日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑯

2018年01月31日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

帰宅し病院での結果を一通り話をした。

 

「私は*****による排泄だと思う。 絶対癌なんかじゃないわよ。」

 といつもの歯切れの良い調子で妻は言った。

 

「癌ではないと思うよ。」

 

「ステロイドは飲むの?」

 

「昨日*****に聞いてみた。」

 

「それでどうだったの?」

 

「飲まなくても大丈夫だっていうから、*****にかけてみる。

 それに今までこういった事に何十年も人生をかけてきた総決算だと思うから。」

 

 

「わかった。」

 

 妻はそう返事をすると食事の支度に戻っていった。

 

 私はステロイドを飲まずにこの病の果てを*****に託す事にした。

 

 

 

                                   ⑰に続く

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑮

2018年01月30日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

三十才を過ぎて前の仕事の後遺症で悩んいた私は

当時自分の体の状態を知る為に病院めぐりをしていた。

その日の私は行った先の病院で麻酔かけて検査をした為

間抜けな話だが一時的に両手が使えなくなっていた。

 

両腕が麻痺し手がダランと垂れ下がった状態のままであったが

翌日が仕事でせっかちな私は

麻酔が解けるまで待つ事が出来ずに帰途についたのだった。

 

病院の会計はもちろん駅で切符を買う事も一人ではできず

通りががりの人に声をかけて手伝ってもらいながら

なんとか家に帰った。

 

電車で手すりに摑まる事もできず、

今日と同じようにドアに体を押し付けて揺れに耐えていた。

その事をデジャヴのように思い出して、やっている事が変わらない自分に

可笑しさとやりきれなさの混じった気持ちになった。

 

想えばあの後手術をして尿療法を知り、

スピリチュアルな世界を彷徨う事になったのだった。

 

ふとその感情の流れを切るように

「調子の悪い時こそ*****」という言葉が浮かんだ。

 

その頃は痛みで眠る事ができず座って夜を明かす日もあったが

時としてその座っている事さえ辛くなる時があり

そんな時は立って*****をするようになっていた。

 

「そうだ*****をしよう」と思い立ち

体をドアに押し付けながら*****をしてみた。

 

一瞬のようにも数分のようにも感じられる時間の後

瞼が自然と開いた。

病院でしたのと同じくらい出来た感覚が残り

体が軽くなった気がした。

 

 

駅に着き、人の流れのスピードに乗れなくなった私は

反対側の階段にあるエスカレーターーに向かった

 

健康な時は何とも思わなかった家路が千里の道に思えた。

 

大柄な成人男性として、当たり前と思っていた能力が

実は精密な体のシステムの上に成り立っていたという事実を

改めて思い知らされた。

 

四肢の自由が効かない大柄な体躯の持ち主を介護するのは

さぞ大変だろうとおぼつかない足元を気にしながら想像した。

 

団地の入り口で我が家に灯る明かりを見上げながら

決断の時が来たという鐘が静かに鳴っている気がした。

 

 

                          ⑯に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑭

2018年01月29日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

その日はエコー検査(腹部超音波検査)の為だけに病院に行った。

 

受付を済ませ、予約の時間まで間があったが

いつもとは違う階上フロアーの吹き抜けを見下ろせる椅子に座り

私は最近座ると習慣になってしまった*****をした。

 

この病院は私にとっては不思議な場所であった。

最悪な印象から入ったものの、担当医の人柄のおかげで

本音で話し合いながら病に向き合う事が出来るのは

病院に行く事の抵抗感を和らげるのに十分であった。

そして、検査や診察までの長い待ち時間を使って

私はずっと*****をするのだが、

この病院でする時は何がパワースポットでブーストがかかったような

感じがして、良い*****が出来た感じがするのだった。

 

その日もひたすら待ち時間を*****で過ごした。

やがていつもの診察とは違いほぼ予約の時間どうりに名前を呼ばれた。

 

中にはいると靴をスリッパに履き替えるように言われ

検査用の浴衣になった。

看護師さんに促されて検査室に入ると

二人白衣を着た人がいて一人は男性一人は女性であった。

 

ベットに仰向けになるように言われ看護師さんに少し手伝ってもらって

天井を見上げた。

 

「研修者が最初行ったあと ベテランの者がもう一度検査を行います。」

とその看護師さんが言った。

 

私は別に同意は求められなかったが、違う人が2回検査をやるなら

何かあった時に見つかる可能性が高いから別に気にせず

返事もしないでされるがままにエコー検査を受けた。

 

最初の人はとても時間が掛かった。

体をスキャナーのようなデバイスを

ジェルで滑らせるようになぞってゆくのだが、

慣れていないのだろう

丁寧だが寝返りを打つのも手伝ってもらわけなければならない

私のような患者にはけっこう負担がかかる時間であった。

 

二番目の方は手際よく最初の半分くらいの時間で終わった気がした。

初診の時もそうだったが、 初回は二人に診てもらうという偶然の一致が

何が可笑しくて、

何となくツキを感じて笑みを浮かべてその日は病院を後にした。

 

何日かしてエコー検査の結果も兼ねて定期の診察の日を迎えた。

尿細胞診検査は相変わらず陽性のままであった。

血尿は量は減ってはいたがまだ出ていた。

 

エコー検査の結果は異常なしであった。

「エコーの検査では腎臓、膀胱、を含め内臓に異常は認められませんでした。

 しかし、まだまだ不十分ですから、次に大腸内視鏡検査か胃カメラのどちらかを

 しませんか。?」

担当医はいつもの静かな口調で癌を否定する為に必要な検査名を言った。

 

「CRP値(炎症値)は 前回からまた下がっていますよね。」 

私は日常の動作の不自由さに変化がなく

夜の辛さは実感として増しているという事実は告げずに

CRP値が下がり続けている事実を盾に

「もう少しだけ検査を待ってもらえませんか」

とお願いをしてみた。

 

担当医はディスプレイを眺めながらしばらく考えた後に

「わかりました。確かに何も治療もしない現状でCRP値が下がり続けている事は 

 悪性腫瘍の可能性である確率が受診時よりも低い事を示しています。

 でも体調の急激な変化があった場合は、すぐに来院してください。

 救急もやっていますから」

と力を込めた声で答えてくれた。

 

私は理解のある担当医に感謝を述べて診察室を出た。

 

今現在の自分は日常生活で一人で立ったり歩いたりする事が出来る瀬戸際であった。

 

椅子から立ち上がる事。歩く事。階段の昇り降り、ペットボトルの蓋を

補助具を使わなければ開けれない事、財布から小銭を出す事、

何もかもが、なんとか時間をかけて出来ている状態であった。

しかしそれも深夜の痛みのレベルが昼間に降りてきたら

それも無理になるだろうという事は分かっていた。

 

帰りの電車はラッシュにかかり座れなかった。

手の平が膨れ手すりを掴む事が出来なくなっていた私は

ドアに体を押し付けて揺れに耐えていた。

 

真っ暗な外を見ながら

私は若い時の病院に通っていた時の事を思い出していた。

 

 

                          ⑮に続く

 

 

 

 

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 番外編  「壺を売る」「壺を買う」 神への対価 

2018年01月28日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

ダラダラと思い浮かぶままに長く書いてしまいました。

読み切るお暇と根気のある人はヒマツブシのつもりでお読みください。

 

蛭子能収さん(氏と書くべきだろうが親しみを込めてさんと書かせて頂く。)

が宗教について語っている掲示板コピペが

本当に蛭子さんらしくて私は自戒をこめてたまに読み返している。

 

