甚大な地震と津波がもたらした、現在も多くの被害者が残る東日本大震災から4年です。各地では追悼式が行われ14時46分の時報にあわせ1分間の黙祷を行いしまた。
震災時、幸いにも仙台にいた家族は体育館に一時避難しましたが数日後は無事に住居に戻ることができました。
しかし、ライフラインが止まっており家族全員で力を合わせて、水の配給や、買い物の順番待ちなど力を合わせて生活をしたそうです。
私は、単身で栃木にいて、あの痛ましい状況をテレビでみて心配しました。携帯電話は制限されなかなか連絡がとれない、メールで家族が無事なことを確認したときの安堵したことを思いだします。
仙台に帰れたのは、2か月後のJRの新幹線が再開した5月の連休の時です。
やっと着いた仙台の駅が節電で暗かったこ、駅からの家までの道がデコボコに荒れてたことを今もはっきり覚えています。
その年の3月末に待望の孫が生まれました。そう今月で4歳を迎えます。
昨年の12月末には弟が誕生です。
お兄ちゃんは、私たちに明るさと希望を与えてくれます。
弟は、私たちに未来へ向かうための力を与えてくれます。
この孫の成長は、離れて暮らしている、私たちの心の絆となっています。
これからも、大変なことがたくさんあると思いますが、子供の成長ほどうれしいものはありません。
ほんの小さい、よろこびですが、あの笑顔のために楽しく生活をしていきたいと考えています。
まだまだ、仮設住宅で暮らす方々が大勢います。
元気になろう東北です。
にこパパ
震災時、幸いにも仙台にいた家族は体育館に一時避難しましたが数日後は無事に住居に戻ることができました。
しかし、ライフラインが止まっており家族全員で力を合わせて、水の配給や、買い物の順番待ちなど力を合わせて生活をしたそうです。
私は、単身で栃木にいて、あの痛ましい状況をテレビでみて心配しました。携帯電話は制限されなかなか連絡がとれない、メールで家族が無事なことを確認したときの安堵したことを思いだします。
仙台に帰れたのは、2か月後のJRの新幹線が再開した5月の連休の時です。
やっと着いた仙台の駅が節電で暗かったこ、駅からの家までの道がデコボコに荒れてたことを今もはっきり覚えています。
その年の3月末に待望の孫が生まれました。そう今月で4歳を迎えます。
昨年の12月末には弟が誕生です。
お兄ちゃんは、私たちに明るさと希望を与えてくれます。
弟は、私たちに未来へ向かうための力を与えてくれます。
この孫の成長は、離れて暮らしている、私たちの心の絆となっています。
これからも、大変なことがたくさんあると思いますが、子供の成長ほどうれしいものはありません。
ほんの小さい、よろこびですが、あの笑顔のために楽しく生活をしていきたいと考えています。
まだまだ、仮設住宅で暮らす方々が大勢います。
元気になろう東北です。
にこパパ