日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

「おそ松腐女子」 と 「ガルパンメンズ」は交わらない。  その②

2016年02月27日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

ガルパン とは 2012年にTV放映されたオリジナルアニメ「ガールズ&パンツァー」の略である。

 

今現在も、去年11月に公開された劇場版は好評でロングランの後今月からは

全国でまた4DX特殊音響による拡大上映がはじまっている。

お時間が有り萌えアニメ耐性のある方で理屈抜きで映画を楽しみたい方は

是非劇場に足を運ばれる事をお薦めする。

できれば、ネットでTV版を全部視聴してから観たほうがより楽しめるが

簡単な前説が本編前についているので、それをみればとりあえず大丈夫です。

 

私はTV放映を見ていてガルパンは十分楽しめたから

見ていない劇場版が好評でロングランしているのがうれしかった。

 

年初めに

西尾維新氏原作のアニメ「傷物語」の劇場版3部作最初の鉄血編が公開された。

「化物語」を最初とする物語シリーズはアニメスタジオ「シャフト」が

「化物語」以降ずっと続編を製作してTVで放映し続けている。

 

「傷物語」は『化物語」の前日譚にあたりアニメ「化物語」の初回の導入部に

カットとして挿入されていた為、原作ファンはシャフトが発表した映画製作の完成を

首を長くして約五年以上待っていた。

 

何故ガルパンと関係ない「傷物語」の映画の話なのかと言えば、

「化物語」を息子に教えてもらった事が私がアニメを再び観、

深夜アニメにはまるきっかけになったからだ。

「化物語」を観なければ、ガルパンも数々の深夜アニメやエヴァ以降観ていなかった

アニメを見直すこともしていなかっただろう。

 

シャフトの作った「化物語」のアニメは私が見てきたアニメとは違い

独特のスタイルをもっていて、視覚的に面白かったのと、

ヒロインの戦場ヶ原さんをはじめとする強烈な個性とキャラクターたちの会話が新鮮で

いろんな意味で煮詰まっていた私の頭を柔らかくしてくれた。

そしてそれはどこか色眼鏡でみて遠巻きにしていたラノベ(ライトノベル)と呼ばれるジャンルの本を

素直に楽しむきっかけを作ってくれたのだった。

 

「傷物語」は原作の物語シリーズの中では一番完成度が高く面白いとファンの間では評判で

私も原作の中で一番面白かった作品だった。

それ故にファンは2010年の「傷物語」の映画化発表以後首を長くして待ち続け

2016年に念願がようやく果たされたのだった。

 

私は3部作になる事が発表された時点で、嫌な感じがしていたが、

それは私と同じように長い間待ち、期待をして観にいった息子ががっかりして帰ってきたことで的中した。

私は息子のアニメの評価を信頼しているので、

予想はしていたが残念な評価に終わった事で映画館で「傷物語」を観るのをやめてしまった。

 

TVの放映で楽しませてもらい後日譚を期待して観にいった

シャフトの劇場映画『魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』が

私は一本の映画として面白かったので

なおの事劇場版『傷物語鉄血編』への息子の落胆ぶりには共感できた。

 

そこでいよいよガルパンである。

口直しに評判が高くロングランを続けていたガルパンの劇場版を立川で観てきた息子は

『傷物語』での傷を『ガルパン』で癒されテンションMAXで帰ってきて

「母さんと二人で観ににゆくなら代金を出すから」とまで言って押しに押した。

 

私はその言葉にのっかり何年かぶりに妻と二人で

『ガールズ&パンツァー』の劇場版を立川の映画館に観に行った。

妻はアクション映画が好きで、子供に付き合ってアニメも見続けてきたので

一時期はアニメを全く観なくなった私よりは深夜アニメのキャリアは長かった。

 

立川の映画館は劇場版の製作スタッフがオリジナルで音響設定をした

極上爆裂上映と銘打たれているとおりの、凄い音響効果であった。

私たち二人は十二分に『ガールズ&パンツァー』劇場版を堪能した。

 