『オレは新興宗教の誘いはきっぱり断っています。自由に生きるために、

 あれ読めとか教会に行けとか、強制されるのが嫌だからです。

 宗教は自分で判断できない人が頼るもの。自分の頭で考えられないなんて、

 何が楽しいんでしょうかね。そもそもオレは宗教観がありませんし

 何かにすがろうと思ったこともありません。

 オレが信じているのは「1256のボックス」だけです。』


私は以前

『海辺のカフカ』 と 蛭子さん  と  愛の枠外へ向かう魂へのモノローグ   

*(この記事はグロい表現が多くテーマも殺人や虚無など重いものなので

  読まれる方はその毒に耐性があると自信のある方のみお勧めします。

  健全な人は読む必要のない記事です。)


の記事の中で蛭子さんを『海辺のカフカ』の登場人物ナカタさんにに例えて

蛭子さんお馴染みのバスの旅の番組を観て心が救われるというような事を書いた。


私にとって蛭子さんはまさに神や宗教に縛られない自由人の代表みたいな方で

自分に蛭子さんの半分もその現実的な合理性があったならと思う事がけっこうある。

 

私の家は新興宗教の家であったから、物心つく前から訳も分からず聖経を読んだり、

感謝の押し売りみたいな言葉の繰り返しを強要されたりと

子供としては生理的にというか本能的にというか

兎に角成長すればするほどもう無理と思えるほど非現実的な言葉の羅列を

ひたすら読むのは恥ずかしくて苦痛だった。

 

今になって思えば、父は神経質な人だったからその繊細さ、言い換えれば弱さを

克服する為に、新興宗教の門を叩いたのかもしれない。

時代は戦争の真っ只中にあり、男が弱い事は許されない時代であったから。

 

現実を生きてゆく事に迷った時に

自分では答えを出す事ができず、大事な判断を占いや宗教や超常的な何かに頼り、

自身の運命を託してしまう人は少なからずいるだろう。

 

私の場合はどうだったろうかと思い返す時

私も何かにすがろうとした事が少なからずあった。

それは自身が激痛に襲われている時であったり、

出産や手術など、自分ではない誰かの命が掛かっている時だったりだった。

確かに神社にお参りして合格祈願もしたりしたが

それは縋るというよりは気休めと言い換えた方がより近い気がする。

いずれにせよ、蛭子さんのように、何かにすがろうと思った事がないと

言い切れる心の強さは私は持ち合わせていない。

 

私たちに

「箸にも棒にも引っかからないものに引っかかる才能がある。」

と言ったのは*****の創始者だが、それは裏を返せば

現実的でなかったり常識的でない事にロマンを感じ

それにお金を出す人という事になる。

 

蛭子さんが信じるものが的中率の高い1256のボックス(競艇の舟券の買い方)なら

私が信じ買ってきたのは

神や奇跡などという科学や論理では説明できない存在や現象が

神話や聖書などの歴史の始まりから現在までその謎のベールが剥がされきっていない

ロマンという代物であった。

 

掲示板ではよく宗教やスピリチュアルを匂わせて高額な商品を売りるつける「霊感商法」を

「壺を売る」と言って揶揄するのが定番だが

wikiによると、元々この言葉の由来は統一教会が信者に高額で壺を買わせそれが問題になった時

共産党の新聞赤旗が「霊感商法」という呼称を使った事がはじまりらしいから

宗教やスピリチュアルな世界にいる人間が、

蛭子さんのよう宗教観がなく現実的合理性を持った人たちから

「壺売り」と似たり寄ったりと色眼鏡で見られるのはある意味仕方ない事だと思う。

 

「宗教は麻薬と同じ」と言ったのはマルクスだが、

宗教の名の元に数えきれない人が古代から現代まで殺されたり人生を破壊されたりしてきたのは

人類の汚点遺産があるならそのベスト3に入るくらいのものであろうから。

皮肉な事にその言葉を言ったマルクスの資本論が共産主義を生む土台となり

その共産主義国家が多くの人民という名の名もなき良き人々を

宗教と同じくらい殺していったのもまた人類汚点遺産のベスト3レベルであろうと思う。

話を元に戻そう。

 

 

また「壺を買う」という言葉は

スピリチュアルな事にお金を出す人の心理を端的に表していると思う。

 

科学的、論理的に考えて壺を買って幸せになれると思うのはどう考えてもおかしい。

しかしその壺が霊験あらたかで神の力が宿っているのなら

高額なお金と引き換えでも満足できるのが壺や石やお札を買う人たちなのだ。

現代科学の常識よりロマンの魅惑に勝てない人たちが壺を買うのだ。

 

私もその壺を買い続けてきたロマンチストの一人たが

 しかし普通の世間一般の人々も額は違うだろうが当たり前のように

神社仏閣でお賽銭であったり祈禱料、お布施を払ったりしている。

つまりは神様仏様の超常的な力をお金で当たり前のように買っている

または買えると信じている事になる。

中には神様仏様は慈悲深いからお賽銭や献金はしないで祈るだけで

すましているという人もいるかもしれないが、

祈るという行為は時間を捧げるという時給というお金に換算できる。

日に五回も祈りを捧げるイスラム教徒のその時間をお金で換算したら

膨大なものになるだろう。

 

重要な事だからと拝殿に上がって高額な祈祷料を払い、

御利益という力をお金で買えると本気で思っているのか

ただの気休めと思っているのか、それとも風習だから何も考えないで

流されているのか。

とにかく科学的な根拠のないものにやはりお金を払っている。

それは壺を買う人たちと同じで安心料という形の違ったロマンを買っているのだと

私は思う。

それ故、ロマンを買う事に慣れている多数の人が壺商法に引っ掛かるのだ。

普段からご利益をお金で買っているのだから。

 

昔は貨幣経済も発達していなかったから供え物がお金の代わりであったが

今は供え物の代わりがお金という事になる。

ようは人間にとって価値の高いものを対価として捧げるという事だ。

旧約聖書なら、アブラハムは羊を犠牲に捧げよ言われれば羊を犠牲に捧げ

自分の長男イサクを犠牲に捧げよと神に言われれば息子を犠牲に捧げようとする。

聖書では神がイサクの犠牲を止めさせてアブラハムの固い信仰を認めるのだが、

神(超常なる力のありか)に対して願いや契約をする時に、

人間は祭祀をし対価となるものを捧げてきたのは長い歴史が語っている。

 

砂漠の三大宗教の場合神様が厳しいから、最高の対価は殉教という名の信者の命である。

その点日本の神社に祭られている神様はお優しいから

命を対価で差し出せというような事はない。切腹を命じた人間の殿様の方がよほど厳しい。

まあ昔は人柱があったという伝説はあるが、それも人間の側の一方的な思い込みであったろうし

また即身仏のミイラのような肉体行の果ての死を仏様が対価として求めるとは思えないし

(空海は後の世に自分をまねてミイラがたくさん出来る事まで想像していたとは思えない)

それは悟りたいとか仏に近づきたいという人間の欲の果てだと私は思う。

 

近代になり科学は物質文明によって神を遠ざけたように見えるが

やはり目に見えない存在、神または自然の摂理への畏敬の念は

人類から今だ消え去っていない。

 

人類の半分以上はまだ対価(祈り、祭祀、供え物、お金、命、壺)を支払っても

神やそれに似た存在との交流を願っていると私は思う。

 

