日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』 ④ 続 映画 『シャイン』 親と子  命の合奏(アンサンブル) 

2016年03月25日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』      ② 映画 『シャイン』 について

約一年前に上記の記事で映画『シャイン』を紹介した。

一昨日テレビで放映され

約19年ぶりに見直して改めて感慨深かったので再び取り上げようと思う。

映画のネタバレがあるので『シャイン』を観ていない方は観てから読む事をお薦めする。

また前回の記事を読んでない方はその続きの話になるのでご承知おき下さい。

 

私は前回の記事にも書いたが物心つく前から

楽器のレッスンを母親の意思によってやらされていた。

いつ自分がそれを始めたのか記憶がなく、気がつけばいつも泣きながら練習をしていた。

 

母は洋裁に使う1メートルの物差しを鞭代わりにして

手の添え方などが悪いと容赦なくそれで叩いた。

また何か注意すべき事がある時も手や太腿を容赦なく叩かれ

私にとってレッスンと竹の物差しは切っても切れないセットの記憶となった。

 

いつもは学校から返ってくるとまずレッスンをするのだが

どうしても昼間友達と遊びたい日は、夜練習をするからと母と約束をした。

 

夕食を食べた後に裸電球の下で夜遅くまで竹の物差しで叩かれながら

レッスンをするのは昼間友達と遊んだ対価とはいえ

泣き虫の私には涙が乾く暇がないほど辛かった。

 

ロードショウで観て以来長い時を経て観た『シャイン』には

いくつかの場面で記憶とは違う展開があり正直戸惑った。

 

私は前回の記事で主人公のデイヴィッドのピアノの指導役で家長として常に

デイヴィッドに厳しく接する父親を自身の母親と置き換えて

当時観た時感じた想いをそのまま綴った。

 

一昨日観てまず驚いたのは、

デイヴィッドが夜、電球の下で一人でピアノに向かって音を出している所に

父親がやってきて横に座り、ラフマニノフを弾きたいというデイヴィッドに優しそうに目を細め

自身の技量では息子を教える事ができないと決断する場面が

私には、母と同じように父親がデイヴィッドを厳しく指導しているように記憶されていた事だ。

 

その時劇場で観ていた感覚を想い出すと、あの夜の場面を観ているのが辛くて

映画館を出ようと思った場面だった。

私にとって薄暗いオレンジ色の灯りの下でレッスンをするのは辛い記憶でしかなかったので

脳はそのトラウマからそのようにしか受け取ることができなかったのだろう。

 

だが実際の映画では父親はラフマニノフを弾きたいと言うデイヴィッドを引き寄せ

抱きしめていた。

私にはそれが見えず

電球の下で竹の物差しで叩かれている自分をそこに見ていた。

 

また浴槽の中でデイヴィットが大便をし父親にタオルで叩かれる場面は

アメリカ留学が決まりホームステイ先から歓迎の手紙が届いた日のデイヴィッドがはしゃぐ様子から

父親が彼を手放す事を突然こばみ留学を断ってしまった事のショックによるものであった。

私が前回書いたように父親にプライドを傷つけられたわけではなく

夢を奪われた事に対する彼のせめてもの反抗であった。

 

母の厳しい練習に「トイレに行きたい」と言い出せずに

その場でお漏らしをしてプライドをズタズタにされたのは幼い日の私だった。

私はその場面を観ながら、まさに子供の頃の母との厳しいレッスンを追体験して

その場を離れる事もできず

こみ上げてくる嗚咽に思わず口を押さえ座席でむせび泣いた。

 

人は強い心的外傷(トラウマ)を受けた場合、フラッシュバックと呼ばれ

後になってその記憶が突然鮮明に甦る事がある。

私もオレンジ色の薄暗い灯りの下のレッスンやお漏らしをする描写がきっかけで

それに近い事が起きたのだった。

 

私の母は頑固で厳しい人だった。

レッスンにおいて褒めてもらった記憶はない。

いっしょに習っていた四つ年上の兄は、片耳が聞こえずらく

母によれば私よりよっぽど厳しいレッスンに耐えたのだとよく言われた。

そして私は忍耐力のたりない甘えん坊だと言われ続けた。

 

デイヴィッドの父と私の母は自身の正しさや愛情を微塵も疑わないところがそっくりだった。

それ故私はデイヴィッドの気持ちが手に取るようにわかるような気がした。

 

またデイヴィッドの父がそうであったように

私もまた母が自身の満たされなかった子供時代の復讐や生き直しの為に

厳しいレッスンを課した事を『シャイン』がきっかけとなってやがて知る事となった。

 

私にはデイヴィットのような芸術の極限にふれるほどの才能などどこにもなく

思春期の挫折の折、幼い日の当然の帰結として母を強く憎んだ。

 音を楽しむという音楽の本質を子供の私から奪った事を含め

近所の子供たちと同じような子供時代をわずかしか過せず

厳しいレッッスンが徒労でしかなかったと母に憎しみをぶつけた。

 

ある時友人が、一番最初にピアノを習った時の事を話してくれた

それはレッスン最初の日

その先生は優しく彼に話しかけ、ピアノの前に一緒に座って

彼に好きなように弾いてごらんと言ってくてたというものだった。

 

彼はかなりの時間戸惑って鍵盤に指を置くことができなかったが、

先生は辛抱強く彼が自分で弾きだすのを待ってくれた。

やがて彼が思い切って人差し指で一音一音、音を探るようにして弾いてみると

横で見ていた先生がとても褒めてくれて

その時にピアノを好きになれそうだと思ったという事だった。

 

私はその話を聞いた時本当にうらやましかった。

子供の私の回りには

友人の先生のように音楽を好きになる事を教えくれる大人は

母はもちろんの事、レッスンの先生や学校の先生を含めいなかった

 

