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守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ - 人生・家族・スピリチュアル 運命を信じた男の病の果て (MyISBN - デザインエッグ社) |
源 現 著 | |
デザインエッグ社
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自著 AD
*映画『砂の器』と『生きがいについて』神谷恵美子 著 のネタバレがありますので
どちらも観たり読んだりされてない方は
観賞後、読了後に読む事をお勧めします。
ハンセン病(らい病)の歴史は古い。
西洋も日本も古文書(聖書、日本書記など)に
この病を指したと推測できる記述が多数みられる。
日本でも座敷牢に押し込められたり、家族に迷惑をかけまいとして、
『放浪癩』となって故郷を捨て彷徨うような過酷な歴史があった。
明治40年「癩予防に関する件」制定 放浪患者の隔離
明治42年 全国五か所で公立療養所開設
昭和6年 「癩予防法」成立 この法律の制定により日本中の全てのハンセン病患者が
療養所に隔離できるようになる。
この法律に前後して行われた「無らい県運動」により
ハンセン病を全てなくそうという
「強制隔離によるハンセン病絶滅政策」が広まる
昭和18年 アメリカで、ファヂニー、プロミンの治らい効果を発表。
昭和28年 「らい予防法」制定 「癩予防法」の一部を作り直した法律。
「強制隔離」 「懲戒検束権」などはそのまま残る。
患者の働くことの禁止、療養所入所者の外出禁止を規定。
平成8年 「らい予防法」廃止 「らい予防法」の見直しが遅れた事を
厚生労働大臣が謝罪。
厚生労働省HPより。
松本清張原作、野村芳太郎監督 映画『砂の器』は
昭和48年に蒲田で起きた手がかりの少ない殺人事件を捜査してゆくうちに
犯人のピアニストで作曲家の動機が隠された出自に関連している事が
解き明かされてゆく物語だ。
物語の発端である、殺人事件捜査の現在進行形の刑事ドラマと
犯人の過去を重ねるように
回想部分として昭和17年頃の「無らい県運動」が一番激しかった頃が描かれ
『放浪癩』の親子と、その歴史的な差別と人間の宿命や業
親子の愛情を美しい日本の風景を織り交ぜながら
劇中のオーケストラの演奏曲がサウンドトラックと重なり
邦画の名作の一つとされている。
『砂の器』の原作は昭和31年から約一年に渡り読売新聞夕刊に連載された。
私は今だにこの『砂の器』の原作小説を読んでいない。
私にとっての『砂の器』は中学生の時に観た野村芳太郎監督の映画が全てである。
それ故これは、映画の『砂の器』を元にした文章である事をご容赦願いたい。
原作の発表から映画化まで約13年の時を経たのは、ハンセン病というテーマが
当時でさえ社会的タブーに近く、実際差別の助長に繋がるとして制作反対の運動まで
あった事なども、これだけの時間がかかった理由の一つであろう。
数日前、何十年ぶりにこの映画を観なおした。
中学生の時に見た時の印象と大きな違いはなかったが、
歳を重ねて観ると、特に後半の親子の放浪を描いたシーンは
芥川也寸志氏の名曲と相まって
50を過ぎてから涙腺が弱くなった私には
ティシュなしでは観る事が出来ない映画であった。
中学の時に映画館で観た時はそのドラマチックな演出方法に驚き
親子の境遇に同情しても、泣くまではいかず
その劇中の犯人である主人公の作曲家が弾き振りをする
『宿命』という曲の演奏と、親子の放浪のシーンを重ねる演出。
演奏会終了と共に犯人逮捕を予感させ、クライマックスを迎える手法に
いい映画を観たという満足感が残った作品であった。
たった一度映画館で観たにも関わず
丹波哲郎さんが演じる刑事が、犯人の親である療養所に隔離され生きていた
加藤嘉さん演じる父親に面会するシーンで
車椅子に座り年老いた父親が、生き別れた息子の成人した写真を観て
自分の息子で有る事を直感で感じながらも
『こんな人は知らない』と言って号泣する姿は
『砂の器』の名場面としてはもちろん
私のようなものにはおもんぱかる事ができない究極の悲しみの象徴として
脳裏にずっと残っていた。
改めて観た『砂の器』には昭和40年代の日本の風景が見事に映し撮られていて
その風景描写を観るだけでも価値があると思えるほど、懐かしく、また美しかった。