では何故対価は必要であったのか

それは、神のお告げや預言を聞く事が出来たのが

極限られた生まれながらの資質のあるものだけだったからだ。

よく霊能者がTVで死者からの伝言を伝える番組があるが

その資質は生まれながらの体質によるところが大きい。

つまりは遺伝的な肉体的な特徴で背が高いとかまた

小柄の家系だとかという事の一つにそういう霊能的な交信に

波長が合いやすい肉体というのがあるという事だ。

 

確かに激しい肉体修行をしてそういう能力を得られた人はいるだろうが

多くは子供の頃からの能力であったり

家系がその様な家系である事が私が見聞きした中では大多数を占めている。

私のようなロマン派は昔はその様な人に憧れを持っていたが、

スピリチュアルな世界を長く彷徨った事で

四六時中その様な次元の違う(特に霊界)とのチャンネルが開かれているという事が

いかに危険であるかを知ったから、

今では私にその様な資質がなくて良かったと思えるようになった。

 

私のような壺買いがその様な資質を持っていたら、

新興宗教の教祖にでもなって

多くの人をオウム真理教のように不幸にした可能性が

かなりの確率で大きかったであろうから。

(私は麻原彰晃もオウム信者も笑えない。

 私は麻原と結果として違う人生を歩んだが

 似た志向を持って人生を生きたという点では同じだと思えるし

 また私の人生の時系列がもっと違っていたらオウム信者になっていた

 可能性は十分にあっただろう。)

 

 

 

 

私は何度かこれからは預言者が必要なくなると記事に書いてきた。

それは、*****の創始者がエネルギーの転換によって、

誰もが次元を超えて交流できるように

人類全体がなってゆくからだと言われ

その兆しをこの四半世紀の中に見てきたからだった。

 

今まではそういう肉体的な資質を生まれながらに持った極限られ者しか

次元を超えた交流が出来なかったから対価が必然的に生まれたのだ。

そういう預言を行うものたちは自覚無自覚を問わず命を削っている。

そして限られたものたちしか能力がないというのは神の権威と結びついてゆく。

 

*****の創始者は今後は年月を重ねる事に

人類全体が自由に次元を超えた交流が出来るようになってゆくと予言している。

人類全体がいつ頃にそうなるかはここでは書くことはよそう。

ただ、人類は対価を払わなくても

次元を超えた能力を獲得しえる未来に向かって文明を進めているのだと告げておこう。

 

 

最後にベテランの壺買いからの助言というかアドバイスを。

 

壺を買って結果が悪かったと言って後悔する程度の覚悟なら壺を買ってはならない。

 

骨董品を買う事を趣味している好々爺のスタンスが望ましい。

 

騙されたと分かってもそれを含めてもなお楽しかった言える余裕が必要。

 

そういうスタンスが保てないのなら、人生の大事な判断を


占いやスピリチュアルや宗教を名乗るものに任せてはいけない。

 

あくまでも人生は自己責任


現実の事は自分の頭で考えて判断するのが、人間の個としての存在意義であろうから。

 

そういう意味で蛭子さんに私は一票を入れる。

私は壺を買い続け人生を失敗したと五十を過ぎてようやく自己を振り返ったのだから。

 

古来は、神事、宗教は占いと結びついていたが、今は占いだけが独立して

それが霊感商法と結びついてしまっている。

ようは超常的な何かに現世利益を求める事が当たり前という

日本人的な神仏への関係というのは

西洋の天国への切符を自らの命を対価とするような

砂漠の三大宗教とは根本的に違うという事だ。

 

それらの事を踏まえ、趣味の範囲で壺を買うのは人生の視点を変えてくれる一助になるし

何よりそういう志向のある者にとって、蛭子さんの競艇のように

その面白さを捨てる事は中々出来ないものだ。

 

馬鹿は死ななきゃ治らないという。

でも馬鹿はただ死んでも治らないのだと

私はスピリチュアルな世界を彷徨う事で知った。

 

それは肉体とは別に意識というものが存在するという事によって起こりえる

牢獄なのだと。

私は死後の意識の存在を自分の人生の見聞から確信しているので、その為に

壺を買い続けてきた。

そして最後の壺を*****と決めて再レッスンを受けた。

何とも懲りない話ではある。    

                     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑬

2018年01月28日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

 *****レッスンは仏教や山岳信仰のいわゆる肉体的修行とは

対極にあるもので、人間のやる事はほぼない。

雲を掴むような、鼻をつままれた様な話であろうが

私も*****のレッスンを始めた一番最初はそんな気持ちであった。

 

だが再レッスンは私の意識を想像以上に早く変化させていった。 

それは、絡み合っていた糸が一本一本ほどけてゆく感覚に似て

想いや感情が絡み合い、固結びのようになっていたものが

真っ直ぐ縦に伸びた糸に戻った事で

それぞれ張りのある純粋な音を奏でる弦になったようであった。

 

レッスンを継続する事で起こる重要な事は意識の方向の転換だ。

 私たちが普段行っているいわゆるコミュニケーションの意識の方向は横だ。

 人との会話にせよインターネットせよ、情報は横に流れ、拡大してゆく。

言い換えればこの物質文明そのものが横の流れの拡大によるものと言ってもよい。

領土の拡大、帝国主義、世界大戦、グローバル主義、すべては意識を

三次元世界の横にのみ意識を集中してきた結果だと言える。

 

*****とはそれとは反対に意識を縦に向ける事で成立する法則なのだ。

意識を縦に向ける事に慣れてくると、物事を客観的に観る習慣がつき

意識を横に向ける感情反射が起きにくくなってくる。

今、LINEやTwitterなどのSNSで起きる炎上は

この意識を横にばかり使うことに慣れてしまった感情反射による衝突がほとんどだ。

 

創始者によれば、

人間の文明は宇宙全体のエネルギーの流れの影響を大きく受けており、

二十世紀の後半までは地球上では横と表現できるエネルギーの方向が

物質文明を隆盛させたが、

エネルギーの方向の転換が起こり、今度は精神文明の隆盛を促す

縦の方向のエネルギーがどんどん拡大してゆき

*****はその法則によって成り立っているというものであった。

 

その影響は人間に対してどう表れるかと言えば、

横のエネルギーは外側から内側にエネルギーを溜め込む事、

気体→液体→固体とより凝縮された方に物質化してゆくベクトルになってゆく。

それとは逆に縦のエネルギーにさらされると

人間は内側から外側へと固体→液体→気体→プラズマ化と

放射状にエネルギーを放つ事がデフォルトになってゆく。

 

それは感情で言えば、横のエネルギーの時は内側に隠しておけたものが

強制的に吐き出されてしまう事を意味している。

つまりエネルギーの方向の転換は人類全体をどんどん嘘や隠し事が出来ず

本音を言いたくなくても外に向かうエネルギーに抗しきれずに本音や真実が

表面に出てしまう現象となって表れる。

 

私がこのブログで書いてきたエネルギー転換の話によるソースは

この*****の創始者の四半世紀以上前からの予言が

実際に現実化したのを真の当たりにしてきたレポートに過ぎない。

 

私が最初に*****を始めた時はまだエネルギー転換が起きず

*****の実感を得る事が私たち夫婦のような資質の者には中々出来なかったのだ。

しかし、エネルギーが完全に縦方向に転換した現在での再レッスンは

私にも自覚できる意識の転換をもたらした。

 

それは、日々波のように繰り返される感情によって起こる相克を

客観的に観る事ができ、縦に向かうエネルギーに乗せて

味わった後にちゃんと手放したり溶かしたりする事が

自然と出来るようになったのだった。

 

