我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

遊びの師匠

2023-10-20 06:02:47 | 俳句、短歌、及び文芸

                                              六日町(新潟)の棚田

 

Kさんは都内に住む小中学校の同級生、

最も親しく付き合っている一人だ、

10年程前に地域の川柳の会に入会したと

メールをよこした、

在職時は会社一筋の人間で趣味とは無縁で

勤め上げた、

経済的な安定を得て会社を離れた時

これからの生活に趣味は欠かせないことに

思い至って

私に❝遊びの師匠❞になってくれと連絡してきた、

彼の意図する遊びとは

仕事を離れた自分の時間をどう過ごすのか

という程度の意味合いであろう、

そして彼が❝遊び❞に選んだのが川柳であった、

(どうして川柳だったのか聞いてないので

 今もって不明、私には間違いは許されない

 企業の経理担当重役を務めた彼には

 むしろ俳句の方が相応しいと思ったが)

私のほうは中学生の頃から兄の影響で短歌をやっていた、

大会に応募したり雑誌を読んだりなどはしないで

思いついた時に何かに書きつけるだけの歌作りだ、

そして30数年前から「歌会始め」の召人(めしゅうど)役を

務めたこともある三枝昂之(さいぐさたかゆき)氏の

指導を10数年ほど受けた、

その事を知ってか知らずにか私に

川柳を教えてとの申し出、

私は川柳に関しては全くの初心者、

だが短歌も川柳も同じ短詩系文芸、

教えることなど出来ないけれど

付き合うことなら出来るので快く同意した、

当初 彼は文芸には縁遠いことを知っていたので

無理からぬこととは思っていたが

音痴に近いものを感じていた(失礼)、

半面 化ければ大化けすることも感じていた、

生真面目な人間ほど自分が持ち合わせていない

人間の❝ゆるみ❞と言うかルーズと言うか

緊張感から解き放されたいと言う願望を抱く、

当初は事務連絡的な作品とか

言葉を連ねただけの作品が多かった、

兎に角川柳の発祥過程を説き

❝ひねり❞の必要性を繰り返し説いた、

ある時は

寅さんの気分になって

物事を考えてみるようにと提案した、

何年か後に彼はNHK学園の通信講座も

合わせて受講し始めた、

積極的に様々な大会の作品募集にも応募し始めた、

そんなある時

都内近郊に在住する同級生が花見で集まった時

彼から紙と鉛筆が配られて

川柳を作るような遊びの提案もあった、

今では大会での入選作品を屡送ってくる、

それらはこちらの思いを遥かに超えた作品ばかりで

私には驚きでしかない。