のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『交差する表現』展2

2013-04-09 | 展覧会
何故だかよく解りませんが、急に他HPへのリンクが貼りづらくなりました。
とりあえず、リンクできないものはアドレスを本文中にそのまま記載することといたします。

というわけで
4/4の続きでございます。

4階は京都近美のコレクションのみで構成されておりまして、よくここでお目にかかるおなじみの面々から-----他の作品とのバランスがとりにくいためかはたまた収蔵庫から出すのが大変だからか-----、普段あんまりお見かけしない作品まで、おのおの個性的な顔を並べておりました。

通常は写真と版画が並んでいる中央の展示室では、中央の分厚い仕切り壁は取り払われ、もともと白一色の壁は暗めのグレーに塗り直され、薄暗い室内で、個々の作品がスポットライトで照らし出されており、いつもとかなり違う雰囲気の中でジュエリーやガラス作品を鑑賞することができます。ト音記号のように優美な曲線を描くブローチを、分厚いアクリルの台に置いて、下に映るシルエットまで鑑賞できるようにしてあるなど、まことに心憎い演出でございます。

ペーパーウェイトのコレクションが展示されていなかったのはちと残念でしたが、ワタクシが近美収蔵のガラス作品の中でもとりわけ好きなマリアン・カレル(http://www.mariankarel.cz)の『立方体』(アーティストのHP左端の項目”SKILO”→左から3列目・上から3番目の画像)と『ピラミッド』(同ページ『立方体』のすぐ下)を普段とは違う光の中で見られたのは嬉しいことでございました。いつもならばかたちそのものストイックさとは裏腹に、周囲の光を惜しみなく受け入れては虹色の豊かな表情を見せてくれるこの二作品、今回の展示ではダークグレーの壁や展示台に光を吸収されて、輝きは最小限に抑えられ、神殿のような荘厳さを醸し出しておりました。
逆に今回の展示で印象深かった作品が、この次、明るい光のもとであった時に、どんな表情を見せてくれるかも楽しみな所でございます。

さて70年代以降の作品になりますと、鞄や革ジャンを型取りしてそのまま焼いたらしい陶芸作品に、『唇のある靴』やら『色ぐすりをかけたハムつきの選りぬき肖像写真』やらと、ユニークで人を食ったような作品が多くなり、時代の推移というものを感じさせる所でございました。そして上記の作品などと比べると「八木一夫とか堀内正和のユーモアって粋だよなあ」と改めて思ったことでもございました。堀内正和は残念ながら本展では見られませんでしたけれどね。

ピエール・ドゥガン作『木製のカヌー型手袋』あたりまではるばるやって来ますと、もはや工芸とは美術とは何ぞや、という問いかけも、しゃちこばりすぎてあほらしいような心地がしてまいります。
友禅の掛け軸や七宝の煙草入れから始まって、振り返ってみれば随分遠くへ来たもんだ、としみじみいたします。
ならばこれからはどこへ向かうのか、という点はとりわけ示されないまま、鑑賞者は放り出される恰好になりますが、これはこれでよかろうとワタクシは思います。「これから」の方向性を示すのは必ずしも美術館の役割ではなく(もちろんは示してくだすっても結構ですが)、むしろ期待や反発や構想というかたちで、鑑賞者おのおのに委ねられているものではないかと。

最後にもうひとつ、本展で面白かったことを。3階から4階へ向かう階段前のスペースに、過去の展覧会のポスターがずらりと展示してあるんでございますよ。
おやまあココシュカ展なんてやったのか、モランディ展はもう1回やってくれよう、『COLORS ファッションと色彩』は楽しかったなあ、『痕跡』展は刺激的だったっけ、中でも一番の衝撃はちっちゃいパネル展示の榎忠さんだったけど、おおお何でヨハネス・イッテン展に行かなかったんだのろさんのばかばかばか、カンディンスキー展は2002年だったかあ、石澤アナの『日曜美術館』に池辺さんの『N響アワー』、思えばいい時代だった...いようモホイ=ナジ!...
とまあ、ワタクシがこちらに来る前に開催されたらしい数々の展覧会に思いを致し、また行ったもの、行かなかったもの、行きそびれたものなどなどを振り返り、しみじみとしたわけです。
ポスターを見ただけでも、会場の様子や印象深かった作品のことがさあっと脳裏に浮かんでまいりまして、かくも多くの出会いを提供してくれた近美に感謝しつつ、これからも長く思い出に刻まれるような展覧会を開催していただきたいものだと、期待を新たにしたことでございました。


『交差する表現』展1

2013-04-04 | 展覧会
「甲状腺異常」全国に広がっている ゲンダイネット

米国西海岸5州でも2011年3月17日以降に新生児の先天性甲状腺機能異常が過剰発生 - 原発問題

疑われる被ばくの影響 岩手県で脳卒中5倍以上に 税金と保険の情報サイト


さておき。

京都国立近代美術館で開催中の京都国立近代美術館 開館50周年記念特別展 『交差する表現---工芸/デザイン/総合芸術』へ行ってまいりました。

いやあ
開館50周年大感謝祭・コレクション大放出+α・夢二もあるよ!
てな感じでございまして、予想以上に見ごたえがございました。近美のコレクションをたいがい見慣れたつもりでいたのろさんも大満足でございます。

「工芸に焦点をあてた特別展」と聞いた時は壷やら皿やら籠やらばかり並んでいる光景を想像いたしましたが、蓋を開けてみれば壷やら皿やらはほんの一部でございまして、オブジェ・家具・テキスタイル・版画・テーブルウェア・建築・壁紙・ジュエリー・その他商業デザインと、バラエティに富んでおります。
作品の年代も1893年(明治26年)作の平安神宮建築図面に始まり、夢二の千代紙やウィーン工房のコーヒーセット、散歩するザムザ氏やじっと黙ってたたずむハンス・コパーの壷、それに1980年代の突飛なジュエリーやガラスオブジェの数々を経て、人間国宝北村武資氏による2010年作の古代織まで至る、それはもう幅広いものでございました。

これだけ広範囲なものを一堂に並べてあっても、バラバラの寄せ集めという感じがしなかったのは、巧みな展示構成ゆえでございましょう。作品をただ年代順に並べたるだけではなく、作品同士、そして前後のセクション同士が緩くつながりを持つよう配慮された展示というのは、あるいは基本的なことなのかもしれません(ワタクシは博物館学を勉強しなかったので実際の所は存じませんが)。そうだとしても、本展のように射程が広く、散漫にもなりかねない展示を、アクセントを挟みつつスムーズに見せる構成に仕上げられたのは、美術館の力量というものでございましょう。
おかげさまで工芸という大きな括りの中で、素材・技法・概念におけるグラデーションを辿って行く小旅行のような体験をすることができました。

ただ、ですねえ。
京都近美がなぜか個々の作品に解説をつけたがらない美術館であることは、もはや諦め気分で承知しておりますけれども、素材や技法の表記まで省略してしまうというのは、甚だ納得がいきません。出品リストの方に書いてあるのかと思いきや、それもなし。
何だってんです。ゆくゆくは作家名や制作年代の表記も引っ込めてしまうおつもりでしょうか?
よけいな情報を頭に入れずに自分の感性だけを頼りに鑑賞してほしい、という館側の意図なのかもしれませんが、手描きか木版か銅版かぐらいのことが記してあっても、別に鑑賞の妨げにはならないと思いますよ。むしろ今回展示されているジュエリーなどは、かたちだけでなく素材の意外性・革新性も面白いところでしょうに。
京都近美はワタクシ大好きな美術館ではあります。しかしライトユーザーに対して不親切と申しますか、「解る人だけ解ればいいんだよ」という排他的な姿勢を感じることが少なからずございます。客に媚びろというつもりはございませんが、美術ファンの裾野を広げようという気はないのかしらん、とは常々思う所でございます。

まあ文句はこれくらいにいたしまして、印象深かった作品などを挙げてみますと。
やっぱり八木一夫作品がどれも面白うございましたよ。独特の「抜け」感と申しましょうか、深刻になりすぎない感じがよろしうございますね。
それから越智健三氏の金工(たぶん)によるオブジェ『植物の印象』は、上へ上へと向かうシャープな動きと、ふわりと空中に留まる軽やかな浮遊感のバランスがなんとも素晴らしい作品でございました。遠くから見た時は、植物というよりも、どこにもない場所へと飛び立とうとする船かと見え、ハッと心を掴まれました。

さて、のろさんがあの世で出会ったらとりあえず手を合わせて拝みたい人リストには、ウィーン工房のコロマン・モーザーとヨーゼフ・ホフマンの名前が並んでいるわけでございます。本展ではそのヨーゼフ・ホフマンがデザインした家具やテーブルウェアも展示されておりまして、中でも白磁(たぶん)のコーヒー・セットは感涙ものでございました。

かたちはこれ↓と同じものですが、展示されていたものには黒いラインはなく、よりいっそう清楚な趣きでございます。

Mud Babies
Fine arts, porclain/china, coffee cup, milk jug, mocca cup, design by Josef Hoffmann 1870 - 1956. INH-543066 � INTERFOTO

模様ひとつない白磁の肌にうっすらとつけられた縦方向の溝、上下対照の取っ手、ペトリ皿のように寡黙で慎ましいソーサー、いやもううっとりでございます。カップもポットも中央がほんの少しふくらんでおりまして、古代ギリシャ建築の円柱が連想されます。個人的な好みを申せば、ストンとした取りつく島のない円柱形でもよかったと思うのですが、この柔らかなふくらみのおかげで、それ以外の点では禁欲的なデザインのこのコーヒーセットに、おっとりと優しい雰囲気が醸し出されております。この繊細な膨らみは、無愛想な大量生産品でもなく、お高く止まった超高級品でもない、普段使いの美を目指したウィーン工房の理念に沿った、暖かみのひと匙とも申せましょう。