この縦へのエネルギーへの転換によって

これから先人類は物質文明を踏まえた上で

精神文明を追求してゆく事になってゆく。

 

次元を超える*****という法則は物質次元の解釈だけでは到底信じる事も

理解する事も出来ない正に常識破り

正真正銘の超自然法則なのだと得心した。

 

 

 

                           ⑭に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑫

2018年01月27日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

「*****の再レッスンを受けたら」

 

神事やスピリチュアルな世界と距離を置くようになった私に

妻は自分の体験を交えて*****をもう一度レッスンすることを勧めた。

 

妻も私が二十四年前最初に*****のレッスンを始めた時に

私の感想を聞いてすぐにレッスンを開始した。

しかし私たち夫婦にとって*****はとても難解であった。

講習会に参加して理論を理解しようとしても、言葉が頭に入ってこず

*****の感覚は当時の私たちには中々実感できないものであった。

 

また当時そこには体の不調で訪れる人が多く

*****本来の次元を超えた技の習得というよりは

病気治しの為の今でいうヒーリングサロンのような状態だった。

 

超能力的な何かの習得を目的としていた私が

中々実感できない*****に苛立ちを感じていた時

例によってある本との出会いが私を外国に向かわせた。

その事により私は*****のレッスンが終了しないまま一旦

そこから離れた。

そして外国での体験が一段落した後、誘いもあってまた通いはじめ

私たち夫婦はレッスンを最後まで終わらせたつもりであった。

 

やがてミレニアムを超えて少したった頃に

レッスン未終了者に追加のレッスンをする旨のハガキが届いた。

しかし私も妻もレッスンが終わったと思っていたので自分たちには関係ないと気にせずにいた。

それから暫くして*****の創始者が亡くなられた。

 

妻は創始者が亡くなられた後も地道に勉強会に通い続けていた。

ある時創始者の残した記録から私たち夫婦がレッスンが終了していない事が判明した。

とても納得のゆく話ではなかったが、自分たちの現状が創始者の話した*****とは

実感として違うものであったし、また例のハガキは未終了者にだけに送られた事から

認めたくはなかったが心の底ではそれが事実だろうと思った。

 

しかし妻はそれを知ると安くないレッスン料を再び払い程なくして再レッスンを始めた。

そして時間をかけて今度こそ本当にレッスンを終了した。

 

人生での失敗を認め、スピリチュアルな事から手を引こうと思っていた私は

そんな彼女を横目で眺めながら時々*****の話に付き合うだけであった。

 

そしてそうした日々が続いてゆくうちに妻と*****の話になる度に

自分が*****の核心部分の理解がいい加減で曖昧であるかを思い知らされた。

 

妻は再レッスン終了後、勉強会での理論と

実生活においての実感との整合性によって*****の素晴らしさを得心していた。

彼女の言葉にはブレはなく論理的に破綻しているのは常に私の方だった。

 

レッスン終了後の妻の様子を見ながら、

私は*****がスピリチュアルな世界を四半世紀近く彷徨って唯一自分に残った

最後の可能性だと自覚した。

そして再レッスンを受けて得心する事が出来なければ

目に見えず証明も出来ない神や運命を信じて振り回される人生を

今度こそきっぱりと捨てようと決意した。

 

 

 

 

 

                              ⑬に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑪

2018年01月26日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

検査の結果徐々にCRP値(炎症値)は下がってきていたが、

私の四肢の浮腫みや麻痺と痛みに変化はなく、

逆に朝方の体のこわばりは酷くなっていた。

 

特に深夜零時から明け方は痛みが強まり、

寝返りが打てない事による、体のこわばりと麻痺は

頭で命令しても体が全く動かないという絶望的な恐怖を味合わせた。

 

やがて目が覚める度にその事を繰り返すようなると

このままではやがて床から起き上がる事が出来なくなると思え、

痛みが強い日はその怖さで横になる事が出来ずに

夜通し椅子に座って明かしたりした。

 

病院に行く事を決めた時から私は尿療法を止めていた。

今の私には頼るものはもうステロイドを飲むか、

レッスンの終了した*****に全てを委ねるかのどちらかしかなかった。

 

私は自分のこれまでの人生を振り返った。

精神世界やスピリチュアルな世界に私が踏み込んでいったのは、病気が理由ではなかった。

私には尿療法が有り、その恩恵によって

スピリチュアルな事に肉体的な健康を強く求める必要はなかった。

それ故、24年前*****のレッスンを始めたのも健康の維持が目的ではなく

あくまでも、レッスンの先にある超能力的なスキルの習得ができる

可能性に好奇心を抱いたからであった。

 

奇跡や超能力とは何か、神とはどのような存在なのか、そんな事にワクワクしながら

私は聖者、霊能者、神秘家(シュタイナー傾倒者)、チャネラー、占い師など

様々な人たちに会ってきた。

 

時には溺れ、時には騙された。

しかしそれらの経験は当時の私の好奇心を十分満たしてくれた。

 

しかし長年勤めてきた仕事に様々な事で限界を感じ

転職した事がきっかけとして始まった自分の甘さによる経済的な困窮による生活の激変と

同時期の兄の病に対しての自身の無力さは

スピリチュアルな事に費やしてきた時間全てが徒労であったと思えるほど

私の心を打ちのめした。

 

「自分は人生を失敗したんだ」

 

と目の前の現実を認めざるおえなかった。

 

 

 

 

                               ⑫に続く 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑩

2018年01月26日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

「*****による排泄。」

 

妻の言葉に私は納得がいかなかった。

 

二十年以上の時をかけてようやくレッスンが終了してまだ間もなかったし

むしろこれからと思っていた時期の発症は中々受け入れる事の出来ないものであった。

 

当時私は一つの決断に迫られていた。

 

日常動作の出来る事が日に日に少なくなっていた。

服の着替えも被り物はむつかしくなり

ペットボトルの蓋はもちろん、牛乳パックさえ開ける事が出来なくなった。

また痛みで手を上げる事が不自由になり、お茶碗を手で持てなくなったので

台にのせて食べたり、浮腫みで指が赤ちゃんの手のように膨れて

握れないのと感覚の麻痺とがあいまって物を落とす事が増えていった。

 

現状の状態が続けば早晩ステロイド系抗炎症薬を使わなけれならなくのは明白であった。

ステロイドを一度使うと非常に長い期間服用しなければならず

最低でも一年最長なら十年という例もあるほどであった。

また副作用が多岐にわたるステロイド剤は医師の詳細な管理の元

注意して服用しなければ、効果が発揮されず、

少しでも患者の状態に合わない服用をすると

副作用のみに悩まされる可能性もあり

なによりもステロイド剤は根治治療の薬ではなく、

あくまでも症状の緩和の為の薬であった。

 

炎症が進むと日常生活に支障が出る為

生活の質を維持する為に副作用のリスクを考えても使う事で生活が成り立つなら

やむを得えずステロイドを使用するというのが

他に選択肢がほぼない膠原病系疾患患者の実情であった。

 

 知人の知り合いがステロイドの強い副作用で骨が溶けたという話を聞いた。

(骨粗鬆症はステロイド副作用のひとつ)

私は尿療法をするようになってからは、西洋の薬は最小限しか飲まなくなっていた。

実際に鎮痛効果は尿療法の方が西洋薬剤より私にはよく効いたし、

何よりも西洋の薬剤の毒を以て毒を制す的な組成が

常用すれば体に害を及ぼす事は理解していた。

私は何とかしてステロイドを飲まないでこの病を治す方法はないか模索した。

 

