長男の剣道の試合がありました。
今まで、なにか頭の上の天井に突き当たっているような、なにかを突き破れずにいるような、
そんな感じを受けていました。
自分でも、自分の弱い部分と直面していて、
これを越えることができなくて、悔しそうでした。
「声がでないんだ」
「(相手に)向かってゆけないんだ」
ひるんでしまい、前に声を、足を、出してゆけない自分が悔しいようでした。
なにかを掴めた時
頭上にできている天井を(それは、もしかしたら、自分が作ったものかもしれませんね)突き破れるのかなぁと思います。
剣道は相手との戦いだけど
実は自分との闘いだと思います。
勝ちの対戦をしても
自分は自分を知っていて
よしとしないこともあるでしょう。
負けの対戦だとしても
自分で自分を知っていて
ある面、自分を認めてやれることもあるでしょう。
私は、いつも、思います。
人の目ではなくて
自分の心の眼
そして
お空の眼に
映る自分…
そのことを、いつもいつも想います。
だから
たとえ人にはほめていただけることがあっても
自分の心の眼や
お空の眼はごまかせないから
ううん、違うよ、私はこんなところが欠けているよ、いたらなかったよ
と自分で自分を思います。
また、どんなに苦しい事態でも
私は、こんなところが未熟だけれど
自分なりの精一杯だったよ
だれも見ていなくても
だれかの目には別のように映っていても
自分の心の眼と
お空の眼は
ちゃんと見てる
だからきっと、一番いいふうになる
と思います。
話がそれました。
今日の剣道。
日向は立ち向かっていました。
相手に、自分に。
そして、なにかを心が掴んだように
頭上の天井に、大きいか小さいかはわかりませんが
光が入る穴が開いたような
いい顔をしました。
自分の心と直面して向き合い
克服して越えるのは
苦しいけれども
きっとそれは
自分で自分を「もうここまで」と諦めない限り
ずっと繰り返すのかもしれません。
不惑を過ぎても、やはり繰り返している私だから。
またこれは、ものづくりにも通うことと思います。
作っていて、嬉しくなったり幸せになったりするけれど
花丸の太鼓判を押せることはなく
いつも、まだ工夫のし甲斐があったんじゃないか、
まだ少しでもいいものができたんじゃないか
という想いがぬぐえません。
だから、毎回毎回、
お客さまに、おずおずとお渡しするのです。
そして、反省や、
それから、喜んでもらえたら救われて、
また道を歩いてゆく
そんな繰り返し。
繰り返しの中で
育ててもらえるもの
つかんで心の糧にさせてもらえること
それはきっと、苦しいぶん、太くて深くてゆるがない
心の根っこになるのかなあ。
とっても長いひとりごとでした(^^;
今まで、なにか頭の上の天井に突き当たっているような、なにかを突き破れずにいるような、
そんな感じを受けていました。
自分でも、自分の弱い部分と直面していて、
これを越えることができなくて、悔しそうでした。
「声がでないんだ」
「(相手に)向かってゆけないんだ」
ひるんでしまい、前に声を、足を、出してゆけない自分が悔しいようでした。
なにかを掴めた時
頭上にできている天井を(それは、もしかしたら、自分が作ったものかもしれませんね)突き破れるのかなぁと思います。
剣道は相手との戦いだけど
実は自分との闘いだと思います。
勝ちの対戦をしても
自分は自分を知っていて
よしとしないこともあるでしょう。
負けの対戦だとしても
自分で自分を知っていて
ある面、自分を認めてやれることもあるでしょう。
私は、いつも、思います。
人の目ではなくて
自分の心の眼
そして
お空の眼に
映る自分…
そのことを、いつもいつも想います。
だから
たとえ人にはほめていただけることがあっても
自分の心の眼や
お空の眼はごまかせないから
ううん、違うよ、私はこんなところが欠けているよ、いたらなかったよ
と自分で自分を思います。
また、どんなに苦しい事態でも
私は、こんなところが未熟だけれど
自分なりの精一杯だったよ
だれも見ていなくても
だれかの目には別のように映っていても
自分の心の眼と
お空の眼は
ちゃんと見てる
だからきっと、一番いいふうになる
と思います。
話がそれました。
今日の剣道。
日向は立ち向かっていました。
相手に、自分に。
そして、なにかを心が掴んだように
頭上の天井に、大きいか小さいかはわかりませんが
光が入る穴が開いたような
いい顔をしました。
自分の心と直面して向き合い
克服して越えるのは
苦しいけれども
きっとそれは
自分で自分を「もうここまで」と諦めない限り
ずっと繰り返すのかもしれません。
不惑を過ぎても、やはり繰り返している私だから。
またこれは、ものづくりにも通うことと思います。
作っていて、嬉しくなったり幸せになったりするけれど
花丸の太鼓判を押せることはなく
いつも、まだ工夫のし甲斐があったんじゃないか、
まだ少しでもいいものができたんじゃないか
という想いがぬぐえません。
だから、毎回毎回、
お客さまに、おずおずとお渡しするのです。
そして、反省や、
それから、喜んでもらえたら救われて、
また道を歩いてゆく
そんな繰り返し。
繰り返しの中で
育ててもらえるもの
つかんで心の糧にさせてもらえること
それはきっと、苦しいぶん、太くて深くてゆるがない
心の根っこになるのかなあ。
とっても長いひとりごとでした(^^;