次回に続きます。


『フィンランドのくらしとデザイン』2

2013-02-09 | 展覧会
2/3の続きでございます。

フィンランド版アーツ&クラフツな、手仕事感溢れるつくりの椅子やクッションカバー、そして「それ勢いで作ってみたけど後でシマッタヤッチマッタと思わなかった?」と問いたくなるような、ちょっと独特すぎる建築意匠を含むパネル展示などを挟みまして、通路の向こうに控えているのはトーヴェ・ヤンソンでございます。

日本初公開の油彩画2点というのは自画像と、『ファンタジー』と題された大判の作品でございました。雄大なモチーフに小ぎれいなまとまり方で、なんだか市民ホールの壁画の下絵みたいでございます。
しかしまあ、ここはやっぱりムーミンでございましょう。
原画10点余りのほか、フィンランド語の初版本がずらりと表紙を並べておりまして、可愛いけれどもほのぼの一辺倒ではないムーミンキャラのデザインの秀逸さ、彼らの個性や物語の世界観を表現する挿絵の絶妙さということを再認識したことでございました。
原作者自身が絵を描いているのだから、うまく表現されているのは当然だろうって。いやいや、そうとは限りません。エンデの手によるモモのイメージ画などは実になんともムニャムニャ。(エンデが描いたモモの絵は全集の口絵に載っております)

さて、木版画調に描かれて誇らしげに表紙を飾るムーミンパパや、雨の中をやって来るスナフキンになごみつつ進んで行きますと、満を持して現代の工業デザインのご登場でございます。5年前の『北欧モダン』展 でお見かけしたカラフルなグラスセットも展示されておりました。

まず見た目のかっこよさありきという姿勢ではなく、すべての人が快適に使えるように、という生活と実用を第一に考えるデザイン哲学ゆえでございましょうか。解説パネルの言葉を借りれば「森に解を訊く態度」ゆえでございましょうか。シンプルでありながらも決してぶっきらぼうではない、おっとりとした雰囲気を漂わせる椅子や食器や照明は、何とも言えない暖かみがございます。機能的でミニマルという点ではバウハウスの後輩といった位置づけになりましょうけれども、バウハウスほど禁欲的な感じはいたしません。(もちろんバウハウスはあの禁欲的なところがいいのですが。)

とりわけカイ・フランク氏が手がけられた食器類は、そのあまりのなにげなさ、恣意的な匂いのなさに、デザイナーとしてよくぞここまで”我”をなくせるものだと不思議な心地すらいたしました。すとんとしたかたちのグラスやピッチャーや深皿は、あたかも石ころや切り株のような、つまりそのかたちで存在しているるのが当たり前であるかのような、自然で慎ましい存在感をまとっております。
本展冒頭に置かれた絵画のセクションでは、個々の作品の個性の薄さにいささか物足りない印象を抱きもいたしましたが、モダンデザインにおいては「いかによけいなことをしないか」という点に心を砕くその姿勢が、人々が日々手にするであろう日用品に、それはそれは美しく結実しておりました。

最後にワタクシがもうショックと言っていいほどに感銘を受けたことに、1935年創業の家具メーカー、アルテック社による自社製スツールの再利用プロジェクトがございます。

Artek 2nd cycle

「2nd Cycle」、第二の生と名付けられたこのプロジェクトでは、放っておけば廃棄を待つばかりという古い椅子たち、蚤の市に出されたり、公共施設や個人宅の倉庫で眠っている椅子たちを、アルテック社がわざわざ買い取り、あるいは新品と交換して回収したのち、再びの利用に供するというものでございます。素晴らしいのはこのプロジェクトがただのリサイクル活動ではなく、「年代や来歴など、それぞれのスツールに固有な情報を特定したうえで、販売やリースを行う」ものであるという点でございます。

とりわけ注目すべき点は、それまでスツールを慈しんできた持ち主による、オリジナルとは異なる塗装やパーツ交換、ユニークな修繕を温かいまなざしで受け止め、それもまた、普遍的なデザインが社会に及ぼす「よき効果」の浸透と捉える発想だろう。曰く、「一見、古くて不格好なスツールは今、生まれてこのかた、もっとも美しく輝いて見える。」
解説パネルより

メーカーとしてはもちろん、大量生産・大量消費・使い捨て文化で新品をじゃんじゃん買ってもらう方が儲かるはずでございます。にもかかわらず、「もの」が経てきた歴史それ自体に価値を認めた上で、再びの利用に供するという、使い捨てひゃっはあな方向とは正反対のことを、いち民間企業がやっているわけです。
単なる経済的利益以上に、社会の持続可能性ということ、そしてそこから還元される無形の利益というものを射程に入れた経営理念に、ワタクシは本当に頭が下がるようでございました。

持続可能性といえば、アメリカのNGO、Fund for Peaceが毎年発表している「失敗国家ランキング」というものがございまして、内戦の続くソマリアやコンゴがトップに来る2012年版ランキングにおいて、フィンランドは177カ国のリストの一番下に位置しており、つまり最も失敗度が低く、持続可能性の高い国家と評価されております。2005年のダボス会議で発表された「環境持続可能性ランキング」では146カ国中これまた第一位、加えて子供の学力、国民の図書館利用率、そして報道の自由度も世界一ときております。うーんなんだかものすごい。

ちなみに2012年の「報道の自由度ランキング」では、原発関連の報道で透明性に欠けると批判された日本は去年の22位から53位へと急落したということは、皆様ご承知の通りでございます。
原発ついでに申せば、映画『10万年後の安全』で描かれているように、フィンランドは核廃棄物の最終処分の場所も方法も、現在の技術では最も妥当と考えられるシナリオに則って処理を進めております。といっても、結局のところ固めて埋めて蓋をする、ということしかできず、それだって安全が保障されているとは言い切れないわけですが。

東京新聞: 使用済み核燃料を埋設するフィンランドのオンカロは、日本に何を教えてくれるのか。

原発関連ではこんな動きも。

原発推進派の名を連ねたフィンランドの『利己責任の碑』 - 市民メディア[レアリゼ]

フィンランドの団体が来県 新規設置の反対訴え : とある原発の溶融貫通(メルトスルー)


つい話が「くらしとデザイン」から離れてしまったようでございます。
ともあれ、本展は美術やデザインのみならずフィンランドの歴史や文化、社会についてもっと知りたくなるような展覧会でございました。後日、図書館でフィンランド関係の本を手に取ってみたところ、拾い読みしたただけでも、住宅政策、社会福祉、刑罰、教育などに見られる成熟した人権意識に、またもやああと頭が下がる心地がしたのでございました。

『フィンランドのくらしとデザイン』1

2013-02-03 | 展覧会
NHK-FM「名曲のたのしみ」でひたすらシベリウスを聴かせていただいたおかげで、昨年からなんとなくシベリウスづいているのろ。
そうはいってもいまだに『フィンランディア』を聴いて真っ先に思い浮かぶのはジョン・マクレーン刑事の顔なのでありました。これは”ホフマンの舟歌”を聴けば必然的に「ボンジョ~ルノ、プリンチペッサァ~!」と満面の笑みで呼ばわるロベルト・ベニーニを連想し、『熊蜂の飛行』を聴けば必然的にピアノの鍵盤の上にかがみ込むくわえタバコのジェフリー・ラッシュを思い浮かべるのと同じことであって、要するにいたしかたのないことでございます。

それはそれとして
兵庫県立美術館で開催中の『フィンランドのくらしとデザイン ムーミンが住む森の生活』へ行ってまいりました。

優しいかたちの家具や照明、明快で飽きのこないデザインのテキスタイルといった、思わず両手で撫で回して愛でたくなる展示品の魅力もさることながら、その背景にあるデザイン哲学、ものづくり精神、ひいては「もの」と関わる姿勢そのものに、いたく感銘を受けました。

展示冒頭に掲げられたご挨拶文などは、通常ならば読んだ端から忘れてしまうものでございます。しかし本展のそれは紋切り型の謝辞には留まらず、デザイナーでも何でもないワタクシが読んでもはっと背筋が伸びるような心地がするものでございました。と申しますのもそこには、かの地のデザイン哲学の根幹に流れる「実用性と普遍性への志向」がきっぱりと述べられており、あたかもアーティストの宣言書のような矜持と、皆にとってのよりよい社会を模索し続ける謙虚な姿勢とが表明されていたからでございます。

私たちは問題解決するためにデザインしているとも言えます。(...)私たちは「問題解決精神」で、デザインと実用性を結びつけ、日常生活をより過ごしやすく且つ自然に配慮した環境を追い求めています。
ヤン・グスタフソン大使

何よりも優先するその(注:フィンランドのデザインの)哲学は、誰でも優れたデザインの権利を有するという点です。誰もが美的なものを選ぶ責任があり、それが日常の環境を生み出すことになるのです。「フィンランド・デザインの真髄」と題された本展はフィンランド文化の鍵となる特徴を明瞭に跡づけています。芸術に関する基本的な質問を何度も問い直すとき、フィンランドの芸術や建築、工業デザインの歴史に新たに光をあてることになるでしょう。つまり「優れた芸術とは何か?時の試練に耐えるのは何か?」、そして何よりも「なぜ芸術はわれわれにとって重要なのか?」という質問です。この最後の質問に答えることは簡単です。1947年にアアルト(注:20世紀フィンランドを代表するデザイナー)はこう答えています。「もし芸術が存在しなければ、生命は機械となり、死んでしまうだろう」
フィンランド美術館・博物館協会常任理事スザンナ・ペテルソン

さて「くらしとデザイン」というタイトルから、家具調度の展示がほとんどかと思いきや、最初の展示室には19世紀末から20世紀初頭に描かれた油彩画がずらりと並んでおりました。
さすがに雪景色を描いたものが多うございます。湿った雪の重みでずっしりと枝を垂れる針葉樹や、曇天の下に広がる凍りかけた池の絵などに囲まれておりますと、曲がりなりにも北国育ちのワタクシには、照り返す雪のまぶしさや、しんとした林の中で時おり雪がさあっと流れ落ちる音などが思い出され、鼻孔からは冷たい空気が流れ込み、口の中にはきんきんとしてちょっぴり埃じみた雪の味がするようでございました。

