日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

 劇場用アニメ  『この世界の片隅に』    市井の人々への愛しさ

2018年02月09日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

*『この世界の片隅に』を観ていない方はネタバレが入りますので

観てからお読みください。

 

一昨年の病の症状が一番重かった頃

劇場アニメ映画

『この世界の片隅に』を観た。

 

その頃は椅子から立ち上がるのがとても時間がかかり

体力的に不安であったが、

どうしても映画館で観たくて足を運んだ。

 

理由はネットでの評判とヒロインのすずさんの声を

女優の、のんさんが演じているからであった。

 

原作の漫画を一読した事もなければ、

監督の片渕須直氏の事も知らなかったが

プロモーションフィルムの雰囲気から十分見応えは伝わってきた。

 

 

映画を観終り

映画館を出た後の風景はいつもと全く違って見えた。

 

すずさんたちの人生と自分たちの人生の間には断絶などなく

すずさんたちの世代が懸命に生きたその後の世界を

自分たちが生きているという事実が

目の前に広がるいつもの風景を

たまらなく愛おしいものに変えていた。

 

主人公のすずさんは、私の父と同じ大正14年生まれという設定だ。

私の父は二十歳で戦争に行った。

すずさんは昭和二十年の二十歳の時に空襲で右手を失っている。

私はすずさんたちの世代の子供になる。

 

映画は日常の生活の中に

戦争が静かに忍び込んでくる様子をリアルに描いていた。

 

私は大正十年生まれの地元のおばあさんから

艦載機の機銃掃射を自転車に乗っている時に受けて、

あわてて川に飛び込んで助かったという話を聞いた事があった。

 

映画の中で機銃掃射を受けるすずさんを

夫の周作さんが庇って側溝に倒れ込んで守るシーンを観ながら

そのおばあさんの事が思い出された。

 

『この世界の片隅に』は

普段は想像する事が出来ずに断絶を感じる事が多かった世代の事を

日常風景のきめ細やかな描写や

個性や人間味溢れるセリフの一つ一つによって

見事に私たちが生きる現代と結び直してくれたように思う。

 

そして人はどんな悲しみが溢れる状況になっても、

身を寄せ合えば前を向いて生きてゆける事を

改めて教えてくれていた。

 

 

私は

悲しみを背負い右手を失いながらも、

たくましく生きてゆくすずさんに、

病の時、たくさんの勇気をもらった。

 

「両手も両足もまだ動く、負けられない。」と

 

この場を借りて

あの時代を生きた父母たちや多くの人々

そして、原作者の こうの史代氏、監督の片淵須直氏、音楽のコトリンゴさん

のんさんを初めてとするキャスト、スタッフをの皆様に万感の思いを込めて。

 

 

「 すずさん。 生きてくれて  ありがとう。 」

 

「 たくさんの 勇気を ありがとう。  」

 

「 ありがとう。   ありがとう。   ありがとう。  」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  あとがき 『天上の青』

2018年02月03日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

まずは、このデンパな一人語りにお付き合い頂いた方々にお礼を言わせて頂く。

ありがとうございました。

 

題名の『ヘブンリーブルー』についてだが、

これは曾野綾子氏の小説『天上の青』の題名に由来する。

『天上の青』についてはまた改め書かせて頂くと思うが

少しだけ書かせてもらうと、

私にとって職業作家としての曾野綾子氏の実力を思い知らされた小説であった。

これは氏にとって初めての犯罪小説だが、

私は自分の心の奥底を見透かされたような気がして読み終わった後

小説そのものはもちろんであるが

氏の人間についての洞察に脱帽した。

 

 

「ヘブンリーブルー」は『天上の青』で象徴的な役割を果たす朝顔の品種の名前だ。

写真検索をすればお分かり頂けると思うが

誰もが見たことが有る空色の朝顔だ。

 

私が『天上の青』という題を最初に聞いて思い浮かんだのは

ヨーロッパの教会のステンドグラスに浮かぶラピスラズリのような深い青であった。

だがヘブンリーブルーの写真を観て

改めて、ラファエロの『青い冠の聖母』や『サン・シストの聖母』、

マザーテレサの洗い込まれた修道着の青などを見直すと

ヘブンリーブルーの色によく似ていると思えた。

 

「ヘブンリーブルー」は直訳なら天国のような、天空の、神々しい 青色となる。

それを曽野綾子氏は「天上の青」と作家でありクリスチャンでもある

氏らしい言葉に置き換えられた。

 