一週間事に診察、検査を2回、3回と続けても尿細胞診検査検査では

腫瘍の疑いは晴れず血尿も続いていた。

 

担当医には腎臓癌や大腸がんなどのさらなる精密検査をすることを勧められた。

尿療法を長い年月に渡り続け、酒もたばこも嗜まず、

時には断食もしていた自分が癌に罹る事に

どうしても納得がいかなかった私は思わず先生に

「自分が癌に罹るくらいなら世の成人男性は全員癌になる。」などと暴言を吐いた。

 

白衣を羽織っていなければ女子高校生と言われても信じてしまえそうな担当医は

そんなオッサンの戯言をいなすように、

静かに「それならまずは一番簡単なエコーからにしましょう。」と言って

エコー(腹部超音波検査)をする事を勧めた。

 

診察前には必ず血液検査を受けてその結果の後に診察を受けるのだが、

検査の結果で希望がもてたのは、

CRP値(炎症の度合いを調る為の数値)が少しづつ下がっている事だった。 

 

 「癌由来の症状なら、CRP値は下がらないですよね。」 

 と疑問を正直に聞いてみた。すると先生は

 

 「今は何とも言えないです。

 ただこのまま何も薬を投与しないでCRP値が下がり続ける場合は

 癌の可能性は低いとは思います。

 ただ悪性の癌由来の炎症だった場合はステロイドはあまり効かないのはもちろん

 手遅れになる事もあるので、とにかく癌であることの否定が最優先に必要なのです。

 分かって頂けますか。」

 と明確に答えてくれた。

 

「わかりました。 ではエコーを受けます。」

 

「大腸検査はどうしますか?なるべく早くに受けた方がよろしいです。」

 

「 自分としては、便秘なった事は断食の後くらいしかないくらい

 お通じはいつもよいですし、大腸には自信があるのでちょっと待ってもらえませんか」

 

「わかりました。ではエコーの予約は〇日で良いですか?」

 

「宜しくお願いします。」

 

 先生と会話をしながら初診時の耳の触診の時のように

 何か自然と笑みが浮かんだ。

 

 医者に頭ごなしに言われる事が子供の頃から当たり前であった私には、

 若い女医さんとの対等な意見のやり取りがとても新鮮だった。

 

 先生の顔を見ながら胸の奥に柔らかで暖かい想いがゆっくりと

 落ちてゆくのを感じながら

「この先生となら、きちんと納得のゆく形でこの病と向き合ってゆけそうだ。」

 ともう一人の自分の声が聞こえた気がした。

 

 

                                    ⑪に続く

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑨

2018年01月22日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

(時系列でゆけば④の後になります)

 

 

 

「膠原病かもしくは癌」

 

家に帰り膠原病科での診断とこれからの治療方針を妻に話た。

ひとしきり話を聞いた後の妻は

 「それってやっぱり排泄なんじゃないの。」

 といつも通り冷静な彼女らしい事を言った。

 

妻はこの病が発症した最初からこの現象は*****による解毒の為の『排泄』だと

繰り返し言っていた。

言い換えれば、*****によって体の自浄作用が働いて

今の症状が出ているというのが彼女の意見であった。

 

*****とは私がスピリチュアルな世界を彷徨い始めた最初の頃に出会い

巡り巡って二十年以上の時を経てようやくレッスンを終了した超自然法則。

*(尿療法と同じで普通の人、常識的な世界の中で生きている方々には

誤解を招きやすいので今は*****と伏字で書く事にする。)



私はプロフィールにある通り新興宗教を信仰する両親の元に生まれ

兄共々少年期、思春期と成人するまでに宗教や神事が大嫌いに育っていた。

しかし社会に出て結婚生活、子育てなど生活を続けてゆくうちに

自分が十代後半から二十代前半まで目指していた芸術家的な生き方を目指す事に

心が引き裂かれそうになる感覚を常に持っていた。

そして、そうした思いのはけ口になったのは

子供の頃からの奇跡や超能力好きの志向を満たしてくれるSF系の小説や

『ムー』のような根拠のない都市伝説をさも根拠があるように

ロマンのある形で読ませてくれる雑誌であった。

 

また私は、結婚前に妻から当時ベストセラーになったある新宗教の主宰者の書いた本を

借りて読んだ事があった。

その本は『真創世記 地獄編 高橋佳子 著 ノンブック』で 

その本の裏表紙の推薦文を私が当時大好きだった

SF作家の平井和正氏が書いていて仰天した。

中身は見てきたような超能力がオンパレードで

当時の私の好奇心を十分に満たしてくれるものであった。

そしてそれがきっかけで毛嫌いしていた宗教への思いは

それを上回る好奇心によって取り除かれていった。

 

結婚以後、私たち夫婦は動機や目的は違っても

不思議な事や超能力そして宗教的な志向は

お互い偏見なく理解できる関係であった。

 

 そんな中、尿療法で体に自信のついた私はある小説を読んだ事がきっかけで

精神世界、後にスピリチュアルと言われる世界に深く嵌り、

以後その世界を彷徨う事になった。

そしてその最初の頃に出会ったのが*****であった。

 

 

                              ⑩に続く

 

 

 

 

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 番外編  尿療法について  ②

2018年01月21日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

*私の尿療法の体験を区切りとしてもう一度整理して書いておこうと思う

興味がおありの方は中尾良一先生の本を読んで、

自身のアイディンティティとしっかり向き合って

実行するかどうかを決められれば良いと思う。

 

私に効果のあった症状。

1 関節形成手術後の慢性的な痛みに対しての鎮痛効果。

  これがきっかけで尿療法を始めたのだが私には魔法のように効いた。

  人生を救ってくれたと言っても過言ではない。

  しかし、慣れてきて飲み忘れると痛みを感じた。本当に正直な効用だった。

 

2 慢性的な腎臓結石で起こる発作的な痛みの鎮痛効果

  腎臓結石は十代後半から、十年周期くらいでなった。

  特に仕事で忙しく体力が落ちた時に決まって腰が痛くなり血尿が出た。

  40年近く前の最初は最悪手術と言われたがその時は溶かす薬で石を小さくして出した。

  やがて、超音波による破砕の技術が出来て手術そのものは簡単になったが

  仕事をしながらでは、どうしても踏み切れず、私は尿療法で凌いできた。

  発作時の痛みは転げ回るほどではなく我慢できる範囲でやり過ごせるようになった。

 

効かなかった症状

  今回の病、

  医師の診断で挙げられた病名

  ①癌、由来の炎症 

  ②リウマチ性多発筋痛症 

   (リウマチと名前がついているがリウマチとは別の原因の病気)

  ③関節リウマチ 

   (リウマチ因子が陽性である事が一つの条件だが陰性でもリウマチの場合がある。

    私のリウマチ因子は陰性で医師に最終的にリウマチの可能性は低いと言われた。)

   

  

  ひとつの目安として数字を示しておく。

  病院の最初の血液検査での炎症値をあらわすCRP値は8.7mg/dlであった。

  CRP値の基準正常値は0.3mg/dlであり白血球の増加もみられたから

  風邪でも肺炎でもなく尿酸値も低いのに体の強い痛みを訴え日常動作に制限がある私を

  かかりつけ医が膠原病系と疑うのも当然だった。

  

  当時の私はリウマチ患者の指標でみれば数値上は中から重度の炎症値であった。

  そして鎮痛効果を期待し全自排尿を飲んでみたが

  この病には即効性はもちろん、一か月というスパンでも効果はなく症状は改善しなかった。

 

