日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

生命 の 通過儀礼(イニシエーション)

2020年04月13日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)の地球規模のパンデミックが起きている

今この時も、生死を彷徨う重篤な患者さんたちが

何千人とおられるのだろう。

 

コロナの患者数が急激に増加した事や、院内感染の多発により

東京都心の医療現場は既往症の医療や救急医療が通常通り

受ける事が出来なくなりつつある。

予想以上に、無症、軽症の患者さんの移動は進まないようで

患者数の増加に東京の医療現場はもはや追いついていないように見える。

とても心配だ。

 

約30年前になるが

外科で15時間の手術を終え2週間ほどの入院を経験をした。

私が入院していた部屋は8人部屋で、重症者から軽症者まで

容体にバラツキのある患者が集められていて、不思議な感じであった。

そんな風であったから、重症の患者さんの中には夜、容体が急変する方もいて、

真夜中に緊迫した面持ちで対応する担当医や当直の看護師を

間近で見る経験をした。

夜急変した患者は、今で言うICU

(集中治療室という程の設備のない所謂、看取り部屋)

移動させられた。

 

翌日、その部屋の前を通るのは少し怖かった。

部屋の中からすすり泣きが聞こえたり、また

すでに真っ白なシーツしか残っていない時は

普段はリアルに想像しえない死を

自分も含め誰もが逃れられないのだという事を目の当たりにして

胸に冷たい風が通り抜ける感じがした。

 

またそれとは対称的な経験を、3年前の桜が咲く今頃にした。

私は担当医から

半年間苦しんだ原因不明の膠原病と思われる病が

ほぼ寛解したと告げられた。

 

一時はお茶碗を持つことや、ペットボトルの蓋も開ける事が出来なくなり

手足は炎症で膨れ上がって、麻痺しているか痛むかのどちらかであった。

何より、一度横になると自力で立ち上がる事が出来ないほど筋力が落ちてしまった。

人間は寝ている姿勢から四つん這いの姿勢に一端ならないと、立つこと事が出来ないのだと

この時思い知った。

筋力が低下すると、四つん這いになる事も出来ず、文字どうり這ってトイレに行った。

 

そのような日々が続くと横になって眠る事さえ恐怖になり

よく椅子に座って夜を過ごした。

今度こそ眠りに落ちたらそのまま死を迎えるのではと思うようになり

いっそう眠る事が怖くなった。

 

重い病に罹ると、否が応でも自身の死と対峙しなければならなくなる。

老いと死はいつまでその完全な平等性を保ちえるのだろう。 狩られる側の世代の思い。

の記事の中で

兄が、5年生存率が極めて低い癌に罹った時の事を下記のように書いた

 

兄が癌で余命が半年とくらいだと自覚したときに

「人間は一人で死んでゆくんだな。」と

ガンセンターの真っ暗な廊下で言った事を思い出す。

 

その時に私は冷淡だが当り前の事として

「ああそうだよ、人間は誰だって一人で死んでゆくんだ。」

と答えていた。

 

「一人じゃないよ」と言ってあげるべきだったのだろうが

そういう嘘をつけない愚鈍な弟であった。

 

膠原病か癌かもしれないと担当医に言われた時、

私も兄がそうであったように、

死と出来るだけひるまずに対峙しようと思った。

 

兄が一端、癌センターを退院した折、

私は自身の人生経験から得た、尿療法や、スピリチュアル的療法を

兄に勧めた。しかし兄は、幼き頃から両親から受けた新興宗教の刷り込みに

反発して、徹底的なデーター主義者に育ち、

数値で分析できないものを信じなくなっていたから

私の言う事を心情では理解してくれたが、決して実行はしなかった。

 

愛も情も、人類の未だ解明できない病の前には無力だ。

 

兄は治療法のない悪性癌を受け入れ、痛みと向き合い死んでいった。

それ故、

「人間は誰だって一人で死んでゆくんだ。」と

兄を突き放した私は

ついに本物と信じる事が出来たフライウェイで、

どうしても病や死の恐怖と向き合わねばならなかった。

その時の心情を

『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  あとがき 『天上の青』

の記事にこう書いている。

 

私は長い間スピリチュアルな世界を彷徨ったが

心の奥底にある渇きを満たす事はできなかった。

 

それ故、自分が癌か根治療法のない自己免疫疾患だと言われた時

最後だからと*****(フライウェイ)に全てを託す事ができた。

今言える事は私は私の物語の為にこの無謀とも言える選択をしたに過ぎないという事と

そしてたとえ死という結末(悪性腫瘍による)を迎えていたとしても

私は満足したであろうと思えることであった。

それは、鏡の向こう側に立っている兄へ、胸を張って会いに行く為には

避けては通れない通過儀礼(イニシエーション)であった。

 

幸い病は悪性腫瘍ではなく

何も薬を服用する事なく

原因不明の膠原病は担当医が認めてくれた通り

私の自己免疫力によって寛解した。

 

私は私の信じたフライウェイでその時は健康を取り戻した。

だが私は近い未来に新型コロナウィルス感染症に罹って

重篤化、もしくは死んでしまう可能性がないなどとは全く思っていない。

 

人の命には寿命が有り、

いつ、どんな形で死がやってくるかはわからないのだから。

 

その時がいつか必ず来る事を覚悟はしつつ、

健康に人生を送れる事を感謝してこれからも生きてゆこうと思う。

 

神も霊もウィルスも目には見えない。

だが、目に見えない世界の事を始終考えていた私にとって

ウィルスと付き合って生活しなければならない今も

その目の見えない世界の助けを借りて

日々心と体の健康を維持できるのは

それは、とても一言では言い表せないほど

ありがたい事なのだ。

 

 

 

 

 


命 と ほんの少しのお金

2020年04月11日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

最初にお断りしておくが、私はデンパ(伝波)者である。

スピリチュアルリストと自称するほどの者でもない。

バッタもん、またはフェイカーだと思っている。

私には霊感もなければ、チャネリングの経験もない。

親の影響もあり、宗教やら、精神世界、スピリチュアルと彷徨い

詐欺師を信じて恥ずかしい思いもしたが

この人は本物だと思える人に出会えた事で

少しでも本物に近づきたいと渇望している偽者でありたいと

今も思っている。

それ故、私の記事の根っこにあるものはそうした

劣等感から生まれたとも言え、

浮世離れした、厭世的ニヒリズムから離れる事ができない。

読まれる方は、その事を心の何処かに止めておいて頂いたい。

まあ、明るくはない話なので、気分を害されたくない方は

読まない事をおすすめする。

お暇な方はこの一人語りにお付き合い下さい。

 

 

十代の半ばから二十歳までは色々あって普通の学生生活を

送れなかったが、それ以後は同年代の中では早目に結婚し

すぐに子供にも恵まれた。

一番お金のない頃にバブルを迎えた為、バブル景気のおいしいところを

味わう間もなく失われた20年に突入し、会社員として過ごしていた。

 

中間管理職を世紀末からミレニアムをまたいでやっていて、

当時の社会的なプレッシャーは自殺者3万人という数字が表していた。

 

自殺者の年代は働き盛りが山のピークで、

自分の毎日の生活も

中央快速が武蔵小金井駅の人身事故で止まるのが日常になっていた。

ただでさえ、サービス残業で帰るのが遅く、中央線で人身事故に引っかかると

なんともやるせない気持ちになった。

 

自分も場合によっては、そちら(飛び込む)側になるかもと

心の何処かでいつも思って駅のホームで運行の再開を待つという夜を

数えきれないくらい過ごしてきた。

 

そしてそうした日々が積み重なり

私は40代中ばに安定した会社員としての生活を辞めた。

理由は、一言ではいえないが、

そちら(飛び込む)側の人間に自分もすでになっていると

思えるリアルな体験をしたのが、当時の会社を辞めた理由のひとつであった。

自殺統計

という昔の記事に

中年期に私も中間管理職で自身の能力の限界から

思考停止に陥り、駅のホームで電車に吸い込まれそうになった事もあった。

あの時の感覚は飛び込むのではなく、楽になりたくて吸い込まれそうになったというのが、

近い気がする。

と書いているが、

私は電車が通り過ぎたあと、ホームの淵に気がつくと四つん這いになっていた。

 

末っ子はまだ中学に入ったばかりだったが、当時の私は

会社に居ても家庭に居ても孤独で何処にも居場所がないように

思えた。

 

様々な事が、自分の両手からこぼれ落ちてゆき

それによって、家族や自分に関わりのある人たちが

不幸になってゆくように思えてならなかった。

 

家長としても職長としても、

自身の人生に希望がもてないという心の奥底の感情が

言葉にしなくとも、じわじわと滲み出るように

回りに伝わってしまっているのに気づいていた。

 

2年かけて妻を説得し私はなんとか会社を辞めた。

退職後の生活は思い通りにはゆかず

経済的に困窮するのに比例するように

当然夫婦間の軋轢は大きくなっていった。

 

チャップリンの言う人生に必要なもの

「勇気と、想像力と、ほんの少しのお金」

私はその時期にその「ほんの少しのお金」の大切さを

身に沁みて思い知った。

 

会社を辞めてから、確かに色々なものを失った。

元に戻らない事も多数あった。

自身の人生を失敗したのだと五十を過ぎて思い至る事は

中々の負け犬ぶりであったと今も思う。

 

だが、あの時会社を辞めていない選択肢だけは

無かったと、今も思う。

続けていたら、間違いなく今生きていなかっただろう。

 

妻や家族に負担をかけて、日々自転車操業という生活を

続けねばならなかったが、

子供たちが一人前になり独立するまで、どうにか暮らしてくる事が出来た。

そういう景色を生きて見れた事で、

あの時の決断は間違ってはいなかったと今も確信している。

 

多くの人の人生がほんの少しのお金がない為に

不幸になるのは世界中の当たり前の事だろう。

だが、お金のない事と命を絶つという事を

同列に語る事を、私は認める事はしない。

人は生きてさえいれば、必ず違う明日を向かえる可能性があるのだから。

人の幸せは、仕事だけでも家庭だけでも、まして商売や会社の存続だけ

で決まるわけではないのだから。

 

大切な人、近しい人が変わらず健康でそばにいてくれて、

ほんの少しのお金があれば、

きっと多くの人は顔を上げ

前を向いて生きていけると私は信じている。

 

人は自分に降りかかる不幸に対しては思っているほど弱くはない。

だが、家族や身近な人に降りかかる病や死に対しては無力を痛感するものだ。

そして、その不吉な事の原因に自分が関係していた場合、

消す事の出来ない傷を抱え、笑い方を忘れてしまうような日々を

生きてゆかなければならない。

 

 

愛する多くの人たちと

明るい未来を迎える為に、今何が自分にできるのか

今どう行動すべきなのか、一度胸に問うて欲しい。

 

頭で考えるのではなく、胸に手を当てて

ゆっくりと息を吐いて

近しい人たちの笑顔を思い浮かべるだけでいい

 

きっと、今なすべき事が静かに湧き上がってくる

 

自分を信じて、人間を信じて。

 

 

 


『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』           宇宙と星と人間の物語 生まれるということ。 死ぬということ。 

2020年03月26日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

ここ何日か久しぶりにスイッチが入って、政治的な記事を書いてしまった。

言いたい事はとりあえず書いたので

政府、東京都の対応と

コロナウィルス感染症の日本や東京での今後を注視してゆきたいと思います。

 

東京都民の皆さんはいずれもっと厳しい外出制限になる可能性がありますが

食料の調達はそれほど心配ないでしょう。

首都東京の生活物資の物流を政府が完全に止める事は絶対にないので、

長期戦を覚悟して冷静に対応してもらいたいです。

 

元々3ヶ月ぶりににブログを書くにあたり

今回の新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)の世界的なパンデミックの状況と

『ラルロの嵐』について言及しようと、最初はタイトルに『ラルロの嵐』と

入れていたのですが、あまりにも浮世が危機感がないと感じたので

現実的な注意喚起や政治家への批判が主軸とした内容になってしまい、

霊的、スピ的な話ではなくなってしまったので

タイトルから『ラルロの嵐』を外しました。

気づかれた方がいらしたらそういう訳です。

 

今日は巣ごもりしている人の為の暇つぶしの話を。

スピ的(スピリチュアル的)な話が好物なひとには

聞き飽きた話でしょうが。

 

タイトルにある

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』は

ゴーギャンのもっとも有名な絵画の表題です。

 

絵描きを目指して浪人していた時に美術予備校のクラスメイトが自殺し、

何もできなくなってしまった時期がありました。

その折りに、よくゴーギャンの画集を開いて、このタヒチの楽園のような世界の中に

人間の生老病死や魂の輪廻を感じさせる絵を見ながら

彼の魂の行き先に想いをはせました。

 

昨日も先進国のイタリアで医療崩壊が起き

一日に700人以上の方が亡くなってゆくニュースを目の当たりにして

改めて自分が死ぬ時の事を想像しました。

 

イタリアでは医療崩壊が起きた事により、人口呼吸器や人工肺の治療を受けるのに

年齢によるトリアージが行われていると伝えられています。

70歳以上の老人にはそれらの治療は行われず、

無治療の状態で次々亡くなっているのが死者が多い原因だそうです。

この事を知った時、日本で同じような決断を下せる医者がどれくらいいるのだろうと

改めて思いました。

 

また一昨日もイタリアで聖職者の老人が

若者に人工呼吸器を譲って欲しいと言って15日に亡くなったと報じられていました。

私もシニアと呼ばれる年齢に今年なります。

この記事を読んだ時に、もし似たような状況になったらこの老人のように

潔い決断ができるようでありたいと思いました。

 

私に臨死体験はありませんが、以前

自我意識の喪失  と  無への回帰  と   死後の意識の目覚め

に書いたように全身麻酔をした時に「意識の喪失」をした経験はあります。

それは、イチ、ニ、サン、と数を数えさせられた瞬間から

担当医にビンタをされて起こされるまで時間が一瞬に跳躍したような

不思議な体験でした。

 

手術中、15時間の間の記憶が全くなく、その時私の自我意識は

完全に消滅、または無に帰っていました。

その状態こそ

普通の人が思い描く死のイメージに近いのではと思います。

 

意識がなくなった後、自我を認識する事がないのですから

生きる事が苦しい人たち、自殺を考えるような人たちにとっての

理想的な結果だと思います。

 

でも残念ながら、私の今まで経験した事から予測する結果は

死後も自我意識は存在するだろうと言う事です。

 

私は何度もこのブログ内で書いてきましたが運命論者です。

所詮、この人生の大枠は宇宙のメインフレームによって決められていて

人間はその枠組の中でしか自由度はないのだと。

 

