皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

皇室について考えるに伴う、雑多な感想

2005-06-24 01:02:13 | 筆者のつぶやき
皇室について考えるということは、特殊な問題のことを考えているかのようでいて、実は、今の社会の本質を考えることにも繋がるのではないか、そのように思うことがある。
確かに、多くの人の生活には、皇室ということは直接関係していないであろう。
であるから、しばしば、皇室が無くなっても、生活には直接関係ないし、大して困らないということが言われたりする。
それは、確かにそうであるかもしれないと、筆者でも思う。
ただ、皇室というご存在が体現されているもの、これが失われるとしたら、この社会は何とも生きるのが苦しく、不幸な状態になるのではないか。
皇室が体現されているもの、一口にこのように言っても、その内容は幅広く奥深いが、まずは、現在の社会の在り方、そして、一人一人の在り方というものが、過去からの無数の因果の連鎖の上に成り立っているものであるとの自覚と感謝ということがあろう。
社会にしても、一人一人の個人にしても、ある時点でいきなり存在し始めたのではなく、過去からの因果の連鎖の上に成り立っているということであり、世界の中の孤児ではないということである。
また、過去からの因果の連鎖ということは、同時代における、自らの他者との関係性を想起させることにもなろう。
このことは、一人一人の個人に対し、自らの役割と責任を自覚させ、そしてそれがあるからこその、達成感、充実感を生じさせることになるのではないだろうか。
人生における、達成感、充実感というものは、自らの役割と責任の自覚なしには、およそ得られないものである。
しかるに、現在の社会においては、人々が、自らの役割と責任の自覚を得る機会というものは、かなり乏しくなっているのではないか。
筆者自身について振り返れば、自らを、あたかも、自分一人で一つの完結した存在であるかのように考えていた時期もあった。
ただ、これは、やはり真実ではないのである。
そもそもが、両親から生まれた存在であるし、先祖について延々と遡っていけば、地球の始まりにも遡ることになろうか。いや、宇宙の始まりにも遡ることになろうか。
日々口にする食物にしても、多くの人の手を経て加工されており、また、その材料については、大地、水、空気、日光の賜物であるのだ。
このような関係性の中で、存在をしている。
そして、自分自身、変わらぬ存在のように思えても、この関係性の中では、子ども時代、青年期、中年期、そして老年期と、それぞれ異なる役割を果たさなければならないのである。
そして、これこそが真実であり、このような自覚の下、自らの存在を全うすることにより、人生の幸福を感じることもできるのだろう。
しかし、現在の社会では、このような自覚を得ることは、難しいであろう。
多くの人は、核家族という生活空間の中で大人になる。
この核家族というものは、どうしても、人間の生老病死に接する機会を乏しくしてしまう。
唯一求められる仕事は勉強であるかもしれないが、机の上での勉強など、自らの存在と世界との関係性の自覚とは、ほど遠いものであろう。
さて、このような生活空間で育った人間が、いきなり社会に出るというのは一苦労である。
そこでは、自分一人で一つの完結した存在などとはいっておれない。組織の中で役割を果たさなければ、存在意義を認めてもらえない世界に放り出されるわけだ。
また、結婚して、子どもができれば、これも大変なことである。子どもとの関係では、親であることが否応なく要求される。子どもに対して、自らを犠牲にして愛を注ぐ存在とならなければならないのである。
最近、職に就こうとしない若者の問題が深刻化しつつあるようだ。また、親殺し子殺しも、一昔前は大ニュースであったが、今では日常茶飯事である。また、出生率の低さは、年々深刻さを増すばかりである。
社会全体が、まさに内部崩壊の様相を呈しつつあるが、それは人々の世界観、自己という存在についての認識の問題と、無関係ではないのではないだろうか。
皇室とは、過去からの歴史の上に成り立つご存在であり、その無私なる境地は、自らのお立場への深い自覚に基づくものであり、国の平安の国民の幸せを念じられることに向けられたものだ。
なるほど、皇室の方々のご動静は、社会における一人一人の生活には、直接関係はないであろう。
しかし、このような、皇室というご存在が体現されておられるものが、この社会から失われるとしたら、後はもう、ひたすら滅びに向かうしかないのではないだろうか。
このように言うと大げさなようであるが、やはり、出生率の低下は大きな問題である。これには様々な原因があるが、人々に、子どもを生み育てることの意義が分かりにくくなっていることや、根気と覚悟が無くなっているという問題が大きいであろう。
皇位継承の危機ということを何度か述べたが、現在は、日本人そのものの消滅の危機に直面しつつあるのかもしれない。
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