成長するにつれ音楽の才能なるものがどのくらいシビアなものか

理解できるようなった私は

母が望んだものが子供の器や才能に合っていない事が

不幸の元凶である事に気づいていった。

そして何より、母自身が音楽や芸術の真髄を知るという事が

どういう事かを体験も理解もできていないのに

子供たちにそれを求めたという理不尽さに

気づきもしていない事を嫌悪した。

 

結局私は物心つく前から楽器のレッスンに長い時間をかけてはいたが

文字どうりの音を楽しむ事を習い覚える事がその時はできなかった。

そしてそれ故に親を憎み音楽という芸術の素晴らしさに気づくのが

遅れた事を後悔する人生を歩んだ。

 

 

だが人生を生きてゆくうちに、そういった徒労や負の体験と思えていた事も

それがあったが為に出会える人の存在や理解できる事象があるという

事に気づけるようにやがてなっていった。

 

音楽の楽しみを知り、

成人して結婚し子供を持ったタイミングで私は『シャイン』を観る事が出来た。

 

だからこそ忘れていた子供の頃の厳しいレッスンを思い出して追体験した後に

人生での出会いの不思議さや

人生で遠回りしたりする事にもちゃんと何がしらの「はからい」が働いていて

デイヴィッドのように障害があり、

純粋だがピアノを弾くこと以外は他者の助けを必要とするような人生を生きていたとしても

その「はからい」の導く先には思いもかけない出会いや未来が待っているというストーリーが

私自身の人生と重なり

ジェフリー・キャッシュの素晴らしい演技と

デイヴィッド・ヘルフゴット本人の素晴らしい演奏と共に

私を癒してくれたのだった。

 

 

音楽や芸術の深遠はデイヴィッドのような天賦の才があり

全てを対価に捧げても尚それを求める者のみが知りえるものだと私は思う。

 

だが親と子の愛情の深遠の本質を知るチャンスは

誰もが平等に人の親になった時に与えられる。

 

そして多くの人は意識、無意識の両方で

自身の親を基準として自分にとって初めての子育てをする事になる。

 

子供の成長を感じながら、自分の親もこんな気持ちを体験したのだろうかと想いを馳せたり、

自分が嫌だったり、寂しかったりした事を思い出しながら

親との関係を見つめ直すことを子育ては促してくれる。

 

それは子供の視点でしか捉える事が出来なかった自身の人生を

親の視点から見直し、さらに客観的な視点から分析を深める助けになってくれる。

 

子は親を選ぶ事が出来ない。

お金持ちや、または虐待する親を選んで生まれてきたわけではないと

普通の人は思うだろう。

だが、人生での出会いに偶然などないというのがスピリチュアル的な考え方の中心にある。

 

「はからい」呼び方を変えれば「神の摂理や法則」とは

そういう事全てを含み人間の善悪の概念を超えて営まれていると。

 

「はからい」を信じている私からすれば

親と子という人生において最初の重要な関係に生まれる者は

あらかじめ決めて生まれて来ていると思っている。

それ故、デイヴィットも私もそれぞれ、厳しい父と厳しい母を選んでうまれてきたのだろうと。

 

 

この時代若い人たちが親になるのを躊躇うのはもっともだと思う。

しかし、答えはいつも子供たちの中にある。

 

親の役目はその事を忘れないで、愛情と束縛を誤認する間違いを

注意深く自己点検する客観性を失わないようにして

子供自身の意志と手と足で自ら選び取り生きてゆくレッスンを

日々続ける手伝いをしてあげることだと私は思う。

 

子は親の所有物でもコワモテの神からの授かりものでもなく

彼らの道は彼ら自身が知っているのだから。

 

親となり子供を育てる事は

芸術で深遠を覗くのとは違う角度で生命の深遠に迫る愛情芸術だと私は思う。

 

人生のある時期共に生き、

いずれは別れて行くことが決まっているのは

時間の五線譜を彩る命の合奏(アンサンブル)のようだ。

 

 

 

 

wikiによれば

映画化に当って、ヘルフゴット家族や幼少期の関係者たちへの取材はまったくなく

公開後、映画を観た家族や関係者から、映画は事実に反したでっちあげであると抗議の声が上がった。

姉のマーガレットは1998年に関係者の証言を集めた抗議の本を出版し

父親は映画に描かれたような暴君ではなく、デイヴィッドともうまくいっており、

デイヴィッドの精神的な病気は家系的なものであると主張した。

また父親はホロコースト時にオーストラリアにいたこと、

デイヴィツドは精神病院に入る前に別の女性と結婚していたこと

バーのピアノ弾きの仕事は姉が紹介した事などを明らかにしたとの事であった。

 

しかしこの事実は私にとっては『シャイン』という映画の評価には何ら影響を与えない。

 

あの時『シャイン』を観た事によって忘れていた大事な記憶が

私の人生の掛けがいのない一部になったのは

紛れもない事実であったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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宇宙を貫く法則の数式による証明は、神の主観に盲目的に従う人々を論理的に開放する端緒になる。

2016年03月21日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

今回もデンパ野郎の本業の神や信仰に対する勝手な考察なので

興味のない方、頭が疲れたくない方はスルーでお願いします。

 

 

数年前NHKで『神の数式』という特集番組が放送された。

数学者と物理学者の悪戦苦闘と

宇宙を貫いている法則を数式で表すという困難さと魅力を十分理解できる番組だった。

 

私のように数学的な素養のない者にとっては憧れの世界の話で

言葉という情報や感情を伝達する記号でしか思考する事ができないのは、

なにより普遍的な客観性を考察し確認する手段がないのに等しい。

 

言語は主観の伝達と記録がその誕生理由の大いなる部分を占めるていると思え

その性質上誕生した時から客観的な証明のツールには成りにくい。

 

私がデンパ者と自身を定義し、そのイカガワシサを自戒を込めて繰り返し強調する理由は

宗教や信仰やもっと広義にスピリチュアルな世界というもの全てが

長い歴史を経て聖書やお経のような文献が残っているにせよ

聖書でさえ〇〇〇による福音書と所詮は

人間の個人的な主観によってしかその信憑性を訴える事ができないからだ。

 