  この病の場合、通常の尿療法(朝一のオシッコだけを飲む)の継続中に発症している。

  一番最初の右の鼠径部の痛みが長く続いたのが、断食を始めた理由であったから。

  ただ急激に悪化し四肢に広がったのは

  断食による体力の低下が原因であっただろうと自分では思っていた。

  しかし担当医の意見は断食での体重の減少率からそれは考えにくいとう答えであった。

  

 *これは私の体験に過ぎない。

  

  人間はそれぞれ遺伝的な傾向や後天的な環境によって同じように

  実行しても違う結果がでる事はあると思う。

  そしてもう一つ加えるとしたら、

  人生を揺るがすような病は

  その人個人の運命や宿命に直結していると思っている。

  それ故、それらの病と当事者の向き合い方によって

  生死の間にある何かに近づく機会になりえるのだと。

  

  

 

  尿療法の本の中にはリウマチの改善はもちろん、癌の改善の体験談もある。

  尿療法にも限界がある事は間違いないが

  だからと言ってこの勇気を出せば、

  無料で薬も使わず健康な体を維持できる素晴らしい療法が

  超高齢化社会の現在に知名度が下がってしまっているのは残念な事だ。

  ここは、視聴率が低迷して悩んでいるフジTVにでも

  体を張る事を矜恃とし時には命をかけてまで笑いを取りにゆく

  お笑い芸人たちを被験者(なるべく慢性病をもっている人)に

  継続的な治験によるデーターの裏付けの取れる

  健康番組を作ってくれたらと思ったりしている。

  

  お笑い芸人ならオシッコを飲む事をネタとして

  笑い飛ばす事ができる精神の強靭さを持っているだろうと

  年末の『ガキの使い』を見ていると思えてしまうからだ。

  

  そういう親しみやすい切り口で

  尿療法の科学的な裏付けがされれば、この医療費が国家財政を圧迫している現在に 

  薬を使わずに健康を維持する老人たちが増えて

  いろいろな意味でWin-Win になると思うのだが

  製薬会社は困るか。  

  ふざけているように感じられるかもしれないが

  至って真剣に考えた私なりのアイディアだ。

  

     私が尿療法に人生を救われた事実は今も変わらない。

  中尾良一先生と、この療法を教えてくれた亡き父に感謝を 

                    

  ありがとうございました。          

  

 

 

 

 

 

 

追記 この私の体験はスピリチュアル馬鹿とも言える極端な例だ。

   それ故常識的な大人は体の異常を感じたらまずは病院に行って

   医者の診断に従うのが当たり前の判断だろう。

   尿療法に限らず、民間療法を過信して後悔するような事がないように

   客観的に判断できる材料として、まず検査をし数値を直視するべきだと思う。

   そこから先は自身のアイディンティティに従って判断されれば良いと

   何事にも極端に走る馬鹿の代表として自嘲を込めて記しておく。

   

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 番外編  尿療法について

2018年01月21日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

現在も多くの健康番組が放映されているが

TVで継続的治験をして科学的なデータを取り尿療法を検証した番組を

尿療法を知って以来26年になるが私は知らない。

そして世間の偏見や誤解は今だに多いと思う。

 

オシッコを毎朝飲んでいる事を子供たちが知ったら、

つい友達に話してしまっていじめられたり

また私を嫌悪するかも知れないと思い

ビクビクしながら毎朝のトイレの時間を長年すごして来た。

 

幸い子供たちは父親がオシッコ飲んでいた事を知らずに大人になったが

私は当然のことながらこれまでほんの少数の信頼している人しか

尿療法の体験を話たことはない。

人生は当事者や同じような境遇を体験した者しか

本当の事や真意を理解できないのだから。

 

 肉体的な激しい痛みは、仕事や人生に支障をきたすだけでなく

若い時に片頭痛で苦しんだ時のように最悪命を虚無に引きずり込むものでもある。

それ故にその事に立ち向かう手段の一つとして、

『尿療法』がある程度(病気の種類、進度にもよるが)は

確実に鎮痛効果があり副作用もないというのが

二十五年以上実践をしてきた私の正直な感想だ。

確かにロキソニン(強力な鎮痛剤)のように

痛みを短時間で感じさせなくする事は不可能だろうが、

胃などの体への負担はなく、習慣化し継続してゆけば

怪我などの外傷や手術の古傷が雨が降る前に痛む症例
(気圧が下がる事によって体が膨張するのでそれを一定に保とうと体が反応する為)

などは忘れられるレベルになる事は私の体験から確実に効果が認められる。

 

赤軍派の永田洋子死刑囚が脳腫瘍の頭痛に苦しみ、

刑務所で薬もあまりもらえない為に尿療法を実践していたという事実がある。

私は彼女が頭痛から逃れる為に

尿療法を実践した気持ちは手に取るようにわかる。

強烈な頭痛は理性を破壊し、それだけで生きる気力を削ぐものだから。


だが肉体的な痛みは、生命を維持するのに必須の感覚で有り、

また人が肉体を持って生まれるからこそ体験できる重要なファクターだ。

視点を変えれば

人間は意識だけでは実感のわかない自己確認を

肉体を持って痛みを経験する為に生まれて来るのかもしれない。

 

人それぞれがどう肉体の痛みと向き合うかという事は

特に女性の場合は出産という痛みの極限を体験する事が

死の疑似体験となって、意識も体も変容させるブレークスルーとなっているように思う。

 

自分の尿を毎朝飲む事が日常になってしまった私には

もう最初のためらいや嫌悪感の記憶さえ無くなってしまった。

慣れてしまえばそれは濃いお茶を飲むのとさして違わない、

どうという事もない習慣だ。

でも人間の常識や生理的な嫌悪感を乗り越えるのは

個人個人の命の瀬戸際の度合いによるだろう。

 

ある時北野たけしさんが「尿療法」を知ってられて

「ションベン飲むくらいなら死んだ方がましだよ。」

とTVでおっしゃていたのを聞いた

たけしさんらしい、江戸っ子の気っ風があらわれている一言だと思ったが

でも命や理性を失う程の痛みから逃れる事が出来るのなら

ションベンくらいいくらでも飲めるというのもまた人間らしいと私は思う。

でも世の中にはたけしさんのような人もいるのは事実だ

人は命が掛かるほど信念やアイディンティティを曲げないものだと

私はもっとも近い他者から知った。

 

悪性の癌を患い余命宣告後、手術し普段の生活が出来るレベルに回復した兄に

私は尿療法を勧めた。

自身で感じた鎮痛作用や、他の体験談などを交えながら

父が私に語ったように、お金もかからず失うものはないのだから

一度試してみてはどうだろうかと。

しかし、兄はついに首を縦には振らなかった。

あれほど心底他者に懇願したのは生まれて初めてであった。

「俺がこんなにまでしてお願いしてもだめなのか。」と声を荒げ言い放っても

兄は「お前の気持ちは有難いがやることはないだろう。」

と静かに答えた。

 

兄は理系で科学的論理を信じていた。

そして検査の数値を根拠に自身の病状をいつも客観的に分析していた。

 

兄が亡くなってからずっと、兄の自身の命に対する態度に

私はどうしても納得がいかなかった。

 確かに尿療法をやっても兄の悪性の癌には効かない確率が圧倒的に高かっただろうが、

それでもゼロではないのならやってみる価値はあったのではないかと私は思えてならかった。

 

