新潟久紀ブログ版retrospective

財政課12「県職員勤めで最大級の惨劇(その5)」編

●県職員勤めで最大級の惨劇(その5)

 怒号の御仁の後を追い「今一度きちんとお詫びさせてください」と話しかけると、ほんの少しだけ表情に綻びが見える。これは脈がある。聞けば携帯電話で呼んだ迎えの車が来るまで少し時間があるという。今の今で和やかに喫茶という雰囲気では無かったしそれほど時間もなさそうだったので、手っ取り早く駅のホームの待合室にお連れしてお話しすることにした。上手い具合に待合室には誰も居ない。
 指定以外の参列場所にお立ちになっていたので万一ということを考えてお声掛けしたこと、事が皇室と知事の近くという重要性と、礼を尽くしてご理解をいただく時間が無いという緊急性から、無礼な接触となってしまったことなど、有り体に経緯をお伝えしていくと、私がとった態度が分からないでもないという雰囲気が少しは相手に出てきた。おそらくは昭和一桁生まれ。私の経験的に見てこの世代は癇癪に至る沸点は低いが話せば分かる人も多い。光明が見えてきたようだ。
 それでも頑固な御仁は言う。「あれだけの面前で「貴方は場違い」というような思いをさせられたのだ。事実関係は分かったが、キチンとお詫びしたいというのではないのか」と。確かに私の話しは言い訳に過ぎない。もともと十分な待機時間を確保していた中で、参列場所を間違えないように注意を促したり念を押したりすることにもっと力を尽くせば良かったのだ。何と言っても"行啓という大事"であるのにどこか楽観に過ぎたのかもしれない。心からの謝罪を求める相手、特に○○会という何よりも礼節を重んじる世界の会長には、軽々しい作法では通じまい。他に思い浮かばなかった私は、「このとおり謝ります」とついには"土下座"をしてみせた。数十秒過ぎたであろうか、相手は「もう分かったよ。知事に告げ口なんかしないよ」と笑って私の肩を起こしてくれた。
 それからは、○○会の会長としての苦労話などを聞かされたりして和やかなやり取りとなり、少しして携帯に迎えの車から到着したとの連絡を受けたその人は、今回のことに懲りずに君も県庁で頑張れと言い残して帰って行った。握手しての別れであり、もめ事の後始末としては最高の決着だった。
 県庁まで引き上げる公用車の運転手でもあった私を、同乗する予定の同僚2人が駅のコンコース付近で待ちわびていた。待たせたお詫びと事の経緯を話すと、彼らが居たコンコース付近では例の怒号は漏れ聞こえてこなかったようだ。同じ場所に居た直属の上司である課長に心配は掛けなかったようで安心した。
 公用車のグレーのセドリックバンで帰路に着くと、アクセルに置く足に少し震えを感じた。"結果オーライ"の様相にはなったが、知事を始め大衆の面前で怒号を浴びたインパクトは私にとって結構な精神的ショックとなっていたようだ。予定より一時間近く遅い時間に県庁に着き、心配する同僚達に大丈夫だよと挨拶して職場のドアを出て帰路に就こうとすると、先に帰庁していた"あの知事付の職員達"の3人と廊下で出くわした。
 「一部始終を見ていたよ。本当に大変だったねえ」と私と同じ年頃の知事付職員が話しかけてくる。私は「大変と知りながら遠くでただ見ていただけなんだな薄情者達。おまえ達はお公家さんか」…と内心で思うも、終わったことを口にしても詮無いので、努めて明るく「大丈夫ですよ。お疲れ様でした」と応答して帰りかけた。それでも、3人の中の上長が私を不憫に思ったのか、「これを持って帰って…」と私に何か二箱を手渡してきた。一つは小さな白い薄い紙箱で、開けると菊の御紋が印刷された煙草が10本横に並んでいる。いわゆる「恩賜煙草」だ。それと、半円形のどら焼きが4つ入った箱で「残月」というお菓子らしい。共に行啓対応等の労いに宮内庁から賜るのだという。私は最後の最後で大変な苦労があったので特別にお裾分けを頂けるそうだ。帰宅を待つ家族への土産にできそうなので有難く頂いて県庁を後にした。
 帰宅して以降は呆然となってよく覚えていないが、大変なトラブルを思い出したくなかったので、事件の"さわり"を妻には話した後はビールで憂さを晴らした。お土産の「残月」が皇室からの賜り物という珍しさもあって家族に好評なのが少しは救いだった。数日後に、法事で実家に帰省した際に持ち帰った「恩賜煙草」を読経を終えた住職と二人で試すと、結婚前に禁煙していたので初めて喫煙する私の姿を見た幼い子供達が「パパが悪くなった。不良だ」などと泣き叫ぶほどの大騒ぎになったが、ならばと煙草の煙で"輪っか"を作ってぷかりと吹いてやると、今度ば「もっとやって、もっとやって」と大喜びだ。そんないたいけな姿に癒やされるうちに、私の長い県職員勤めにおける「不運ワースト5」には入るであろう行啓事件のショックは少しずつ薄らいでいったのだった。

P.S.更にその数日後に家族で「日光江戸村」に遊びに行き、セットの武家屋敷でのアクション活劇の迫力に大興奮したり、"にゃんまげくん"のナンセンスぶりに大笑いして、めでたく精神的ダメージは緩解したのでした…。

(「財政課12「県職員勤めで最大級の惨劇(その5)」編」終わり。「財政課13「査定チーム入りで交付税担当(その1)」編」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「回顧録」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事