誰かが、本で書いていましたが、

CD板を個人のアカシックレコードに見立てた時

人間に自由があると言ってもそのCD板に書いてある事柄からは

逸脱できず、その違いはゲームでいうなら

分岐点からのエンドが複数存在する程度のものなのだと。

 

人は場所も時間も環境も選んで生まれて来るとは

ほとんどの方は思って生きていないでしょう。

でも私は、半世紀以上生きた経験から今言える事は

人は生まれる場所、時間、環境を選んで生まれてきていると

考えた方がこの不条理で不公平な浮世を理解するには

納得しやすいと思うようになりました。

 

自殺は別として、自分の寿命を知って生きている人は

余命宣告をされた方以外はほとんどいないでしょう。

 

私は1995年から2000年まで、青山秀圭さんの著書に

影響されて様々な事をしました。

その一つがインド旅行ですが、そのインドの旅行を決めるきっかけの一つは

青山さんが著書に記した、館を訪ねた個人の運命が記された予言の葉っぱを

読んでみたいと。

自分の『アガスティアの葉』を探しに行きたいと思ったからでした。

 

『アガスティアの葉』

(紀元前3000年頃に実在したとされるインドの聖者アガスティアの

 残した予言を伝えるとされる葉のこと。個人の運命に対する予言が書かれている。) 

wikiより

 

のち後、この 『アガスティア葉』の真贋問題や詐欺ツアーなど色々と問題が起こりましたが、

当時の私はそのブームの真っ最中で真剣に自分の運命の葉が存在するなら、読んでみたいと

疑いもせず思っていました。

何しろ箸にも棒にも引っかからないものに引っかかる才能だけはありましたから。

 

『アガスティア葉』には生まれて死ぬまでの

訪ねた人間の人生の軌跡が書かれているとの事でした。

 

散々迷ったあげく

結局私は、『アガスティア葉』の占い館を訪ねませんでした。

 

自分の寿命をウソにしろホントにしろ、知ってしまったら、

自分のような人間はそれに捕らわれて、以後純粋に人生を楽しむ事が出来なくなるだろうと

思い至ったからでした。

 

今現在、当時の決断を振り返ってみると、それで良かったとつくづく思います。

それから以後、身内の不幸やら、仕事での挫折、リストラ、大病、災害など、

あらかじめ知っていたら、その出来事に向き合う前から

そのストレスだけで心を病んでしまったと思いますから。

 

スピ的によく言われるのは、自分の人生は自分で設計して生まれて来るが

その事を一切忘れてしまっていると。

 

次元の高いあの世からわざわざ三次元のこの世に生まれるのは、

魂とか意識レベルの修行と向上の為で

それ故に多くの人の人生は試練が多いのだと。

赤ちゃんが泣いて生まれくるのは、そういう辛い事をこれから

人生で体験しなければならないからだと、まことしやかに言われています。

 

確かに笑って生まれてくる赤ちゃんがいたとしたら

さぞや不気味な事でしょうね。

 

もし本当にそのようなシステムで人間が三次元に生を得ているとしたら、

それは、ラノベやアニメで流行の

フルダイブ型のヴァーチャルゲームをしている事とほとんど違いがないという事です。

唯一の違いは、ゲームでは、死んでも現実の肉体が三次元でゲームをしている存在だと

元々認識してゲームをしていますが、この三次元を生きる人間の意識は

死ぬまではその意識の主体が三次元の肉体の外側にある事に

ほとんど人間が気づけない、または死ぬまで知らないという事です。

 

私も死ぬのはあたり前ですが、怖いです。

ですが、子供の頃から、あの世の話を宗教で刷り込まれ、

成人してからは、精神世界や、スピリチュアル世界で人間の意識という

存在のありかを探してばかりいたせいでしょうか

どうも人間は肉体という有機物のボディを使ってヴァーチャルゲームをしている

表面上の自我とは別に意識の主体(本体)が時間と空間の存在しない次元に

存在していて、その存在が

感情を体験する為に有機物のボディに生まれて来るのではと思えるようになりました。

 

そして、人生の折り返し点を過ぎ、

子供、孫と2世代先までもこの手に抱く事ができ、

生物学的な役目を終えたヒト科の成人だという自覚が有る現在は

物質的な肉体的死は役目を終えた生物としての必然に

過ぎないように思えるようになりました。

 

生死は感情面においては、幸不幸に置き換えられがちですが、

寿命という観点で見るならば、生物学的な役目を無事終える事ができた

私のような存在はただそれだけで十分満足を得られるものなのだと

最近思うようになりました。

それ故に、肉体的な死を迎えた時に、別にあの手術の時の

「意識の喪失」が起き自我消滅したとしても、恐怖感や安堵感は

恐怖感や安堵感を感じる自分が存在しないのですから、何も心配する必要ないですし、

かねてから予想している通り、あの世での目覚め、

自分の人生の振り返りをその場でさせられるなら、

それはそれは、けっこうワクワクしてしまいます。

何故なら、自分が設計し体験したゲームを自己採点をするのは

身が縮むくらい恥ずかしいでしょうが、中々楽しい作業だと思えるのです。

 

平凡な人生において、それなり生きる続けると

自分自身の死を恐れたり、ただ忌みきらう事が少なくなっていけるのは

祝福なのだと素直に今は思えます。

 

ただ、やはり自身の命以外、家族や身近な人たちの命が失われたり

脅かされるのはことにおいては、感情を平静に保って居る事はまだ出来ません。

 

今回のように、多くの国民や家族に、命の危険が及ぼうとしているのに、

経済やオリンピックを天秤に掛けるような対応しかしない、政治家などには

肉体を持って生きる意味でもある、怒りの感情を持て余してしまいます。

 

もし私が、仏教で一般的に理解されている悟りをひらいているのなら

そのような事に心を揺れる事もないのかもしれませんが、

肉体を持って生きている以上、深く感情を味わいその先にあるものまで

出来れば到達したいと願っています。

 

かぐや姫の物語にもありますが、天上人には感情の起伏がありません。

何故なら、感情とはあくまでも物質や物質的な概念に起因するものだからです。

それ故、意識の主体が存在する次元にも我々のような感情は存在しません。

 

肉体をもたない意識の主体は何故、わざわざ彼らにとって、

牢獄のような肉体に入ってまでそのようなゲームに挑むのか、

本当に魂の向上とか意識レベルの向上の為なのか。

そのあたりは

もっともっとフライウェイを極めて生きている間に確証を得る事が出来るのか

もしくは肉体死を体験した後に答え合わせが出来るのか

いずれにせよ楽しみにしています。

 

ビッグバンによって時間と空間と物質が生まれたこの三次元宇宙は

別次元に存在する意識の主体(本体)にとって、

都合の良いゲームのフィールドなのだろうと思います。

 

ビッグバンによって生まれた宇宙の中で

かなり遅れてできた星である地球が(鉄という重い金属がコア)

育み生まれたヒトという生物の重要な構成要素として、

ヘモグロビンの中で鉄と酸素が結びつき呼吸の重要な要素になっている事や

地球の表面がH2Oの水でほとんど覆われるいる事。

私たちの肉体の70%近くが水分である事など。

有機ボディの構成の中心元素が炭素である事などなど、

人間を構成する肉体が、ビックバンから始まる宇宙と星の物語のひとつの終着点であり

我々はそれらの材料を元に作られた肉体を持つ『星の子供』と言って良い存在なのだと

今は思えます。

 

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

 

人はただ生老病死の為に生まれ出でるのではなく

生き通しの命の一時期を、地球の子供として生き死ぬのだと。

 

我々は見えなくなって消え去るのではなく

肉体を地球に返した後は、意識の主体に戻り自身の生まれ出でた先を

また目指してゆくのだと。

そのように思う時、

やがて迎えるであろう死も、とても光栄な事に思えるのです。

願わくば、その瞬間を静謐な気持ちで迎えたいものです。

 

痛かったり苦しいのは嫌だけど、

「お前が、私の死か!」

と風の谷のナウシカの登場人物であるクシャナのような

カッコイイ台詞を言える未来もまた想像できません。

 

まあ、自分で書いた筋書きに納得できる死の体験である事を

オタクらしく

アニメ攻殻機動隊に登場する好奇心の塊のようなAI多脚思考戦車のタチコマに

「君も死を体験出来たんだね」とうらやましがられる未来を信じて。

 

 

 

フライウェイ視点での意識と宇宙全体のシステムについては

感情衝突の世界からの離脱と  フライウェイ

感情衝突の世界からの離脱と フライウェイ ②

に詳しく書きましたので、ご興味がお有りの方は一度お読み下さい。

究極のトンデモが書いてあると自負しております。

暇つぶしにはもってこいの濃い内容となっております。

 

 

 

 

 


感情衝突の世界からの離脱と フライウェイ ②

2019年09月23日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

引き続き 

右回転螺旋エネルギーについて。

 

この左卍で表される天から地に向かう右回転螺旋エネルギーは

ただ回転しているのではなく、内側に向かっている。

これはエネルギーが右回転をしながら

プラズマ→気体→液体→固体と収縮してゆく原動力となっている。

また前回物資化エネルギーは感情エネルギーとイコールだと書いた。

 

これは何度も書いてきたが、

天究極の一点 主極Ⓢ 神(天)界から→幽(霊)界→現 (人間)界の

ベクトルで感情エネルギーは増大し、

現(人間)界では物質の中に感情エネルギーを蓄積する事が出来る。

逆に、神界ではエネルギーはプラズマ化されているので、固体に近い波動の

感情エネルギーはバラバラになり保持してゆく事は難しい。

 

幽(霊)界にいるこの世に未練を残し感情のエネルギーの塊として存在している

幽霊はその感情エネルギーの重さ故に神(天)界に上昇してゆく事が出来ない。

彼ら、彼女らは、地に向かう感情エネルギーの存在である為

自らの意志でそこにいる。この状態を世間の言葉でいえば、地縛霊だが、

正確には自分の感情に捕らわれているのだから自縛霊のほうがより正確に思える。

 

エネルギーの流れが転換する前は

この天から地への右回転の螺旋エネルギーにより、

物質の中に感情をたくさん溜め込み、歪みを増大させる事で、より物質的なパワーを増大させ、

横に広がるエネルギーを加速させる時代であった。

 

宗教も国家も物質的なパワーや人間の感情パワーを増大させることで

勢力を増大させた。これが横のエネルギー拡大の結果であり、

現状の世界衝突の原因でもある。

 

だが、エネルギーの流れは地から天、主極Ⓢの一点に向かう流れに

転換した。

この事は、横への拡大する力の弱まりと同時に、

物質の内側に収縮してゆくエネルギーのベクトルが

弱まってゆく事を示している。

 

この地から天への縦のベクトルの螺旋エネルギーは

今までとは逆に、内向きではなく、常に内から外に遠心力で

飛びだそうとする左の螺旋回転でそのパワーは日に日に増大している。

 

今はエネルギーの流れの転換が起きた最初の三〇年であり、

そのプレッシャーの外れ方が激しく、今までは隠しておけたり

我慢できた感情がどんどん溢れ出す現象が世界中でおき、

その事によって感情衝突がより明確になっている。

 

国家間の衝突も宗教の衝突も人種、LGBT、様々な事が

建前ではなくむき出しの本音による衝突が起きているのは

このエネルギーの転換によって、今までは内側で保持できた

感情が保持できなくなり、常に外側に出ようとするベクトルに

人類全体がさらされ続けている事による。

 

 

感情とは物質に起因するものなのだ。

人間が感情を保持できるのは、

肉体を持っているからであり、肉体の影響を

意識が受けなければ人間の意識は軽くなり

縦の動きに乗る事が出来るようになってゆく。

 

修験道も、仏教、世界中の宗教が修行といって

身体へ過酷な負荷をかけるのは、生命エネルギーを削る事で

感情を意識から分離しやすくする為だ。

仏教で煩悩を滅却するというが、煩悩とは感情エネルギーそのもので

それは肉体という器に蓄積されている。

その為肉体の生命エネルギーを削る事で、感情エネルギーは放出され

アイディンティティの核心である純粋な意識を

自我が認識しやすくなるのだ。

 

激しい肉体行をすれば生命エネルギーが減少し身体の感覚が

麻痺することで

感情に左右されない自己意識に到達する可能性が高まる。

だが、それでは、人類全体が肉体的修行でもしなければ

感情エネルギーをコントロール出来ない事になってしまう。

 

フライウェイは肉体を持った人間の意識が神(天)界に入る。

当然、生きている人間なので、普通に感情を持っていて

心の感情の動きの中で日々を過ごしゆく。

だがフライウェイをする時はそういう諸々の感情をとりあえず横に置いて

意識のみが神(天)界領域に入る事が出来るようになってゆく。

そして、意識がその生命エネルギーに満ちたプラス領域にいると

肉体の中に存在していた

負の感情エネルギーはプラズマ化されバラバラになってゆく。

 

禅では「無」という意識状態をさす言葉がある。

神(天)界のエネルギー領域とはまさに主極Ⓢに近づけば

近づくほど完全な無になってゆく。

 

フライウェイで神(天)界でも高いエネルギー領域に到達出来ると

何もないという状態を

肉体感覚と意識の両方で体験する。

このようなフライウェイが日々出来るようになると

ストレスとなるような負の感情はプラズマ化され解体されてゆくので、

体の中で収縮し物質化する事を防いでくれる。

 

人は悪感情やストレスのエネルギーを肉体に溜め込む事で

そのエネルギーは物質化し、精神はもちろん、様々な

肉体の病を発病する原因となる。

 

アンガーマネジメントが最近注目されているが

怒りや憎悪などの悪感情に振り回されず、

ストレスになるような不要な感情を消し去ってゆく事が出来れば。

この感情衝突の世界から身をかわす事が

自然と出来るようになってゆく。

 

主極Ⓢをめざしてフライウェイ続けてゆくと

左回転の地から天へと向かう縦のエネルギーにのり

幽(霊)界のマイナスのエネルギー領域を飛び越え

神(天)界のプラスのエネルギー領域に人間が生きたまま意識で

入る事によって

現(人間)界の横のエネルギーと交わらない(衝突しない)状態に

自然となってゆく。

 

感情とはあくまでも物質に付随しているものだという認識を

得る事ができれば、

多くの人間は表層の感情を自己のアイデンティティと勘違いしているのだと

やがて気づく事が出来るようになってゆく。

 

そのように自己の意識を客観的に捉える事ができると、

感情が、物質(肉体)というコップの中嵐に過ぎない事を認識でき、

現世で感情を味わった後、こだわらず、手放してゆく事が自然と出来るようになってゆく。

 

私は何度も書いてきているが、感情を悪者扱いしているのではない。

人間がこの現実世界に物質的な肉体を持って生まれてくるのは

感情を味わい実感を得る事が大きな理由のひとつなのだから。

 

喜びも悲しみも大いに味わう為に、我々は肉体を持って生まれてくる。

だが、その感情エネルギーの拘束力があまり強いため、多くの人は自己の本質的な

アイデンティティが表層の感情の動きの中にあると誤認している。

人間の本質とはそのような単純なものではない。

 

若者たちが物を買わなくなった背景には

もちろんお金がないという現実もあるが、

大元の理由は、

彼らが感情エネルギーを溜め込まないように生まれてきているからだ。

 

生活をなるべく合理的にしようとすることも

ミニマムな生活をあえて選ぶのも

物に蓄積される感情エネルギーによる意識の夾雑を

無意識的に回避しよとしんているのだと私は分析している。

 

当然、老人たちは、そのような経済が収縮してゆくような

消費行動は理解できなし、GDPの拡大でしか生活の尺度を測れない

大人や老人にはとても理解できない行動だろう。

だが、それで良いのだ。

 

これから、感情衝突の場面、事件をみたら、

その横のエネルギーの流れを客観的に見る癖をつける事をお勧めする。

そして、自分がその衝突の当時者にならないように感情を味わった後に

手放す癖をつけてゆく事だ。

 

感情の衝突の世界に対になるものは論理、合理性の「たてわけ」の世界だ。

 

これから世界は感情衝突の混乱期である

『ラルロの嵐』』を乗り越え、

論理と合理性が尊ばれる精神文明の階段を昇ってゆく。

 

 

 

*エネルギー転換による影響を以前イメージ出来るように書いた。参考になれば

 Bad Apple!!   白と黒の影の転換に陰中の陽...

