しばしば、皇室についての議論については、論者の皇室に対する主観、好きか嫌いかのぶつけ合いになり平行線をたどってしまうと言われることがある。
また、筆者も何度か経験するが、皇室について特に反感を抱いていない者に対しても、皇室の大事であることを説明するのは、なかなかやっかいである。
皇室については、どうせ暇なんだろうと思っている人も多いので、具体的に、いろいろなご公務をされていることを説明すると、それはそれで納得を得られる場合もある。
ただ、「ご公務」については、儀礼的なものが多いので、そもそもの皇室の存在意義が分からないと、ご公務そのものの価値についても納得を得がたい。
そんな時に、指摘するのは、なぜ必要なのかを、理屈っぽい損得勘定からいちいち考えるまでもなく、大事なものは大事なものとして存在している、そういうものが実は世の中には多くあるということである。
例えば、親と子の関係である。
子が幼いときは、親の保護がなければ子は生きることができないので、親が必要であることは、損得勘定からでも説明できよう。
しかし、子が成長し、親が年老いたとき、その親の存在は、子にとって、どのような意味を持つであろうか。
もはや不要の存在として、捨ててしまうのが、正しい在り方だろうか。
それは、誰しも違うと言うはずである。
長い時間を共に過ごした親子には、深い絆があるのであって、いつまでも親の長生きを願うものである。
このような絆を大切にしたいという人間の心については、理屈っぽい損得勘定では推し量ることはできないが、厳としてそれは存在するのである。
皇室と日本人との関係についても、損得勘定を超えたそのような歴史的な絆があるのである。
そこで、歴史的な絆について、いくつか語ってみる。
まぁ、納得しない人はそれでも納得しないのであるが、その場合でも考えてもらいたいのが、文化とか精神的な財産とかそういったものについては、だいたい無意識的に(いちいちなぜ必要なのかを考えずに)その恩恵を享するというのが普通なのではないか。しかるに、皇室については、なぜ執拗なまでに懐疑を行うのか。そのような懐疑の癖について、特定の意図によって刷り込まれたものという可能性はないのか、ということである。
筆者については、子供時代、かなり日教組色の強い教育を受けたものである。思い返せば、「天皇」については、非常におかしなものであり批判的に考えなければならないとか、旧憲法時代は暗黒の時代であるとか、そのような雰囲気が濃厚であった。
ただ、筆者にとっては、それがかえって皇室に対する子供なりの同情心(今考えるとかなり不遜であるが)を有することにつながったのである。
また、筆者も何度か経験するが、皇室について特に反感を抱いていない者に対しても、皇室の大事であることを説明するのは、なかなかやっかいである。
皇室については、どうせ暇なんだろうと思っている人も多いので、具体的に、いろいろなご公務をされていることを説明すると、それはそれで納得を得られる場合もある。
ただ、「ご公務」については、儀礼的なものが多いので、そもそもの皇室の存在意義が分からないと、ご公務そのものの価値についても納得を得がたい。
そんな時に、指摘するのは、なぜ必要なのかを、理屈っぽい損得勘定からいちいち考えるまでもなく、大事なものは大事なものとして存在している、そういうものが実は世の中には多くあるということである。
例えば、親と子の関係である。
子が幼いときは、親の保護がなければ子は生きることができないので、親が必要であることは、損得勘定からでも説明できよう。
しかし、子が成長し、親が年老いたとき、その親の存在は、子にとって、どのような意味を持つであろうか。
もはや不要の存在として、捨ててしまうのが、正しい在り方だろうか。
それは、誰しも違うと言うはずである。
長い時間を共に過ごした親子には、深い絆があるのであって、いつまでも親の長生きを願うものである。
このような絆を大切にしたいという人間の心については、理屈っぽい損得勘定では推し量ることはできないが、厳としてそれは存在するのである。
皇室と日本人との関係についても、損得勘定を超えたそのような歴史的な絆があるのである。
そこで、歴史的な絆について、いくつか語ってみる。
まぁ、納得しない人はそれでも納得しないのであるが、その場合でも考えてもらいたいのが、文化とか精神的な財産とかそういったものについては、だいたい無意識的に(いちいちなぜ必要なのかを考えずに)その恩恵を享するというのが普通なのではないか。しかるに、皇室については、なぜ執拗なまでに懐疑を行うのか。そのような懐疑の癖について、特定の意図によって刷り込まれたものという可能性はないのか、ということである。
筆者については、子供時代、かなり日教組色の強い教育を受けたものである。思い返せば、「天皇」については、非常におかしなものであり批判的に考えなければならないとか、旧憲法時代は暗黒の時代であるとか、そのような雰囲気が濃厚であった。
ただ、筆者にとっては、それがかえって皇室に対する子供なりの同情心(今考えるとかなり不遜であるが)を有することにつながったのである。