特に、丹波哲郎さんが演じる刑事が、捜査の為に東北や、中国地方の田舎を巡る描写や
父と子が放浪の旅をする後半の風景は古き良き日本の記録として
永久保存しておきたいと思えるほどのものであった。
また、出演されている俳優の方々も豪華で、
映画館の場面で、渥美清さんと丹波哲郎さんという
まるで違うジャンルの映画で勇名をはせた二人が共演するシーンはとても珍しく
感慨深いなんとも言えない気持ちになった。
また後半の回想部分で、殺人事件の被害者で幼き頃の犯人の世話をした警察官を
緒形挙さんが演じられていて、
(緒形さんは最初、加藤嘉さんが演じた、父親役を熱望して監督にお願いしたが、
加藤さんの配役は最初から決まっていたので、この役となったらしい。 )
あまりの豪華さにそれだけでお腹いっぱいになってしまう感じであった。
他にも森田健作さん、山口果林さん、島田陽子さん、
渋いところで佐分利信さん,笠智衆さんなど
有名な俳優さんが多数出られていてまさに昭和を感じる映画であった。
偶然としか思えない事による証拠の確保や、
犯人のクラッシック音楽家としての成功が
あまりにもリアリティーがない
(原作では前衛作曲家であり、クラッシック音楽の高レベルの習得には
幼少時からの絶体音感などの教育が不可欠であり
犯人がそのような事が出来ない状況であり、
かなりの年齢に達してから苦学して才能を認められただけでは納得がとても出来ない)など
今観ると確かにいくつかのツッコミどころはあり
また公開当初から後半の親子の放浪シーンが長すぎるとか、色々批評されたらしいが、
それでも直
このように長く評価され続け、残ったのは、
抗う事の出来ない極限的状況に置かれた人間と
その事象に関わった、個人、社会それぞれの向き合い方を描く事によって
人間の精神の奥底にある光と影
宿命、業などを見事に浮かび上がらせているからだろう。
再び『砂の器』を観て最初に思い浮かんだのは
今月TV番組で紹介された『生きがいについて』の著者神谷恵美子氏が
若き女子医専時代の夏休みに国立療養所長島愛生園をたずね時の体験から記した
『癩者に』という詩の中の
「なぜ私たちではなく、あなたが? あなたは代わって下さったのだ」
という一節であった。
NHKEテレ『100分de名著』という番組が好きでいつも楽しみにしている。
若い頃に読まなければと思っても、結局この歳まで読む事ができずにいた本が
取りあげられると、それを良い機会だと思って今度こそ読んで見ようと
思わせてくれる、良い番組だ。
『中二病』という言葉の発案者とされる伊集院光氏のコメントも
自身の体験に落とし込んだ実感の伴うものが多く、
専門家の解説の補足として、理解をおおいにに助けてくれている。
『砂の器』を観なおしたのも、この『100分de名著』で3月に松本清張氏が
とりあげられたのが理由だ。
今月は神谷恵美子氏の『生きがいについて』が四回に渡って放送された。
先程の詩の一節は、この番組の一回目に氏がこの本を書いた動機に繋がる
として紹介された。
この『生きがいについて』は昭和41年に発行され、ベストセラーになった。
『生きがい』という言葉はこの本が出版される前からもちろんあったのだが、
この本がベストセラーになって以降『生きがい』ブームなるものが起き、
とりわけ人生を考える時に使われる頻度が増えたのだと言われている。
私くらいの昭和世代はもちろん、私より上の世代もこの
『生きがいについて』という本の事は、知識として頭の隅に必ずあるような
そんな昭和を代表するベストセラーであった。
私がこの本の文章を初めて読んだのは、中学であった。
本を読んだではなく、文章と書いた理由は
自ら進んで読んだわけではなく、試験問題の中の一つの設問として
この『生きがいについて』が使われていて、文字どうり
当時の自分の『生きがい』を書かされたように記憶している。
そして、その時にこの本が著者のハンセン病患者の療養施設で
精神科医として働い経験を元に書かれている事を知った。
私が『生きがいについて』をちゃんと読んだのは
成人して家庭を持ってからであった。
読み終えて一番に感じた事は、
このように真摯に深く人生に向き合う事が出来る精神に対する
畏敬の念のようなものであった。
それ故、この本を読んだ時に、その精神性がたまらなく眩しく
後ろめたさを持つものが、光を恐れるような感情を持った。
*(氏は戦前の内務省のエリート官僚を父に持ち、子供の頃はスイスで教育を受け
