日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

映画  『砂の器』  と 『生きがいについて』

2018年05月30日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ
守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ - 人生・家族・スピリチュアル 運命を信じた男の病の果て (MyISBN - デザインエッグ社)
 源 現 著

デザインエッグ社

 

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*映画『砂の器』と『生きがいについて』神谷恵美子 著 のネタバレがありますので

どちらも観たり読んだりされてない方は

観賞後、読了後に読む事をお勧めします。

 

 

 

ハンセン病(らい病)の歴史は古い。

西洋も日本も古文書(聖書、日本書記など)に

この病を指したと推測できる記述が多数みられる。

 

日本でも座敷牢に押し込められたり、家族に迷惑をかけまいとして、

放浪癩』となって故郷を捨て彷徨うような過酷な歴史があった。


明治40年「癩予防に関する件」制定  放浪患者の隔離

明治42年 全国五か所で公立療養所開設

昭和6年 「癩予防法」成立     この法律の制定により日本中の全てのハンセン病患者が

                  療養所に隔離できるようになる。

                  この法律に前後して行われた「無らい県運動」により

                  ハンセン病を全てなくそうという

                 「強制隔離によるハンセン病絶滅政策」が広まる

昭和18年 アメリカで、ファヂニー、プロミンの治らい効果を発表。

昭和28年  「らい予防法」制定  「癩予防法」の一部を作り直した法律。

                 「強制隔離」 「懲戒検束権」などはそのまま残る。

                 患者の働くことの禁止、療養所入所者の外出禁止を規定。

平成8年  「らい予防法」廃止  「らい予防法」の見直しが遅れた事を

                  厚生労働大臣が謝罪。

                                 厚生労働省HPより。


松本清張原作、野村芳太郎監督 映画『砂の器』は

昭和48年に蒲田で起きた手がかりの少ない殺人事件を捜査してゆくうちに

犯人のピアニストで作曲家の動機が隠された出自に関連している事が

解き明かされてゆく物語だ。

 

物語の発端である、殺人事件捜査の現在進行形の刑事ドラマと

犯人の過去を重ねるように

回想部分として昭和17年頃の「無らい県運動」が一番激しかった頃が描かれ

『放浪癩』の親子と、その歴史的な差別と人間の宿命や業

親子の愛情を美しい日本の風景を織り交ぜながら

劇中のオーケストラの演奏曲がサウンドトラックと重なり

邦画の名作の一つとされている。

 

『砂の器』の原作は昭和31年から約一年に渡り読売新聞夕刊に連載された。

私は今だにこの『砂の器』の原作小説を読んでいない。

私にとっての『砂の器』は中学生の時に観た野村芳太郎監督の映画が全てである。

それ故これは、映画の『砂の器』を元にした文章である事をご容赦願いたい。

 

原作の発表から映画化まで約13年の時を経たのは、ハンセン病というテーマが

当時でさえ社会的タブーに近く、実際差別の助長に繋がるとして制作反対の運動まで

あった事なども、これだけの時間がかかった理由の一つであろう。

 

 数日前、何十年ぶりにこの映画を観なおした。

中学生の時に見た時の印象と大きな違いはなかったが、

歳を重ねて観ると、特に後半の親子の放浪を描いたシーンは

芥川也寸志氏の名曲と相まって

50を過ぎてから涙腺が弱くなった私には

ティシュなしでは観る事が出来ない映画であった。

 

中学の時に映画館で観た時はそのドラマチックな演出方法に驚き

親子の境遇に同情しても、泣くまではいかず

その劇中の犯人である主人公の作曲家が弾き振りをする

『宿命』という曲の演奏と、親子の放浪のシーンを重ねる演出。

演奏会終了と共に犯人逮捕を予感させ、クライマックスを迎える手法に

いい映画を観たという満足感が残った作品であった。

 

たった一度映画館で観たにも関わず

丹波哲郎さんが演じる刑事が、犯人の親である療養所に隔離され生きていた

加藤嘉さん演じる父親に面会するシーンで

車椅子に座り年老いた父親が、生き別れた息子の成人した写真を観て

自分の息子で有る事を直感で感じながらも

『こんな人は知らない』と言って号泣する姿は

『砂の器』の名場面としてはもちろん

私のようなものにはおもんぱかる事ができない究極の悲しみの象徴として

脳裏にずっと残っていた。

 

改めて観た『砂の器』には昭和40年代の日本の風景が見事に映し撮られていて

その風景描写を観るだけでも価値があると思えるほど、懐かしく、また美しかった。

特に、丹波哲郎さんが演じる刑事が、捜査の為に東北や、中国地方の田舎を巡る描写や

父と子が放浪の旅をする後半の風景は古き良き日本の記録として

永久保存しておきたいと思えるほどのものであった。

また、出演されている俳優の方々も豪華で、

映画館の場面で、渥美清さんと丹波哲郎さんという

まるで違うジャンルの映画で勇名をはせた二人が共演するシーンはとても珍しく

感慨深いなんとも言えない気持ちになった。

 

また後半の回想部分で、殺人事件の被害者で幼き頃の犯人の世話をした警察官を

緒形挙さんが演じられていて、

(緒形さんは最初、加藤嘉さんが演じた、父親役を熱望して監督にお願いしたが、

 加藤さんの配役は最初から決まっていたので、この役となったらしい。 )

あまりの豪華さにそれだけでお腹いっぱいになってしまう感じであった。

他にも森田健作さん、山口果林さん、島田陽子さん、

渋いところで佐分利信さん,笠智衆さんなど

有名な俳優さんが多数出られていてまさに昭和を感じる映画であった。

 

偶然としか思えない事による証拠の確保や、

犯人のクラッシック音楽家としての成功が

あまりにもリアリティーがない

(原作では前衛作曲家であり、クラッシック音楽の高レベルの習得には

幼少時からの絶体音感などの教育が不可欠であり

犯人がそのような事が出来ない状況であり、

かなりの年齢に達してから苦学して才能を認められただけでは納得がとても出来ない)など

 今観ると確かにいくつかのツッコミどころはあり

また公開当初から後半の親子の放浪シーンが長すぎるとか、色々批評されたらしいが、

それでも直

このように長く評価され続け、残ったのは、

抗う事の出来ない極限的状況に置かれた人間と

その事象に関わった、個人、社会それぞれの向き合い方を描く事によって

人間の精神の奥底にある光と影

宿命、業などを見事に浮かび上がらせているからだろう。

 

再び『砂の器』を観て最初に思い浮かんだのは

今月TV番組で紹介された『生きがいについて』の著者神谷恵美子氏が

若き女子医専時代の夏休みに国立療養所長島愛生園をたずね時の体験から記した

『癩者に』という詩の中の

 

「なぜ私たちではなく、あなたが?  あなたは代わって下さったのだ」

 

 という一節であった。

 

 NHKEテレ『100分de名著』という番組が好きでいつも楽しみにしている。

若い頃に読まなければと思っても、結局この歳まで読む事ができずにいた本が

取りあげられると、それを良い機会だと思って今度こそ読んで見ようと

思わせてくれる、良い番組だ。

『中二病』という言葉の発案者とされる伊集院光氏のコメントも

自身の体験に落とし込んだ実感の伴うものが多く、

専門家の解説の補足として、理解をおおいにに助けてくれている。

『砂の器』を観なおしたのも、この『100分de名著』で3月に松本清張氏が

とりあげられたのが理由だ。

 

今月は神谷恵美子氏の『生きがいについて』が四回に渡って放送された。

先程の詩の一節は、この番組の一回目に氏がこの本を書いた動機に繋がる

として紹介された。

この『生きがいについて』は昭和41年に発行され、ベストセラーになった。

『生きがい』という言葉はこの本が出版される前からもちろんあったのだが、

この本がベストセラーになって以降『生きがい』ブームなるものが起き、

とりわけ人生を考える時に使われる頻度が増えたのだと言われている。

 

私くらいの昭和世代はもちろん、私より上の世代もこの

『生きがいについて』という本の事は、知識として頭の隅に必ずあるような

そんな昭和を代表するベストセラーであった。

 

私がこの本の文章を初めて読んだのは、中学であった。

本を読んだではなく、文章と書いた理由は

自ら進んで読んだわけではなく、試験問題の中の一つの設問として

この『生きがいについて』が使われていて、文字どうり

当時の自分の『生きがい』を書かされたように記憶している。

そして、その時にこの本が著者のハンセン病患者の療養施設で

精神科医として働い経験を元に書かれている事を知った。

 