 

 

 

 


感情衝突の世界からの離脱と  フライウェイ

2019年09月22日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

マスメディアもインターネットも

日本と韓国、政府と野党、ネトウヨとパヨクなど

あっちでもこっちでも非難合戦の堂々巡りが繰り広げられている。

 

つくづくその熱量の多さに関心すると同時、

その横のエネルギーのぶつかり合いこそが

まさに『ラルロの嵐』であり、

今はそれがヒエラルキー構造の既存の宗教や国家、社会を

解体する為に、必然的に起こっているのだと思う。

 

今回はそのような感情衝突の世界から

距離をおいて、感情の嵐に巻き込まれないで

この現世を謳歌してゆく法則としての

『フライウェイ』を説明しようと思う。

 

まあくだけて言えば、一般の人はスルーするような

トンデモでスピリチュアルで

 ムー民のような科学的な根拠の乏しい話も馬鹿にせず楽しめる方用の

三途の川の向こう側の話なのだけど

 

ちょと、わかりにくい文章だが

その方面がお好きな方も、頭が煮詰まっている方も

お暇な方はどうぞ。

 

まずは大まかな予備知識から

 

フライウェイにおいての世界。

 

主極 Ⓢ マルエス    全てのはじまり、万物、生命の源の究極の一点。

 

神(天)界        守護神 ハイヤーセルフ 神男 神女 精霊 

             が存在する場所

             人間の生命エネルギーにプラスの場所

             時間がない

 

 

幽(霊)界        肉体のない、個人のパーソナリティや性別を自覚している

             意識エネルギーが存在できる場所。 

             ひらたく言えば幽霊が存在する場所 

             人間にとっては、生命エネルギーを削られる

             マイナスエネルギー帯                  

             時間がない

 

 

現(人間)界       主極からのエネルギーが万物となって物質化出来る場所。

             人間の意識が物質化した肉体をもてる場所。 

             時間がある


次に「霊」について


「霊」という言葉は

フライウェイでの使われ方と一般や様々な宗教やスピリチュアルでの使わ方とは

定義が少し違うので説明しようと思う。


フライウェイでは「霊」はあくまでも幽(霊)界に存在する意識エネレギーの波動であり、

仏教でいう成仏する前の霊魂をさす。

神道でいうなら神上がり、御昇華の前の御魂となる。


幽(霊)界というのはあくまで人間の生命エネルギーにとっては

マイナスのエネルギー領域だ。

よく霊体験の話に「守護霊」に守ってもらったという表現があるが、

フライウェイでは、そのような表現はあり得ない。

あくまでも、霊はマイナス領域の存在であり、

例え肉親の霊だろうが

その霊が生きている人間に影響を及ぼそうとしても、

良い影響を与える事は不可能だから。


彼らは本来ならまずは成仏や、神上がりをして一端その生きた人生に

ケジメをつけなければならず、

それをしないうちは、その霊は地上の人生に未練を残した念の固まりであり、

そのようなものが、肉親や子孫の人生に介入する事は

人間にとっては生命エネルギーを削られたうえ、介入された人間が本来 神(天)界で

「今回の人生のテーマはこれでこのように生きよう」というアイデンティティを

ねじ曲げられかねない。


それ故、世間一般で使われる、守護霊という言い方はフライウェイではしない。


マイナスエネルギー帯に存在する霊に、

生きている人間を守護する事など出来ない。


守護したり、良い影響を与えたいのなら、まずは神上がり、御昇華して、

神界に昇って神男、神女になってからだ。

 

霊媒やイタコなど、霊と交信して、

死者からのメッセージを受けとって生きている人間に伝える事を生業としている人がいる。

(また、神界領域の存在と交信できる巫女、ユタも存在する)

このような職業が全世界的に存在する事実や、実際に、

霊媒から死者の伝言を受け取った事がある人は、

その人しか知りえないはずの情報を確認する事で、

多くは魂や霊の存在を受け入れている。

 

霊媒者は、霊が生命エネルギーに悪影響を及ぼすエネルギー帯にいるので、

コンタクトをとる時に、当然自分たちの生命エネルギーを消費し、命を削っている。

この事は素人が興味本位でそのような事に触れてはいけない重要な知識だ。

 

もう一度重要な事なので書くが霊とはマイナス領域に存在する

人間の生命エネルギーにとってはマイナスのエネルギー存在である。

彼ら彼女らは(肉体がないのに性別にとらわれている)、

まだ現界の意識を残しており、強い念が重りとなって

天界、神界に昇れない状態にある。

つまり人間にコンタクトを取ろうとする場合は、現世での未練を

生きている人間を通じて果たそうする、これはよく言われる

憑依に通じる。

つまり、幽界いる霊は現実の世界に念のベクトルが向いていて

その意識は三次元世界から抜け出す事が出来ていない。

この事により、フライウェイでは、現(人間)界と幽(霊)界の

両方を三次元という。

霊は肉体も時間もない世界にいながら、その概念の中で生きている故に

「三次のあなた」なのだとフライウェイの創始者はクレイグ・ケイコさんは

繰り返し言われていた。

 

霊は人間に現世での利益がある情報を渡してくれる場合もあるが

それはあくまでも、自分の未練や念をその人間を通して果たす為であって

結局はギブアンドテイクの関係であり。人間が本来生きるはずであった人生を

邪魔する事となる。

それ故に亡くなった近親者の霊などは成仏や御昇華してもらって神界、天界に

入った後でしか人間の為になるような活動をする事は出来ない。

 

霊についての説明がくどく長くなってしまったが、

フライウェイで幽(霊)界のマイナス領域の影響を受けないで

神界、天界に入る事がいかに大切かを知ってもらう為なので

ご容赦願いたい。


 

フライウェイとは簡単に言えば

肉体を地上に持った人間の意識が

このマイナスのエネルギー帯を飛び越えて

プラスのエネルギー帯の神(天)界のエネルギー領域に入り

生命エネルギーと物質化されていない情報を現界に持ち帰る事が出来る

「法則」の事だ。

 

何故スキルとか術とか言わないで『法則』と呼ぶかと言えば、

術やスキルは人間のする事だが、フライウェイはあくまでも

神と人との関係によって成り立つからで、

それは今後の精神文明の発展の中で

人類誰もが平等に行う事が出来るようになってゆく事によって

神の存在が概念ではなく現実世界に根底から影響を及ぼす原因、大元であり、

実在しているエネルギーである事が証明されていくからに他ならない。

 

今までの物質文明では現界でのエネルギーしか感知する事が出来ないような

状態に人間は置かれていたが、

エネルギーの流れが、神(天)界に向かうように転換した現在以降は

時代が進む事によって幽界や神界のエネルギーや情報を人類全体が

意識で感知出来るようになってゆくことが現象として起こってゆく。

 

その事によって

人間は肉体や脳という物質によって意識が成り立ち生きているのではなく、

意識という肉体とは独立した存在があり、

それは肉体に縛られたり、閉じ込められている存在などではなく

次元を超えて交流できる意識こそが

肉体ではなく、人間のアイデンティティの中心であり、

生命存在の核であるという認識が人類全体に起り、広がってゆく。

 

時代が進み、やがて生まれながらにして人類は意識の次元を超えた交流を

当たり前のように出来るようになり、その実感を誰もが得る事で

フライウェイが法則である事が証明されてゆくとされている。

 

フライウェイでは

宇宙が創られた大元、中心のエネルギー主極Ⓢと

人間という存在が一つで結ばれ、そのエネルギーの流れに

人間の意識は影響され、個人の意識の総合である人類文明も影響を

受けるとされている。

そしてそのエネルギーの流れには

究極の一点 主極Ⓢから地上に向かうエネルギーの流れと

地上から主極Ⓢに向かうエネルギーの流れがあるとされいる。

 

その2方向の流れは、約5千年事に天から地の流れが強くなる時と

地から天に向かうエネルギーの流れが強くなる時とを

交互に繰り返していると言われている。

 

この天と地の間の二つエネルギーの流れは螺旋状に回転している。

 

一つ目の天から地に向かう右回りのエネルギー、これを仏教ではカホリと呼ぶ。

このエネルギーは物質化を表している。

 

二つ目の地から天に向かう左回りのエネルギー これをミツと呼ぶ。

このエネルギーはプラズマ化を表している。

 

この螺旋回転エネルギーはシンボルとして古代から卍で表され

現在の日本の寺院の地図記号は卍は左マンジだ。

 

またナチスによって暴力と虐殺の象徴となってしまった

ハーケンクロイツは右マンジだ。

このマンジの印は、ナチスがハーケンクロイツとして使うまでは、西洋では

スワスチカと呼ばれ幸運のシンボルであった。

 

ここで一つ勘違いをしやすいのだが、

左マンジ卍は右回転を表してる。

これは中心の十字の回転によって旗が棚引く様子のシンボルだからだ。

当然ハーケンクロイツの右マンジは左回転、地から天へ向かうエネルギーの象徴となる。

この事をオカルティストであったヒトラーが知らないで使ったとは

到底思えない。

彼がドイツ民族の魂を天国に向かわせる為に使ったのか、どのような意図をもって

物質化のシンボルの左卍を使わなかったのか

いずれはわかる時がくるだろう。

話が脱線した元に戻そう。

 

何度も記事に書いたようにエネルギーの流れは地から天に向かう

縦方向が優位になるように転換した。

この事がどういう事かと言えば、今までは預言者と呼ばれた特別な他者を

媒介としなければ、受け取れなかった神と呼ばれる領域のエネルギーとの

交流が誰でも平等に出来るようになった事をしめしている。

 

これをもう少し具体的に述べると、我々が肉体を持って存在する

物質界を現界とする。

 

人間とは有機物で構成される肉体とその肉体に宿る

意識(自己のアイデンティティーの中心である意識を構成するエネルギー体)の二つによって

構成されているとする。

 

意識は有機物で構成される肉体から離脱、または分離して存在する事ができる。

意識は通常の概念でいう霊魂(スピリッツ。肉体があれば生き霊、無ければ幽霊)に近い。

この人間の意識は三次元の現界を超える事ができると仮定する。

 

天から地に向かうエネルギーの流れが優位の時代は

人間の意識が肉体から離脱し天に向かうには逆のベクトルのプレッシャーが強く

マイナスエネルギー帯である幽界を経て

神界と直接コンタクトする事は

預言者などの特殊な資質を持つものでしか不可能であった。

またもし出来たとしてもそれは神(天)界からの一方通行で

こちらから、問う事は出来なかった。

 

この事により、一般の人間はお告げや預言を賜る事ができた人の権威を認め

伝聞を信じる事を強制されるような世界が構築されていった。

 

今の砂漠の三大宗教はまさにこのようなヒエラルキー型組織の原型だ。

そしてその権威を今も手放そうとしていない為に、

『ラルロの嵐』の感情衝突の一因となっている。

 

この天から地へのエネルギーは天からのエネルギーが

地にぶつかり、地表面の横に広がり続ける事を表している。

世界が大航海時代、植民地、グローバル経済と物質文明が

広がった原動力はこの横に広がる物質化のエネルギーだ。

またこの物質化のエネルギーは感情化とイコールである為、

縦方向に回避しない限り、いずれ必ず衝突する。

この事が人類が戦争を繰り返してきた根本原因であり

物質文明の拡大イコール衝突と戦争が必然となる原因となっている。

 

 

 

 

                            ②に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 


通り魔事件・親殺し子殺し・引きこもり・子供部屋おじさん             メメントモリ ・生死の対話  

2019年06月11日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

 

*通り魔や殺人に関する私見です。グロい表現がありますご注意下さい。

長いとりとめのない話です。オッサンの青臭い昔語りや

スピルチュアルに関連した説教くさい話が苦手だったり、

科学的に根拠のない話に関心のない方もスルーでどうぞ。

メメントモリ 死を思え  

その為の生死の対話です。

 

 

事件にて亡くなられた被害者の方々に

謹んで哀悼の意を表します。

またご遺族の方々にお悔やみ申し上げます。

 

 

川崎の通り魔殺傷事件や農水省元事務次官の子息殺害事件など、

高年齢の『引きこもり』 最近のネットでは

『子供部屋おじさん』『こどおじ』などと呼ばれている年齢層の存在が

クローズアップされ、国家規模での社会的な対策が必要だと

TVや新聞で論じられている。

 

川崎の事件の犯人が自分は『引きこもり』ではないと否定したようだから、

本人としては、そのように言われた事が心外だったのだろう。

事件から日が経って捜査の進展から、

犯人が突発的にあの場所に行った訳ではなく

それなりに計画をして犯行に及んだ事が明らかになりつつある。

 

犯行から犯人の自殺までが数十秒という短さから

自殺をする事を犯人自身は心の片隅では犯行の前から

決意していたのではないかと

躊躇いのない致命傷の傷跡から推察できるように思う。

 

