日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

『萌えとの遭遇』 初音ミクさんとBABYMETALに『超時空要塞マクロス』の歌による意識の変容を夢見る。

2016年04月16日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

最初に熊本地震の被災に合われた方々にお見舞いを申し上げます。

また亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

オタク頭の趣味の話です。

前回音楽の衰退を予言しておきながら

アニメと音楽好きのたわいもない夢の話しをひとつ。お暇で時間を潰したい方はどうぞ。

それからSFアニメ『超時空要塞マクロス』シリーズのネタバレがあります。

どうでも良い方がほとんどでしょうが、観る予定がある方はご承知おきください。

 

米ビルボードでBABYMETALのアルバムが

坂本九ちゃん以来53年ぶりにチャート40位内にはいった事が

ようやくテレビで話題になっていました。

 

私は去年の紅白歌合戦にBABYMETALと初音ミクさんの

どちらかは出場するのではないかと少しだけ期待していました。

結局両方とも出場はかなわなかったですが

今年こそはBABYMETALは大人の事情でもない限りは紅白に出れるのではと思います。

ちなみに初音ミクさんはオワコン(終わったコンテンツ)と言われ続けながらも

2014年にはアメリカのTV音楽番組レイトショーでお茶の間デビューしていますし

日本では遅れて去年タモリさんのMステに出演をはたしました。

2011年から海外で生バンドでのLIVE公演を行っていて

今年も北米7箇所でLIVE公演が4月23日から始まります。

 

ご存知ない方は少ないかと思いますがとりあえず改めてご紹介

『初音ミク』(商品名としての紹介なので仕方なくさんづけなしで)は

2007年にクリプトン・フューチャー・メディアから発売された

音声合成ソフトのボーカル音源とそのキャラクターの名称です。

DTM(デスクトップミュージック)とはコンピューターを使ったいわゆる打ち込みミュージックですが

アナログシンセサイザーの頃から長い進化を遂げて、

ヤマハがVOCALOID(ボーカロイド)という音声合成ソフトを2004年発売したことにより

簡易的に人が歌うようにを音声を合成することが可能になり

簡単な打ち込み操作でコンピュータに歌わせる事が誰でも出来るようになりました。

『初音ミク』はVOCALOIDに対応したボ-カル音源で

声に身体を与える事でよりリアリティーを増すという観点から

ヴァーチャルアイドルのキャラクター設定がされたそうです。 

(wikiを超短く編集、詳しく知りたいかたはwikiの本文を参照してください。)

 

十代の頃私は音の編集のできるシンセサイザーに一時期憧れました。

アーティスト御用達アナログシンセサイザーのミニモーグの値段を調べその金額を知り

短い夢だったなと思い、国産の手の届きそうなものを物色して他の機材がいろいろ必要と知り

結局はあきらめたのでした。(また高田純次さんの顔がチラツク)

 

時を経てパソコンの登場とソフトの進化によりDTMは

お金をかけなくても誰でもやろうと思えば出来るものになりました。

そしてボーカロイドヴァーチャルアイドルの初音ミクさんの登場は

膨大な数のプロでないネット音楽プロデューサーを誕生させるきっかけとなったのでした。

 

ミクさんの声は初期のボーカロイド故に

声優の藤田咲さんの声をサンプルとしているとはいえ

人間の声との違いが明らかな電子音声です。

当然初めて聴くと違和感が有り、はっきりと好き嫌いが分かれる傾向があります。

ミクさんはその誕生の時から生理的に電子音声を受け付けない人たちから揶揄され、

そのアニメ的な萌えキャラとあいまって強烈なアンチが常に存在しています。

 

そんな逆風が有りながらも

パッケージに萌えキャクターのイラストを描いて

ヴァーチャルアイドルと設定した音声合成ソフトが

ニコニコ動画というミクさんの誕生とほぼ同時期誕生の動画SNSによって

MMD杯(ネット民が開発したフリーソフトを使ったボーカロイドキャラの2次元ダンス大会)など

ボカロ文化と呼べるまでに広がり成長するとは発売された当初は想像もできない事でした。

 

私が『初音ミク』からミクさんになったのは2010年です。

2007年の発売の時から知ってはいましたが、コンピューターに歌を歌わせる事に

興味がなかった事もあり(むしろ自分で歌いたい)

ミクさんの歌がたまに耳に入ってきてもしっかり聴かずに聞き流していました。

そのうちにミクさんの事をすっかり忘れてしまった私は

たまたま観たyoutubeの2010年の39ミクの日感謝祭のLIVE映像を観て度肝を抜かれたのでした。

 