私が『生きがいについて』をちゃんと読んだのは

成人して家庭を持ってからであった。

 読み終えて一番に感じた事は、

このように真摯に深く人生に向き合う事が出来る精神に対する

畏敬の念のようなものであった。

 

それ故、この本を読んだ時に、その精神性がたまらなく眩しく

後ろめたさを持つものが、光を恐れるような感情を持った。

 

 *(氏は戦前の内務省のエリート官僚を父に持ち、子供の頃はスイスで教育を受け

   兄妹間の会話はフランス語であったというから、成人するまでは

   恵まれた環境で育っていた。

   十九歳の時にオルガンの伴奏役として伝道師の叔父と共に訪れたハンセン病療養所で

   患者の症状に強い衝撃を受けて

  「自分が身を捧げる生涯の目的がはっきりとした」と語っている。

  しかし、成人して以後は恋人の死や、自身の結核や癌の経験もあり、

  また戦争の時代を通しての様々な苦労の末、

  43歳でハンセン病の国立療養施設長島愛生園において精神医学調査を開始している。)

  

*から()内wikiより引用、要約、補筆。

 

精神科医で有り、

大正生まれの最高の教育を受けられた学識と教養を持たれた方の著作である故に

読者にもそれなりの西洋の古典、名著を読み込んでいる読書量と

精神医学の知識が必要とされる著述が見られるが、

著者の求める事は頭で考え捻り出すようなものでなく

個人の実際の生活の中からにじみ出るような実感が伴い

それでいて言葉に中々ならないその人固有の『生きがい』を見つける心の内観であり

本書は著者がそれを寄り添うように促してくれる文章となっている。

それ故、とりたてて専門的な知識がなくても、

人生に迷い苦悩する者には

著者の血の通った言葉の数々が胸に沁みわたるだろう。

 

『生きがいについて』は

「生きがい」という言葉にするのが難しい感情の核心を

精神医学、心理学、文学、宗教など様々な分野からの例を照らし合わせて

客観的に分析し、「生きがい」の全体像を浮かび上がらせると共に

多くの限界状況に置かれた人々と出会い、自らも人生で様々な挫折や

命のかかった体験を経た故に

自他両方の『魂の叫び』を真摯に聴く事が出来た人が

既存の宗教の根となるような「大いなる何か」にまで目を向ける事で到達した

心の境地の秘密を解き明かそうとした

人生に悩める者は一度は読む価値がある名著と言える。

 

『砂の器』、『生きがいについて』という

ハンセン病患者の人生に向き合う事で生まれた

それぞれの作品が照れし出した人間の光と影が、

 

影は社会的な差別や、

そのどうしようもない極限の悲しみに縛られ、抗う 親子の愛情故の人間の業を。

光はその極限の悲しみや困難を受け入れる事によって到達しえる心の境地を通して

三次元世界に人間が存在する理由の一つを示してくれているように思う。

 

 日々の生活に、生きがいも希望もないと感じる時に

このような作品と向き合う事は

生きる事の意味や、『生きがい』を見つけるヒントを与えてくれる。

 

暗闇の中でこそ、光はその輝きの真の意味を表す。

暗闇の中に人が在るのは、光に近づく為だと

私も思えるようになった。

 

だが、神谷恵美子氏がしめした

虐げられた他者に人間としての最大限の尊厳を見出す事は

今だ私には出来ていない。

  

 『癩者に』

光りうしないたる眼うつろに

肢うしないたる体担われて

診察台にどさりと載せられたる癩者よ、

私はあなたの前に首を垂れる。

 

あなたは黙っている。

かすかに微笑んでさえいる。

ああしかし、その沈黙は、微笑みは

長い戦いの後にかち得られたるものだ。

 

運命とすれすれにいきているあなたよ、

のがれようと放さぬその鉄の手に

朝も昼も夜もつかまえられて、

十年、二十年と生きて来たあなたよ。

 

何故私たちでなくあなたが?

あなたは代わって下さったのだ、

代わって人としてあらゆるものを奪われ、

地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。

 

許して下さい、癩者よ。

浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、

そこはかとなく神だの霊魂だのと

きこえよき言葉をあやつる私たちを。

 

かく心に叫びて首たるれば、

あなたはただ黙っている。

そして傷ましくも歪められたる顔に、

かすかなる微笑みさえ浮かべている。

 

              「うつわの歌」 神谷恵美子著 みすず書房より

 

 

もしこのように、他者を受け入れ認める事を

人類全体が出来うるなら

世界平和は絵空事ではなく、直ちにこの地上に現臨するだろう。

 

 

生きるという事は光と影を体験する事だ。

光だけの人生もなければ、

影、暗闇だけの人生もない。

光と影はそれに向き合う人の精神の見開き方によってどのようにも変化するのだと

二つの作品は語っている。

 

 

 

 

 

 

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砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]SHOCHIKU Co.,Ltd.(SH)(D)

 

生きがいについて (神谷美恵子コレクション) みすず書房

うつわの歌【新版】 神谷恵美子著 みすず書房

松本清張スペシャル 2018年3月 (100分 de 名著)NHK出版

神谷美恵子『生きがいについて』 2018年5月 (100分 de 名著)NHK出版


自我意識の喪失  と  無への回帰  と   死後の意識の目覚め

2018年05月23日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

源 現 著

守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ - 人生・家族・スピリチュアル 運命を信じた男の病の果て (MyISBN - デザインエッグ社)     

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私は手術の為に全身麻酔をした経験があるが

その時、時間が跳躍したような感覚を味わった。

 

麻酔医に鼻と口を覆うマスクをあてられて、

数を数えて下さいと言われ、イチ、ニ、サンと数えると

顔全体にスパイダーマンのマスクの様に蜘蛛の巣がかかった感じがして

意識がブラックアウトした。

 

次の記憶は

遠くから声が聞こえ、

オレンジ色の薄明かりのぼやけた景色に

ゆっくりと焦点が合いそれと共に、髭をはやした執刀医の顔越しに

こちらを見ている妻が見えた。

 

手術は十五時間掛かり、中々意識が戻らなかった私を

執刀医はビンタして起こしたのだった。

 

その時の私の感覚は手術台で仰向けになりマスクをされてから

一分も経っていないような感覚だった。

 

十五時間の間、私の意識は完全に停止をして無に帰っているようだった。

 

全身麻酔の体験談を読むと

少なくない人が私と同じように時間が跳躍した感覚を味わうようだった。

これは全身麻酔の特徴で『意識の喪失』と呼ばれている。

 

意識の喪失は無神論者の言うところの

『無に帰った状態』に近いと言えるかもしれない。

十五時間の間

私の意識は存在していなかったに等しかった。

 

私の手術中もし計測できる装置を付けていたら

もちろん脳波は検出できたろう。

ある実験データーによると

通常の睡眠時の脳波とは違い、全身麻酔時の脳波は昏睡状態に近いという事であった。

 

手術の時の私は普段眠った時の感覚とは時間感覚が全く違い、

それまで一度も経験した事がない感覚だった。

 

それは、通常の臨死体験と呼ばれるものとは真逆の体験と言えるだろう。

 

通常の臨死体験とは

脳波と心臓の停止が確認されたにもかかわらず

意識を取り戻した後に、その科学的には死んでいた時間の

客観的に整合性のある時間経過の記憶を持っている体験する事で

(その人が科学的に死んでいた時間での出来事を正確に言い当てるなどの客観的に証明できる

記憶を持つ体験)

現在では勘違いや思い込みではなく、計測データで科学的に死んでいた事が証明された上で

そのような体験をした人々が世界中にいる。

 

この事は何を意味しているのだろう。

私の場合を例とすれば、体は手術中も正常に生命を維持していたので、

もちろん、脳波も、心臓も正常に機能していたはずだ。

だが、麻酔によって、脳の今だ特定されていないメカニズムが停止し

完全に記憶の機能が停止した為に意識が喪失し

時間が跳躍した感覚を味わった。

 

 私の場合とは逆に

世界中の脳波の停止と心停止の同時の確認が取れた臨死体験の場合は、

意識とされるものの記憶が肉体に記録されたものではない可能性を示唆している。

 

臨死体験。 

 の記事にも書いたが

唯物論者の死イコール『無に帰る』状態が

あの時のような状態を指すのであれば、

まさに「イチ、ニ、サン」と数えた時間が臨終の瞬間であり。

意識を喪失して15時間の間私は死んでいたと言える。

 