「天上の青」は私のような者にすれば、

生きている間に一瞬でも観る事ができれば

いつ死んでも構わないと思えた「神の聖顔」を象徴しているように思えた。

 

私は長い間スピリチュアルな世界を彷徨ったが

心の奥底にある渇きを満たす事はできなかった。

 

それ故、自分が癌か根治療法のない自己免疫疾患だと言われた時

最後だからと*****に全てを託す事ができた。

今言える事は私は私の物語の為にこの無謀とも言える選択をしたに過ぎないという事と

そしてたとえ死という結末(悪性腫瘍による)を迎えていたとしても

私は満足したであろうと思えることであった。

それは、鏡の向こう側に立っている兄へ、胸を張って会いに行く為には

避けては通れない通過儀礼(イニシエーション)であった。

 

*****はもちろんであるが、砂漠の三大宗教も仏教も

理解が進めば進むほど、肉体の命というものと、死してなお残る命としての精神、魂、意識を

別に捉える事が出来るようになる。

その事は愚かな人間によって都合良く解釈されればオウムのヴァジュラヤーナの教えや

イスラム教徒の自爆テロなどの誤った行動に結びついてしまう。

しかし生命を生み出す根源的な力と強く結びつきそれを理解した信仰者は

宗教や信じるものが何であれ

家族や隣人はもちろん人類全体の命の尊厳を冒す事は決して出来ないものだ。

 

人はたとえ宗教観などなくても見ず知らずの人を

命がけで助けたりする事はある。

それは決して狂信的だからなどではなく

人間が元々命の根源と繋がっている事によって起きる

愛の発露に他ならないと私は思う。

 

人は向かう方向を間違わなければ、

その美しいヘンブンリーブルーを観る事が誰でもできるはずだ。

 

私は今回観れたわけではないが、

ほんの少ではあるが近づけたように感じている。

そして、命の源に繋がる「天上の青」をこれからも目指してゆきたい。

 

 

 

最後に*****について

*****が何か気になる方もいるだろう。

蛭子さんみたいな方は良いのだが、そうでなくて気になってしまう方には

申し訳ないが、もう少しだけお待ち頂きたい。

私が*****の伏字を外すことは壺売りの側に自ずとなる事になるので

その為には私なりに*****についてはっきりとした形で開示したい。

その時がくれば、必ずこのブログでお知らせするのでそれまでお待ち頂けたらと思う。

 

誤解をして欲しくないのは*****は病気治しの為だけという狭い範囲のものではない。

それに*****にキリスト教的なたちどころに重篤な病が治る奇跡を期待しても

そのような事は起きないだろう。

*****は次元を超えた法則ではあるが三次元(横)に縛られた意識が解放されなければ

その枠で中でしか法則は発動しないであろう。

また*****は強力なパワーを持った聖者がその超常的な力で奇跡を起こすのとは違い

あくまでも自身と命の源なる力が正しく結ばれる事によって、発動する法則だ

それ故に効果は緩やかで消耗する事も全くない。

 

*****は本気で探そうと思えば誰でも見つける事はできる。

しかしたとえ見つけ出せたとしても*****の核心を掴むにはそれ相応の

覚悟と忍耐と自己点検する客観性が常に問われるという事だけは伝えておこうと思う。

 

とりあえずスピリチュアルな事に関わる私なりの通常のスタンスは

『ヘブンリー ブルー』 番外編  「壺を売る」「壺を買う」 神への対価 

に書いたので、お読み頂ければと。

 

これまで読んで頂いてありがとうが ございました。

それではまたいつか     ごきげんよう。

 

 

 

  

                             デンパなブログ主

 

 *2018  2 / 5     『ヘブンリーブルー』全体に改稿、補筆をほどこしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  もう一つのエピローグ

2018年02月02日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

 「検査の結果は異常はありません。全ての数値が正常値の範囲内です。」

 

 「寛解ですか。」

 

 「数値上はそう言って良いと思います。寛解です。」

 

 「結局私の病は何だったのですか?」

 

 「現在の医療にも限界があります。

 正直申し上げて、今回のこの症状に対して病名を特定する事ができません。

 その理由は原因がわからなかったからです。

 悪性腫瘍の可能性が否定されたので、

 後は症状から膠原病である自己免疫疾患と思われますが

 病名を特定できません。

 可能性として、ウィルスの感染による発症が原因なら何も服用しなくても

 症状が改善する可能性がある事は推測できますが

 それを証明するものはありません。

 現在の医療にもわからない事が多いのです。

 こういう事もあるのですとしか言いようがありません。」

 