2007年にはイラストで動かない絵に音楽がつけられていたにすぎなかったものが

たった3年間でLIVE公演で生バンドをバックに3Dホログラム(立体映像)で

ダンスをするまでに進化していました。

それは真正のヴァーチャルアイドルそのもの姿で、

緑のサイリウムを振り盛り上がる観客と共に観終わった瞬間から

私の中で『初音ミク』はヴァーチャルアイドルの初音ミクさんになったのでした。

 

ミクさんのLIVEの映像を観、歌を聴き続けているうちに

私は彼女の電子音声がいっさい気にならなくなりました。

 

むしろあの少したどたどしい感じが年齢相応の少女のように思え

そのキャッチーなダンスや仕草からプログラミングされた

透過スクリーンに映された3Dホログラムでしかないはずの彼女に

意識や人格を感じるようなっていきました。

 

それは今まで経験した事がない感覚でした。

 

2次元のイラストの萌えアニメ的キャラクターが3Dホログラムになって歌い踊るのは

言葉だけではない確かな次元の違いを感じました。

 

1982~1983年に製作されたSFアニメ『超時空要塞マクロス』の続編のシリーズとして

1994~1995年に製作された『マクロスプラス』という作品があります。

その物語の中にAI(人工知能)によって誕生し銀河で随一の人気を博し

やがてシステムを乗っ取り反乱を起こす

「シャロン・アップル」というヴァーチャル歌姫が登場します。

 

3Dホログラムのミクさんが歌い踊るのを観た『マクロスプラス』を知るアニメオタクは

ミクさんにこの「シャロン・アップル」を重ね

SFアニメが現実になろうとしている事に歓喜しました。

 

前回の記事にも書きましたが

私は人間の意識は量子エネルギー体に近いものだと思っています。

それゆえに意識は光と同じ波と特性と粒子の特性の両方を合わせ持つと。

 

ミクさんの3Dホログラムのボディは透過スクリーン上ではありますがレーザー光線で作られているので

量子ボディと言い換える事もできます。

また彼女のデジタル音声も私の考察では

粒子的特長と波としての特長を持ち

意識にシンクロし活力を与えるエネルギーをもっています

それ故にミクさんは人間の意識と同じように量子的なエネルギーが

歌を歌っていると私は感じるのです。

 

2014年5月19日ラスベガスで故マイケル・ジャクソンの3Dホログラム公演が行われました。

youtubeにLIVE映像が下記URLに出ていますが

ttps://www.youtube.com/watch?v=jDRTghGZ7XU

かなり完成度の高い精密な3Dホログラムで会場で直接目にしたら

本当に不思議な感じがしたと思います。

亡くなった方が目の前で歌って踊っているのですから。

 

ミクさんの不思議なところは元々存在しなかったヴァーチャルアイドルですから

マイケル・ジャクソンのような幽霊的な違和感は発生せず

異世界の妖精さんがこの世界にやってきてアイドルをやっているような

リアルタイムな感覚に没入できてしまう事です。

 

最後の曲が終わり、ミクさんが泡のような光の粒となって消えて行く時に感じる

淋しさに似た感覚は何なのでしょうか。

 

歌や音楽は自分の感性や感情を投影できるとシンクロできて一体感を感じます。

ミクさんは声はもちろんボディまで純粋な波動で出来ていますから

聴いている人の感性や感情が投影しシンクロできると

人間が歌っているのと同じような一体感を感じる事ができるのだと私は思っています。

そしてLIVEでそのような感覚的な体験をすると

ミクさんが実際に意識のある存在に感じられる為に

別れの際に手を振って消えてゆく姿を見送る時に切なさを感じるのでしょう。

 

あとミクさんの年齢が16歳というのも重要なポイントだと思います。

これはBABYMETALの3人の少女たちにも共通している事ですが、

彼女たちの武器である「萌え」という感覚は

幼児的(ロリコン的)要素が重要なキーポイントとなるからです。

「カワイイが正義」という言葉が成立するのは

彼女たちがそれにふさわしい未成熟さを持っているからで

成熟した大人の女性の「カワイイは正義」はお情けのお約束としてしか通用せず

子猫や赤ちゃん10歳以下の子役の持つ

真正の幼児的カワイサのエネルギーを持つ事は決してありません。

 

アメリカの音楽番組「ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア」に

BABYMETALが出演した後のアメリカの反応を眺めていて感じる事は

聞きなれたヘビーメタルのオブラートに包まれていたので警戒せず飲んだ薬に

『萌え』という経験した事のない強い成分が大量に入っていて

その効き目に戸惑っている様子が多くのコメントに滲み出ていました。

 