これはとても逆説的で面白い。

臨死体験者は肉体は死んでいても自我意識の継続的記憶が存在してる為に

自身を死んだとは思っていない。

片や私は肉体は正常に機能していたに関わらず全く自我意識の存在記憶がない為に

自分はその時間死んでいた、または消滅していたに等しいと感じている。

 

 結局私にとって死とは、自我意識の消滅を指すのだ。

私があの手術の時にそのまま死んでいたとして、

今もそのまま自我意識の消滅が続いていたとしたら

無に帰るという死は数秒でなされるなんと穏やかなものなのだろうと思う。

だが、私の肉体はその時生きていた。

それ故、映画やドラマではないが、自分が目が覚めたと思ったら、

実は本当に肉体死を迎えたが為に臨死体験者のように

自我意識が目覚めたというケースも可能性として考えられる。

私の自我意識の喪失は肉体が有る故に起こった現象だと仮定すれば。

 

よく突然亡くなられた地縛霊が自分が死んだ事に気づく事が出来ていないと

霊能者が言っていたりするが、

いつもと同じように目が覚めたような感覚で意識が目覚めたら

中々自身が死んだ事を理解するのはむつかしいものだろう。

 

これはドラマや小説や漫画などでさんざん使われたパターンの描写だ。

だが、私自身の見聞きしてきた経験から言える事は

やはり、肉体が物理的な死を迎えた後も、

自我意識の継続が認められるというのが今の時点での私の見解だ。

それ故、唯物論者が期待するような、自我意識の喪失や『無への回帰』は

生きている時は起きても死んだら起きないだろうと。

 

自殺を考えている人は、自殺をしたら楽になれると思っているだろうが

『自我意識の喪失』も『無への回帰』も、死んでも起きない可能性は高いから

肉体死が訪れた時にきちんと現世に未練なく死を受け入れ、天界に昇ってゆけるように

悔いなく生きる事が当たり前の事だが大切だ。

 

辛い事があっても

まずはご飯を食べて『明日が有るさ』と

運命のまま寿命を生きて欲しい。

 

保守評論家の西部邁氏が78歳というご高齢で自殺されたが、

この事は自身の哲学や思想を実行したという意味では

三島由紀夫氏の死と似ている。

 

私にはその生きる姿勢が、自分の命や人生をコントロールしたいという

人間の自我(エゴ)の最大の欲望の発露に見える。

 

私のような運命論者には、人知を超えた運命(はからい)に逆らって自殺しても

死後目覚めた意識で、反省会をやらされるのが目に見えているような感じがする。

それなら、運命のまま、自らの命を運んで、寿(ことぶき)の命で死んだと言わるような

死に出会いたい。

人生の決着を私の場合は自身の小さな頭での思考に委ねるより、宇宙を生み出した

メインフレームに連なるクリエイターの書いた

悲劇にしろ、喜劇にしろ大団円の結末を自身で味わってから

あの世の目覚めを迎えたいと思っている。

 

 

 

 

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「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み

木内 鶴彦
晋遊舎

計測できなかったエネルギーの 実在

2018年05月21日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死
守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ - 人生・家族・スピリチュアル 運命を信じた男の病の果て (MyISBN - デザインエッグ社)
 源 現

デザインエッグ社

 

 

本日5月 21日が『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』の発売日なので記念して。

 

重力波の計測とポルターガイスト

の記事の中で、重力波の検出の為にいかにミクロの距離の違いを計測したかを書いた

それは、太陽から地球までの距離で、水素原子一個分の巾の違いを検出したというもので、

アイシュタインの予言から、その違いを計測出来るまでに100年かかったのも

無理からぬものだと実感できる数値であった。

 

今後さらなるテクノロジーの発達により、それ以上の超ミクロの物質を計測する事が出来るようになってゆくだろう。

 

この事は今まで効果を実感する人が多数いるが、物理的な証明が出来ない気功などが

データーで証明できるようになる可能性を示唆している。

 

現在では漢方薬もその効果が認めらたものは、

成分と治療効果がハッキリとデーター化された事で

保険が適用されるまでになった。

 

科学の発展は今まで、錯覚やまやかし、オカルト的と揶揄してきた、民間療法のメカニズムを

必ず解明してゆくだろう。

 

『ヘブンリー ブルー』 番外編  尿療法について

『ヘブンリー ブルー』 番外編  尿療法について  ②

 

の記事に私の尿療法の体験をまとめて書いたが、

尿療法なども近い未来に必ずそのメカニズムが物理的なデーターによって証明される日が来ると

私は確信している。

治療効果という実存が有るのだから、

必ず理論的な裏付けはテクノロジーが進化すればついてくる。

 

気功や手当て、また霊気や、レイキ、エネルギーヒーリングと呼ばれるものなど

計測できないエネルギーによる施術なども、

これから先、超ミクロのエネルギーが一般のレベルで計測できるようになれば、

何らかのエネルギーの流れが実証されると私は思う。

 

 

今のところ私自身の中では

人間の肉体は有機質の物質で、出来ているので、もちろん重力をはじめとする

物理法則に沿って存在しているが

この宇宙の超ミクロ世界では量子理論が同時に成り立っている。

それ故に今だ解明さえれず、迷信やオカルト、はたまた催眠やプラセボ効果などと言われてきた

気功や手当、霊気や、レイキ、エネルギーヒーリングなど

施術後に実感の伴う目に見えない民間療法と言われているものは

その量子理論レベルでしか計測できない

エネルギーによるものなのではないかと予想している。

 

『フライウェイ』にも安全な『手当て』があるが、その事は自著にも

『スーパーナチュラルの法則』にも書いてあるので

ご興味がある方そちらでお調べ頂きたい。

 

今世紀は、人類にとって

『概念や祈りの対象であった神が

実在のエネルギーであると、年代を重ねるにつれて実感されてゆく』と

夢も希望もある言葉で終わるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


宗教と聖者とテロリスト  インターネットの負の感情エネルギーをスルーして、好奇心を満たす情報を手がかりに古典や名著や、最上の人と出会いに行こう。

2018年05月19日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

宗教的な事に縁遠い方は

神や仏に対する信仰の深さと客観性は相反するものと思えるかもしれない。

だぶんそれは、宗教的理由によって引き起こされた、テロ、紛争、戦争の歴史を

いやというほど、見聞きしているのが理由のひとつだろう。

 

それは現在も日々繰り返される、自爆テロが代表するような

非常に狭量な価値観を元にした異教徒を目の敵にしたような狂信的行為が

自身の宗教によって許されていると洗脳されている者たちによるところが大きいと思う。

 

宗教の恐ろしさは、伝える側、または権力を持っているものが

その強固な洗脳力を利用して、信徒の客観的な思考を奪い、

他者を宗教的な事を理由に、命を奪ったり、傷つける事を肯定するような教えを

正義とする事を洗脳する事にあると思う。

 

旧約聖書に登場する神は選民思想で異教徒には手厳しい神だから

(基本、侵略する時は異教徒は皆殺し)

砂漠の三大宗教によって過去繰り返されてきた、血で血を洗う戦争は

その根底に流れている、バイブルやクルアーンの教えによるところが大きいのは

誰もが認めるところだろう。

それは、国家や民族の維持の為に必要な方便であった側面は、否めない。

 

それ故にその権力と結びついた宗教が引き起こした結果と、

様々な宗教の真髄を深く理解する事によって得られるであろう心の平安とは

分けて分析する必要があるだろう。

 

聖者と呼ばれる人の最初の条件があるとするなら、

私はまずは、自己の感情のコントロールが客観的に出来る人という項目を挙げたいと思う。

 

口に泡を吹いて感情的な説教をするヒトラーような人の中に、当たり前であるが

心の平安は見出す事は出来ないし、

やはり、ダライラマ14世のように、政治的な厳しい質問に対しても

微笑みをもって、理性的に答える事をされる姿に宗教による真の人格の完成を見るのは

自然な事だと私は思う。

 

何年か前、ダライ・ラマ14世の講演を両国国技館に聴きに行った。

その時のお話で印象的だったのは、

『よく、私がサイキック・パワーのようなものを持っているような勘違いをしている方がいるが

 私はただの年老いた僧侶にすぎない。

現に、この間は肝臓を悪くして、医者に肉をもっと食べなさいと言われ、

今は肉を食べている。』

と気さくに話されていた。

非常にに離れた席からお話を聴いていたのだが、それでもその笑顔は

国技館全体を包むような感じがするほど暖かなものであった。

 

