のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『印象派とモダンアート』2

2010-09-12 | 展覧会
あまりにもやる気がないのでごみ箱の内側をクレンザーでぴかぴかに磨き上げてみました。
こうしている間にもどんどん人生の残り時間は少なくなっていくわけでございます。

それはさておき
9/9の続きでございます。

4階に降りると20世紀の絵画における具象表現のセクションが始まります。具象絵画という大きな括りの中ではありますが、幻想的なルドンやシャガールから激しいタッチのキルヒナー、物憂くも華やかなキスリング にスーパーリアルのワイエスと、70年ほどの間に実に幅広い表現が試みられたということが一望できます。

嬉しいことには、モランディの作品が4点も展示されておりました。
モランディ美術館のHP
Home - Museo Morandi
モランディのファンサイト(注:音楽が流れます)
モランディファンの皆様こんにちは
当ブログのモランディについての記事はこちら

瓶やポットや箱といったモランディおなじみの何の変哲もない「もの」たちが、タッチも色彩も激しいルオーとキルヒナーの間に挟まれて、しんとしておりました。
今回サントリーミュージアムは、この地味な、とはいえ個性的な画家にスポットライトを当て(もちろん物理的にではなく)、20世紀の美術において独特の位置を占める画家として、小コーナーのようなかたちで展示してくれております。そのコーナーにだけモランディの絵から延長したようなベージュ色の絨毯を敷いてあるのも、心憎い演出でございました。

次のセクションへのつなぎとなる「花束の回廊」と題されたコーナーは、展示室を細長く仕切って両壁面に作品を並べた、まさしく絵の回廊のようなしつらえとなっております。この会場風景もサントリーミュージアムのHPで見ることができます。ちっちゃい画像ですけどね。
花を描いた作品が集められたこの「回廊」、ワタシが描くとこうなります、という画家の個性の見本帳のようで面白いものでございました。軽い明るいデュフィのアネモネ、花というより絞り出した臓物のようにおどろおどろしいスーチンのグラジオラス、ひたすらのどかなボーシャンの花々、鋭く厳しいビュフェのミモザ。

最後のセクションは抽象作品で構成されております。真面目な顔で鑑賞するべき所ではありましょうが、ついつい面白がってしまいます。キャンバスそのものを作品にしてしまったフォンタナカステラーニなんかを前にしますと、ヒャーやりゃあがったなコノ、と思うわけでございますよ。
ここで驚いたのは目の錯覚を利用した表現をよくしたヴァザルリのタピスリー(織り物)作品でございます。ヴァザルリというと幾何学模様を使った理知的な作品のイメージでございましたので、本展の展示作品における色彩とテクスチャのかもし出す温かみは意外でござました。
本展のトリをつとめる、いともポップなホックニーにも驚きました。作品にではなく、「最近はipadで絵を描き友人たちに配信している」という近況にでございます。ポップアート界の寵児も今や御年73歳。この歳で新しい表現媒体に手を出すというのがすごい。

というわけで
閉館まであと数ヶ月を残すのみとなってしまったわびしさを感じつつも、作品そのもののみならずサントリーミュージアムらしさが存分に発揮された展示空間も大いに楽しませていただきました。
いやあ面白かった、ここが閉館してしまうなんてやっぱり惜しいし寂しいや、と頭をふりふり1階のミュージアムショップまで降りてまいりますと、閉店セールということでございましょう、過去の図録が下は200円からという投げ売り価格で販売されておりました。つい喜んでしまった自分が情けない。そうは言ってもお得なものはお得なのであって、いそいそと2冊購入して肩に食い込むカバンと共に帰路についたのでございました。





