日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

寿命まで健康に生き、エコに死ぬ事。 お金を使わないで健康を保ち死ぬ準備。

2014年08月12日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

残暑見舞いに変えてどうでも良いデンパ系の暇つぶし的なお話を。

 

私は老人医療を切り捨て賛成論者である。

今の医療は老人に金がかかりすぎる。

選挙の票になるからといって老人医療費に金を掛けすぎて若者の教育や

子育てにお金を回さないのは馬鹿のやる事だ。

そんなに今の政治家や人権平等論者は国を滅ぼしたいのだろうか。

 

別に経済弱者の老人を棄民しろと言っているのではなく、

たくさんお金を持っている老人にもっと負担してもらうか、

薬や検査を減らしなさいということだ。

 

 

 

老人の医療や介護の対策で一番お金を掛けなければならないのは認知症の予防である。

認知症の大変さは自分にとっても現実に進行形の話である。

症状が発症する前の予防薬の開発も進められて

今は予防にかなり効果が期待できる状態になってきた。

特に団塊の世代の認知症患者の激増は日本の社会構造を破壊しかねない。

これはなんとしても早急に対策を打たなければならない。

 

 

私は薬を飲まない事にしている。寿命派だから検診も検査もしない。

其の分、元来酒も自分からは飲まない。タバコもやらない。

実につまらない人間である。

その代わりヘンタイな民間の科学的根拠のない健康法を何十年もやっている。

効果は実感しているので私は堂々とあると言えるが。

 

まあ、結局は西洋の薬は確かに即効性もあるし、結核のような病気を根治させる事もできるが、

命に係わるような事でそれ以外方法がない以外は使う気はしない。

西洋の薬は毒をもって毒をせいしているにすぎない。

ようは効果が余り無い気休めなら毒をお金を払って体に溜め込んでいるだけである。

 

病気のほとんどは生活習慣と食べすぎと冷えすぎからくる体の解毒力の低下によるものだ。

ようはそれを普通に気していれば、極普通に健康に歳をとれるはずだ。

健康番組で自分の病名をさがすよりは、

長生きしたいなら、自分に合った睡眠と、適度な運動、腹八分目の食事を守れば十分だろう。

それが守れないならそれで、食い倒れようが、

アル中になろうがその人の人生なので好きにすれば良い。

人間に生まれてそれを楽しまない事もまたつまらない人生ではあるから。

だからと言って不摂生の人生を送って医療費を多く使うのは不公平だと思うので、

私は前に麻生さんが言ったような医療費を使わない老人にご褒美を上げるのが良いと思う。

 

これから健康で長生きが自慢できる時代になるのだから、だったらその証として

医療費を使わなかった人(特に介護保険)に特典をあげるようにすれば、

きっと税金の割合も少しは減ると思う。

団塊の世代は競争や表彰される事が好きだから、医療費を使わないで健康競争をしてもらえば、

若い世代も喜ぶし、国庫も無駄使いが減って一挙両得ではないか。

 

後、現在の高額医療の大半は死ぬ半年以内の額がかなりの割合を占めている。

若く重病な人は別として、いい老人が死ぬ事にお金がかけるのはもったいない話である。

昔のように家でぽっくり死ぬのが理想であるが、

とにかく寿命まで健康で五体満足生き、エコに死ぬ方法を

私を含めたこれからの世代が追求してゆく事になるだろう。

 

私はデンパという言葉が好きなのは、その妄想チックな意味合いともう一つの波動という意味からだ。

世界は波動で出来ている。

なんとデンパ的な表現だが、別に矛盾はない。

全ての物質は振動しているし、それぞれの物質には特有の周波数なるものもある。

インドでは『オーム』の音と共にこの宇宙が誕生したと言われている。

故に『オーム』は聖音である。

耳を澄ませば「オーム」という音が聞こえるらしい。

まあ「オウム真理教」は巧みに其のあたりを利用したのだが、

長いインドの歴史的な宗教音を日本のインチキ宗教テロ集団ごときに汚されたのは、

私としても悔しい限りである。

話がそれたが、何を言いたいかというと、

ようは今まで効果の現れにくかった波動によるエネルギー療法が

誰でも簡単に効果が出せる時代になり、なんら超能力でもなんでもなくて

普通に治療に使える時代になっているという事だ。

 