尋常ではない身の上を生きてこられ、歳を重ねても

子供のような純真さと、深い叡智を併せ持った人格への到達という

チベット仏教の真髄の体現をご自身で示されていた。

 

日本に来られるといつもお気に入りのミルクティーを

コンビニに買われるようで

満面の笑みでレジ前に立っている姿がネットにアップされたりしているが

その茶目っ気たっぷりな様子は人間的な魅力に満ち溢れている。

 

亡命チベット政権からの政治的な引退をされ

僧侶としての平和的な活動に専念するという英断をされた。

 

苦難に満ちた人生を歩みながらも

深い信仰によって磨かれた人間の素晴らしさをダライ・ラマ14世は

今も人類に示し続けてくれている。

 

 

現代では、自分で意図して会いに行こうとしない限り

普段身の回りで出会う人の話を聞いただけで

自身の人格に影響を及ぼすような人に出会う事は中々ないという事も、

宗教を『触らぬ神に祟りなし』のままにしている一因だと思う。

 

だが、宗教の真髄に触れ、それを体現している人と世界的に評価の

定まった人に出会う機会は、求めればないわけではない。

マザーテレサも1997年まで存命だった。

私は残念ながら、深い動機を持ってその信仰心に触れたのは

マザーの亡くなった後であったから、

残念ながらその姿を直接拝見した事がない。

でも、マザーが生きていた同じ世界を生きていた事実は動かない。

 

マザーの祈りには

どこにでもいる市井の人々と同じ苦悩が有り

その苦悩と真正面から向き合う純粋さが

言葉の端々に溢れている。

 

そのような人がこの玉石混交の世界にいつの世も実在し、

現在も実在しているのは事実だ。

 

確かに矛盾だらけで不平等な世界ではあるが、

有名、無名に関わらず、

現実を乗り越え、素晴らしい精神の深みを獲得した先人がいる事を

若い人たちは信じ、日本だけではなく、

広い世界に出て現実の中で探し出会って欲しい。

 

今日もアメリカの学校での乱射事件があった。

犯人がどのような生い立ちかはわからないが

人間を信じる事が出来ずに育ち

自己と他者、自己と世界を分離して考える事が出来ない思考が

招いた結果であった事は間違いないだろう。

 

多くのテロ行為の殺傷事件は

いわゆる、『神が命じた』などという言葉を鵜呑みにする事を含め

客観的考察とは正反対の自己中心的な思考の結果によるものだ。

 

 若者はその経験の少なさから、インターネットにある情報を鵜呑みにしやすい。

改めて書いておくがインターネットの世界は圧倒的な負の感情のはけ口だ。

それは、現実の世界で行き場を失った感情のゴミ捨て場になっていると言っても過言ではない。

そして、そうした負の感情エネルギーは例えインターネットに触れた人の精神が健康であっても

それを侵食して病的にするだけの力を常に持っている。

 

それ故に、インターネットの広い範囲での使用は買い物や情報のやり取りや

気分転換やモチベーションアップの為のゲームなどに限り、

snsも深い感情的なやり取りは、はじめからしないと決めておくのが、より安全な接し方だ。

所詮芸能人などがsnsを使うのは商売とリンクしているのであって、

一般の人がsnsにのめり込んで大多数の人が

精神的に不幸になる事は統計によって現在では証明されている。

snsはよほどのスルースキルとか、合理性を獲得した精神を持つ人以外は

時間をかける程、精神を蝕む可能性が圧倒的に高いとここで言っておこうと思う。

 

当然、このブログはsnsではなく

私からの一方的な情報の発信のツールとして使わせて頂いている。

以前はコメントの書き込み許可していたが、幾度かのやり取りの末

ブログを継続してゆくモチベーションの為にコメント不可とした。

そして、コメント削除を告知してから随分と長くコメントを残していたが

この度のブログの方向性の転換に伴い過去のコメントを閲覧不可とした。

過去の感情的なコメントを新しく来られた方が読んでも、

発展的な未来に邪魔になるだけだと判断したので。

 

インターネットに有る情報は私のブログを含め、

あくまで、もっと深い情報に行き着く為のタグのようなものだ。

 

そして多くのタグは玉石混合で偽物やどうでも良いものが大半だろう

それ故、自分の好奇心を満たしながらも、より深くその事の真実を知りたいなら

現実の世界に分け入って、名著と呼ばれる本を読んだり、

優れた人物と評判の人に直接会いに行って

自分自身で確かめて見極めて欲しい。

 

名著は歴史という一番厳しい評価を生き残った過去の偉人の思考を知る唯一の機会だ。

そして、どんな方面にせよ、優れた業績を上げた人に直接触れる事は

人間の可能性を信じさせてくれ、勇気や励みを与えてくれる。

 

自信というものは、流した汗の量に比例するというのは

それほど外れていない。

経験の少ない時は、本などの知識が羅針盤になり

現実で汗を流して経験する事で、はじめて身につくものだ。

人生はそのような事の繰り返しなのだから

それなら、最上と思える情報と最上と思える人を探して

会いに行きなさい。 

この世界は見えない部分を含め、人知が及ぶ事ができないほど広いのです。

 

日々目に見える範囲と、テレビやインターネットで知っている世界のみで

自己の人生やこの世界を判断しないように。

深い愛情のやり取りや、人生の深淵を知るのに必要なのは、

お互いの目を見て話し、温もりを感じる交流であり

ディスプレイの写真や文字を追う事では決して得ることは出来ないのだから。

 

 

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マザー・テレサの祈り
 
ドン・ボスコ社

 

ゆるす言葉 (Dalai Lama’s word collection)

ダライ・ラマ14世
イースト・プレス

重力波の計測とポルターガイスト  ②  『三次のアナタ』

2018年05月19日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

重力波の計測とポルターガイスト

続きを

読まれてない方は読んでからどうぞ

 

霊、幽霊というものを直接見た経験あると言い切れる人はどのくらいいるのだろうか。

 

ネット検索に出てきた来た、ガシェット通信というところの

2011年の3000人アンケートでは

見た事がある人は26%の780人と書いてあった。

 

またヒューマグループという会社のアンケートでは

「幽霊を見た事がある。」と「よく見る」いうひとは全世代では19.5%であった。

 

もう一つ、医療関係者2200人近くにアンケートをしたという記事では

「幽霊や第六感、超常現象など通常の科学では説明できない不思議な体験を

したことはありますか?」という問いに

開業医 27%   勤務医  21%   看護師  47%

が「はい」と回答している。

 以前

死後の世界の可能性を証明する科学。

の記事の中で当時

東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部部長で、

東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授。

という肩書を持つ 矢作直樹氏という医師が

死後の世界を肯定する著作を多数出版されている事を書いた。

 

日々、医療の現場に立ち、最先端の科学的知識と経験を持たれている方が

人生経験を積み重ね上で、死後の世界を肯定しているのは、

私ような者には非常に心強い味方だ。

 

アンケートでお面白いと思ったのは、

色々な職業を持つであろう3000人アンケートと

開業医と、勤務医の

心霊体験の%がほぼ変わらないという事だ。

また看護師さんの%が多いのはたぶん医師より日々多くの患者さんに接する

機会が多いのが原因のように思う。

 

ここから導きだされる大まかな数字は

1000人いたら、200~250人は「幽霊を見たことがある」

という回答をするであろうとい統計学的な予測だ。

 

かく言う私は当然その中に入る

がこれは、前回書いたポルターガイストの目撃談によるものではない。

 

私は過去、幽霊を見たと思える経験がある。

ただそれがハッキリと幽霊だと証拠を提示できない経験であったが、

私の見た幽霊は、足もあり、スニーカーも履いていて、

物質化という意味では、間違いなく人間の形をしていた。

私はそれに触る度胸がなく、それが本当の物質化したモノか

それともただたんに3Dホログラムのように可視化されたのかを

確かめる事が出来なかった。

 

しかしそれが、ただの人形に思えなかった一番の理由は

その人の形をしたモノから放たれていた気配が

生きている人間と同等の、強い何らかの感情を発しているように

感じられたからであった。

 

たぶんそれは地縛霊と言われるモノであったと思うが

その見事な程の物質化現象が、夏のムシムシした雨の日であった事は

よく語られる『タクシーの後部座席に乗車した人が消えて

シートが水浸しになっていた』というエピソードと繋がり、

霊の物質化というか可視化には空気中の水分が不可欠なのだろうと

その事から私は思うようになった。

 

