前回、安易に女系容認に踏み切ってしまった場合の懸念を述べたが、今回は、男系男子を維持した場合の懸念について述べることにする。
筆者として、心配であるのは、男系男子論者が、皇室に対し、果たして温かい目を向けるかということである。
これは、前回述べた如く、「現在」の男系男子論というものが、伝統美に対する執着によるものであり、人間的な価値を志向していないということであるならば、あるいは必然とも言い得るが、思い起こすべきは、皇太子殿下のご発言をめぐっての物言いである。
現在の男系男子論者の殆どは、皇太子殿下、皇太子妃殿下に対して、実に同情心に欠ける冷たい批判を行っている。
諫言するのが臣下の務めであるというようなことを大義名分として振りかざす者もいるが、公の場にてこき下ろすようなことが、臣下としてのあるべき諫言だろうか。
あたかも自らが、皇室自身よりも、皇室伝統を弁えているかの如き不遜の態度であり、臣下としてふさわしい態度であるか、甚だ疑問である。
さて、このような男系男子論者の主張どおり、男系男子ということが維持されることとなり、旧宮家復活・養子が行われたとする。
そのとき、旧宮家の方々は、長く民間の立場におられたのであるから、皇室の伝統になじむために多くのご苦労をされることであろう。
また、昔と異なり、現在は商業主義に立つメディアというものが非常に大きな力を持っており、皇室に対する遠慮というものは限りなく薄れているのであるから、その餌食となってしまうのではないだろうか。誤報・憶測報道による攻撃にさらされる中で、難しい対応を迫られるだろう。
そういうとき、かつて男系男子論を主張した者たちは、皇室の擁護の側に立つであろうか。
さすがに、旧宮家から復帰した初代に対しては、義理立てする者もいるかもしれないが、筆者の推測するに、男系男子が維持されることとなったとたん、男系男子論者というのは、旧宮家出身の皇室に対する批判勢力に転ずるのではないかと危惧される。
何かと、伝統・しきたりを遵守しているかのチェックが行われるであろうし、いちいち細かいところで、情け容赦のない批判が行われるであろう。
また、男子出産のプレッシャーの問題であるが、かつて女系容認に踏み切るという選択肢を排除してしまっているのだから、今更女系に踏み切ることなどできようはずもなく、プレッシャーの大きさは、現在とは比較にならないのではないだろうか。そして、このプレッシャーを最も強く与えるのは、かつての男系男子論者たちであろう。
このような未来は、あまり想像したくはないが、現在の男系男子論者による、皇太子同妃両殿下に対する、あまりに無慈悲な批判を思い起こすとき、あながち悪夢とばかりも思えないのである。
そのような未来において、皇室を擁護するのは、意外とかつての女系容認者であるかもしれない。
これは、なかなか皮肉な話である。
筆者として、心配であるのは、男系男子論者が、皇室に対し、果たして温かい目を向けるかということである。
これは、前回述べた如く、「現在」の男系男子論というものが、伝統美に対する執着によるものであり、人間的な価値を志向していないということであるならば、あるいは必然とも言い得るが、思い起こすべきは、皇太子殿下のご発言をめぐっての物言いである。
現在の男系男子論者の殆どは、皇太子殿下、皇太子妃殿下に対して、実に同情心に欠ける冷たい批判を行っている。
諫言するのが臣下の務めであるというようなことを大義名分として振りかざす者もいるが、公の場にてこき下ろすようなことが、臣下としてのあるべき諫言だろうか。
あたかも自らが、皇室自身よりも、皇室伝統を弁えているかの如き不遜の態度であり、臣下としてふさわしい態度であるか、甚だ疑問である。
さて、このような男系男子論者の主張どおり、男系男子ということが維持されることとなり、旧宮家復活・養子が行われたとする。
そのとき、旧宮家の方々は、長く民間の立場におられたのであるから、皇室の伝統になじむために多くのご苦労をされることであろう。
