新潟久紀ブログ版retrospective

【連載15】空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕(その15)」

●不思議なおばちゃん達と僕(その15) ※「連載初回」はこちら
~おばちゃん達と家は震災を乗り越えるも"辛うじて"感は否めず 2/2~

 休日であり広い職場には僕とあと2人くらいしか居なかった。僕は電話で上司に被災地である実家に急行することの承諾を得ると、県庁を後にして自宅へと暫く宿泊できる用意と車を取りに向かう。緊急事態対応のため職員達がぞろぞろと出勤しようと向かってくる波に抗いかき分けるように。有難いことにこの時の僕には災害時の緊急業務の担当割当てが無かった。急ぎ支度を調えると13年目でへたり気味の愛車ギャランヴィエントのキーを不安な気持ちで回した。
 急いではいたが、高速道路は地震で閉鎖されていたので、いつもの帰省と同様に幹線国道を走る。最初は思いのほか車通りは多くなかったが、やはり実家のある市域に近づくにつれて渋滞も増え始めた。途中の国道バイパスで橋桁がズレて車では乗り越えられない段差が出来ているなど、必要な通行止め措置は遅れていてドライバー自身で通り抜けの可否を判断していかなくてはならない。そうした道路不具合による渋滞等に際しては枝道横道を選び、それでも道路の亀裂などにあっては路肩法面にタイヤを乗り上げて車体が斜めになったりしながらそろりそろりと通行せざるを得ず、時間が掛かる。
 焦りと慎重が相まみえての実家への帰路は通常の3倍近くの約6時間も要した。しかし、その苦労をやっとの思いで経た先にはもっと残酷な現実や苦労が待ち構えているかもしれない。果たして実家に到着すると、家は潰れずに建って待ち構えていてくれた。家の中に駆け上がると母の元気な姿が。安堵とは正にこのことだ。聞けば被災時に庭で作業をしていて、地震直後は近所の人達と無事を確認し合った上で、家の倒壊の不安から暫く外にいたのだという。ケータイも持たない母と電話がつながらなかった訳だ。
 取り急ぎ安全を確認して気付けば、部屋の明かりが付いている。停電していないというのは非常に有難い。さすがに水道とガスは配管が分断されたようで不通となっていたが、冷蔵庫で食糧が保存できるし電気ポットでお湯も沸かせる。夕闇が迫る頃となり、近所の公民館で炊き出しや水の配給が早速始まるというので、母と共に出掛けてみる。3年前に発生したばかりの中越地震の経験が活かされているようで行政による物品配給は極めて迅速だ。おばちゃん達の分も含め、水やおむすびなどをもらって帰宅すると、夜間は特に対処する用事も無くなったので、冷蔵庫に残っていたビールと電気ポットで沸かしたお湯でカップ麺などをいただいた。ささやかとは言え昼間の絶望感から想像できなかった寛ぎを得られるとは。奇跡に思えたものだ。
 翌日になると、近所の小学校の校庭に自衛隊の給水車が来るとのアナウンス。飲み水として500㎖ペットボトルの配給が発災当日から充実していたが、食器などを洗ったり雑用のための生活用水に飲料用を充てるのはやはりもったいない。一計を案じ、最大サイズのゴミ袋数枚と、バケツのほか大根がまるごと重ねられるような大きめのカラの漬物樽を車に積んで母と小学校に向かう。樽の内側にゴミ袋を配して給水車から水を流し入れ、袋の口を結べば車でもこぼさずに大容量の水を運べた。
 そんな工夫もこらして、実家と併せておばちゃん達の家へも生活用水や配給品の搬送を何度か繰り返し、色々と雑用など対処していると、ケータイにメールでいつ頃職場に帰還できる?との問い合わせが。帰省から既に3日目。一週間くらいは実家に留まり母やおばちゃん達の先行きを見極めたかったが、職場でも災害対応のための予算編成作業か待ったなしだ。水道もガスももうすぐ復旧しそうだとの情報も得た。近所の人達に母の見守りや必要時の応援をお願いして実家を後にした。
 母が無事であり家も大丈夫で、停電が無かったことと発災直後からの配給が迅速かつ充実していて、また、ボランティアの屋台が県外から駆けつけるなど普段よりも珍しい食べ物を賞味できたりもして、現地入りまでの悲壮感が、この時の梅雨明け後の夏空のように、嘘のように晴れての帰路がハンドルさばきを軽快にさせた。惜しむらくは断水で風呂やシャワーができない中、僕が発つのと入れ替わるように設営された自衛隊のテント風呂を体験してみたかったのだが。
 それにしても短期間ではあるが顧みると、今回のように地域全体の住民一斉に及ぶ災難などが発生した場合、物品の調達やら車での搬送やら生活を維持するための手数や手段が自分の身近で確保できるかどうかは、特に老人世帯においては死活問題だと感じた。近所に身内や世話を見てくれるお隣さんなどが居れば良いのだが、実家の周辺だけ見渡しても若手が転出して老人だけの世帯が増えている。年老いて"自助"叶わず、地域に若手不在で"共助"も出来ずともなれば、やはり特養などの施設に集約して効果的で効率的に世話をしていく"公助"というほかないのか。自らが地元を出て老人を置き去りにしている僕が言える立場ではないのだが、今思い浮かべた三段論法のような自助、共助、公助のフローはどこか機械的で形式的で、インテリジェンスが感じられない。スマートでない。何か知恵や工夫の出しようがあるのではないか。無責任極まりなくもそう思う僕なのであった。

(空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕」の「その16」に続きます。)
※"空き家"の掃除日記はこちらをご覧ください。↓
 「ほのぼの空き家の掃除2020.11.14」
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