ノッポの放冗記

エンジニアとバスケのどうでもいい体験・知識・情報を綴ります。行くボールのながれは絶えずして、しかも私の本に帰ってこず。

30 Years Ago

2022-04-22 23:37:01 | Basketball

 本日の土産菓子は岡山はマスカットきびだんごでした、ありがとうございます。

 

 

 

 先日の北國新聞に北陸鉄道の特集記事が掲載されていました。

 現在の宮岸代表は、のっぽが大学時代に所属していた二水クラブでコーチをされていました。

 

 

 

 当時の高校顧問先生の異動の関係で、のっぽの7~4期上は金沢二水が優勝争いからベスト8の常連、3期上以降は金沢泉丘といった具合で、地元で進学、就職した強豪メンバーを中心になって全員が2校のOBで構成されていた「純血」チームでした。

 特に5期上の助さんが東京の大学からUターンしてきてからが最盛期だったでしょうか、1990年度以降は石川国体を控えて元実業団選手が補強された金沢西クラブには苦戦続きでしたが、社会人クラブとしては県NO.2をキープししていましたかね。

 余談ながら、そのNo.2の座を虎視眈々と狙っていたのが金籠クラブで、公式戦、ローカル大会問わずいつも対戦していた記憶があります。

 40才を過ぎてそれをルーツとするANTIQUESに入り、また頑なにのれんを守っている?しーさん(GOLD→KANAZAWA)のチームに参加したりと、不思議な縁も感じます。

 金沢西クラブに勝てずなかなか全国に届きませんでしたが、その西クラブが1990年度の全国大会で優勝したため次年度は優勝枠で予選免除となり、その恩恵で県予選は西クラブを除いて開催され、北陸大会に勝ち上がり全国大会出場になりました(当時は高校もそうですが北陸地区と信越地区に分かれていた)。

 1992年3月の大会から30年、現役バスケットボールプレイヤーはエースだった助さんと、たまたま地元大学に進学して2級上の先輩から強引?に勧誘され加入していた、最も下手でボール運搬係だったのっぽの2名のみとこれまた不思議な感じです。

コメント
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