特徴的だと思いましたのは、雪景色に限らず風俗画も夏景色も、角のとれたフォルムとふんわりくすんだ色彩で描かれており、あんまりシャープな所がないという点でございます。かといって印象派のようにもやもやーんのきらきらーんの感覚バンザイな画面なわけではなく、ナビ派っぽいけれどもナビ派ほどに装飾的だったり象徴的だったりするわけでもない(挿絵などは別として)。むしろ、親しい風景や風俗に余計な手心を加えるのをよしとせず、畏敬と愛情を込めつつも淡々と描写しているという印象を受けました。
一点一点にの作品には、一目で分かるような強い個性はございませんので、その点ではやや物足りなくもありますが、並んでみるとなかなか独特でございます。


次回に続きます。


『エル・グレコ展』

2012-12-23 | 展覧会
これ何やらすごくおっかない話なのですが。

不正選挙の疑惑は深まる【選挙システム会社ムサシと (社)原子燃料政策研究会との関係】 今日の驚き/ウェブリブログ


それはさておき
やっとこさ行ってまいりました。

「エル・グレコ展」

国内史上最大のエル・グレコ展と銘打つだけあって、代表的な作品から珍しいもの、肖像画に宗教画に陰影の習作めいた作品、受胎告知のヴァリエーション、比較的細やかなタッチで描かれた小さめの作品から巨大でダイナミックな祭壇画などなど各種取り揃えで、たいへん見応えがございました。

珍しいものと申しますのは、例えば20代前半の、まだ生まれ故郷のクレタ島にいた頃、つまりまだ「エル・グレコ=ギリシャ人」と呼ばれていなかった頃に描かれたと見られるイコン、聖母を描く聖ルカなんてのがございました。
いやはやビザンチンでございます。聖母の顔や陰影の付け方はいかにも様式的でございまして、ちっともエル・グレコらしさはございません。この同じ画家がせいぜい5年後に燃え木で蝋燭を灯す少年を描くとは信じられないようではございませんか。いやいやまさかたった5年でここまで変貌はするまい、きっとクレタ時代は注文に従って、いかにもイコンらしい型通りのイコンを描かざるをえなかっただけであって、影ではもっとこう、ぎらりとした作品を描いていたんじゃないかしら、などと思ったわけです。しかし後に展示されているイタリアでの修行時代の作品群を見ますと、やっぱりちょっとたどたどしい感じがいたしますので、やっぱりクレタにいた頃のドメニコスさん(本名)は没個性ないちイコン画家にすぎず、イタリアでの研鑽を経なければ巨匠エル・グレコの登場もなかったのかもしれない、と思い直しました。

まあ巨匠と申しましても、そもそもエル・グレコは決して技術的にものすごく「上手い」画家というわけでもございませんけれど。いかに時代はぐにゃぐにゃ上等のマニエリスムとはいえ、時々「それ、いいんすか...」と小声でつっこみたくなるほどに顕著な歪みが見られます。画面の中でバランスをとるために平気で腕を引き伸ばしたり手を寸詰まりで描いたりなさいますし、『修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像』の椅子の歪みようなど一目瞭然すぎて、あえて手直ししなかったのが不思議なほどでございます。この修道士さんはわざわざ斜めに傾いだ床の上に左右非対称に末広がりな椅子を置いて座るのが常だった、というなら別ですが。



そうはいっても、その歪んだ椅子のデッサンや人物の顔色の悪さにも関わらず、ひどく生き生きとして魅力的な肖像画であることは否めません。見ていると何だか、細かいことはいーのいーのと押し切られたような気分になります。いや、いーのですよ。いーのですけれども、死後長らく貴方の存在が忘れられ、20世紀にそのアヴァンギャルドな表現が再評価されるまで歴史に埋没していたことの要因というのも、このへんにあるような気もするのですよドメニコスさん。

さて、「肖像画としての聖人像」と題された第二セクションで、暗い背景に内省的な面差しの人物像といういかにもグレコグレコした作品が続いたのちにハッと胸を突かれたのがこの作品でございます。


『フェリペ2世の栄光』

フェリペ2世といいますと、ワタクシの認識では「イベリア半島からユダヤ人やイスラム教徒を追い出してフランスのユグノー戦争に介入してネーデルラントを苛めぬいたあげくイングランドのエリザベスに喧嘩売って負けた人」なわけですが、スペインの黄金時代に君臨した押しも押されぬ絶対君主ではあり、この絵においては主役でございます。下の方でひとり目立つ黒服に身を包み、ひざまずいて天国入りの順番を待っているような恰好の人がフェリペさん。
この作品の何に驚いたかと申しますと、いとも明るく軽やかな色彩でございます。こんなに透明感のある色彩を使う方とは存じませんでした。とりわけ画面上半分の、天上界を描いた部分のきらきらしさといったら。下にはグロテスクな地獄の入り口が、けっこうな割合の大きさで描かれているにも関わらず、「地獄の口」自身の尖った鼻先や、上へ上へと向かう人々の視線、そしてダイナミックな明暗の雲に誘導されて、鑑賞者の視線も自然と天上の世界へと引き寄せられて行きます。その中央に輝いているのが、父なる神でも聖母でもイエッさんの姿でもなく、アルファベットのIHS(=救世主イエス)と十字架を組み合わせたイエズス会のロゴマークというのは、若干の笑いどころではございますが。
笑いどころといえば、神妙な表情フェリペさんですが、ひざまずきながらも下にきっちり2枚もクッションを敷いているというのも面白い。審判前という切羽詰まった場面を描くにしても、「太陽の沈まぬ国」一番の偉いさんを露地に座らせるわけにはいかなかったのでございましょう。

さて本展最大の目玉はもちろん無原罪の御宿りなわけでございますが、これは何だかもうもの凄すぎて、もの凄いという以外の形容が浮かびませんのでそれ以上突っ込まないことにして、最後に本展で一番のお気に入り作品、『キリストの復活』をご紹介いたしたく。
ばばーん。



悔い改めし者、C'mon!

どうです!
ロックスターのごとく颯爽と墓穴から登場するイエッさん!
それをモッシュしようと待ち構えるファンたち!...ではなく、奇跡におののいて天を仰ぎ地に転げる、見張りの兵士たち!
例によって青白く歪みがちに引き延ばされた身体で、問答無用の神の子オーラを漂わせるイエッさんもさることながら、下の兵士たちののたうちようの凄さといったら。荒木飛呂彦もびっくりでございます。劇的にねじれた肉体、ぎらぎらと激しい陰影とハイライト、そして衣装の波打ちまでも総動員して醸し出される混沌のただ中に、導きの糸のごとくピーンとまっすぐ旗の柄が突き経っており、それを上にたどって行くと後光まぶしいイエッさんのご尊顔がキラーン!
思わずハハーと拝みたくなってしまいますな。

そんなわけで
ぐにゃぐにゃドドーンぎらりんのビカビカのうねうねのグレゴグレコでお腹いっぱいになった展覧会でございました。胃もたれ気味でよろよろと2階のコレクション展会場へと上がって行きますと、「もの派」の寡黙な作品が並んでおりまして、これがカレーライスの後のブラックコーヒーのごとく食べ合わせがよろしく、美術館の心遣いにほっと感謝した次第でございます。

『紙でつくった物語展』

2012-11-22 | 展覧会
京都のギャラリーで来週、知人が個展を開きます。



Hedgehog Books and Gallery:ヘッジホッグ ブックス アンド ギャラリー

11月26日(月)~12月2日(日) 12:00~19:00 木曜定休 

オブジェと本の中間のような作品を作る人で、今回は物語を主題に10点余りを出品するとのこと。手に取って見られるものもあるそうです。
会場はギャラリー兼アート系書店をやってらっしゃるようで、ワタクシもまだ行ったことはございませんが、HPの写真を見ると恵文社ぽい雰囲気の、落ち着いたお店のようです。照明といい内装といい、いかにも彼女の作品が似合いそうな空間であり、どんなふうに展示されるかたいへん楽しみでございます。

『山口晃展 ~山口晃と申します 老若男女ご覧あれ~』

2012-11-20 | 展覧会
世界を損ない生を蝕むこの多大なる面倒くささよ。
すぐ目の前の課題に取り組むことすらすでに面倒くさく、
時間的空間的に遠くのことについて考えるのはなおさら面倒くさく、
問題が重大であったり深刻であったりするとさらに輪をかけて面倒くさい、
そんな罰当たりが世界の悲惨をよそに今日もだらだら緩慢に生きているからには、
やっぱり神様なんていやしないのですよ。そうは言っても今か今かと天罰を期待する日々。

それはさておき

2009年に開催された個展『さて、大山崎』以来、遅ればせながらの山口晃ファンとなったのろさん。美術館「えき」KYOTOで開催中の平等院養林庵書院 襖絵奉納記念 山口 晃展 ~山口晃と申します 老若男女ご覧あれ~へ行ってまいりました。

あっはっは。
やりたい放題万歳。

いえいえ、遊んでいるだけじゃないか、などと申したいのではございません。
いとも愉快な発想に彩られ、漫画的な様相を呈してはおりますが、氏の作品は高度な描写力と優れた構成力、鋭い世の中観察眼とおおらかな諧謔精神(そして旺盛な妄想力)に支えられた芸術であり、描線ひとつを取り出して見てもムムと唸らずにはいられぬ見事さでございます。

しかし、しかしですよ。
神社仏閣とハイパーメカ要塞が合体したような姿の大阪ドームですとか、乗用車やトラックに混じってさりげなく高速道路を走っている飛脚ですとか、レポート風に”電柱の美”を論じた連作『柱華道』などなど、氏がしれっとして紡ぎだす「ウソみたいなウソ」を目の当たりにしますと、技術よりも何よりも、そのやりたい放題かげんに、ワタクシはすっかり嬉しくなってしまうのでございますよ。
『柱華道』なんて、あまりにまことしやかで、完全に騙されているお客さんもおりましたよ。立派な屋根やら演台やら提灯やらが装備された電柱の図を前に、しみじみと「昔はこんなんやったんやねえ...」と。