新約聖書ヨハネによるエヴァンゲリオン(福音の意、アニオタとして書いてみたかった)では

究極の主観的な存在そのものである*Godが

*(在りてあるもの。大文字のGのGodは砂漠の三大宗教の創造神の固有名詞)

「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。
言葉は神と共にあった。
万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。」と  

その主観的記号である言葉によって万物を創造、物質化したと述べている。

Godの言葉は元々創造神の主観を現象化する為の

ファンタジー世界の呪文と同義のツールであり

客観性とは対極にあるものとして生まれている。

 

神が一般的に存在の客観的な証明の証として提示しているのは

預言の完全成就や奇蹟と呼ばれる事象を現象化しいる事だが

それでもなお、それは人間の期待に沿った回答であって

客観的な証明と言うのは正確ではないだろう。

 

何より宗教や信仰によって得られる最大の効用である精神的な安定や

満ち足りた心持というものは他者に正確に説明出来ない主観そのもであるからだ。

「鰯の頭も信心から」という例えどうり本人が満足していて周りに

実害(テロなどの他者に暴力的実害のあるものは真の宗教心とは呼べない)がなければ

信仰はそれで十分成り立ち完結してしまう。

 

信仰を冷徹な視点で分析すると

宗教にしろスピリチュアルにしろ神やそれに類する主観的存在を

客観的な根拠や証明などなく人間の伝聞を疑わず

自己の主観を判断基準として信じるという非論理的な行為と言う事ができる。

 

長い間人類は砂漠の三大宗教の影響により

神の主観が科学的論理を封じ込めて来た。

 

ガリレオの時代では、神の主観に逆らう事は人生や命を天秤にかけるのと同義であったし

西暦の紀元の頃から繰り返されてきた砂漠の三大宗教の文化的社会的洗脳は

現在でさえイスラム諸国やISISの例を見れば明白なように、

神の主観が客観的論理を凌駕している。

 

砂漠の三大宗教の誕生する以前、

約五千年前にはじまる有史の冒頭に突然登場したシュメールと呼ばれた人々は

唐突に高度な文明を持って現れている。

そこでもたらされたさまざまな知識は時をへてギリシャにおいて

一通りの完成を見るほどまでに発展する。

 

だが砂漠の三大宗教の広まりは神の主観で長い間人類を縛る事となり

文化的停滞期である中世となった。

 

やがてバイブルランドではルネッサンスを始まりとする神の主観からの離脱が成功して

客観的な論理による科学が再び発展して現在に至っている。

しかしイスラム圏においては

現在でもなお神の主観から人間が自由に離脱する事が必ずしも出来ていない。

 

「神とは何か」という問いを中世ならする事さえできなかった。

絶対的な創造主に疑問を投げかける事など禁忌中の禁忌であったから。

 

ではこの21世紀の現在はどうかと言えば、イスラム諸国はもちろん

資本主義の最先端のアメリカでさえ聖書の創世記でなく進化論を

信じると答えた人が去年ようやく過半数を超えたばかりだ。

それくらいバイブルランドでは

今だそういう神の主観の刷り込みからは完全に脱却できてはいない。

 

いつになったら人類は

「神とは何か」という根源の命題に主観や感情の入らない、

論理的で明確な回答をする事ができるようになるのだろう。

 

宇宙の誕生や時空間の発生などの問題は

突き詰めてゆけば人間が『神』と呼んでいるエネルギー(神が人間を創ったと仮定して)の出発点と

現象的な類似性のある宇宙誕生の出発点を

感情の入らない数式によって客観的に示す事が出来る可能性を含んでいる。

 

現在の最先端の超弦理論によれば、

この世界を時間を含め11次元と捉える事で宇宙をその誕生のメカニズムから説明でき

論理的な矛盾はほぼ除去できている段階だと言われている。

 凡人には理解できない複雑な話だが、

数学者や物理学者が数式でその事を証明できてしまうとしたら

この先間違いなく誕生する量子コンピューターなどによって

宇宙の誕生や宇宙の構造、宇宙エネルギーの超ミクロから極大のマクロまで

その全体像は必ず解析されてゆくだろう。

 

 

旧時代の「神の主観」の洗脳から離れ

人間個人個人がより自由に神を問い直す事が出来るようになり

客観的かつ論理的認識が世界中に広まった時

感情や主観を超えた精神文明に人類はようやく入ってゆけるように私は思う。

 

 

『神を何故信じるのか?』と問われた時、

解明された宇宙の構造のその微塵も破綻のない完璧さであったり、

ミクロからマクロまで淀みなく法則に従って流れるエネルギーを実感できるからだと

答える日が未来に必ずやってくるだろう。

 

その時の人類は神をそれぞれの主観ではなく

論理をベースにして客観的に現臨するものとして体験できているだろう。

 

そしてその事実を踏み台にして人類は現時点では想像の及ばない

精神文明に足を踏み入れてゆく可能性があると

夢も希望もある言葉でこのデンパな話の終わりとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 


Pietà ピエタ を  超えて

2016年03月17日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

今回はデンパ野郎の本分みたいな斜め上のさらに上の垂直方向の

死にまつわる問答なので読まれる方はご承知おき下さい。

前回みたいなノリのをご所望の方はスルーでお願いします。


  

ピエタとは

Pietà イタリア語 哀れみ・慈悲などの意

聖母子像のうち、

死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻や絵の事を指す。

沢山の芸術家がピエタを製作しており、中でもミケランジェロが1499年に完成させた

現在のバチカンのサンピエトロ大聖堂にあるものが有名で

ミケランジェロが生涯唯一署名を入れたという逸話のある作品。     by wiki


人生において悲嘆は死と繋がっている。

そしてその中でも究極の悲嘆とも思えるものは最愛の人の死だろう。

特に人の親になった者にとって

最も耐え難い悪夢は愛する子供の死に遭遇することだろう。

 

