この時は、世代に関係なく何故ここに生まれて来たのかを思い出す大切な時になっていると思っています。
例えば、仕事にしても金銭的なことにしても人間関係でも
家族関係でも今の状況にそれなりに満足して、そこそこ納得しているなら迷いもなく、その状態を維持する努力をして行くはずです。
しかし、ある程度自立した人が「自分の人生に納得できず何か足りない、、」と迷い続けながらも、アレヤコレヤと挑戦しながらも、まだ見つからないと思うのであるならばそれは、魂として決めて来たことを思い出していない場合があるかもしれません。
そういう人達は、何かを一生懸命やりながらもこの社会の理不尽さや変な方向への複雑さなどに突き当たりやすいはずです。
何故なら、この社会を造って来た意識が、宇宙源の礎と違う方向に進み過ぎているからだと思います。
図りしれない宇宙そのものが完全な愛から創造されているのにも関わらず、それに背くような世界を造りあげようとする意識があるのは、否定できません。
その結果、優しい賢い人達が
生きづらい社会になってしまったと捉えています。
結局は、自分がどちらの生き方を取るかの選択をしなければならないのだと思います。
生活スタイルを田舎的にするとかを言っているのではなく、どこにいてどんな生活様式であったとしても大切なのは、地球に自然に感謝して互いを認め合い尊重しあい、全ては宇宙源と繋がっているという認識を持って生きているならば、必ずや自己の魂の思いを感じとることができるはず、、
そして、それを支援するエネルギーがたくさん宇宙から贈られて来ている時でもあるはずです。
政治や主義主張に振り回されずに、自らがあたたかい気持ちになれる方向に進んでみましょう。
そして、比較や競争や勝ち負けや批判を止めることで自己の尊さを自ら知るようになれるはず、、
そうすると、きっと、真の自己が表に現れてくるはずです、、
そうして現れて来た自己の真の意志を育み、生きて行く上での指針にしていくようになりますと、迷いが無くなり、生きる道での迷子にはならなくなるはずです。
その指針を理解した中から、生活や人間関係の基盤を再構築していくようにすると、幸せを感じる生き方に近付いて行けるものと思います。
蝶のような木立ベコニアの花びら