日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

日本晴れ  大嘗宮一般参観    

2019年12月03日 | 日記

行きたいと思っていた大嘗宮一般参観に

今日ようやく行く事ができた。

ので久しぶりにまた写真でご案内。

今日は本当に天候に恵まれ、『日本晴れ』と言いたくなるくらい良い陽気であった。

一般参賀の時と違い、今日は坂下門からの入場という事であった。

 

10時過ぎに東京メトロの

二重橋前駅を降りたのだが、ゾロゾロと多くの人が皇居に向かうのは

正月や天皇誕生日の一般参賀と同じ。

 

いつもはいくつもの列が作られて開門を待つのだが

今日は列も一つで、ゆっくりではあるが常に歩いている感じで

手荷物検査まではそれほど時間がかからなかった。

手荷物検査を終え坂下門に向かう。

5月の一般参賀の時は参賀を終えた後にこの門から出てきたので

丁度反対の風景を見る感じになった。

坂下門をくぐり、右に曲がった後、宮内庁庁舎の前を通り過ぎ右手に蓮池濠を見ながら

真っ直ぐ進んで行く。

すると警官が右の橋を渡るように誘導していた。

これから50分というプラカードを掲げている人がいたが、みんな後50分も掛かるのかと

半信半疑の感じで右に曲がってゆく。

上の写真はその西はね橋を渡るところ。

西はね橋から蓮池濠を見たところ。

橋を渡り終え、曲がりくねった坂を上るといきなり大きな石垣が目に入ってくる。

後でこれが天守台の石垣だとわかった。

この後、大嘗宮の後姿が目に飛び込んでくるのだが、その写真は後にして、まずは順路どうり

本丸跡をぐるり回るように歩いてゆく。

こんな感じで本丸跡の広場の向こう側に大嘗宮が見えながら歩いてゆく。

これが真正面の位置

ちょっと望遠で。

正面を過ぎて、このあたりから前が詰まって、歩けなくなった。行列待ち。

何と桜が咲いていた。

札がついていて、『フユザクラ』という種類らしい。

サクラのところから30分くらい掛かって、ようやく大嘗宮の正面に曲がるように列が進む。

ゾロゾロと立ち止まる事なく人の頭越しに観る感じ。

ようやく正面まであとちょっと。

歩きながらの望遠。こんな感じ。

正面までもうちょい。

あとは真っ直ぐ歩く。

正面を過ぎると余裕ができ、けっこう自由に動ける。

一番前に出ると。こんな感じ。

この井戸のようなものはどんな祭祀的な意味があるのかな。

大嘗宮正面の鳥居

樹皮が付いたままの丸太の鳥居は初めて見た。

左の拡声器をもった男性が警官でこの人は離れた方が良い写真が撮れるとしきりに言っていた。

それに反応した右の男性。

やりとりがおかしかった。

言われたとうりにさっきの男性は離れて写真を撮っていた。素直だなあ。

正面を過ぎると人も減り、わりと好きにできる。とどまってもよし、行ってもよし。

わりと皆さん自由な感じ。

一番角にある膳屋という建物。壁のあしらいが、見た事もない感じ。

大嘗宮を正面左横から見たところ。大きな建物が主基殿。陛下が神様に神饌を捧げ

御拝礼の上、御告文をお奏しになられ、自らもお召し上がりになった場所。

 

太古の建築と近代のビルやクレーンの対比。 和と洋  

帰路に向かうと正面に、江戸城の天守台の石垣が見えてくる。

なかなかの迫力。

天守閣再建の運動もあると聞く。観てみたいかも。

大嘗宮を後ろから、左の建物は廻立殿。

大嘗宮の儀に先立ち天皇皇后両陛下がお召替えをなさった建物。

廊下の十時の木組みが美しい。

大嘗宮の説明の看板。

桃華楽堂という建物。楽部が使うらしい。

北はね橋門。下は橋からの風景。

竹橋に向かいながら

10時過ぎから12時までかかったかな。

天気も良くて来れてとても良かったと思えた大嘗宮一般参観だった。

まだ12月8日の日曜日までやっているから、時間のある方は

是非行かれる事をお薦めする。

次の代替わりまでは観れないから。

 

最後に今日のとっておきの一枚を

二重橋前の駅の②番出口から出て、横断歩道を渡っている途中に見えた雲。

丸の内のビルの上を鳳凰が飛んでいた。

 

令和が天皇皇后両陛下の願う戦争のない平和な御代になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


哀悼

2019年08月04日 | 日記

  