細かい霧上の水をスクリーンにして映像を映すイベントがあるが、

初音ミクさんの3D映像のように透過スクリーンの代わりに

湿度100%であった空気中の水分を利用して

その地縛霊は自身の姿を物質化していたように私は推測している。

何より、その場所には複数の蛍光灯の光源が有り、

その光を利用すれば、完全な3Dホログラムの姿を作る事が出来たのではないかと。

 

後は

その地縛霊と思えるモノが何をエネルギー源にして、

霊を見る資質のない私が可視できる程、

自身の姿を物質化したのだろうという事であった。

 

フライウェイを学んだ私は、

感情化と物資化のベクトルはほぼ同じだという事を知った。

それ故に、地縛霊という感情が固着し念となった意識体は

強い感情エネルギーを持った存在という事が推測でき

それ故、その感情エネルギーを自身の姿を空気中の水蒸気を利用して可視化する為に

使ったのではないかと。

 

私がそのモノから感じた、生きている人間のような強い思いは

肉体が亡くなったにも関わらず、この世に未練や執着、

または死んだ事が自覚できないなどの理由で

成仏または、御昇華出来ず、行き場のないそのモノの感情エネルギーが

自身の存在をアピールする為に物質化に使わたように思える。

 

たまたま、蒸し暑い夏の夜に空気中に多くの水分が有り

そのモノの念の物質化エネルギーでも可視化または物質化できる状態に

その場の条件が満たされたのではないかと。

 

改めて、この場の定義として

念とは  感情エネルギーが三次元の物質化に向かう事を指している。

それは、呪術で相手を呪詛する事に使われたりするが、

エネルギーの正体は感情であり、

そのエネルギーの増大と物質化の増大のエネルギーの

ベクトルの方向が同じ故に起こりえるのだと。

 

フライウェイではこの世界を 天界(神界) 幽界  現界 で出来ているとしている。

これは普通の宗教の世界観とさして違いはないだろうと思うが

大きな違いがあるとすれば、

フライウェイでは幽界まで 『三次元』としている事だ。

それは、 幽界、つまり物理的には四次元と言えるであろう物質的な制約のない幽界だが

そこの意識体または意識生命体は物質次元の概念に囚われているからに他ならない。

地縛霊を例にするなら

「肉体がないにも関わらず自身が肉体のある存在と思っている、

または、肉体のある世界の現界に戻りたいまたは介入したいと

未練または執着を持ち続けている意識体、または

感情エネルギー(念)の残存している状態と言える。」

 

彼ら、彼女らはすでに肉体がないにもかかわらず、四次元の概念ではなく、現実世界の概念に

から抜け出す事が出来ないため、地縛霊となっている、

もしくは、私が見たような現象を起こしているのだと。

そして、彼ら、彼女ら、という概念を保持している意識体の念の方向は

現界、この物質世界の生きている人間の世界に向けられている。

本来なら、天界(神界)という真逆の方向を目指さなければならないのに。

 

前回の記事で何故幽霊に物理攻撃が有効と書いたが

その理由は彼らは肉体を持っていないにも関わず、自分が肉体を持っているという

三次元的な概念から抜け切る事が出来ない事による事が大きいのではないかと

私は推測している。

 

幽界とは、物理的な制約や時間的な制約を受けない四次元ではあるが

そこに存在する、霊、意識体が、

まだ人間としての個人の感情や現実世界での概念を捨てきれず保持し、

それ故、この現実界への執着が断ち切れない者たちの居場所をさしている。

宗教的に言えば、成仏できていない、御昇華出来ていない迷える者たちがいる場所と言える。

 

クレイグ・ケイコ氏は

客観性のない発言をするとそれは『三次のアナタでしょ。』

と言って戒めていた。

 

幽界を居場所とするモノたちは、肉体も時間もない四次元にいるはずなのに

心はまだ生きている人間と同じ『三次のアナタ』のままなのだった。

 

 

 

*謝罪と訂正。

前回、ファブリーズや柑橘系のスプレーがラップ音に有効と書きましたが

誤解や偏見の助長の元になりますのでその文章を削除しました。

謹んで謝罪いたします。

 

心霊関係に敏感な知人が

柑橘類を持ち歩いて対応していたのは

複数の事実を元にしているので

一つの情報として記しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』   発売

2018年05月13日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

*タイトルをクリックするとアマゾンに飛びます。

  守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ: 人生・家族・スピリチュアル 運命を信じた男の病の果て (MyISBN - デザインエッグ社)
源 現
デザインエッグ社

事前告知!  

の記事でお約束していた本の出版日が

5月21日に決まりましたのでお知らせします。

 

私の『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験の記事を再構成した小説と

フライウェイについての私の体験を通した解説本のようなものです。

 

一昨年の病に罹らなかったら、

フライウェイの事を文章にして残す事はなかったかもしれません。

そういう意味で運命は不思議なものだと改めて今感じています。

 

書店には並ばない、オンデマンド出版ですし、

『フライウェイ』をすでに知っている人以外では

このブログに訪れた方しかこの本を知る事は今のところないでしょう。

そういう意味で

「ここでしか知る事ができない変な本」と言えるとは思えます。

 

『ヘブンリー ブルー』 番外編  「壺を売る」「壺を買う」 神への対価 

で私のスピリチュアルに対するスタンスを書きました。

この度、思いがけず自分が『壺を売る』側になったと自覚しています。

それ故、私の本を買ってまで読んで見ようと思われる方は

まずはこのブログ全体に目を通して頂いて、

それから購入するかどうかをお考えください。

このブログを始めてから、

休眠状態の時を含めればもう丸六年の時が過ぎました。

政治関連の事ばかり書いていた頃から読んで頂いていた方からみれば

随分とブログ主は変わったと感じられると思います。

 

実際に私は変わりました。

それ故、今回の本の出版に至ったのだと思います。

が、過去の政治的な記事や感情的な記事を書いてきた私も

間違いなく私自身で有り、根底の部分では何も変わっていないと思っています。

それ故、過去の様々な記事を読む事が今回の本が買うに値するかどうかの一番の

判断材料だと思っています。

 

世間の常識から判断したら、

一考の余地もない与太話だと思われるのは十分承知の上で

それでも長年そうした世界を彷徨い知った事が

少しでもお役に立つ可能性があるならと思っています。

 

 

『信じるか信じないかは、あなた次第です !!』

 

      2018   5  13 

 

                                源 現

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


若者と宗教

2018年05月09日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

若い時の私は宗教が嫌いであった。特に宗教の勧誘は生理的と言えるほどダメであった。

 

 よく玄関先に押し掛ける宗教にあるパータンなのは、

「~を信じないと救われない」とか

「~の門をくぐるもののみが天国の門を通る事が出来る」などというものだが。

これなどは、バイブル、特に旧約聖書の嫉妬深い神様

(神自身が聖書の中で言っているので私の悪口ではない。)

の影響がたぶんに後に生まれた宗教に影響を与えたのだと思う。

 

私は新興宗教の家で育ち幼い頃から教義を刷り込まれたが、

幸い神道系であったその宗教は「万教帰一」を掲げ、

他の宗教を排斥するようなものではなかったから

私も普通の日本人的な神仏混合的な文化の中で育つ事が出来、

一部のシバリの強い宗教のように

親兄弟の結婚式や葬式に宗教上の理由で出席できないというような

事はなかったから、その点は良かったと思っている。

しかし、思春期に入るとその刷り込まれた教義と

世間の現実や両親の言葉との違いから、それらの事全てが嫌いになった。

それ故、自分を翻弄した神とか宗教とかの勧誘は倍返しにしなければ

気が済まないくらい嫌いであった。

 

玄関先に押しかける宗教はキリスト教から分かれたものが主であったが、

『そのイエスという二千年前に死んだとされる男性の死によって

人類の罪がどうにかなったなら、それ以後のキリスト教の名の元の数々の

虐殺も起きなかったはず』だとか、宗教の深い理解のなかった私は

玄関先に出現する意味不明の相手を論破しないと気がすまなかった。

 

『そんなに最後は自分の命を捧げて、殉教する事が何が楽しいのですか?