「映画はこうでなくちゃ。」というのが、私たち二人の共通の感想だった。

 

オリジナルアニメでの世界設定や、アニメ独特のお約束を飲み込んだ上でなければ

荒唐無稽すぎて頭の固い大の大人には幼稚に感じてしまうだろうが、

そういう事を割り引いてみても、若い頃の宮崎アニメのアクションで観たような

アニメならではの虚構をうまく使いながら、見るものを強引に引き込んで楽しませてしまう

水島努監督の力量に改めて脱帽した。

 

『ガールズ&パンツァー』劇場版は

深夜のTVアニメを見事に萌えアクションエンターテイメントに仕上げた

大満足の長編アニメ映画であった。

 

映画館に入る前から予想はしていたが、満員の観客の99%は20代から上の若い男性であった。

当然アニオタがほとんどだろうが、

私たち熟年夫婦が目立ってしまうほどメンズオタのオフ会のようであった。

 

これがもし『おそ松さん』の劇場版が上映されたら、腐であるかはともかく

99.9%女子で埋め尽くされるのは間違いないだろうと思った。

(残りの0.1%は男の娘)おふざけがすぎるか失礼(--)

 

「ガルパンメンズ」も「おそ松腐女子」もその心の中に熱いパトス(残酷な天使的な)を持っているだろうに

その想像と妄想の対象が違う事で、

この二組の熱い男女の集団が交わる事がコミケ以外では永遠にないだろうと思えてしまう事が

何かすごくもったいない気持ちになった。

 

まあ、アニオタにリアルの彼氏彼女がいないと思うのはただの偏見で

実はそれぞれの趣味は趣味で若いカップルで観に来るような無作法をしないという

空気を読んでいるというのが本当なのかもしれない。

 

彼氏彼女らの、趣味に向ける熱いパトスは腐や草食と揶揄されようが

私たちが想像する未来とは確実に違い、彼らの理想の延長上にあるものに必然的になってゆくだろう。

 

それは老人たちや今の大半の大人たちの価値感である

善悪や富や名声や物質的経済的な繫栄の尺度で計れば違うものであるかもしれない。

だが私は、彼女彼氏たちの多くが『おそ松さん』や『ガールズ&パンツァー』に向ける情熱と同じ真摯さで

自身の人生に向き合う正直さを持っているのを自分の子供たちと同じように信じている。

だからこそこれから迎える激変の時代に

正々堂々と彼女彼氏たちのやり方で伸びやかに立ち向かってゆけるだろうと。

 

「ゆとり」と言われ、我慢ができず、他人とのコミニケーションが全体として不器用と言われ続けているが

彼女彼氏らが日本の未来の希望である現実は揺るぎない事実だ。

 

おそ松腐女子もガルパンメンズも、老人たちのいう事を無視して

自分たちの先にある現実の未来をよりいっそう妥協なく楽しむようにしてもらいたい。

その事に妥協し、我慢や忍耐や努力を是とするブラックな社会の未来を肯定するようなら

ゆとり世代の名が泣くと思ってもらいたい。

 

我慢や忍耐や努力を是とする社会から決別し

ひたすら自身の楽しみを追求することでそれを凌駕する事こそが

あなた方の世代が託された未来なのですから。

 

あなた方の親の世代のデンパで変なおじさんの代表として

ものすごい急ハンドルを切ったような

斜め上のエールを勝手に送くりこの趣味の話を終わりとします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「おそ松腐女子」 と 「ガルパンメンズ」 は交わらない。   その①

2016年02月26日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

サブタイトル 永遠の妄想に耽溺する腐女子パワーは世界の既成概念を内側から溶かしてゆく

 

私のデンパブログを読むような方には

今日のタイトルの意味を一瞥で理解できるようなアニメオタクが一人くらいはいらっしゃると思う。

趣味に特化したどうでもよい記事なので

いつもみたいなのをご所望の方はスルーしてください。

頭が柔らかく(馬鹿に)なりたい人や暇をつぶしたい方はどうぞどうぞ。

 

