日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

『海辺のカフカ』 と 蛭子さん  と  愛の枠外へ向かう魂へのモノローグ   

2015年02月22日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

毒だらけのただのデンパ記事です。

この記事も政治、時事ネタではありません。

全くのジャンル違いですから、その方面の方はスルーしてください。

また生理的にグロかったり非常に個人的で不快な表現があると思いますので、

そういうのが苦手な方も決して読まないでください。

死や殺人にまつわる話なので、

気の弱い方、流血表現が駄目な方も絶対に読んではいけません。

この文章は毒ですから。毒と知った上でも読む事が出来る方のみお読みください。

ご承知おきください。

 

私はずっと村上春樹氏の小説を読んでいなかった。

正確には『羊をめぐる冒険』を読んで以来、氏の作品が生理的に合わず

もっと正確に言うなら嫌いになったので

以来ずっと氏の作品はどんな話題作も遠巻きにして読んだ事もなかった。

 

しかし去年ある事件をきっかけに『海辺のカフカ』を読んだ。

その切っ掛けは長崎の同級生殺害事件だ。

 

私は事件の直近に

冷血   闇が生むもの.  

サクリファイス   (犠牲)

『午後の曳航』

のタイトルで事件に関して記事を書いている。

 

私は昔からどうしても「死」という事象に引き寄せられてしまう。

その為にこのブログでも死者への呼びかけや

自殺を思い浮かべている人たちへ

生や死について今一度考えるように促すような記事が自然と多くなってしまった。

 

それは過去の記事に書いた事があるが、

もしかしたら結果として自殺として扱われたような事象を自身が経験したせいもあるし

毎年年間3万人も自殺者が出ていた真っ只中に、

中間管理職をしていて、部下がうつ病で自殺の危険があるようなケースが

身近にあったせいでもあった。

 

また10代の頃に突然受験仲間に自殺をされるという事もあり

近くでは働き盛りの兄を癌で亡くしている。

それ故に人の死を考えない事が

人生上あまりなかったせいからかもしれない。

 

死への考察と、殺人への考察は根本的に違うものだ。

しかし、どうしてもその結果である『死』に対して

殺した者と生と、殺された者の死について

思いを馳せる事をやめる事ができない自分がいる。

 

そういう意味で私は『死』という事象に長い間とり憑かれている

異常者の一人なのだと思う。

 

『午後の曳航』の記事に書いたとうり、中学2年の時に

私は自身の中に蠢いている心の闇を見つけ恐れるともに歓喜した。

それは理性では制御できない、

強烈なホルモンに晒されて脳がしびれるような感覚のようだった。

 

長崎の事件の加害少女の部屋の冷蔵庫から

猫の切断した頭部が証拠資料として押収されている。

 

私はそれをネットの記事で初めて読んだ同じ掲示板で

村上春樹氏の小説『海辺のカフカ』に猫の頭部収集家が登場するのを知った。

そして、加害少女の動機の手がかりを掴めるかもしれないという不順な動機で

『海辺のカフカ』を読んだのだった。

 

読んだ結果として、『海辺のカフカ』に登場する猫の頭部召集家と

加害少女は私の中では直接は結びつかなかった。

 

彼の行為と彼女の行為は行為は似ていても動機がまるで違うと感じた。

私にとっては加害少女の動機の闇のほうが遥かに深く

救いようの無いものに感じた。

 

村上春樹氏の小説からは、血の臭いをあまり感じられなかったが、

彼女が犯した凄惨なマンションでの事件の記事は

読むだけで部屋中に立ち込めた血の臭いがし

その臭いに全身で包まれながら歓喜に浸っている

彼女が見えるようだった。

 

それは残念ながら、私がかつて経験した歓喜に似ているように思え

胃の奥から苦いものがこみ上げて口に広がるのを感じた。

それは幼少時鼻血が止まらない体質であった私が

溢れる血を何度も飲んだあげく

我慢できなくなって吐いた時に感じた

口いっぱいに広がった死を連想させる臭いだった。

 

何故こんな醜い文章を書いているのかと言えば

それは自己確認にほかならないと思う。

 

私は恋愛もし結婚もし子供を持ち、無事育て終えたと言える歳になった。

しかし何歳になっても

胸の最深部にある血の臭いのするような闇をどうしても忘れる事も

消し去る事もできなかった。

 

今も闇を覗く誘惑を抑える事が出来ない自分がいる。

それ故、『海辺のカフカ』を読んだのだ。

 