また、昔と異なり、現在は商業主義に立つメディアというものが非常に大きな力を持っており、皇室に対する遠慮というものは限りなく薄れているのであるから、その餌食となってしまうのではないだろうか。誤報・憶測報道による攻撃にさらされる中で、難しい対応を迫られるだろう。
そういうとき、かつて男系男子論を主張した者たちは、皇室の擁護の側に立つであろうか。
さすがに、旧宮家から復帰した初代に対しては、義理立てする者もいるかもしれないが、筆者の推測するに、男系男子が維持されることとなったとたん、男系男子論者というのは、旧宮家出身の皇室に対する批判勢力に転ずるのではないかと危惧される。
何かと、伝統・しきたりを遵守しているかのチェックが行われるであろうし、いちいち細かいところで、情け容赦のない批判が行われるであろう。
また、男子出産のプレッシャーの問題であるが、かつて女系容認に踏み切るという選択肢を排除してしまっているのだから、今更女系に踏み切ることなどできようはずもなく、プレッシャーの大きさは、現在とは比較にならないのではないだろうか。そして、このプレッシャーを最も強く与えるのは、かつての男系男子論者たちであろう。
このような未来は、あまり想像したくはないが、現在の男系男子論者による、皇太子同妃両殿下に対する、あまりに無慈悲な批判を思い起こすとき、あながち悪夢とばかりも思えないのである。
そのような未来において、皇室を擁護するのは、意外とかつての女系容認者であるかもしれない。
これは、なかなか皮肉な話である。
また、世継ぎつくりのプレッシャーですが、これも女系継承を認めたからといって、解消されるかというと、そうではないと思います。近年の不妊症の問題だってあるわけですし、例えば、愛子様やその次の代の皇室直系の方が不妊症で苦しむ可能性もあるのです。このケースだと、むしろ、養子を認めたほうが、不妊症ならば、他の皇胤から跡取りを迎えることも出来るわけです。
今回の皇室典範改正問題というのは、「皇位継承者の確保をどうするのか?男系厳守か?女系容認か?」という問題ばかり議論されていますが、本当に議論しなければいけないのは、「戦後に続いた天皇制自体どうするのか?」という問題が大きいのだと思います。しかし、この議論に関しては誰も突っ込まず、ただ「象徴天皇の継続」としか議論してません。「象徴天皇制を止めようか?」という議論すると、すぐ「天皇を国家元首にするのか?戦前に戻るのか?」という飛躍した話へ行ってしまったり、それ以外の道を考えるのが煩わしいので、安易に現状維持で良いじゃないかということだと思います。
現代のマスコミなどからの過剰はプライバシーの侵害などは、50年以上前までは存在していませんでした。そのような時代に考えられたのが、現在の象徴天皇制の体制だったりするわけです。当然、いろいろ、制度疲労を起こしているでしょう。
私が思うのは、いかにして、現在のような皇室や天皇の負担を軽減していくか、または、本来の天皇とは何なのか?ということです。
その一つの案として、あえて、直系皇族を設けず、多くの皇胤を受け継ぐ者の中から、その都度、選挙(皇胤内の会議での選挙)などで天皇や皇太子を選び、それを議会などで承認してもらう方法です。これは、ローマ法王の選出を秘密選挙で選ぶ、というのを参考に考えました。これだと、現在のような直系皇族の家庭に対するプレッシャーという問題も無くなります。毎回、即位される天皇陛下というのは、即位前までは、必ずしも注目されているわけではなく、多くいる皇胤の一人ぐらいの扱いなので、現在の天皇一家の過度の注目というのが無くなるわけです。
また、かつての上皇制度の復活も大切でしょう。やはり、死ぬまで天皇というのは、負担が大きすぎるのです。これに関しては、ある旧皇族の方も、週刊誌などで賛成されていましたので、もし、皇籍に復帰された後のことを考えてかもしれません。