私は手塚治虫先生の鉄腕アトムからのアニメを幼少の頃見て育ち

10代でヤマトやガンダムを見ていた俗に言うアニメ第二世代だ。

ちなみに私はTV放映のエヴァンゲリオンまではほぼライブで観ていて

劇場版「Air/まごころを君に」を観て

庵野秀明監督の思惑どうり

アスカの捨て台詞がとどめとなり

気持ち悪くなってしばらくアニメから遠ざかった。

 

アニメはいつか世界文化遺産になるか。  

 

の記事に書いたようにその後子供の影響もあり今は深夜アニメにもはまり

立派なアニメオタクと言って良いレベルまで中毒になってしまっている。

 

春夏秋冬の各期のアニメをできるだけチェックし、

今期の覇権はどれで、円盤(BDとDVD)がどれだけ売れたとか、

ダークホースがどうのなどと、アニメ好きな息子とのクソアニメ語りや

掲示板の辛らつなコメント、ニコ動などの実況をいっしょに楽しんでいる。

 

私が子供の頃と違い、アニメの主な放映時間帯は深夜帯だ。

ジャンプなどの大手漫画のアニメ作品やプリキュアやガンダムのように

プラモやおもちゃを売る為に子供が起きている時間帯に放映しているものもあるが、

圧倒的に深夜枠のアニメが多く、大きなお友達の

それぞれのジャンルや嗜好に特化した作品が

王道の「萌え」を中心に飽くこともなく作り続けられている。

 

ここのところの話題と言えば、前期から2クールで放映されている

「おそ松さん」の予想外の盛り上がりだろう。

 

私は「おそ松くん」を少年サンデーで読み赤塚先生のギャグ漫画やアニメを見て育った小学生だったので

「おそ松さん」の六つ子を20代の設定にして現代風にアレンジした赤塚ギャグアニメが

「銀魂」の悪乗りで有名な藤田陽一監督がどんなものに仕上げるのかと興味を抱いていた。

 

子供の頃の私はダヨーンのおじさん、デカパンなどの狂気に満ちたキャラクターが大好きだった。

特にダヨーンのおじさんはバカボンのおやじさんと同じくらい好きで

広告の裏に真似て描いて楽しませてもらった。

 

ニャロメやウナギ犬を見てもらうとわかりやすいが

赤塚先生のキャラクターは単純な図形で構成されていて、子供でも容易に似せて描く事が出来た

キャラクターを似せて描く事は現在隆盛を極めている同人誌やpixivを見るまでもなく

子供にとっては二次創作の歓びの原点と言えるもので昔も今も何ら変わっていない。

 

当時日本中で子供が赤塚漫画に熱狂した理由のひとつはあの人間臭く強烈なキャラクターたちを

子供たちが容易に真似して描く事が出来たのが大きかったと私は思う。

 

私は過激だけれど憎めなくて、時に狂気に満ちたダメな大人のキャラクターたちが

子供心にとても親近感が持て

自分の周りにはどうしてああいうハチャメチャで面白い大人がいなのかなぁと思ったりもしていた。

 

しかし私のようなノスタルジックな思い入れのある者とは違い

現在の嗜好(まんが、ラノベ、ゲーム)をベースにそれぞれの売り

(萌え、パンツ、ロボ、アイドル、キラキラ、ユリ、BL、)などに特化されたアニオタたちが

三話切りどころか最初から観ないと思えた深夜アニメ帯でのギャクアニメである「おそ松さん」は

盛大に爆死する予想を覆し

なんと前期ぶっちぎりの覇権(期ごとの円盤の最高売り上げ)アニメとなってしまった。

 

確かにおそ松たち六つ子の声優さんたちは、

超有名な売れっ子男性声優さんたちが名を連ねてはいるが、

それだけであの売り上げになるとは思えない。

 

私のつたない分析でも、買う理由のほぼない男のアニオタが

円盤売り上げに貢献していないのはわかる。

どの層が買ったのか。

本当に今噂されいる腐女子層が動いたから、アイドルアニメの売り上げを超えるほど売れたのだろうか。

 