昔からある手当てなどをもっと信じて気軽に使えば、

効果は想像を超えたものになるだろう。

 

ただ、こういうのはインチキが多いので気をつけよう。

お金をたくさん取るところはまちがいなく商売だから、

趣味や好奇心以外で魔法のような奇蹟をそれに求めるのは

私の経験からいって人生のプラスにはならないと言っておく。

私はそれによって人生を楽しみはしたが、棒に振ったとも言えなくもないから。

 

私が伝えたいのは

エネルギーの転換により誰もが平等に

その力を無料で使えるようになったという事だけだ。

お金もマントラもいらない。

もちろん宗教的な制約もない。

今までのような荒い波動から、

より微細で細かい波動が効果を高める時代になっただけの事だ。

そういう力に感応できる人は自然と健康になってゆくし、

エコで無理をしないようになってゆく。

 

ゆとり世代のようだね。

何を言いたいかと言えば、彼らの無理をしないという全体的な気質はそういう

エネルギー的な影響があるからだ。

生まれながらの波動感受世代なのだ。

 

結論として、ようはキチンと摂生をしてエネルギーのとおりの良い体を維持できれば、

ちゃんと解毒ができて、死ぬまで健康でいられるという事だ。

 

女性で冷える人はそれだけでエネルギーのとおりと解毒力低下の現象化なので

まずは冷えを直す事。方法はいくらでもネットに出ているだろう。

たくさん試せば、どれか一つくらいは合うものがあるであろう。

逆に自分自身で冷えを直す努力を全力で出来ない人は

生命の危険のある病に鈍感という事になるので、

ちょときつめにご忠告しておく。

「冷えは万病の元ではなく、死病への入り口」だと私は勝手に思っている。

数字として平熱が35度代の人は36度代の人よりどれだけ癌のリスクが高くなるかは

ネットを調べれ出てくるので興味がある方はご自分で調べる事お勧めする。

 

まあ後は筋肉を衰えさせないのも重要だ。

特に女性は筋力低下が万病のの元なので、

40代以上は筋肉になる蛋白質をたくさん取って、

スクワットとかの意味のある運動を毎日することで、

エネルギー代謝も上がり、冷えとかも解消される。

頑張れば三浦洋一郎さんみたいになれるかもしれない。

 

夏も冷房の部屋ばかりいないで汗をかこう。

エアコンも熱中症予防程度にして、

新陳代謝を促進し解毒力を高める為にも汗をかく事が重要だ。

臭いは別の問題として、処理してください。

 

癌や各種の免疫性疾患、成人病などは、各臓器や体全体の

解毒力低下によりひきおこされる事が多く指摘されている。

中年以上の方は長生きしたいなら汗をきちんとかける体を維持する事が大事。

(異常に汗をかきすぎるのもなんらかの病の兆候もあるので、いつもと違う場合はお医者と相談を)

もちろん食べすぎ、アルコールやタバコが人によっては極端に解毒力を低下させるのは

みなさんご存知のとうりだと思う。

 

思いもよらず健康談義になってしまった。

ようはあたり前だが、摂生をしていけばエネルギーのとおりやすい体になって、

ちょっと体調がおかしくなっても

お金をかけないでも手当てや睡眠で回復するような体になれますよって事。

 

以前の記事「臨死体験」で紹介した本の中に、著者の木内鶴彦さんが

未来の治療装置はMRIのような波動装置のようなものだったと書いてられる。

ようは外科的治療ではなく、不調な人に治療の為に波動を照射する感じだそうだ。

まあスタートレックの治療のようになるらしい。

 