 

 

 

7月18日の

京都アニメーション放火事件にて

犠牲になられた職員の方々に謹んで哀悼の意を表し

ご家族の方々に心よりお悔やみ申し上げます。

また多くの怪我をされた職員の方々の一日も早い御回復をお祈り申し上げます。

 

                           ブログ 主

 

 

 

 

 


 『令和』最初の一般参賀 

2019年05月04日 | 日記

久しぶりに一般参賀に行ってきた。

予想どうり多くの人が改元のお祝いに訪れていて

私が知っている頃のほぼ倍の14万人を上回ったという事であった。

一般参賀には何度も来た事があるのだが

今回は『令和』最初と言うことで、気合いを入れて最初の10時のお出ましに間に合うように家を

5時過ぎに出て、皇居には7時前に着いた。

これはその7時過ぎ頃の様子だ。

この時間はまだ曇っていて陽が射すまでは少し肌寒いくらいであった。

ここで整列して約一時間くらい待ったように思う。

これがその待っている時の様子で、一番右に見えるのが警視庁だ。

大体いつも最初に整列している場所で、奉仕の方々が回ってきて右端に見える

紙で出来た日の丸を配って下さる。

この日の丸の旗は参賀を終えた後に皇居を出る前に回収される。

これは最初に整列した列が動きだして、ボディチェックと手荷物チェックに向かう途中

手荷物チェックが終わりもう一度、列ごとに並ぶ。番号は13番であった。

経験からこの番号なら最初の10時のお出ましに入場できる感じであった。

上の写真の中央の右よりの白い箱は仮設のトイレ。

結構長い時間並ぶが、手荷物チェックが終わった後でも、そこに駆け込む事はできる。

参賀の一番の問題は2~3時間の間トイレに行くことが中々難しいという事。

 

今日は予定より早く二重橋の正門が開門した。

数字の列の若い順から入場してゆく。上記は橋を渡り正門をくぐって歩いてゆく所。

一般参賀は個人撮影はOKで自撮り棒や三脚のような長いものを使わず

迷惑行為をしなければ撮影は自由。

お出まし前の様子

この後、お出ましでみんな旗を振るので背の低い人は何も見えなくなる。

唯一撮れた一枚 

女性皇族の御衣装が色鮮やかだった。

写真は色飛びしてしまっているけれど、実際に観ると本当におきれい。

何度目の参賀か覚えていないけれど、今まで一番近くでお言葉を聞けたように思う。

 

退出された後の様子。

10時10分になるかならないくらいだったが、すし詰めでもう暑くてたまらない。

最初でこれだから、今日は体調不良になる人が多いだろうと思った。

いつだったか、軒下に立哨している皇宮警察官がお出まし前に倒れた事があった。

皇宮警察も警視庁の警察官も今日は一日ご苦労様でした。

坂下門、乾門方面にゾロゾロ移動、

大手町のビル群の手前に櫓が見える。

坂下門に人が集中して中々外に出られない。

お出ましが終わってから、坂下門を出るまでに30分はかかった。

それから、また大手町の駅まで30分くらい。

それでも

『令和』最初の参賀に来れたので、満足の一日であった。

 

 

                      

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ぼちぼち再開。

2018年12月09日 | 日記
 
ご無沙汰していました。

 

気長にこのブログの再開を待っていてくれた方々、

ようやく少し時間ができて落ち着いたので、ぼちぼちまた

変な文章を書いてゆこうと思ってます。

 

非日常的な毎日が続くと、日常の慣れた生活がいかに尊いものか

身に沁みます。

 

ようやく本格的に寒波が襲来しました。

特別暑かった夏から非日常的な毎日を過ごしていたので

この寒さが妙にうれしく感じています。

 

とりあえずブログ再開の告知ということで

宜しくおつきあいのほどを。

 

                     ぶろぐ主

 

                     

 

 


肉は血の匂いを味わう。  という思い出。

2018年04月04日 | 日記

今となっては思い出として笑える話を一つ。

昼ごはん前の人は読まない方が良いかも。

 

私は一時インドのある聖者に傾倒して、肉を断った時期があった。

三十代後半の話でまだ、子供たちも小学生であった。

妻は育ち盛りの子供たちと私の献立で頭を悩ませ

色々工夫して食事を作ってくれた。

 