『印象派とモダンアート』1

2010-09-09 | 展覧会
サントリーミュージアムで開催中の展覧会『印象派とモダンアート』へ行ってまいりました。

見どころ解説つきで20世紀美術を概括でき、ライトな美術好きから暇さえあれば美術館へ出かけて行くような人まで、広く楽しめる展覧会でございます。

『インシデンタル・アフェアーズ』の記事でも触れましたとおり、サントリーミュージアムは展覧会によって驚くほど色々な顔を見せる美術館でございます。今回は入ってすぐの所に円形のモネ室ができており、プチオランジュリー美術館の様相を呈しておりました。
リノリウムっぽいベージュの床はこの部分にだけ、深みのある青灰色の絨毯が敷き詰められており、白い壁、くすんだ金色の額、そして青がちなパステルカラーの作品と、素晴らしい調和を見せております。モネがさして好きでもないワタクシではありますが、ここでは空間全体のかもし出す一種特別な雰囲気に、覚えずわくわくといたしました。
展示室の様子は↑一番上のリンク先で見ることができます。

モネから始まった展示はルノワール、シスレー、ピサロと続き、ギャラリー入り口のある5階展示室はおおむね印象派の作品で占められております。濃厚なルノワールの裸婦像にいささかげんなりしつつも、久しぶりにお会いしたピサロの「チュイルリー公園の午後」にほっこりし、気を取り直して4階へ。



さて4階へと向かう階段の前には、海に面したこの館ならではの展示室が控えております。一度でもこの美術館を訪れたことのあるかたはご存知でございましょう、三面を白い壁で囲まれ、海に向かう南側の壁面が全部ガラス張りになっている、それは素敵な一室でございます。
展覧会の内容によっては展示室としては使われず、次のセクションへ向かう前の小休止として踊り場的な役割を果たしていることもございました。日差しが降り注ぐ場所なので、作品が展示される場合でも、褪色の心配のないブロンズ像などの立体かインスタレーション作品に限られるのでございますが、この一室を使ってどんな展示がされているか、あるいはされていないか、ということもこの美術館を訪れる楽しみのひとつだったのでございます。今回は、西側の壁際にマンズーの「枢機卿」、東側の壁際には枢機卿と向かい合わせになるかたちでジャコメッティの「小さな像」、その間には海と空を背景にバーバラ・ヘップワースの3つの作品が展示されておりました。

マンズーは枢機卿をモチーフにした作品をいくつも製作しております。大阪の国立国際美術館に所蔵されているものは、ブロンズ製で240cmという長身でございまして、その素材と大きさから厳格な雰囲気を漂わせる作品でございます。本展に展示されているものは高さ約1mの真っ白い大理石製で、斜めに射し込む午後の日差しを浴びて静かにたたずんでおりました。単純化された鋭い造形という点では国立国際美術館のそれと変わらぬものの、こちらはぐっと柔らかな印象でございます。
対して向かいのジャコメッティは、高さ15cmほどの、タイトルどおりに小さいブロンズ像でございます。対象から個人的なものを削いで、削いで、削ぎ尽くされた後に残った「人間」のかたち。骨張った両肩から薄い胴体を経て、棒のように細い足へと落ち込む逆三角形のフォルムは、周りの空間から押しひしがれんとするのを必至に耐えている人のような激しい緊張を見せており、どっしりとした白い円錐形の枢機卿とは対照的でございます。
向かい合う2つの人物像の間に並んでいるヘップワースの球体や半球体は、陽光をうけてきらきらと輝きながら互いを反射し合い、緊張をはらんで対峙する両者の間をとりもっております。

共に人間のかたちを生涯のテーマに据え、独自の厳しい造形を追求したマンズーとジャコメッティ。具体的なものの描写から解放され、繊細でまろやかな形を生み出したヘップワース。この三者が、全体でひとつの作品を形成しているかのようなこの空間に身を置きますと、この美術館がなくなってしまうことをつくづく寂しく思ったのでございました。

次回に続きます。

なおサントリーミュージアムの展示デザインの素晴らしさについてはこちら↓のブログさんが熱く語ってくださっております。
そうよそうよと頷きながら読ませていただきました。