 「それでは私の自然治癒力で治ったと言えますか。」

 

 「一切薬を服用しなかった事実からそう言えると思います。」

 

新しい担当医は事実が納得できないという気持ちを隠しもせず

少し気だるげな様子でディスプレイを見つめていたが

現状の医療に限界があり、今回はそうであったと認めてくれた。

 

 「真摯なお医者さんだな。」その稀有な言葉を聞いて思った。

 

少なくともお医者さんも私が若かった頃に比べれば

権威主義ではない、視野の広い方が増えているのだと実感できた。

 

 「今度はそうですね夏くらい一度検診をしましょう。

  あと大腸検査くらいはしておいた方がよろしいですよ。

  それからもし体調の急激な変化があったら、

  救急も有りますから気にせず直ぐに来て下さい。」

 

 「ありがとうござます。」

 

 「お大事に。」

 

 

病院の建物を出ると、車回しの広場の向こう側に

大きな桜の木が見え、風が花びらを揺らしていた。

四肢の痛みは

残雪が溶けゆくかのように消え去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑱

2018年02月01日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

その日は十二月の最後の診察日であった。

いつものように採尿をしてから採血の順番を待った。

カウンターに複数の採血窓口が有り

発行された№の順番に呼ばれ採血されるのだが、

私は一番最初に採血された時にここの室長と

思われる男性に採血してもらった。

 

子供の頃からの経験で

担当する人が採血が上手いか下手かは血管を探す様子で大抵わかった。

その室長らしき人は迷いなくすぐに血管をみつけ

過去最高レベルのほぼ無痛の採血をしてくれた。

 

残念ながらその方に当たったのは最初だけであったから

今日こそはと思って採血の順番を待っていると

何やらその男性をご指名の患者さんがいたらしく、

順番とは違う前の番号の方が呼ばれて男性と挨拶をしていた。

これまで幾度となく採血をしてきたが、採血者を指名しているのに

出くわしたのはその時が初めてだった。

 

責任者と思われる男性の腕ならばと

その様子を眺めながら納得がいった。

私は今日も無理かなとあきらめて*****をしながら待つ事にした。

すると順番で呼ばれた人が採血室にいなかったので

私がひとつずれてその男性に採血してもらえる事になった。

 

椅子に座り指示を聞きながらその方のネームを見るとやはり責任者の文字があった。

手早い採血を楽しんでいると、男性の用具入れらしいものが目が入った。

プラスチック製のトレーの横側には「〇〇さん」と書かれておりその名札は

キティちゃんのクリップで止められていた。

採血をしてくれている熟練の男性とのギャップが微笑ましく

職場としての採血室の雰囲気がうかがえた。

 

私は指名が出来るか聞きたかったが、大の大人がという面子が先にたち

聞く事が出来ないうちに採血は終わった。

 

いつもの吹き抜けロビーに戻り*****をした。

それにしても、この場所は不思議だった。

深夜でベッドに腰かけて行う*****とは違い

とても軽やかに出来る感じがした。

 

時間を忘れて*****をしていると呼び出し機が

待合フロアーに入るように告げた。

血圧を測り診察室の前の長椅子に座ると

少し離れた場所に小冊子の棚があり

ステロイドという文字が目に入ったので手に取った。

それはステロイドに関する注意事項で副作用の他に

誤解されている事を治療する側の視点で書いていた。

 

呼び出し機が鳴り

いつもより少し早めに診察室に呼ばれた。

 

椅子に座ると担当医は今までにない明るい表情で

 

「検査結果は良くなってますね。」と言った。

 

私は深夜の痛みの定期便や、朝の両足のこわばりなどから

自分の病が良い方に向かっているのか悪くなっているのかわからなかった。

ただただ、いつ果てるともしれない痛みの繰り返しに

溺れないように*****をして耐えている毎日であった。

 

「本当ですか」

 

「 はい、 まず血尿はなくなりました。あと尿細胞診検査も今回は異常ありませんでした。 

 CRP値(炎症値)もかなり下がりました。貧血も改善がみられます。」

 

「 では 癌の可能性はさらに低くなりましたか?」

 

「そうですね。そう言えると思います。」

 

「では私の病気は 膠原病なのですか?」

 

