のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『恋する静物』展2

2012-01-07 | 展覧会
「感動」とか「癒し」という言葉は決して安っぽい言葉ではなかったはずなのに、いつの間にか真顔で口にするのも恥ずかしいような単語に成り下がってしまいました。おそらく「絆」もそのうち同じ運命を辿ることでしょう。


それはさておき
1/5の続きでございます。

現代美術を集めた5F展示室へ行く前に、19世紀末の書物を描写したものとして興味を引かれたのが、アメリカの写実画家ジョン・フレデリック・ピートー作「学生の用具」でございます。



伏せて置かれているのは革装あるいはクロス装のソフトカバーのようです。本ではなくノートブックかもしれません。ヒラの部分が簡素なクロス装で背だけが革装のもの、全体がクロス装で背のタイトルラベルだけが革っぽいもの、革の部分の破損が著しいものなど色々ございますね。

それにしてもこれらの半革装本、あまりといえばあまりなボロボロぶり。
製本に使われている革の劣化についてちと調べてみますと、英国では早くも1900年には、過去一世紀ほどの間に製本された革装本の劣化の激しさについての問題意識が高まり、王立工芸委員会なる機関が委員会を設けて調査を行っておりました。それによると「一般に退化のはじまったのが1830年ごろからのことで、1860年以降になると退化がとくにいちじるしい」(『西洋の書物』A・エズデイル 1972 雄松堂出版 p.198)とのこと。その理由として考えられるのは、まず技術開発によるな革なめし方法の変化がございます。植物性で堅牢な仕上がりになる昔ながらの「タンニンなめし」から、鉱物性で時間がそれほどかからず、安価な上に発色よく仕上がる「クロムなめし」に移行したこと、また「燻煙なめし」に用いられたガスに含まれていた硫酸や亜硫酸も劣化の要因と考えられております。家畜の飼料や飼育環境の変化も、原料である皮の質の低下に寄与したと考えられましょう。要するに産業革命の大波を受けて、革という伝統的な素材すらも18世紀以前のようなクオリティを保てなくなったということでございます。
製本用クロスが普及しはじめたのが1820年代ということも考え合わせますと、この「学生の用具」はまさに当時の欧米製本事情を図示するものとして、史料的な面白さもございます。

さてキュビズムからビデオまで、20世紀以降の作品を集めた5階展示室、さすがに個性的な作品が揃っている中で妙に心惹かれたのがガラス作家
ポール・スタンカードの「精霊のいるわすれな草」という小品でございました。
高さ10センチほどのガラスの立方体の中央に、何製なのかは分かりませんがワスレナグサの青い花が浮かび、その下にはふわりと根が絡まり、根の間には小さな真っ白い人間のようなものの姿が見えます。何とも乙女ちっくなテーマではございますが、それを臆面もなく作ってしまうという所にちょっと心打たれたのでございます。そう、臆面もなくするって、けっこう大事なことだと思うのですよ。それに、きっぱりと滑らかでクリアなガラスの、量感を感じさせない透明さや、ほんの少しだけ全体が面取りされ、またほんのわずかに上部をへこませた立方体の、いつまでも溶けない氷のような不思議なたたずまいは、それ自体たいへん魅力的なものであったのでございます。

いわゆるモダンアートとそれ以降を扱ったこのセクションにおいては、モチーフの変遷と共に絵画や工芸の役割そのものの変遷をも考えさせられました。モチーフにつけ表現方法につけ驚かされることが多いこの展示室の中で、ワタクシが一番驚いたのはモーリス・ルイスの「無題(死んだ鳥)」でございました。
画像は見つけられませんでしたが、↓とほぼ同じ作品でございます。おそらく同時期に描かれたものかと。
Here Be Old Things: New York City Auctions: January 12?18, 2009

ころんと仰向けになった小鳥の死骸が描かれた小さな作品、ごく地味な色調で、ペインティングナイフで引っ掻くように描かれた圧塗りの肌あい。これがあの、ゆるく溶いた絵具を広大なキャンバスの上にさあっと流し、美しい色彩の調和と観る者を包み込むような広がりを生み出した抽象画家モーリス・ルイスの作品とは、にわかには信じられませんでした。解説パネルによると、この作品の修復の再、今の画面の下に鮮やかな色が塗られていたことが分かったとのこと。うーむ、何があったんでしょうか。
描かれた鳥は古代の壁画のように素朴な造形でございまして、前回の記事でご紹介したモチーフは同じでも「死んだ鳥と狩猟道具のある風景」とは全く趣が異なります。単に技法の変遷ということ以上に、死んだ小さな生き物へ向けられる画家のまなざしが、裕福な顧客のために腕を振るう17世紀の画家のそれと、「芸術家=表現者」と言う概念が当たり前になった20世紀の画家のそれとではずいぶん違うということでもございましょう。
2つの「死んだ鳥」の間の隔たりは、人間の社会のありよう、そして人間とその周囲(=人間以外のものの世界)との向き合い方の変化を示すようでもございました。



『恋する静物』展1

2012-01-05 | 展覧会
あけました。

というわけで
名古屋ボストン美術館で開催中の恋する静物-静物画の世界へ行ってまいりました。

ボストン美術館のコレクションの中からピックアップされた静物画や調度品が、静物画というジャンルが確立した頃の作品から現代美術に至るまで、時系列に並べて展示されております。
というわけで新年早々、17世紀オランダのヴァニタス(人生の虚しさ)絵画から。
果物と花々、あるいは髑髏・蝋燭・砂時計というお馴染みのモチーフを集めた作品から、当時オランダで流行したレーマー杯を描き込んだもの、画面いっぱいにどでーんと鯉が描かれた、いささか異様なもの(うろこのぬらぬら感のすごいこと)まで、さすがに17世紀オランダ絵画、これでもかとばかりの描写力でございます。

中でも凄かったのが、フェルメールより10歳あまり年下になるヤン・ウェーニクス作死んだ鳥と狩猟道具のある風景でございます。

はい、タイトルそのまんまな絵でございますね。しかしこの質感の描き分けの凄さといったら。革製ケースのしっとりと使い込まれた光沢、細い飾り房の繊細な素材感、ひんやりと重々しく光る金具の重量。それ以上に、死んだ鳥たちのいかにもくたっとして柔らかそうな首や胸の羽毛と、薄く軽いけれどもパリッと張りのある翼の部分の描写、またその解剖学的な正確さといったらどうです。狩猟の獲物となった鳥たちの姿は斜め上からの劇的な光に照らされ、誇張もなく媚びもなく、一種のしんとした荘厳さに包まれております。地面に転がっているカワセミなど、その可憐な、とはいえ即物的な死に姿があまりにも真に迫っていて、絵に中にふと両手を差し延べて拾い上げたくなるようでございました。
狩猟は贅沢なスポーツであったため、狩猟を主題とした絵は富裕層のステイタスシンボルであったということですが、本作のあまりにもリアルな死んだ鳥の描写は、むしろ髑髏や蝋燭と同様に、生のはかなさを表現しているように見えてなりません。

静物画だけの展覧会といいますとちと地味な印象がございますが、本展にはなかなか珍しい、というかケッタイなものも展示されていて面白かったですよ。
例えば、18世紀後半に活躍したアメリカ人画家ジョン・シングルトン・コプリーの釘にかかった栓抜き
何でもコプリーが招かれた先でワインの栓抜きが見つからなかった時、即興でその家の戸枠に描いたものなんだとか。その戸枠がこうして切り取られて、ボストン美術館に所蔵されるに至ったまでの経緯が気になる所です。それにしてもこの作品が描かれた1760年代にはまだチューブ式油絵具が開発されておりませんのに、コプリーが出先でこれを描いたということは、招かれた先まで大仰な油彩画の道具を持参していたんでしょうか。それとも招かれた先もまた画家の家だったんでしょうか。ともあれ、なかなか面白いエピソードではあります。

