新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代10「イザ「あけぼのハウス」への引っ越し」

●イザ「あけぼのハウス」への引っ越し

 今から思えば二十歳くらいの頃は力があったなあと思う。独り暮らしサイズの冷蔵庫や本棚、布団袋、書籍で重い段ボール箱などはもとより、直径31cmの低音用ウーファーを持つコーラルDX-7という幅390高さ710奥行380mmで一つ31kgもあるスピーカーの左右用2台を含めて、独りで階段の上り下りを繰り返せたものだ。
 最初の下宿への搬入で苦労した大型で木製のオーソドックスな学習机は、また窓から持ち出すのは難儀だったし、ベッドを入れる予定の新居を狭くしたくなかったので、次に入る学生用に残置しても良いかと大家に尋ねると了承してくれた。次の入居者が間を開けずに決まったらしくご機嫌が戻っていて良かった。
 豪雪の名残もあり3月下旬とはいえ寒風に時折名残雪が舞う頃。新たなアパート暮らしの初日に改めて部屋の窓から眺めると、丁度砂丘の端に立っていて、窓下から下り坂のように草むらに続いて砂地の畑が海岸に向けて続き、果てには松の防砂林が地平線のような横一線の先に更に碧い水平線が望めた。これは素晴らしかった。
 引越しの運転手をしてくれた友人はトラック返却のため直ぐ引上げたので、寒い部屋で一人、梱包を解き始める。ガスストーブが直ぐに暖かくしてくれた。灯油買足しの労が無く電気よりパワフルなので実家から持ち込んで使い続けているものだ。FMではクリスティン・マクヴィーの軽快な「Got a Hold on Me」が流れてきた。
 木造アパートで「あけぼのハウス」という古風な名称のわりに居室の床が絨毯張りなのは机の配置など勘案した学生仕様なのだろう。前の下宿は同じ六畳間でも他に空間的余裕が無かったので布団上げ下ろしが不便で仕方なく、今度はシングルベッドを発注していたのだが、畳の傷を気にしないで済むので有り難い。
 やっとまともなアパート独り暮らしができる。毎晩ビール大瓶2本にスコッチをロックでグイグイとやるのが日課だった私は、食べながら呑む晩酌スタイルが毎日のルーティーンで、自分で簡単な酒の肴を作るのも好きだったので、初日から早速バイクで数分の地元資本のスーパー「清水フード」に行き、自炊に勤しみ始めた。
 当時の食品スーパーは、持ち帰って電子レンジで温めれば直ぐというようなお総菜は僅かで、肉や卵、野菜の他はソーセージや缶詰くらいしか男子学生の"味方"は無く、大した料理は出来ずにバリエーションも少なかった。現在の様にネットで容易に分かり易いレシピが得られれば、凝り性の私の食生活や生活ぶりは違っていたかも知れない。

(「新潟独り暮らし時代10「イザ「あけぼのハウス」への引っ越し」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代11「あけぼのハウス時代の思い出」」に続きます。)
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