ことほど左様に氏の作品はモチーフの面白さや描線の巧みさが秀逸であり、そうした細部に引き寄せられて、ついついずずいと近寄って細かい所ばかりを見てしまいがちなのでございますが、大きい作品に見られる端正な色彩感覚も、まことに結構なものでございます。本展の展示作品中ではとりわけ『當世おばか合戦 』が実にきれいでございまして、細部の鑑賞へと突入する前に、少し離れた所から全体を眺め渡し、その色彩のバランスに長らくほれぼれと見入りました。

大山崎での個展においても、可笑しさのあまり思わず吹き出してしまう作品がございましたが、本展で傑作だったのは2001年制作の『何かを造ル圖』でございます。

全体(拡大できないのが残念)
中間部分
左端

タイトルどおり、人々がより集まって「何か」を造る、その計画段階から完成に至るまでをひとつの画面に描いた、絵巻風の作品でございます。測量棒の赤白に始まり落成セレモニーの紅白幕に終わる、全体に渋めの配色もこれまたたいへん結構でございますね。実物はもっともっときれいなのですよ。

宇宙船のようでもあり、神社かなにかのようでもあり、結局のところ何なのかわからない「何か」を造るため、ある人は測量をし、ある人は力仕事をし、オタクは完成模型をつくり(たぶん)、現場監督は指示を出し、近隣の商店は小景気に沸き、どさくさに紛れてグラフィティ描きのワカモノまで現れたりして、なんだかんだあったすえ、いささかゲテモノ感漂う「何か」はめでたく完成...したらしいのですが、完成品を前にした、プロジェクトの出資者(たぶん)や現場監督の「どうしてこうなった」感の濃厚な表情がもう可笑しくて可笑しくて、ワタクシは一人で笑いをこらえるのに必死でございました。でもこういうものって、また吹き出しちゃうからよしなさい、という理性からの警告を遠くに聞きつつも、ついつい何度も見てしまうのですな。

展示の後半には新聞小説などの挿絵作品が並んでおりまして、いろいろなモチーフがいろいろな画風で展開されるさまを堪能できます。メカや人間はもちろん動物から建物から風景から、劇画風の表現やSF漫画っぽい絵まで、ほんとに何でもよく描ける人だなァと改めて感服いたしました。

そんなわけで

ぱっと見は何の違和感もない端正な絵でありながら、じっくり見て行くとあれよあれよとヘンな世界へ連れ去られてしまう山口晃ワールドにどっぷり浸ったのち、娑婆の空気を吸いながら京都タワーなぞ見上げますと、ゴゴゴゴという轟音とともにタワービルが整然と解体していつしかそこにはタワーを尖塔に頂いた和洋折衷巨大メカ要塞が出現

するかのような錯覚にふと見舞われたのでございました。


『バーン=ジョーンズ展』

2012-09-27 | 展覧会
歳をとるにつれて
いかによく生きるかよりも
いかに楽しく過ごすかよりも
いかに心身を消耗しないかということばかり考えるようになりますな。
つまらないことです。実につまらないことです。

それはさておき

ワタクシがなぜバーン=ジョーンズの絵をあんまり好きではないかと言いますと、いまいちメリハリがないからでございます。とはいえケルムスコット・プレスの本が出るなら、一応見ておかねばなあという所ではあり、また第二次産業革命まっただ中の19世紀末という即物的な時代と、そのアンチテーゼとしての象徴主義やアーツ&クラフツ運動には興味があるわけです。
というわけで
兵庫県立美術館で開催中のバーン=ジョーンズ展 英国19世紀末に咲いた華へ行ってまいりました。

冒頭からいともロマンチックな、神話や騎士物語を題材とした絵がずらーりと並んでおりまして、なんだかこっ恥ずかしい。
同じようなテーマでもモローやルドンやウォーターハウスはOKなのに、バーン=ジョーンズだと何故こう、こっ恥ずかしいのか(飽くまでも主観でございます)、考えてみますと、バーン=ジョーンズは他の象徴主義に分類される画家に比べて、ちょっと丁寧に語りすぎると申しますか、象徴的というよりもむしろ説明的な感じがするのでございます。
勤勉で温和で極端を嫌ったというバーン=ジョーンズの人柄が忍ばれる画風ではあるのでございますが、ちと平板で穏やかすぎ、かつ絵解きが丁寧すぎて、見ているこちらとしてはあたかもポエムの一行、一行を説明されているようなムズムズ感がございます。上に挙げた三者と違って暗さや毒気がなく、闇と光のコントラストが低いというのも、ワタクシ的にはマイナスでございます。

そんな作品群の中で異彩を放っておりましたのが、ほとんど未完成のように見えるこれ。


「ステュクス河の霊魂」

どうです、この見る者の心に迫る絶望感!
ステュクスというのは要するにギリシャ版・三途の川でございまして、渡し賃がないので船に乗せてもらえない亡者たちが、延々と嘆きながら川岸をさまよっているわけでございます。あえて川の流れや亡者たちの表情を描かず、背景も茫漠とした闇に沈めることで、時間が流れることもない冥府の陰鬱さが、それはみごとに表現されているではございませんか。
こんなんばっかり描いててくれたらのろさんの大好きな画家だったであろうに、この作品はバーン=ジョーンズにおいてはかなりの異色作でございます。
で、バーン=ジョーンズらしい絵、ということになりますと



こうなんですよね。うーむ。

いえね、実際に「ラファエロ前」の時代であったら、これでいいと思うのですよ。彼らが目指した初期ルネサンス絵画はワタクシも大好きです。素朴で澄明な描写も結構ですし、時には深刻であったり残酷であったりする主題を奇妙に牧歌的な趣で表現したりするのも、よいものでございます。
しかしその後マニエリスムやらバロックやら、近世~近代に花開いた諸々の「〇〇主義」やらを経て来たというのに、たどり着いた所がこれでいいんかいな.....などと申しますと三途の川の向こう側で、癇癪持ちのウィリアム・モリスが、おとなしい親友に代わって頭からぽっぽかと湯気出して怒る姿が目に浮かぶようでございますな。

モリっさんに祟られないうちに本の話に移ることにいたします。
ケルムスコット・プレスに限らず、バーン・ジョンズが挿絵画家として関わった本が数点展示されておりましたが、やはり目玉はケルムスコット印刷、ダヴズ製本の『チョーサー著作集』でございます。
出展されていたのはこれ↓と同じもの。
[KELMSCOTT PRESS]. CHAUCER, Geoffrey. The Works of Geoffrey Chaucer. Edited by F. S. Ellis. Hammersmith, 8 May 1896. | Books & Manuscripts Auction | Books & Manuscripts, fine press books | Christie's
1800万円あれば買えるようですな。はっはっは。

表紙は空押し装飾を施した総白豚革装丁、綴じはかなり太い麻紐を使ったダブルコードで、立派な背バンドが中世の趣を見せております。小口には留め金が二つ。活字や本文紙と同様、わざわざこの本のために職人に依頼して作らせたものでございましょう。
産業革命の波をうけて19世紀初頭から、他の諸々の分野と同様に書籍業界においても、大量生産・大量流通がなされるようになったわけです。そして他の諸々の分野と同様、中にはしばしば経済性のみを優先した、粗悪な品がございました。モリスはこの事態を「犯意のようなもの」と呼び、彼の活躍した19世紀末を「醜いのが当たり前になっている時代」と評して嘆いております。本来は「印刷本であれ写本であれ、美しい物となる傾向を持つもの」である書物、「われわれにあのような限りない喜びを与えてくれる」書物に、しみじみと愛でるべき親密な美術品としてのステイタスを取り戻すべく奮闘したモリスと盟友たちの意気込みが伝わって来る一品でございます。
(上記引用はすべて『理想の書物』川端康夫訳 ちくま学芸文庫 2006 より)

閉じた状態でほぼA3サイズという並々ならぬ大きさの『チョーサー著作集』と同じ並びに、オランダで出版された『ユリアナ聖書』というものが展示されておりました。こちらは『チョーサー著作集』よりさらに一回り大きく、表紙全体を型押しの装飾画が覆い、中身に至ってはバーン・ジョーンズをはじめスイスのセガンティーニ、フランスのシャヴァンヌといった当代随一のアーティストが挿絵画家として動員されているというなかなかに大層な代物。が、中世マニアのモリッさんらが手がけたものと違って、こちらはいかにも19世紀らしい装丁でございます。表紙はこの世紀の中頃に普及した便利道具である「製本用クロス」を用いた「くるみ表紙」(本体と表紙を別々に作って最後に両者を接合する、簡易な製本方法)であり、花布も機械編みのごく味気ないものを貼付けただけでございます。こちらも豪華本ではあるのですが、総革装丁・手製本のケルムスコット本と並べられると、安っぽさは否めません。

とはいえ
『チョーサー著作集』がよくて『ユリアナ聖書』はイカン、ということではございません。ものとしての存在感、美術工芸品としての完成度でいえば、そりゃあモリッさん肝いりの『チョーサー著作集』に断然軍配が上がりましょう。しかしケルムスコット・プレスの本というのは要するにものすごく豪華な私家版であり、19世紀末当時の英国で一般に流通していた本ではありえないほどの手間と暇とお金と人材をつぎ込んで作られた「なんちゃってインキュナブラ(西暦1500年までに刊行された初期印刷本)」でございます。そりゃ、いいものができて当然ってもんでございましょう。
一方『ユリアナ聖書』は贅沢し放題の私家版とは異なり、当時としては最先端の素材と技術を使いつつ、量産体制の許す範囲で、最高の視覚的効果を上げられるようデザインされたものでございます。一冊の本のために国を跨いだ著名な画家の作品が集められたというのも、鉄道の登場と発展によって通信・物流環境がかつてないほどに整ったこの時代を象徴するようでございます。
「世界三大美書」(こういうの誰が決めるんでしょう)のひとつに数えられる『チョーサー著作集』と、いかにもその時代の産物である『ユリアナ聖書』では、おのずとその美的価値には差がございましょうし、ワタクシもどちらか貰えるとしたら、モリッさん本の方を選ぶことでございましょう。しかしその制作における真摯さ、そしてある時代を証言するものとしてとしての史的価値において、両者に優劣はつけられまいと、思ったことでございます。