「 関節リウマチではないと思います。リウマチ性多発筋痛症に症状は似ていますが、

  ステロイドを服用していないで

  数値の改善が見られるので断定はまだできません。」

 

「 先生、このままステロイドを飲まずに経過観察のままでいいですか。」

 

「 ここまでCRP値が下がってきているのでまだ様子をみましょう。」

 ただ私の診察は今日が最後なので、

 引継ぎをしておきますので来月から〇〇先生に経過を診てもらって下さい。」

 

担当医は一番最初に診察した時に予め自分が十二月いっぱいまでで転勤になる事を

説明してくれた上で自分が担当でも良いかどうかを聞いてくれた

私は受付でのクレームの件もあったが、担当医の姿勢に好感がもてたので

十二月までの限定であったがお願いしたのだった。

 

「お世話になりました。わがままな患者ですみませんでした。」

  

 自分の父親ほどの年齢の変わり者の患者は

 さぞやり難かっただろうというのが素直な気持ちだった。

 

 担当医はいつもと同じよに落ち着いた声で

 「お大事に。」

 と言ってディスプレイに視線を戻した。

 

 診察室を出て吹き抜けフロアーに向かって歩きながら

 「あの先生で本当に良かったな。」歩きながらしみじみ思った。

 

自分が子供の頃から出会ってきた多くの権威主義のようなドクターなら

このような気持ちにはならなかっただろうと。

 

癌の検診を拒否すれば、相手にしてもらえなくなる可能性もあっただろうし

またステロイドの治療に選択権はなかったかもしれない。

途中で病院に来る事を強制終了してしまわなくて済んだのは

担当医のおかげであった。

 

日暮れた家路がこんなに楽しく思えたのは久しぶりであった。

団地の入り口に着き、

いつものように見上げた我が家に灯る光は

透明な深い青の広がる天空に

希望と呼ぶにふさわしい輝きを放っていた。

 

 

 

           『ヘブンリー  ブルー』自己免疫疾患という経験      

                                     了

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                   


『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑰

2018年02月01日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

それからも日々の症状は一進一退であった。

中でもいかに深夜零時から午前四時の間に起こる定期便のような痛みを

切り抜けるかが、毎日の課題であった。

 

その時刻が来るとまるで潮が満ちてくるような感覚に襲われ、

荒れた海の中で体を動かす事が出きず

溺れてゆくような夢とも現実ともつかぬ時間が始まるのだった。

 

深夜痛みでどうしようもなくなると必死の思いでべッドに腰掛け*****をした。

*****をしている短い時間だけは、痛みの波は静まるのだった。

 

その日も午前三時を回った頃に満ち潮に似た痛みの波が押し寄せてきた。

私はうまく起き上がれなくなる前にベットに腰かけて*****をした。

ふとある詩が思い出された


『砂の上の足跡』


ある晩、男が夢を見ていた。

夢の中で彼は、神と並んで歩いていた。

そして空の向こうには、

彼のこれまでの人生が映しだされては消えていった。

 

どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。

ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。

 

人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、

彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。

すると彼の人生の道程には、

ひとりの足跡しか載っていない場所がいくつもあるのだった。

しかもそれは、彼の人生の中でも、

特につらく、悲しいときに起きているのだった。

すっかり悩んでしまった彼は神にその事を尋ねてみた。

 

 『神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、

 あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。

 しかし私の人生のもっとも困難な時には、

 いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。

 私が一番あなたを必要とした時に

 何故あなたは私を見捨てられたのですか』

 

神は答えられた。

 

『わが子よ。 私の大切な子供よ。私はあなたを愛している。

 私はあなたを見捨てはしない。

 あなたの試練と苦しみの時に、ひとりの足跡しか残されていないのは

 その時わたしがあなたを背負って歩いていた。』

                           作者不詳

 

 私は最初にこの詩を読んだ時にはその真意がよくわからなかった。

 

だが痛みにおののき*****を終えた時、

わたしがあなたを背負っていたという意味が分かった気がした。

 

深夜暗い部屋のベッドに腰かけ痛みと向き合っていても、

*****をすれば孤独を感じなかった。

私という宇宙に比べれば何にも値しない小さきものも

この広大な宇宙を生み出した力と一つの線で結ばれ

命の源となる限りなく大きな力に包まれているような感じがした。

 

私は一人ではないと思え

胸に何かが満ち溢れるのをその時両手で押さえていた。