ハンバーグはおからのハンバーグだし

唐揚げは大豆たんぱくであった。

家のミートソース・スパゲッティはトマトとおからで出来ていた。

スープは野菜と豆と言った具合に

凝り性の妻はインド料理を勉強して私や子供たちが飽きないように多くのスパイスを使った

料理を食卓に並べてくれた。

 

私は朝の早い製造業の肉体労働者であったから

当然パワーが出る肉の食事が好きであった。

が、勝手なもので自分が心底肉が好きだと思ったのは、

肉を断って、しばらくして牛丼屋の前であの抵抗出来ない匂いを嗅いだ時であった。

その頃は、肉への渇望のせいで匂いに敏感に反応していた。

 

しばらく牛丼屋の前で匂いを嗅ぎ続けていると

その匂いのコアな部分は、子供の頃鼻血を出した時に口いっぱいに広がった

血の匂いと同じだと感じた。

 

「肉を食べるという事は、血を食べるという事なんだなぁ」

と歩道に立ち止まってお腹が鳴るの聞いて

自分がライオンと同じ肉食獣なんだと自覚した。

 

トランプ大統領が日本に来た時、

安倍首相がおもてなしで、ハンバーガーを出して

その肉をトランプが超ウエルダンに焼いてもらっていたのを

肉好きから批判されていたが、

確かに、ガチガチに焼きこんでしまったら

肉の風味と味の核心と思える血の匂いは飛んでしまうように思う。

そういう意味で、

外国人が和牛をレアで回りだけ焼いて、中は赤い血の色が消えない程度のものを

好んで食べるのは

日本人がトロを食べる感覚の肉ヴァージョンと言えるかもしれない。

 

ある時、義父が孫たちを連れて、ファミレスに行った事があった。

そこで子供たちは、ハンバーグを注文し

「こんなに美味しい、ハンバーグははじめて食べた。」と正直に言い放ち

義父に「普段何を食べさせているんだ。」と言われたと、

妻は苦笑いしながら話した。

 

肉を断っていた数年、

自分が肉食動物で血に飢えた生き物だという事を思い知らされた。

それはそれで、今になって思えば家族に迷惑をかけたが

良い経験であったと思う。

 

昨日、ホリエモンさんが、ヴィーガン(完全菜食主義者)

にケンカを売っているような記事をネットで見かけた。

 

私も当時は最終的にはヴィーガンを目指そうとしていたが、

自分の肉への渇望の強さから、とてもではないが無理だと感じていた。

 

『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験の記事の中で

ブレサリアン(呼吸しかしない、不食者)に言及したが、

私は、日本の代表的な不食者の秋山佳胤氏の本を読んで、

実際に不食という事を行える人の意識はこのようなモノなのかと思えた。

不食という事を信じるか、信じないかは各自の人生観によるので、

私は氏が正直に本音で不食とその意識における変容を語っていると思えたのだった。

 

断食も幾度となく経験している私にしてみれば、

(この前の病の時も、尿と水だけで7日間過ごした)

ブレサリアンが羨ましくないと言えばウソになるが、

今は肉を食べる事も魚を食べる事も野菜を食べる事も好きなので

バランスの良い食事に注意して、これからも食事を作る事も食べる事も

両方楽しんでいけたらと思っている。

 

南の島の人たちが豚肉をたくさん食べて、黒砂糖もたくさんとって

百歳超えても畑仕事を元気にしている事実から

別に、ヴィーガンだから健康に良いとは言い切れないだろう。

 

食というのは文化であり、人生に直結する個人の自由だろうから

好きなモノ、食べられるモノに感謝を忘れずに食べれば

それで良いのではないだろうか。

まあ、食べすぎて絶滅してしまうようなのは、

人間の罪として歴史に刻まれるから、そのへん智慧を出して

養殖や、天然資源を守る努力は必要だろうけど。

 

 

 

追伸、 お待たせしている例の******の件ですが

四月中にはなんらかの報告ができる目途がたちましたので

とりあえずお知らせまで

待っている人がいるかはわかりませんが、

ちゃんとした私なりの開示はしますので、偽モノのプライドにかけて。

 

                     デンパ なブログ主

 

 

 


お久しぶりです

2018年01月07日 | 日記

久しぶりにブログを昨日みて 随分と長い間投稿してなかったと感慨にふけりました。

 

最後の「君の名は」の記事を書いた直後に

思いもかけないような感じで病になりました。

私は若い頃から内臓系の病気や後遺症が残るような外傷などを経験してきているので

今度の病はちょっとした覚悟はいるかなと病を得た直後は思いました。

 