サントリーミュージアムがどれほど素晴らしい美術館だったかということ - 勘違いジャム

『ボストン美術館展』2

2010-08-21 | 展覧会
8/18の続きでございます。

肖像画のセクションでいきなり待ちかまえておりますのはヴァン・ダイクでございます。


『ペーテル・シモンズ』

つい数年前ヴァン・ダイクの作品であることが確定されたというこの作品、左下に手を描きなおした跡がございます。どうでしょう、修正前の左手を伸ばしているポーズの方がどっしりと安定した画面になりますけれども、胸に当てている方が画面が引き締まりますし、矜持あるポーズと申しましょうか、颯爽としてカッコよく見えると思いませんか。「お客様にご満足いただけるよう勤めております」という画家のつぶやきが聞こえてまいります。

それにしてもヴァン・ダイク、この人に依頼すればどんな人物でもそれなりの威厳と気品を備えた肖像画に仕上げてくれそうでございますね。もしものろがあの世で肖像画を描いてもらうことになったら、レンブラントに頼もうか、ヴァン・ダイクにしようか、大いに迷う所でございます。フランス・ハルスにはうっかり変な顔した瞬間を描かれそうなので敬遠。ちょっと恐いけどベラスケスもよろしうございます。いやしかしモディリアーニもレーピンもいるし、ほんとに迷うなあ。さんざん迷ってやっぱりシーレにしようっと。

何の話でした?
ああ、ヴァン・ダイク。

稀代の肖像画家によってその名と風貌とを後世に残すこととなったシモンズさん。
この人誰かに似ているぞ、と絵の前に陣取って考えることしばし。
やや面長の輪郭、ひゅーんととんがった鼻、秀でた額に眠そうな吊り目。
そうです。プーチン首相でございます。



こう思ってしまうと、もはや「口ひげのあるウラジーミル・プーチンの像」にしか見えなくなってしまいました。
まあそんな次第でプーチン首相の視線を背中に感じつつ、展示室をぐるっと廻ってたどり着いたのが


マネ『ヴィクトリーヌ・ムーラン』

マネの迷いのない筆致、それだけでも充分目に楽しいものでございます。肖像画としては不自然なほど強いコントラストに、ばさっ ばさっ と置かれた絵具が描き出しているのは、くっきりとした小振りの唇、丸みのある鼻、大した関心もなさそうにこちらを見つめる二重まぶたの目、即ちオランピア草上の昼食でお馴染みのあの顔でございます。
ヴィクトリーヌを描いた最初の絵とされるこの作品においても、マネはこのモデルを美化するでもなく、性格や内なる感情を表現するでもなく、極めて即物的に描いております。 青いリボンと片耳に輝くイヤリングは真珠の耳飾りの少女を思い起こさせます。しかしフェルメールの作品とは違い、ヴィクトリーヌは微笑みを浮かべることもなく、顔をはすに構えてただただこちらを見つめるばかりでございます。

マネのお気に入りモデルとして今に知られる彼女でございますが、モデルというのは決して一般的に受けのいい職業ではございませんでした。エコール・ド・パリの花型モデル、多くの芸術家たちのミューズとなり、女王と謳われたモンパルナスのキキにしても、その晩年は悲惨なものでした。若く、そこそこに美しく、物怖じしない視線を画面の外に投げかけるヴィクトリーヌは、どんなふうに歳をとり、どんな生涯を送ったのでございましょうか。
のっぺりとした背景の中、鮮烈に浮かび上がる白い顔を眺めつつ、そんなことを考えたのでございました。

印象派も風景画もそれほど好きではないのろにとっては、この肖像画セクションが本展のメインでございました。とは申せ、額縁の向こうに広々と横たわるコンスタブルの田舎風景や、二年前のコロー展でもお見かけしたコローの人物画、色彩の調和に満ちたファンタン=ラトゥールの静物画などなど、この他にもため息ものの作品がたくさんございました。