私は十代の時に受験仲間に自殺された。

公立のセンター試験が終わり私立の受験が本番になる直前の一月末の朝

彼が死んだ事を聞かされて葬式に行った。

 

焼香を済ませ振り向いて顔を上げると

彼のお父さんと目が合った。

 

「人はこんなにも悲しい顔をするんだな。」

 

それまでの人生無数の顔を見てきたはずだった。

しかし、その時見た彼のお父さんの悲嘆に満ちた顔は

長い間忘れる事ができなかった。

 

死は、否応なく人を人生や運命という命題と対峙させる。

ましてそれが最愛の人や子供であった場合

その生と死の共振から来る感情の大きな渦から逃れる事は出来ない。

 

ミケランジェロのピエタは

母親が子を看取るという、有限の命の人間が受ける最も悲嘆に満ちた瞬間を切り取りながら

聖母マリアを若く彫る事で

母性の中心にある慈愛の神聖、純潔の永遠性を表しているように私は思う。

 

人が生命を知るとはどういうことなのだろう。

 

私の場合それは死の真実とは何かという事を知ろうとする事から始まったような気がする。

 

子供の頃夏休みに家族で万博を観に行って返ってきたら

よくかわいがってくれた親戚のお姉さんが亡くなっていた。

 

元々病弱な人だったが、出産の負担に耐えらず母子共に亡くなった。

斎場で骨を拾ったのはその時が初めてだった。

係りの人が骨を説明をし、

「これがお子さんの骨です」と言って箸で小さな骨を指し示すと

部屋中に嗚咽の声の連鎖が響いた。

 

私はまだ死というものがよくわからなかった。

それ故にとりたてて悲しみも湧かず、

その極めて不幸な出来事の一部始終をぼんやりと眺めていた。

 

「人は死ぬと焼かれていなくなってしまうのだな。」

その程度の思いが浮かんできた程度であった。

 

また私の通っていた田舎の小学校はマンモス校であったので

夏休み中に子供が交通事故や山や海の事故に巻き込まれ亡くなる事はごく普通の事だった。

二学期の始業式の最初が黙祷ではじまるような事は恒例行事のようであった。

 

知らない子が事故で亡くなっても

たいては死んだ子が運が悪かったとか、のろまであったのだろうと思い

同情したりする事はあまりなかった。

そして、朝礼で聞いた情報を元に死んだ子のクラスに行き

花の飾ってある机を見て

「死んだらあんな風にお花を飾ってもらえるのか」と

少し羨ましく思ったりした。

 

中一の時祖父が死んだ。

祖父は亡くなる三年ほど前から寝たきりで今でいう認知症であった。

聡明でなおかつ手堅い人柄だった祖父は、

大正時代二十代で潰れる直前であった家業を建て直し

身代を守り戦中戦後の混乱から今に至るまでの基礎を作った人だった。

 

そんな祖父も病に倒れた後は別人のようになってしまっていた。

危篤だからと登校前だった私は本家に呼ばれ

祖父の臨終に立ち会った。

部屋に行くと、医者と伯父と父がいた。

 

「よく持っただいねぇー」と掛かりつけの医者が言った。

その時は

「何がよく持っただ。」と怒りがこみ上げてきた。

特に祖父に可愛がられたわけではなく、むしろ会話した記憶の無いほど

祖父とは交流がなかったが、

その時の医者の言葉が不謹慎に思えたのだった。

 

そして十代最後の他者の死が冒頭に書いた受験仲間の死であった。

彼の死は私の人生に大きな影響を与えた。

 

 

こうして順を追って振り返ってみると、死に対する私の悲しみは

後天的な刷り込みであるようにも捉える事ができる。

 

もし文化や風習として、死全体の認識を哀しみや悲嘆ととらえず

魂の開放という視点に重点を置いた文化や文明の中で

コミュニティー全体の人々が育ったとしたら

身近な人の死に直面しても、ごく自然に死を受け入れる事ができ

いたずらに悲嘆にくれる事ばかりではないのではと思う。

 

死は

その与えられた時間や死に方に違いがあるだけで

命あるものの当たり前の終着点として全ての人間に平等に与えられている。

 

それは言葉を変えれば法則と言っても不都合のない

現象だけを客観的に眺めれば万物の生物たちの命の巡りと同じで

感情の入る余地のないものだ。

 

今も世界は感情の嵐を起因とする、紛争やテロで溢れている。

 

人間の現状は万物の霊長と言うにはふさわしくない程

自分たちが作り出した宗教やイデオロギーなどの概念や思考の産物を

なんら科学的、客観的な精査もしないで

あやふやな感情をよりどころにして人間同士で批難し殺し合いを続けている。

 

私たち人間は大人になるまでは

親を筆頭に先人たちの思考や概念の刷り込みから逃れる事ができない。

しかし大人になる前の思春期での反抗期や成人し社会に出た後でも

かならず先人たちの価値感との相違にぶつかる瞬間がある。

 

だがその刷り込みを解くチャンスと呼べる若い時点での判断の基準の多くは

ホルモンや本能に支配された感情と呼ばれる不安定なものである事がほとんどだ。

 

多くの人は自我の感情こそがアイディンティーの中心だと認識しているだろう。

しかし感情という移り変わりが激しく、

身体の体調や普段の回りの環境によっても大きく変化してしまうものを

自己のアイディンティーの中心だと誤認する事は、

人間同士の衝突を生む確率をいたずらに増やすだけだという事を

過去5000年の人類の歴史が証明している。

 

この21世紀をはじまりとする人間の物質文明から精神文明への転換は

多くの人が自己のアイディンティーの中心にある感情に支配された自我を

その玉座から降ろす事から始まると私は思っている。

 

最初のきっかけは人類の悲嘆の根源であった

肉体的な「死」という現象の隠されていた部分のベールが取り除かれて

肉体の死後の自我意識との具体的な交流が

霊媒のような特別な人たちだけでなく

普通の人々まで徐々に広がってゆくことで始まると感じている。

そしてその事は

人類にとって生命という存在の認識を次元を超えたもっと大きなスパンのものだという

理解する出発点となってゆく。

 