兄妹間の会話はフランス語であったというから、成人するまでは
恵まれた環境で育っていた。
十九歳の時にオルガンの伴奏役として伝道師の叔父と共に訪れたハンセン病療養所で
患者の症状に強い衝撃を受けて
「自分が身を捧げる生涯の目的がはっきりとした」と語っている。
しかし、成人して以後は恋人の死や、自身の結核や癌の経験もあり、
また戦争の時代を通しての様々な苦労の末、
43歳でハンセン病の国立療養施設長島愛生園において精神医学調査を開始している。)
*から()内wikiより引用、要約、補筆。
精神科医で有り、
大正生まれの最高の教育を受けられた学識と教養を持たれた方の著作である故に
読者にもそれなりの西洋の古典、名著を読み込んでいる読書量と
精神医学の知識が必要とされる著述が見られるが、
著者の求める事は頭で考え捻り出すようなものでなく
個人の実際の生活の中からにじみ出るような実感が伴い
それでいて言葉に中々ならないその人固有の『生きがい』を見つける心の内観であり
本書は著者がそれを寄り添うように促してくれる文章となっている。
それ故、とりたてて専門的な知識がなくても、
人生に迷い苦悩する者には
著者の血の通った言葉の数々が胸に沁みわたるだろう。
『生きがいについて』は
「生きがい」という言葉にするのが難しい感情の核心を
精神医学、心理学、文学、宗教など様々な分野からの例を照らし合わせて
客観的に分析し、「生きがい」の全体像を浮かび上がらせると共に
多くの限界状況に置かれた人々と出会い、自らも人生で様々な挫折や
命のかかった体験を経た故に
自他両方の『魂の叫び』を真摯に聴く事が出来た人が
既存の宗教の根となるような「大いなる何か」にまで目を向ける事で到達した
心の境地の秘密を解き明かそうとした
人生に悩める者は一度は読む価値がある名著と言える。
『砂の器』、『生きがいについて』という
ハンセン病患者の人生に向き合う事で生まれた
それぞれの作品が照れし出した人間の光と影が、
影は社会的な差別や、
そのどうしようもない極限の悲しみに縛られ、抗う 親子の愛情故の人間の業を。
光はその極限の悲しみや困難を受け入れる事によって到達しえる心の境地を通して
三次元世界に人間が存在する理由の一つを示してくれているように思う。
日々の生活に、生きがいも希望もないと感じる時に
このような作品と向き合う事は
生きる事の意味や、『生きがい』を見つけるヒントを与えてくれる。
暗闇の中でこそ、光はその輝きの真の意味を表す。
暗闇の中に人が在るのは、光に近づく為だと
私も思えるようになった。
だが、神谷恵美子氏がしめした
虐げられた他者に人間としての最大限の尊厳を見出す事は
今だ私には出来ていない。
『癩者に』
光りうしないたる眼うつろに
肢うしないたる体担われて
診察台にどさりと載せられたる癩者よ、
私はあなたの前に首を垂れる。
あなたは黙っている。
かすかに微笑んでさえいる。
ああしかし、その沈黙は、微笑みは
長い戦いの後にかち得られたるものだ。
運命とすれすれにいきているあなたよ、
のがれようと放さぬその鉄の手に
朝も昼も夜もつかまえられて、
十年、二十年と生きて来たあなたよ。
何故私たちでなくあなたが?
あなたは代わって下さったのだ、
代わって人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。
許して下さい、癩者よ。
浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、
そこはかとなく神だの霊魂だのと
きこえよき言葉をあやつる私たちを。
かく心に叫びて首たるれば、
あなたはただ黙っている。
そして傷ましくも歪められたる顔に、
かすかなる微笑みさえ浮かべている。
「うつわの歌」 神谷恵美子著 みすず書房より
もしこのように、他者を受け入れ認める事を
人類全体が出来うるなら
世界平和は絵空事ではなく、直ちにこの地上に現臨するだろう。
生きるという事は光と影を体験する事だ。
光だけの人生もなければ、
影、暗闇だけの人生もない。
光と影はそれに向き合う人の精神の見開き方によってどのようにも変化するのだと
二つの作品は語っている。
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うつわの歌【新版】 神谷恵美子著 みすず書房