まあそこまでなるまでにはまだ時間がかかるだろうが、、

波動エネルギーの身体への影響は確実にこれから実用化されてゆくであろう。

それは別に今現在も使い方と意志を間違わなければ

それなりに効果を上げる力はあると私は確認しています。

 

最後に夏はやはりすっぱいものが良い。

酢はスに通じている。(神道的に宇宙の中心的な意味で)

 

夏ばてに気をつけならが皆様お元気にお過ごしください。

 

 


人生のつり合い  「メンドクセー」と好奇心。

2014年08月08日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

人によっては不快になる表現がありますので、

波長を感じて取って、やばいと思われたらそこでご退出願います。

 

 

私は飽きっぽい性格だ。

熱中しては冷めを繰り返し、もう半世紀以上も生きてしまった。

妻には

「あなたの葬式の時には、この人はやりたい事、好きな事は全部やってきた人です

と言ってあげるから。」と宣言されているので、

悔いのある人生でしたとは、口が裂けても言えない状況である。

 

自分は「メンドクセー」が口癖の漫画『鋼の錬金術師』に出てくるホムンクルスのスロウス(怠惰)を

地でゆく人間だと自認している。

私は彼程大男ではないが、彼が戦闘をする時の瞬速ぶりが、

自分が行動を起こすときの集中力やセッカチな感じに似ていて、

彼と自分は似たもの同士だと思っている。

 

怪力をたよりに地下に穴を掘らされている単純作業の繰り返しを求めらる感じや、

生きる事それ自体に疑問をもっているめんどくさがり屋の彼が好きだ。

 

物心つく前から音楽の習い事をさせられていた私は、

その永遠に続くと思えた、テクニックの習得がいやでいやで仕方なかった。

なんでこんな「メンドクセー』事を続けなければならないのか教えてもらえないまま、

母に和裁用の長い竹の物差しで叩かれながら続けるのは、奴隷の気分であった。

 

子供にとって大人が要求する事はたいていは「メンドクセー」ものではあるが、

理由がわからないまま続けさせられるのは、刑罰に等しい事である。

子供の頃にそういう体験があると、たいていは歪むものである。

 

私はその反動が高校を入学した後に出て、後の人生は親が期待したであろうものとは

違う人生を歩んできた。まあそれが、「三つ子の魂百までも」が成したものなのか、

親の後天的な教育の成果なのかは今となってはどうでも良い。

 

私は手の平で踊らされたにせよ、懸命に逃れようとしたにせよ、

自分の「メンドクセー」を好奇心が凌駕した場合は

集中して楽しんで生きてきたと思う。

 

長い「メンドクセー」時間と、楽しい好奇心を満たしてくれる短い時間の連綿と続く

どこにでもあるような人生であった。

 

STAP細胞問題で渦中の笹井氏が自殺された。

もったいない事である。再生医療の分野でも大きな損失だろう。

謹んでお悔やみ申し上げます。

 

 

残されたご家族やご本人には非常に不躾とは思うが、

ここは科学の発展の為、

生命を科学する事を専門としていた笹井氏の意識にインタビューができるなら

今の感想を聞いてみたいものだ。

 

胡散臭い大〇総裁あたりが本人を呼び出してやりそうだが、

其のレベルではない、本物の霊能者に今の笹井氏の意識とコンタクトをとってもらい

死後の意識と科学と命について語ってもらえたら、

残された小保方氏だけでなく

多くの生きてゆく事が「メンドクセー」になってしまった人々に

もっとも貢献が出来る、科学的検証ではないだろうか。

 

矢作直樹氏レベルの方が検証実験をしてくれたら、

頭の固い世間も今度は「とんでも」科学とは言わず、真摯に耳を傾けると思う。

命を科学する事を人生の使命とされた笹井氏こそもっとも相応しいと

一般論では失礼で不躾とは思うが、真の科学的な好奇心とはそういうものだと、

私は思っている。 

 