人類にとって肉体的な死が永遠の別れを意味しなくなる時、

物質文明の象徴であった肉体の死という悲嘆と

その救済として必要であったピエタと呼ばれる哀れみと慈悲は

消え去ってゆく運命にある。

 

 

我々がこれからの五千年という単位で築いていく精神文明の出発点は

肉体的な死が 生命と自我の終わりではないという事を

客観的な事実として人類全体が受け取ることから始まってゆく。

 

そして我々人間が物質文明の時に救済の象徴とされたピエタを超えてゆく方向は

インターネットやsnsで感情の衝突を招いている横のベクトルによるものではなく

客観的法則のベクトルである縦(ヴァーチカル垂直)の方向にある。

 

意識を 縦の方向にプラズマ化するとき、意識に付随する感情の渦がほどかれ

自我を縛っていたそれを手放しやすくなってゆく。

 

エネルギー転換は人類全体の意識が縦(ヴァーチカル垂直)方向に向かうように転換した。

後は我々一人一人が自我を縛り、争いの苗床となっている感情の渦を

手放すほんの少しの勇気があれば

この世界からテロや紛争の種は育たず必ず消えてゆく。

 

私たち人類はそういう真の平和を実現するために

生命というものの認識を次元をこえた先にまでのばす時代に

すでに入っているのです。

 

これから千年、二千年と進んでゆく精神文明の

本当の最初の一歩の時代に我々は今生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


天才 と 『シュレディンガーのパンツ』  と 『アヴェ・ヴェルム・コルプス』

2016年03月13日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

暇な人向けのオタク的非生産的デンパ話です。

頭を柔らかく(アホに)したくて時間が有り余っている方はお付き合いください。

 

「シュレディンガーのパンツ」とは

量子論の育ての親ニールス・ボーアが提唱した「コペンハーゲン解釈」の拡張主張である

フォン・ノイマン=ウィグナー理論を

批判する為に物理学者のエルヴィン・シュレディンガーが

提唱した有名な思考実験「シュレディンガーの猫」のパロディで


見えないスカートの中を妄想し

その小宇宙の中が観測(スカートめくりやのぞきなどで)され確定されるまでは

無数の可能性(ノーパンを含め)のそれぞれのパンツが重なって存在しているという

アニメ上のお約束パンチラを使った妄想嗜好実験である

 

健全な女子や常識的な大人には

「馬鹿じゃないの!」  とか  「きも~い」 という生理的嫌悪の反応を招く

キモオタという侮蔑の呼び名にふさわしい、明るい安村的妄想プレイの1つ。

 

今期放送された京都アニメーションの『無彩限のファントムワールド』の七話の冒頭で

その「シュレディンガーの猫」と「シュレディンガーのパンツ」の解説がされていたが

中二病的サブカルチャーであるアニメはこの手の話が大好物なので

手を変え品を変え昔からよくネタにされる。

 

量子論は

今世紀  自我の意識構造の科学的な解明が、宗教やイデオロギーの呪縛からの開放を加速させる。

の記事にも書いたが、

19世紀最後の12月に産声を上げ20世紀のテクノロジーの爆発的な進化の土台になった。

それは光が波の性質と粒子の性質を同時に併せ持つという観測結果が

従来の古典物理学で説明できなかった為に生み出されたミクロ世界の理論だ。

 

量子論を覆す為に

世界中の研究者がその時代の出来る限り精度の高い装置で実験を試みたが

結局波動方程式の導き出す数値と多くの観測結果が一致した為

波動方程式の正しさをより証明する結果になってしまった。

それは事実は小説より奇なりを地で行くみたいな話だ。

 

量子論のフォン・ノイマン=ウィグナー理論のぶっ飛んでいるところは

ミクロの世界では物質は観測されるまでは、不確定なモヤモヤした状態のままで

観測者が意識を向けた時に「波束の収縮」がおき現象が固定化するという

およそ常識では納得できないような理論だという事だ

 

『無彩限のファントムワールド」の7話で

ファントムのルルが「シュレンディガーのパンツ」の軽い説明をして

主人公に「おまえはノイマン先生かよ」と言われていたが

そのノイマン先生こそフォン・ノイマン=ウィグナー理論の

ジョン・フォン・ノイマン博士で

量子力学の基礎理論であるシュレディンガー波動方程式を徹底的に計算しつくして

物質はあくまでもあいまいな可能性の中にあって

特定の位置とか状態を確定するような答えを導き出せないという事を

証明した数学者だ。

 

ノイマン博士はこんな現象は今までの物理学の概念範疇のルールでは

説明(数学的に)出来ないのだから

『抽象的自我』という今までの物理学にない概念を創り

観測者の意識が「波束の収縮」を決定づけ物質の状態を決めると主張して

天才科学者で有名だったにもかかわらず

当時から多くの学者から

「そんなの従来の物理学のルールからあまりにも逸脱してるじゃないですか」と猛反発をくらい

今でも『射影仮説』と呼ばれるそれは多くの学者がスルーしようとするらしい。

平たく言えば既成概念から外れたがらない常識的科学者に

ずっとトンデモ扱いされているという事らしい。

 

また波動方程式の産みの親で結果的に量子論の基礎を作った本人のシュレディンガー博士は

その常識的科学者で量子理論の非常識さそのものに嫌気がさして、

ノイマン博士たちの考え方に疑義を唱えその例として

「シュレディンガーの猫」という思考実験を提示した。

 

「箱の中に生きた猫 放射性同位体、

そしてその同位体のアルファ崩壊を観測する装置、

同位体のアルファ崩壊が起きると毒ガスを発生する装置を入れるフタをする。

箱の中の猫の生死は

放射性同位体のアルファ崩壊の量子的(波動方程式によって記述される)

ランダムな動きによってのみ決定すると仮定する。

一定の時間経過した後、猫は生きているか死んでいるかどちらでしょう。」というもの。

 

