宇宙源が地球を創造した目的は、物質世界を経験するためだと伝えられています。
源は、物質的な存在ではないため分身を創造し希望するものに地球世界での経験をさせ
、それを感じとることにしたわけです。
宇宙源が神様として、いろいろな宗教で描かれていますが
それは、神様と話したと感じた人の感覚的姿やその御使いの姿なのだと思います。
もし、宇宙源を人の目で見れるとすれば、まばゆいばかりの光であり、この目で見ることは不可能だと思います。
何故、源が自ら体を持たないのかと言うなら「持てない」のだと思います。
この物質世界からの見方になりますが、波動が高すぎて、広すぎて、完全過ぎて持てないはずです。
強いて例えるなら、この地球の空気を見ようしたり掴もうとしたりしても不可能なわけです。
だからと言って、空気が無いと否定することはできないのと同じことが言えるかと思います、、
もし万が一にも源が体を持つとしたら、宇宙全ての物質が崩壊すると言われています。
つまりそれほど源のエネルギーというものは計り知れないものだということです。
もちろん、私がすべてわかるわけもなく宇宙源の愛を一人追求してきた中で得た答えであります。
そのような計り知れない源が
今のような地球の現状を、支援しないわけがありません。
宇宙すべての創造主ですから
すべての成り立ちを知っていますから、その宇宙の秩序が崩されるようなことはないはずです。
もし、そのような事態が万が一にも生じたなら、物質世界は、消滅してしまうのではないでしょうか。
意識として存在している宇宙源は、もちろんですが地球に生きる人も本来、魂の存在なわけですから。
このように捉えるなら、宇宙源は完全であり、ここにいる人が考えるような方法で助けるわけではないはずです。
この地球世界が間違った方向に進んでいるのであれば、宇宙源による完全な形で正しい方向に導かれていくはずです。
それまでは、この地球世界で住む人の全ての経験を意識として源が感じ取り、必要な時にここにいる人が想像もつかないような方法で(奇跡的な)絶大なる支援を表すはずです。
そのことを愛と反するエネルギーの持ち主は知っているのです。
ですから最後の大暴れをしているようなものなのです。
それも宇宙の源が許していることであるはずです。
そのように捉えるならば、
宇宙源を信頼し何も恐れることもないはずです。
むしろ、宇宙源が絶大なる力を私たちに表す時が近づいているとさえ思えます。
私たち一人一人は宇宙源から深く深く愛されているのです
。
それを忘れてはいけないはずです。
たとえこの地球で孤独で一人だと感じても宇宙源は誰一人愛さずにいることはありません。
このような愛を信じられるかということが一番大切なことなのだと思います。
沖縄の光る海