確かにpixivを覗いてみるとBL松でタグがあるほどの盛り上がりを見せている。

(アニメやオタクの知識が疎い正常な大人の方にはわからない単語が多いと思いますが、

こんな無駄話に興味がある方は検索するとすぐに解説は出てきますのでお調べ下さい。

最低限 腐女子のwikiはコピペしておきます)

 

腐女子(ふじょし)とは男性同士の恋愛を扱った小説や漫画などを好む女性のこと。

「婦女子」(ふじょし)をもじった呼称である。ヤオラーともいう

年齢の高い腐女子をさす派生語として貴腐人(きふじん)もある

同様の趣味を持つ男性は、腐男子あるいは「父兄」をもじって腐兄(ふけい)などと呼ばれる。

腐女子という言葉は、ヤオイ・ボーイズラブ(BL)物を好む女性に限らず、

おたく趣味を持つ女性全般を指す言葉として用いられたり、

女性のおたく趣味への罵倒語(蔑称)として使用されることもある。

但し、女性おたくで軽々しく腐女子と呼ばれたり、

一緒くたにされる事を忌み嫌う場合も多々あるので細心の注意が必要である。 wikiより

 

年末のコミケC89でもおそ松さんのコスプレで賑わっていたという写真が上がっていた。

 

はたして「おそ松さん」に腐女子は動いたのか?

 

私の世代は女性が書いた女性向け少女マンガを読んでいた男性読者の最初らへんに当ると思う。

私は十代に、別冊マーガレットやLaLa、花とゆめ、りぼん、を漫画好きが講じて読むようになっていた。

一条ゆかりさん、大和和紀さん、陸奥A子さん、槙村さとるさん、田淵由美子さん、大島弓子さんなどの

作品を後ろめたさを感じながら少年漫画にはない繊細でセンチメンタルな表現や

乙女チックなラブコメに惹かれて読みふけっていた。

 

そんな私がBLの洗礼を受けたのは竹宮恵子さんの「風と木の詩」によってだった

それは少年愛をストレートに描き「禁断の」という修飾語がぴったりの衝撃作だった。

だがノンケ(異性愛者)で思春期真っ最中だった私には

あたりまえの拒絶感を与え物語に没入できずに一歩引いて鑑賞する作品だった。

確かに性は記号でしかなく、読み手が性を入れ替えて読めばいつもと同じように楽しめるはずなのに

思春期でホルモン全開だった私にはどうしてもそれができなかった。

 

BL (ボーイズラブ)は女性が妄想に耽溺する世界だ。

美しい少年や男性どうしの恋愛は女性にとっては想像するしかない手の届かないものだからこそ

おもいきり妄想の世界で翼を広げ楽しむ事ができるのだろう。

 

よく腐女子がどこまで腐れるか(想像の翼を広げられる領域)の表現として

東京タワーとエッフェル塔はどっちが攻めでどっちが受けという例題があるが

私は最初にこの話を読んだ時に眩暈に似た感じがした事を覚えている。

まあそれくらい、腐女子は妄想力が豊かだという事が実感できる話だ。

 

「おそ松さん」のアニメの中身にBL要素があるかと言えば

全くといって良い程ない。

1話や3話は有名漫画のパロディーの悪乗りでテレ東の社長からお叱りがあったらしく

BD,DVDでは一部差し替えになると話題になっていたが

放映全般の内容は赤塚先生の切れ味があってブラックな社会風刺を織り交ぜたギャグを

現代風に表現していると私は思う。

だが単純に中身だけを見れば覇権アニメになる要素は皆無だというのが私の率直な感想だ。

 

間違いなく男のオタクはよほどのギャグアニメファンでもないか限りは絶対に円盤を買わないアニメだ。

それゆえやはり、男性声優ファン女子に加えて、

腐海に沈んだ女子が円盤を買ったことによるブレイクだという

大方の分析は当っているように感じる。

 