しかし『海辺のカフカ』は読む前に想像したものとは全く別の何かを

私に残してくれた。

 

それはナカタさんとして登場する人物のなんともいえない味わいだった。

そして闇として蠢く猫の頭部収集家との対比に

不思議な救いを与えてくれた。

 

私の脳内ではナカタさんは蛭子能収さんで再生され、

蠢く闇を異次元に葬りさってくれた

たのもしいお地蔵さんのようであった。

 

私は兄の余命が後幾ばくかになった時に

藁にも縋る思いで信頼していた超能力者に奇蹟は起きないか尋ねにいった。

 

結果はもちろんNOであった。

 

その超能力者は私に

「この人の生まれてきたテーマのひとつは愛の拒絶だ。」と言った。

 

私と正反対で交友関係が物凄くひろかった兄が

病を境に家族以外誰とも会わなくなっていた。

幼馴染から、高校、大学、社会に出た後もそれぞれに

たくさんの親友や友達を持っていた兄が、

尋ねてくる誰とも決して会おうとしなかった。

 

唯一の例外は兄弟の私であった。

 

死後、

私の知らなかったを兄を、残された記録から知らされた。

 

兄は結局死ぬまで自身の奥底の気持ちを自分以外の誰かに

打ち明けるような事はなかったのだった。

 

兄の死は愛を拒絶しているようだった。

 

「この世界は素晴らしい。!」

と心の底から誰しもが叫びたい思ってうまれてくる事を

私はまだ信じたい。

 

だが、愛の拒絶や愛の枠外を生きるようとする事を

目的として生まれて来る魂が存在する事も私は否定できない。

 

愛と命の源である極点から対極まではなれようとする魂の存在は

白金の光から漆黒の虚無の間を生きる事を確認する為の

究極の道標の一つとして

この3次元世界が終わるまで存在し続けるように私は思う。

 

彼らの存在は無くならない。

私の中にも漆黒の虚無は今だ存在している。

でもそれでもいいと思える。

 

私はナカタさんの姿を蛭子さんに重ねながら、

ローカルバスの停留所にむかって泣き言をいいながらも走っている姿に

救われている自分を感じている。

 

 

 

 

 

 

 

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
 村上春樹 著
新潮社

『クラバート』  と  『千と千尋の神隠し』     そして宮崎 駿さん。

2015年02月22日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

最近政治ネタを書くと頭が疲れてしまう

老化現象のあらわれだろう。

ので、気分転換でまた違うジャンルのお話を。

前回の記事みたいなのがお好きな方には関係ないので

スルーして下さい。

また『クラバート』を読んだ事がない方は必ず読んでからお読みください。

本好き、物語好きな方は一生悔やみます。

また読む際は文庫版ではなく

色鮮やかな装填で上下巻に分かれていない単行本をお薦めします。

 

 

『クラバート』

オトフリート・プロイスラーによる児童文学の名作。

 

プロイスラーの『小さいお化け』や『おおどろぼうホッツェンプロッツ』を

子供の頃に読んで楽しませもらった記憶のあった私にとって

20才の頃に読んだ『クラバート』は

読み終えた瞬間から宝物になり

私の本棚の中で今も特別な輝きを放っている。

 

内容は魔法学校に迷い込んだ少年の話である。

 

こう書くとまるで『ハリーポッター』を想像する方が多いだろうが

『クラバート』 は『ハリーポッター』とはまるで色合いが違い

派手な魔法描写はあまりない。

 

その代わり、細やかな風景の描写と

ゆっくりとして落ち着いて流れてゆく時間が

少年といっしょに生活をしているような感覚を読み手に与え

同時に大人でも十分すぎるほどの真に迫る恐怖を創りだしている。

 

物語は少年の魔法学校入学から少女との出会い

そして少女による命を掛けた少年の救出劇の結末に向かって

見事に凝縮されてゆき

最終章のクライマックスは読み手を

一生虜にするほど素晴らしいものだ。

 

私は最初に読んで以来『クラバート』を何冊も買い

この人には読んでもらいたいという人に出会うと配っていた。

そんな本は私の中では後にも先にも『クラバート』だけだった。

残念ながら、人はそれぞれ趣味があるので、

描写の暗さが苦手とか、歴史的な背景がよく分からないから

いまいちピンとこなかったという人もいたが

それでも、読んでもらえた事だけで満足できるほど

『クラバート』は私にとって子供のような存在になっていった。

 