これだけ色々貸し出してくだすったのはボストン美術館が改修中だからなんだそうで。そういえば神戸でもボストン美術館収蔵の浮世絵展を開催中でございますね。何にしても、海外の名品をいながらにして拝めるのは有り難いことでございます。来年はアムステルダム国立美術館あたりが改修工事してくれないかしらん。



『ボストン美術館展』1

2010-08-18 | 展覧会
朝目が覚めると「生き延びたか...」と思う今日この頃。
京都市美術館で開催中のボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たちへ行ってまいりました。

目玉が飛び出るほどの名品というのはなかったんでございますが、もちろん全体に高水準ではあり、点数も多いので楽しめました。特に肖像画のセクションでは、ファン・ダイク、レンブラント、ハルス、ゲインズバラ、そして小品ながら存在感ありまくりのマネとベラスケスが一室に展示されているという濃厚さ。また、時代ではなく主題によってセクションが分けられているので、同一の主題に対するアプローチの違いを比べることができる構成となっております。
その中からとりわけ印象に残った作品を取り上げさせていただきますと。


『笞打ち後のキリスト』 ムリーリョ 

ムリーリョの宗教画って往々にしてファンシーすぎるのでワタクシ苦手な方なんでございます。しかしこの作品は、地味な画面から滲み出る精神性にハッとさせられました。

キリストの笞打ちというとカラヴァッジオ、ピエロ・デッラ・フランチェスカをはじめ、まさに笞打たれている真っ最中を描いたものが普通でございます。笞打ち後、しかも床に這いつくばるという威厳もへったくれもないポーズのイエスを描いた作品というのはずいぶん珍しいのではないかと。失礼ながらこのポーズ、ウィリアム・ブレイクのネブカドネザルを連想してしまいました。
あざだらけの体の所々に血をにじませ、黙々と衣に手を伸ばすイエっさん。眉間に皺を寄せてはいてもその表情は穏やかで、頭にはかすかに光輪が輝いております。その痛ましい姿と、笞打ちを受けている真っ最中ではなくその激しさを鑑賞者に想像させる場面設定によって、自らに課された過酷な運命を甘んじて受け入れる受難者としてのキリストが表現されております。

ごく簡素な道具立てのもとに描かれた受難者イエスの姿は(傍らで見守るいやに人間的な天使たちはともかく)、聖書の一場面と言う枠を超え、運命の仕打ちを耐え忍ぶ人間の姿を象徴するかのようでございます。
もっともカトリックにあらずんば人にあらずであった17世紀のスペインにおいて厳しい運命を耐え忍ばねばならなかったのは、絵の中のイエスを見て手を合わせる人たちではなく、流浪の民やイスラム教徒たちであったわけでございますが。

ちなみに目録によるとこの作品が描かれたのは1665年以降ということでございますが、その30年ほど前にはベラスケスが同じ主題で、少なからず似た構図の作品を描いております。


*展示作品ではありません*

宮廷画家ではなかったムリーリョにこの作品を目にする機会があったかどうかは、浅学なのろには分かりかねる所でございます。あるいは「キリストの笞打ちと見守る天使たち」という主題が当時のスペインにおいて流行していたのかもしれませんね。


次回に続きます。

『美術のなかの交易』2

2010-07-27 | 展覧会
さて、前回ご紹介した『世界の舞台』が出版されのが1570年。この年は地図の右隅ぎりぎりに描かれた島国JAPONで狩野内膳が生まれた年でもございました。数十年後、秀吉のお抱え絵師となった内膳が描いたのが、本展の目玉である南蛮屏風でございます。



世界で90点ほど現存しているという南蛮屏風の中でも名品として名高い本作。細密に描かれた人物・建物・船と、背景の金地とのバランス、鮮やかな色彩、そして何といっても生き生きとした人物描写が素晴らしく、ワタクシも南蛮屏風の中ではいっとう好きなんでございますが、実物を見るのは今回が初めてでございました。まずもって保存状態の良いことに驚きました。400年あまりの時を経ているというのに、金箔は曇りなく輝き顔料は鮮やかに、つい最近描かれたかのような瑞々しさでございます。