例によって「セザンヌ、ルノワール、マネを始め~」なんて印象派メインみたいな売り出し方をされておりますけれども、印象派の作品は展示のほんの一部でございます。ざまあみろ。いやいや。
上記のビッグネームの他、モリゾ、シスレー(シスレーの静物画なんて初めて見ました)、それに印象派周辺の画家としてファンタン=ラトゥールやクールベさんの作品も来ております。


花瓶のバラ 1872年

年明けからファンタン=ラトゥールの静物画を見られるなんて、まったく幸せなことでございました。この人の作品は素晴らしい技術や色彩センスを誇りながらも、どうだどうだと見せつけるような所がなくて、ほんとにいいですね。静謐さとみずみずしさが同居する画面からは、描かれている花や果物の香りがふわりとこちらに漂って来そうでございます。印象派の大御所たちほど知名度がございませんので、展覧会の広報に名前が出て来る機会は少ないのですが、モネルノワール大フィーチャー!な展覧会などで思いがけず出会うと、本当にしみじみといたしますよ。

予想外に長くなりましたので、次回に続きます。
今年はブログに割く時間をもっと短くしようと思ったのになあ。

『イケムラレイコ展』

2011-12-30 | 展覧会
冬休みにはベン・シャーン展を観に神奈川まで行ってやろうと意気込んでおりました。
が、来年2月には名古屋市美術館に巡回して来るとを知ってあっさり取りやめ、まあその代わりというわけでもないのですが、三重で開催中のイケムラレイコ展に行ってまいりました。
三重県立美術館/イケムラレイコ うつりゆくもの 2011.11.8-2012.1.22

図書館で借りたカレル・チャペックの『山椒魚戦争』を片手に、例によって青春18きっぷでごとごとと、京都よりも暖かいといいなあと期待しつつ。
米原行き快速の途中で草津線に乗り換え、柘植(つげ)→亀山と進んで行きますと、車窓の風景がずんずんとのどかになってまいります。両側に針葉樹の山が迫る谷あい、映画のワンシーンにもってこいの風情のあるトンネル、風が吹いたら車両がころんと転がり落ちそうな吹きさらしの線路。ワンマン単車両運行で、運転士さんの指差し・声出し確認の声も間近に聞こえます。
意外なほどこぢんまりとした津駅を出て西側の坂をてくてくと上って行くと、看板どおり10分で美術館に着きました。

展覧会情報サイトで名前を見たときはフーン誰だったかいのう、としか思わなかった、イケムラレイコというアーティスト。『芸術新潮』12月号で展覧会場の写真を見て、はたと思い当たりました。ああ、これは「ドローレス」を造った人にちがいない。
5年ほど前になりましょうか、ワタクシがかの心地のいい豊田市美術館を初めて訪ねた時、白い明るい階段の下にたたずんでいた女の子が「ドローレス」でございます。台座も含めてせいぜい高さ140cmほどの異形の少女像、そのわびしいたたずまいは強烈に心を惹き付けるものがあり、作り手の氏名はさておき作品の像/イメージはしかと記憶に刻まれたのでございました。
今はなきサントリーミュージアム天保山での『レゾナンス 共鳴』展でも絵画作品を見ていたことが後で判明したのですが、この時の作品はそれほど心に響くものではありませんでした。

さて美術館にたどり着き、変な導線にとまどいつつも第一室へ。
主にドローイング作品が展示されております。ぶっきらぼうながらもどこかユーモラスな線画の数々、シンプルなものほど魅力的でございました。マチスピカソを引き合いに出すまでもなく、うまい人は一本の線をひいてもうまいもので、シンプルな画面ほど、そうした基本的な技術の高さや造形センスをよく味わえます。
Leiko Ikemura - Past Auction Results

透明感溢れる色彩が美しい風景画(というよりほとんど抽象画)の第二室を抜けると、一転してブロンズやテラコッタの作品が登場いたします。「うさぎ寺」「キャベツ頭」などタイトルはそらっとぼけているものの、台座の上に鎮座しているのは、目鼻立ちのハッキリしない、人とも動物とも、あるいは植物ともつかない異形の者たちでございます。またその形体がいたって有機的であるだけに、ふと動き出しはしまいか、口をききはしまいかと思わしめる奇妙な存在感があり、いずれも可愛らしさとほんの少しの不気味さが共存しております。

目鼻立ちがハッキリしないといっても、例えばブランクーシの新生児眠れるミューズを見てもちっとも不気味とは感じません。それはブランクーシの造形が、それ自体できっぱりと動かしがたく、美的に完結しており、それによって一種の安心感・安定感がかもし出されているから、また鑑賞者である「有機体としてのワタクシたち」のありようと、この上なく研ぎすまされ美的に完結した作品との間に、はっきりとした隔絶があるからではないでしょうか。
それに対してイケムラ氏の立体作品には、完成しているといえば完成している、しかし欠けているといえば欠けている、「ここで完成、でもまだ途中」という何とも奇妙な印象を受けます。そのありようは、時の流れの中で常に変化のただ中にありつつも、今というこの瞬間においてはこの上なく完成されている存在(最善説ではなく、単に「今」が時間軸における突端であるという意味で)であるワタクシたちのありように、ことさら似ております。そのありようの共通性が、鑑賞者に思いがけず鏡を突きつける格好となり、見る者の心をざわつかしめるのではないかと。

てなことを考えつつ次の展示室に入ると、幻想的な色調の油彩画にかこまれて「ドローレス」がたたずんでおりました。

artnet Galleries: Dolores (Einbeinige) by Leiko Ikemura from Galerie Karsten Greve, Cologne

dolore(s)とは一般的な女性の名前である一方、スペイン語で痛み、苦しみ、哀しみを意味する名詞(英単語で相当するのはpain)なのだそうで。↑のサイトではドイツ語の「Einbeinige 一本足」というタイトルになっておりますが。
うつむいた顔、奇妙なヘアスタイル、棒ぐいのような手に、長く垂れたしっぽ。末端のかたちの不鮮明さゆえ、このブロンズの女の子は未完成のまま打ち捨てられたようにも、あるいは長い間地中に埋もれていたために欠けてしまった古代の遺物のようにも見えます。極端に短い両腕を顔の前に持って来て、片手を強く右目(とおぼしき場所)に押し当て、というよりも、めり込ませております。
手首から先を切り落とされたかのような短い腕と、言いがたい哀しみに耐えているようなそのポーズは、グリム童話の中でもワタクシがとりわけ好きな『手のない娘』を連想させます。うかつにも悪魔と取引した父親によって両手を切り落とされた娘は「すりこぎのようになった両腕を目に押し当てて一晩中泣いた」のち、これから先は苦労はさせないから、と引き止める両親を退け、自ら進んで家を出て行くのでございました。
「ドローレス」と「手なし娘」の間に関係があるかどうかはさておき、そのよるべなさ、いたましさ、「世界中から見放された」かのような孤独感と、それでもくずおれることなく、また泣き叫ぶこともなくじっと耐えている内省的なたたずまいは、「手なし娘」さながらの哀しみの強度を持って迫ってまいりまして、何かこう、見ていてたまらないような心地がするのでございました。