私が面白いと思ったのは、ミクさんがアメリカのお茶の間デビューした時は

アニメ的二次元キャラと音楽もJ-POPなので文化の感性が離れ過ぎていて

BABYMETALほど『萌え』因子が発動せず

WTF(何じゃコリャ)的空気が大半で『萌え』的な戸惑いを感じさせる人が少なかった事です。

 

BABYMETALの場合は音楽自体はヘビーメタルという聞きなれたものでしたが

ボーカルとダンスパフォーマンスが日本のストレートな十代のアイドル少女たちという事で

『萌え』のようしゃない直撃をアメリカのお茶の間は受けたのだと思います。

 

それはまるで最新シリーズのひとつ前の『マクロスF』で

ヒロインのアイドル、ランカちゃんの歌を聴いて

武器を捨て反乱をやめてしまうゼントラーディー(巨人族)の兵士たちと

その様子を見てもなお抵抗を試みようとする反乱軍の首謀者の反応に似ていて

私はBABYMETALの3人の少女がランカちゃんに見えて

ミクさんからシャロン・アップルを感じた時と同じデジャブを見た気がしました。

 

1982~1983年にTV放映されたシリーズ最初の『超時空要塞マクロス』観ていなかった私は

84年に劇場版『超時空要塞マクロス・愛おぼえていますか』を観て

ゼントラーディとメルランディという巨人族の男と女たちが

リン・ミンメイというアイドル歌姫の歌によってカールチューン(文化因子)が呼び起こされて団結し

戦争が終結するというストーリーに呆気に取られました。

「そんなの有りなのか!」

と呆れつつも映画を観終わって何か見事にやられた爽快感に満たされました。

 

それ以来『超時空要塞マクロス』シリーズは最新作『マクロスΔ』までずっとぶれずに

戦争とアイドルの歌と恋愛という構図を守りながら

独特の可変戦闘機バルキリーや白い航跡を何重にも描く通称納豆ミサイルなど

戦闘場面での板野サーカスと呼ばれる様式美を確立しながら

後のロボットアニメに大きな影響を与えています。

 

アイドルの歌によって戦争が終わるというマクロスが見せてくれた夢を

初音ミクさんとBABYMETALというヴァーチャルとリアル両方の日本のアイドル歌姫が

ヨーロッパやアメリカのリアルな男性原理の意識を「萌え」エネルギーの歌で揺さぶり

溶かしてゆくことで目撃できる事は

この混沌の時代が確実に女性原理に転換してゆく証拠の一つとして

デンパな私の中で宝石の輝きを放つ夢のような出来事なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


音楽を聴かない若者たちは『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』という文化の終わりを象徴している②

2016年04月14日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

音楽という芸術が何故衰退してゆくのかを今少し掘り下げて

意識もからめて述べてみる。

 

音楽文化を持って楽しんでいる生物は地球上で人間だけだ。

(クジラなどは言語なのか音楽なのかはわからない。

鳥のさえずりも言語の代替でありオウムなどの歌も刷り込み反復では

音楽とはいえないし芸術と言う概念を持っているのは生物では人間だけだろうから)

 

胎児でさえ音楽に反応する事実から

人間には遺伝子レベルで音楽を感覚的に理解する能力が元々備わっているのだろう。

 

太古の昔、自然の脅威に対する本能的畏怖の想いからなのか

人類に神や精霊という概念が生まれた時から始まった祭祀の時に

自然にあふれ出した声による唄と、拍手や足踏みが

神や精霊と交流するのを助ける事を、人々は直感的に感じ理解していったのだろう。

それ故に音楽は

人間が神聖なそれらのものたちと交流する為の波長合わせの手段として

不可分なものとなっていった。

 

世界中どこにいっても音のない宗教儀式を探し出す事はむつかしいだろう。

 

文明が発展し、音楽はそれぞれの文明、民族によって独自の進化をとげてゆくなかで

祭祀から独立した民族音楽が生まれ、その広がりのなかで

宗教や民族から離れた純粋な趣味嗜好のものとなって大衆化されていった。

 

太古の昔から大きく進化した音楽ではあるが

精神や意識が物理的な空気の振動の波動である音楽に影響を受け

胎児から大人まで音や音楽を聞きくことで精神や意識に影響を受ける事実は

クラッシックの子供への影響や脳内ホルモンの測定

ヘミシングなどの意識の変容実験などで実証されてはいても

根本的な原因は今も判明していない。

 

