新潟久紀ブログ版retrospective

地域農政推進課6「農地中間管理機構(農地バンク)の創設(その1)」編

●農地中間管理機構(農地バンク)の創設(その1)

 地域農政推進課の前身で私が若いころ在職した農政企画課の時代、20年ほど前の平成5年頃は、農地の中間保有を通じて集約化や売買のミスマッチを解消する農地保有合理化事業は、農地法の例外的位置づけから農業経営基盤強化促進法という新法の重点事業へと打ち出しにされて、各県農業公社の花形事業であった。
 しかし、バブル経済の崩壊による地価の大きな下落と金利の低下の中で、農地を中間保有する事業は、買取価格を時価で回収できなくなったり、買い手と見込んだ農家が経営不振に陥るなどして、農業公社にとって不良債権を抱える"問題児"となっていた。
 20年前には当該事業を一所懸命推進していた私が、復帰してみたら、当該不良債権の後処理が適正に行われるように監督する立場になったのは皮肉な巡り合わせというほかないと思っていたのだ。しかし、瀕死の者が息を吹き返すことは希にあるものだ。
 ガットウルグアイラウンド以来少しずつ増えてきた外国産米のミニマムアクセスは1999年の関税化により70万トン超の輸入量となっていたが、今後もその拡大を見据えると、品質も上げつつある安い外国産米に対抗し得る稲作の経営体を強化する必要があった。それには、本気で農業で儲けて行こうとする担い手への農地集積を加速させなくてはならない。
 以前は零細農家の中心にいる昭和一桁世代がリタイアすれば自ずと農地は売り貸しに出されるようになり、法人経営体など持続的な農業者へと自然に農地が集積されるなどと言われていたが、零細農家の子弟たちが会社勤めをしながら、つまり、兼業農家であっても稲作というのはなんとかやっていけることもあり、農地の流動化は思うようには進んでいなかった。
 そんな中で政府は、加速的に農地を担い手に集積して国際競争力のある農業経営体を早急に数多く創り上げていくため、「農地バンク」事業の展開を高々と打出した。分散して規模もまちまちで貸出したり売出したりしたい時期も個々に異なる小規模農家の農地を、「農地バンク」と称する中間保有者が銀行よろしく一時的に保有して、作業効率の良い規模や形にある程度まとめて担い手農家に転貸したり転売したりするというものだ。これが稲作農業政策の切り札の一つとして鳴り物入りで打出されたのだ。

(「地域農政推進課6「農地中間管理機構(農地バンク)の創設(その1)」編」終わり。「地域農政推進課7「農地中間管理機構(農地バンク)の創設(その2)」編」に続きます。)
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