左隻には白い帆いっぱいに風をはらみ、波を蹴立てて出航する南蛮船と、それを見送る異国の人々が描かれております。建物の屋根が波のように泡立っていたり、桜色の葉を繁らせた針葉樹があったりと、絵師が想像力を絞って描いた異国の風物はほとんどファンタジーでございますが、他の南蛮屏風と比較すると、内膳の描いたものは、実際の南蛮船やポルトガル人の服装を最も正確に伝えているのだそうです。左下隅に描かれてる象も,この時代においては珍しいほど写実的でございます。

躍動的な左隻とは対照的に、右隻では長旅を終えた船が帆をたたんで入港する場面がゆったりした雰囲気で描かれております。マストの上では黒人の水夫たちが、キートンさながらのアクロバットを繰り広げております。船壁を洗う波は穏やかで、久しぶりに固い陸地を踏む人々も、それを迎える人々もみな落ちついた表情。中にはロザリオを手にした日本人の姿も見られます。イエズス会の修道士はみんな靴を履いているのに、フランシスコ会修道士の隣に描かれたイエズス会士だけ裸足なのは、内膳のうっかりミスでしょうか。もの珍しげに船を指差す子どもたちの姿もほほえましく、全体的に和やかな雰囲気に包まれております。

内膳は22歳の時に長崎を訪れており、この時異国風俗に直接触れた経験が、画家をして南蛮屏風における正確な描写を可能ならしめたものと考えられております。この異国体験は内膳に、単なる風俗見本以上のものをもたらしたに違いございません。異国の人たちを間近に見、ひょっとしたら交流することによって若い画家は、人間、顔かたちや生活文化は違っても本質的にはそんなに変わらんよなあ、という思いを抱いたのではないでしょうか。

遠い国への船出を見送ろうと馳せ参じる男たちの興奮した様子や、子どもを膝に抱いた父親、また岸辺で肩を組んで語り合う人々の親密な姿が描かれた左隻。異国からやって来た人々を和やかに迎え入れる右隻。その生き生きとした人間味のある描写からは、異国に対する素直な好奇心と、人間としての共感が感じられるのでございました。

さてこの隣には、江戸時代に描かれた屏風が展示されております。金地に色彩も鮮やかな内膳の作品と比べてぐっとトーンが抑えられ、色は淡彩、金箔はなし。桃山は遠くなりにけりでございます。しかしこれはこれで、鳥売りの軒先に鴨やキジに混じってトキがぶら下げられていたり、琵琶法師の歩き方を真似してふざける子どもが描かれていたり、お囃子の輪の中でオランダ人が一緒に躍っていたりと、風俗画としてたいへん興味深いものでございました。

この他にもフリーメイソンの紋章が入った螺鈿細工の文箱や、鼓の胴に蒔絵で鉄砲を描いたものなど、異文化の交錯から生まれた個性的な美術品が並んでおります。特別展ではないためかお客さんはめっぽう少なく、涼しくて静かな展示室で、組み合わせの意外性にエエッと驚く面白い品々とじっくり向き合うことができまして、しばしの間、外の暑さを忘れましたですよ。館外に半歩出たらたちまち思いだしましたけれど。




『美術のなかの交易』1

2010-07-25 | 展覧会
神戸市立博物館で開催中の企画展『美術のなかの交易 -南蛮屏風から長崎唐館交易図巻まで-』へ行ってまいりました。
ああ、たった200円でこんなに楽しめていいのかしらん。南蛮美術好きののろにはまったく至福でございました。
特別展というわけではございませんので、展示品の数は多くないものの、カルタの版木を組み合わせて作られたそれはもうのろごのみな重箱や、蒔絵展でもお見かけした貝貼り書箪笥などなど、史的にも美術的にも興味深いものが並んでおります。