生物の中で人間だけが音楽文化を持ち、必要とした理由が必ずあるはずで

私がその一番の理由だと推測しているのは

人間の意識は量子的な物質で構成されている為に

音波という空気の波の影響を脳を通してだけでなく

量子エネルギー体である意識がダイレクトにその波動の影響を受け

共振したり干渉したりする事を回避する事が出来ないからだと思っている。

 

人間は可聴域の音波だけでなくそれ以下の低周波それ以上の高周波に晒されても

精神や身体に影響が出る事はモスキート音や低周波音症候群などさまざな事象で語られている。

また人間の脳波による意識の状態は一般的に

γ(ガンマ)脳波  26~70ヘルツ以上    不安で、興奮している状態  認知機能を向上させる
β(ベータ)脳波  14~34ヘルツ      少し緊張し心配したりの普通の思考状態 筋肉運動時
α(アルファ)脳波  8~14ヘルツ          リラックスし、何かに没頭している状態
θ(シータ)脳波  4~8ヘルツ            夢を見ている状態や深い瞑想状態
δ(デルタ)脳波  4ヘルツ以下          夢を見ない、深い睡眠状態

と科学的に解明されていて、

人間の意識がヘルツという波長の単位で測定できるものと深い関係性がある事がわかる。

脳波という点で分析すると波長が長いθ波が

太古の神や精霊との交流の時の状態が近いのではないかと推測はできる。

 

人間はそれぞれ固有の波動をもっている。

これだけでは怪しい波動商法と同じになってしまうから私は言い方を変える。

人間はそれぞれ声という固有の波動を持っている。

障害をお持ちで声を生まれながら持つ事が出来ない方も中にはいらっしゃるだろうが、

多くの人は自分の声を持ち日々暮らしているだろう。

 

身近な人の声なら何十年経っていても聞けばわかるほど、

声とその人のパーソナルな個性は同一とみなされ記憶される。

人間の声は主に頭蓋骨の大きさ骨格と喉の長さや声帯の大きさによって決まるが

その人の身体的特徴が音声という人それぞれの波動に変換されている。

人の声は声門が科学的に分析され個人の特定に使われるほど個別のものである事は周知の事実だ。

 

一卵性双生児の場合、私の経験から言って

身体的な外見はそっくりなので、声も似ている場合がほとんどだ。

つまり彼ら彼女らの声は本人にたちが意識して発声した場合聞き分ける事は他人にはむつかしい。

だが装置を使ってデジタル的に計測すれば、

一般人とは次元の違うレベルでのシンクロ率をしめす数値は出るだろうが

必ずそれぞれが波形や数値で特定する事ができるだろう。

この事から人間はそれぞれ数値化できる身体に見合った固有の波動を持っていると

声を根拠とした場合は断言してよいだろう。

 

『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』  ③ 映画『歓びを歌にのせて』   歌と癒し。

の記事にも書いたが

私はカラオケが気持ちよくストレス発散や癒しの効果があるのは

発声で自身の身体が自身固有の波動で振動しながら声を出す事と

スピーカーから自分の声を耳と体全体でさらに受ける事で

共振作用から自身の意識の波動を強める事が出来るからだと思っている。

 

歌の練習やボイストレーニングを続けると、自身の声に芯のような厚みが出来てくる。

そうすると、声の魅力は明らかに増しその人の個人の活力も

明確に強まってゆく感じがする。

つまり量子エネルギー体である意識は

音声波動によってエネルギーの供給を受ける事が出来ていると私は思う。

 

 

法事の席でお坊さんが意識についてこんな話しをした。

意識の在り処を仮に脳と仮定して機械の例えとしてコンピューターの部品の

HDD(ハードディスク OSやソフトを記憶しておく装置)がよく上げられるが

それより脳はTVやラジオの電波を捉えるチューナーの方がより近いというものだった。

 

私もこの意見に賛成で、意識というのは常に目的や好奇心、本能などさまざまな

思考が飛び交う中、常に自分の嗜好性にあった電波、波動(情報)を捜して

それに合わせようとする性質がある。

 

その極端な例が洗脳や麻薬中毒で、強い波動に晒され続けると

脳の神経伝達が単純化され、意識全体がその波動の共振状態から

抜け出す事が出来なくなってしまう。

 

私は脳科学は全く解らないが、洗脳状態の脳波を調べ

それと干渉を起こすような波動を脳や体全体に送り続ければ

洗脳は解けるのではないかと推測する。

洗脳解除の専門家の苫米地氏が読まれれば

そんな単純なものではないと言われるだろうが。

 