山水画風の作品や海を連想させる油彩画を経て、最後の展示室には「ドローレス」と同様に腕の短く頭の大きい、5体の少女像が展示されておりました。しかし彼女たちには「ドローレス」のような沈痛さはなく、夢見るように身を横たえ、うつろなスカートに風をはらませてどこかへ飛んで行く途中、あるいは流れて行く途中の姿ように見えました。その中で唯一身を起こしている像には頭部がなく、何かで満たされるのを待っているかのように、中は空洞でございました。
完成しているけれども完成していない、常にうつろい変わって行く存在を表現するアーティストのひとつの到達点とも見えます。しかしこの到達点も単に時の突端である「今」という場所で見るからそう呼びうるだけであって、イケムラ氏の表現世界はここからなおうつろい、展開して行かれることでしょうし、そう期待しております。

とまあそんなわけで
期待したほど暖かくはなかった三重で、期待した以上に充実した年末の一日を過ごし、オカシイコワイ『山椒魚戦争』を引き続きひもときつつ帰路についたのでございました。
18きっぷでは年内に滋賀県立陶芸美術館へも行ってやろうと画策しておりましたが、寒いわしんどいわで結局とりやめ、年末はおうちでゆっくり過ごすことにしました。
歳をとってますます出不精になりつつあるなあ。

『夢二とともに』展

2011-12-17 | 展覧会
選挙やらヘルペスやらドライアイやら寒さやらルパンやら世の中で起きているもろもろのことやらで気力がすかり萎えきっているうちに師走も半ばとなってしまいました。
王国をやるから馬をくれと言ったのはリチャード三世。
王国も馬もいらないからやる気をくださいと言うのはのろ。
ちなみに馬と王国とどっちかくれるんなら馬がいいですね。
もれなくセシルとウォルシンガムがついてくるんなら王国もらってあげてもいいけど。

それはさておき
京都国立近代美術館で開催中の川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともにへ行ってまいりました。

竹久夢二がそんなに好きではないのろではございます。
それはひとえにあの、のっぺりとした瓜実顔に下まつ毛、眉間の広い下がり眉に厚めのおちょぼ口、そして猫背になで肩で「なよなよ」を絵に描いたようなポーズの、いわゆる夢二風美人と呼ばれる人物像にワタクシが魅力を感じないからというだけであって、つまりは単に好みの問題でございます。
まあ、のろごときが好こうと好くまいと、竹久夢二が稀代のデザイナーであることには変わりがございません。本展には冊子の表紙を飾るイラストから油彩画、夢二デザインの装丁や千代紙、はてはうちわに風呂敷まで、個人でよくぞこれだけ集めたものだと感心するばかりのものものが並んでおりました。
上記の理由もあって、ワタクシ絵画作品にはそれほど心惹かれませんでしたが、装丁やイラストに見られる配色、モチーフのデザイン的処理、空間の取り方など、それはもうみごとでございまして、つくづくと見入ってしまいました。

また夢二以外の同時代の作家による作品も多く展示されており、川西氏の確かな審美眼とコレクター魂とを伺わせます。安井曾太郎の版画なんてワタクシ初めて見ました。
川上澄生、山本鼎が見られたのも嬉しいことでございましたが、中でも圧巻の素晴らしさであったのが芹沢銈介の手によるカレンダー(1946年)でございます。
こちら↓の29番をクリックすると全月の絵柄を見ることができます。
芹沢けい介美術工芸館

隅々まで気の入った装飾性と手仕事の温かみ、月を示す漢数字が周囲の装飾の中に組み込まれているという洒落っ気、芹沢独特の鮮やかでありながらも落ちついた色彩。日付を表すアラビア数字のタイポグラフィもいちいち素晴らしい。デザインに重きを置きすぎて見にくいカレンダーというのはままございますけれども、こんなにも装飾に埋めつくされておりながらなお、たいへん見やすく、目に心地よく、じっくり鑑賞するのにも耐える、それどころかいつまで見ていても見飽きないカレンダーというのはすごいではございませんか。生活とともにある美、という民藝運動の理念の、最も美しい結実を見るようでございました。

本展は川西コレクション”収蔵記念展”ということですから、今回展示された品々は今後も常設展示室の方でお目にかかる機会がありましょう。ありがたいことでございます。
京都近美は本展終了後、来年4月まで改修工事のため休館するとのこと。この次に足を運ぶ時には見慣れた常設展示室も様変わりしているかもしれません。


ああ、たったこれだけのことを書くのに何だってこんなにかかるかな。
気力はないし能力もないしこんなのが王国なんかもらってどうするのかって。
有能な家臣たちに政治を任せて自分は趣味に明け暮れるに決まってるじゃないですか。
国庫をすっからかんにしたすえに徽宗さんかルートヴィヒ2世みたいな末路を辿ること必至ですな。
やっぱり馬がいいや。

『榎忠展 美術館を野生化する』

2011-11-10 | 展覧会
兵庫県立美術館で開催中の榎忠展 美術館を野生化するへ行ってまいりました。

会場内は撮影自由だったのだそうで。あとになって知りました。
習慣でメモ帳以外の荷物を全てロッカーに預けてしまっておりましたので、当のろやでは残念ながら場内の様子はご紹介できません。まあこちら様をはじめ写真レポをしておられるブログさんが色々ございますからあえてここで画像を出す必要もあるまいというのは負け惜しみでございます。

さておき。
榎忠氏回顧展といえば2006年キリンプラザ大阪での『その男・榎忠』が思い出されます。
今はなきキリンプラザの3フロアに渡る会場に展示された平面や立体の作品、また当時の新聞記事や映像資料などによって、過激にしてユニークな榎忠氏の足跡が丁寧に紹介されており、非常に充実した内容の展覧会でございました。この展覧会によって、その2年前に京都近美で開催された『痕跡』展で氏の半刈り姿を目にして以来、ワタクシが氏に対して漠然と抱いてきた尊敬の念は決定的なものとなったのでございます。

今回の回顧展はと申しますと、『薬莢』や『ギロチンシャー』など、展示スペースを贅沢に使ったインスタレーションは大変見ごたえがあり、キリンプラザでのお披露目以降にさらなる増殖を遂げたらしいRPM-1200と再会できたことも感慨深いものがございました。

ただ、本展についてはひとつだけ不満な点がございます。キリンプラザと同じような展示をしてもしょうがないという理由からかもしれませんが、形として残っていない過去の作品については、紹介があっさりとしすぎであるという点でございます。
「最大規模の回顧展」と称する展覧会ですのに、ダイオキシン問題を作品化した『2・3・7・8・TCDD・PROPAGATION』』や、ひたすら巨大な穴(というか地下空間)を掘るプロジェクト『地球の皮膚(かわ)を剥ぐ』、総重量25トンにおよぶ廃材彫刻『スペース・ロブスターP-81』(いずれも展示終了後は解体又は埋め戻したため、現存しない)、そしてかの『BAR ROSE CHU』などの素晴らしい作品やパフォーマンスについて、きちんと解説のついた展示が無いというのはいかにも残念なことではございませんか。
『BAR ROSE CHU』についてはキリンプラザでも上映されていたビデオが一応本展でも見られますけれども、その他のドキュメンタリーや記録映像もひっくるめて、たったひとつの再生機器で繋げて流すというのは、あんまりいいやり方とは思えません。通りすがりにローズチュウの部分だけを目にしたおばちゃんなんか「うわ、こんな格好してはる人なん...」と素で誤解しておりましたよ。いや、そんな格好してはりますよ、してはりますけどね。
また上映機器の設置場所が会場内ではなく休憩スペースを兼ねた通路という場所なので、授業で連れられて来ただけの中学生どもが遠慮なくぎゃあぎゃあ騒ぎながら前を横切って行くではございませんか。これには閉口いたしました。