2月22日がニャンニャンにかけて猫の日といってTVが取り上げていた。

猫の関連の売り上げが2兆円以上で現在では猫ノミクスと呼べる規模に成長したとういう。

その例えで言うならば、

「おそ松さん」のブレイクは腐女ノミクスの前兆と呼んでも差し支えのないものなのかもしれない。

 

私はアニメ自体のもつ萌えやロリや癒しの直接な効用にお金を払う男性とは違い、

作品それ自体ではない妄想の耽溺の為に大金をつぎ込む腐女子こそ

文化による内需拡大を生み出す可能性のリアルな姿のひとつだと思っている。

 

また去年、北米で有名なコメディアニメの「サウスパーク」が

腐女子をテーマにした作品を放映して話題になっていた。

ネットでは腐女子世界デビューと揶揄するような言葉が飛び交っていたが

これこそ日本から発信する大衆文明が

世界の既成宗教や概念を内側から溶かし崩してゆくウィルスの役目を果たして行く良い例だと思う。

 

日本の腐女子たちよ、

これからも腐の極点をめざして

日本には妄想パワーによる腐女ノミクスの経済的恩恵を

世界には大衆文明の精神の自由さの斜め上度を見せつけてやってください。

 

私は交ざれないガルパン男子の一人としてこれからも応援しています。

 

                                            ②に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ヒジャブとキックスケーター

2016年02月21日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

東京のはずれにある私の街は

国際化というほどではないが、それなりに外国人の方を見かける事も多い。

 

何日か前に駅前を歩いていると

小学校の低学年くらいの少女がキックスケーターで私の前を走りぬけっていった。

 

この事だけをとればよくある日常的な風景ではあるが、

私の目をひいたのは、少女が被っていた色鮮やかなピンク色のヒジャブであった。

 

ヒジャブはイスラムの女性が髪を覆う為に被るベールのような布の事だ。

後ろ姿しか見えなかった私が少女と書いたのもそういう理由からだ。

 

近年ヒジャブを着けている女性を見る機会は多くなった。

統計的な数字は調べてはいないがそれは中東からというよりは

インドネシアなど東南アジアから来日される方が多くなったのが主な理由のように思える。

 

いずれにせよ、ヒジャブを着けるのは

イスラムの信仰告白を無言の形で明確に表現していると言える。

 

少女の顔は見えなかったが、私にはそのスケーターを踏み進む様子から

彼女が子供らしい笑顔を浮かべているように思えた。

 

少女はこの街に住んでいるのだろうか。

公立小学校に通っているのだろうか

給食はハラール(イスラム法上食べること許されている食材)ではないので

お母さんは毎日お弁当を作っているのか

学校での毎日のお祈りはどうしているのだろう。

ラマダン(断食の月)の時は学校ではどうしているのだろうか

などとふと現実的な事が脳裏によぎった。

 

しかし、ピンクのヒジャブを着けてキックスケーターで走り抜けてゆく後姿からは

そんな日常的な不自由さを跳ね返すような子供らしい元気が感じられた。

 

 

ISISやイスラムについても何度も書いてきましたが、

この男性原理の戒律宗教はエネルギー転換によりこれから消え去る運命にあります。

そしてそれは、イスラム女性の意識開放が進みイスラムの男性に対してNOを宣言する

マララユスフザイさんのような女性が増え

やがてはイスラム圏の過半数になった時にそれは達成されると思います。

 

これまでの男性原理世界の象徴であった砂漠の一神教の三大宗教が瓦解してゆく理由のひとつは

 

過去の時代は預言者といわれる特別な者が神と呼ばれる次元のものから

一方的に言葉を賜ってそれを伝える事しかできませんでしたが

エネルギーの転換によってこれからは特別な誰かを通さなくても

望めば誰もが平等に神と呼ばれる次元からの波動を受け取り

実感出来る時代に変化した事によります。

 

