日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

祈りと宗教

2015年01月25日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

とりとめのない話です。

お時間の無い方はスルーしてください。

またこれと言って内容もありせん。

デンパが好きな方は読んでみてください。

 

 

祈りと宗教はきっても切れないものだ。

 

信仰の中に祈りを持たない宗教的なものなど

ほとんどないであろう。

神や何がしか超自然的なものに祈る瞬間は

人生に最低一回くらいあるだろう。

 

それとも死の瞬間まで何ものにも祈らないという

そんな人もいるのだろうか。

 

ISISに人質とされた湯川さんが殺害された可能性が高いと

安倍総理はTVで語っていた。

 

湯川さんのご家族に謹んでお悔やみを申し上げます。

湯川さんの魂が安らかに天上に導かれる事を

祈らせて頂きます。

 

私は過去に何度も神と呼ばれるものに祈りを捧げてはきた

それは自身が弱かったからだとは思う。

 

為すべがなくなってしまったと思えた時に

その祈りは、困った時の神だのみの典型だった

 

私は兄を癌で亡くしたが、

その働き盛りの死を何とか回避できないかと

科学的な事から超自然的な奇蹟を願う事まで

さまざまな事を試してみたが、

現代科学は白旗を早々と上げ、

超自然的な奇蹟も起きなかった。

 

私はイエスキリストのような聖者ではないのだから

死者を甦れさせたり、他者の命の運命を改変などできないのだということを

当たり前だが思い知らされた。 

 

基本砂漠の一神教は現世での天国を保障していない

死んだら天国に行けるのだ。

 

生きている間に神に祈るのは

死んだら天国に行く為なのだろうか。

 

少なくとも私が真剣に祈るのは

現状のどうしようもない危機に対して

現実の手段がなくなってしまったと思えた時が多かった。

 

それは理性的な行為ではないだろう。

思考停止と言っても良いだろう。

それでもなお、やはり祈らざるおえなかったのだ。

 

主の祈り (イエスが弟子たちに祈る時はこのようにして祈りなさいと伝えた祈祷文)

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。
御国〔みくに〕を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

                     wike プロテスタント訳より

 

私はキリスト教徒ではないが、

主の祈りの中にある悪の拒絶、罪の赦しの深さは

人間の精神が努力で到達する愛の極点だと思う。

 

イエスは自らを殺す相手を赦し

十字架に掛かることを拒否せず

自分の説く愛とは何かを自ら証明された。

 

 

愛を教えてください  

 

主よ、騒がしいどらや

やかましいシンバルのようにではなく

愛をもって語るすべを

私に教えてください。

 

忍耐強く

情け深い愛を

妬まず、高ぶらず

自分の利益を求めず

いらだつことを知らない愛を。

 

真実を喜び

すべてを忍び、すべてを信じ

望み、耐えるあの愛を

主よ、私にお与えください。

 

万物が滅び

すべてが明らかになる終末の日に

私が確信できますように。

弱かったにもかかわらずこの私が

主の完全な愛を

絶えずわが身に映し続け得たということを。

                            マザーテレサの祈り

       

私にとってマザーテレサは信仰者としてのお手本であった。

主の祈りは神の子の祈りとして

マザーテレサは信仰者が神を深く誠実に信仰する態度とは

どういうものであるかを、その祈りの言葉の中に表現されていた。

 

それは激しく、深く、峻烈な祈りの言葉であり、

凡人が努力しても到達できないと思える聖性であった。

 

しかしそんなマザーテレサでも

ほんのひと時ではあるが、

神を疑い呪う手紙を残している。

 

マザーほどの聖者でも神を疑い現世の運命を呪うのだ。

いわんや私のような凡人が現世の無常や残酷さを嘆いて良いであろう。

でもだからと言って、この三千世界に神がいないとは私は思わない。

 

神は見えないが実在している。

肉体は滅びるが魂は滅びない。

宗教や信仰の前に

愛は実在する。

 

テロで奪う事ができるのは人の肉体だけだ。

 

愛は実在する

祈りは必ずその愛の極点と共振する。

 

空を見上げ愛を祈ろう

闇を見つめ愛を祈ろう

 

祈りが無意味でない事を信じて

私は今日も祈る。

 

 

 

 


ゲラゲラポーの生まれるニッポン

2015年01月05日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

何気なく年末の紅白を見ていて。

妖怪ウォッチのゲラゲラポーの歌を

嵐や多くの出演者たちが合唱するのを見入ってしまった。

 

ラップと演歌とソウルミュージックがシャッフルされたような

独特の中毒性のある曲であった。

振り付けやアニメの影響で子供たちの間で爆発的にはやったのも

わかるような気がする。

 

あんなごった煮のカオスな音楽を、

考えずに感性で受け止めてノレテしまうだけの素養が

今の子供たちにはもちろんの事、

作っている側の日本の大人たちにも有るという事だ。

それはそれで結構すごい事だと私は思う。

 

また紅白の画面に映っていた、出演者の多種多彩な事。

妖怪から梨の妖精、アイドルから演歌歌手、隈取り化粧のJポップやオネエ軍団。

私はこういう何でも有りで、事芸能に関して

どこまでも懐の深い日本が大好きだ。

 

美輪さんの愛の賛歌も

聞いている方の感性を試されているようだった。

 

一緒に見ていた22になる息子が、良くわからないと言ったので、

ブルース・リーではないが、

「考えるな、感じるんだ」と言っておいた。

 

間違いなく、美輪さんは全身全霊で愛を伝えていた。

芸術や芸能は好き嫌いの世界だが、

言葉を超えて伝わる何かに思いがけず

ハートを揺さぶられるものだ。

 

私も歳をとった。 

でもそれで感じる事ができる愛の周波数の幅が広がったのなら

おっさんになるのも悪くはないな。

 

ゲラゲラポーも

美輪さんの愛の賛歌も

とても楽しめた、今年の紅白歌合戦であった。