ノイマン博士たちの考え方が正しいとするなら

同位体がアルファ崩壊しているかしていないかが決定され波束の収縮が起きるのは

箱を開けた時でなければならず

それまでは死んでいる猫と、生きている猫が重ね合わせて同時に箱の中に存在する事になる。

そんな生死を重ね合わせるのは現実の現象を説明するのには非常識だし説得力ないよね。」

とシュレディンガー博士は主張したわけです。

 

だからと言ってノイマン博士の証明した

波動方程式による物質はあいまい可能性の中にあって状態を特定できない

という数学的証明が崩された訳でもミクロ観測実験で否定された訳ではないのですから

シュレディンガーの猫が誕生した1935年から81年もの間

猫は箱の中で重ねあわせの半死半生の状態で未解決の論争を眺めている事になります。

 

そろそろ「パンツはどうしたんだ」という声が聞こえてきそうですが

ようはこの「シュレディンガーの猫」といい、観測者による波束の収縮の「射影仮説」といい

人類の最高峰の頭脳によって到達した科学的学説が

無味乾燥ではなく、神秘に満ち

好奇心や妄想を限りなく掻き立ててくれる上

今だ未解決である事がとても素敵だという事です。

 

この観測者によって物質の状態が決定ずけられるという解釈は

スピ系の引き寄せの法則なんかの根拠の一つにされていて、

現在も中二病的トンデモ度を増幅させています。

 

ちなみに八桁の割り算を暗算でき、初期のコンピューターに計算の早さで勝ったとか

中二的な逸話にここ欠かない天才数学者の名にふさわしいノイマン博士は

やはり独特な方であったらしく、下品なジョークや会話でヒンシュクを買ったり

日常的に秘書のスカートを覗くセクハラを繰り返すヘンタイおやじだったようです。

 

第二次大戦の時は原爆開発である「マンハッタン計画」に積極的に携わって

「日本の精神をへし折るには

京都に原爆を落とすべき」と極端な超タカ派の主張をしています。

 

でもその逸話から飛びっきり中二的なキャクターだったと思える博士なら

終戦から70年経ってかつての敵国日本から

「シュレディンガーのパンツ」というジョークが生まれたと知ったら

さぞ大笑いしてくれるだろうなと

思わずクスッとなってしまいます。

 

 

「下品な天才」 と言えば

最初に思い浮かぶのはあのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだと思います。

 

モーツァルトのいたずらや下ネタのエピソードは山のようにあって

とくに、ウ〇コは妻に宛てた手紙はもちろん

普段の会話に何度も登場するほど好きだったらしく、まるでウ〇コが登場すると

祭りになる幼稚園児のようです。

 

『僕のお尻を舐めてよ』なんてタイトルの曲もあるくらいですし

日常的にスカートめくりをしていたようなので

モーツァルトは「シュレディンガーのパンツ」的妄想を実行に移し毎日楽しんでいた

愛すべき下品なお馬鹿さんだったようです。

 

もちろんモーツァルトの音楽の天才性の逸話は数限りなく有ります。

よく語られるのは

彼の残した楽譜には逡巡や迷いを連想させるものがあまりないというのがあります。

また妻と食事と会話を普通にしながら、空中にある見えない楽譜を

手元の紙にものすごいスピードで書き写していったという

漫画みたいな場面を映画「アマデウス」で描いていたように記憶しています。

 

まあそれは極端な比喩的表現でしょうが

モーツァルトの音楽は曲名や作曲者を思い出せなくても

『トルコ行進曲』など多くの曲が誰もがメロディーを覚え安く、時を経ても色褪せていません。

 

私は会社員で中間管理職をしていた頃

袋小路から出られなくなってもがいていた時期がありました。

 

ある時気分転換に散歩をして歩いていると近くの中学から

ミサ曲のような合唱が聞こえてきました。

それは下校用の放送で流されていたのですが

聞き覚えはあるけれど曲名のわからない美しい調べでした。

 

私は立ち止まって目を閉じ

しばらくその調べに身をまかせるよう聞き入りました。

 

曲が終わりゆっくと目をあけると

心が洗われて体が軽くなったような気がしました。

 

youtubeもない時代ですから、メロディーで曲名を調べるのはむつかしく

結局なんという曲かはその時はわかりませんでした。

 

時が経ちスピ系が縁でグレゴリオ聖歌やさまざまな作曲家のアヴェ・マリアを

唄う機会がありました。

その時知り合いの人からアヴェ・ヴェルム・コルプスも加えたらどうかと言われ

どんな曲か知らないというと

「youtubeで調べればいくらでも出てくるし絶対聞いた事があるから。」と言われました。

 

早速帰宅して調べるとそれはモーツァルトの最晩年のミサ曲だと知りました。

そしてyoutubeで探し聞いてみると

それはあの散歩中に聞き私を癒してくれた曲だったのでした。

 

アヴェ・ヴェルム・コルプスはモーツァルトが死ぬ約半年前に作曲されたものです。

その旋律とハーモニーはこの世のものとは思えず

すべての魂を昇華させてくれるように私は感じます。

 

普段は下品で下ネタやおふざけが大好きで、浪費家でギャンブル好きであったモーツァルトは

音楽に関しては天才と呼ぶにふさわしい芸術家であったと

その調べに意図せず救われた私は思います。

 

 

『シュレディンガーのパンツ』をモーツァルトにも話たら

きっとあの映画のように高笑いをして

「私はノーパンに賭ける!」

などと言って喜んでくれるように思います。

 

才能というのは人格や性格とは無関係だという事を二人の天才の人生から感じます。

 

それはまた

我々凡人にも一人一人きっと

役割を果たす為に与えられた才能と呼べるものが有り

その事と人格や性格は無関係に存在していることを示唆しているように思います。

そしてその才能を見つけるこつは

努力を必要としないで成果を上げる事ができる分野という事になるのではと。

 

