●自由な生活時間の下でのバイト三昧
大学入学後1年間の何かと不自由な下宿暮らしから、何もかも自由自在にできるアパート暮らしになると、アルバイトも単発のものやこれまで続けてきた家庭教師のほかに不規則な時間帯のものも手を出してみたくなってきた。親からの仕送りはやりくりできないほどでは無かったが余裕もまた無かいものだったのだ。
仕送り額の相場が大学の別や自宅通学か否かでネットで分かる時代ではないので、親達は口コミで仕送り額を斟酌していた。私は同じ大学に通った兄の時の仕送りが目安になったのだが、歳の差6年分は考慮されず同額とされた。兄の時の多過ぎとの印象が強かったらしいが、物価上昇を考えると私には厳しい水準だったのだ。
そんな訳で、新たなバイト口を探し始める。大学に掲示されるものは短期限りか割の良くない募集だったので、ネット情報もない昭和時代には部活の先輩からの口コミ情報が何よりも有力になる。家庭教師を引き継いだ時と同様に、就活を前にした先輩が長年続けているバイトの後任を探しているという話を聞きつけた。
先輩が引継手を探していたのは「古町」での喫茶店のウエイターのバイトだという。古町とはその当時の新潟市屈指の繁華街であり、三越と大和というデパートが二つ鎮座する大通り交差点を中心に東西に小売店や飲食店などが軒を連ねていた。キャンパスから13kmほどバイクで30分と離れていたが、引き受けを申し出た。
夕方に店入りして閉店まで6時間ほど。時休は600円前後ではなかったか。家庭教師に比べれば見劣りするが、一度は水商売というものを体験したかった私には、いきなりスナックとか居酒屋などベタな飲み屋ではなく、シックな雰囲気でありながらビールなど酒類も提供して夜の店の一面をもつ純喫茶「スペイン」に関心を持ったのだ。
遠く新潟大学五十嵐キャンパスから離れた繁華街古町の純喫茶「スペイン」にて先輩がどうしてバイトを始めたかというと、映画クラブの活動で店舗の一階で経営者を同じにする名画座「ライフ」に関わったことが縁だったという。私としては未経験の仕事内容や個性的な店員の話など聞くと興味深く、下見もしないで引き受けた。
週に三日か四日ほど、夕方に原付バイクのヤマハRX50にまたがり、往復したものだ。冬の新潟も海岸沿いの道路は積雪が無いことも多かったので、結果してバイト経験の中でも2年半という最も長期にわたり継続したバイトとなった。単価は安いが雰囲気や夜の街に生きる人達との接点が面白く、できるだけ続けたかったのだが、映画や純喫茶り斜陽の中での閉店により終わりとなった。
※「純喫茶スペイン」でのバイトの思い出はこちら
(「新潟独り暮らし時代13「自由な生活時間の下でのバイト三昧」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代14「自由な生活時間の下でのバイト三昧(その2)」に続きます。)
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