あれから一年と四か月ほど経ち

健康と胸を張って言える状態になりました。

 

人生いろいろありますが、

「生きているだけで丸儲け。」だと

手足が自由に動く体に戻る事が出来

しみじみ思っています。

 

また訳の分からないような文を気ままにに書いてゆく所存です

お暇な方はまたお付き合い下さい。

 

ブログ主

 

 

 

 


デンパ屋通信

2016年04月10日 | 日記

迷惑メールやアダルトサイトみたいなイカガワシイタイトルですが

まあ日頃変な記事をお読み頂いてそちらが希望の方には

申し訳ありませんがただのお知らせです。

 

改めまして

日頃当ブログをお読み頂いている皆様ありがとうございます。

たまたま検索でひかっかって読んでしまった皆様申し訳ありませんデンパブログで。

 

今回改めて プロフィール欄にメルアドを記載しました。

用件は以上ですので後の文章はお暇な方はお読み下さい。

 

当ブログは現在コメントの受付を中止しております。

訳はこういう少し政治色と宗教とスピ系のあるブログですから、

意見の違う方の感情的な言葉の羅刹や批判を読むと疲れるからです。

私にとっての曽野綾子さん。

老いと死はいつまでその完全な平等性を保ちえるのだろう。 狩られる側の世代の思い。

上記の記事でのやりとりを経てコメントの受付を去年中止しました。

(経緯をご理解頂く為に削除するとしたコメントはそのままにしてあります。)

 

わたしは「スロウス」を名乗る怠惰な人間でまた打たれ弱いので

残念ながらコメントのお答えに情熱をかける事ができません。

ですから、コメントによる意見の交換を当ブログ上では行う予定は

これからもありせん。

 

 

私はデンパ屋を公言してはいますが

情報を発信している事実はありますので、

何が困ると言って単純なミスや事実の間違いを

客観的に(感情的ではありませんよ)指摘してくれる人がいないのは

それなりに不便なものです。

 

ですからこのブログをお読みの方で何かしらムズムズして

気になる事がお有りで

一方通行で感情的にならないでコミュニケートできる方用に以前

ご挨拶。   感謝とお断り。

の記事上に記載したメルアドを改めてプロフィールに

目立つ形で窓口として記載しました。

(メールに対する私のスタンスは上記記事に書いてあるとうりです。)

 

 

去年の夏に一度はこのブログをやめようと思いましたが

直後に余命ブログが一旦削除されるという事が有り

それがきっかけでなし崩し的により自由にブログを継続しようと思うようになりました。

これからも デンパ屋ならではの本気の偽物デンパな記事を書いてゆきたいと思います。

私の記事は数ある情報の一つとして読んだ方がそれぞれが考えて判断してもらう

為の材料です。

トンデモと言い捨てられてしまう事の中にも、実際の生活や長い人生を生きる上で

参考になる事も少しはあるものです。

いろんな視点の一つとして楽しんで頂ければ幸いです。

 

 

                                 デンパ屋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人さらいと、 危機回避能力

2014年07月24日 | 日記

変な話です。  真面目な方はスルーして下さい。

 

夏休みに入り、外で近所の小学生とすれ違うと、

男の子も女の子も向こうから「こんにちわ」と挨拶をしてくれる。

地元の小学校の方針なのだろうが、

昔は当たり前であった事が、

小学生を誘拐して監禁をするような輩がいるご時勢では、

うれしさと共に、少し心配もしてしまう。

 

私の子供の時代は

まだ躾のたとえ話に「人さらい」が当たり前に登場した。

知らない場所や暗くなるまで遅くまで遊んでいて家に帰ると、

母に決まって、「そんな子は人さらいがすぐに連れていってしまうから。」

と言われて怖かったものだ。

そして「人さらいに捕まったらすぐに遠い国に売られてサーカスなんかで

奴隷のように働かされる。」と追い討ちをかけられた。

 

子供が早く死ぬのは戦前ではごく普通の事であった。

親の世代は、形はちがっても子供がいくらでもそのような不注意で

早く死ぬ事を身に染みて知っている世代であるから、

しゃべるせりふも真実味があった。

 

ある時地元の街にサーカスが来た。

木下大サーカスであったか何であったか忘れてしまったが、

子供たちはもう大騒ぎであった。

 

サーカスの興業も当時けっこうな値段であったのだろう。

私は親に一度はねだったが連れて行ってはくれなかった。

 

