新潟久紀ブログ版retrospective

ほのぼの愛車遍歴14「三菱・ギャラン・ヴィエント」(その3)

◇◇◇三菱・ギャラン・ヴィエント
 [1994年10月から2009年9月まで子育て時代を支えてくれた]◇◇◇

▼接触編
 エアコン、パワステ、パワーウインドウ。四輪として4台目の愛車ギャラン・ヴィエントは新車であり当然にいわゆるフル装備なのであったが、平成6年のこの頃においても、私はマニュアル車を選んだ。
 走りの楽しさはもとより、学生時代の豪雪での”2速発進”や”押し掛け”など、マニュアルならではということで局面を凌いできた経験が身体に染み付いていたのかもしれない。
 既に独身ではなく、車は家族のものにもなっていたので、自分の好みだけを通すわけにはいかなかったのだが、妻は子供も乗せて動くことなど考えたときの面倒くささに少し難色を示しつつもマニュアルで我慢してくれた。そもそも妻は独身時代に実家の父親の車であるジェミニのFRのマニュアルを凍結路面でも乗りこなしてきた強者なので、新車でFFということでもあり造作ないものだったのだろう。
 ただ、さすがに3ナンバーの車体の大きさは予想を超えるものだったのであろう。私もそうだが、長年乗りこなしてきた先代の車の感覚というのを身体が憶えてしまってる。幼稚園の駐車場でギャランを取り回した際に、テールを他の保護者の軽自動車にぶつけてしまったと妻から仕事中の私に電話が入った。新車として乗り始めてまだ数ヶ月という残念さが一瞬頭をよぎったが直ぐに人身かどうかを訪ねる。幸いにも相手は空車であり、もちろん園児などにも危害は無いという。先ずは胸をなで下ろして安堵の息が漏れたものだ。
 急いで自宅に帰ってきてギャランのテールを見ると、見た目にはほとんど傷も何もない。ただ、よーく見ると、バンパーが気持ち食い込んでいるようだ。事の次第を妻から急ぎ聞くと、相手は人身に被害がなく、相手車もとりあえず自走できるし、同じ幼稚園の保護者同士で素性も確かでもあり、追って車の修理代だけ補償してくれれば良いということで手打ちできて各々帰宅したのだという。
 私としては、保険業者と手続きする上でも相手車の事故後の状態を確認したかったので、妻が書き留めてきた相手の住所へお詫びの挨拶がてら向かうことに。近くで買った菓子折を携えて行ってみると、そのころの県庁周辺にいくつか見られた大きな農家のお屋敷のようなお住まいであり、道路から乗り入れると家屋の門前まで十メートルくらい砂利道があるような敷地であった。
 少し敷地に入ると農作業小屋の前に青い軽自動車が停められていて、前部が壊れていたので直ぐにギャランがぶつけた車と分かった。当方は殆ど傷が無いのに、相手車は前照灯カバーの片方にヒビがはいり、フロントのグリルが割れ、バンパーも無残に折れている。改めて並んだ加害と被害の2台の車の見た目の損傷の違いように、軽自動車というのはこれほどやわいものかと思い知る。それでもラジエターまではやられていないようだ。高額な機器や部品の取替えなどにはならないのではないか。
 呼び鈴を鳴らすと相手方の奥さんが出てこられたので、玄関先で菓子折を渡しながら夫婦で平謝りをする。わざわざ出向かなくても修理費だけ請求払いに応じてくれれば良いと言ってくれる。温厚な人柄がにじむような方だった。こうした事故では相手によって雲行きが大きく変わるもの。心から一息つけた瞬間だった。
 新車購入してまだ半年も経っていないのに、というか、そんな頃合いだからこそ、良くも悪くも操作に慣れてきて気の緩みが出てしまう時期なのかもしれない。私有地内の軽い物損で済んだことをむしろ幸運と思い、改めて慎重を心がけて運転に臨もうと、夫婦共々誓いを新たにした、日が長くなり始めた春の日の夕暮れ前であった。


(「ほのぼの愛車遍歴14「三菱・ギャラン・ヴィエント」(その3)」終わり。「ほのぼの愛車遍歴15「三菱・ギャラン・ヴィエント」(その4)」に続きます。)
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