●古びた校舎が語る暗喩
つい先日まで通っていた小学校との自宅からの距離が殆ど変わらない柏崎市立第二中学校への進学は、歩き慣れた道を僅かに変える程度の通学路で、しかも徒歩ということだったこと、加えて私には5歳年上の兄が中学校の時に何かと学校の雰囲気などを耳にしていて”予習”ができていたので、あまりフレッシュな気持ちが湧かなかった。
それでも、実際に過ごす校舎が変わることは激変に違いなく、幾ばくかの期待感を持っていたのだが、入学前のクラス分け発表で訪れた体育館の非常に古びた雰囲気に少し気分が萎えてしまっていて、さらに入学して直ぐに校舎の各教室や諸室などを目にするたびに、何か目が点になるような冷める様な気持ちになったものだ。
比角小学校も在学時に創立100年記念行事を迎えた木造校舎はとんでもなく古い造作であったのに、第二中学校校舎のこのくたびれ感というのは何なのか、最初は不思議だったが、例えば同じ古さの建物でも、そこで活動する生徒たちのデカさやワイルドさからくるハードな使い込みなどによって、傷み方がえらく違ってくるのだろうなあと後々思うようになった。
中学生の3年間というのは人生の中で最大級の急成長の時期であり、2年後に僕らもこんな感じになるのかと思うくらい3年生は本当に大きくて大人びていて、既に髭の濃い者もいたりする。とりわけ体育館が、そして廊下であっても板張りの床や壁などがバンバン酷使されれば、そのくたびれ具合は、生徒総数が多いとはいえ軽くてトコトコ駆け回る小学生によるものとは大きく違うということなのだろう。
校舎は、ロの字型になっていて、一辺が古びた体育館、そこから左手に一二年生の教室、右手に三年生の教室や教務室などの諸室が二階建てで配されており、体育館の対面の残る一辺の位置は各教室から教科室等への移動のための主に渡り廊下となっていて売店や校内放送室などがあったように憶えている。
そして、ロの字型の校舎建物に囲まれた内側は立派な中庭になっていた。第二中学校としてはこれが相当自慢らしくて、校長先生のお話しなどで「○○賞を受けた誇るべき中庭に恵まれていることを皆で喜んで」みたいなことが度々語られていた。他の中学とは比べようもない僕たち生徒には何とも言えない話であったが、砂利敷で踏み石が綺麗に配された回廊のような真ん中に池があり、周囲に花壇や藤棚なども設えられた比較的大きな中庭は、子供心にも豊かな気持ちをもたらしていたように思う。
昼休みになり食事を終えると、中庭のベンチに級友と二人で向き合って座り、「三将棋」などに興じることが続いたことも入学して最初の頃はあったと思う。小学校の頃のように休み時間と聞けば体育館に繰り出してボール遊びに興じたりしたのに比べれば穏やかなものだが、この後に語られる「部活」により、疲れ切って授業合間の休み時間に騒ぐどころではなくなっていくのだ。
考えてみれば、部活は体育会系に入るか文化系に入るかで、校内での友達付き合いも大きく変えてしまう。中学というのは、小学校のように皆がほぼ均質で騒ぎ合うということではなく、その後の人生にも影響するような暮らし方の大きな分岐の始まりなのだろう。
僕にとっては”スパルタンに使い込まれてくたびれた校舎”の印象が入学に当たってそれを暗喩しているようだった…と、これから記していく中学時代の思い出を振り返るにつけ”後付け”なのだけれど思い返されるのだ。
(「柏崎中学生時代2「古びた校舎が語る暗喩」」終わり。「柏崎中学生時代3「強めのキャラにドギマギ」」に続きます。)
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