笹井氏の経歴を一目見れば、エリート中のエリートである事は誰もが認める事だろう。

人類への貢献という意味でも、凡人のなすべき仕事の何倍量もされていたであろう。

しかし、普通の人間にしてみれば長い栄光のキャリアのたかが一度の失敗で命を絶つのは、

それこそ命や科学に対する冒涜だろう。

「かっこつけるのもいいかげんにしろ。」と私が彼の友人だったなら遺影の前で思っただろう。

 

自殺をする前から会話が成立しない精神状態であったと伝えられている。

精神的な辛さから脳が正常に機能せずに

理性を凌駕して感情が死を選びたいと思う事は、十分理解できるが、

しかし現実に死んでしまえた氏の人生を考えると、

それで果たしてつり合いがとれるのかと疑問を感じる。

間違いなく死後彼の意識は後悔しているだろうと私は想像する。

 

人間失敗するのが当たり前、生きているだけで儲け物と思える人生なんて

掃いて捨てるほどある。

 

この世で多くを得すぎると、この世で何か失ったと感じた時に

大きな喪失感を感じてしまうものである。

私のような者から見上げれば、笹井氏は何も失っていない。

それこそ、ヨブなら、「あなたが失ったと思ったものはあなたの生命と

どれひとつとして繋がってはいないではないか。」と問いかけるように思う。

そしてそれは、たいていの自殺を考える者にも共通している事でもある。

 

大切な人生の伴侶や家族を失って、自らの死を悲嘆から願うのはわかるような気がする。

しかしそれ以外では他者を殺してしまったりしてしまった事を除いては、

人間が自ら死を選ぶのは、

自分自身が命を与えられた身分である事を忘れ、

「メンドクセー」が好奇心を完全に凌駕してしまったに過ぎないと私は思う。

 

科学者は因果な商売だと思う。

ノーベル賞なんかいくら若い間に素晴らしい理論を打ちたてても、

生きている間に誰かが証明してくれなければ貰えない。

半世紀待った受賞者はたくさんいるだろう。

逆を言えば研究できる場があれば、死ぬまではもちろん死後でさえキチンとした評価が

いずれされるのが科学というものだろう。

笹井氏はまだまだ後平均寿命でいうなら30才前後は生きれたはずだ。

其の時間を科学の為に使う事をどぶに捨てたという事実だけでも

科学者としてはもちろん、人間としてもったいない事であった。

 

私は死者の笹井氏を愚弄しているつもりは毛頭ない。

ただ、科学者として遣り残した事や悔いがあったのなら

今度は死後の意識の命の証明という、魅力的な命題がありますと

デンパ者の一人として呼びかけを鎮魂にかえているだけだ。

 

読まれてご不快に思われた方にはお詫び申し上げる。

人生50年を過ぎるとあの世にいる身近な人が多くなる。

死者に思いをはせるのは日本の良き風習だと思いながら

お盆の近い空を見上げている。

 

 

 


『午後の曳航』

2014年08月04日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

 『午後の曳航』  

 

私は三島由紀夫文学の傑作の一つだと思っている。

 

 

内容の詳細はここでは書かない。

興味がある方は読む事をおすすめしたい。

 

三島由紀夫(敬称略させていただく)は紛れもなく早熟の天才と呼んでいいと思う。

「花ざかりの森」を改めて読んでみると、この文章を16才で書いた事実に驚かされる。

 

三島と私の父は同世代だ。

大正14年生まれなので歳の数え方が昭和の年代と同じである。

三島の経歴を読むと、父と似たような運命の中を生きていたのだと実感する。

三島も父も昭和19年で徴兵検査をうけている。

三島は第2種乙種で合格している。

父は当時にしては大柄だが近視で痔の経験があって第1種乙種で合格してる。

 

父によれば、平時は甲種のみが現役兵として入隊したのであるが、大戦末期は

第3種乙種までできたので、この段階で兵隊としての入隊が決まり

なんとも言えない気持ちになったと思いを語っている。

しかしここで即入隊ではない。

戦前の若者は通常の場合は20の誕生日の半年前に予めこの徴兵検査を受けたのである。

そして満20才を過ぎたら召集というのが手順であった。

 