しかしそれは、その分野が好きでない可能性を多々含むものであるでしょう。

皆がノイマン博士やモーツァルトではないのですから。

その二つが多くの人は重なり合わないからこそ

凡人の人生は複雑で生きにくく

だからこそ生きる価値が有り

醍醐味のあるものになっていると私は思います。

 

天才のノイマン博士やモーツァルトのように

「シュレディンガーのパンツ」を思考実験のままに終わらせず

観測まで実行する勇気は

凡人の私にはなくて良かったという結論と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

*量子論、「シュレディンガーの猫」の説明に関しては

 あくまで簡易的な解釈で厳密で正確な理解を元に記述したものではありません。

 相対性理論にしろ、量子論にしろ、高等数学が完全に理解できる人間でしか

 真の理解は得られないものだと思います。

 私のような根っから文系の人間はその概念の部分を言葉で理解するしか方法がないので、

 数式の凄さ完全性、美しさを理解できないのが残念でなりません。

 その事を了解の上で話を楽しんで頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『保育園落ちた。日本〇ね!!!』感情的な言葉が国民の意識全体に影響を与えた時代はすでに終わっている

2016年03月10日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

「保育園落ちた 日本〇ね!!!」

 

なんとも扇情的なタイトルである

〇のところにどんな字が入るかはみなさんご存知だろう。

ここのところ話題になり、国会にまで取り上げられた匿名のブログのタイトルだ。

そして今日は安倍総理の「匿名なので信憑性がない」という答弁にたいして

実名で28000名の「保育園を落ちたのは私だ」という署名が提出されたそうだ。

 

元ブログの文章を読んでみたが、政治活動が人生の中心のような

プロ市民がプロパガンダの為に書いたのか

(あまりにも、素早く左翼の方々(共産党や民主党)が

デモや署名などに動いたのでついぞ勘ぐりたくなる)

本当の生活者の方が書いたのかわからないが、

形としては本音の発露をウェブ上に匿名として書くのは

別に言論の自由の国なのだからとやかく言われる事もないだろうし

これほど話題になったのだから、書いた本人はしてやったりという気持ちであろう。

 

私もネットの匿名性を大いに利用して自分の意見を勝手きままに無責任に載せている

タイトルが『日の本の下で』のとおり日本が好きなので

「日本〇ね!!」などと伏字でかくしかない。

 

私は仮にもスピ系などと名乗っているので言霊や言葉の力を信じている。

デンパな解釈で眺めた時

あのような「日本〇ね!!!」という言葉を発した本人やそれに乗っかる人たちに

どういうふうにその言葉や言霊のエネルギーが返ってゆくのかを想像すると

他人事ながら鳥肌が立つ感じがする。

 

ごく普通の保育園の抽選に縁のない人達が

あの『保育園落ちた 日本〇ね!!!』という言葉に触れた時

どんな事を想像したり、どんな感情が湧いたりするかを

その言葉を発した本人やそれに連なる行動を起こしたした人々は

想像して行動を起こしているのだろうか。

 

ネガティブで扇情的や感情的に強いインパクトのある言葉に反応するのは

たいていは現状でネガティウな感情を抱いている人々だ。

そういう若い感情的な反射をしてしまう層に向けてのなら

確かに効果があっただろうが

 

大多数の一般の国民はああいう短絡的で扇情的な言葉のスローガンを

品位のない気持ちの悪いものと感じるのではないだろうか。

 

時の政権や政治を批判する為に

軽々しく自分の生まれた国に対して『〇ね!!」などと書いてしまえたりする人格は

ヒステリックに見え当たり前だが理性的とは思えない。

 

仮に自分が小学生六年生くらいのものの道理がわかる年頃の子供であったとして

自分の母親や父親が

『日本〇ね!!!』という言葉をブログに綴っているのを知ったら

どんな気持ちになるだろうか。

 

そしてそれが、保育園の抽選に落ちたという事象への感情的な捌け口であるとわかったとしたら

自分の親ながら子供ぽくって付き合いにくい人だなと思うのではないだろうか。

 

私が今回の『保育園落ちた。日本〇ね!!!』ブログの件で真っ先に感じた事は

保育園に入れる事ができない事が行政側の努力不足で実現できず

経済的にも労力的にも負担が増す事にに対する共感ではなく

このブログの主の子供は

ヒステリックな親を持ってこれからの人生大変そうだなという思いだ。

 

世の中この程度のアンラッキーは昔から掃いて捨てる程ある。

その事に対して自分が生まれ育ち多くの第三者の人と共に住む国を、

平気で〇ねと書けてしまう無神経さで育てられる子供はたまったものではないなと

ヒステリックな傾向の母親を持ち

幼少の頃から思春期まで親子関係に悩んだ経験のある私の素直な感想だ。

 

 

 

私は両親を金属バットで殺害した犯人とタメ(同じ齢)だ。

 

事件は1980年に起きたが私も当時彼と同じように浪人生であった。

それ故エリートの家族に生まれ受験に失敗し

父親のキャッシュカードを盗み酒を飲んで憂さを晴らすのを

父親に叱責された後の犯行に当時は共感し

殺されたご両親に対しては同情できなかった。

 

当時の私は今の若者たちと同じで切れやすく激しやすかった。

それ故金属バットで両親を殺害した犯人の事を他人事とは思えなかった。

 

「何か一つボタンを掛け違えていたら、両親を彼のように殺していただろうか?」

という問いかけを当時自身にして、

「彼と同じように両親を殺した可能性があったな。」

とその時認めた。

 

私はこのブログの中で書いてきたとおり

思春期の最初中二の時に自身の闇に気づきそれを見つめて生きていた。

それ故、何度となく自分の中にある

激しやすく制御できない怒りが全身を満たしている時の高揚感と

それが過ぎ去った後の自身への嫌悪感を味わった。

 

私の前半生はその波の絶え間ない繰り返しのようであった。

 

そんな私も歳を重ねると

感情的に激しい言葉を浴びせられた時に

大きく二つに分かれる反応をするようになった

 