と文句を垂れるのはこのくらいにして。

榎忠氏の作品を言語化するのはとても難しくて、作品を目の当たりにすると脳みその言語野が「うをー...」と声を発したきり黙り込んでしまうのでございました。そもそも言葉では用が足らない所を作品化なさるんでしょうから、当たり前とも申せましょうけれども。

無理な所を無理矢理ながら言葉で表現してみるならば、氏の作品やその記録を前にしてしばしば感じることは、ほとんど冗談のような生真面目さ、そして「積み上げ感」でございます。しかも、同じ形では再構成されることのない、つかの間で一回限りの積み上げ。
積み上げ、と申しますのは単に「もの」の積み重ねというのみならず、作品化された「もの」に加えられた(時には膨大な)エネルギーの積み重ねであり、その「もの」が経て来た時間の積み重ねであり、当然ながら作者であるエノチュウ氏の時間と労力との積み重ねでもあります。
目の前に展示されたひとつの「もの」、空間、あるいは画像の背後に、目には見えねど累々と、緻密にあるいは大胆に、積み上げられた諸々こそ、いわばそれらの表層としてつかの間だけ存在する個々の作品に、あのように圧倒的な存在感を与えているのではないかと。

こうすると、こうなる。
こうすると、こうなる。
こうすると、こうなる。

そのあくまでも物質的な原因→結果の積み重ねと、「いや、普通そこまでしない」とつっこみたくなるような労力。その集積が作品としてドンと目の前に置かれ、あとは鑑賞者におまかせ。そこにおいては善悪や有用性、恒久性といった日常的なものさしは粉々に砕かれ、ただただ「もの」と「私」とが対峙する世界が立ち現れます。時にはその「もの」がアーティスト本人であったりするのがまた面白い所で。

切断された鉄材の、クリームのように滑らかな断面。
ひしゃげ、つぶれ、破裂して転がる、膨大な数の薬莢。
約4年かけて左右を入れ替えたという半刈り姿で、まっすぐにこちらを見つめる氏のポートレート。
これらはみな、私たちが日頃「まあまあこの程度であるはず」と何となく見切って過ごしている現実に対して「いやいやそんなものじゃないよ」と、日常と地続きな異世界をつきつけて来る不敵な「もの」たちでございます。
その表層の有無を言わさぬインパクトに浴したのち、作品が含む社会的・個人的意味についてじっくり考えるもよし、「今日はなんかエライもの見てしまった。以上」で日記を締めくくるもよし、アート好きもそうでもない人も、まずはお運びになって、氏の力強くもユニークな作品世界を体感してみていただきたいと思います次第。




『ジパング展』

2011-10-03 | 展覧会
忙しいのが一段落したので、高島屋で開催中の『ジパング展』へ行ってまいりました。

ZIPANGU / ジパング展 official website

玉石混合の感はございましたが、思ったよりも楽しめました。
思ったよりも、とは、そもそもの期待があまり高くなかったからということもございます。東京ではたいそう好評を博したというこの展覧会に、何故期待度低めで臨んだかと申しますと、本展公式サイトのトップページに表示される幾つかの作品を見た時、ああなるほど、いかにも「日本の現代美術」っぽいや、と何だかしらけた気分になってしまったからでございます。

と申しますのも-----ワタクシはその道の専門家でも何でもない一介の美術好きですから、単なる印象で申すのですが-----、ひとり奈良美智や村上隆のみならず、日本の若手アーティストの作品には、インスタレーションはまあ別として、「古典のパロディ」「アニメ・漫画的造形」「キモかわ、コワかわ、グロかわ」、そしてモチーフとしての「少女」の氾濫傾向があるように思われるわけでございます。そしてワタクシの目にはこうした傾向があまりよいものとしては映らず、かつ本展公式サイトのトップに現れる作品というのが、まさにそうした流れの真ん中を行くものと見えたからでございます。
上記の傾向を全否定するつもりはございませんが、もはや石を投げればキモかわに当たり犬が歩けば少女につまづくとでも申しましょうか、とにかく「またこれか」感が否めない所まで来ているというのが率直な印象でございます。

本展に足を運んでよかったことは、そうした傾向の中にあってもなおパンチ力のある作品が生み出される余地はあると分かった点でございました。
してみると上に挙げたような傾向そのものよりも、その安易な適用ぶりこそが嫌なのかもしれないなあとも思った次第。

『モホイ=ナジ/イン・モーション』2

2011-08-01 | 展覧会
7/27の続きでございます。

ブダペストからベルリンに出てきて抽象表現に目覚めたのか、あるいは抽象に目覚めたからベルリンに出て来たのか、「ベルリン ダダから構成主義へ」と題された第2セクションでは肖像画や風景画は影をひそめ、というか全く跡形もなくなりまして、ひたすら平面構成の世界が展開しております。
四角や三角や直線や半円が交錯し合うほとんどモノクロームの画面は一見単純なようでいて、いとも絶妙なバランスの上に構築されており、またひとつの形と別の形の重なり、そこから生まれる新たな形、さらにはそのずらしと反復によって、見れば見るほど奥深い構成が立ち現れてまいります。



うーむ、たまりませんね。

ここまで見ますと、この後はバリバリ抽象表現な方向に進むんかな、という感じがいたしますが、これまた全然そうはならないんだから読めない人でございます。

写真、そして映画という新しい表現メディアに注目したモホイ=ナジ、1923年からバウハウスで教鞭を取り、写真を使ったさまざまな表現手法の授業を基礎カリキュラムに組み入れるかたわら、自身の作品にも写真を積極的に取り入れます。

写真術そのものが発明されたのは19世紀初頭のことですが、19世紀末ごろからカメラの小型化や機材の改良、規格化、低価格化などによって普及が進み、それに伴って20世紀初頭には単なる記録媒体あるいは絵画の代わりという以上の、写真独自の表現可能性が追求されるようになりました。

このころ制作されたフォトプラスチック(フォトモンタージュ)の作品、これがまたよろしくて。
「運動するとお腹がすく」だの「どのようにして私は若く美しいままでいられるか?」だの、ちょとふざけたタイトルも楽しいのですが、「軍国主義」のように重いテーマを扱った作品でもとにかくシャープで洒脱、かつ軽やかな画面でございます。

四角や円や直線が主役だったベルリン時代と異なり、ここでは人物写真がメインに使われておりますが、幾何学的な形を扱ったのと同様に、ひとつの同じ形-----同じポーズの人物像-----を重ねたり、階調を変えたり、ずらしつつ反復したりすることでリズムとバランスを生み出しているのが興味深い。
幾何学的形状とのおつきあいで培った構成理論を、人物と具象的なテーマに対して応用したという所でございましょうか。

応用の幅は書籍デザインにも及んでおり、同セクションではモホイ=ナジが装丁したバウハウス叢書も全巻展示されております。これがまたカッコイイのですな。この叢書を全部所蔵しておきながら、一冊残らず表紙カバーをひっぺがして捨ててしまっているバカヤローな大学図書館もございますけれどもまあどことは申しますまい。

後半の風景写真などを見ても思う所でございますが、この人においては文字も人体も幾何学的形体も、風景も建築もまた光線そのものも、世界のあらゆるものが構成のためのパーツであり、視覚の実験室における素材であったのでございましょう。

振り返れば、写真、映画、平面構成、立体、舞台芸術、装丁、タイポグラフィ、著述に教育と、51年の人生においてよくこれだけのことを、しかも器用貧乏に陥ることなくできたものだと感歎いたします。
モホイ=ナジの細君によると彼は「教育に携わるために芸術家としてのキャリアを犠牲にした」とのことで、確かにクレーやグロピウスと比べるとモホイ=ナジという名前はマイナーでございます。それだけに、芸術家としての彼の仕事をまとめて見られるの本展の開催はたいへん幸いなことでございました。
デザインに興味のあるかたならまず行って損はない展覧会でございます。ワタクシは幸いなことにこの間招待券をいただきましたので、展示替え後にもう一度行こうと思っております。