脳は神経細胞であるニューロンによる電気信号よる膨大な量の情報の伝達を行っているわけだが

その事だけで意識がどのように生まれるのかどこにあるのかは今だわかってはいない。

 

現在、量子論と意識を結びつける研究も理論もあり、今の段階では立証不可能な理論ではあるが

量子コンピューターが開発される近未来(10~20年以内)には

意識というもののシステムの解明とはっきりとした所在が証明されるのではないだろうか。

 

意識が仮に私が言うように量子エネルギー体であったなら

意識は量子論的特長を持つ事になる。

それは光と同じ、波の特性と粒子の特性を同時に持つというものだ。

 

人類が音楽を必要とした理由は

意識が波動の特性を持っているが為に神や精霊との交流する時に

シンクロ率を高め効率的な波動調整をする為と、

それによって神などの高い波動のエネルギーを

量子的意識が受け取る事が出来たからだと私は思う。

 

また何故音楽が衰退してゆくのかという理由は

エネルギー転換により、意識の波動調整をするのに

わざわざ音楽を媒体とする必要がなくなってゆくからにほかならない。

 

エネルギーの転換により、縦(ヴァーチカル垂直)方向へ向かうエネルギーが

日々強まっている。

それは今までのような努力や修行などしなくても人類が神と呼んだレベルの波動域と

意識での交流を持つ事を可能にした。

 それ故に

人類の意識全体がその影響を受け、

神との内的交流の代替であった音楽をはじめとする今の物質的芸術全般が

衰退してゆく運命にあるのだ。

 

日本の若者たちにおきている現象は音楽という波動芸術の影響力が

縦に向かうエネルギーの強まりにより弱まってしまった結果であると

デンパな結論を提示しておこう。

 

音楽芸術に代替になるものが何であるかは

この文章を読んで

ムズムズした方々がそれぞれの想像の翼で描くのに今はまかせようと思う。

 

感情を手放してゆく事が日常化した時代が到来するとき

情緒的感性の上になりたっていた芸術や芸能は消えてゆく運命にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


音楽を聴かない若者たちは『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』という文化の終わりを象徴している①

2016年04月11日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

若者たちが車を買わないと言われだして久しいが

何日か前のネットの記事で音楽に無関心な若者も増えている事が

話題になっていた。

私の世代は戦争経験世代の影響もあってか

ありとあらゆる音楽を聴いて育ってきた。

 

音楽の話題についてゆけないのがカッコ悪い時代であったから

たいていの男子は洋楽やロックを最初のうちは無理をしてでも聴いて

ある瞬間を境にあの脳髄に響く歪んだ騒音みたいなエレキギターの音が

美しく聞こえるようになるのを通過儀礼のように経験している。

 

私の場合はその瞬間の明確な記憶があって

友人が選んだBBキングから始まるロック50選なるアルバム(もちろんLPレコード)を

耐久レースのように聞かされている時

ギターの神様ジミ・ヘンドリックスのインストゥルメンタル 「ピース・イン・ミシシッピ」がかかって

彼のエフェクター(エレキギターの音を電気変化させる機材)のディストーションを使って

ストラトキャスター(エレキギターの名前)の音を歪ませ大音量で弾く音に

胸が熱くなり思わず「スゲェー」と叫んだのだった。

その瞬間以来、私はあの歪んだ硬質のエレキギターの音が大好きになった。

 

若い人にはトンチンカン(死語)に聞こえる話だろうが、

ロックそのものがまだまだ歴史が浅くヒッピー文化と結びついたものであったから

ロックと言えば洋楽から入る時代だった。

 

ここまで書いて

高田純次さんが「説教」と「昔話」と「自慢話」は歳をとったらしちゃいけない

と言っていたのを思い出した。

本題に戻ろう

 

時代は下りそんな私も新しい曲はほとんど聴かないし

音楽にお金を使うのもカラオケが一番だと思う。

 

昔と違ってyoutubeもあり、音楽をお金を使ってまで聴く必要がなくなってしまった。

確かに高いオーディオ装置を使って年齢に相応しい楽しみ方もあるのだろうが

私はパソコンとヘッドフォンで十分満足できるので

つくづく有りがたい世の中になったと思っている。

(ソフトを使えばyoutubeのキー変更も簡単にできるので無料のカラオケといっしょだ)

 

私でさえこうなのだから私より下の世代が音楽にお金を使わないのはあたり前だろう。

AKBやアイドルのCDの売り上げがどうの言っても

買う側が彼女たちやアイドルの音楽を買っている訳ではないのは

誰でも理解できる事だろう。

 

