きであったが、レシプロエンジンなどメカニズムに関心を持って愛でるような車の面倒見ができる男子ではなかったのだ。
そんな"有事の不安"が片隅にありつつも、秋の頃のドライブシーズンになると遠出したいという引力には逆らえないようになり、安直ではあるが、季節の先取りとばかり北へ向かってみようという気持ちになった。すなわち地続きで新潟の北ということで、山形から秋田くらいまで足を伸ばしてみるかということにしたのだ。
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(「新潟独り暮らし時代36「大学生の中古車乗り始めの頃(その3)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代37「鳥海山の悲劇。そしてお別れの愛車カリーナ(その1)」」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
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