※農政企画課8-1「農地保有合理化法人の移行」編(1/2)の続きです…
「財団法人である農業公社」と「社団法人である林業公社」を、統合により「社団法人の農林公社」とすべく関係する各種事務が進められていったが、私が直接担当する事項の中で、参考と出来る前例が無い大きな課題が一つあった。農業公社が基本財産を造成した時に国から受けた補助金をどう取り扱うかというものだ。
国の窓口機関は金沢市にある北陸農政局。当時、新潟から在来線特急「北越」で4時間近くかけて行き、有り体に事情を説明すると、担当官は「補助金は国へ返還してもらわなあきまへんな」と即答だ。
国からの補助金は1億円あまり。「返還」と簡単にいってはくれるものの、支払いには現金が必要となるが、収支カツカツの農業公社に内部留保でそんなキャッシュはないし、利払いしてまでの借金もできない。実情を申し立てるも、「国は、農地保有合理化法人として事業を展開するための財団設立にあたり、県が基本財産を出捐する場合に補助するという補助金交付規定なのだから、財団が無くなる以上、法的には返還が必要ですわ」と関西系の訛り口調で国担当官はダメを押してきた。
新潟へ戻る電車でホトホト悩んだ。しかし、この事案については全く同様の前例が無いことに逆に一縷の望みがあるのではないかとも感じていた。返還不要とできる前例を我々が初めて作れば良いのでは…と。
バブル崩壊で右肩上がりの経済成長が終わり、国から補助金を受けて整備した土地や施設等について、利用低迷や維持困難等による縮小や廃止など、見直し議論が全国で増えていた頃だ。国費補助金の適正を監督する財務省も返還の要否に関する弾力的運用に言及し始めていた。
国の窓口機関は金沢市にある北陸農政局。当時、新潟から在来線特急「北越」で4時間近くかけて行き、有り体に事情を説明すると、担当官は「補助金は国へ返還してもらわなあきまへんな」と即答だ。
国からの補助金は1億円あまり。「返還」と簡単にいってはくれるものの、支払いには現金が必要となるが、収支カツカツの農業公社に内部留保でそんなキャッシュはないし、利払いしてまでの借金もできない。実情を申し立てるも、「国は、農地保有合理化法人として事業を展開するための財団設立にあたり、県が基本財産を出捐する場合に補助するという補助金交付規定なのだから、財団が無くなる以上、法的には返還が必要ですわ」と関西系の訛り口調で国担当官はダメを押してきた。
新潟へ戻る電車でホトホト悩んだ。しかし、この事案については全く同様の前例が無いことに逆に一縷の望みがあるのではないかとも感じていた。返還不要とできる前例を我々が初めて作れば良いのでは…と。
バブル崩壊で右肩上がりの経済成長が終わり、国から補助金を受けて整備した土地や施設等について、利用低迷や維持困難等による縮小や廃止など、見直し議論が全国で増えていた頃だ。国費補助金の適正を監督する財務省も返還の要否に関する弾力的運用に言及し始めていた。
「形式でなく理屈で論理的に考えよう。」確かに、財団法人農業公社は消滅するが、一秒も違わず時を同じくして社団法人農林公社として生まれ変わるというスキームだ。本来なら財団解散とともに精算される基本財産は、財団の目的が新設社団に引き継がれることをもって、帳簿上は同額を社団に引き継ぐこととなっている。もとより業務運営に使われていて現金では存在していない基本財産ではあるが、理屈上は帳簿価額が毀損されるということではないというわけだ。
基本財産の目的である"農地保有合理化法人としての事業"も完全に新設社団にそのまま引き継がれる。「これはいけるだろう」と思わず膝を打つ。踏襲できる前例が全国に未だ無いことを逆手にとって、いわば"新潟オリジナル"でやり通すとの腹が固まった。国窓口機関では前例の無い事案として担当係長の上司である課長補佐が対応に当たっていたが、法令解釈など事務的論点が主体ということもあり、担当係で唯一人の事務職である私が、末席の主事とはいえ協議のほぼ全権を委ねてもらえていた。
個別具体のやり取りは差し障りもあるので書けないが、4月の公社統合を控えた国との協議は、指摘や宿題をもらっては答えたり説明を行うことを繰り返し、その都度、国担当官も本省との協議で改めて確認を求められたりして、毎週のような"金沢市通い"は年末から2か月近くに及んだ。