それにしても今年はクレー、カンディンスキー、そしてモホイ=ナジと、バウハウスに関係した人物の展覧会が何となく続いておりますね。この流れで来年あたりオスカー・シュレンマー展などやっていただけたらワタクシとしてはとっても嬉しいのですが。



『モホイ=ナジ/イン・モーション』1

2011-07-27 | 展覧会
いや~ブログやツイッターの監視を称して「不正確情報対応」って、オーウェル作『1984年』ですか?「暫定許容量」いつまで暫定なのかなあだの「風評被害」なんて便利な言葉だの「高経年化原発」要するに老朽化原発だの、”ニュースピーク”かと見まごう用語をこの所よく見かけますね~あっはっは~。


さておき

京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyotoで開催中の『モホイ=ナジ/イン・モーション 視覚の実験室』へ行ってまいりました。

秀逸デザインなチラシ



トリミング前の写真はこちら
これもカッコイイ。この空間の取り方ったら。

ときにワタクシこの人は「モホリ=ナギ」だとずーっと思ってたんですが、モホイナジの方が正しい読みなんでしょうか。しかしwikipediaにはこれは誤読だと書いてあるし、ううむどうなんだ。

ハンガリーに生まれ、ベルリン、デッサウ、ロンドン等での活動を経てシカゴに客死したモホイ=ナジ。本展は 時系列にセクション分けされておりますが、それがそのまま彼が拠点を置いた都市を辿る格好になっております。拠点が移ると作風もがらりと変わるのが面白い。
いや、作風が変わるという言い方は適切ではないかもしれません。もともとこの人は芸術家の個性を強く打ち出す「作風」というようなものを確立するつもりは毛頭なくて、ただひたすら、ものの見え方、現実の切り取り方、そしてその再構成の仕方を追求した研究者であったという感じがいたします。 
 
モホイ=ナジという移動する実験室が、そのときどきで出会ったものを捉えては作品化していった軌跡はいきおい非常に多彩・多方面であり、51歳の若さで亡くなっていなければ、その後どんな展開を見せていただろうかと、つくづく早世の惜しまれることでございました。

展示はごく若い頃に描かれたハガキ絵から始まります。
第一次世界大戦従軍中に、仲間の兵士の姿をスケッチしたもので、超絶うまいというわけではありませんが、なかなか味わい深いものでございます。「望遠鏡をのぞく兵士」など、兵士はざーっと慌ただしいタッチで描かれているのに対して望遠鏡の三脚は妙に丁寧に描かれておりまして、ちょっと微笑ましい。三脚は動かないから描きやすいということでもありましょうが、後年、写真や映画を始め機械的手段を活用した造形に力を入れたモホイ=ナジですから、早い時期からの機械への関心を示すものと言えるかもしれません。

輪郭線が強調された素描やキュビズム風ステンドグラスといった風情の油彩画もなかなかのものでございます。素描は肖像画が多く、どの顔もモデルの個性をよく捉えつつも、一様に強い眼差しと固く結んだ唇が印象的な絵となっております。

この初めのセクションだけ見ると、この人はこの後キルヒナーっぽいバリバリ表現主義な方向に進むんかな、と思われないでもない。ところが次のセクションに入りますとガラッと趣が変わりまして、そりゃもう素敵に無機質な抽象作品がずらりと壁に並びます。どこからか「バウハウスファンの皆様、お待たせいたしました!」という声が聞こえてきそうでございます。


次回に続きます。

『カンディンスキーと青騎士』

2011-06-02 | 展覧会
ほんと言うと、もうワタクシどもみんな駄目なんじゃないかしらと思ったりしているわけですが。

福島のメルトダウンが地下水に到達すれば、チェルノブイリより深刻: マスコミに載らない海外記事

筆舌に尽くしがたい体験をした、そして今もしている人々がすぐ近くにいて、恐ろしいことがここやあそこで今も進行中であるのを横目にのうのうと「日常」を送るワタクシのような者どもを、後世の歴史家たちは何と呼ぶのかしらん。哲学者たちは何と定義するのかしらん。文学者ならカミュの『ペスト』のような作品を記して、物語の背景をなす愚かな凡人たちとして描くのかしらん。それもこれも後世なるものがあればの話ですけれども。



さておき

カンディンスキーと青騎士展へ行ってまいりました。

兵庫県立美術館-「芸術の館」レンバッハハウス美術館所蔵 カンディンスキーと青騎士

カンディンスキーがカンディンスキーになるまでの足跡。
ワタクシの知る限りでは、彼の初期の作品をこれだけ集めた展覧会は、2002年に開催されたカンディンスキー展以来でございます。序盤に展示されている小さく写実的な風景画の数々や、ロシア的なモチーフを描いた作品などはカンディンスキーの名からはにわかに想像できないもので、こうしたものをまとめて見られる機会はなかなかないのではないかと。いずれもごくおとなしい印象の作品群ではありますが、これはこれでいいものでございます。


絵を描くガブリエーレ・ミュンター 1903 

またミュンヘン近郊の町ムルナウに滞在して、画家仲間たちと共に過ごしながら製作を始めた1908年以降は、同じ風景画でも現実にはありえない鮮烈な色彩が画面を覆うようになり、より鮮やかで自由な色彩によって抽象絵画誕生の土台が着々と築かれていることが見て取れます。いよいよ「抽象画家の祖カンディンスキー」になりつつあるという感じがするではございませんか。


ムルナウ ― グリュン小路 1909

抽象絵画が生まれそうで生まれない、そんなぎりぎりの所にある風景画の数々は、踏み越えようとしては逃げて行くその境界線と、それを追いかける画家との攻防の記録でございます。カンディンスキーが仲間と共に新たな表現を模索したムルナウ、その製作の場に満ちていた緊張感と実験精神は、今も絵の中に息づいているようでございます。

ひとりカンディンスキーのみならず彼の周辺に集まった画家仲間たちもまた、フォルムの単純化や自由な色彩によって、とりわけ印象派が追求した「自然の模写」としての絵画からの脱却を指向していたことは、その作品や言葉から伺われます。抽象絵画という美術史上の一大事件が、ひとりの天才からポンと生み出されたものではなかったこと、新しい絵画表現を志す画家たちが互いに刺激を与え合う中で、具象と抽象の間にある決定的な境界線を踏み越えたのがカンディンスキーであったのだということがしみじみ分かる展示でございました。

展示室の一番最後に掲げられているのは大作「コンポジションVII」のための習作。



習作といっても100×140cmという大きさの堂々とした作品でございます。田舎の風景を描いていた頃から思えば遠くへ来たもんだ、と心中つぶやきかけましたが、解説パネルを見ると製作は1913年つまり、具象と抽象の境界線を追いかけていた頃からたった5年しか経っていないことに気付いて驚きました。
短期間のうちにここまで来ることができたのも、自由な色彩とフォルムの追求という「青騎士」の理念に共鳴し、志を同じくする盟友たちがいたからこそでございましょう。