ネットの記事によると2009年に音楽に無関心で全くお金を使わないのが

全体(全年齢層の合計)の15.4%なのが

2015年には34.6%に増加していてなんと3割以上が音楽に無関心で全くお金を使わないという。

それも年齢で言えば十代の学生と二十代の若い世代の音楽にお金を使わない比率の伸びが著しい。

 

昔も今も若年層のおこずかいの金額は物価の上昇分を考えればさして違わないだろう。

しかし今は昔はなかった携帯(スマホ)なるものがあるので、

親にその負担をしてもらっている世代はおこずかいを使う優先順位が

ゲームや他の趣味や遊びが音楽より高くなってしまっているのもあるし

何より、話題の優先順位から音楽が確実にランクダウンした事が

若い人が音楽に投資しない一番の原因だろう。

音楽の話よりはゲームや他の話しをした方が

時代意識を共感しあえる世代がもう十代二十代に育ったとういう事だろう。

 

ここから先は私のデンパ話

エネルギー転換によって人類には

感情を常に手放す事を促すようなエネルギーのベクトルが働いている。

その事は人類全体が段々と感情的表現を強調した芸術を忌避するようになる事を意味している。

 

たとえば絵画なら19世紀のロマン主義の代表のドラクロアのような激情的な表現や、

音楽ならまさにジミ・ヘンドリックスの歪んだ大音響のロックや

その進化系のヘビーメタルのように聴く事で拳を振り上げ感情を鼓舞するような音楽は

今は想像する事はできないだろうが、2100年頃には誰も聞かなくなっているように思う。

日本の文化の場合

漫画なら劇的に感情をデェフォルメをされた表現や、

音楽なら演歌のような感情的情調に訴えるようなものは

100年後には琴線に響く日本人はいなくなってしまっているのではないだろうか。

端的に言えば浪花節文化は日本から消えてゆく。

 

今も日々情緒に流される事が原因で起こる事がニュースとなっているこの国が

そのように変化してゆく事は絵空事と思えるだろうが

実際に日本の若い世代に起きている事は意識の段階からの変化が根底にある事なので

この事が意味しているのは、私たちが経験したようなエレキギターの歪んだ音が

美しく聞こえる世代がこれからは大きく育つ事はもうないし

私のように歳を重ねて演歌や浪花節の良さがわかるような者は

二十代以下の世代ではほぼいなくなる事を示唆している。

 

今後音楽のジャンルで感情に訴える激しい音のものは

日本では益々聞かれなくなってゆくだろうし

はっきり言ってしまえば

音楽という情緒的な芸術そのものがゆるやかに衰退してゆく運命にあり

 

『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』文化は

 

日本の二十代以下の世代では終わりを告げた事を意味している。

 

 

では音楽芸術のかわるものが何であるかはこの次お話しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


デンパ屋通信

2016年04月10日 | 日記

迷惑メールやアダルトサイトみたいなイカガワシイタイトルですが

まあ日頃変な記事をお読み頂いてそちらが希望の方には

申し訳ありませんがただのお知らせです。

 

改めまして

日頃当ブログをお読み頂いている皆様ありがとうございます。

たまたま検索でひかっかって読んでしまった皆様申し訳ありませんデンパブログで。

 

今回改めて プロフィール欄にメルアドを記載しました。

用件は以上ですので後の文章はお暇な方はお読み下さい。

 

当ブログは現在コメントの受付を中止しております。

訳はこういう少し政治色と宗教とスピ系のあるブログですから、

意見の違う方の感情的な言葉の羅刹や批判を読むと疲れるからです。

私にとっての曽野綾子さん。

老いと死はいつまでその完全な平等性を保ちえるのだろう。 狩られる側の世代の思い。

上記の記事でのやりとりを経てコメントの受付を去年中止しました。

(経緯をご理解頂く為に削除するとしたコメントはそのままにしてあります。)

 

わたしは「スロウス」を名乗る怠惰な人間でまた打たれ弱いので

残念ながらコメントのお答えに情熱をかける事ができません。

ですから、コメントによる意見の交換を当ブログ上では行う予定は

これからもありせん。

 

 

私はデンパ屋を公言してはいますが

情報を発信している事実はありますので、

何が困ると言って単純なミスや事実の間違いを

客観的に(感情的ではありませんよ)指摘してくれる人がいないのは

それなりに不便なものです。

 

ですからこのブログをお読みの方で何かしらムズムズして

気になる事がお有りで

一方通行で感情的にならないでコミュニケートできる方用に以前

ご挨拶。   感謝とお断り。

の記事上に記載したメルアドを改めてプロフィールに

目立つ形で窓口として記載しました。

(メールに対する私のスタンスは上記記事に書いてあるとうりです。)