それを市井の人々に強いるのは、頭がおかしくありませんか』などと

こと宗教に関しての批判は止める事が出来ず、容赦なく玄関先の相手を侮辱するような

事を言って追い払う事をしていた。

 

かく言う今の私は『フライウェイ』という誰も聞いた事もないような、

現在のカテゴリーとしては宗教に入る事を扱い、

(未来に物理的な証明ができれば、宗教ではなく自然科学の分野になる可能性があると本気で思っている。)

次元を超えた交流などという、世間の常識から逸脱した事を喧伝している。

そんな私が、もし十代の私の前に現れたとしたら、

さぞ酷い罵声を浴びせて追い払った事だろう。

 

でもそれはそれで良いのだと今でも思っている。

若さはその経験の少なさ故に洗脳されやすい。

まして、若者が自身で思考して才能の可能性を手足、頭脳を使って試すこともせずに

宗教などの教義を一度も疑わず従うのは、

人間存在の精神しとしての死を意味していると私は思う。

 

 

ISISに憧れたり、身を投じたりする先進国の若者は

その人生経験の少なさから何が本当の正義なのか

実際にテロリストになるという事がどういう事なのか想像する事ができずに

物事を判断する基準が、非常に狭い経験と知識と

分泌量の多いホルモンによって熟慮する事ができない思考によって決められてしまっている。

あの当時、ヨーロッパからシリアに向かった少年少女たちが今のシリアの現状を

想像していたとは、とても思えない。

 

人生が子供の頃から思い描いた通りに生きてゆけるのは

ごく限られた人たちだ。

誰もが、大谷翔平君のような有り余る才能を持って生まれてくるわけではなく

自分の才能が何なのか分からず、何の為に生まれてきたのかも知る事ができず

今日を生きるのが精一杯という人々が

まだ地球の過半数以上の人口であると言うのも事実とそう違わないだろう。

 

この三次元世界は不平等で矛盾だらけに出来ている。

そしてそれを受けいれて、現実を直視して出来る事と出来ない事を見極めた上で

直も夢を目標という現実に落とし込む事を諦めなかった者たちには

自分では想像しえなかったギフトが与えられる可能性があると

今を生きる若い人に告げておこう。

 

これからは、政治はもちろんの事、宗教も感情ではなく論理と実存の時代に突入する。

感情にばかり訴え、実際の結果の伴わない政治家や

確かな論理と実存を感じる事が出来ない宗教は真っ先に廃れてゆくだろう。

 

若い人はひたすら、自分たちが熱中できるものを探して生きれば良い。

そこに神などを介在させる必要は若いうちはないと私は言っておこう。

 

神や仏が必要なのは、

自分の命や大切な人の命が失われようとしている人。

人生に打ちひしがれ、生きる希望を失った人。

日々の生活に疲れきり心の平安を見出すすべが、わからなくなってしまったような人。

心の底からの感情の飢えを満たす事がでずに、他者との関係に

悩んでいるような人などだ。

 

健康な若者で一度や二度の人生の失敗なら

お金に関係なく熱中できるものを再び探して生きて行けばよい。

少なくともこの日本では、

汗水流して働く事を厭わなければ(ブラックな職場に妥協しろとは言わない。)

そして生きる事から逃げなければ、

味わいのある時を生きる事が出来るはずだ。

 

たとえそこで失敗して倒れるだけでも、身の丈の分だけは前に進み、

見えなかった地平線の先の風景が次へのヒントを与えてくれる。

 

健康で生きている限り儲けものだ。

人生を心の底から楽しもう!  若い諸君!!

 

 

 

 

*2018  5  21  

一部、加筆修正しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


暗闇を恐れる心 と 健全な精神の成長

2018年05月08日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

神や仏や、天国、極楽浄土、地獄、天使と悪魔。

神話や聖書や経典で語られているのは事実ではなく

フィクション、作り話が大半だと現代人は普通は認識しているだろう。

 

モーセが行った、紅海が二つに割れる事や、イエスが行ったとされるさまざまな奇跡など。

それをそのまま起きた事実だと信じる人は、バイブルの影響のほぼない日本では皆無だろう。

そしてそれは、日本人にとってはとてもラッキーな事ではあったと私は思う。

 

西洋世界やイスラム世界での宗教的な概念の束縛は今だ大きい。

キリスト教に関しては確かにその本来の信仰的影響力は衰えていると思うが

文化として西洋文明の中に脈々と流れ影響を与え続けている事は事実だろう。

2011年刊の『レッドステイツの真実』という本のデーターでは

アメリカ人の70%がイエスの再臨を信じ

62%が悪魔の実在を信じているという事であった。

 

1973年公開のオカルト映画『エクソシスト』では日本での公開に先立ちアメリカで

観客の失神者が相次ぎ、また映画関係スタッフや役者が死亡したりした為

日本での公開時の盛り上がりは異常だったのを覚えている。

 

バイブルランドの人々がこの映画に恐怖した一番の理由は、

やはり悪魔の実在を信じているという文化圏に生きているからに他ならないと思う。

二代前の法王、ヨハネ・パウロ・二世は生前からエクソシストとして有名だった。

現、フランシスコ法王も、悪魔祓いをしたというニュースが2013年の5月に流れ騒動になり

法王庁がそれを否定する声明を出している。

バイブルランドの多くの人々にとっては

悪魔は今だ完全な絵空事ではなく、

日常の生活の中で人間の弱い心のすきを狙い

本能的恐怖心に影響を与える力を持つオカルト的存在なのだと思う。

 

 人さらいと、 危機回避能力

の記事にも書いたが、

私は昭和の田舎の子供だったから、小さい頃はまだ人工照明が少ない世界で育った。

それは、子供にとっては日が暮れると闇が迫ってきて

五感全体を震わせる恐怖を日常的に味わう経験でもあった。

『逢魔時』という言葉どうり、西の空の紅い帯が光を失い始めると

不気味な何かを含んだ暗闇は想像異常の早さで迫ってくるものだった。

 

子供の頃真の闇の中に独りで取り残されるほど恐ろしいものはなかった。

それは、見知らぬ、場所の外はもちろんだが、

罰として押し込められた押し入れや納戸の中もその真っ暗闇の中の恐怖は同じであった。

それ故、闇は私のような子供にとっては幽霊や妖怪が棲む異界への出入り口と同じ意味をもつ

何か得体の知れないモノたちといつ出会うかもしれない

恐ろしい空間であった。

 

 

過去の時代、私のように本能的に闇を恐れる心や幼い頃から文化的な背景によって

悪魔の存在を信じるような育ち方をした人間にとっては

その心の底に流れている、本能的な恐怖が

宗教を信じる事の一つの理由であったと私は思う。

 

人間の心は弱く、闇に巣食う悪魔や悪霊から心を守るには

神、仏に対する信仰こそが

その弱さに勇気を与えてくれる実感があったのだろう。

 

しかし、物質文明が成熟した国家において

夜の真の闇はなく、子供たちがその五感以外のシックスセンスを磨く機会は

限りなくなくなってしまった。

 それ故、今の日本の若者たちの大半は

真の闇の怖さや自然の恐ろしさを体験しないで

大人になってしまっているのだと思う。

 

東日本大震災などの自然災害はあいかわらず各地で起こっているが

日常の中に潜んでいる自然の怖さは親の世代も含めほとんど体験していないのだと

夏起こる水難事故などをニュースで見たりすると思ってしまう。

 

川や海で遊ぶ事がどれだけ危険な事は田舎の子供なら

小さい時に一度くらいは恐ろしい思いをして知っている。

私も海で潮に持って行かれた事はあったし、川で溺れそうになった友人がいて

その子から『足を引っ張られた』と真顔で言われた経験があるから

川の深みには絶対に近寄らないとそれ以後は思ったものだった。

 

昔は親がそういう経験をして自然の怖さを知っていたから

その経験を子供に直接伝える事ができたが、

今は親の世代もそういう言い伝えや経験を伝授されているものは少ないから

非科学的と思える言い伝えは無くなってしまい

闇が駆逐された現代では、東日本大震災のような自然の本当の恐ろしさを容赦なく

体験させるような出来事を経験しない限り、

危険に対する直感は中々養われないのだろう。

 

私は今の若い人が昔に比べ宗教的な事に懐疑的な理由は

そのような、五感全体で味わう感覚的な恐怖を

日常的に体験する機会が持てないまま成長している事も理由の一つだろうと思う。

 