さてバーン・ジョーンズはメリハリに欠けるから好きじゃないと冒頭で申しましたが、タペストリーに織り上げられると色彩や陰影がきっぱりとして、実際の絵よりものろごのみなものになる傾向がございます。本展には大きなタペストリーが2点展示されており、どちらもよいものでございました。そのうちの一点『東方三博士の礼拝』は去年の3月、美術館「えき」で開催された『ラファエル前派からウィリアム・モリスへ』展で見たものと同じ絵柄でございました。織物とは思えないほど見事な質感表現に感嘆しつつ、もう少し会場が広かったらもっと引きで見られるのになあと心中ぼやいて歩みを進めたあたりで、他のお客さんともども、会場を包む奇妙な揺れに気づいたのでございました。

雑記 - のろや

あれからたった1年半しか経っていないとは信じられないような心地がいたします。
京大カンニング事件なんて、もう10年以上も昔の出来事のように思われませんか。
長い長い1年半の間に変わったことやら変わらなかったことやら、変わってしかるべきなのに変わっていないことやらを考えるとそれはもう死の床のアーサー王のごとくぐったりしてしまうわけです。

そんなわけで
バーン・ジョーンズ展の会場を出たのちはそのまま同館ギャラリー棟で開催中の日カタール国交樹立40 周年記念「パール海の宝石」展へと進み、わあきれいだなきれいだな、ときらきらものでせいぜい目を楽しませてから帰路についたのでございました。

『自然学 ~来るべき美学のために~』

2012-09-13 | 展覧会
考えすぎるのがいけないのか、考えなさすぎるのがいけないのか。

それはさておき

滋賀県立近代美術館で開催中の自然学|SHIZENGAKU ~来るべき美学のために~ へ行ってまいりました。
こちらで出品作家の概要を見ることができます。

滋賀県美、成安造形大学、そしてロンドン大学ゴールドスミスカレッジとのコラボである本展、成安造形大学の学長さんによると「地球環境がますます深刻化する中で、人間存在の基盤である自然と人間の関係をあらためて問い直し、『芸術』におけるグローバルなテーマとして『自然』を語ることで新しい時代の構築をめざす」プロジェクトの一環ということでございます。
大規模とは言えないものの、そのコンセプトにおいても、また単なる美術展ではなく、学者や大学を巻き込んだ多角的なプロジェクトの一部という点でも、意義深い展覧会でございます。

で。
そこでワタクシが思ったのは、言葉のことでございます。
人間と「自然」の関係を表す言葉の陳腐さを、つくづく呪わしく思ったわけです。
例えば、「自然を守る」「地球を守る」という言葉のおかしさ。簡潔で単純で分かりやすくて、唱えるとちょっといい気分になる、つまりスローガンとしては悪くないものであるために(あるいは、これ以上にうまい表現が見当たらないために)使われている言い回しではございましょうが、「守る」も何も、そもそも私たちは「自然」や「地球」がなかったら生きられないではございませんか。逆に「自然」や「地球」の方では、人間がいなくたって何の問題もなくやっていけるわけです。「自然」も「地球」も庇護の対象ではなく、むしろ私たちが全面的に依って立つものであり、それなしではいられないものであるはずなのに、便宜的に「守る」という言葉を使わざるをえない、そのもどかしさ。

展覧会や作品を批判しているのではございません。ただ、その場で表現されていることを言葉にしようとした時の、ものすごいちぢみっぷり、色あせっぷりに、我ながらがっかりしてしまったわけです。もちろんこれは受け手であるワタクシの感受性の低さ、語彙の乏しさ、そして表現力のなさに負う所もたいへん大きいのであって、ひとえに言葉の陳腐さのせいだけではないのではございますが。

というわけで個々の作品について駄弁を弄することは控えて、とりわけ印象に残ったアーティストをご紹介するにとどめたく。

石川亮
本展では「全体-水」という作品(↑の上から1~4枚目)が再展示されておりました。琵琶湖周辺の116カ所の水源から集めた水を氷にして金属の台の上に配置し、それらがゆっくりと溶けて一カ所に集まる様子の記録映像と、実際に使われた装置を見ることができます。隣の台に林立しているのは、めいめいの取水地の名前が記された116本の小瓶。

"馬場晋作
鏡のように磨かれ、松の枝が描かれたステンレス板が壁のそこここを飾り、あるいはつり下げられ 鑑賞者の姿を取り込みながらお互いの像を映しこむ、小宇宙めいた空間が構成されておりました。


で、また言葉の問題に戻りますけれども。
「人間も自然の一部」という言葉にも、もどかしさを感じるわけです。言葉の内容自体は全くそのとおりなのではございますが、「人間」と「それ以外のもの(=自然)」という明確な線引きが前提となっており、そこにはやっぱりどこか人間のみを特別視しているような、甘ったれたニュアンスがありはしないでしょうか。
そうはいっても人間である以上は、結局人間視点でものを考えざるをえないのであって...
単に言葉の問題なのかもしれませんけれども、今までの野放図な人間中心主義とも、人間を地球に巣くう害虫のように捉える極端な(それにより、かえって「自然」という概念を矮小化している)「自然保護」思想とも別の考え方を促すような、新たな言語表現が現れないものかと思います。

例えば
自然という名の<非-場(ユートピア)>への回帰や全自然との一致を目指すのではなく、極めて具体的・直接的な<喜び>の組織化を個別的な現場から行うプロセスの中で、活動力の増大を図ること。その中で、自己言及的なプロセスが始動するとき、すなわち自己原因としての、自己差異化としてのプロセスが現出するとき、その時にこそ私たちは真の意味で自然を生きるのであり、自然と一致するのではなく、自然を構成する、つまり新たな自然を創り出すことになる。私たちが活動する以前の状態も活動したあとの状態も自然であることには変わりはないからである。自己の本性と一致するものと私たちがより多く結びつくにつれ、私たちの活動力は増し、自己原因としての自然は新たな自然を形作る。したがってそこでは、私たちの活動力-----これはスピノザによればつまるところ、思惟の能力、身体の能力である-----を増大させるものである限りにおいて、あらゆるテクノロジーが援用されることになるだろう。自然はその時、超越的でも外化された「もの」であることも止め、真に内在的な私たち自身の生の組織化における過程(プロセス)そのものとなるのである。
浅野俊哉 『スピノザ 共同性のポリティクス』2006 第6章 <自然>の脱構築 p.159

...といった思想を簡潔に表現できる言葉が、生まれてこないだろうかと。
思うに、近代以降の人間中心主義ではもはや立ち行かない所まで迫りつつあるにも関わらず、そのことに気がついてからほんの数十年しか経っていないために、まだ言語表現が追いついていないのかもしれません。
歴史のある時点で「精神病」という言葉と概念が生まれて、それまでは「狂気」という言葉と概念で捉えられていたものを「ケアすべき疾患」へと転換していったように、あるいは、もともとは「大地」という意味しか持たなかった「EARTH」という語が、いつからか「地球」という天体と概念をも表すようになったように、これからの時代にふさわしい人間観・自然観を表現する新しい言葉と概念が、今生み出されつつあるのかもしれません。

本展はまさに、そうした新しい概念・言葉・表現そして人間/自然観を模索する試みと申せましょう。冒頭に述べましたとおり、その点でたいへん意義深いものでございます。
ただ、アートファン以外には「よくわからない現代美術」として敬遠されしまいそうな作品が少なくなかったのも事実であり(平日とはいえ、二時間半ほどの間に遭遇したお客さんはせいぜい5人ほど)、それもまたもどかしいことではございました。
説明的ならいいというものではございませんが、なにごとかを「表現」するだけではなく、人を惹き付けて「伝える」「訴える」力というのも大事だよなあ、と思った次第。
これまた受け手の問題でもあるのかもしれませんが。


ここで言及されている<喜び>とはスピノザ独特の語法のひとつであって、「具体的・直接的」といっても単なる快楽を意味するものではありません。スピノザにおける「喜び」および「悲しみ」は、心身の活動力の増加および減少を示す情動であり、同書p.168から引用するならば「スピノザの言う喜びは、自らの本性に沿って<存在する(ある)>ということ自体に伴う喜びであって、存在に付加される<所有(持つこと)>や<消費>に伴う高揚感とはまったく別」のものです。
また「自己の本性と一致するもの」とは要するに「喜び」を感じさせるもの=心身の活動能力を増大させるもののことであり、ドゥルーズはそのとっても分かりやすい例として「食べ物、愛する者、友など」を挙げております。(『スピノザ 実践の哲学』 2002 平凡社ライブラリー p.210
自己の喜びを追求する、といった時、あらゆる利害が衝突し合う食い合いの世界を想像することもできますし、『エチカ』にはゴリゴリの人間中心主義的な言説として読める一文もあることはあるのですが、むしろ「<生命>をその他の<生命>との<関わり>の中で肯定していく」(浅野俊哉 前掲書 p.288)思想として捉えることが、現代的かつ正当な読み方ではないかと思うわけです。

竹内栖鳳展

2012-08-27 | 展覧会
何やら島のことで大騒ぎですが
双方とも他にすることはないのかいと申し上げたい。

それはさておき
松伯美術館で開催中の没後70年 竹内栖鳳展へ行ってまいりました。

40点ほどの作品が2期に分けて展示されておりますので、一度に見られる作品はその半分ということで、まあ正直こんな大仰なタイトルつけていいのかしらんという規模ではございます。まあなにせ美術館の建物自体が小さいので、いたしかたのない所ではあろうかと。
そもそも、本来なら京都市美術館あたりで大々的にやるべき企画だとは思いますけれどね。
以下、引用は全て展示の解説パネルより。

そして画家というものは常習的に、絵を以て輪郭を描こうとするが、そもそも輪郭というものは、線などあってもなくても、明瞭でも不明瞭でも、そんなことはどうでもいいことで、若しその画家が形というものをしっかり掴んでさえいれば、美術としての見事な輪郭は自然に見ゆるものであろう。そこが画家としての仕事であろうと思う。
「栖鳳藝談」 東西朝日新聞 昭和11年1月