ダイレクトな神次元との交流によって

何故過去の時代は戒律で縛られる必要があったのかを

理解する人々はこれから徐々に増えてゆきます。

そしてその戒律社会を維持する事はエネルギー転換した流れに逆らう事になり、

その事に頼る国家も文明も袋小路に入り込み

やがては崩壊するしかなくなるでしょう。

 

ピンクのヒジャブを被り

キックスケーターで元気に走ってゆく少女たちが大人になり次の世代を産む頃には

あいまいな形ではなくはっきりとした実感と実態をもった

人間個々の神次元との交流による意識開放が進み

男性原理の三大宗教は終焉を迎えることになるでしょう。

 

一方的に誰かを通して与えられた戒律を守る事で精神の安定を得られた時代のエネルギーは転換し

人間は個々で一方的ではない神次元とのSNS的な交流が出来る時代にすでに突入しているのです。

 

 

おせっかいなデンパ者の虚言として聞き流してもらい

頭の隅っこに怪情報として知ってもらうことが私の目的のひとつです。

頑なに感情的な判断をせずネットの海の情報の一つとしてご自身のハートで分析してくださいませ。

 

預言者の時代は終わり

真剣に望めば思わぬ形でそれは

全ての人類に平等に開かれていることを知る事ができる時代になったのです。

 

鍵は 『感情を玉座から降ろす』 です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


忍耐と反省と努力が美徳であった時代はエネルギーの転換と共に消え去ってゆく。

2016年02月04日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

ピーピー ガーガー デンパの時間です。

 

一昨日だったか漫画家 故水木しげる氏のお別れの会に黒いハコフグの帽子を被って

参列しているさかなクンが話題になっていました。

 

黒のハコフグは喪服用というのではなく、TVの撮影時のクロマキー用に予め持っておられたようだと

記事には出ていました。

 

さかなクンは凄いなぁとその記事の写真をみてあらためて思いました。

 

一般的な儀礼としておふざけとも受け取られかねない姿で

自分なりのスタイルで故人とのお別れする事は勇気がいる事だと私は思います。

 

弔いというのは、亡くなった故人に弔う側の各々の人それぞれが真心をこめるものなので、

縁もゆかりもない他人がとやかく言う必要はなく、

また故人や親族もお弔いに来てくれただけで普通は有り難く思うものだと私は思います。

 

さかなクンはさかなクンになっていなければ、妖怪クンになっていたかもしれないほど

子供の頃から水木先生の漫画が好きだったそうです。

 

その記事を読んで改めてさかなクンの描いた魚の絵を見ると

どことなく、水木先生の絵の持つ愛情のこもったリアリティーに似たものを感じます。

 

さかなクンは現在は東京海洋大学の名誉博士であり、2010年に

絶滅種のクニマスの再発見に大きな貢献をした事でも知られています。

 

「好きこそ物の上手なれ」という諺がありますが、

さまざまな苦労もあったであろう、さかなクンの人生を思う時に

きっと御本人はたいして苦労とは思っておらず、

好奇心の思うがまま魚たちと夢中で生きてこられたのだろうなあと

TVの向こう側でいつもハイテンションに楽しそうに話をしているさかなクンを見ると

どこか羨望のまなざしになっている自分に気がつきます。

 

人はみんながみんな、自分が好きな事を職業にできるわけではありません。

そして、好きである事とその事に才能がある事はまた別な話です。

 

得に芸術や芸事は、いくら好きだからといっても職業としてお金を稼ぐには

それなりの先天的な才能に恵まれていないと無理な事は紛れもない事実だと思います。

 

水木しげる先生が著書の中で書かれている『幸福の為の七か条』の中に

 

『才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ!』」というのがあります。

 

93歳まで小手先の才能や努力だけでは生き残れない漫画の世界で

長く生きられた方の金言だと思います。

 

 

ここからがデンパ話。

これからは益々努力が人を裏切るように感じる時代になってゆくでしょう。

別の言い方をすれば、持って生まれた才能の有る無しがより明確に作用する時代になったとも言えます。

 