①若い頃と同じで金属バットで両親を殺害した犯人のように

 プライドやメンツや自身のアイディンティティーを傷つけられて

 それによって生まれた憎しみの帰結として言葉を吐いた本人やそれに連なる人や社会に対する

 報復や復讐のような反射的行動言動にでる。

 

②もう一つは、感情的な言葉で自身の感情の憂さ晴らしをしたり

 他者を言葉で傷つける事を平気でする人を

 客観的に事象を観る事ができず理性的な話し合いのできない幼稚な人だと判断し

 人物評価の一般対象から最初からはずしてしまう。

 

私は若い頃は100%①のような対応をしていたと思うが

齢を重ねるごとにほぼ②のような対応をするようになっていった。

 

「若さは馬鹿さだ」

は金八先生の言葉だったと思うが、

自身の思春期を思い出してもらえば理解してもらえると思うが

若い時ほど人間は本能やホルモンによって感情が支配されいる。

それ故に感情的な言葉や事象に対して、本能的に感情反射のような態度や

言動を隠せない。

 

子供の頃から長い時間かけてさまざまな勉強をする事によって

大抵の人間は大人になると感情だけでもの事を判断せず、

理性や論理的な思考を身に付けて、まずはそちらでの判断を優先するようになってゆく

何故なら社会的な生活を安定して継続してゆく為には

理性的な判断をして人とのコミニュケーションをしてゆくのが

前提条件である事はいうまでもない事だからだ。

 

剥き出しの感情的な振る舞いをして許されるのは、

オーナー社長とか、絶対的な地位や権力をもっている一部の人や

まだ大人として認めらていない年齢の子供であって

成熟した大人は会社とか、コミュニュティーで感情的な爆発を起こすようなヘマは

しないように日々を過すものだ。  

 

しかしそれもまた過去形となったようだ

エネルギーの転換の影響もあり

最近は若者はもちろん中年も老人もみな我慢できず切れやすい。

 

3.11の震災の時に電車が止まり、都下は陸の孤島になった場所がけっこうあった。

大半の人は諦めて静かに対応していたが、

ある駅で70歳くらいの老人が一人の駅員に食ってかかっていた。

 

駅員個人ではどうこうできる状況ではないのに

そのあまりの理不尽な言いがかりに

思わずわってはいり、老人を叱りつけようとした時

周りの人も同じように思ったのだろう、その老人に対して激しい野次が複数おこり

老人は捨て台詞を残して去っていった。

 

あの震災の数日間、東北から離れた東京でもそれなりの混乱はあった

しかしこれだけの大都市にも係わらず多くの人々が秩序を失わず

冷静に行動できたことは素晴らしい事だったと思う。

 

物質化とは感情化だとある視点からみれば言える。

故にこの三次元世界に肉体を持ち命を生きるという事と

感情的な体験をする事はきっても切れない。

 

その事とは逆に

意識がプラズマ化して日常的な感情から距離をおいてわずらわされないで生きる事が出来れば

それは仏教でいう悟りに近い状態だという事はご想像頂けると思う。

 

人間にとって地獄とは

感情にこだわり、誰かや自己の運命そのものを

憎んだり恨んだりしてその事から抜け出せない状態が持続したものだといえる。

そして、死ぬ直前もそのような意識の状態であったのなら、

時間のないあの世で

その憎しみなどの内向きの感情の渦から抜け出す事は

自身では中々できないのは想像できるのではないだろうか。

 

悪夢の夢に閉じ込められた時、肉体が目を覚ませばその世界から抜け出す事ができる。

しかし、目を覚ます肉体が既に無かったら

自身の意識が作った憎悪感情の世界から脱出する方法が

あなたはあると思えますか。

 

私が垣間見てきたスピ的世界の経験から言えば、

そういう感情の思い込みによって

この世の年数で数えれば何千年も閉じ込めらていた意識体は存在していた。

 

世界は物質文明から精神文明に人類全体が向かうようにエネルギーが転換した。

 

それは物質化のエネルギーを溜め込むような内向きの渦が、

プラズマ化し外側に放射するような外向きの渦に大きく転換した事を意味している。

 

そしてその影響を人類全体が受ける事により、

歪みを溜め込み、感情エネルギーを溜め込む事で物質化に向かった文明が

歪みを外側に排出し、意識がプラズマ化に向かう事で感情から離れやすくなり

人類全体の意識が感情の渦を常に手放さざるおえない状態に向かう事を示している。

 

それ故に扇情的や感情的な言葉やスローガンや思想に

人類全体として距離を置くように時間の経過と共になってゆく。

 

 

今日本のメディアをはじめ、世界中のネットでも常に見受けられる

感情的な齟齬による衝突は、このエネルギーの浸透と拡大と共に

今後100年以内に

客観的な論理の正論が感情的な正義正論派を駆逐する形で必ず決着をみるだろう。

そしてやがては激情的であったり扇情的な表現を

人々が受け入る事がむつかしくなり

音楽などの芸術からも段々とそういった表現は消えてゆく事になるだろう。

 

感情的扇情的な主張やプロパガンダ、イデオロギーや宗教は

日本はもちろん地球人類全体の意識において

共感を呼ぶ力を必ず失ってゆく。

 

日本国民の意識はこれからも加速度的にプラズマ化に向かい、

マスコミやメディアの意図とは違い、

年を追うごとに多くの人々が感情的な反射行動に賛同せず

より客観的で論理的な行動が過半数に支持され世論を形成してゆく事になるだろう。

 

 『日本〇ね!!!』などという言葉を書くという感覚自体が

日本国民全体の意識の方向性にそぐわない時代はこれから必ずやってくる。

それは日常のありふれた生活の中に

すでに兆しを現している。

 

まずは、感情をたやすく手放したり客観視できる

ネオゆとり世代のさとり世代が

未来の日本精神文明の姿を

目に見える形で表現してくれる事になってゆくだろう。

みなさん楽しみにしていてください。