年月が経ち、私は宮崎駿さん

(氏と書くべきだが、失礼と知りつつ親しみを込めてさんと書かせて頂く。)

の『千と千尋の神隠し』が『クラバート』を原作の一部としている事を知った。

 

宮崎駿さんについて説明の必要もないだろう。

今では黒澤明氏と並び最高の映画監督の一人として日本を代表する誰もが知っている

アニメ映画監督である。

 

私は子供の頃からアニメが好きであったが

自身のハートを根底から揺さぶられるような経験をしたアニメ映画は

23才の時に観た『風の谷のナウシカ』がはじめてであった。

 

それ以来『風の谷のナウシカ』は私の中では『クラバート』と同じく特別な輝きを放つ作品になった。

(ナウシカについては語りきれないのでまた改めて書かせて頂くことがあるとおもう。)

 

ある時『クラバート』をあげた人から、家族に「これ千チヒの原作じゃん。」と告げられた事を聞いた。

私はその当時仕事が忙しかった事もあるが

『千と千尋の神隠し』を見ていなかったから、その言葉の意味するところがわからなかった。

また、あれほど熱中していた宮崎アニメを『紅の豚』を観てからは

進んで観る気がおこらなくなっていた。(これも詳細はいつか書くと思う。)

 

私は『風の谷のナウシカ』を観た後、宮崎駿さんがどんな方か知りたくて

当時いろいろ調べ、観られる限りの作品を観た。

その中には子供の頃に熱中したルパン三世のファーストシーズン、未来少年コナン

ルパン三世カリオストロの城、(私はこの最初の宮崎さんの長編アニメをライブで観ていない。何故なら

ルパンのその前の長編映画マモー編が私にとってはとても残念な映画だったので、

2作目を見る気になれなかったのだ、痛恨の極みである。)

またもっと小さい頃に便所の臭いのする田舎の映画館で観て熱中した

東映映画『太陽の王子ホルスの大冒険』も氏が参加している事を知り歓喜したりしていた。

また氏が外国の児童文学が大好きで多くの影響を受けている事も知った。

 

それ故に氏の最大のヒット作となった『千と千尋の神隠し』が『クラバート』を

原作の一部としている事を聞いて腹が立って仕方がなかった。

 

宮崎駿さんほどの人なら、

偽『ゲド戦記』(ゲド戦記の原作を一度でも読んだ事がある方は氏の息子吾郎氏が

鈴木敏夫氏によって作らされたあの映画がいかにひどい代物かご理解頂けると思う。)

のようではなく、『クラバート』そのものをそのまま最高のアニメ映画化出来たであろうにと。

 

 

また『千と千尋の神隠し』のエンドクレジットに原作脚本 宮崎駿とあるだけで

どこにも『クラバート』の文字がない事が

私が長い間『千と千尋の神隠し』を素直に評価できない理由になっていた。

ただ、映画のパンフレットには『クラバート』への言及が載っていて、

氏もインタビューで『クラバート』からの影響を否定していない事を後に知った。

 

『クラバート』と『千と千尋の神隠し』は確かにまるで違う物語だ。

まして、『クラバート』という物語を知らない人には私の話はどうでも良い話だろう

しかし、氏が大学時代にのめり込んだ児童文学の世界へのリスペクトが

その程度かと当時思えてしまえた狭量な私には、

過去にあれほど心酔した宮崎アニメを当時素直に楽しむ事ができなかった。

 

私の怒りはジブリ映画大好きな家族にも、もちろん理解してもらえなかった。

 

『千と千尋の神隠し』の公開からもう12年以上たった。

去年久しぶりにTVで再放送を見た。

 

さすがに『クラバート』の事での怒りも忘れた私は

改めて宮崎駿という人の作り出した世界を十二分に堪能した。

 

『クラバート』という名作が『千と千尋の神隠し』という名作を生むきっかけの一つになった事は

世界の子供たちにはもちろん

少年少女の頃を思い出す事が出来た大人たちにも

素晴らしい事であったなあと、

観終わった後しみじみ思ったのだった。

 

 

 

 

  

 

 

 

クラバート  オトフリート・プロイスラ― 偕成社


『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』  ③ 映画『歓びを歌にのせて』   歌と癒し。

2015年02月20日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

映画のあらずじ、ネタばれがありますので

まだ観ていない方は読まないでください。

 