時間をかけ、我慢や忍耐をして努力しても得られる成果は、

才能のある人が行った行為には到底かなわないのがより明白になってゆきます。

そしてそれは、芸術や芸事スポーツはもちろんの事、

一般の人々の職業選択でも今まで以上に顕著に現れるでしょう。

 

我々くらいまでの世代にとって忍耐や我慢する事は美徳であり、

『石の上にも三年』の諺のとおり社会生活を送る事が目標達成や自己実現には必須の事でした。

 

しかしエネルギーが転換した現在は、

精神的に我慢や忍耐をして努力をしても大きな成果を得る可能性は

好奇心のおもむくままや、才能に溢れた仕事の成果に比べれば

低い結果しか得られない実感をより多くの人が感じるようになってゆくでしょう

そしてその流れは止めようもなく益々強くなってゆくのです。

 

我慢や忍耐をして努力をした行為が成果を生んだ時代は終わりをつげて、

いかに自分の才能を早く見極めて、自分の才能にあった仕事や行為をするかによって

得られる成果がシビアに決まってしまう世界がやってきたのです。

 

人が努力を努力と思わないで熱中できるのは、その行為が好きであったり

好奇心を最大限満たしてくれている時だと思います。

 

さかなクンのように稀にその好奇心と才能が合致した人というのは確かに存在します。

しかし多くの人がそのような人生を歩めるわけではありません。

ですが、これからの時代、忍耐や我慢が成果に結びつきにくくなってゆく以上、

自身の好奇心を満たして努力を努力と思わないですむような仕事を選び、

その事が才能と結びついている事が

人生をより豊かに過すキーポイントになってゆくのは間違いありません。

 

どんな人にも必ず他者より秀でた才能といえる資質はあります。

それを見極める事を放棄しないで、少年少女の頃から真剣に向き合って生きてゆけば、

人生がより豊かで思いもよらない可能性に満ちたものになる事を

より確実に実感できその事がシビアに結果として現る時代になったのです。

 

繰り返し言いますが、忍耐や我慢してエネルギーを為て事をなす時代は終わったのです。

これからは益々エネルギーが淀みなくながれる事が強く働く世界になってゆきます。

それは感情面ではより強く現れ、感情の渦に飲み込まれると良い成果を生む事はむつかしいでしょう。

 

インターネットやsnsでの感情のやりとりは、

衝突や対立を生む原因を増やす負の要素が大きいので、

仕事や人生をスムースに導きたいのであれば、

インターネットやsnsの使用は感情を抜いた、情報のやりとりに

徹底するのが、その本来の力をプラスとして十分に活用できると忠告しておきます。

 

時代は、スポ根も怒りのサイヤ人も通用しないエネルギーに明確に転換したのです。

 

時間をかけて何かを為す事より、最初に何に意識や焦点をより正確に合わせるかによって

事象の成果や結果が大きく決まってしまうのです。

言葉を変えれば

あいまいな才能の上に長い時間をかけて地道に努力した成果が、

より正確に才能を使う事に一瞬で凌駕されてしまう事が明らかにされる時代になったのです。

 

旧時代の道徳や美徳に縛られた世代には納得がゆかないかもしれませんが、

エネルギー転換によって

個人が時間をかけてエネルギーを蓄え物質的に豊かな成果を上げてきた時代は

いかに正確に焦点を合わせて、エネルギーを淀みなく流す事によって

より物質的にも精神的にも多くの成果をなす世界へと変容しました。

 

その事は我慢や忍耐、反省や努力が現実の成果を得る手段として

限りなく無力化した世界に突入したんだという厳しい認識を多くの人々が実感として得る事となり

今までのように外の物質的な事柄へのアプローチだけでは思うような成果も

精神的な満足も得ること出来ないという

人類全体の体験の積み重ねとなって証明されてゆくでしょう。

 

人類はお金や外の物質によらず、

個々の内的世界にいやがおうでも向き合う事なくして人生で満足を得ることが難しい精神文明に突入しました。

そしてその最先端に日本があるのだと言う事を伝え

今日のデンパ話を終わります。