事件の直後の羽鳥モーニングショウに

中村カズノリさんという

通り魔になる事を決意した事があるという

カウセリングエンジニアの方が出演されご自身の体験を話されていた。

この方は仕事が原因で昼夜逆転の生活が続き睡眠障害になった事をきっかけに

普通に出社出来なくなり、人事関係者とのやり取りの中で

会社の人(人事担当者や、健康で普通に出勤している人)に対して殺意を抱いたと

生々しく語っていた。

 

中村さんは直接因果関係のない第三者に殺意を抱いた直後に

離婚の時に相談したカウセラーに話を聞いてもらって

心が落ち着いて通り魔を実行しないで済んだとの事であった。

 

中村さんの場合は仕事を原因として体調を崩して、体と心が追い詰められた結果として

殺意を抱いたので、川崎の事件の犯人や農水省元事務次官の子息のような

『引きこもり』や『子供部屋おじさん』ではないが、通り魔事件を決意する動機として

説得力のある生々しい証言であった。

 

今回の一連の事件を私自身の人生に照らし合わせてみて

まず思い出したのは39年前に発生した神奈川金属バット両親殺害事件

であった。

下記 wiki URL

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E9%87%91%E5%B1%9E%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%88%E4%B8%A1%E8%A6%AA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

 三年前の記事

『保育園落ちた。日本〇ね!!!』感情的な言葉が国民の意識全体に影響を与えた時代はすでに終わっている

の中で以下のように書いている。

 

私は両親を金属バットで殺害した犯人とタメ(同じ齢)だ。

 事件は1980年に起きたが私も当時彼と同じように浪人生であった。

それ故エリートの家族に生まれ受験に失敗し

父親のキャッシュカードを盗み酒を飲んで憂さを晴らすのを

父親に叱責された後の犯行に当時は共感し

殺されたご両親に対しては同情できなかった。

 当時の私は今の若者たちと同じで切れやすく激しやすかった。

それ故金属バットで両親を殺害した犯人の事を他人事とは思えなかった。

「何か一つボタンを掛け違えていたら、両親を彼のように殺していただろうか?」

という問いかけを当時自身にして、

「彼と同じように両親を殺した可能性があったな。」

とその時認めた。

                    引用終わり

 

また『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』の

第1章『満ち潮の光 Light of tidal 』の中で

ブログの『ヘブンリーブルー自己免疫疾患という経験』では明かさなかった

16歳の時の片頭痛の治ったきっかけについて以下のように書いた

 

高一の時私の人生の歯車を変える出来事が起こった。

それは柔道の授業での怪我を発端とした片頭痛であった。

当時色々検査したが、

はっきりとした原因を突き止める事は出来なかった。

検査を終え下された診断は自律神経失調症であった。

田舎の四十年前の事だからそれが当たり前だったのだろうが

治療らしい事はされず検査の連続で疲れ切り

私の片頭痛は改善するどころかどんどん酷くなっていった。

 

検査入院を終え二週間が経つ頃には私は床から起き上がれなくなり

しばらくすると、天井の隅から何かに呼びかけられているような

幻聴が聞こえ始めた。

そして頭痛のない時はそこをぼんやりと見つめるようになっていった。

 

それからは断片的な記憶しかなく

外界の全ての音がとても遠くから聞こえ

光のコントラストのない

灰色の世界を彷徨っているようであった。

 

両親は瞬く間に廃人のようになってしまった息子に

為すすべもないようであった。

 

夜間トイレに起きた時に

居間で両親が私を精神病院に入院させる事を

相談しているのを聞いた。

 

私は「親にも見捨てられるんだな」と思いはしたが

取り立てて感情が掻き立てられる事もなく

遠い世界の話のようだった。


私は「狂気の入り口に立っているようだ」

冷静に分析しているもう一人の自分が

「このままなら本物の虚無の世界に飲み込まれてしまうだろうな」

と呟くのを、傍観者のように聞いていた。

 

片頭痛が頭から体全体に響き

何もかもがぼやけて見え

時間は止まっているようだった。

 

そんな日々が続いていたある日の昼

横になっていると何か気配がして目が覚めた。

母が私の隣で

身じろぎもせず目を見開いたまま

天井を見つめていた。


長い沈黙が続き、母は静かに

 

「いっしょに死ぬか」

 

と言った。

 

母のただならぬ様子から

言葉どうりの

死が脳裏に浮かんだ。

息を吐く事ができず、胸が張り裂けそうだった。

 

流れていないと思えていた時間が、巨大な圧力で動き出すのを感じた。

吐息と共に堰をきったように涙がこぼれた。

 

涙は次から次へと溢れてきて止まらなかった。

そして目尻を流れて、耳の穴に何度も入った。

 

やがてうすぼんやりして灰色だった視界が

はっきりと輪郭を持ったものに変わった。

鮮やかな萌黄色のカーテンが目に入った。

 

「嫌だ」

 

という言葉が口から出た。

 

「生きたい」

 

と私は言った。母はそれを聞くと

 

「そうか」

 

と言ったきり黙っていた。

そしてしばらくすると

何も言わず布団から出て行った。

その日を境に、私は少しずつ正気を取り戻していった。

 

 成人してから当時を振り返った時、

私を虚無の世界から引き戻したのは

母の命を懸けたあの時の言葉だったと思うようになった。

 

それは

四六時中続く片頭痛によって

虚無に落ち消えかかっていた命の火を

再び燃え上がらせる引き金になったのだと。

 

片頭痛は

時間の経過と共にゆっくりと消えていった。

                     引用終わり

 

高校一年の秋に柔道の授業中に投げられた拍子に

相手の膝が丁度私の盆の窪あたりに入った。

気絶まではしなかったがその場で吐きそうになり

授業が終わった後に頭痛と共にトイレで吐いた。

愚かな私はやせ我慢をして、保健室さえ行かなかった。

 

その事があって二週間ぐらいしてから

立って居る事も座る事も出来ない激しい片頭痛が突然起きるようになり

検査入院後、さらに症状が悪化し一時期寝たきりになり、

それが元で私は不登校になった。

 

やがて前述の事がターニングポイントとなり、

なんら医学的な治療がないまま私の片頭痛は段々と治まっていった。

しかし、その事により私は高校一年を留年して

二回目の高校一年を体の不調と付き合いながら過ごした。

当時の私は完全に片頭痛が消えたわけでもなく、記憶の障害や鬱、睡眠障害など

色々と現在なら病名がつくような状態であったが、

原因がわからず結局自立神経失調症としか病名がつかなかった。

当時はそれは『さぼり病』と同義で

私は学校ではただの落ちこぼれであった。

二回目の一年生と違う色のスリッパを履いているのを見とがめられ

体育教師に部屋に呼び出され叱責された。

自分にしてみればどうでも良い事で怒られる事はあっても、

本当に必要な時に助けてくれる大人は親を含めて

誰もいなかった。

 

母は廃人同様になった私と心中しようとしてくれたが、

その愛情の激しさに感謝した一方で

自身の精神的な苦痛から、

子供にとって何が一番大切なのかを見誤り、『子殺し』を決意し

私の命を奪うおうとした理不尽さに対する怒りもまた

時が経つにつれ大きくなっていった。

 

正常な思考力のなかったあの時、

母に命を奪われていたかもしれなかった人生の終着点を想像して

死の淵を覗いたような寒気を伴う震えに怯えた。

 

父は仕事を理由に私を母に押しつけて、母を親子心中をする所まで追い込んでいた。

母の激しい性格から私が拒否しなければ間違いなく私を殺していただろうから

その時点で、教育者の要職にあった父は家庭はもちろん社会的な地位や名誉の全てを

失っていただろう。

それ故、当時の私にとって父は新興宗教の信者であった事も含め

説得力のない尊敬出来ない大人の代表であり

倒すべき古い権威主義の象徴でもあった。

 

私は二回目の高校一年を体調不良の中、自分なりに努力して学校に通った。

睡眠障害から逃れる為に夜中に親の目を盗んで酒をのんだり、

朝起きられない為に、週に一度は徹夜をして登校した。

授業中は寝ている事が多かったが、登校出来ない事による

苦痛やストレスよりはましであった。

当然そんな状況であったから、精神が不安定で

自分の現在の状況が物心つく前から

物差しで叩かれながら楽器の練習をさせられたり、

友達と別れて中学受験をさせられたりと

母に人生の選択権を奪われた結果だと

口汚く罵ったりした。

 

私が、金属バット事件の犯人や、事務次官の子息と唯一違った点は

親に強い憎しみを抱いても

暴力を振おうと思った事が一度もなかった事だろう。

ただその理由は今もよくわからない。

まだ怒りが沸点に到達していなかっただけかもしれないし

憎しみというよりは

嫌悪や軽蔑の感情が怒りに勝っていたからかもしれなかった。

 

ただ、そういったぬかるみの日々の中で精神の不安定さから

こみ上げてくる怒りの激情の矛先は

表面上の不登校な部分だけで判断する理不尽に見えた教師たちに向かい

何度か「いつか殺してやろう」と真っ黒な殺意を抱いた。

 

それは中二の時に『午後の曳航』を読み終わった後に自らの心の中に見いだした

『漆黒の闇』が、凝縮され着火した瞬間であった。

 

メラメラと燃え広がる炎によって血液は沸騰し、

憎しみによって胸から流れ出したものは、べったりとし黒いぬらぬらとした

固まる前の血の粘りを思わせ、理性を食らう魔の匂いがした。

 

当時ナイフを持って登校するかを熟考し

意を決して、何度かカバンに忍ばせた事があった。

 

もし日常のやり取りの中で

激情にかられる事が当該の教師たちとの間で起こったらと

殺人事件のニュースがある度に自身の中に生まれた殺意を見つめた。

 

私は子殺しの被害者であった農水省元事務次官の子息のように

父親が幼少から青年期にかけて家に不在で

教育熱心でスパルタな母親を持っていたという点で似たような立場にあった。

そして、高校の一年の事故をきっかけにして

金属バット事件の犯人のように両親を憎んでいた。

それ故、何んらかのきっかけがあれば激情の矛先は両親に向き

殺していたかもしれなかった。

 

また、高校の留年時代に持った教師に対する殺意は、原因(不可抗力の事故)とは

直接関係のない第三者が憎悪の対象となったという意味で

通り魔事件の殺意に似ているようにも思えた。

 

私は今でいう毒親に育てられた。でも私の世代の大半の親は

戦争経験のせいで教育熱心でスパルタが当たり前であり、

私の両親が特別という訳ではなかっただろう。

 

スパルタの代表ような親に育てられたであろう石原良純氏があんなに

おおらかなのは、父慎太郎氏が理不尽であってもちゃんと愛情を伝える事が

出来ていたからだろう。

 

私のような者にしてみれば、普通に学校に行く事は本当に難しかった。

それ故、平凡な人生と呼ばれるような

『当たり前の』ハードルの高さをいつも実感して生きてきた。

 

結局二回目の高校一年も授業にはついてゆけず、

二人目の担任から自主退学するよう言われ私は高校をやめた。

 

高校をやめてしばらくしてから

運命の力が働いている時はどんなにそれに逆らっても人間の力では

どうにもならない事があるのだと思うようになっていった。

自分の人生がたった一瞬の事故で全く変わってしまったから。

 

私は親と心中という形の子殺しの犠牲者。

または選択の自由を奪われた事への復讐としての親殺し。

直接原因と関わりのない人たちへの逆恨みの通り魔

になる可能性があった屈折した十代を生きた。

 

だが私のそうした紆余曲折だらけの十代を生きて歪んだ精神を

ゆっくりだが自然体に戻す事が出来たのは

物理的に人間関係を遮断し孤独になれた事と

そうならざるお得なかった原因となる死と対峙したからだった。

 

大検取得後、一浪した19歳の冬、私大の受験が始まる直前の一月末に

受験仲間が自殺をした。

様々な事があった十代の締めくくりは、彼の死であった。

 

彼が死ぬ三日前に、徹夜で彼と青臭い芸術論を語り合い、笑って別れた。

三日後の朝、電話が掛かってきて彼の自殺を知った。

彼の死は私をさらなる孤独に追いやった。

 

十代の半ば、自分は肉体的にも精神的にも死に近づき

その苦しみについて誰よりも理解しているつもりでいた。

だが、自殺する三日前の彼の苦しみを全く感知する事ができなかった。

その時の気持ちを

『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』の最期に書いた。

 

今も多くの人が

自ら命を絶つという選択をして人生に終止符を打っている。

私は若くして、

生きるか死ぬかの選択をする経験をした。

そして自分は死の淵から帰ってきたと思っていた。

だが、その経験から程なくして

芸術家を目指していた仲間が自殺した。

私は彼が自殺を選ぶ程悩んでいる事に

全く気づく事が出来なかった。

その時

自分の命懸けの経験が

彼の生きる助力に何もならなかった事実に打ちのめされた。

 

私は人に関わる事が怖くなり、部屋に閉じこもった。

芸術に対する情熱も失い、インターネットのないあの時代

現実から逃避する為にひたすら本を読んだ。

本を読んでいる間は現実を忘れる事が出来た。

 

人と全く会話のない孤独な時間の中で、ある小説家の作品との出会いが

私にもう一度、人を信じ、前に進む勇気を与えてくれた。

 

人は失敗したり、傷ついた時に休むのは生物として当たり前の健全な反応であるし

心と体が健全に回復しなければ、

この不条理で矛盾だらけの三次元世界を感情に流されず生きてゆくのは難しい。

 

働かず親に養われ『引きもり』や『子供部屋おじさん』

と呼ばれるまで年齢を重ねた人たちにも、それぞれ

一口では語れない人生の物語があるのは間違いなく

彼らが望んでそうなったのではないのは、想像できると思う。

それ故、その人たちを普通ではないと切り捨てる前に

誰もが人生の分岐点の道が違えばそのようになっていたかもしれないと

自分の人生を見つめ直すきっかけにして欲しい。

 

その人たちの全てを頭からまるで犯罪予備軍かのように

浮き足立つのはあまりに短絡的で独善的だと私は思う。

 

 よくインターネットが『引きもり』の人に悪影響を与えているような事を

マスコミで見聞きするが、

私は逆にネットこそがそのような人たちのガス抜きとして

負の感情のゴミ捨て場になり

犯罪を起こすよりも

圧倒的に自殺の予防や犯罪の抑止のセイフティーネットとして役立っていると思う。

 

インターネットの世界は実名でフェイスブックをしているようなリア充の人は別として

匿名性がコミュニケーションのハードルを下げているので

現実世界で傷ついた人たちが現実世界とは違う関係性を

築く事ができる安全弁となっていると私は思う。

 