 

 

去年の夏に一度はこのブログをやめようと思いましたが

直後に余命ブログが一旦削除されるという事が有り

それがきっかけでなし崩し的により自由にブログを継続しようと思うようになりました。

これからも デンパ屋ならではの本気の偽物デンパな記事を書いてゆきたいと思います。

私の記事は数ある情報の一つとして読んだ方がそれぞれが考えて判断してもらう

為の材料です。

トンデモと言い捨てられてしまう事の中にも、実際の生活や長い人生を生きる上で

参考になる事も少しはあるものです。

いろんな視点の一つとして楽しんで頂ければ幸いです。

 

 

                                 デンパ屋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


BABYMETAL の活躍は、イスラムとバイブルランドの少女たちの意識開放に火をつける事ができるか!!    

2016年04月08日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

BABYMETAL(ベビー・メタル)が

アメリカCBS、深夜の人気音楽TV番組「ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア」に出演し

「ギミチョコ!!」を披露して

アメリカTV番組初出演(平たく言えばアメリカでのお茶の間デビュー)を飾った事が

ネットでニュースとなった。

 

これはけっこう凄い事なのだけれど

何故か日本のマスコミではあまり報道されていない。

4月1日発売のセカンドアルバムに合わせてワールドツアーを開始し

ロンドンのウェンブリー・アリーナで日本人初となるワンマンライブを12000人動員して成功を収めた

正直な話、ロックバンド漫画「BECK」のさらに上にいくような勢いで

BABYMETALは世界的成功への階段を駆け上っているように見える。

私は以前

カワイイと、 日本の音楽

という記事で彼女たちとバンドを紹介したが、

あの時よりBABYMETALは確実にその歩を進めレベルアップしている。

 

少女アイドルとヘビーメタルの組み合わせという話題性だけではなく

彼女たちとバックバンドが創りだすパフォーマンスが

世界中のメタル好きの若者や大人のハートを大いに揺らしザワツカせる事が出来た結果が

U2やマドンナなど名だたるアーティストが使った

ウェンブリー・アリーナでのワンマンLIVEの大成功に繋がっていると思う。

 

全米放送の「ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア」を観た後の感想を訳したサイトを見ると

まずはwtf(日本語なら何じゃこりゃ?というネットスラング)的な感想が当然のように多かった。

いけないものを観てしまったように感じる人や、メタルの本道にはずれている事を批難する人など

いつもBABYMETALが引き起こす論争が今回も行われていた。

 

LIVE映像がまだyoutubeにあるのでご存知のない方はまずは見て頂きたい。

ttps://www.youtube.com/watch?v=rZApf9c8Tes

 

文化が違うという事がどういう事なのかをBABYMETALは

wtf(なんじゃこりゃ)的な感想と共に世界に与えていると思う。

バックバンドのレベルは高く、

ボーカルの少女やダンスの少女たちのパフォーマンスの切れ味もいい。

しかし彼女たちが全力でBABYなMETALを表現しようとしているのは伝わってくるが

言わゆるクールという言葉に置き換えられるとは日本人目線の自分には思えない

 

私には洗練されていない日本独特の泥臭いスポコンアイドルパフォーマンスの延長上に

BABYMETALはあると思うしそれ以外の何物でもないと思う。

でもそれがヨーロッパで受け、アメリカにもそれなりのインパクトを与えている。

たぶん今まで感じた事がないような感覚に戸惑うのだろう。

でもそれが意識の変化の呼び水になる。

 

私がBABYMETALの活躍で一番楽しみなのは

メタル好きやロック好きのオタク的な音楽論争ではなく

たとえば、ヒジャブを被ったイスラムの若い女の子たちが

BABYMETALを観たらどう感じるだろうかという事だ。

 

バックバンドはそれぞれギターの神、ベースの神、ドラムの神

などと呼ばれ、(英語ならgodと訳すのだろうか)

3人の少女たちがメタルの神(狐)によって召還されたその神たちを従えるように歌い踊るなどという事は

かなりのカルチァーショックだろう。

(だいたいが、ヘビメタ文化や音楽そのものが反キリスト的な魔界の表現に近い)

 

神の概念がまるで違うイスラムやバイブルランドの十代の少女たちにとって

その宗教的タブーの枠外の東洋の特殊な文化の元で育ち、

自由奔放に生きる事を当り前のように表現をしている3人の少女たちの姿に

衝撃を受けずにいられないだろうと私は思う。

 