そんなカンディンスキーの盟友のひとりが36歳の若さで亡くなったフランツ・マルクでございます。


虎 1912

人間が失った純粋さを体現するものとして、動物をこよなく愛したマルク。自宅には鹿を飼い、動物園で一日中スケッチにいそしむことも稀ではなかったという彼が「動物を描く」という行為に込めた真摯な感情と理知的なアプローチには、キュビズムやフォーヴィズムといった”◯◯イズム”に収まらない独自性がございます。
モチーフが虎にせよ、鹿にせよ、牛にせよ、彼らの形態や動きを注意深く把握するそのまなざしは親密であり、その動物が担うイメージをも考慮した形態の単純化は対象への敬意に満ちております。一方、画面を縦横に走る豊かな色彩は独自の色彩理論にもとづくものであり、「青騎士」の理論的な側面を伺わせるものでもあります。この人がもっと長生きしていたら、あるいは友人のクレーやカンディンスキーと一緒にバウハウスで教鞭をとっていたかもしれません。また画家としてもどんな所まで到達していたであろうかと、ないものねだりなことを考えずにはいられません。
まったくの所、第一次世界大戦が美術界に与えた負のインパクトのうち最も大きなもののひとつが、画家として活動を始めてからわずか10年のマルクを、はかなくもヴェルダンの戦場で失ったことであろうとワタクシ思っております次第。

いまになって、僕は死を、にがい、愁いにみちた気持ちで眺めています。でも、それは決して死に対する不安からではありません。なぜって、死の憩い以上に人の心をやわらげてくれるものはないのですから......。僕が死をにがにがしく思うのは、未完成の作品を残してきたという痛恨の情からです。作品を完成させること-----これこそ僕が全存在をかけた生の意味だったのに......。僕の生きようとする意志は、まだ描かれていないタブローのなかにひそんでいるはずです。
死の3週間前に書かれたマルクから母への手紙(『夜の画家たち』坂崎乙郎 平凡社 2000)

マルクやアウグスト・マッケが戦死し、他のメンバーも戦火を被って散りぢりになって行ったことから「青騎士」の活動は短期間で終焉を迎えたわけですが、その短くも鮮烈な活動は美術史上に力強い足跡を残し、本展に見られる多彩な作品に結実しているのでございました。


『誕生!中国文明』展

2011-05-20 | 展覧会
琉球朝日放送 報道部 Qリポート 原発点検労働者の実態



それはさておき

奈良国立博物館で開催中の『誕生!中国文明』展にやっとこさ行ってまいりました。

トップ || 誕生!中国文明 特別展 The Birth of Chinese Civilization

いやあ、たいへん面白かった。期待以上に名品揃いでございました。
展示室に入るとすぐに、本展の目玉のひとつである夏時代の「動物紋装板」が迎えてくれます。かつては伝説扱いだった夏王朝、その遺物が「夏時代」のキャプションと共に堂々と展示されているのを見ますと、ここに至るまで研究・発掘の長い道のりを歩んできたであろう考古学者、歴史学者たちの情熱と努力を思わずにはいられません。

洛陽を擁する河南省を大フィーチャーした本展、古代の出土品が中心ではあるものの、唐宋時代のものもちらほら展示されております。また「古代」とひとくちに申しましても、2000年くらいのスパンがございます。同じ青銅器でも、時代が下るとセクシーな曲線を帯びてきたり、場所によっては非常に怪異な造形が見られたりと、ヴァリエーションはさまざまで、ひとつひとつが史的にも造形的にもたいへん興味深い。時代、用途、技法、それにモチーフも様々なものたちを一同に見ることができて大満足でございました。
また目玉品だけではなく全ての展示品に簡潔な解説文がつけられておりまして、照明もよく、会場の所々には解説ボランティアさんもいらっして(中国史の基本的な知識についていささか危うげな方もおいでではありましたが...)来場者に対してよく心配りをされた展覧会だったように思います。

中国美術といえば何と言っても高雅と洗練の北宋バンザイなワタクシではあり、本展にも青磁の素晴らしいのなどもございましたが、本展でとりわけ心に残ったのは洗練された美術品よりも、作られた当時の人々の生活や精神を伺わせる古代の出土品でございます。

例えば前漢の副葬品で、動物を解体する様子をかたどった陶製の小像がございます。サイズは20cm四方ぐらいで、まあいわばフィギュアというやつでございますね。蹄のある動物が仰向けで固定され、そこへ上半身は肌脱ぎ、下はカーゴパンツのようなものを履いた男性がかがみこんで、後ろ足の付け根あたりに顔を寄せております。キャプションによると「傷口から息を吹き込んで膨らませ、皮をはぎやすくしている」のだとか。
その足下には仕事をする主人を横目に、二匹の犬がくつろいでおります。尖り耳を後ろに倒した大きめの一匹は地面に伏せ、両前足で何かをしっかりと押さえて、頭を斜めにかたむけてそのご馳走にかじりついております。もう一匹の垂れ耳の子犬は首が痒いのか、横ざまに寝転びながら後足でうん、と空中を蹴りあげ、喉元を地面にこすりつけている所。
解体中の動物の、天に向かって野方図に伸ばされた四つ足と、大地にむかって神妙に垂れた仰向けの頭、男が片足を踏み出してかがみこみ、両手を添えてふうっと息をふきこむその姿勢、すっかりリラックスした様子でおこぼれにあずかる犬たち、そうした全ての造形が素朴ながらもアンリ・カルティエ=ブレッソンのスナップのように生き生きとしておりまして、この時代の中国に、庶民の様子をこんなにも瑞々しく表現した作品があったのかと驚くと共に、2千年余りも前に生きた無名氏(と、その犬)が妙に近しい存在に感じられたのでございました。

また生き生きしていると言えば、チラシやHPでも紹介されております楚の神獣像は強烈でございましたよ。セサミストリートのマペットのような顔をした、何だか分からない動物の頭や背に、これまた何だかわからない小さな生き物がわさわさ乗っかってうごめいております。背中の上で跳ねているやつはその口に龍?をくわえ、さらにその龍はウナギのように身をよじりながらでよーんと舌を出しており、さらには獣たちの顔は皆同じという果てしなく訳の分からない造形。力強く、呪術的な迫力に満ちる一方、四つ足を踏ん張った妙にお行儀のよいポーズや、顔の両脇の花や、笑っているような表情はちょっとユーモラスでございます。
こいつが柔らかなスポットライトの下に鎮座ましましておりますと、それはもう異様な存在感がございまして、しまいにはワタクシの方が見られているような心地になったのでございました。

とかく古代のものはロマンをかき立てますね。中に今も液体が入っているという商(殷)の蓋つき壺なんてもうそれだけでワクワクしますし、後漢時代にローマから伝わったガラス瓶は、その来歴だけでもう、ははーっと拝みたくなります。そうでなくとも玉虫色に輝く手の平サイズの小瓶はたまらなく美しかったのですが。

文字が刻まれた骨や金属器と宋代の石碑が一同に展示されたセクションでは、漢字がまだ若かった頃と成熟したのちの、しかも非常に洗練された姿とを見ることができます。
より象形文字だった頃の漢字を記したのは、3千年余りも前の世に生き、今では名を知る者とてない卜者か文官。一方、成熟した方を書いたのは、ずっと下って北宋の超有名人、司馬光でございます。下調べをほとんどせずに行ったので、こんな大物にお目にかかろうとは想像だにしておりませんでした。

奈良国博サイトの画像では石碑の全体を収めたために、刻まれた文字そのものが小さすぎて見えません(←画像を出す意味が皆無)けれども、九州国博の方では部分を拡大したものが見られます。
↓下から2番目。クリックしてください。二行目の「書司馬光」の文字もはっきり確認できます。

