いきなりどうした。釣りかというタイトルですが、
まあ釣りです。毎回じゃないのでいいじゃないですか。
SMAPの草彅さんの結婚観が話題になっていたので、
番組の動画の音声を聞いてみました。
やはり芸能人として常に特別な環境で生きている方ですから
スタンダードの世代感みたいには思えませんでした。
アイドルでしたから、一番本能で恋愛をしたかった時に
制約が多かったでしょうし、
まあ本能の赴くまま
恋愛をしている暇もなかなか無かったのでしょうね。
まあ、若くしてお金の心配をする必要のない職業の方が
結婚が遅れるのは当たり前でしょうね。
まずは選ばれる側ではなく、選ぶ側になりますから。
男性の場合それはまあ、通常まれな事ですから。
(草彅さんみたい芸能人は女性を選ぶ事ができる可能性が高いだろうと言い意味です。
普通の大多数の男性はスキな女性ができて申し込んでも、女性にうんと言ってもらわないと
お付き合いできないし、結婚もできないですからね。 まあほとんどの男性は
選ばれる側だと私は思うのですよ。)
最初に
『今年40歳になるんですけど、もしかしたら本当に人を愛すことが出来ないんじゃないかなと思って。』と
正直な気持ちを発露されてましたが、
外見どうり、真面目で純粋な方なのでしょうね。
私は役者としての草彅さんは大好きです。
愛にもキリスト級の無償の愛から男女の色恋まで
いろいろレベルがあると思うのですが、
ここは事結婚という事なので、
男女の恋愛とはちがった
人生のパートナーとしての愛情の交流について
少しお話をしてみたいと思います。
結婚なんてそれこそ私の母の年代まではお見合いが当たり前、
逆に恋愛結婚なんていう夫婦は少なかったと思います。
でもだからといって見合い結婚がロマンが無いかといえば
決してそんな事はなくて、二人の出会いの仕方の違いにすぎません。
何より私の父母の世代はまだ家柄の釣り合いなるものが厳しく、
見合いというのはまずその一番高いハードルがクリアーされた物件しか
こないのですから、後は純粋に会ってのフィーリングでお付き合いするか決めるという。
まあよくできたシステムだと思うのです。
いろいろとシガラミがある家庭は政略結婚も確かにあったでしょうが、
普通の庶民にとってお見合いというのは
社会的な信用のある良い結婚サポート制度だったと思います。
今だって、婚活でいろいろありますが、
基本はシステムの違うお見合いには違いないと思うのです。
結婚をして愛を育むのには別に恋愛は絶対に必要なわけではありません。
よく例えで出でますが、
恋愛結婚は結婚がピークで後は減点採点になるが、
見合い結婚は結婚が0で後は加点採点になるのでどちらかといえば有利というのです。
番組の最後でコメンテーターの方もおっしゃてましたが、
夫婦の愛情なんて基本育むものなので、
いくら大恋愛をして結婚をしても、愛情を育む努力がなければ
すぐにシボンデしまうものでしょう。
自己犠牲などと気取らないで、
相手がして欲しいと思う事と真摯に向き合う努力をする事でしか
夫婦円満の近道はないと思うのです。
10代から20代前半までの恋愛と結婚をして愛情を育むのは
特別な場合を(運命とか宿命による早い出会いは確かにあるでしょから)
除いて別だという事です。
もう十年前になりますが、『世界の中心で愛を叫ぶ』が大ヒットしました。
私自身思いもよらず、あの短いセンチメンタルな小説に
いい歳をして嵌ってしまいました。
やはり10代の本能とエネルギーの中での恋愛体験は
人格に強烈な傷ともいえる歪みを残すと思います。
それを愛と呼ぶにはあまりにも本能に支配されている体験だと思うのです。
人は皆そういう体験をどこかで夢見るものでしょう。
そしてそういうを体験をした事があるかないかで、
男女の愛情に対する飢えの度合いも違ってくるのは
仕方のない事ではあると思います。
でも基本結婚をして家庭を持ちやがて子供を育てるというのは
現実の生活の中で
いかに小さな愛情を積み重ね、紡いでゆくかにかかっていると思います。
男性は夫として、女性は妻として、これはもうそのカップルの一組一組の
無限に描く事ができる愛情芸術といえる体験だと思うのです。
番組の中でも、
人を好きになるのは、他者の中に自分と似ている部分を見出した時だと言われてました。
「私の事を理解してくれる。」と感じるのは自分自身の固有の価値観を
共通の価値観とすることで、お互いを高める事が見出せるからでしょう。
ですから、夫婦は共通の最大の価値観の為に最大限の努力をしてゆくものなのです。
ここでデンパの私の経験談をひとつ、
愛情というのは、深い程早く燃焼して、時間軸上では早く関係が終了するという法則がある。
AとBの関係が、深い愛情の交流がありそれが滞る事なく過ぎてゆく場合は
それが、恋人の関係、夫婦の関係はもちろんペットとの関係であっても
短い時間で終了する可能性が高いというものです。
本当に深く愛し合う関係ほど、生別にせよ、死別にせよ別れを早くするという事です。
ようは勢い良く燃えるろうそくが早く消えるという訳です。
ですから、長く愛情の交流をしたいと思って夫婦として生きてゆくのなら、
恋愛関係の延長などを理想とせず、
ほどほどに仲良くを目標にして、
それでいて共通の価値観を失わないように小さな愛情を積み重ねてゆければ、
「愛」という言葉では表現しきる事ができない何かで
胸がいっぱいに満たされる瞬間を味わえる時が来ることでしょう。
それが「悲」でも「慈」でも心のベクトルの方向が違うだけで、
「愛」という言葉でしか変換できない何かを知る事ができるでしょう。
愛はその瞬間に立ち会えば誰でもわかるものです。
だってそこから生まれてきたのですから
人間は。 。。。。。。。。なんちゃって。