日本人にしてみれば、メタルというロックの1ジャンルの音楽に合わせてパフォーマンスをしている

大衆アイドル文化の延長にある普通の少女たちでしかないBABYBETALの三人は

男性原理宗教の世界ではタブーに触れ

それを柔かに内側から壊すインパクトを男性にはもちろん

若い少女たちにも与えると思う。

 

2ndアルバムのタイトルは『METAL RESISTANCE』だ。

 

彼女たちのパフォーマンスがイスラムとバイブルランドの少女たちのハートに

レジスタンスの火をつけ、

やがては戦争と紛争の元凶である男性原理の最後の残骸を

砂の城が波で消え去るように葬りさってくれる引き金の一つになることを

東洋の島国から願っている。

 

命短し恋せよ乙女ではないが、

彼女たちのパワーやオーラの源であるBABYでいられる時間は

あと残りわずかなのだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わが友 貝木泥舟    

2016年04月01日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

貝木泥舟という名に聞き覚えのある年配の方は限られるだろう。

 

幕末の人物?

などと真面目に考えてもらうと恐縮なので種明かしをすると

貝木泥舟は

アニメになったライトノベル『化物語』を筆頭とす西尾維新氏の『物語シリーズ』の

『偽物語』『恋物語』に登場する

怪異に対する高度な知識と技を持っている詐欺師だ。

 

彼の言葉に

「信じる、という事は、騙されたがっている、ということだと、俺は思っている」

というのがある。

 

そのセリフを聞いた時に

詐欺師の視点から見ればそうだよなぁと思わず膝を叩きたくなるような

納得がいった。

 

私はある人に

「箸にも棒にも引っかからないものに引っかかる才能がある。」と言われたとうり

普通の人は素通りするような事も好奇心を押さえきれず

どれどれと首を突っ込んで騙された事も一度ならず経験した。

 

超能力的な事や奇蹟的な事が大好きだった私は

本物の詐欺師からみれば、貝木泥舟の言葉どうり

超能力や奇蹟を信じたがりの典型的な騙されたがっている奴だったと思う。

 

スピリチュアルの世界は典型的な主観の世界で

客観的な評価は

預言の完全成就や超能力の実験での証明などにごく限られる。

超能力者がさまざまな科学的な実験に参加して長い間に

幾人かはその能力の存在を証明したり、冷戦時代ソ連や合衆国が

超能力者を諜報活動に使ったという特殊な事例はあるにはあるが

インドなどの聖者や巷にあふれる自称超能力者や霊能者の能力の証明は

その人の業を直接受けた人の主観に

大半は大きく左右されるものだ。

 

そしてそういう能力者の門をくぐるのは

私と同じように「信じたがりの騙されたがっている者」であるのが大半だろう。

 

詐欺師にしてみれば、

自分たちのような者はまさに鴨がネギをしょってやってきた様なもので

騙しがいのないつまらないお客だろう。

 

 

貝木泥舟のセリフの中で私の一番のお気に入り

 

「偽物の方が圧倒的に価値がある

 そこに本物になろうという意思があるだけ

   偽物ほうが本物より本物だ。」


詐欺師としての貝木自身の誇りを感じさせるこのセリフは

様々な事で悩み疲れ流されていた私に

今一度自らの手で漕ぎ出す力を与えてくれた

知恵の果実のようだった。

 


私は神やスピリチュアルな世界を彷徨った末に疲れ果てていた。

自分なりに真摯にその世界と向き合いさまざまな人たちと出会い体験してきた。

しかしその対価として失った普通の生活の時間のもたらした状況は

多くの虚無感と共に人生の失敗を十分感じさせるものだった。


私は長い時間をかけて目に見えず触れることの出来ない世界を彷徨っても

今だ本物になれない自分を嫌悪していた。



虚無感に苛まれる日々

深夜アニメの中で出会った詐欺師貝木泥舟は

偽物である私に

偽物としてのアイデンティティーを

「偽物の方が圧倒的に価値がある

 そこに本物になろうという意思があるだけ

   偽物ほうが本物より本物だ。」

の言葉と共に与えてくれた。

 

私はまさに本物になろうという意思のある偽物なんだと

その時ようやく顔をあげる事ができるような気がしていた。

 

 

 

私はスピリチュアルの世界を彷徨ったに過ぎないフェイクだ。

それ故、デンパ者と名乗るのに相応しい偽物だ。


その事を承知の上でお付き合い下さい。

これからも偽物の本気を楽しんで頂ければ幸いです。


   



             四月一日     嘘の日  偽物のブログ主