画家自身のこうした言葉に触れ、またその作品を前にしますと、私たちは普段ものを見ているというよりも、見たつもりになっているだけなのだということに、つくづくと思い至ります。脳ブームのさきがけ本『脳のなかの幽霊』では、脳がいかに視覚の穴や切れ目を補って、実際には見ていないものを「見せて」いるか、ということが論じられておりましたっけ。実際私たちはほとんどの場合、サッと視界を横切らせただけで、もうその対象を見たつもり・分かったつもりになっているようでございます。

中学校の美術の先生が言っていた言葉を今も思い出します。そこらで拾った小枝をデッサンするという授業で、「小枝だと思って描いてはダメだ。今までの人生で初めて目にする物体だと思って描きなさい。君は宇宙飛行士で、他の星にやって来て、今まで全く見たこともないものに遭遇した。その未知の物体の姿を、地球の人たちに伝えるために描きとめる、そういうつもりで描きなさい」と。

栖鳳といいますと配色におけるメリハリの妙というパッと見の印象もさることながら、素早いタッチで対象のかたちを描き出す筆さばきの巧みさ、手技の正確さ、という技術的な面にまずはハハーと恐れ入ってしまうわけでございますが、上に引用した画家自身の言葉からは、そうした高い技術や色彩感覚に先立って、もののかたちを本当に捉えようとする眼差しがあったということが改めて分かります。初めて出会ったものを見るかのような真摯な気持ちで対象を把握しようと努め、そこに「画家としての仕事」を認めるという心持ちをずっと保ち続けた人であったのでございましょう。

ボタ、ボタ、ササ~っとほとんど無造作に置かれたかのような筆致で、対象のかたちが恐ろしく的確に表現されているのを見るにつけ、栖鳳のかたちを捉える目の厳しさが思われます。とはいえ、作品そのものから伝わって来るのは、謹厳さというよりもむしろ「絵にすることの喜び」であって、紙の上を疾走する素早い筆致や顔料のにじみを目で辿って行きますと、「しっかり掴んだ形」に基づいて自分の絵をどんどん作り上げて行く画家の喜びを追体験するような心地がして、こちらまでわくわくと嬉しくなってまいります。

しかし、画家というものも、その閑静な、自由な生活に於いて、自然に構想が浮び出て、さて画筆を執る時の心境というものは、他に比べようのないほど楽しいものである。その点、他の画家のことはよく知らないが、私なんか、作品が仕上がった時の悦びよりも、いざ制作に取りかかろうとする時の方が、希望に燃えていて、つらつら画家という仕事の有り難さを感ずる。
同上

そんなわけで
印刷物を含めてたった20点ほどの展示ではございましたが、「描く悦び」のお裾分けをいただいたようなお得な気分を味わえたことこそ、有り難いことでございました。絵を描くって、ほんとは楽しいことだったよなあ、としみじみした次第。


『井田照一 版の思考・間の思索』

2012-06-15 | 展覧会
増税とか再稼働とかする前にひとつ選挙でもしていただけませんかね。


それはさておき
京都市美術館コレクション展 第1期 井田照一 版の思考・間の思索の鑑賞レポでございます。気づけば京都市美とは半年以上もご無沙汰しておりました。
終わってしまった展覧会をご紹介するのはいささか心苦しいのですが、向いの京都国立近代美術館でも井田照一の版画展が開催中であり、こちらは24日までやっておりますので、行こうか行くまいか迷っておいでのかたはご参考にでもしていただければと思います。


さて
本当にしんどい時は何を見る気にもならないわけですが、そこそこしんどいくらいの時には彫刻か現代美術を見たくなります。おそらく彫刻はワタクシ自身が全く関わらない分野なので、がつがつせずに純粋に楽しみとして見られるという気楽さがよいのであり、現代美術は、作品に対してわりあい自由な解釈が許されているという点がよいのでございましょう。

2006年6月に亡くなった井田照一氏、版画における版とは何かということを考えたり、ものの存在感と重力との関係を作品化したりと、色々コンセプチュアルにつめて行ったかたのようですが、しんどいのでなるべく何も考えずに鑑賞することに。そんなわけで、カラフルなリトグラフ作品が並ぶ第一室から、これはいいなあ、これもいいなあ、これはあんまり好きじゃないや、と気楽な気分で見ていきましたら、たいへん面白かったのでございますよ。
単色でくるっと円が描かれただけの作品なんて、それだけでもずーーっと見ていられます。
といえばぐだぐだしている間に芦屋の吉原治良展も終わってしまったなあ。4月からやってたのに何で行かなかったんだろう。

様々な色と形と作風に彩られたカラフルな第一室から一転して、第二室はおおむねモノトーンの世界でございます。こちらの一番下の作品のように、一見すると黒や青のただ一色を四角形にベタ刷りしたものかと見えます。ところが近づいてよくよく見ますと、版の表面のへこみや盛り上がりが紙面に写し取られており、この場には存在しない版の存在感、「もの感」が、ひしひしと伝わってまいります。
この他にもフロッタージュ(凹凸のあるものの表面に紙をあて、上から鉛筆などでこすって凹凸を写し取る手法。拓版。)を活用した半立体的な作品や、石や木材とごくごく薄い紙とを組み合わせたオブジェなど、それはそれはのろごのみな作品がたんまりと。版の凹凸、しみの広がり、そして木目の自然な紋様といった作家の意図を離れた偶発性が、きっちりかっきりとバランスの良い長方形という限定された版面の中で遊ぶ、その恣意と偶発のせめぎ合いが心地よいったらございません。

ここまで見て来ましても、いやはや全然知らなかったけど色んなことしてた人なんだなあ、と今更ながら感じ入ったわけでございますが、平面・立体・半立体に加えてインスタレーションも手がけていらっしたようです。美術館一階中央の休憩スペース(トイレ前)と2階中央展示室を繋ぐ階段、ここは『日展』開催時以外は仕切りで閉鎖されているのが常でございますが、半円を描くこの趣き深い階段に、本展では氏のインスタレーション作品であるプリントされた紙袋たちが配置されておりました。単純な横線模様がプリントされているほかは何の変哲もない、茶色いクラフト紙製の紙袋たちは美術館の住人よろしく、年季の入った段の上やら、大理石製の手すりの上やら、柔らかな自然光が降り注ぐ窓の桟やらの上で、思い思いの方向を向いてたたずんでおります。意味やコンセプトがどうこういう以前に、こういうミニマルな作品に出会うと無性に嬉しくなってしまいます。

展示の後半は立体作品が多く、前半の「”もの感”のある版画」に比べるとまんま「もの」になりすぎていて、それほどのろごのみというわけでもございませんでした。作品のサイズが大きかったり、ものと重力との関係、という文字通りずっしりするテーマをあつかったものが多かったせいもありましょうけれど。
その中にもいいなあと思う作品はございまして。
SBBV4-Gravity and Descended というわりとわけわからんタイトルの立体でございます。こんなかんじの。



四角い木枠の内側に、斜めに紗(シルクスクリーンで使うやつ?)が張り渡され、その裏表から長さの違う真鍮の棒がソッ、ソッ、と寄りかかっております。木と紗と真鍮というアンバランスな素材感、それ自身の重みで柔らかに紗を押しやる真鍮の棒、その重みの確かさ、そしてその重みをやんわりと受け止める紗の柔軟な強さ、四角い囲いの中に描かれる斜めの動き、などなど、もうたまらないわけです。

まあそんなわけで
意味も哲学もコンセプトもなーんも考えずに鑑賞させていただき、井田氏にはちと申し訳ないようではございますが、とにもかくにも「あー面白かった」という感想とともに、久しぶりの京都市美術館を後にしたのでございました。

後日に近美で開催中の井田照一展にも行きました。本展と重複する作品も多かったものの、あちらはあちらでまた楽しめました。本展を逃したというかたはぜひ近美の方へおいでになるとよろしいかと。

『リスベート・ツヴェルガー絵本原画展』

2012-06-05 | 展覧会
美術館「えき」で開催中の「リスベート・ツヴェルガー絵本原画展」へ行って参りました。

ツヴェルガーは酒井駒子やビネッテ・シュレーダーと並んで、ワタクシが最も好きな現代絵本作家の一人でございます。
その画業の最初期から最新作までカバーする本展、冒頭に展示されているのは、何と5歳の頃のスケッチ、というか落書きでございます。余白には「女の子は魔法でリンゴに変えられてしまいました」というキャプションが、鉛筆書きのたどたどしい字で記されております。綴りを間違えて訂正されたらしい箇所もあり、なんとも微笑ましい。「幼い頃からラファエロのように描いた」のなんざピカソくらいなもんで、ツヴェルガー5歳の作品はいたって子どもらしい、つたない絵でございます。しかしそのファンタジックな題材やらシンプルで安定したフォルムやら全体のバランスやらに、すでに往年のツヴェルガーらしさを認めうると思うのは気のせいでございましょうか。まあ気のせいでしょうな。

5歳時の作品はさておき、本展では絵本作家としてのデヴュー以来、35年に渡って制作された数々の作品が時系列に沿って展示されておりますので、画風の変遷を明確に見て取ることができます。諸々の絵本原画展でもよく見かけるツヴェルガー作品ですが、こうした見方ができるのは回顧展ならではのことでございますね。
アーサー・ラッカムの絵に出会ってこの道を志したというだけあって、1977年のデヴュー作『ふしぎな子』には、植物の描き方や渋い色調にラッカムの影響が認められます。一方で線使いがややキーピングっぽくもあり、これは何となく70年代という時代を感じさせる所でございました。また後年の作風と比べると、手足が大きくデフォルメされ、輪郭線が強調されているなど、やや漫画的な表現となっております。