入り口すぐに展示されておりますのが1570年に出版され、初めて世界全体を描いた地図帳としてベストセラーとなった『世界の舞台』。見開きでB3サイズほどもある、銅版手彩色の立派な本でございます。
見るとアフリカ大陸や、アラビア半島からインドにかけての地形がかなり正確であることに驚きます。北米大陸は東海岸が細かく描かれており、西や北のほうはまだまだ未開の地。南米大陸はダンゴ状でございまして、当時の西欧世界の進出度がわかって面白い。地形の正確さを欠く部分でも、河川はしっかり描き込まれておりまして、黄河は大きく北へ湾曲し、アマゾン川は内陸深く蛇行しております。ここを鎧に身を固めたアギーレが筏で遡って行ったかと思うと感慨ひとしお。



ちなみにドン・ロペ・デ・アギーレが黄金郷探索に乗り出したのは、この地図が出版される10年前のこと。翌1561年、自らの帝国をうち建てんとして母国スペインに反旗を翻し、多数の原住民や植民地の住民を男女を問わず殺害し、修道士やつき従って来た者どもや、果ては自身の愛娘も手にかけたすえ、スペイン軍によりばらばらに切り刻まれ、後代に魅力的な物語の題材を遺すこととあいなったのでございました。
詳しくはこちら↓をご参照くださいませ。
Biography of Lope de Aguirre, Madman of El Dorado


次回に続きます。


『カレル・チャペックの世界』

2010-07-17 | 展覧会
何か「真理」を信じる人は誰でも、そのために別の製造印のある「真理」を信じる人を憎んだり殺したりしなければならない、と考える。この、妥協を許さぬ憎しみに対抗する手段が何かあるだろうか?わたしには、次のような認識の中にあるもの以外は見えない。すなわち、人間は、その人の信ずる「真理」よりももっと価値のあるものだということ、信仰の相違があっても、キャベツの処理方法やヤン・ネポムツキー(14世紀の殉教者でチェコの守護聖人)についての多くの意見を互いに理解できるということ...
カレル・チャペック

立命館大学 国際平和ミュージアムで開催中の『カレル・チャペックの世界』展へ行ってまいりました。
20世紀初頭前半の激動するチェコスロヴァキアにおいて、ファシズムを批判し、科学文明の暴走に警鐘を鳴らし、作家としてまたジャーナリストとして多彩な活動を繰り広げたカレル・チャペック。その48年の生涯を、愛用のカメラやシガーホルダーといった遺品とともに概観することができます。当時の写真や書籍、そして可愛いダーシェンカの未公開写真などもあり、展示品と解説パネルとをじっくり見て行きますと、図版をふんだんに盛り込んだ一冊の伝記を読んだような充実感がございました。

冒頭の言葉は解説パネルから引用したもの。社会と人間性に対するカレルの鋭い眼差し、そしてその根底にある人間愛とが彼独特のシニカルなユーモアとともに表現されており、とりわけ印象的な一文でございました。

やんちゃな子犬を溺愛し、庭いじりに熱中し、写真や旅行にも情熱を傾けた趣味人カレル。しかし何よりも彼はその優れた洞察力を武器に、今の社会の中で何ができるのか、何をすべきかを追求し続けた表現者でございました。おかしみを交えながらも真剣に、時に痛烈な風刺を駆使してヒューマニズムを訴え続けたその姿勢ゆえ、隣の国のナチス政権からは危険人物としてマークされ、亡くなる年には国内の右翼系新聞の中傷にさらされるなど、決して穏やかな晩年とは言い難かったようでございます。

ロボット「わたくしたちは人間のようになりたかったのです。人間になりたかったのです」
ロボット「あなた方はわれわれに武器を与えました。われわれは主人にならないわけにはいかなかったのです」
ロボット「われわれは人間の欠点に気がついたのです」
ロボット「人間としてありたければ、お前達は殺し合い、そして、支配をしなければならないのだ。歴史を読んでみるがいい!人間の本を読んでみるがいい!人間でありたいのならば、支配しなければならず、人間を殺さなければならない!」
(『ロボット(R.U.R)』カレル・チャペック 1921)