私の楽器の稽古をやめた後の音楽との接し方は

極普通の昭和30年代生まれのものだったと思う。

 

昭和の歌謡曲からはじまり、年齢を重ねるごとに

フォークソング、ニューミュージックと呼ばれた一連のJポップ

カーペンターズや、ジョンデンバー、クィーン、ミッシェルポルナレフ

古典的なロック、ハードロック、プログレッシブロック

やがて、マイケルジャクソンやマドンナなどの80年代のアメリカンポップス

一方で山口百恵さんやキャンディーズなどのアイドルソングを聞きながら、

カッコをつけて洋楽だけを聞いているふりをしているというものだった。

(私は昭和35年生まれなのでビートルズ世代ではない。ビートルズというよりは

ジョンレノンのアルバムをロックのアーティストの一人として聞いた世代だ。

しかし中学の昼休みに決まってかかったのはビートルズかジョンデンバーだったけど)

 

それは音楽を奏でる側ではなく、聞き手になって楽しむという。

誰もがしている趣味の楽しみであった。

 

結婚をして子育てをして忙しく働いてゆく中でも

音楽を聞く楽しみは大いに私の生活を潤わせ助けてくれた。

 

そのうちカラオケなるものが発明されて、

飲み屋や、専用のカラオケ屋ができるようになると

唄う事は私の一番のストレス解消になっていった。

 

 

『歓びを歌にのせて』

2004年スェーデン映画 日本での公開は2005年

 

あらすじは

「音楽で人の心を開きたい」という夢を抱く人気指揮者ダニエル・ダレウスは、公演直後に心筋梗塞を起こし舞台で倒れ

一命は取り留めたが、それを機会に第一線から退いてしまう。

病を押して彼が隠遁の地に選んだのは7歳のときに後にした故郷の村。

酷い虐めにあった苦い思い出の地だ。

転居して早々、ダニエルはスポーツ店主アーンから教会の聖歌隊への助言を求められる。

聖歌隊に関わる村人たちはそれぞれ不満や悩みを抱えていた。

初めは指導をためらっていたダニエルだったが、

音楽の力を信じ、「声を感じあう」という独自の指導を始める。

次第に音楽の歓びに浸っていく村人たちであったが、

教会のスティッグ牧師は変化を嫌って干渉し始める。

村でのコンサートが成功し、アーンが申し込んだコンクールから招待状が届く…。

                               wikiからの引用を要約

 

この合唱をテーマにした音楽映画は

人が歌うという事の原点みたいなものを感じさせてくれた。

 

私はある人に

声は「その人個人の波動を一番ストレートに表現したもの」

と言われた。

言われてみれば、確かにそうだなと思った。

 

カラオケを歌っていて楽しい一番の理由は

自分の声を聞く事ができるからだと私は思っている。

 

それは普段の会話とは格段に大きく

発声する事で体が震え、

スピーカーから伴奏といっしょに流れる声を体に自身が浴びる事で

より一層自己の波動を確認できるからだと感じている。

 

うまい下手は確かにあるが、

自分の存在を十分確認できると共に、何かを自分なりに表現するという

心のベースにある歓びを

カラオケをして感じるられる事が

心をナチュラルな状態に導いてくれると思っている。

 

接待カラオケや、合コンやその他イベントとしてのカラオケの他に

最近一人カラオケが流行ってきているは、

単純にストレス解消と自己ヒーリングの効果が十分にあるからだと

20年以上前から恥ずかしげもなく一人カラオケをしていた私は

遅まきなブームを知り納得している。

 

映画『歓びを歌にのせて』は

「歌う」という

人間が原初の時代から自然と行ってきた本能的な行為のもつ

素晴らしい治癒力と、

合唱をするというハーモニーの原点が

命の根源と繋がっている事を見事に表現した作品であった。

 

私はこの映画を観て

歌う事のより深い力と意味を信じる事ができるようになった。

みなさん

辛くなったらお風呂でもいいからまず好きな歌を歌ってみてください。

ほんの少しですが、心が軽くなると思いますよ。

 

音楽は、音を楽しめればそれで十分なのですから。

 

 

 

 

 

 

歓びを歌にのせて [DVD]エイベックス・ピクチャーズ

 


『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』      ② 映画 『シャイン』 について

2015年02月20日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

引き続いて音楽について

名作映画のネタバレがあるので

『シャイン』をまだ観ていない方は読まないでください。

シャイン ―デジタル・レストア・バージョン― [Blu-ray]
 