世の中事実の伴わない『奇跡』という言葉だけはたくさん転がっているが、

可能性があるならその根拠のない言葉を信じ行動する事を選ぶのは

私にとって譲れないアイディンティティであった。

 

命の懸かった瀬戸際でもなお、科学や論理を信じ藁を掴まなかった兄は

一番身近な理解できない他者として

そして他者の生き方がたとえ自分と大きく違っていても

そのまま認める事が人間の尊厳を守る事だという証人として

死してなお、鏡の向こう側から今も私を見つめている気がする。

 

 

 

 

 

    


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑧

2018年01月19日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

断食を始めて3日間は何も変化はなかった。

右の鼠径部と右肩の痛みは良くも悪くもならなかった。

 

断食の間口にしたのは水と尿だけであったが、

三日間の断食は何度も経験していたので取りたてて空腹感に

悩まされる事もなかった。

世の中には*ブレサリアンと呼ばれる人たちがいるのだから

このくらいは当たり前だとその時は軽い気持ちであった。

 

*(ブレサリアンとはベジタリアンから段階を踏んで食物を制限してゆき最終的に

 空気以外栄養補給の為に口から食物を取らなくても

 日常生活が支障なく健康に日々を送っている人々の事。

 日本の代表的なブレサリアン秋山佳胤氏は本を多数出されいる。

 常識が通用しないのがスピリチュアルな世界なので

 真偽をどう判断されるかは本を読むかご本人に会って各々が判断されれば良いでしょう。

 

体調の改善や悪化が見られずまた体への負担があまり無いと判断した私は

断食を延長した。そして体に負荷を感じ始めた8日目に諦めて終了する事を決めた。

 

私は丸七日間水と強化した尿療法で過ごしたが、痛みの改善は見られないまま

逆に膝の裏側まで痛みは広がっていた。

 

断食は内臓の掃除やメンテナンスの為であり尿療法は免疫系の強化に効果があるはずであった。

普段偏った食生活をしている自覚は私にはなかった。

40歳になったミレニアムの年にスピリチュアルな事で

正面から向き合わざるおえない事が起こりそれを機にペスコ・ベジタリアンをやめていた。

激しい肉体労働での良質なたんぱく質の重要性がわかり

科学的なバランス重視の食事に戻していた。

 

 断食後の体調の悪化は坂道を転げ落ちるようであった。

 

ネットで症状に照らし合わせ調べてみると

痛風に一番症状が似ているように思えた。

関節の痛みと症状の悪化と共に痛風の特徴である足の親指の関節の痛みも増していた。

しかし痛風なら尿療法が効くはずであった。

 

尿療法の体験談で劇的な症状改善の代表例が痛風であったから。

二十五年も尿療法を続けてきて痛風になるのは納得がいかなかったし

尿療法で痛みが改善しないのが、

何か重大な病気の可能性を予感させた。

 

しかし私は二十五年も続けてきた健康法が効かない事に意固地になった。

様々なサイトに目を通し、自分の症状がリンパ系の病気かもしれないが、

癌にさえ効果がある尿療法が効かないわけがないと、

自排尿の全てを飲む生活を断食終了後一か月続けた。

しかし、症状はどんどん悪化し痛風の発作だと思っていた激痛が

決まって深夜に起こるようになった。

 

睡眠は二時間未満しか継続的に取れなくなった。

痛みで目が覚め、手足の麻痺は日に日に酷くなっていった。

たまに二時間を過ぎて起きると足の筋肉の麻痺と鼠径部の痛みで

足を直ぐに引き上げる事が出来なくなった。

そしてベットから起き上がるのに5分から10分と

どんどん時間が掛かるようになってしまった。

 

事ここに至って、私は今回の病に尿療法が効かない事を心の底から認めた。

そして歩く事も立ち上がる事もままならなくなった体を引きずるようにして

腎臓結石でかかりつけの医者に向かう事になったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

                             その⑨に続く

 

 

 

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑦

2018年01月18日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

尿療法を始めた事によって慢性的な肉体の痛みから解放された私は

それ以後子供が大きくなるまで健康に働き続ける事ができた。

 今回の病になるまでは、尿療法を始めて二十五年以上

自身が作り上げ維持してきた肉体にそれなりの自信を持っていた。

もともと酒もたばこも体に合わないので

成人してからは付き合い上必要な時以外は嗜まないし

食べる事もグルメとは対極にあるルーティーンワークに近い感覚だった。

そしてスピリチュアルな世界に深く嵌った事で

何かと食事制限をするようになっていった。

 

三十代後半は肉を断ち、ビーガン(完全菜食主義)ほどではなかったが

ペスコ・ベジタリアン(植物性食品と乳製品、卵、魚を食べる)であった。

そして、具合が悪くなるとプチ断食(3日間くらいの)をして体調を整えていた。

 

尿療法をしていたから風邪にもかからないというわけではなかったが

体質の為に慢性化した腎臓結石で定期的に体調の悪くなった時でも

原因がわかっているので病院で石を溶かす薬をもらうだけで

尿療法を強化すれば痛みは十分に軽減できた。

(尿療法の基本は朝の一番のオシッコを飲むというものであるが、

病気の症状によって、飲む量と回数を増やした方が効果が上がるものであった。

仕事をする場合常識的に外で尿療法を実行することは無理なので

朝一度というのが何年も続けられる条件ではあった)

 

 一昨年の春頃から右足の付け根の鼠径部に痛みを感じるようになっていた。

これといった原因も思い当たらず足を挙げる時に鈍い痛みが走った。

9月になるとその鈍い痛みは右肩にも起きるようになり

日常動作で引っ掛かりを感じる程になっていた。

 

今回の体調の変化も尿療法や断食で乗り切れるだろうと

長年の経験則から私は高を括っていた。

 

 

 

                         ⑧に続く

 

 

 

 

 

                              

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑥

2018年01月17日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

父が送ってきた本は当時話題になっていた尿療法に関する本であった。

 

『奇跡が起こる尿療法ー勇気さえあれば、治らなかった病気が治る』  

                 中尾良一 編   1990年発売

 

1990年代の初頭、上記の本をきっかけに

尿療法はマスコミにも取り上げられ健康雑誌などでは何度か特集が組まれたと思う。

医師中尾良一氏は、日本での尿療法の周知、普及に半生をかけた方だ。

上記の本出版後、90年代に何冊か本を出された。

尿療法はミレニアムを超える頃まで民間療法のマニアックな例としてそれなりに知られていたが

氏が2002年に亡くなった後は、シンボリックなリーダーを失った為か

表立って話題に上がる事もほとんどなくなった。

 

私はその本の題名を見て「これはオシッコを飲むやつだ」と

TVで見た事のある健康法だと思い当たった。

電話をしようか迷っていると、頃合いを見計らったように

父から電話がかかってきた。

 

父は私の痛みの辛さを気にかけて、いろいろ民間療法や健康法を調べてくれていたらしく

今もあるが当時から有名だった『壮快』『安心』といった雑誌に載った

尿療法の記事を読んでこの本を買ったらしかった。

 

父は尿療法の理論的な説明をした後

「お前は理屈で納得出来れば良いだろうからまずは本を読んでみろ。」と言った。

私は当然の事ながら父が尿療法を試してみたかを聞いてみた。

父の答えは「わしは今はまだ健康だからやってない。」という予想どうりの答えであった。

そして

「これ以上薬に頼る事が出来ないのなら一度試してみたらどうだ
 戦争に行く覚悟に比べたら、ションベンを飲むくらい容易いだろう。」
 
 と大正生まれの決め台詞を言った。

 