80年の『おやゆび姫』になると、明暗のコントラストが抑えられて画面全体をもの静かな雰囲気が包み、漫画的なデフォルメも目立たなくなり、そのぶん際立つのは画家の繊細かつ豊かな想像力とそれを支える確かな描写力でございます。
↑リンク先の絵は最上段真ん中のカエルの絵以外、全て本展で見ることができます。ごく自然に擬人化された野ネズミやもぐらやツバメの姿は、ひどくリアルで現実的な事物としての説得力がありながらも、幻想的で愛らしい魅力をもたたえております。
リアルな描写と幻想性と愛嬌、と言葉で並べるのは簡単でございますが、描写のリアルさは時に主題の幻想性を損なって、擬人化された動物を不気味なクリーチャーにしてしまいかねません。上記の形容のすべてを高水準で満たすのは、相当のセンスと力量を要することでございます。

『おやゆび姫』以降、ツヴェルガー独特のディテールの素晴らしさが際立ってまいります。ディテールといっても描き込みの細かさ、ということではございません。物語の本筋とは関わりのない、周辺部の描写ということでございます。
例えば、『おやゆび姫』では野ネズミのおばさんが防寒用に身につけている、マフラーと同じ柄のしっぽ袋や、おやゆび姫が履いているぶかぶかのスリッパ(野ネズミから借りているのでサイズが合わない)。『ぶたかい王子』(←クリックすると全ページ見ることができます)では、王子が豚飼いに変装するために引っ張りだした珍妙な帽子の数々や、急いで上履きをつっかけるにあたって小姓の背中を支えに活用する皇帝。『ちいさなヘーヴェルマン』では、疲れて眠るお月様の枕元に控えた、持ち主と同じ柄の衣装を着込んだ三日月人形
こうしたディテールは話の筋そのものとは関わりがないだけに、作家の自由な発想の見せ所でもあり、遊びどころでもあり、また世界観に奥行きを与えるという点で重要な+αでもあります。
(かつての宮崎駿作品ではこの「ディテール/遊びどころ」による奥行きの構築が素晴らしい威力を発揮していたものでございます。近年の作ではむしろディテールばかりに力が注がれ肝心の本筋がないがしろにされているような気がいたしますが。)

90年代に入りますと、それまでセピアがちだった色彩に鮮やかさが増してまいります。はっとするような鮮やかな色が使われながらも心地よいリズムが画面を覆い、全体としてはこの上なくシックでございます。ここにはこの色以外ありえまいというドンピシャな配色を、塗り直しのきかない透明水彩(おそらく)という素材で描いてしまうのですから、ワタクシにはまったく奇跡のように思われます。

またツヴェルガーは、よく知られたおとぎ話や寓話の本質的なところはそのままに、その上に現代の衣装を着せることがとても上手い人でございます。この話なら当然こういう絵が来るんだろうなー、という予想を鮮やかに裏切る、その発想の自由さが何とも小気味よい。読者としてはまさかイソップ寓話である「人間とサテュロス」の挿絵に、アイスクリームのようにおっとりとした白さの三つ揃えスーツを着込んだ紳士や、粋な青白ストライプの生地が張られた寝椅子が登場しようとは思わないわけでございます。ところがツヴェルガーの手にかかると、神話画や古代ギリシャの壷絵で見かける半人半ヤギの牧神が、スーツの紳士やストライプのソファといった全く現代的なモチーフの中に、何の違和感もなく馴染んでしまいます。『ノアの箱船』で豪雨の中をユニコーンとともに逃げまどうのはレインコートに雨傘を携えた人間たちであり、『聖書』のバベルの塔は四角いビルディングであり、東方三博士はスーツケースを携えてやってまいります。

イソップ寓話に聖書の物語、アンデルセン童話に「不思議の国のアリス」、どれもこれも先人たちによってさんざん手あかのつけられ、強固なイメージが作り上げられて来た題材でございます。バベルの塔といえばブリューゲルのあの絵、そしてアリスといえばテニエル、あるいはディズニー映画におけるあのエプロン姿のアリスを思い起こさない人はおりますまい。そうした強力かつ広く普及した先行イメージや、歴代のさまざまな解釈とその描写にみっしり取り囲まれた題材においても、なおこれだけ新しく、独自な表現が可能であるということに、ほとほと感心させられました。

そんなわけで
スケッチ類を含めて約150点という思った以上に多くの作品を見ることができ、展示の最後には絵本を手に取って読めるコーナーまで設けられておりまして、大満足でございました。
ワタクシがツヴェルガー作品の中で一番好きな『ティル・オイレンシュピーゲルのゆかいないたずら』がなかったのだけが、ちと残念ではございましたけれど。


『北斎展』(前期)

2012-02-21 | 展覧会
京都府京都文化博物館で開催中の北斎展(前期)へ行ってまいりました。

いや~~面白かった。
何かと目にすることの多い富岳三十六景から、「春朗」と名乗っていた頃の役者絵や北斎漫画あれこれ、途中で規格倒れになったという百人一首シリーズに名滝・名橋シリーズと、お馴染みのものやら初めて目にするものやら、盛りだくさんでございました。しかもまだ半分。

初期の作品には後年に見られるような遊びや自在さは少ないものの、「鴻門之会」のように100%空想で描いているはずの場面においても、まるで実際に見て来たかのようなディテール描写と構成力が発揮されておりまして、今更のように舌を巻きました。

北斎漫画の闊達な線にホレボレと見入っておりますと、すぐ隣で見ていらっしたお嬢さんが「これ、彫ったのは(北斎とは)別の人?刷ったのも別の人?色つけたのも?なーんだ、自分何にもしてへんのに一人だけ有名になってずるいわ」などとおっしゃりだしたので、全世界の北斎ファンを代表してぶん殴ってやろうかと思いましたが、お連れのかたの「分業なんやろ、今の出版と同じ」というごくまっとうなフォローに心中矛を収めた格好となりました。
それにしても、展覧会場で話すにしては少々声がお高めであった上記のお嬢さんをはじめ、あちこちで携帯電話の着信音が鳴ったり、読書に使うようなルーペを作品すれすれにかざして鑑賞するおじさんがいたりと、鑑賞マナーのもうひとつなお客さんが多かったのは残念なことでございました。これはおそらく普段展覧会に行かない人も足を運んでいるからであって、博物館経営の面から見れば喜ばしいこととはいえ、おもむろに通話を始める人や触れんばかりの近さで作品を指差す人なども一人ならずおりまして、監視スタッフさんたちのご苦労もしのばれることではありました。

愚痴はさておき。
線描にホレボレの北斎漫画に対して、視線誘導の巧みさにハハーと唸らされるのは富岳三十六景でございます。
富士山が遠景で描かれている作品では、手前にリズムよく並んだ人々の頭やら、画面を横切ってたなびく霞やら、遠ざかって行く鳥、あるいは描き込まれている人々の視線を辿っていくうちに、自然と画面奥の小さな富士山へと視線が行き着きます。富士が大きく描かれたものでは、すらっと左右に駆け落ちる稜線を辿って行くと、これまた自然に近景の細かい描写へと視点が移ってまいります。またその細部の描写がうまいんですな。北斎つかまえて「うまい」もありませんが。

冒頭申しましたように初めてお目にかかる作品もございまして、その中でとりわけ印象深かったのが、和漢の有名な詩歌に着想した連作の中の一点、『李白』でございました。
画像はこちら↓の何だかものすごいサイトさんのものです。
無為庵乃書窓

絵の中の李白が食い入るように見ているのは『望廬山瀑布』という七言絶句のモチーフとなった廬山の滝なのだそうで。「飛流直下三千尺 疑是銀河落九天 飛ぶような流れが真っ直ぐに下ること三千尺、天のてっぺんから銀河(天の川)が落ちて来たのかと思った」という李白らしい豪快な喩えで描写された瀑布を、北斎は負けじと豪快に、縦長の画面の右半分を覆うストライプで表現しております。始点も終点も描かれないことで、滝の大きさは「天の川が落ちて来た」という李白の詩句と鑑賞者の想像とに委ねられます。
滝の手前、斜めに突き出した崖の傾き具合と対応するような格好で、反対側の崖から身を乗り出して滝を見つめる李白先生、杖と童子によりかかって体重を支えつつ、首をめいっぱい前に突き出して三千尺の天の川を凝視しております。ヤレヤレ先生ときたら、と言いたげにうつむいた童子たちも可愛らしいのですが、崖っぷちまで来てもなお飽き足らずに身を乗り出す、李白の子供のような熱心さが何とも微笑ましい。
絵を描くこと以外のあらゆる物事に無頓着であったという北斎自身も、こんなふうに、端から見れば可笑しいほどの熱心さで対象を見つめていたのではないかしらん。

後期の展示は2月28日から。今から楽しみでなりません。
前期の半券を持って行くと割引になるというのもありがたいことでございます。

『北京故宮博物院200選』と『ゴヤ展』

2012-01-21 | 展覧会
久しぶりに世界崩壊系の夢を見たなあ。


それはさておき
日帰りで東京へ行ってまいりました。
東京国立博物館140周年 特別展「北京故宮博物院200選」で展示中の『清明上河図』を見るためでございます。結論から申しますと、見られなかったんでございますけどね。

6時半の新幹線に飛び乗ってなんとか9時半の開館前に国立博物館までたどり着いたものの、玄関口にはすでに長蛇の列ができており、まず入館するまで1時間かかりました。まあそのくらいなら何でもございませんが、館内に入ってみればさらに清明上河図専用の行列というのがございまして、これが孔子さまもびっくりの4時間待ち。少々割り引いたとしても3時間。3時間あればすぐ横の国立西洋美術館でゴヤ展を見て帰れるではございませんか。
しばしの葛藤ののち、清明上河図との対面は断念いたしました。お宝中のお宝でございますから、まみえる機会はもう二度とないかもしれませんけれども。是非もなし、でございます。