しかし普段から、サーカスは人さらいにさらわれた子供たちの

売られてゆく先だと思っていたので、心のどこかでほっとしていた。

私はその代わりにサーカスの興業の間は、

テント小屋の外を歩いている団員さんを見に行くのが日課になっていた。

 

「この人たちも人さらいに攫われて、売られてきたのかなぁ。」と

勝手に思い込み、かわいそうなのと怖いのがまぜこぜになったような気持ちで

団員さんが歩く姿をなるべく気づかれないように盗み見るようにしていた。

そしてサーカスが街を去ってゆくと、どこかホットした気持ちになったのだった。

 

昔はそんな話でも子供たちにもちゃんと効果があったのだ。

 

私の子供の頃はまだ田舎なので、街灯も市街地の一部しかなく

ちょっと田んぼのほうにゆけば人工的な明かりはいっさいなかった。

当然日が暮れれば家に帰らなければならず、

暗闇は子供にとっては直接的な恐怖であった。

恐怖は第六感を呼び覚ます。

昔の子供にとって夕闇は、そのスイッチが入る瞬間であった。

 

今の子供たちの環境でそういう本来人間に備わっている感覚を

普段の生活で養うのは難しいとは思う。

しかし現代っ子であろうと子供はそうい環境に一旦身をおくと、

あっという間にそういう感覚に目覚めるものでもある。

 

事故がないように安全な遊びをするのは大前提ではあるが、

折角の夏休み、できるだけ子供たちがそういう感覚が目覚めるような遊びに

夢中になってくれればと勝手ながら思ったりしている。

 

そしてそういう風に子供の頃に養われたシックスセンスは

大人になっても身の危険をあらかじめ回避するのに

大いに役立ってくれるものなのだと、ちょとだけ言っておこうと思う。

 

 

 

 


ご挨拶。   感謝とお断り。

2014年07月14日 | 日記

まずこのブログを見て頂いて

ありがとうごうざいます。

何百万とあるブログから、たまたまこのブログを開いてしまったのでしょうが、

何かのご縁でしょうから、これからも期待せず

たまに覗いて頂けたら光栄です。

 

日々思いついた事を勝手に書いております。

過去何度かブログを始めては途中で何度も投げ出しております。

このブログも2年前に始めて3日で放り出しておりました。

 

今のところ再開して過去最長記録を更新しております。

ブログを読んで下さった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

再開してからは、主に防衛ネタを中心に書いてまいりましたが、

それは、現在が本当に重要な転換点の時期だからです。

 

よく2020年の東京オリンピックが話題になりますが、

たぶんその辺りには現状の国際情勢は一通りの決着が

ついているのだと思っています。

 

だからこそ、悔いのないうちに聞こえようと聞こえまいと

勝手に遠吠え的な声を上げておこうと思うのです。

持たざるものは言葉ぐらいでしか対抗できませんが、

時代の流れを読みきれば、間違いなく危機回避はできると思うのです。

 

集団的自衛権にしろ、中国崩壊問題、朝鮮半島問題、南シナ海問題、パレスチナ紛争、

クリミア紛争、アメリカの衰退、全てが連動して起こり世界は動いています。

 

それが、誰の意思によるものか、

時代に意思はあるのか。

エネルギー転換が起きたのなら、それがどう現象化するのか、

そういう事を考えながら、狼老年と呼ばれて良い立場から、

これからも、胡散臭い内容を真実ぽく書いてゆけたらと思っています。

 

コメントを書きたい方には申し訳ないのですが、

もともとめんどくさがりですし、

ブログを続けるモチベーションが下がる事案が内容上起きますので、

コメントはお断りしております。 ご理解ください。

 

どうしても私に意見を伝えたいという奇特な方で、

不快な内容ではなく、私のメンドクセーを沈め好奇心を立ち上がらせてくれる方には

お返事を書く事があるかもしれません。

ニーズがお有りでしたら返信を期待せずに下記にどうぞ。

locutusziro@outlook.jp  (専用メールアドレスです。)

 

インターネットは阿弥陀クジに似ていますね。

ある事を探してゆくと、思いもがけず当りを引く事もあります。

今読まれている方も特定の検索ワードの阿弥陀クジを引いて、

私のブログに当たった方が大半でしょう。

 

その偶然の出会いに感謝いたします。

 

後、もし読んで不快な思いをされた方は、

ネットの阿弥陀のはずれクジを引いたと思ってお許し下さい。

 

それではまた、いつ突然終了するかわかりませんが、

これからもよろしかったら、お付き合い下さい。

ご挨拶まで。