何度も書いてきたが、この世界は感情を溜め込む事がより難しい世界に転換した。

激しい負の感情を持ち続ける事は身体、

精神両方の病気に直結し、負の感情を抑え込んで置く事は

理性で制御出来ない行動をより誘発する。

それ故、生活の為に働き、過度なストレスの中で生きてゆくのには

それらの負の感情をなるべく早く捨て去るスキルを持っていなくてはならない。

 

私は十代での経験の事を、今ではそれほど特別であったと思っていない。

受験生であった頃、裕福な医者の子供たちにかかる

壮絶なプレッシャーを目の当たりにした。

また貧乏の苦労をものともしていないパワフルな人もいた。

これまで、私より過酷な運命を懸命に前を向いて生きている人をたくさん見てきた。

 

確かに十代は自分の経験は特別で自分だけが何故こんな目に合うのだという問いに

心を苛まれる日々の連続であった。

だが、人生は同じ事は続かない。

悪い事があれば、必ず良い事もあるものなのだと

人との巡り会いによって

信じることが出来るようになっていった。

私は親に教えてもらえなかった『小さき愛』の見つけ方を

偶然手にした本や、巡り会った人々に教えてもらった。

 

人それぞれ別々の環境に生まれ育ち、

宿命と有無を言わせさず対峙させられている状況は

この三次元世界を生きる法則の重要な真理の一つだろう。

そこには不公平、不条理がまかり通っている。

でもその事から目をそらしていても、いずれは向き合わなければならない。

  

川崎の殺傷事件の犯人は、パソコンもスマホも携帯さえ

持っていず、部屋にはTVとゲーム機と雑誌があったと

わざわざニュースで流していた。

最初は彼がどのように生きてきたのかあまりにも情報が少なかったが

ここにきて、彼が職業訓練校卒業後に雀荘で働いていた事実が明らかになった。

また小さい頃に両親が離婚し、伯父の家に引き取られはしたが、

カリタスに通学していた伯父の兄弟とは違い、小中と公立に通い

区別をされ育てられような不幸な生い立ちのようであった。

 

もれ伝わって来る情報から、川崎殺傷事件の犯人が、深い愛情を

注がれずに育った事は容易に想像がつく。

彼もまた

 新幹線殺傷事件 不条理な現実の 至上の愛

の記事に書いたように

小さき愛の見つけ方を回りの大人たちに教えてもらう事が出来ず

心に深く届くような愛を

ついに受け取る事が出来なかった人生を歩んできたのだと思う。

 

先だって母を物忘れ外来に連れて行くために小田急線で小田原に向かっていた。

いつもの先頭車両に乗っていると、

私学に通学する小学生の女の子たちが乗ってきた。

高学年の子が低学年の子の引率をして、座席に座らせて

細やかな世話を焼いているのを観て思わず頬が緩んだ。

しかしその光景が川崎の殺傷事件と重なり

このような無防備な幼い女の子たちに躊躇いもなく切りつける事が出来る

心の冷血さを思うと、

私がかつて教師に抱いた殺意と同じとは思えず、

はるかに暗く救いようのない憎悪であるように思えた。

 

誰もが光りに向かって歩いてゆきたいと願っていると私は信じたい。

 

農水省元事務次官の子を殺した父親は

息子が出展したコミックマーケット(世界最大の同人誌即売会)で

売り子を手伝っていたという記事があった。

官僚の頂点に立った人が、暴力をふるっていた中年の息子の手伝いをし

関係を持つ努力をしていた事がわかったのは救いではあった。

 

犯行の直前に小学校の騒音の事で口論になり

子息が子供を標的にする旨の言葉を発し、川崎殺傷事件の事が思い浮かび

父親は殺害を決意したようだとマスコミの記事は伝えている。

 

私はこの事件の父親の心情を子供を持つ一人の父親として推察する事は出来る。

だが、だからと言って、

一方的に刺し殺す事で父親としての責任を果たしたとは思わない。

子息の命を奪う前に、言葉ではなく自身の命を掛けて説得をして欲しかった。

それはどういう事かと言えば、

息子の目の前で自ら死んであげる事

「死をもって諫める」であったように私は思う。

 

 この子息は普通の子供に比べ学業も出来、このような超エリートの父親や

教育ママの元で育てられなければ、そんなに曲がらずに育ったかもしれない。

精神的な病名がいろいろな記事に上がってはいるが、心の病のほとんどの原因は

ストレスである事を考えると、それらが彼がこのような人生を歩んだ主な原因と

捉える事に私は同意出来ない。

 

やはり、彼に両親の愛が届かなかった。または愛と呼べるものを与えなかった結果として

母親に暴力を振るうように育ったのだと。

 

亡くなられた子息が両親の事をどう思っていたのか、もうわからない。

似たような立場にあった私が殺された息子さんの変わりにこの父親に言う言葉があるとしたら

 

「お父さん。悪い息子でごめんね。 一人で死ぬのは寂しいよ。」

 

と事切れる前に伝えたいと思う。

 

殺人事件の半分以上が親族間だというデータがあると

TVの出演者が言っていた。

 

親子や家族とういうのは、よほどの決意がない限り縁を切る事は出来ない。

その宿命から逃げようとしても逃げる事が出来ないのが大半の現実だろう。

 

私は、8050問題や「引きこもり」『子供部屋おじさん」の問題に

行政が対策を打つ事に賛成はする。

行政が介入し両者を強制的に別離させ生活が立ちゆくように出来れば

表面上は問題はなくなってゆくだろうから。

だがそれによって根本的な事が解決するとはこれぽっちも思っていない。

所詮、このような問題が起きているのは8050の両者の宿命によってであって

避けては通れない通過儀礼

(精神や魂の向上の為に乗り越えなければならない関門)なのだから。

 

人生、問題を先送りしたり逃げてばかりいても

必ずその魂の命題に直面する。

それがいつかは人それぞれ違うだろうが、

8050の世代はそれが世代の共通した魂の通過儀礼(イニシエーション)であり、

その波は日本全体に大きく影響を与え

社会の構造を変えるきっかけとなってゆくように思う。

 

死は予定どうりに訪れてくれるとは限らない。

この命には限りがあるのだという

当たり前のことを忘れないで生きてゆくのは難しい。

「メメントモリ 死を思え」

他者の死を自分のものとして、生を日々大切に生きる。

 

命は儚くもろい。だが死によってさえ消し去る事が出来ないものがあると

見つける事が出来れば、人は死を超克し

Pietà(ピエタ)を超えて生きてゆけると私は信じている。

 

どのように死んだ人の魂は救われるのか、

どのように生きている人の悲しみは癒やされるのか

どのように無力感に苛まれる日々から抜け出せるのか

どのように人を信じて生きれば良いのか

 

答えはすぐには見つからない。

だがその問いを発し、心の底から向きあわなければ

一人一人それぞれの納得のゆく答えは見つからないだろう。

 

だが、そうして直向きに問いに向き合い、

答えを見つけようと彷徨う旅こそが

生きる醍醐味なのだと、

今なら十代の私に向かって言える気がする。

 

メメントモリ 死を思え

そして 懸命に生きよと

 

 

 

*過去の殺人事件や死に関連した記事を記しておきます。

表現が過激なものが多いので読まれる方は注意してお読み下さい。

新幹線殺傷事件 不条理な現実の 至上の愛

『海辺のカフカ』 と 蛭子さん  と  愛の枠外へ向かう魂へのモノローグ   

冷血   闇が生むもの. 

サクリファイス   (犠牲)

『午後の曳航』

 

Pietà ピエタ を  超えて 

 

 

 『フライウェイ』について知りたい方は

フライウェイのレッスンについて および                     故・クレイグ・ケイコ氏による『フライウェイ講習会』の映像 

の記事をまずはお読み下さい。

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フライウェイのレッスンについて および                     故・クレイグ・ケイコ氏による『フライウェイ講習会』の映像 

2019年05月08日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死
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 *『フライウェイ』の宣伝記事です。ご興味のない方はスルーでお願いします。


 『フライウェイ』は『生昇会』という宗教法人がレッスンしています。

ホームページ http://www.flyway.jp/about/

 

宗教は神話の時代から、長い歴史に残してきた膨大な量の負の爪痕があります、

そして今現在も宗教を名乗るテロや霊感商法などによって

偏見や誤解を生み続けています。

また私自身が、新興宗教の家に生まれ育った事の弊害を認めていますから

『フライウェイ』を紹介しようと思い立った時に

『フライウェイ』もまた同じように偏見の目で見られる事は覚悟していたので

最初は*****と伏字にしました。

 

しかし自身の自己免疫疾患がフライウェイによって治癒した事実は動かしようがなく

インチキとか詐欺まがいと言われる事があったとしても

情報を開示して伝えるべきだと拙い文章を綴ってゆくうちに思うようになりました。

 それに伴って去年の5月3日の記事

『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験においての*****の開示

において

フライウェイの創始者が故クレイグ・ケイコ氏であること

レッスンブックが『スーパーナチュラルの法則』である事を開示しました。

ですが、この記事では

『フライウェイ』のレッスンを宗教法人の『生昇会』が行っていることは

開示しませんでした。

興味を持たれた方がご自身で

『フライウェイ』や『スーパーナチュラルの法則』

『クレイグ・ケイコ』というキーワードを使って検索し『生昇会』のホームページを

見つけてもらえればと思っておりました。

 

この度電子書籍発売時に、『生昇会』のホームページのリンクを巻末に載せたので

これを機会に直接ブログにもリンクを貼る事にします。

 

自身の感情や心と向き合う方法は数多く有り、

別に現代は宗教に頼る必要はないのかもしれません。

合理的で、科学的な方法で自己の意識と深く対峙できる方法があるのなら

その方がより説得力があり安全だろうと思います。

(名著の読書や哲学、音楽や絵画などの芸術

武道やスポーツなどはそれにあたるかもしれません。)

 

だからと言って、宗教的なものが全く力を失ってしまったわけではない事は

最近のパワースポット巡りや、神社フィーバーをみても実感できます。

 

それを御利益信仰の真の宗教心からは程遠いと切って捨ててしまうのは

やはり、狭量な原理主義者と同じになってしまうと思います。

人は楽をしたいし弱いものです。

確かに

『ヘブンリー ブルー』 番外編  「壺を売る」「壺を買う」 神への対価 

の中で書いた蛭子能収さんみたいたな、

宗教なんかに頼らないアイディンティティをお持ちの方や

堀江貴文さんみたいに合理的な思考で人生や物事を割り切って生きてゆける方も

いるとは思いますが、

自身の感情を持て余し、制御できず『感情の嵐』に飲み込まれてしまう人々がいる事もまた

身近ならインターネット上の炎上や子供のいじめ、

仕事場や家庭でのハラスメント、DVなどで、

世界に目を向ければの人種、民族、性別

LGBT、思想、宗教などの争いや紛争の多様化や細分化によって示されていると思います。

 

『フライウェイ』を学ぶと、何故今そのような事がより表面化しやすくなってきているのか、

人類はどのような方向に向かっているのかの客観的な理解を進めてくれる手助けとなります。

またこれからの時代は自身の感情を肉体に溜め込む事は

短い時間での病気の発症につながります。

それ故、今までの時代のように怒りや憎しみを溜め込む事でパワーを得る事は難しくなり

その負の影響である肉体の変調の方がより顕著に現れるようになってゆくでしょう。

しかし『フライウェイ』を正確に学ぶと

その負の感情をプラズマ化し消し去ってゆく事が出来るようになってゆきます。

 

 甘い話ばかりではなく、リアルな話を書きます

『生昇会』のホームページを見て頂ければ書いてありますが

『フライウェイ』のレッスン料は50万円(前納)と高額ですし、

エネルギーの通りをよくする為のロゴや年会費を加えると初年度は70万近くなります。

レッスン修了後は毎年、6万5千円程です。

これを普通の宗教のお布施、献金に比べて高いと思うかどうかは

個人の経済感覚と宗教やスピリチュアルの世界の経験によると思います。

私は十分高いと思います。世間の常識からしても高いでしょう。

まして若者であったならなおさらでしょう。

 

ですが私の知る一般的なお寺の戒名の相場が

居士や大姉で70万から100万という事実や

キリスト教の献金が信仰の基本というスタンスを考慮すると

特別高額ではなく宗教やスピリチュアルの世界では普通の範囲内と言えるとは思います。

一方でこの金額だけに注目すれば、

霊感商法や、カルト宗教を連想させるのに十分な金額だと言えるかもしれません。

若い人がネットでよく書き込む『宗教はクソ』の理由に十分なると思います。

 

この金額はクレイグ・ケイコ氏が『フライウェイ』のレッスンを開始するにあたり

神との対話で決めた金額とおっしゃています。

つまりは、このよう科学的な根拠をあげる事ができない神のエネルギー、

意識の次元越えのレッスンをするのには

する側も、受ける側も

世間の常識からの非難を打ち破るそれ相応の覚悟が必要だという事です。

 

『生昇会』はその方がご自身で深く納得するまでは

『フライウェイ』のレッスンを始めません。

レッスン料が高額である事に加え

事前に出来る限り、『フライウェイ』について学ばれて、納得してレッスンを受けなければ

成果を得る事は難しいからです。

 

『守護神』の為のレッスンという事にあぐらをかいて

『フライウェイ』そのものを深く勉強する姿勢がなければ、約束された成果を得ることは

到底できません。

その事は私自身が『守護神』と結ばれてから二十年以上、

実感を得られなかった事実からハッキリと言うことが出来ます。

 

天国の門まで連れて行ってもらうことは誰でも出来るのです。

しかしその天国の本質を実感として納得できるようになるには、

結局は人間の熱意ある真摯な学習が必要です。

それが肉体という物質を持つ人間が

意識を客観的に認識するのには必要な重要な鍵の一つなのです。

 

また

『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』や

『ヘブンリーブルー自己免疫疾患という経験』の記事をお読みの方は

ご存知でしょうが、私はフライウェイの再レッスン後

排泄が自己免疫疾患となってあらわれましたが

フライウェイの継続によって消え去ってゆきました。

 

そしてそれと同じくして、

何十年という間宗教やスピリチュアルの世界を彷徨いながらも消えなかった

私の心の中の飢えや渇きが無くなってしまいました。

この事はこれからフライウェイを学びたいと思われる方には

一つの判断材料になると思います。

善悪ではなく、現象の読み解き方によって

人生は真っ暗にもバラ色にもなるものなのです。

 

 

太古から人間が行ってきたとされえる神々との交流が

実在した事実であったとしたなら、それはどのようなものであったかを

故クレイグ・ケイコ氏は繰り返し説明をされていました。

 

