2/21に書いて保存していた
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一部のスピリチュアルを商売と捉えている人(最初は純粋であとったはずの)の中には、まるで宗教のように「善人にならなければならない」とか「いついつが期限だとか」そして、それを手助けするためのツールを提示している人がいます。それ事態は、ある意味で必要なことであり自分が選択して進むための道標ともなるわけです。
その道標を選択して進んだら困難に遭遇したり猜疑心で一杯になったりしたなら、その道標を次に見た時は、もうそれは選択しないはずです。
このように選択が違っていたと感じたなら、同様に感じた先人達が付けた足跡、そこから生じた脇道が必ず見つかるはずです。
主流の大きな流れに乗れていなかったとしてもたくさんの愛ある意思により、宇宙の支援により望むのであれば、戻りたい主流の道に入れるようにできているはずです。
この見ている世界は、完全であることを忘れて不完全になって(ふりをして)生きながら、完全さを思い出す旅でもあるわけです。
そのために、この世界は完全さを思い出さないような仕組みがたくさんあります。
慣習や教育や思想や情報などを通して、たくさんベールをかけているわけです。
このようにして、この旅は困難が多くなっているのですが、困難があるからこそ前に進んだらどうなるのかと前進でき、深い経験を味わうことでこの世界を理解することができるのだと思います。
このように納得できたなら同じ経験をする必要は、自ずとしなくてよいと判断するようになるはずです。
そのように思えるようになるまで細い選択は続き、脇道にそれたりしながら進むはずです。
ここまで。
以下、今日付け加えた内容
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最も気を付けなければならないことは、この道ごと全く違う方向に繋がれてしまうような魔法が仕掛けられる場合があります。
このような事態に陥った場合は、最初は何が起きているか解らずに方向感覚や直感すらわかずに暗中模索状態になり、それにより心身のバランスを崩すようなことが起きやすくなります。
こうした状況になった時こそ見えない力の支援を強く願うべきかと思います。
何故なら自分の意思ではないモノによって、造られたタイムラインに導かれてしまっているわけですから、それを修正できるだけの力(エネルギー)が必要だからです。
そんなことが、この10日くらい起きていたように感じます、、
3/1白山神社周辺