 

私には父が提案した健康法に苦い記憶があった。

片頭痛で苦しんでいた時、頭のてっぺんにお灸をすると

とてもよく効くという話を聞きこんできて私に勧めた。

 

お灸についてはとにかく悪い印象しか持っていなかった。

昔のお婆さんたちはよくお灸をしたが、その跡はケロイドのようになっていたりして

だいたいが、子供の頃悪さをするとお灸で焼かれて辛かった話を父自身から聞いていたから

とてもではないが、頭頂部が禿になりそうで尚且つ熱くて辛いお灸をする事は

片頭痛の痛みを天秤にかけても思春期の私にはとてもする気になれなかった。

 

父はお灸をしないと言った私に「勇気が足りない」というような事を言い。

その事は当時の自分の劣等感をより一層刺激した。

 

私は「本を読んで納得がいったら実践してみるかもしれない」

と言って電話を切った。

 

 

そうは言っても私には選択肢は残されていなかった。

本当にもう後がないと思い悩んでいた時であったから

今回は父の勧めに素直に向き合おうと思い早速本を読んでみた。

 

『奇跡が起こる尿療法』の内容は思った以上に理論的で体験談も納得が出来るものであった。

なにより『尿療法』の効果の中で一番私の目を引いたのは
その鎮痛効果だった。


自排尿は鎮痛剤として有効だと書いてあり、
何よりそれが一般の薬と違って体への負担が全く無いという事であった。


父が電話口で説明してくれたとうり
お金はいっさい掛からず全ては自分のオシッコを飲むという生理的な嫌悪感を
いかに克服できるかという一点にかかっていた。

 

手術後の痛みは、筋肉の縫合部はもちろん、ボルトの挿入部や関節内部の痛みも激しかった。
仕事の後はもちろん、雨が降る前に気圧が下がり始めると決まって
関節の奥深くが錐で刺すように痛んだ。


私にはもう『尿療法』を拒む理由は無くなっていた。
そして覚悟を決めた次の日の朝、
本に書いてあるとおり自身の尿を一気に飲んでみた。

 


『尿療法』を実行してから3日が過ぎた頃だった


朝いつもどうり目を覚ますといつになく気持ちよかった。

なんとなくいつもとの違いを感じ体を動かした。

手術以来、眠っている時以外片時も放れなかった痛みは
魔法のように消えていた。

 

 

                    ⑦に続く

 

 

 

 

 

 

 

                              

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑤

2018年01月16日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

私は健康優良児だった兄と違い、

扁桃腺肥大、小児喘息、アトピー性皮膚炎、ペニシリンアレルギーなど

幼少期とにかく手のかかる子供であった。

 

何かというと熱を出し、子供用の薬が効かないとかで

シロップではなく粉の苦い薬を飲まされながら

「あんたは病気の問屋だね。」 と寝床で母によく言われた。

 

しかし小学校に入り水泳をやるようになったのがきっかけだったのか

小児喘息はおさまってゆき、ガリガリではあったが

熱を出す事も少なくなり、三年生になる頃には

普通の田舎の子供の体力を持ち得ていた。

 

しかし十代半ばでの片頭痛から始まった肉体的、精神的混乱は

幼少期の自身の肉体を信じられない弱い自分を思い出させた。

 

そして片頭痛から立ち直り

その事を忘れかけていた十代の終わりのある朝

真っ赤なワインのようなオシッコが出た。

それは本当に鮮やかな赤で、腰が抜けるほどお驚いて病院に駆け込んだ。

腎臓結石であった。

 

年始の神社の神頼みレベルではなく

私が神という不確かな存在にかつてないほど真剣に祈った最初は

腎臓結石で床を転げまわる痛さに見舞われた時であった。

 

それは比喩ではなく本当に床を転げ回っていなければ

我慢できない激烈な痛みで、痛みが止まらぬなら

殺して欲しいと思えるほど経験した事のない激痛であった。

 

痛み止めなどは勿論効かず、腎臓結石との付き合い方をよく知らなかった私にとって

その痛みが地獄の罰のように思え、ただただ楽になりたくて

「神様 助けて下さい」と思わず声を出していた。

 

(当時携帯電話などない時代でもちろん固定電話などもっていなかった一人暮らしの私は

 入院にかかるお金など想像もできず救急車を呼ぶ事は諦めた。)

 

私は痛みが我慢できず声を上げ「助けて下さい」と何度も声を出した。

無力さと情けなさから嗚咽と共に涙が鼻から喉に流れた。

 

典型的な困った時の神頼みであり、信仰に根差した深い祈りでも

他者の命の為の無私な祈りでもなんでもなく

自分ではどうしようも出来ない激痛から逃れたい一心であった。

 

「助けて下さい」を繰り返し、私はその長い夜をなんとかやり過ごした。

そして、無事朝を迎えられた時

生まれて初めて、どこにいるかわからない神様に素直に感謝をした。

 

後になって考えれば

子供の頃に強制的に新興宗教によって刷り込まれ大嫌いになった神事や祈りに

激痛を伴う病になった事で否が応でも再び向き合わされたのだった。

 

 

それからも肉体の痛みは私の信仰や神に対する姿勢を試すがのように

繰り返し形を変えて訪れた。

 

二十代の半ばに仕事で事故に合った。

結婚の為忙しくまた怪我に無知であった私は

事故の後無理をして働いた。

子供が出来、妻からの要望もあり家を空ける事が多いその仕事をやめ転職した。

しかし転職後その事故の後遺症が発症し、

仕事がらその症状と痛みは日に日に酷くなっていった。

そして三十を過ぎるともはや正常に仕事ができない状態になってしまった。

 

後遺症を治す為に完全に治るかわからない手術をするか、再び転職するか答えは二択だった。

そんな折たまたま実家に帰る用事があり

今は亡き兄に軽い気持ちで転職するつもりだと話をした。

すると兄は「子供もいるのにお前はまた仕事から逃げてどうするのだと」と

厳しく叱責した。

 

自分としては、痛みと向き合い折り合いをつけて仕事をし、限界までやったつもりであったが

兄の叱責で腹が決まって手術を受ける事にした。

 

執刀医は「元の体には戻れないが、後遺症は出ない体にはなれる」

と意味ありげは事を言った。

私はその言葉の真意を、手術後仕事をしながら痛みと向き合う事で思い知らされた。

 

手術後、あまり効かない痛み止めを毎日飲む生活が続いた。

寝ている時以外はその痛みから逃れられない日々だった。

強い痛み止めは半年ほど飲み続けるとほとんど効かないばかりか

内臓に大きく負担がかかるだけで、

私は体力の限界を感じはじめていた。

 

会社に残り仕事を続ける為に手術とリハビリをして

一から出直しの覚悟で仕事場に戻ったのだが、

痛みの前に膝を屈するギリギリの状態になっていた。

 

 

そんな時実家から本が届いた。

引退していた父は、趣味が読書と堂々と言えるほど家が本だらけの読書家で

自分が気に入った本を送ってくる人であった。

 

思春期に壊れてしまった父との関係は、私が思いの他早い結婚をし

孫も出来た事で世間的な大人の付き合いをする形に修復されていた。

 

私はいつもの父の勝手な送り物を仕方なく開けた。

予想通り中から一冊の本が出てきた

表紙には

『奇跡が起こる尿療法』 と書かれていた。

 

 

 

                               ⑥に続く