角川書店

 

直前の記事に書いたように

私は幼少時に楽器のお稽古事を母の強い希望でさせられていた。

 

母は趣味としてではなく、

私を〇〇ニストにするレベルの厳しい練習を課していた。

 

それは、母の父親が一流の音楽家が幼少であった頃に指導していた事への

形を変えた復讐のようなものであったのだと、

大人になってから私は知った。

 

母はアカデミックな音楽の教育を受けた事がない人であった。

しかし音楽で成功するという事の果実がどういものであるかを

父親が心血を注いで指導した子供が

やがて想像以上の成長して社会的な成功を収めるのを目の前で見てきていた。

 

そして、母は後に自身に注がれるはずであった父親の愛情を

その人に盗られたと子供の頃に感じていたと言った。

それ故にどうしても音楽での成功を息子たちに夢みたのだと。

 

 

映画『シャイン』は実在のピアニスト、ディビット・ヘルフゴットをモデルにした

1996年に公開された映画だ。

 

私は『シャイン』を観ながら幼少期の辛かった母との練習を思い出して、

映画館で周りのお客さんが引いてしまうほど泣いた。

 

主人公のディビットにとって私の母の役回りは父親であった。

夜暗い部屋で電球の下、父に厳しい指導を受ける主人公を

自身に重ねていたたまれなくなって

途中で映画を観るができなくなりそうだった。

 

そして主人公がバスタブの中で大便をして、父親にプライドをズタズタにされる場面では

練習が厳しすぎて母にトイレに行きたいという事ができず

その場でお漏らしをした事を思い出し

思わず声が出た口を押さえ泣いてしまった。

 

いい歳をしたオッサンが咽び泣くのは異様な光景であっただろう。

 

『シャイン』は私の子供の頃の辛かった記憶を思いださせ

練習になると妥協をゆるさなかった厳しい母の記憶と共に

母の当時の愛情を理解するきっかけを与えてくれた。

 

映画は人生の不思議な出会いとはからい、

そして音楽という芸術の持つ普遍的な力を美しく表現していた。

 

『シャイン』を観終わった後

わたしは心の奥底から癒されたのを感じていた。

 

それは子供の頃に受け、どこかにしまい込んでいた

氷塊のようだった想いが

溶けるように心に沁みこんで

掛け替えのない私の一部になった瞬間であった。

 

 

 

 

 *続編

『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』 ④ 続 映画 『シャイン』 親と子  命の合奏(アンサンブル)  


『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』    ① 『四月は君の嘘 』 を観ながら。

2015年02月20日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

今日はまるで違うジャンルのお話を

政治や社会のお話に興味がお有りの方はお時間の無駄ですから

スルーしてください。

またアニメがお好きな方はネタバレが含まれるので

読まないでくさい。

名作はマッサラな状態で観て欲しいので。

それでも暇つぶしをしたい方は読んでみて下さい。

 

フジのノイタミナ枠のアニメ『四月は君の嘘』が佳境を迎えようとしている。

私はこのブログに『アニメはいつか世界文化遺産になるか』という記事に書いたとうり

子供の頃からのアニメファンである。

 

鉄腕アトムからはじまり、ジャングル大帝、ディズニー、巨人の星や、あしたのジョー、

もう昭和の熱のあるアニメを子供の頃ライブで観てどはまりした世代だ。

 

大人になりアニメから一旦はなれたが、

子供の誕生と共にまた見始めて、子供の成長とともに深夜アニメにもはまり

以来もうこれは死ぬまでアニメを見てゆく勢いだ。

 

そんな中前期と今期の2クールで放映している

『四月は君の嘘』は音楽を題材とした漫画を原作にしたアニメで

私は原作漫画は読んでいないので

このアニメを毎回楽しませて頂いている。

 

簡単なあらすじは

14才の音の聞こえなくなった天才ピアニストの少年が

同じ歳で型破りのバイオリニストの少女に出会った事で

自身の音と音楽を取り戻してゆくというストーリーだ。

 

14才の少年と少女たちの瑞々しい会話や詩的なモノローグが

合わない人にはお薦めしないですが、

私はそういうベタな中二的な表現はどちらかと言うと好きな方なので、

(正直に言えば自分がそういうポエムチックな中二病全開の中学生だったので)

気恥ずかしい気持ちを感じつつ当時の事を思い楽しませてもらっている。

 

「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる。」

 