三島は誕生日が1月14日であったから

年が明けた20年2月に入営通知がきて遺品を残し、遺書を書いて入営している。

父は招集礼状は赤紙と思いこんでいたが、現役入隊礼状が白い紙であったので拍子抜けがしたらしい。

三島が受けたっとのもたぶん父と同じ白い現役入隊礼状ではないだろうか。

 

しかし、三島はこの時の入隊検査で右肺浸潤と診断され即日帰郷となる。

私の父は同郷の何人かで入隊検査を受け、やはり数名が肺浸潤という診断で即日帰郷になっている。

この頃はまだ肺結核の死亡率も罹患率も高く、肺結核患者を軍隊には置いて置けないので、

少しでも結核が疑われるものは即日帰郷にして入隊を許さなかったのだと推察する。

三島も風邪を誤診されたようであった。

 

父は後に、自分たちの世代にとって出征は今でいう成人式であったと言っていた。

映画やドラマのように、父も多くの人に署名してもらった日の丸や、千人針を持ち、

予備の眼鏡を4つ揃えたそうだ。

また家の前には近所の人が杉の葉を集めて出征門を作ってくれた。

出発の朝、家族との挨拶も今生での最後と思い、思わず目が潤んだが、

家を出て、出征門をくぐる時には涙を決して見せられないと強く思ったという。

そして出征門の前に立ち、「お国の為に元気にいってまいります。」と

型どうりの挨拶をして見送りにきて下さった方々に敬礼をすると、

誰かの音頭により、「〇〇〇〇君万歳」の声が上がり

そして、産土の神をまつる神社に武運長久を祈ってのち

故郷との永遠の別れを覚悟して汽車に乗ったという。

 

 

父も三島も国の命運のかかる最も厳しい時期に満20才を迎えている。

私の想像するのに、三島は名家出身である。まして母方の祖先は有名な武家であり、

三島自身の出征式はかなりの大掛かりなものであったと想像できる。

 

父も「入隊検査に引っかかり即日帰郷になればいい」という思いと

「即帰では日本男子として恥ずかしくてまっすぐに家に帰れない」という

複雑な思いが交錯したといっている。

 

三島は即日帰郷になり心のどこかで安堵はしたではあろうが、

病気が理由とはいえ、自身と家の面目を立てる事がかなわず、

そうとうバツの悪く恥ずかしい思いをした事は想像に難くない。

 

三島があの時入隊できていれば、三島文学の色合いは変わっただろうか。

確かに三島の後半生の政治的な行動は、青年時の屈辱の裏返しを感じる。

 

父は三島の最後の行動に共感をしてなかったように私は感じている。

私は子供頃、三島が市ヶ谷で演説をし割腹自殺をした事件をTVで見ていた。

その感想を父に聴いた記憶があるが、

父は非常に客観的な説明のみで父自身の心情にそった答えは得られなかった。

私のその時の記憶で一番強く残っている事は、

新聞の記事を読んで、この人にも自分と同じような年齢の子供がいる事を知り

子供たちに同情したという事だ。

「お父さんが有名人でいきなりあんな死に方をされればつらいだろうなあ。」と

新聞の記事を読みながら思った。

それが不安で当時ほとんど話しをしなかった父に事件の質問をしたのだろうと、

今思い返すと納得がゆく感じがする。

 

この事件がきっかけで三島由紀夫は

私にとって「人間とは」という問いを発する時に一つの基準となった。

 

今思うと父にとって軍隊での経験は、

三島の行動ようなロマンテックな美学と相容れない、

肉体的にも精神的にもひどい経験であったから、

三島の盾の会の制服や割腹自殺という命を軽視した行動が、

ナルシジズムに酔っている感じがして嫌悪をしていたように推察する。

 

父にとって軍隊とは

生き残る為に通過しなければならなかった現実の地獄であったのだろう。

 