物事は明るい照明の元、科学や社会的な常識が揺るがない日常が続き

オカルト的な何かは漫画やアニメの中の作り物の世界でしか体験しないから

現実にそのようなものが存在する可能性を最初から考える余地がないのだと。

今でも田舎に行けば、野山はあるが、その自然と深く触れ合うような生活を

田舎の子供たち全員がしているわけではなく、都会と同じようにスマホを持ち

インターネットでゲームをする生活である事は都会と何も変わらないだろう。

 

ただ、中ニ病にかかる年代だけはホルモンの影響でそういう

目に見えない事やオカルト的な事にロマンを感じて、一時的に信じたりするが

現代の日本では成長と共に、

多くはそういう非科学的なモノを客観的に分析して

排除してゆくように育ってゆくだろう。

 

それは、霊感商法や過去の束縛して収奪するのが目的の宗教に引っ掛かり難いという意味では

大変良い事だと思う。

が何か言葉にできない恐怖や畏怖の念を子供の時に心の底に持つという事もまた

人間が生きてゆく上では大切な事だと私は思う。

 

それは自分ではない何者かを恐怖すると同時に認める事でもあるから。

 

そういう体験をしないで成長してしまうと、人間に対してはもちろん、自然に対しても

怖いもの知らずの心のままで、いざ何かに直面した時に、

抑制のきかない行動を取ってしまう原因になってしまうだろうと思う。

 

心の底から震え上がる経験を子供の時にしておく事は大事な事だ。

そういう経験をすれば、自己と他者の違いを少なくとも認める意識は育ってゆく。

真の恐怖を知らないで育つと、世界の全てが自己の意識の延長上にあるように肥大化しまま

コントロールできるような勘違いをして成長してしまい、

コントロール出来ない事象にぶつかると

大した理由もなく他者を傷つけたりするようになってしまいがちだ。

私の分析では今の若い人たちの犯罪はそのような事に起因する事が多々あると思えてならない。

 

 

大きな人生上の出来事はトラウマになると言われるが、

運命論者の私にすれば、心の底に記憶として残るような事は必然的に起きたのだと思う。

人間が生きてゆく理由はその記憶や経験とどう向き合って忘れてゆくかであって

向き合いもせず無視して生きてゆく事ではない。

そして、人間ではない自然や超自然的なモノから感じる、畏怖や恐怖の思いが

子供の頃に刷り込まれる事は、心の予防接種に似て

人間が打ちひしがれた後心を切り替えて生きてゆくのに必要な

諦観を教えてくれると思う。

 

 

子供の頃の感覚は大人になると忘れがちになるものだ。

だが、完全にその感覚を忘れてしまうものでもない。

今の私の中にもその感覚は生きていて、それは時として直感として私を助けてくれている。

 

人間の感覚は磨けば、よりミクロの世界に近づけると思うのは

私の偽りない実感だ。

デジタルの時代だからこそ、

計測できず残されたアナログ世界の中にこそ

デジタルの可能性があるのだと。

 

 

 

  

 

 

 

*フライウェイ・レッスンの為にクレイグ・ケイコ氏が設立した『生昇会』

 ホームページにおいても定価にて取り寄せ可能。

 

 

スーパーナチュラルの法則―究極の生をもたらすフライウェイ
クレイグ・ケイコ (著)
史輝出版

重力波の計測とポルターガイスト

2018年05月05日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

ゴールデンウイークなので、

暇を潰せるいつもの変な話をひとつ。

 

去年ニュートリノ振動の発見で

ノーベル賞を受賞された梶田隆章先生の講演を聴く機会があった。

 

私は生粋の文系なので、数学はまったくの不得手だが

ロマン溢れる、量子理論の内容に魅せられて

好奇心から物理学の先生方の本を少しずつ読むようになった。

今世紀  自我の意識構造の科学的な解明が、宗教やイデオロギーの呪縛からの開放を加速させる。

天才 と 『シュレディンガーのパンツ』  と 『アヴェ・ヴェルム・コルプス』

の記事でも量子理論に触れてきたが、

その三次元的概念では証明できない観測結果が

三次元以上の次元の存在が実際に存在し観測できる事を

予測しているように私には思えとてもワクワクした。

 

人類が、目に見えなかった微細モノが、顕微鏡の発明によって目に見え始め

科学によりミクロ世界の構造が解明された事によって、中世までは

魔法や奇跡であった事が、科学的に証明され、再現できるようになっていった。

では、人類は今どれだけ微細なものを観測できるようになったかという到達点の話を

梶田先生は、アメリカのチームが重力波の観測に成功した事によってノーベル賞を受賞した例を

出して講演で話されていた。

 

それは、太陽と地球との距離      約 1億5000万キロメートル

に対して

    水素原子一個分の大きさ    約  100億分の1メートル 

 

の距離が変化した事を計測したという事であった。

 

重力波の存在はアインシュタインによって100年以上前から予測されていたが、

このミクロの距離の違いを観測できる為には100年の時を待つ必要があったのだった。

 

今現在はようやく重力波を観測しその存在を証明する事が出来た。

ようやく重力波が人間によって完全に解析できる一歩手前にきたと言ってもよいだろう。

だとしたら今後の科学の発展によって、

重力そのものが解明され、それをコントロールするすべが

解明されれば、人間が機械的操作によって、地球の重力から解放される日も夢ではないと言えるかもしれない。

 

また、宇宙の成り立ちや始まりというマクロ世界の証明の為には、

これからは超ミクロ世界の観測データーによる証明が不可欠であると梶田先生は言われていた。

もし宇宙が無からの揺らぎによって誕生したのなら

これから物理学者は、その次元を超えた先の無を観測する世界に必然的に

入ってゆく事になる。

それはもう一世紀前まで霊魂心霊が棲むと言わている

時間の壁を超えた先にある世界と限りなく似ていると私は思う。

 

 

ここからがいつものデンパな話

私は若い頃、ポルターガイストと思える現象を見た事がある。


ポルターガイスト現象(ポルターガイストげんしょう)

あるいはポルターガイスト(独: Poltergeist)は、

そこにいる誰一人として手を触れていないのに、物体の移動、

物をたたく音の発生、発光、発火などが繰り返し起こるとされる、

通常では説明のつかない現象。

いわゆる 心霊現象の一種ともされている。  by  wiki

 

 

カラオケボックスで部屋にすしずめの人数でまさに

馬鹿騒ぎして最高潮に盛り合った時

テーブルの上に置いてあったワイングラスが独りでに直上に浮き、

横にスライドするように動きながら空中で何にもぶつからずパンと

音をたてて砕け散った。

 

部屋にいた者たちは酔っぱらっていたが、流石にその現象が

誰かが仕組んだトリックだとは誰も言わなかった。

テーブル中央にあったグラスが誰も触れずに空中に上がった上に粉々に割れたのを

その場にいた者のほとんどが目撃したのだから。

一人が「ポルターガイストじゃない。」

と映画のタイトルで有名になったオカルト現象の事を小声で言った。

店員を呼んだり後片付けをしながら、キツネに化かされたような気分になって

酔いが冷めるのを感じながらも、

その場にいた私たちは、今見た現象は間違いなくポルターガイストであったと確信した。

流石にその後はもう一度その時のように盛り上がる事はなく、グラスが浮く事も割れる事もなくお開きになった。

 

私は当時はまだ、オカルトにもスピリチュアルにも詳しくなかったが、

ポルターガイスト現象は、子供の頃強制された家の新興宗教の経典の中に、

イギリスのスピリチュアリズムの例として

心霊について具体例を挙げて解説する場面が出てくるので、

霊によって物理的な現象が引き起こされる事は

子供の頃から知っていた。

それ故、映画やテレビドラマで幽霊屋敷で物がひとりでに動いたり、空中に浮かんだりする事が

事実としてあるのだと、子供の頃から信じていた。

 

カラオケボックスでの出来事は私がポルターガイストが事実だと再認識する出来事になった。

この出来事は、霊や幽霊がどのような原理を利用して物理法則(重力)に反する現象を

引き起こしているのかという単純だが面白い疑問を考える切っ掛けとなった。

 

自分が見た事や体験した事を基準にして物事を分析するのは当たり前のスタンスだと思う。

講演で梶田先生も当時ニュートリノに重さがあるという事は物理学的には有り得ない事とされていたが、

スーパーカミオカンデでの観測結果は、ニュートリノが変化した事実を示していると確信し

ニュートリノ振動という現象を世界に発表したと講演で言われていた。

 