国は前例の無い事案を前にして、あれこれと面倒な論点を仕掛けて時間稼ぎをし、我々が音を上げ諦めて、結局は補助金の返還に応じるだろうと高をくくっていたようだ。しかし、かつて新採用職場で国通産省(当時)本省と協議して前代未聞の案件を乗り切った経験を持つ私は、そうした雰囲気も見透かすことができて、累次の難癖攻撃?に対して、とにかく正論で応戦し続けた。
国からの指摘に対する当方の回答について国の反応を見ていく中で、これはそろそろ我々にとっていい方向で決着するだろう、国もそうせざるを得ないだろう、と目論んでいた時期がやってきた。4月の公社統合を控えた3月の初旬だ。
役所仕事は、善し悪しは別として会計単年度主義であり、3月31日付けの財団法人解散に合わせた補助金返還を行わせようとすれば、事前に納入通知書を発出して、今年度内の会計処理として対処することが基本となる。我々が次々の問い質しにへこたれずに応え続けていくうちに、実質的に協議の期限切れということとなり、国は前例無き"個別の事案"として「国費返還を要せず」との結論付けてくれたのだ。
「あんたにはやられたなあ…」。決着後の3月中旬に、今まで国本省との取り次ぎなどの労のお礼も兼ねて北陸農政局担当官のもとを訪れると、苦笑いとともに聞きなれた関西訛りで言われたものだ。「まあ、個別の特殊な事案だったしね」と別れ際にも国担当官はつぶやいていたのだが…。
基本財産の目的である"農地保有合理化法人としての事業"も完全に新設社団にそのまま引き継がれる。「これはいけるだろう」と思わず膝を打つ。踏襲できる前例が全国に未だ無いことを逆手にとって、いわば"新潟オリジナル"でやり通すとの腹が固まった。国窓口機関では前例の無い事案として担当係長の上司である課長補佐が対応に当たっていたが、法令解釈など事務的論点が主体ということもあり、担当係で唯一人の事務職である私が、末席の主事とはいえ協議のほぼ全権を委ねてもらえていた。
個別具体のやり取りは差し障りもあるので書けないが、4月の公社統合を控えた国との協議は、指摘や宿題をもらっては答えたり説明を行うことを繰り返し、その都度、国担当官も本省との協議で改めて確認を求められたりして、毎週のような"金沢市通い"は年末から2か月近くに及んだ。
国は前例の無い事案を前にして、あれこれと面倒な論点を仕掛けて時間稼ぎをし、我々が音を上げ諦めて、結局は補助金の返還に応じるだろうと高をくくっていたようだ。しかし、かつて新採用職場で国通産省(当時)本省と協議して前代未聞の案件を乗り切った経験を持つ私は、そうした雰囲気も見透かすことができて、累次の難癖攻撃?に対して、とにかく正論で応戦し続けた。
国からの指摘に対する当方の回答について国の反応を見ていく中で、これはそろそろ我々にとっていい方向で決着するだろう、国もそうせざるを得ないだろう、と目論んでいた時期がやってきた。4月の公社統合を控えた3月の初旬だ。
役所仕事は、善し悪しは別として会計単年度主義であり、3月31日付けの財団法人解散に合わせた補助金返還を行わせようとすれば、事前に納入通知書を発出して、今年度内の会計処理として対処することが基本となる。我々が次々の問い質しにへこたれずに応え続けていくうちに、実質的に協議の期限切れということとなり、国は前例無き"個別の事案"として「国費返還を要せず」との結論付けてくれたのだ。
「あんたにはやられたなあ…」。決着後の3月中旬に、今まで国本省との取り次ぎなどの労のお礼も兼ねて北陸農政局担当官のもとを訪れると、苦笑いとともに聞きなれた関西訛りで言われたものだ。「まあ、個別の特殊な事案だったしね」と別れ際にも国担当官はつぶやいていたのだが…。
4月に他課へ異動転出した私は、しばらくして当時関係していた県職員と雑談する機会があって聞くと、あの後、全国的に農業公社統合の動きが出る中で、我が県を前例に持ち出し、ひねり技を加えて国費返還を拒む団体も出て、全国各地で騒ぎになっているという、我々が作った"前例"は「新潟方式」と言われているのだそうだ。「してやったり」というのでは苦労してくれた国の方々に対してさすがに不謹慎なので、静かに目を閉じて手を合わせてみた。
(「農政企画課8-2「農地保有合理化法人の移行」編(2/2)編」終わり。県職員3か所目の職場である農政企画課の回顧録は今回で終わります。次の職場である「人事課」の回顧録に続きます。)
☆農政企画課勤務時代に自作したマンガリーフレットもご笑覧ください。
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。