19世紀のイギリスの文学者ウォルターペーターの著作の中での言葉ですが

私は歳を重ねるにつれその事を実感した一人です。

 

私と四歳違いの兄は、アニメの少年少女と同じように

物心つく前から楽器のお稽古をさせられていた。

 

当時としてそうとう贅沢な事で恵まれた事であったが、

させられていた本人にとっては苦痛でしかなった。

毎日最低3時間におよぶ練習を、もの心つく前からさせられていた私には

母に1メートルの竹の和裁用の物差しで手を叩かれ

泣きながら練習をを続けなければならない事の理由がさっぱりわからなかった。

 

そして子供にとって一番楽しみな日曜日の夜に

兄と二人だけで先生の授業を受ける為に電車に乗って通わされていた。

 

外遊びの一番楽しい3歳から10歳までの期間

楽器の稽古が中心の生活であった。

しかしその稽古も音楽の文字どうりの『音の楽しさ』を知る以前に

突然終了となった。

 

それは遠くから来てくれていた先生が自動車事故に遭い

私たち兄弟と数人の生徒を見る事が出来なくなってしまったからだった。

 

もともと、母の強い希望で始めた稽古事だったので

中学も3年になっていて、受験もあり片耳が聞こえずらかった兄は

それを区切りにやめる事になった。

 

私は兄より数倍稽古が嫌いだった。

しかし母は才能があるのは私だと先生に言われていたらしく

最後まで私に稽古を続けるように言い続けていた。

 

しかし代わりの良い先生は見つからず、我が家だけでは優秀な先生を招く

経済的な力もなかったので、母は苦し紛れに音楽と勉強とどちらを選ぶかという

子供にとっての究極の選択を私に求めた。

 

それは、どちらをとっても遊べないという。

選ばされる方にとっては、なんともやるせない不公平な選択だった。

 

稽古が嫌いで音楽の楽しさをまだわからなかった私は

迷わず勉強と即答した。

そして残された小学生の時間をオモッイきり外遊びをして

良い少年時代の思い出を作る事が出来た。

 

やがて母の希望で中学受験をさせられ、高校はもちろん

行く大学まで決めれているようなそんな思春期を迎える事となった。

 

思春期の自我の目覚めと共に私は楽器の稽古を選ばずに

勉強を選んだ事を後悔しはじめた。

音楽の楽しさをいろいろな形で知るようになったからだった。

 

しかし、クラスメイトの女の子で真剣に音楽と向き合っている子と出会ってからは

自分の思いが安易な憧れだったと知らされた。

 

彼女は私と違い子供の頃から真剣にピアニストになる事を望み練習を積み重ねてきていた。

コンクールにも出てまさに「四月は君の嘘」に登場する、

多くの少年少女と同じようにひた向きで純粋に音楽と戦っていた。

私はその頃は楽器はもう一切やらなかったが、歌う事が好きであった。

進学校の中学生の男子では珍しく音楽の授業を真剣に受けて

歌う時は人一倍大きな声で歌っていた。

彼女とそんな私は気が合って、音楽の話を放課後にしたりしていた。

 

受験校を決める季節の頃、彼女に「ピアニストを目指すの?」と私は聞いた。

 

職業としてピアニストを目指す事がどれだけ確率の低い事かを

もう十分理解していた私はあえてその問いを彼女にしてみたかった。

 

彼女はしばらく身じろぎもせず前を見たままだったが

やがて私に両手を見せて

「この小さな手では無理だから、私はピアノの先生になるわ」

「そしていつかピアニストを育てられるようになりたい」

と答えてくれた。

 

私はその真摯で純粋な答えに

自身の音楽への憧れの甘さを思いしらされて恥ずかしかった。

 

15才の少女が真剣に音楽に向き合い

出来る事と出来ない事を冷静に判断して自身の人生を生きてゆくのは

別にアニメの世界の話ではなく、

いつの世も芸術に心底魅せられた人々の共通の思いだろう。

 

彼女が指の間を広げる手術を受けるという噂が流れていた。

私は其の事を彼女に聞く勇気をもたなかった。

 

中学生の少女がピアノの為に手にメスを入れるという事を考えるのは

どれだけの葛藤があってのことなのかわからない。

結局彼女はピアニストになる事を諦めて

誰かに音楽を伝える事を15才で選んだのだった。

 

身も心も音楽に捧げている彼女を

私はうらやましかった。

そしていつか私もそういうものに出会いたいと心底願っていた。