カレルはナチスドイツがチェコスロヴァキアに侵攻する前年に亡くなったため、兄ヨゼフのように収容所の地獄を味わうことはございませんでした。しかし、社会を見つめ、その行く末を案じて、少しでもよい世の中、利益や支配関係よりも人間性が尊重される世の中の実現を思い描いた人が、暗さを増して行く世界を前にして48歳の若さで逝かねばならなかったのは、さぞかし無念だったことでございましょう。

さてカレル・チャペックといえば、子どもの頃に『長い長いお医者さんの話』を読んだよというかたも多いことと存じます。『長い~』をはじめ、カレルのエッセーや子ども向け作品にとぼけた味わいのある挿絵をつけたのが、兄のヨゼフでございます。
画家であり装丁家でもあったヨゼフの装丁作品を集めた展覧会『チャペック兄弟とチェコ・アヴァンギャルド』が数年前に和歌山県立美術館で開催された時、18きっぷでいそいそ出向いたワタクシは、限られた技法と色数をもって、こんなにも多彩で魅力的なデザインができるものかと、その豊かな創造性に舌を巻いたものでございました。


『チャペックの本棚―ヨゼフ・チャペックの装丁』 2003 より

本展にはヨゼフのコーナーも設けられておりまして、彼の優れたブックデザインや(いかにもこの時代の人らしくキュビズムな)画業の一端を伺うことができます。またパネルには例のとぼけた挿絵が沢山使われており、カレルのユーモア漂う文章と併せて見るとこれがいっそう微笑ましいのでございました。
生涯のほとんどを同じ家または隣り合った家で過ごした仲良し兄弟のカレルとヨゼフ、一人が言いかけたことをもう片方が引き取るということもしばしばあったという証言に、ああコーエン兄弟みたいなもんかと妙に納得。

片割れのカレルが肺炎で亡くなった翌年、ヨゼフはゲシュタポに捕えられてベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られ、解放を目前にした1945年の日付も分からないある日に、58歳で亡くなりました。
20世紀中葉の5年ほどの間に世界がこうむらねばならなかった損失の大きさを思うと、ひたすらやるせない。
それに輪をかけてやるせないのは、世界大戦、原爆、アウシュヴィッツという他者排斥の最も激しい様相を目撃した後においても、不寛容が何をもたらすかについて、人類がこの経験から充分に学んではいないらしいことでございます。むしろ冒頭に掲げたカレルの言葉は、9.11後の今の世界だからこそいっそう重みを持って響くように思われます。もちろん今も昔も不寛容と排斥には「真理」だけでなく経済的な問題等がからんでいるわけではありますが。

こんなことはのろが申すまでもなく、バビロンの昔から相も変わらず続いてきたことであるとは映画の父グリフィスが『イントレランス』において描いたとおりでございます。しかしグリフィスが人類の度重なる悲劇を描いた『イントレランス』を、そしてカレルが科学文明の行き過ぎによる人類の終末を描いた『ロボット』の終幕を、それぞれほのかな希望で締めくくったように、人間は悲観の中でも希望を抱かずにはいられない生物でもあるのでございましょう。
社会を鋭く見つめたカレルのこと、本展のサブタイトルにある「平和と人間性の追求」が決して容易な仕事ではないことは、重々わかっていたに違いございません。だからこそ、ファシズム吹き荒れるヨーロッパにおいて彼のような人物が活躍したこと自体がひとつの希望であり、この展覧会が国際平和ミュージアムにおいて開催された意義もそこにあると思うのでございますよ。


最後に、先日『ロボット』を読み返してやけに身につまされた一節を。

ドミン 「どんな労働者が実用的に一番いい労働者だとお考えですか?
ヘレナ「一番いいのですって?きっとあの-----きちんと仕事をする-----そして、忠実な」
ドミン「いいえ、そうではなくて一番安上がりのです。経費がかからない奴です」