講習会の映像の内容は宗教やスピリチュアルな世界に興味がない方には

一笑に付すようなフィクションの小説や漫画、

またはカルト宗教のように思えるかもしれません。

私のように宗教の耐性があったものにも中々衝撃的でしたから。

 

しかし、二十年以上の時が経ち、

自身が一応フライウェイの事をある程度理解した立場になってみると、

社会の変化や人々の変化を通じて、クレイグ・ケイコ氏が言ってきた事が実現している事実に

驚きを禁じ得ません。

 

今回映像を貼った理由ですが

講習会の内容はもちろんですが、クレイグ・ケイコ氏という

飾り気のない普通のおばさんにしか見えない方が

その人生をかけて目に見えない神の法則が実在する事を証明しようとした事実の一端を

皆さんに知ってもらいたかったというのが、もう一つの動機です。

 

『令和』と改元され日本もいよいよ『ラルロの嵐』の正念場を迎えます。

これは人類が皆平等に制御がむつかしい感情エネルギーと

向き合わざるおえない事をあらわしています。

 

私は『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』を

『フライウェイ』の存在をもっと知ってもらう為に書きました。

 

宗教やスピリチュアルな事を信じない、または嫌悪感を抱いている人には

オウム真理教やカルト宗教のように、危険な思想や詐欺まがいな事を

オブラートに包んで勧誘しているように見えるかもしれません。

 そのように見られる事を覚悟の上で、

この混迷の時代の未来を読み解く手段の一つとして、

世間的な常識ではおし量る事は出来ないが、

四半世紀にわたり自身が見続け、彷徨った精神世界やスピリチュアルの世界の中で

実感と納得を得る事が出来た『フライウェイ』を

一人でも多くの人に知ってもらたいと思ったのです。

そしてそれを確信に至らせたのは、

三年前自己免疫疾患、膠原病と呼ばれる病に苦しんだ経験によってでした。

 

私は、このブログを読まれた方が『フライウェイ』の存在を知り

実際に『フライウェイ』のレッスンを受けなくても

その概念や考え方を知る事で、世の中を見る視点が少しでも変わって

現実の世界と向き合う時にこういう方法もあるのだと

情報の一つとして頭の片隅に覚えておいてもらえれば良いのです。

 

目に見える世界だけで、世界が成り立っているわけでないという可能性を

少し普段の思考の中に選択肢として加えるだけで、

随分と頭が楽になり、人生の視野が広がるものだという事を

知っておいてもらいたいのです。

 

映像とはいえクレイグ・ケイコ氏が『フライウェイ』について

自ら語っている記録ですから、その雰囲気や人柄、『フライウェイ』を知る上で

これ以上リアルな資料はないと思います。

『生昇会』のチャンネルには、他にも多数の映像が上がっていたのですが、

今はプライバシー保護から一般公開しているのはこの映像のみです。

それらの問題が処理できた順から他の映像も公開されると思います。

 

講演の内容はフライウェイのレッスンをまだ受けていない方むけの

内容のとなっています。

記録用の映像なので、プリンターの機械音や手ぶれもありますが

ご覧頂けたらうれしいです。

 

 

*『フライウェイ』のレッスンについてのお問い合わせは

  お返事に多少お時間が掛かるかもしれませんが

 『生昇会』のhPからなさって下さい。

  宜しくお願いいたします。

 

 

   令和元年    2019年  5月  8日

 

                         ミナモト ゲン

 

 

 フライウェイ講習会 フライウェイ 4 ① 1998年9月26日

フライウェイ講習会 フライウェイ 4 ② 1998年9月26日

ライウェイ講習会 フライウェイ 4 ③ 1998年9月26日

フライウェイ講習会 フライウェイ 4 ④ 1998年9月26日

                      


『フライウェイ』は炎上や衝突を起こす、個々の人間の『感情の嵐』を消し去ってゆく

2019年04月17日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

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守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ: 人生・家族・スピリチュアル 運命を信じた男の病の果て
源 現 ミナモト ゲン
Kindle 価格 99円      Kindle Unlimited 30日間 無料読み放題対象

 

今世紀の前半2050年頃までは世界中で『感情の嵐』が吹き荒れ

民族、宗教、国家、性、LGBT、貧富、などの

感情対立を原因とした紛争が地球を覆うだろう。

 

フランスではイエローベストデモが収束せず、

イギリスは国民投票で決めたEU離脱によって国内は混乱し経済も傾いている。

中国はいよいよ、経済がマイナス局面に入った事を3月全人代で指導部が認め

不況に備えるようにやんわりと国民に告げながら

ウイグル人を100万人単位で収容所に入れ

時代錯誤も甚だしい人権蹂躙を行っている。

中国は共産党というのは名ばかりで

ただの征服欲に突き動かされている漢民族の帝国に過ぎない。

 

朝鮮半島情勢はここ一年で劇的に和平が進むと思われたが、結局元のもくあみどころか

北朝鮮、韓国両政権ともに退路が無い状態に追い込まれてしまっている。

金正恩の政治的立場は一年前よりもさらに弱まっている。

彼はこのままでは瀬戸際外交に戻る可能性が高い。

しかしそこに出口がないのは自明の理だ。

 

先週、韓国の文大統領とトランプ大統領の会談が実質二分で終わった事が報じられていたが、

文大統領は南北統一をもくろんだ景気回復どころか

国内の不況を目に見える形で改善出来なければ

ロウソクデモで政権を奪取したその付けを自らが払う事に直面するだろう。

東アジアの動乱はいつ起きてもおかしくない状態だと心のどこかに留め置いた方が良いだろう。

そして中東もインドとパキスタンもヨーロッパとロシアも

何がきっかけで紛争が始まるか予断はできない。

 

この流れは止めようがない。

エネルギーの流れの転換は個の発言力を増大させ

それは、ひいては国家が強いイニシアチブ取る事が難しくなってゆく事を示唆してゆく

イギリスやフランス、ヨーロッパなど民主主義が進んだ合議制の国家ほど

混迷し益々力を失ってゆく。

ロシアも今はまだプーチン大統領が権力を掌握できているが、

時代の力は一人の独裁者を許さない力が常に働き続けるので

その権力はこれから間違いなく衰退しロシア内部も混迷してゆくだろう。

 

この事は人類全体の意識の変化が直接的な原因になっているからで

人間は自分の感情を抑制し制御することが前世紀より難しくなってしまっている。

だからと言って犯罪が増えているかと言えば、日本を例にすれば犯罪は減り続けている。

 

犯罪数と貧困のレベルはほぼ比例する。

自殺者の数は不景気の時に増え、好景気の時は減る。

だが日本の現状は十歳から十四歳の死因のトップが自殺になったと

先月ニュースになっていた。

この事実は何を示唆しているのだろう。

 

最近『ファクトフルネス』というベストセラーを読んだ。

(読んでいない方は、本の内容の言及があります。ご注意ください。)

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
上杉 周作,関 美和
日経BP社

ハンス・ロスリングという長年国境なき医師団やユニセフなどで公衆衛生に携わってこられたお医者さんが

統計数字を元に世界を捉え直し人類がすり込まれている本能に気づき自己点検を忘れない事で

世界をポジティブに捉え直すというユニークな本だ。

詳細はネタバレになるのでここでは書かない。

 

本を読んで感じた事は私のように感情に振り回される人間にとって

統計数字による説得力のある事実は、

人類が進む方向が間違っていないのだという自信と希望をもらえたということだ。

前述の十代から十四歳の死因のトップが自殺というニュースも

この本を読んだ後は、その数字の回りにある数字を自身で調べる事によって

センセーショナルな見出しの回りにある多くの事実や数字を含めて捉え直さなければ

もっと大きな客観的な事実を見誤ってしまうと思えるようになった。

 

このような本が今現在ベストセラーになっている事実は

確実に人類の意識が感情と向き合う準備が出来きつつある一つの証だろう。

 

インターネットは世界中の人々の感情のはけ口になっており

そのエネルギーは念となり人々を突き動かす原動力になっている。

世界の人々の感情の伝達速度は飛躍的に高くなり

あっという間にローカルなら炎上に規模が大きくなれば紛争になってゆく。

 

『感情の嵐』とは規模が大きくなれば紛争から戦争に突き進む可能性がある。

だが、人間が一人一人が自身の感情をコントロールする術を身につける事が出来れば

伝染病が収束するように自然と消え去ってゆくものでもある。

 

私がフライウェイを修得して何が助かっているかというと

自身の負の感情を家族や知人、またインターネットなどの三次元世界に

直接ぶつける事を努力などせずにある程度制御できるようになった事だ。

フライウェイをすれば、段々と肉体と意識が別のものだという感覚が身につき

意識が次元の壁を越え縦に昇ってゆくと自分の胸や頭の中にあった

とぐろを巻いていたような感情がプラズマ化されバラバラになって

気がつくと消えてしまうという事が起こる。

それは、日々の生活に追われ、感情をストレスとしてため込む現代において

心や体の病の原因を消す術を持っているのに等しく

人生を生きるのに心強い味方である事は言うまでもない。

 

心の渇きや負の感情の渦を他者を攻撃する事で発散させる行為は

結局そのマイナスのエネルギーを増殖させ、

なお一層自身でコントロールする事を難しくしてしまう。

 

フライウェイは

自己の意識と客観的に向き合う事と

その意識を『究極の一点』主極に正確に合わせる習慣を忘れない事で

個々の人間の『感情の嵐』を消し去ってゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 *参考に以前意識について書いた記事を貼り付けておきます。

今世紀  自我の意識構造の科学的な解明が、宗教やイデオロギーの呪縛からの開放を加速させる。

 

 

 

 

 

 

 


『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』Amazon Kindle電子書籍版 発売

2019年04月10日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死
守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ: 人生・家族・スピリチュアル 運命を信じた男の病の果て
源 現  ミナモト ゲン
Kindle 価格 280円      Kindle Unlimited 30日間 無料読み放題対象

 

 

ブログ再開のオオカミ少年ならぬオオカミオヤジを繰り返していましたら、

平成最後の月になってしまいました。

 

さすがに何もしないで、しれっとブログを再開するのもカッコがつかないので

去年お約束した自著の電子書籍版の完成を手土産として戻ってまいりました。

 

私も長らく勘違いをしていたのですが、Amazon Kindleは別にKindle端末を持っていなくても

無料のPCソフトや無料のスーマートフォンアプリをダウンロードすれば

PCやスマホで読めるのですね。

ですので、ご興味がある方はこの機会にお読み頂けたらと思っています。

自分で試した感じではスマホで読むのがPCより読みやすかったです。

 

今回Kindle Unlimited に加入すれば30日間は無料でお読み頂けます。

しかし30日経つと読めなくなるのはもちろんの事、

Kindle Unlimitedを30日の前に解約し忘れると

980円引き落とされてしまいますから、十分ご注意下さい。

またKindle Unlimitedに加入しなくても、280円で購入して頂けたら

30日過ぎてもkindleの本棚から消える事はありません。

 

元々昨年の七月中に出版の予定でしたが、ご報告した突然の出来事により

ブログどころではなくなってしまい去年いっぱいはその処理に追われる年となりました。

また年明け後も年度末の最後の処理に手一杯となり、電子書籍の出版に向けての作業に

取りかかれたのは、三月の半ば過ぎからとなりました。

この度、色々ありましたが、ようやく電子書籍として発売でき安堵しております。

 

今度こそブログを本格的に再開しようと思います。

これを機会にスピリチュアル好きの方はもちろん

ノーマルの方や冷やかし半分の方にも

読みやすいものに出来ればと思っております

肩の力を抜いてまたお付き合い頂けたら幸いです。

  

                     2019 4  10

 

                            

                              ミナモト  ゲン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


お詫び 『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』 電子書籍発売延期

2018年08月12日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

 

 

守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ - 人生・家族・スピリチュアル 

運命を信じた男の病の果て (MyISBN - デザインエッグ社)

 源 現 (著)   デザインエッグ社
 

 

今回 想像だにしなかった事に突然巻き込まれ、生活が激変してしまいました。

突然の運命の変遷に驚きつつ今は楽しんでおります。

 

お約束していた自著の電子書籍化がそれ故に遅れる事になりました。

ブログはおろかパソコンを開くのも約一ヶ月ぶりなので、

お待ち頂いている方がいらっしゃるかもと思い

発売延期をお知らせします。発売は年内にはなんとかしたいと思っております。

お許しください。

 

 このブログの再開もこの記事の後は一ヶ月か二ヶ月ほどまた先になると思われます。

皆様猛暑の夏、体調にお気をつけてお過ごしくださいませ。

 

                           ブログ主

  

 

 

 

 

 


 新幹線殺傷事件 不条理な現実の 至上の愛

2018年06月18日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

*殺人事件にまつわる話なので、健全な方、気分を悪くしたくない方は読まれないように。

 

ご遺族のお気持ちを考えると

死者に対する論評は不謹慎で無神経だと非難される事は承知した上で

私の生と死を含めて人間の人生だという信条を元に書かせて頂いた。

お許し願いたい。

 

六月九日に新幹線内で起きた

暴漢から身を挺して女性を守った勇気ある男性の死は

人間の運命の苛烈さが

長い人生という時間の中の刹那な時間に凝縮されてている事を

強烈に示していた。

 

勇敢な男性の残酷な死を持っての人生の最後は

この世の不条理を生きねばならない

人間の宿命を象徴しているように私には思える。

 

犠牲になられた男性のご家族にしてみれば、

到底受け入れる事が出来ない運命を呪いたくなるような出来事だろう。

 

私は二ヶ月に一度実家の母を病院に連れてゆく為に新幹線に乗るのだが

いつも、あの事件で『のぞみ』が緊急停車した小田原駅を利用していて、

一昨日も事件直後という事でまだホームにも多くの警察官がいた。

 

日帰りをしたのだが、やはり事件の事が思い出され

たまたま乗り合わせた隣の男性が、席に座る時にいつになく視線が合って

なんとなくお互いを確かめる空気が流れた。

 

私にも二十年以上前になるが

電車内で絡まれている女性を助けようとして暴行を受けた経験がある。

 

それは正月気分がまだ残っている日の深夜零時に近い電車の

車両に人があまり乗っていない状況で

一人で座っていた女性にヤンキー風の若者(中学生から高校生くらい)が近づいて絡んでいた。

彼らは三人組で、一人は女性の隣に座って口説き、もう一人は

向かいの座席でその様子をヘラヘラ見ていた

そして、もう一人は少し離れて、他の乗客の様子を伺っていた。

 

