ダライ・ラマ14世がパリの同時多発テロに対して
ドイツの国営放送局のインタビューに答えた記事が載っていた。
『人々は平和を欲しているが、テロリストは近視眼的であり、
それ故に彼らは自爆テロを行う。我々は、祈るだけではこの問題は解決できない。
私は仏教徒であり、信仰を信じている。
問題を作り出したのは人間なのにも関わらず、問題の解決を神に委ねることは論理的なこととは言えない。
神ならばこういうかもしれない「問題を作り出したのは人間なのだから、自分たちで解決しなさい」と。
我々は、人間性と協調心を育て上げるためにシステマチックなアプローチを取る必要がある。
今からこれらを始めるならば今世紀は前の世紀とは異なるものとなるだろう。それを始めるかどうかは、
全ての人々、一人一人の考え方にかかっている。それを成すためには、
神や政府に頼るのではなく家族や社会のなかから平和のために働くことを行うべきである。』
引用おわり
ダライ・ラマ14世の言葉は
過去人間が築いてきた文明の根幹にある宗教というものの捉え方と
祈るという宗教の本質的行為に対する覚者からの素晴らしい直言です。
人間は自身ではどうしようもない絶望的な場面にたたされると
藁をもつかむ気持ちで祈りの言葉が出てしまうものだと思います。
精神的、肉体的な大きな苦痛で叫び声をあげたくなる状態のような時や、
家族や親しい人たちの命が病気や事故、戦争などで危うくなったりした時など
自然と祈りは心から溢れ出るものでしょう。
人生において行き場のない想いに駆られた時に、
祈りが心を落ち着かせ、
前に踏み出す最初の一歩への勇気を与えてくれる事は、
絶望にかられ心の底から祈った経験のある人には
共感してもらえるのではないでしょうか。
しかしだからと言って、祈る事で神が全てを解決してくれる事を期待するのは
人間としてただの幼稚な思考停止にすぎません。
真剣な祈りは、人にその困難な状況や
耐えられない苦痛から一歩踏み出す愛と勇気を与えてはくれます
だが現実の多くはその状況が安易な奇蹟で魔法のようになくなる事はけっしてありません。
その状況に立ち向かい、人間それぞれが愛と勇気を持って生きてこそ
はじめて神や仏のロジックの片鱗に触れる事ができるからです。
深い宗教的な態度とはそういう愛とか勇気とか目に見えないが
実態として現臨しているエネルギーに
人間が行為の中で触れ、いかに表現して生きてゆくかにかかっていると私は思います。
ダライ・ラマ14世は今始めればこの100年の終わり頃、2100年を迎える頃には
今とは違う、人類が協調性をえて人種と宗教を超克した地球文明を築く可能性を得る事を
期待しているのでしょう。
神や神の預言という概念は
何千年という人類の歴史の手垢にまみれています。
先進国の教育を受けた者であるなら、鵜呑みなどせずに理性でまずは考える作業を
成人になるまでのどこかでしていなければならないと私は思います。
ダライ・ラマ14世の言葉は、チベット仏教の教えと共に
長い波乱の人生を生きてきた人の見事な見識と人間としての矜持をあらわしています。
いつの世も人間は神の名を騙って戦争をしてきました。
神が戦争を命じたという大義名分をかざすのは、
人間だという事を忘れてはならないでしょう。
神が言ったと言って、異教徒や、異教徒の家族、女子供を殺す事を選んできたのは
間違いなく人間なのです。
キリスト教徒であるなら、イエスが自身を十字架にかけた人々を赦したように
「右頬を打たれたら、左頬を差し出しなさい」という言葉で自らを律するべきでしょう。
仏教徒であるなら、ダライ・ラマ14世のように
浮き世の事に感情的にとらわれず、客観的に事象を俯瞰分析して
冷静に対処するのが仏の悟道に通じると私は思います。
イスラム教徒なら、コーランに書いてあるように
同じ啓典の民であるユダヤ教徒やキリスト教徒にこそ
その慈悲深さは発揮されるべきでしょう。
いつの世も、過去の神や預言者がこう言ったからという事を根拠に
権威をかさに権力や暴力をふるってきたのは人間です。
同じGodを唯一絶対神とあがめる宗教もその創始者の言葉を読めば
彼ら以後の人間がいかに都合よく解釈して
それを権力に利用してきたかを歴史が証明しています。
私はアメリカ大統領が就任式に聖書に手をついて宣誓をする事を
真の宗教心とは対極にある行為だといつも思います。
イエスの言葉と真剣に向き合った事が一度でもある大統領なら
聖書に手をついて宣誓などできないでしょう。
政治家は誓うのであれば、国民を代表して国家に忠誠を誓い
人間の所業の責任を自覚して戦争をすべきだと思います。
またイスラム原理主義者がテロを正当化するのもまた
同じように神の権威を利用して暴力を恣意的に使いたいからでしょう。
神や預言や、宗教という人間の根源的な命題に対して
自分自身の頭やハートで考え感じ取る事を放棄して
長いものには巻かれる事を選択する人間はいつも多数派だと思います。
貧しい環境や洗脳の激しい社会で生きなければならない場合は
なおの事その呪縛からのがれる事はむつかしいでしょう。
しかし今は21世紀です。
TVもラジオもインターネットも有る時代は、その呪縛を自分自身の手でほどく事は
それほどむつかしい作業ではなくなりました。
現代の人類は一人一人が自分自身で考えた事を発信する力が過去になく強くなっています。
それはエネルギー転換の後押しもあり、過去とは比べ物にならないくらい
たった一人の発信が世界を動かす可能性が無限大に大きくなってゆくのを現しています。
時間がかかっても
家族や身近な社会からの人間性、協調性を育てゆく事を
一人一人選び静かに実行してゆけば、
前世紀とは違い、人類の宗教とイデオロギーよる呪縛は必ず解かれてゆきます。
エネルギー転換によって人類全体の想念で起きている
「一つの思考にこだわる事が出来なくなる」という現象化は
2100年に向かってダライ・ラマ14世が示してくれた世界の実現を
力強く後押ししてくれる事でしょう。
祈りがいらなくなる世界になるようにすでにエネルギー転換は起きました。
そしてそのエネルギーは人類が存在に気づき
使えば使うほど無限大にパワーを増してゆきます。
陽の時代の幕は静かに、でも確実に上がりました。
転換したエネルギーを最大限生かして使う事で
人類が武力ではなく想念と精神で
戦争の連鎖を終わらせる証明をする時代は既に始まっています。
私の最大の楽しみはその目撃者である人生を送る事です。
エネルギー転換は必ず人類の想念、精神、思考を変えてゆきます。
その事を確信しているから私はデンパ者なのです。