ポルターガイストで一般的なのは

「バッチ」というのような音を出すラップ音と呼ばれる現象だが

これは、昔から「家鳴り」と言われ木造家屋がほとんど田舎では

家が実際にきしむ音と聞き分ける事はむつかしい。

都会のコンクリートで出来た建物ホテルでは

心霊現象が多いと旅慣れた芸能人がTVで言っているが、

「バッチ」という音がホテルで起きれば、ラップ音を疑ってみても良いだろう。

 

物の移動も幽霊屋敷の定番の観測現象だ。

重い物の移動もあり、テーブルや椅子は当たり前、グランドピアノが空中に浮く

まさに今でいうイリュージョンの世界だ。

 

イリュージョニストからすれば、その現象を再現し種明かしする事は簡単だろうが

 この現象を霊、幽霊などの存在の仕業として、または超能力の存在証明として

トリック以外で再現する事は今だ誰もなしえていない。

 

映画スターウォーズの中で、ダースベイダーやルーク・スカイウォーカーが

フォースを使って、重力に逆らって、飛んだり、物体を投げたり、ライトセーバーを

手元に引き寄せたりしているが、いわばその現象は重力に干渉して

フォースの力が重力を上回っているから成立してる現象と言えるだろう。

 

これからもっと科学が進み、重力を遮断できる方法が考案されると、

SF映画でよくある、ビルの屋上から何もない空中に歩き出す事や、

重力を遮断し、推進力を同時に制御できれば

スーパーマンのように空を自由に飛行する事も可能だろう。

 

私が目撃した現象の原因が何よるものかを考えた時、

人による作為的なトリック以外は

重力以外の力が働いたからと結論して良いと思う。

そしてその原因になるような強い力を出せるものは

常識的な物理では目に見えず誰も触れていない事から

磁力か、風力、または電子レンジのマイクロ波ぐらいしか私には想像できない。

だが、カラオケボックス内でコップだけ浮き上がる風を吹かせる事は無理があるし

ガラスのグラスを磁力で持ち上げる事は普通は無理だろうし、

あの場では不可能だろう。

またマイクロ波でグラスを割る事はできても、浮き上がられせる事は

その装置の大きさを考えれば無理だろう。

いずれにせよ、それをするメリットや動機はない。

 

後残るのは、そこにいた人間から発せられたエネルギーによるか

そこに存在したかもしれないポルターガイストのエネルギーが原因によるものかの二つに絞られる。

 

あの時の雰囲気は異様に盛り上がった飲み会を想像してもらえば良いだろう。

カラオケボックスでみんなノリノリになって、絶叫系の歌を歌い続けて

ブルーハーツの「リンダ・リンダ」のところをひときわ大きな声で合唱するような場面だ。

(歳がわかるね)

そのロックのライブのような熱狂感は、時としてムッとした熱気を伴った空気圧に似た

感情エネルギーが物理的エネルギーに変換されてゆくように感じられる。

その場にいた生きた人間の感情エネルギー(エモーショナルエナジー)

が重力に逆らう程の力を発したのだろうか。

 

またポルターガイストが原因だとしたら

その騒がしい幽霊はどのようにして重量を遮断してコップを浮揚させ

どのような力で横に動かし、そしてコップを割ったのだろうか。

 

ここからは私の柔らか仮説。

まずはフライウェイで知り得た法則から。

 

宇宙のエネルギーには螺旋回転の二方向のエネルギーの流れがある。

それはシンボルでは卍、言葉ではマンジ、スワスチカ、と言われ、ナチスのハーケンクロイツは左のマンジだ。

ヒトラーが左マンジをシンボルに使うまではマンジ、スワスチカは幸福の象徴であった。

 

右回転は宇宙の究極の一点である命の源から地上に向かう物質化を。

左回転は地上から究極の一点に向かうプラズマ化を表しいる。

 

私が繰り返し述べてきたエネルギーの流れの転換は前世紀までは

地上に向かう右回転の物質化を促すエネルギーの流れが強かったが

左回転のプラズマ化の天へと向かうエネルギーの方への転換が世紀末に起こり

今現在も強くなり続けている事を示している。

 

また、それに伴う人間の意識がどのように影響されるかと言えば、

人間の意識は地上に向かうほど感情のエネルギーが増大してゆく。

逆に究極の一点に近づくほど感情というものは消失してゆく。

これは、各種宗教で天界や極楽浄土に入ると感情に左右されなくなると

多くの記述がなされている。

 

私たちが実際に命ある肉体を持って生きている三次元世界は

究極の一点から形のないエネルギーが物資化される出口にあたる事から

炭素を核にした有機物で構成された物質化した肉体は感情エネルギーの

受け皿となっている。

 

この三次元世界は

究極の一点から生まれたエネルギーが物質化する場所であり、

4次元以降の次元の意識エネルギーが感情化という影響を受ける事で

物質化できる場所でもある。

 

そして、その感情化エネルギーは物質化エネルギーと同じ

地上に向かうほど増大するというベクトルを持っている。

物質化と感情は非常に密接な関係にある。

 

では人間の感情エネルギーは物理的エネルギーに変換出来るのだろか。

その答えは、

カラオケボックスでの現象が物理的自然現象とトリックという原因を完全に排除できれば

イエスという事になる。

ただし、私はこのカラオケボックスの場合、多人数がワイングラスに意識を集中して

現象が起きた訳ではないので、

私は幽霊実在派の立場から、

ポルターガイストがその場にいた人間たちの感情エネルギーに

指向性を与え、自己の存在のアピールに利用したのだと推測している。

 

ポルターガイストが起きる場所は俗にいう心霊スポットや多くの人が集まる

劇場やカラオケボックスなどが多い。

カラオケボックスで会計した者が店員に改めて心霊現象があるかどうかを聞いたら

やはり過去にも似たよう事が起きたと認めたという事であった。

 

私も数年前まではカラオケボックスをよく使う機会が有り

心霊関係に敏感な友人はいつも柑橘類を持ち歩いて

部屋に入るなり、いるとわかると汁を空中に振りまいていた。

何故、幽霊に物理攻撃が有効なのかは、また別の機会にして

今日の伝波な話をおしまいとしよう。

 

 

 

 

 

 

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スーパーナチュラルの法則―究極の生をもたらすフライウェイ

クレイグ・ケイコ (著)
史輝出版

『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験においての*****の開示

2018年05月03日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

お待たせしました。

本当なら事前告知での本の販売が確定したら

一緒にこの記事を書く予定でしたが、

プログラムトラブルという理由で連休明けになりそうなのでお約束を守るために

先に長らく*****としてきた言葉を開示しようと思います。

 

それは、

『フライウェイ』 と 『守護神』 です。

 

******が、どちらがどのように使われているかをどうしても確認したい方は

そのうち販売される私の本でお確かめください。

 

ただ、本を確かめなくても

ブログの記事を読めば、わかるとは思います。

明らかに違った使い方をしている個所がありますから。

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上記が『フライウェイ』創始者のレッスンブックです。

検索するとクレイグ・ケイコ氏の本がもう一冊出てきますが、

レッスンブックと創始者が指定したのはこの本だけだと告げておきます。

(理由については私の本に書いてはあります。)

いずれにせよ、言葉は開示いたしましたので、

ご興味のある方は、ご自身の判断で購入され、考察頂ければと思います。

 

 

 

目に見えない事、

科学的に証明される事が出来なかった世界。

その世界のエネルギーや情報を

これから実際に利用する体験の積み重ねによって

人類が物質的概念から解き放たれてゆく証の一つとして

『フライウェイ』がある事を

告げておきます。

 

この度、病に後押しされる形で私なりに

『フライウェイ』について今語れる限りの事を書いてみました。

本人としては大真面目なのですが、価値観が違う方々から

「何を非科学的な馬鹿な事を言葉にしたり、実行して世を惑わす事を言いふらすのか」

という声が聞こえてくる事は十分承知の上で、

『信教の自由』が保証されている日本のおおらかさの元に

私はその事を信じ実行しているのだと告げようと思います。

 

究極の一点に存在する創造主である神というエネルギー。

エネルギーの流れが縦へと転換した現在においては、

今までのような概念としてだけの存在ではなく

実在し人類が平等に使う事が出来るエネルギー存在だという事を

これからも私なりに伝えてゆきたいと思います。

 

本出版に当たり

 源 現(みなもと げん)と名乗ることにしました。

常識を疑い、頭を柔らかく、未来に希望の持てる記事を

これからも書いてゆけたらと思っております。

 

 

2018    5   3        伝波者     

                      源 現