誕生!中国文明~九州国立博物館~

おおこれが『資治通鑑』を記した司馬温公の筆か、と思うと感慨ひとしお。一文字ごとにきっちり、きっちり、折り目正しく書かれた文字たちはそのままパソコンのフォントにできそうな、非の打ち所のない整いよう。解説パネルの言葉を借りるならば「端正で力強い隷書体の文字から司馬光の硬骨な人柄がしのばれる」という所でございます。
まあ硬骨と言えばそれはその通りなんですけれども、この人が頑ななまでに士大夫(既得権益)に利する旧法を擁護して、せっかく軌道に乗りはじめた新法(貧困層救済&経済立て直し策)をことごとく廃止するようなことをしていなければ、北宋の滅亡ももう少し先のことになっていたんじゃないかと...いや、どっちみち徽宗さんがあるだけ趣味につぎ込んだ上に蔡京に政治丸投げしてアウトか。そおですよね。

ともあれ。
あの青銅器やこの画像石やかの宝飾品について、それがどんなに素晴らしかったかを並べ立てたいのは山々ではございますが、もはや会期も末となってしまったことですし、くだくだ述べることはいたしますまい。あと9日を残すのみとなってしまいましたけれども、お時間のある方にはぜひともお運びんなることをお勧めします。

残念だったのは、来場者の中にほとんど若い人を見かけなかったこと。東京九州に比べて、奈良国博のチラシは仏像が前面に押し出された、かなりおとなしめの(あんまり面白くない)ものではございましたので、あまり若者にアピールする所がなかったのかもしれません。そう解釈しよう。



『パウル・クレー展』

2011-05-15 | 展覧会
当地では本日にて会期終了となってしまいましたが、せっかくなので『パウル・クレー展』の鑑賞レポをちょとだけ。何事もなければ、月末には東京に巡回します。
何事もなければ。なんて言っていられる事態ではないような気もしますけどね、もう今の時点で。

パウル・クレー展 おわらないアトリエ PAUL KLEE:Art in The Making 1883-1940

「おわらないアトリエ」のサブタイトルどおり、アトリエにおける画家のたゆまぬ試行錯誤の跡をたどる、ユニークにして意義深い展覧会でございました。
完成作品として世に出ているものだけでなく、それに先立つ素描や小品も並べられていたり、ある作品の構想段階の姿と、それを大胆にトリミングまたは分割した完成品とが一緒に展示されていたりと、完成作品を見ただけでは伺い知れない製作過程にスポットライトを当てているのが本展の何よりの目玉でございましょう。それによって、クレーがイメージを純化させ、あるいは展開し、時には別の主題へと転用していくさまや、その際の指向性------具体的・説明的になりすぎるのを避け、ひとつのモチーフに集中する傾向-----を見てとることができまして、たいへん勉強になりました。

もちろん勉強になるだけでなく、感覚的にも心地よい展覧会でありました。そこはクレーでございます。味わい深い素描に、絵の中から染み出るような色彩、一行詩のようなタイトル、イノセンス漂う綱渡り師や人形たち。

また会場内では「油彩転写」というクレー独自の製作手法を再現した映像が流れておりました。素描の線に現れた即興性をなるべく損なわないようにするためか、素描を参照しながら本作品を仕上げるのではなく、ほぼ同じサイズの他の紙に転写して、そのおおむね素描そのままの線の上に彩色して仕上げるという描き方でございまして、再現映像を見るとあの独特のけば立った線や、画面の所々に見られる黒いかすれがどのように生み出されたのかがよく分かります。

展示作品数が約170点と多く、またひとつひとつじっくり鑑賞するのが相応しい作品ばかりでございましたので、例によって閉館時間まぎわまで居座ったすえ、ショップで慌ただしくクリアファイルと文庫本カバーを購入して家路についたのでございました。



ああ、変な写真になった。photoshopでいじってみても駄目でした。やっぱり自然光じゃないとうまく撮れないや。




モランディ展

2011-05-08 | 展覧会
今さらですが、モランディ展は結局全国的に中止になってしまったようですね。
それどころじゃない事態であるとはいえ、モランディファンの一人としては本当に残念です。
せめてもの慰めに職場PCの背景をモランディ作品のスライドショーにしてみたりして。

博物館・美術館・イベント情報サイト|インターネットミュージアム モランディ展 鳥取でも6月開催断念

ヨーロッパの中では地震の多い国であるイタリアは、87年に国民投票によって脱原発を選択した国でもあります。「資源に乏しいからって活断層の上に原発ぶっ建てる国なんかにモランディを貸せるか」と言われれば「そうですよね」とうなだれるしかないのが我々でございます。

今貸してもらえないとすると、将来に渡っても貸出ししてもらえる可能性は低いかもしれません。地震はいつでも起こり得ますし、原発は依然としてあっちこっちにあって、すぐにはなくなりそうにない(なくす方向にすら進んでいない)のですから。
残念です、本当に。

『山荘美学 日高理恵子とさわひらき』展

2011-03-01 | 展覧会
というわけで

快適ブレーキが復活した自転車を駆って大山崎山荘美術館で開催中の山荘美学:日高理恵子とさわひらきへ行ってまいりました。
ここ数日の暖かさに正しく反応したものと見え、道中あちこちで梅の花がほころんでおりました。梅には鶯というわけで、まだへたっぴいながらも ホー ケキョ の声も耳にしましたですよ。

さわひらき氏と日高理恵子氏、日常的な事物に表現の足場を置きながらもまったく異なる方向性を持った現代芸術家でございます。
台所やバスルームといった日常生活の場から発して、ノスタルジックで幻想的な世界へと見る者をいざなうさわ氏。
下から見上げた木の枝ぶりという、これまたごく日常的な風景の中にある硬質な美をモノクロームで描き出す日高氏。

前者の作品は、もともと実業家加賀正太郎氏の山荘として使われて、まさに生活空間でもあった本館に展示されております。窓際にひっそりと立てられた本のような液晶パネルや、古い木製の小箱の中、あるいは暖炉の上の壁面といった、ふとした場所に展開する繊細な映像作品は、大正~昭和初期に立てられたこの建物に違和感なく溶け込んでおります。その展示空間との相乗効果によって、時間と空間の尺度をあいまいにさせるような作品の不思議な魅力がいっそう高められております。

氏の作品とは、今は無きサントリーミュージアム天保山で開催された『インシデンタル・アフェアーズ』でお目にかかって以来でございました。今回展示されていた8作品もまた、いずれも詩的で繊細、かつそこはかとないユーモアが漂い、たいへんよろしうございます。

『インシデンタル・アフェアーズ』2 - のろや

とりわけのろごのみだったのは「spotter」という8分弱の作品でございます。
家の中をゆっくりと飛びかう、たくさんの小さな飛行機たち。それをバスタブのへりや洗濯機の上や植木鉢の側に寄り集まって、双眼鏡で喜々として追いかける”spotter-飛行機見物好き”たち(ほとんどがいいトシのおっさん)。廊下や台所といった背景の生活感、部屋の中で離発着するちっちゃなジャンボジェット機というメルヘンなモチーフ、そしてspotterという何とも少年じみたおっさんたちの存在が相まって、何とも微笑ましい映像でございました。
↓の作品の発展形とも申せましょう。

dwelling


また本館ではさわ氏の映像作品の合間に、収蔵品のバナード・リーチや河井寛次郎やルーシー・リーの作品も展示されております。彼らもまた、アプローチの方向は違っているものの、「日常」と「美」との接点を模索した芸術家でございます。皿や花瓶といった実用的な焼き物と映像作品とが同じ空間に展示され、お互いに当たり前のような顔で調和しているというのも、「もと生活空間」たるこの美術館ならではのことではないかと。

一方、ご存知打ちっぱなしコンクリート安藤氏設計の新館に展示されている日高理恵子氏の作品は、白い画面の上に黒々と鋭く禁欲的な線を張り巡らせ、厳しさをたたえながらも、厳しさに圧倒されるというよりは、むしろ近よって行ってその前に佇みたくなる、巨木のようなたたずまいを持っておりました。