そんな父の子供の私は、中学生の時に小説家三島由紀夫に夢中になった。

中学時代孤独であった私は、自然と本を読んだ。

4才上の兄の書棚には、志賀直哉、芥川龍之介、川端康成、安倍公房、

三島由紀夫、石川達三、太宰治、など

一般教養としても読まねばならなかったたくさんの文庫本がならんでいた。

 

兄も父にて読書家であった。兄は後に建築士になる程の理系の人で無心論者であったが、

青年期の悩みの中多くの小説を読んでいた。

私はその中から三島を借りて読んでいた。

そして書棚に並んでいた本を読み終えまだ読んでない作品を探しては全てを知ろうとした。
 
三島の持つ天才性、簡潔さ、

また伝統や文化芸術にに対する態度や、新しい芸術性を認める感受性にも驚嘆した。

そしてなによりも、人間の深遠の闇や毒、性の根源的な衝動の醜さと美しさを隠す事なく暴きながら、

時には彫刻をほるように描写し、時には絢爛豪華なフレスコ画のような筆致で表現する文体が、

まるで音楽を奏でいるように響くのを感じた。

「世の中にはこんな人がいたんだな」と、すでに死んでいたにもかかわらず

三島は私にとって改めて英雄(ヒーロー)になった。

 

私が、『午後の曳航』を読んだのはそんな中学2年の時だった。

私にとって、この本は口にだしては言えない経験を与えてくれたと思う。

私はこの本との出会いによって、自身の深い部分の毒を見つめる事に目覚めたように思う。

 

父と違って、私は三島の耽美的で肉感的な美学が嫌いではない。

生命や性に対するありとあらゆる表現を、芸術の域にまで高めてしまう表現力に

酔い、打ちのめされた。

 

佐世保の加害少女は本が好きだったという。

彼女の伝聞での話に天才性を感じると共に、

深い闇と狂気をより強く感ぜざるおえない。

 

三島もまたその精神の奥底にそれに似た狂気の闇を秘めながら

父と同じ激動の時代に弄ばれながらも、

精神の深遠で身じろぎもせずじっとその漆黒の闇を見つめて生きてきたのだろう。

それでなければ、『午後の曳航』のような作品を到底書くことは出来なかったと思う。

『午後の曳航』の狂気はどちらかと言えば、神戸の事件の少年の狂気に近いとは思うが、

しかし、それは闇の奥底で加害少女にも繋がっていると私には感じる。

 

私は中学2年の時『午後の曳航』を読み、

自分の自我の中にその狂気の闇が無いか探した。

そして、自身の中にもそれは蠢いている事に気づいて

震え恐れると共に、歓喜した。

 

それは少年期独特の感覚であり、

性の目覚めや本能のホルモンによる支配に益々さらされてゆく絶望感と快感が合わさったような

感覚であった。

 

 

加害少女が抗えなかった衝動が、少年の時の自分の中にも存在し、

そしておそらく少年期の三島の中にもそれぞれ嗜好を変えて存在していたであろうと、

今の私は感じている。

 

三島はその深い闇や狂気や毒を見事に芸術で表現した

天才であった。

 

毒も闇も狂気も人間の中に存在する。

しかし、それをどう表現するかで人間は殺人者にも類まれな芸術家にもなれる。

そしてそれから抜け出す方法は地道な自己鍛錬しか道はなく

それが身に付かないまま

我が子がその恐ろしい闇や狂気で犯されたとしたら、

「親は持てるもの全てをさらけ出し、血を流しながらも

子という重き十字架担ぐべき宿命なのだと」

かつて闇と狂気を抱えた子供であった自分が

どこかで叫んでいる声が今も聞こえる気がする。

 

 

加害少女は確かに特異な存在ではある。

しかし、彼女の狂気や闇の一部は、人間に生まれたら

誰にでもある可能性のあるものだと疑い

自身の少年少女時代の暗闇の最深部を

もう一度見つめ返して欲しい。

 

その狂気のある闇は、

この目映い夏の午後の光のまぶしさに似ていると

手を翳し陽を見つめながら私は思い出している。