その様子を見ていて、たまたま正月でいつもは飲まない酒の入っていた私は

気がついたら、女性に絡んでいた若者の襟首をつかんで投げ飛ばしていた。

そう、投げた私もびっくりしたが、投げられた方も相当驚いた様子で

しどろもどろになって電車の床に這いつくばう姿勢のまま

『俺は何もしてない』みたいな事を言った。

 

私は女性に何かされていないかを尋ねたのだが、

その時その女性は『何もされていない。』と小声ではあるが、

私と彼らにも聞こえるように言った。

後になってその女性が怖くてそう言わざる終えなかったのだと理解できたが

そう言われてしまうと不思議なもので、後は手を出す事ができずに

電車が駅に着くまでとホームに降りた後も

私は三人に抵抗出来ずにボコられた。

 

幸い彼らはナイフなどは持ってなく、素手や蹴りだけであったから

思いの他ダメージはなかった。

 

私が殴られたり、蹴られたりする様子を多くの人が見ていたが

都会の常で誰も割って入る事などせず、ホームにいた駅員さえ近寄っては来なかった。

 

私は殴られている間に女性が駆けて逃げたのを確認してから

『ごめんなさい』などと口にしながらホームから改札に向かった。

彼らは私を小突くようにしながらも、体の自由は奪わなかったので

私は隙をみて脱兎のように走って逃げた。

 

すると、改札口で絡まれていた女性と中年の女性二人が駅員に

私の事を話している様子が遠くに見えた。

私は改札口に大勢の人がいて駅前には交番もある事から

彼女はもう大丈夫だと踏んでその改札の脇を何も言わずに走り抜けた。

後ろからヤンキー三人の罵声が聞こえたが逃げるが勝ちと思って

家路を一目散に振り返りもせずに走って帰った。

 

『なんともカッコの悪い顛末だな』と思い

風呂に入ると足がガタガタと震えた。

 

当時の私は子供がまだ小さかったから、

もしあの時怖いもの知らずの年齢の彼らがナイフなど持っていて

最悪命を落とすような怪我をしたら

その後の妻と子供たちの人生は全く違うものになったかもしれないと

その事があって以後、けんかを見かける度に思い出すようになった。

 

そして人生なんて運に左右され、一瞬の行動でどう転ぶかわからないし、

生きている中で自分の行動の全てをコントロールすることなど

出来やしないのだと改めて思うようになった。

 

事実として今言える事は私が成人してから殴り合いをしたのは

(私は殴っていないで投げただけだから 殴られかな。)

その時の一度だけでそれ以降この歳になるまでそのような場面に出くわした事はない。

その事から、新幹線で犠牲になった男性がそのような場面に遭遇する確率は

私の場合よりもっと低かったであろうと推測できる。

 

あの時の事を思い出す時

電車内で女性が絡まれているのを座って見ているところまでは記憶があるのだが

次の記憶はもうヤンキーの男を投げた後であった。

若い頃の私はすぐにカッとなるタイプであったし

普段飲まない酒も飲んでいたのも理由だろうが

とっさの行動には理性や計算は働かなかった。

だがそれは勇気というものとは違うと当時思ったが、今もその通りだと思える。

 

新幹線で犠牲になられた男性と私との違いは

刃物を振り回して女性を襲っている相手に向かっていったのであり、

そこにはやはり大きな決断を必要とする勇気があったと思う。

彼は暴漢に立ち向かい、女性を助け自らの命を失った。

多分彼が助けなければ、その女性は命を落とした可能性が大きかっただろう。

 

何十億といる人間の中で

他者の為に自らの命をただ純粋に差し出せる人生を生き切る事ができる人は

本当にごくわずかであろう。

その事は、身近な人にはこの世の究極の悲しみに感じられるだろうが

人として生まれて示すことができる

至上の愛の発露である事もまた間違いない事実だと私は思う。

 

自暴自棄になり人を殺す事に思い至る若者の命と

他者の命を守る為に自分の命を差し出す男性の命の釣り合いを

現世の枠組みの中で考え結論を出す事は難しい。

 

『人はパンのみに生きるにあらず。』

 

人生に生きる歓びを見いだす事が出来ない人生は

刑罰を受けているのに等しく感じるものだろう。

誰でもよかったと言って、女性を襲い、身を挺して守ろうとした男性を

執拗に傷つけた青年の心の闇は、世間の人には中々理解できないものだろう。

しかしその闇もまた突然生まれたのではなく

彼が生きた22年間

心に深く届くような愛を

ついに受け取る事ができなかった事によって育まれたのだと認めなければ

人間が何よってより良く生きたいと願うのかを、見誤ってしまうだろう。

 

人は愛がなければ生きてゆけない。

人生の多くの不幸は

小さな愛の見いだした方に気づかない事が原因にあるように私は思う。

そしてそれは教えてもらわなければ、中々一人だけで覚える事が出来ない。

 

大きな不幸が起こるのは、その小さな愛の見出し方を親や身近な家族から

教えてもらえずに年齢だけが大人になってしまう事が原因で有ることが

多々あると思う。

 

今の日本の社会に一番必要な事は、

GDP維持の為の社会資本としての人材を育てる為の教育ではなく

人間がより良く生きてゆく為には欠く事が出来ない

身の周りの『小さな愛』を見いだす方法を

物心つく幼児から高校生くらいの長い時間をかけて

家族だけでなく、学校や社会全体で繰り返し教えてゆく事を

教育の最優先課題にしてゆく事だと私は思う。

 

犠牲となられた男性の行動は

我々に人間の精神の気高さを目に見える形で示してくれた。

それはきっとこの男性が人生で『小さな愛』を数限りなく見いだしてきた故に

自然とたどりついた結果だったのだろう。

 

男性の出身校はキリスト教系でその教えは

『men for others』(他者のために)であったという。


男性がこの三十八年という時間を経て、

この苛烈な運命の刹那に向き合う宿命であったと思えてしまう私の考えは

残されたご家族にしてみれば、非情と思えるかもしれない。

しかし、男性ほどの気高き心を持っていたからこそ

『神は選ばれた』のだと私には思えてならない。


男性の死は痛ましい。だがそれは

市井の人がなした、イエスの十字架と同じ意味を持つ

至上の愛をしめすサクリファイスとして、

深く愛を知ろうとする人々の心に残り続けるだろう。

 

 

 

 梅田耕太郎 さん

もし私があなたと同じような立場になった時は

あなたと同じような行動が迷いなくとれるように

小さき愛を見いだす事を忘れず生きてゆこうと思います。  

安らかな旅立を心よりお祈り申しあげます。

 

                       源 現

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


電子書籍

2018年06月16日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ - 人生・家族・スピリチュアル 

運命を信じた男の病の果て (MyISBN - デザインエッグ社)

 源 現  著
デザインエッグ社

 自著 AD

 

ここのところ上記の自著の電子書籍化の作業をしている。

気軽に読んでもらうには
最初から電子書籍で発売すればよかったのだろうが
なにしろ紙の本に思い入れがある年齢なので
どうしても最初の本は紙で出版したかった。

 

幸い昔のように自費出版に数十~数百万かかる時代ではなく
∞booksのように実質無料で紙の本が出せるサービスもある。

 

私は同じ会社が運営しているmyISBNという
この手の出版の先駆けとなったサービスを利用させてもらったが
4.980円プラス消費税で国際標準図書番号のISBNが付与されて
アマゾンで売れるというのは
一昔前の事を思えば夢のような話だ。

 

もちろん今ではアマゾンでもアマゾン限定で紙の本を売るなら
無料のサービスがあるし、5.000円支払えばISBNを発行してもらえる。

私のように個人で出版する人を『個人作家』 と呼ぶらしいのだが、
気軽にできるブログやtwitter などのSNSを含め
まさに国民総作家化、と言ってもよい時代になった。

 

この間ネットで漫画コミックの売り上げが
電子版の売り上げが紙を超えたとニュースになっていた。
もう、漫画、コミックもスマホやタブレットで読む時代になり
電話帳みたいな漫画本は消えてゆく運命なのだろう。

しかし、だからと言って紙の本や漫画コミックがなくなってしまうとは
私には思えない。

やはり紙の本を手にしてページをめくりながら作品を読むのは
デバイスに指を滑らせて読む事では得られないものがあるように思う。

 

具体的なデータソースは貼れないが、
電子書籍と紙の本では記憶の定着率に明らかに差が生じ、
電子書籍で読んだ場合、紙で読んだ場合に比べるとストーリーやプロットの
記憶の正確さが明らかに落ちると複数の報告がなされている。

 

確かに自身の経験でもネットの記事を読んだ記憶と、本で読んだ記憶は
明らかに差があるように感じる。

特に、ストーリーや主人公に引き込まれて感情的な体験をしたい場合は
紙の本の方がより深い体験と記憶が出来るのではと私は思う。
それ故、ただの情報を受け取る体験としてではなく、
心の深い部分に届く事を目的として書いた
『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』という作品は
なるべく紙で最初は読んでもらいたかったというのが
偽りのない著者としての気持ちだ。

 

だがやはり紙の本は個人が出すと今はまだ価格が高い
それ故少しでも多くの人に気軽によんでもらいたい場合は
中古本のない場合は、電子書籍は丁度よい選択肢になる。
私のようなごく限られた人しか対象にならないような本は
気軽に手に取ってもらう手段としも

情報の取得だけを目的にしている方にも丁度よいものであろうと思う。


紙の本は
地球に優しくないと言われているが、
現在の日本では今は再生紙の技術も向上し古紙の利用率は
約64%で回収率は約80%に達していて、利用しきれない古紙を
外国に輸出している状態だ。

 

これから消費量の多い漫画コミックが益々電子書籍の売り上げを
伸ばしてゆく事が予測でき紙の消費にしめる古紙の割合は
どうしても木材チップから作らなければならない製品が古紙で
代替えできる技術が開発されるかどうかにかかっているように思う。

いずれにせよ、普通の本は再生紙で十分なのだから森林資源と
紙の本の出版は日本においては大きな問題ではないと私は思う。

 

図書館に入るとどこか森の中に入ったような安心感を私は感じる。
書棚に囲まれてお気に入りの本を読む時間はなにものにも代えがたいものだ。
それと同じ心理的な効用を電子書籍で得られるようになった時に
紙の本はその役目を本当におわるのかもしれない。
だが、デジタルデータのもろさは時代が進めば進むほど明らかになりつつある。
それ故に本当に後世に記録として残す為には紙ではなく、
耐火性能が有り腐食しない繊維に
酸化して消えないインクでアナログ文字を印字しておくのが
一番長い時を超えて情報を保存出来る可能性があるのではと思っている。

 

デジタルデータを信用している現代社会はその脆弱さをまだ
軽んじていて、きっとそのうちにとんでもない重要なデーターが一瞬で大量に消える事で
前述したアナログ媒体での重要な記録の保存に転換するように私は予想している。

 

出版物の電子書籍化は戻る事のない流れではあるだろう。
だからこそ、紙の本を出す事は私にとって貴重な経験であった。
この本がどのくらいの時間を超えて残るかは、まさに紙ではなく
『神のみが知る』という落ちをつけて。

 

 

*ご連絡

というわけで7月中旬までには
『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』 を
電子書籍化してもっと安価な価格で販売する予定です。
お金と好奇心が釣り合わないと思われている方はご一考下さい。

後、電子書籍化の為に購入した一太郎ソフトのおかげで
紙の本の『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』
本文原稿の誤植誤記が判明したので、
電子書籍版ではもちろん紙の本も改訂をする時に直す予定ですが
訂正したいと思う箇所をとりあえず下記に記しておきます。

            誤      正
20頁  12行目  『良ろしい』→ 『宜しい』
24頁  10行目  『対処療法』→ 『対症療法』』
63頁  3行目   『調る 』 →  『調べる』
111頁  8 行目   『今だ』 →』 『未だ』


電子書籍化をお待ちの方がいらっしゃれば
もう少しだけお待ちくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 


自我意識の喪失  と  無への回帰  と   死後の意識の目覚め

2018年05月23日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

源 現 著

守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ - 人生・家族・スピリチュアル 運命を信じた男の病の果て (MyISBN - デザインエッグ社)     

 自著 AD (広告)

 

 

私は手術の為に全身麻酔をした経験があるが

その時、時間が跳躍したような感覚を味わった。

 

麻酔医に鼻と口を覆うマスクをあてられて、

数を数えて下さいと言われ、イチ、ニ、サンと数えると

顔全体にスパイダーマンのマスクの様に蜘蛛の巣がかかった感じがして

意識がブラックアウトした。

 

次の記憶は

遠くから声が聞こえ、

オレンジ色の薄明かりのぼやけた景色に

ゆっくりと焦点が合いそれと共に、髭をはやした執刀医の顔越しに

こちらを見ている妻が見えた。

 

手術は十五時間掛かり、中々意識が戻らなかった私を

執刀医はビンタして起こしたのだった。

 

その時の私の感覚は手術台で仰向けになりマスクをされてから

一分も経っていないような感覚だった。

 

十五時間の間、私の意識は完全に停止をして無に帰っているようだった。

 

全身麻酔の体験談を読むと

少なくない人が私と同じように時間が跳躍した感覚を味わうようだった。

これは全身麻酔の特徴で『意識の喪失』と呼ばれている。

 

意識の喪失は無神論者の言うところの

『無に帰った状態』に近いと言えるかもしれない。

十五時間の間

私の意識は存在していなかったに等しかった。

 

私の手術中もし計測できる装置を付けていたら

もちろん脳波は検出できたろう。

ある実験データーによると

通常の睡眠時の脳波とは違い、全身麻酔時の脳波は昏睡状態に近いという事であった。

 

手術の時の私は普段眠った時の感覚とは時間感覚が全く違い、

それまで一度も経験した事がない感覚だった。

 

それは、通常の臨死体験と呼ばれるものとは真逆の体験と言えるだろう。

 

通常の臨死体験とは

脳波と心臓の停止が確認されたにもかかわらず

意識を取り戻した後に、その科学的には死んでいた時間の

客観的に整合性のある時間経過の記憶を持っている体験する事で

(その人が科学的に死んでいた時間での出来事を正確に言い当てるなどの客観的に証明できる

記憶を持つ体験)

現在では勘違いや思い込みではなく、計測データで科学的に死んでいた事が証明された上で

そのような体験をした人々が世界中にいる。

 

この事は何を意味しているのだろう。

私の場合を例とすれば、体は手術中も正常に生命を維持していたので、

もちろん、脳波も、心臓も正常に機能していたはずだ。

だが、麻酔によって、脳の今だ特定されていないメカニズムが停止し

完全に記憶の機能が停止した為に意識が喪失し

時間が跳躍した感覚を味わった。

 

