●敬和学園大学へ伺う(その1)
進学や就職を契機とした、若者の、主に東京圏への流出が止まらない新潟県。県庁の出先機関の長して私が業務上所管する新発田市を中心とする周辺地域において、地元に居続けてくれる若者や外部から関心を持って関わってくれる若者を増やすにはどうしたらよいのか。先ずは、その予備軍の基地というか、意思決定の最前線である大学の学生から話を聴くことから始めようと考えた。
その手法としては、いかにも公式な取組み感がアリアリのお役所仕事にありがちなアンケートや聴き取りでは、”芯を食うようなもの”が抽出できないであろうから、自由闊達にざっくばらんに本音を言い合えるような雰囲気の中で、出口を想定するようなシナリオもなしに、ということで「座談会」スタイルが良いだろう。
然りながら、私が一方的に意図しても、時には知事の名代役も務める地域振興局長の肩書でいきなり大学などにあたっても構えられてしまうかもしれない。市町の役場も領内で県の出先機関が住民相手に何を勝手に始めたんだとざわつくかもしれない。新参者として何か事を起こす時には大胆さとともに要らぬ波風が立たぬような慎重さも重要だということは経験的に思うところだ。
そこで、私と大学の間に入って趣旨を上手に伝え、それに適う学生さんの参加に繋げてくれるヒトが必要だなと考えた。上手く立ち回っていただけそうな人材について探っていると、「伊藤正仁」さんの名前が浮上してきた。
そう、私が新発田地域振興局長に着任する直前の3月上旬に、私的に新発田市内のイベントを訪れるに際してメールでの照会に丁寧に答えてくれた御仁である。聞けば、新発田市役所を早期退職して地域活性化の活動に執心し一般社団法人まで立ち上げた人で、正に企図の理解を得てイザという時の役所とのやり取りも関わってくれそうだ。
※伊藤正仁さんとの出会い話はこちら
伊藤さんに、「座談会」の趣旨を説明し、新発田市にある「敬和学園大学」の3,4年生あたりの参加を求められないかと相談してみると、そもそもイベント活動などで同大学の教授とパイプがあり、学生さんを集めることが可能だろうと言ってくれた。
幸先の良い話だ。そのキーマンたる「一戸(いちのへ)教授」は学長補佐であり、情報メディア関係に深く精通した人で、非常にフランクで地域の振興への大学の関与に前向きだという。この教授から座談会の趣旨に適う学生さんの参加を調整してもらうことになり、同大学の会議室をお借りできることになるなど、設営がとんとん拍子に進んだ。ヒトとの関係とは有り難いものだとしみじみ思った。
新発田地域で就職を控えて修学している若者から、まさに地元に残るか出ていくかの判断に向き合う旬を捉えて話を聴こうということで選んだ相手先なのであるが、そもそも、敬和学園大学とはどんな大学なのか。遅ればせながら事前に再確認しておくこととする。
人文学部のみの大学であり、構成している国際文化学科、英語コミュニケーション学科、共生社会学科といった今風の標榜を見ると、バブル期後半に地方に多く設立された私学と見受けられる。
やはり1991年に設置された大学ということなのだが、キリスト教精神に基づくリベラル・アーツ教育を方針としているのだという。様々見聞きしていると宗教色はそれほど色濃いものではないのだが、教育方針に関心が及ぶ。
リベラル・アーツ教育とは、現代社会のさまざまな問題に立ち向かうための「総合力」を養う教育のことで、日本語に訳すと「一般教養教育」になるが、明確な定義はないそうだ。私が色々と調べていく中で独自に解釈すると、専門領域に特化して先鋭度やブランド力を競うような教育と一線を画すという姿勢のように感じられる。
東京での生活には抵抗があったり親元に残りたいという者や、実態としては、端的に言うと偏差値的に志望が叶わなずに入学した者が少なくないかもしれない。だからこそ、偏差値で仕分けされて東京圏へ押し出される奔流のような若者流出に対する”アンチテーゼ”も抽出できるかもしれない。座談会が楽しみになってきた。
伊藤さんに、「座談会」の趣旨を説明し、新発田市にある「敬和学園大学」の3,4年生あたりの参加を求められないかと相談してみると、そもそもイベント活動などで同大学の教授とパイプがあり、学生さんを集めることが可能だろうと言ってくれた。
幸先の良い話だ。そのキーマンたる「一戸(いちのへ)教授」は学長補佐であり、情報メディア関係に深く精通した人で、非常にフランクで地域の振興への大学の関与に前向きだという。この教授から座談会の趣旨に適う学生さんの参加を調整してもらうことになり、同大学の会議室をお借りできることになるなど、設営がとんとん拍子に進んだ。ヒトとの関係とは有り難いものだとしみじみ思った。
新発田地域で就職を控えて修学している若者から、まさに地元に残るか出ていくかの判断に向き合う旬を捉えて話を聴こうということで選んだ相手先なのであるが、そもそも、敬和学園大学とはどんな大学なのか。遅ればせながら事前に再確認しておくこととする。
人文学部のみの大学であり、構成している国際文化学科、英語コミュニケーション学科、共生社会学科といった今風の標榜を見ると、バブル期後半に地方に多く設立された私学と見受けられる。
やはり1991年に設置された大学ということなのだが、キリスト教精神に基づくリベラル・アーツ教育を方針としているのだという。様々見聞きしていると宗教色はそれほど色濃いものではないのだが、教育方針に関心が及ぶ。
リベラル・アーツ教育とは、現代社会のさまざまな問題に立ち向かうための「総合力」を養う教育のことで、日本語に訳すと「一般教養教育」になるが、明確な定義はないそうだ。私が色々と調べていく中で独自に解釈すると、専門領域に特化して先鋭度やブランド力を競うような教育と一線を画すという姿勢のように感じられる。
東京での生活には抵抗があったり親元に残りたいという者や、実態としては、端的に言うと偏差値的に志望が叶わなずに入学した者が少なくないかもしれない。だからこそ、偏差値で仕分けされて東京圏へ押し出される奔流のような若者流出に対する”アンチテーゼ”も抽出できるかもしれない。座談会が楽しみになってきた。
(「新発田地域ふるわせ座談会13・「敬和学園大学へ伺う」(その1)」終わります。「新発田地域ふるわせ座談会14・「敬和学園大学へ伺う」(その2)」に続きます。)
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