というわけで本命は拝めなかったにしても、展覧会自体はそれは素晴らしいものでございました。
ユニークな意匠の青銅器、緻密な彫りが施された玉(ぎょく)、ペルシャの水差しを思わせる姿の磁器など、長い歴史&広大な版図&東西交流の賜物と言うべき工芸品。孔雀の羽を敷き詰めた上に貴石で細かい刺繍を施した礼服、大粒の真珠と色の濃い翡翠を惜しげもなくあしらった頭飾りといった、手間も素材も贅を尽くした服飾品。ある時代に即した美意識や意図を跳び越えて、今の私達の心にまっすぐ切り込んで来る絵画や書跡。

そうした目もくらむような文物が居並ぶ中でも、ワタクシが最も喜ばしくありがたく見たのは世界史上に輝く風流天子にして北宋を滅ぼしたほぼ張本人、徽宗さんの書画2点でございました。思いがけず第一室で徽宗さんご自身の作品にお目にかかれて、清明上河図を諦めた口惜しさも文字通りふっ飛びましたですよ。
徽宗さんは芸術家としても歴史上の人物としても思い入れのある人でございますので、対話するような心地で臨みました。見ると、ごつごつとねじくれた奇妙な格好の岩が描かれているではございませんか。「祥龍石図」なんてカッコいいタイトルをつけておりますけれど、これも悪名高き”花石綱”で各地から取り寄せた奇岩のひとつに違いございません。こんなのに情熱を傾けるから国が滅ぶんじゃばっかもーん。

まあ君主としての適正はともかくとして、芸術家としてのこの人のセンスと力量は疑うべくもないのでございました。
何と鋭く、厳しく整った、しかもしなやかな書体でございましょうか。詩帖の一編である閨中秋月など、まさに秋の夜の月のように冴え冴えとした美しさ。ほんとにこの人は、単に風流な皇族として絵を描いたり、書を書いたり、道教に凝ったりして一生を送ることができたら幸せだったでしょうに。ご本人にとっても、人民にとっても、後世の美術ファンにとっても。その代わり、水滸伝という物語が語られることもなかったかもしれませんが。

さて東洋史専攻だった割に元以降の知識はすっからかんに近いのろとしては、今回展示品を通じて康熙帝・雍正帝・乾隆帝といった清代に輝くビッグネームとお近づきになれたことも有意義なことでございました。
近代版清明上河図とも呼べそうな『康熙帝南巡図巻』は二巻合わせて幅50メートルを超える大作なんでございますが、それはもう緻密に描かれているんでございます。またその細部の描写がいちいち楽しく、色彩も美しく、たいへん見ごたえがございました。↓で一部拡大したもの見ることができます。
東京国立博物館 - 1089ブログ

文人風・農民風・はたまた西洋の君主風とさまざまな立場の人物にコスプレした雍正帝の肖像画『雍正帝行楽図』など、こういうものを描かせた帝の真意はさておいて、たいへん微笑ましい作品でございました。ちょっと森村泰昌氏を連想しましたけどね。

私生活情景 : 故宮博物院展4 雍正帝

そんなこんなで
会場から出ますと依然として清明上河図待ちラインが長々と続いておりました。3時間待ちですと。物販コーナーの人ごみもあいまって、宵山の四条通界隈のような混雑ぶりでございます。とりあえず『「清明上河図」と徽宗の時代―そして輝きの残照』という本だけ購入して物販コーナーから這い出ますと、2時半になっておりました。
人の多さと展示内容の充実度にくたくたでございます。
しかしここでゴヤを見て帰らねばのろがすたるというもの。
というわけで、西洋美術館のベンチで『考える人』の背中を眺めつつキオスクのアンパンをかじったのち、さてとプラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影へ。

もちろんゴヤといえばスペインの押しも押されぬ宮廷画家であり、肖像画の名手でもあるわけでござますが、ワタクシは今までこの画家を時代や地域と関連させて考えたことがほとんどございませんでした。と申しますのも、ワタクシにとってゴヤとは人間の最暗部をえぐり出すような『戦争の惨禍』や『ロス・カプリーチョス』、そして連作「黒い絵」の画家であり、これらの作品におけるテーマは地域や時代といったものとはほとんど関係なく、まったく普遍的なものだからでございます。

本展でタピスリーの原画用に描かれた明るい作品を見て、ああ、ゴヤって時代的にはロココの画家でもあるんだ、と初めて気付かされました。しかし解説パネルによると、いかにも明るく、いっそ能天気にさえ見えるそれらの油彩画にも、実は社会批判がこめられているのだとか。ワタクシにはそう言われてみないと(あるいは言われてみても)分かりませんでしたが、猫の喧嘩を目にした時は一瞬、後年描いた殴り合いの絵の習作かと思ってぎょっとしましたけれども。

しかしまあ、何と言っても素描と版画でございます。完成した版画作品と共にその原案の素描が展示されているものもあり、画家がどこを強調し、何を削り、また何をつけ加えたかということが見て取れてよろしうございました。例えば、ゴヤの版画の中でも目にする機会の多い理性の眠りは怪物を生むなど、構想のスケッチでは机につっぷした男の斜め上に大きな鳥がぼーんといるばかりで、それほどまがまがしい印象をのでございますが、完成作品では鳥ともコウモリとも魔物ともつかない者どもが男の背後からぞくぞくと沸き上がるように描かれ、「理性の眠り」に乗じて諸々の暗い情念やイメージが生み出されて来るさまが雄弁に表現されております。

えっ
マハですか。
うーん。やっぱり、すっぽんぽんよりも何か身にまとっている方がセクシーですよね。『裸のマハ』が隣にいないので欠席裁判になりますけれど。
モデルが不明であることや、着衣と裸体のセットであることなど、人を惹き付ける要素のある作品ではあります。しかし数あるゴヤの作品中で『マハ』がそう飛び抜けて優れているとは、ワタクシには思われません。今回の展示に即して言うならば、「光」を全身にまとった長椅子のマハよりも、小品ながら『魔女の飛翔』に見られる鮮烈な「闇」の世界こそ、ゴヤの本領という気がいたします。



さてゴヤと別れると閉館までもう40分あまりの時間しかございませんでした。くたくたくたくたでございます。しかしせっかくトーキョーまで来たんだからと貧乏性を発揮して常設展示へと強行し、ヴァン・ダイクの肖像画にハハーとひれ伏し、ギュスターヴ・ドレのうまさにほとほと感心し、ウィリアム・ブレイクってやっぱり性に合わねえやと納得した所で閉館のアナウンスに追われて上野駅へと向かったのでございました。




『ポロック展』

2012-01-14 | 展覧会
ポロックというと画家本人の顔よりもエド・ハリスの顔が思い浮かぶのろではございますが
愛知県美術館で開催中の生誕100年 ジャクソン・ポロック展へ行ってまいりました。

回顧展の名にふさわしく、画業の最初期である20歳頃に描かれたものから最晩年(といっても42歳)の作品まで集められておりまして、ドリッピング技法の名品はもちろん、そこに至るまでにポロックが歩んだ、模索というか七転八倒の道のりをたどることができます。また、床に残る絵具跡もそのままに再現されたアトリエ(実物の床の写真がプリントされており、靴を脱いで上がることができます)や、制作風景を記録した映像からは、まさにアクション・ペインティングという言葉どおりの創作方法の、動的・身体的な要素の大きさがダイレクトに伝わってまいります。これは壁にかけられた完成作品を見るだけではちょっと味わえないものでございました。

1940年代半ばまでの作品を見ますと、キュビズムとフォーヴィズムのあいの子のような作品があったり、ピカソやミロからの影響がはっきりと分かるものがあったりと、まあこれはこれでいいんですけれども、ものすごくオリジナルということもございませんで、ポロックよりひと世代前のヨーロッパの芸術家たち、とりわけポロック自身の言葉を借りるならば「ピカソが何もかもやっちまった」後の世界で、新しい、独自の、「だれそれ風」ではない作品を創ることの困難さということがいたく感じられました。

で、その困難さからポンと抜け出た1940年代後半の作品はやっぱり非常によいものでございまして、米アートシーンで熱狂的に迎えられたのも頷けます。


インディアンレッドの地の壁画 1950 テヘラン美術館

この時代のスタイルに留まることをポロックが自らに許していたら、あるいは後年あのように激しいスランプに陥ってほとんど自殺のような最期を遂げることもなかったかも、などということを、ちらと考えました。こんなことをご本人に言ったら「おめーは芸術ってもんが分かってねえぇぇ!」とちゃぶ台ひっくり返されそうですが。

40年代前半にそれなりの評価を得ながらも、「だれそれ風」の良作では満足することができなかったように、独自の表現で名声を築いたのちも、自分自身の模倣に終ることは我慢ならなかったのでございましょう。
スタイルを変え続けたという点ではポロックが超えようと目指した巨人、ピカソも同じでございますが、ピカソは技術的な器用さもさることながら、取材に応じる前に綿密に応答の予行演習をしたり、「ピカソの贋作を描かせたら私にかなう者はない」と言ってのけるなど、心的余裕やメディアさばきの巧みさ、いわば生き方の器用さをも身につけておりました。ポロックは技術においても生き方においても、そうした器用さを持ち合わせておらず、しかもなお、成功と賞賛が約束されたスタイルに留まり続けることもできなかったのでございました。

破滅型天才を地で行くような人生を夏の夜の自動車事故で閉じたポロックが、亡くなったその時に履いていた靴(実物)も、最後に展示されておりました。何てことのない、普通の革靴でございます。画家の所持品であたことを示す痕跡は何もございません。そもそも彼は制作時には靴を履き替えていたようですので、普段靴に絵具がついたりはしなかったのでしょう。しかし、ほとんど新品のようにきれいな革靴、画家の痕跡のかけらもないその靴を見ておりますと、亡くなった1956年には作品を一枚も描いていないことや、映画『ポロック 2人だけのアトリエ』での、糟糠の妻リー(マーシャ・ゲイ・ハーデン)の「ジャクソン・ポロックが絵を描かないなんて!」という悲痛な叫び、そしてこの映画のラストなどが思い出されてしんみりといたしました。

というわけで、ポロックのさまざまな側面をまんべんなく見られるという点でたいへん有意義な展覧会であったかと。ただ、欲を申せば、やっぱり大画面のドリッピング作品をもっと見たい所ではございましたよ。