というわけで
美術館を後にしたのろも、ふと上を見上げて日常的な事物の持つ美に目を凝らしてみましたですよ。



意外とバラエティに富んでおりますね。


『ウフィツィ美術館 自画像コレクション』展2

2011-02-06 | 展覧会
1/31の続きでございます。

レンブラントと同じ並びに展示されておりますのが、オランダの巨匠と同時代を生きたイタリアの彫刻家、ベルニーニの自画像。
そう、アポロンとダフネやら聖テレサの法悦のベルニーニでございます。



ある物語の中の最も劇的な瞬間を恐るべき技術と表現力で石に刻み付け、そこに至るまでの動きとその後に続く動きをも含む、まさに今にも動き出しそうな彫刻を生み出したベルニーニ。今にも動き出しそうな柱というのは正直どうかと思いますが、その腕前は絵画においても存分に発揮されたようでございます。
乱れぎみの髪に少し開いた口もとは、鏡に向かってポーズをとって描かれた自画像というよりも、呼びかけに応じてふと顔を上げた瞬間のスナップ写真のようでございます。作業の途中で何か呼びかけられたベルニーニ、この一瞬間ののち、こちらに向かって右手を振り出しながらひと言ふた言返答して、再び視線を手元に落として仕事にとりかかる、そんな姿が容易に想像できる、と申しますか、そうした前後の動きさえも描き込まれているような気がいたしますよ。

レンブラントもベルニーニも17世紀の人でございまして、暗い背景に重厚な写実という点で共通しております。時代を下ってまいりますと、だんだん描法や様式や場面設定も変化し、芸術家の個性がより強く打ち出された作品が多くなってまいります。
なめらかスーパーリアルなアングルや独特な色使いのドニといった巨匠がいならぶ中、ワタクシにとりわけ印象深かったのは1920年に描かれた、未来派の画家ルイージ・ルッソロ35歳の自画像でございました。



全体的にくすんだ暖色を用いつつも非常に引き締まった作品でございます。
背景の黄色い色面に対応して極端な角度で落ち込む肩のラインや、やや誇張された逆三角形の頭部に、未来派印のシャープな造形センスが伺われます。右側の空間の取りようも実に結構でございますね。
背景の黄色い三角形は向かって左側の辺が外側にゆるく湾曲して、画家の耳と後頭部をなぞったのちに上着の襟のラインへと自然に繋がっております。三角形という幾何学的な形と半ば融合した格好の画家は、眉間にぐぐっと皺のよった厳しい目つきで、鑑賞者と視線を合わせることなく斜め下方を見やっており、その点でも自画像としては異彩を放っておりました。
顔の描写がいたって写実的であるのに対して、顔の横にぶら下がるように描かれたシルエットは漫画的なほどに様式化されており、人を食ったような印象を受けます。そういえば暗く影になっている口元も、ニヤリと笑っているように見えなくもない。色々な点で何とも鋭角的な作品ではございませんか。
ワタクシ未来派がたいして好きでもなく、したがってルッソロにも興味がなかったのでございますが、このとんがった自画像を見て少々認識を改めました。

さて20世紀も下ってまいりますと、いっそうユニークで型破りな作品が多くなってまいります。
「イメージとは何か」という真剣な問いかけのようでもあり、単にふざけているだけのようでもあるフォンタナ(額縁のように四角く囲った線の中央に「私はフォンタナio sono Fontana」と書いてあるだけ、しかも版画なので文字がひっくり返っている)や、鏡のように光沢のある素材を使って、鑑賞者の姿をも作品にとりこんでしまうものなどなど。

最後に展示されているのは草間彌生、横尾忠則、杉本博司の三氏。ワタクシ草間氏も横尾氏もいささか苦手でございますので、静謐でノスタルジックな杉本氏の作品があることにホッといたしました。
時系列に作品が並んで最後は現代美術で締めくくられるという構成の展覧会での常のごとく、今回も、ああ美術はいろいろあってこんな所までやって来たけれど、これからどこへ向かうのだろう、という期待とも不安ともつかぬ思いを抱いて展示室を後にしたのでございました。

さてウフィツィ展ということで、ミュージアムショップでは例によって美術とは全く関係のないイタリア土産なども売られておりました。普段なら素通りするところでございますが、年末年始に『魔の山』を読んでからちょっぴりイタリアづいているのろは缶入りキャンディなんぞを買ってしまいました。
スイスが舞台のドイツ文学を読んで何故イタリアづくのかということについてはまた別の機会に。



左にあるのはヨーゼフ・ボイス『帽子を被った自画像』のペーパーウエイト。白黒写真にササッとサインの入った作品はどうぞグッズにしてくれと言わんばかりのカッコよさで、実際ノートやらマグネットやら、いろんな商品に使われておりましたよ。

『ウフィツィ美術館 自画像コレクション』展1

2011-01-31 | 展覧会
もし超能力があったら何に使います?
ワタクシは冬の夜に首まで布団にくるまったままで蛍光灯の紐を引っぱることに使います。

それはさておき

国立国際美術館で開催中のウフィツィ美術館 自画像コレクション 巨匠たちの「秘めた素顔」1664-2010 へ行ってまいりました。

やっぱり同一のテーマの作品を集めた展覧会というのは、独特の面白さがございますね。しかも本展で見られる作品は全て自画像というやや特殊なジャンルのものでございます。画風や服装、背景から時代の変遷を見るもよし、表情やポーズや小道具から、画家が自分自身をどう見ているか/どう見られたいと思っているかを読み取るもよし、その絵を描いた時の画家の心境に思いを馳せるもよし。様々な角度から楽しめる展覧会でございます。

17世紀から現代まで約70点におよぶ展示作品は、年代順に並べられております。第一室でさっそくお目にかかれるのは、宗教画さえ思わせる荘重な精神性をたたえたレンブラント50歳代の自画像。



描かれたのは1655年頃とのこと。画家がユダヤ人街に住居兼アトリエを構えていたころでございますね。スピノザが異端のかどで破門されてユダヤ人街を出たのは1656年7月のことでございますから、かの「有徳の無神論者」もこの絵が描かれていた時にはレンブラントのご近所さんのいちユダヤ人青年で、まだ弟と一緒に家業の貿易商を切り盛りしていた時かもしれません。あるいは、レンブラントが鏡を見やりながら画布に筆を下ろしていたまさにその時に、近所のシナゴーグではあの恐ろしい破門状が読み上げられていたのかもしれません。おお、そう思うだけでも、何かこう、わくわくとするではございませんか。
ちなみに1655年当時のオランダ国内状勢についてはこちら↓を。(記事内のリンク先は残念ながらもう別なものになっております)
ルーヴル美術館展1 - のろや

もっとも作品そのものはのろの勝手なわくわく感とは全く関わりなく、むしろ重々しく沈鬱な雰囲気を漂わせております。それもそのはず、この自画像が描かれた頃のレンブラントは浪費癖や私生活のごたごたのすえ、破産と財産差し押さえを目前にしておりました。

絵の中のレンブラントは眉間に深い皺を刻み、皮肉な笑みを浮かべるように唇の端をひき結び、眼差しは暗くうち沈みながらもしっかりとこちらを見つめております。もはや老年にさしかかった巨匠の顔に浮かんだ複雑な表情を見ますと、かつて妻サスキアと自分自身をモデルに描いた居酒屋の放蕩息子20代の自画像の自信に満ちた明るさを思い起こし、30年あまりの間に画家が経験した諸々の苦渋を思わずにはいられないのでございました。

次回に続きます。