続 時の往復 neo

過去⇔現在⇔未来

2019の始まり

2019-01-06 15:20:00 | 靖国神社

新年2019を迎え、
去年は父が9月8日に他界し、
喪中でありす。
でも恒例の正月は靖国神社へ初詣。




去年は何回靖国神社へ参拝に行っただろうか。
数え切れない程ではないが、
月一回は確実で多い時には月3~2回は参拝した。
毎回正月と終戦の日は、
数少ない友人鉄砲蔵氏と落ち合っていたが、
去年の終戦の日は一人で参拝。
氏は丁度その頃から体調を崩し
秋口から入院し長い闘病生活になったが、
その間何度か見舞いに行き思った事が、
とにかく気分転換と環境の変化が必要。
そのような考えが通じたのと、
体調も日々回復してきた事もあり、
年末から年始にかけての外泊許可が下り、
今年はそろって参拝出来た。
そろってと言っても氏は正式参拝で、
自分はいつもの一般の通常参拝で、
どうやら時系列を追ってみたら、
本殿に入る氏を自分は外から拝んでいたみたい。
その後はいつもの 「 茶寮・結 」 で合流。
いきなり入院が決まり入院の用意もできなく、
帰宅もままならなかったらしいが、
こうして大事なカメラは帰宅時には持参したみたいで、
氏いわく、病室にはエアガン持ち込み禁止と言われたって
そりゃぁ当たり前でしょって相変わらずな氏。











まぁそんなこんなでその後はどこ行くかで、
三笠と半ば冗談で提案したら本当に行きそうになり、
今回はとりあえずアキバに行ってみる事にした。
その前に武道館の横にある
弥生慰霊堂と昭和天皇御野立所へお参りした。
この場所はほとんど知られていない静かな場所。


























    











アキバはほぼいつも通りの混雑ぶりで、
休業している店はあるものの変わらぬ光景。
シューティングレンジのある店は
どこも混雑していて、駅前なんか
AKBファンが集まっていて
なんかすごい光景だったな。
で、なんとなくトリガーハッピーに行き一息。
折角来たんだしとシューティングゲームを、
互いに1ゲームずつ。
この店はシューティングが出来る居酒屋カフェが
コンセプトらしい。
珍しく店内禁煙でないから、
煙がもくもくだったけど、
タバコ吸う人はあえて選びたくなる店なのでしょう。
次は鉄砲蔵氏の回帰祝いで三笠に行くことになり散会。






父は昭和9年生まれの新宿育ち。
戦争を経験し、戦前は九段会館で
東条英機の前でハーモニカを吹いた事もあり、
戦中は学童疎開を経験し、戦後は焼け野原の
東京を見ていた。平成天皇が一つ年上に当たり、
丁度同じ時期に日本を見てきた事になる。
昭和平成と続き、大東亜戦争の経験者が
少なくなり、当時の事を伝える人が
少なくなってきた。当時戦争によって
国外に出兵し命を落とし、
いまだに帰国できていない日本人は沢山いる。
そのことを知っている日本人は少なく、
むしろそれを無かった事にしようとする、
戦後の日教組教育から日本はいろいろと
分岐した人々が増えてしまった。
今でこそインターネットの恩恵で、
少しづつ曲がりなき理解をしてきた事は、
素直に日本人として喜ぶべきことだと感じる。
父が死んだ事で改めて再認識したことが、
死者を手厚く葬るという事で、
今回の葬儀で初めて経験したのが湯灌の儀。
死者の体を洗い清める事で、
一部分を見ているだけかと思ったら、
参列者らも死者の身体の一部分を洗うという事で、
もちろん居合わせた希望者だけが実際に
行う訳で、見ているだけの人もいて、
参列した親類からも初めての経験とのことで、
文章だけだとギョッとするかもしれないが、
実際やってみると、死者へ手厚い弔いの
意味も感じられた。最近結婚式が
地味な傾向にあるなか、死者への儀式は
真逆の方向とも感じる。しかしながら
後継ぎがいない為の墓締めも多いのが現実だが、
今こうして葬儀を終え考えることは、
命を落とし帰国していない先人方への
敬意を強く感じてならない。
大金はたいて外国行って、
遺骨収集をして帰国する。
なかなか出来る事ではないし、
自分はまず無理である。
今自分の出来る事は、時間のある限り
靖国神社へ行き参拝し今に続いてきた日本を
英霊に感謝すること。
凄く直球な表現で嫌悪感を示す人もいるだろう。
だが先祖の墓参りをするのと同じく、
靖国神社に眠る英霊は、日本人全ての先祖でもある。
戦犯の誰誰が合祀されているとはいえ、
極論だけど当時の情勢を今の感覚で考えてしまうのは、
非常に考え難いともいえる。