 私の場合とは逆に

世界中の脳波の停止と心停止の同時の確認が取れた臨死体験の場合は、

意識とされるものの記憶が肉体に記録されたものではない可能性を示唆している。

 

臨死体験。 

 の記事にも書いたが

唯物論者の死イコール『無に帰る』状態が

あの時のような状態を指すのであれば、

まさに「イチ、ニ、サン」と数えた時間が臨終の瞬間であり。

意識を喪失して15時間の間私は死んでいたと言える。

 

これはとても逆説的で面白い。

臨死体験者は肉体は死んでいても自我意識の継続的記憶が存在してる為に

自身を死んだとは思っていない。

片や私は肉体は正常に機能していたに関わらず全く自我意識の存在記憶がない為に

自分はその時間死んでいた、または消滅していたに等しいと感じている。

 

 結局私にとって死とは、自我意識の消滅を指すのだ。

私があの手術の時にそのまま死んでいたとして、

今もそのまま自我意識の消滅が続いていたとしたら

無に帰るという死は数秒でなされるなんと穏やかなものなのだろうと思う。

だが、私の肉体はその時生きていた。

それ故、映画やドラマではないが、自分が目が覚めたと思ったら、

実は本当に肉体死を迎えたが為に臨死体験者のように

自我意識が目覚めたというケースも可能性として考えられる。

私の自我意識の喪失は肉体が有る故に起こった現象だと仮定すれば。

 

よく突然亡くなられた地縛霊が自分が死んだ事に気づく事が出来ていないと

霊能者が言っていたりするが、

いつもと同じように目が覚めたような感覚で意識が目覚めたら

中々自身が死んだ事を理解するのはむつかしいものだろう。

 

これはドラマや小説や漫画などでさんざん使われたパターンの描写だ。

だが、私自身の見聞きしてきた経験から言える事は

やはり、肉体が物理的な死を迎えた後も、

自我意識の継続が認められるというのが今の時点での私の見解だ。

それ故、唯物論者が期待するような、自我意識の喪失や『無への回帰』は

生きている時は起きても死んだら起きないだろうと。

 

自殺を考えている人は、自殺をしたら楽になれると思っているだろうが

『自我意識の喪失』も『無への回帰』も、死んでも起きない可能性は高いから

肉体死が訪れた時にきちんと現世に未練なく死を受け入れ、天界に昇ってゆけるように

悔いなく生きる事が当たり前の事だが大切だ。

 

辛い事があっても

まずはご飯を食べて『明日が有るさ』と

運命のまま寿命を生きて欲しい。

 

保守評論家の西部邁氏が78歳というご高齢で自殺されたが、

この事は自身の哲学や思想を実行したという意味では

三島由紀夫氏の死と似ている。

 

私にはその生きる姿勢が、自分の命や人生をコントロールしたいという

人間の自我(エゴ)の最大の欲望の発露に見える。

 

私のような運命論者には、人知を超えた運命(はからい)に逆らって自殺しても

死後目覚めた意識で、反省会をやらされるのが目に見えているような感じがする。

それなら、運命のまま、自らの命を運んで、寿(ことぶき)の命で死んだと言わるような

死に出会いたい。

人生の決着を私の場合は自身の小さな頭での思考に委ねるより、宇宙を生み出した

メインフレームに連なるクリエイターの書いた

悲劇にしろ、喜劇にしろ大団円の結末を自身で味わってから

あの世の目覚めを迎えたいと思っている。

 

 

 

 

*参考までに、クリックするとアマゾンに飛びます。

 

 

 

 

「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み

木内 鶴彦
晋遊舎

計測できなかったエネルギーの 実在

2018年05月21日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死
守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ - 人生・家族・スピリチュアル 運命を信じた男の病の果て (MyISBN - デザインエッグ社)
 源 現

デザインエッグ社

 

 

本日5月 21日が『守護神ハイヤーセルフと共に生きるフライウェイ』の発売日なので記念して。

 

重力波の計測とポルターガイスト

の記事の中で、重力波の検出の為にいかにミクロの距離の違いを計測したかを書いた

それは、太陽から地球までの距離で、水素原子一個分の巾の違いを検出したというもので、

アイシュタインの予言から、その違いを計測出来るまでに100年かかったのも

無理からぬものだと実感できる数値であった。

 

今後さらなるテクノロジーの発達により、それ以上の超ミクロの物質を計測する事が出来るようになってゆくだろう。

 

この事は今まで効果を実感する人が多数いるが、物理的な証明が出来ない気功などが

データーで証明できるようになる可能性を示唆している。

 

現在では漢方薬もその効果が認めらたものは、

成分と治療効果がハッキリとデーター化された事で

保険が適用されるまでになった。

 

科学の発展は今まで、錯覚やまやかし、オカルト的と揶揄してきた、民間療法のメカニズムを

必ず解明してゆくだろう。

 

『ヘブンリー ブルー』 番外編  尿療法について

『ヘブンリー ブルー』 番外編  尿療法について  ②

 

の記事に私の尿療法の体験をまとめて書いたが、

尿療法なども近い未来に必ずそのメカニズムが物理的なデーターによって証明される日が来ると

私は確信している。

治療効果という実存が有るのだから、

必ず理論的な裏付けはテクノロジーが進化すればついてくる。

 

気功や手当て、また霊気や、レイキ、エネルギーヒーリングと呼ばれるものなど

計測できないエネルギーによる施術なども、

これから先、超ミクロのエネルギーが一般のレベルで計測できるようになれば、

何らかのエネルギーの流れが実証されると私は思う。

 

 

今のところ私自身の中では

人間の肉体は有機質の物質で、出来ているので、もちろん重力をはじめとする

物理法則に沿って存在しているが

この宇宙の超ミクロ世界では量子理論が同時に成り立っている。

それ故に今だ解明さえれず、迷信やオカルト、はたまた催眠やプラセボ効果などと言われてきた

気功や手当、霊気や、レイキ、エネルギーヒーリングなど

施術後に実感の伴う目に見えない民間療法と言われているものは

その量子理論レベルでしか計測できない

エネルギーによるものなのではないかと予想している。

 

『フライウェイ』にも安全な『手当て』があるが、その事は自著にも

『スーパーナチュラルの法則』にも書いてあるので

ご興味がある方そちらでお調べ頂きたい。

 

今世紀は、人類にとって

『概念や祈りの対象であった神が

実在のエネルギーであると、年代を重ねるにつれて実感されてゆく』と

夢も希望もある言葉で終わるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


宗教と聖者とテロリスト  インターネットの負の感情エネルギーをスルーして、好奇心を満たす情報を手がかりに古典や名著や、最上の人と出会いに行こう。

2018年05月19日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

宗教的な事に縁遠い方は

神や仏に対する信仰の深さと客観性は相反するものと思えるかもしれない。

だぶんそれは、宗教的理由によって引き起こされた、テロ、紛争、戦争の歴史を

いやというほど、見聞きしているのが理由のひとつだろう。

 

それは現在も日々繰り返される、自爆テロが代表するような

非常に狭量な価値観を元にした異教徒を目の敵にしたような狂信的行為が

自身の宗教によって許されていると洗脳されている者たちによるところが大きいと思う。

 

宗教の恐ろしさは、伝える側、または権力を持っているものが

その強固な洗脳力を利用して、信徒の客観的な思考を奪い、

他者を宗教的な事を理由に、命を奪ったり、傷つける事を肯定するような教えを

正義とする事を洗脳する事にあると思う。

 

旧約聖書に登場する神は選民思想で異教徒には手厳しい神だから

(基本、侵略する時は異教徒は皆殺し)

砂漠の三大宗教によって過去繰り返されてきた、血で血を洗う戦争は

その根底に流れている、バイブルやクルアーンの教えによるところが大きいのは

誰もが認めるところだろう。

それは、国家や民族の維持の為に必要な方便であった側面は、否めない。

 

それ故にその権力と結びついた宗教が引き起こした結果と、

様々な宗教の真髄を深く理解する事によって得られるであろう心の平安とは

分けて分析する必要があるだろう。

 

聖者と呼ばれる人の最初の条件があるとするなら、

私はまずは、自己の感情のコントロールが客観的に出来る人という項目を挙げたいと思う。

 

口に泡を吹いて感情的な説教をするヒトラーような人の中に、当たり前であるが

心の平安は見出す事は出来ないし、

やはり、ダライラマ14世のように、政治的な厳しい質問に対しても

微笑みをもって、理性的に答える事をされる姿に宗教による真の人格の完成を見るのは

自然な事だと私は思う。

 

何年か前、ダライ・ラマ14世の講演を両国国技館に聴きに行った。

その時のお話で印象的だったのは、

『よく、私がサイキック・パワーのようなものを持っているような勘違いをしている方がいるが

 私はただの年老いた僧侶にすぎない。

現に、この間は肝臓を悪くして、医者に肉をもっと食べなさいと言われ、

今は肉を食べている。』

と気さくに話されていた。

非常にに離れた席からお話を聴いていたのだが、それでもその笑顔は

国技館全体を包むような感じがするほど暖かなものであった。

 

尋常ではない身の上を生きてこられ、歳を重ねても

子供のような純真さと、深い叡智を併せ持った人格への到達という

チベット仏教の真髄の体現をご自身で示されていた。

 

日本に来られるといつもお気に入りのミルクティーを

コンビニに買われるようで

満面の笑みでレジ前に立っている姿がネットにアップされたりしているが

その茶目っ気たっぷりな様子は人間的な魅力に満ち溢れている。

 

亡命チベット政権からの政治的な引退をされ

僧侶としての平和的な活動に専念するという英断をされた。

 

苦難に満ちた人生を歩みながらも

深い信仰によって磨かれた人間の素晴らしさをダライ・ラマ14世は

今も人類に示し続けてくれている。

 

 

現代では、自分で意図して会いに行こうとしない限り

普段身の回りで出会う人の話を聞いただけで

自身の人格に影響を及ぼすような人に出会う事は中々ないという事も、

宗教を『触らぬ神に祟りなし』のままにしている一因だと思う。

 

だが、宗教の真髄に触れ、それを体現している人と世界的に評価の

定まった人に出会う機会は、求めればないわけではない。

マザーテレサも1997年まで存命だった。

私は残念ながら、深い動機を持ってその信仰心に触れたのは

マザーの亡くなった後であったから、

残念ながらその姿を直接拝見した事がない。

でも、マザーが生きていた同じ世界を生きていた事実は動かない。

 

マザーの祈りには

どこにでもいる市井の人々と同じ苦悩が有り

その苦悩と真正面から向き合う純粋さが

言葉の端々に溢れている。

 

そのような人がこの玉石混交の世界にいつの世も実在し、

現在も実在しているのは事実だ。

 

確かに矛盾だらけで不平等な世界ではあるが、

有名、無名に関わらず、

現実を乗り越え、素晴らしい精神の深みを獲得した先人がいる事を

若い人たちは信じ、日本だけではなく、

広い世界に出て現実の中で探し出会って欲しい。

 

今日もアメリカの学校での乱射事件があった。

犯人がどのような生い立ちかはわからないが

人間を信じる事が出来ずに育ち

自己と他者、自己と世界を分離して考える事が出来ない思考が

招いた結果であった事は間違いないだろう。

 

多くのテロ行為の殺傷事件は

いわゆる、『神が命じた』などという言葉を鵜呑みにする事を含め

客観的考察とは正反対の自己中心的な思考の結果によるものだ。

 

 若者はその経験の少なさから、インターネットにある情報を鵜呑みにしやすい。

改めて書いておくがインターネットの世界は圧倒的な負の感情のはけ口だ。

それは、現実の世界で行き場を失った感情のゴミ捨て場になっていると言っても過言ではない。

そして、そうした負の感情エネルギーは例えインターネットに触れた人の精神が健康であっても

それを侵食して病的にするだけの力を常に持っている。

 

それ故に、インターネットの広い範囲での使用は買い物や情報のやり取りや

気分転換やモチベーションアップの為のゲームなどに限り、

snsも深い感情的なやり取りは、はじめからしないと決めておくのが、より安全な接し方だ。

所詮芸能人などがsnsを使うのは商売とリンクしているのであって、

一般の人がsnsにのめり込んで大多数の人が

精神的に不幸になる事は統計によって現在では証明されている。

snsはよほどのスルースキルとか、合理性を獲得した精神を持つ人以外は

時間をかける程、精神を蝕む可能性が圧倒的に高いとここで言っておこうと思う。

 

当然、このブログはsnsではなく

私からの一方的な情報の発信のツールとして使わせて頂いている。

以前はコメントの書き込み許可していたが、幾度かのやり取りの末

ブログを継続してゆくモチベーションの為にコメント不可とした。

そして、コメント削除を告知してから随分と長くコメントを残していたが

この度のブログの方向性の転換に伴い過去のコメントを閲覧不可とした。

過去の感情的なコメントを新しく来られた方が読んでも、

発展的な未来に邪魔になるだけだと判断したので。

 

インターネットに有る情報は私のブログを含め、

あくまで、もっと深い情報に行き着く為のタグのようなものだ。

 

そして多くのタグは玉石混合で偽物やどうでも良いものが大半だろう

それ故、自分の好奇心を満たしながらも、より深くその事の真実を知りたいなら

現実の世界に分け入って、名著と呼ばれる本を読んだり、

優れた人物と評判の人に直接会いに行って

自分自身で確かめて見極めて欲しい。

 

名著は歴史という一番厳しい評価を生き残った過去の偉人の思考を知る唯一の機会だ。

そして、どんな方面にせよ、優れた業績を上げた人に直接触れる事は

人間の可能性を信じさせてくれ、勇気や励みを与えてくれる。

 

自信というものは、流した汗の量に比例するというのは

それほど外れていない。

経験の少ない時は、本などの知識が羅針盤になり

現実で汗を流して経験する事で、はじめて身につくものだ。

人生はそのような事の繰り返しなのだから

それなら、最上と思える情報と最上と思える人を探して

会いに行きなさい。 

この世界は見えない部分を含め、人知が及ぶ事ができないほど広いのです。

 

日々目に見える範囲と、テレビやインターネットで知っている世界のみで

自己の人生やこの世界を判断しないように。

深い愛情のやり取りや、人生の深淵を知るのに必要なのは、

お互いの目を見て話し、温もりを感じる交流であり

ディスプレイの写真や文字を追う事では決して得ることは出来ないのだから。

 

 

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マザー・テレサの祈り
 
ドン・ボスコ社

 

ゆるす言葉 (Dalai Lama’s word collection)

ダライ・ラマ14世
イースト・プレス