(同上)




『ドゥシャン・カーライ展』

2010-06-19 | 展覧会
クローゼえええぇ



それはさておき

滋賀県立近代美術館で開催中の『ドゥシャン・カーライの超絶絵本とブラチスラヴァの作家たちち』へ行ってまいりました。
東欧絵本作家の第一人者、ドゥシャン・カーライ。例年の国際絵本原画展でもおなじみでございますね。本展は原画初公開のものも含めほとんどがカーライ作品で構成されているというファンには感涙ものの展覧会で、たいへん見ごたえがございました。

奥さんに誕生日プレゼントとして贈ったという、外にも内にも幻想的なイラストが描かれた化粧品箱や、氏の版画作品を挿絵とした限定出版本といった珍しいものも展示されており、絵本作家としての側面しか知らなかったのろには嬉しい驚きでございました。
と言っても、もちろんメインの展示は絵本原画でございまして、これはもう質も量も圧巻でございます。浮遊感を伴う幻想的な色使いと「詰め込み式」とでも呼びたい独特の空間表現、そして細密描写が相まって、画面の中にひとつのアナザーワールドを作りあげております。それが、お客さん、驚きの総勢250点ですぜ。
ほとんどの作品はグアッシュ(不透明水彩)と紙、というごく月並みな画材で描かれておりまして、意外な感じがいたします。だってこの、鮮やかで、しかも深みのある、この世ならぬ色彩でございますよ。何か特別なものを使って描かれているに違いないと思うではございませんか。


「船乗りシンドバッド」を題材にしたアニメーションの企画もあったらしく、その背景画やセル画も展示されておりました。媒体が異なるというだけでこんなにも印象が変わるものか、と、これまた面白いものでございました。デザインは確かにカーライそのものでありながら、マットな塗りや黒一色のはっきりした輪郭線の絵は絵本原画とはまったく違う雰囲気でございます。むしろ仏コミックアートの巨匠メビウスっぽい。しかしこの企画、プロジェクトが壮大すぎて実現しなかったとのこと。残念至極でございます。

また魚やキノコを博物学的な精密さで描いた切手用イラストなんてものもあり、小さいながらこれまた興味深いものでございます。そのモノクロの、しかし生き生きとしたイラストレーションを見ますと、絵本挿絵に見られるかの幻想の王国は、生物のかたちに対する緻密な観察眼と描写力という地盤の上にこそ築かれているのだということがよくわかります。想像力の羽ばたきを紙の上に定着させる力、かたちや遠近法を自由に崩してデフォルメする技量。そうしたものの根底には、たゆまぬ技術的研鑽と対象に向かう謙虚なまなざしがあるのでございます。

本展で唯一の不満は、図録の絵を縮小しすぎであること。点数が多いのでいたしかたのないことだったのかもしれませんが、ただでさえ細かいカーライの絵を、一部とはいえ花札サイズにまで縮めてしまうのはいかがなものか。結局いつもの「実物を見たあとでは買う気にならんシンドローム」に見舞われて購入を見送りました。何年か前に京都で開催された月岡芳年展の図録も、展覧会自体は素晴らしかったのに、図録は縮小しまくりなのにげんなりして買わずじまい。少々高くなっても、かさばっても、いいものが買いたい、と思うのは決してワタクシだけではないと思うんでございますがねえ。





個展終了

2010-06-15 | 展覧会
個展「豆本生活」は12日をもって無事終了いたしました。
ご来場いただいた皆様、まことにありがとうございました。

会場風景。



いただいたお花。



仕事があるのをいいことに、会期中ほぼ全日ほったらかし状態。ギャラリーさんにはいろいろお世話になりました。

12日に終ったのになにゆえ報告が今日なのかと申しますと、12日の夜はアルゼンチンとイングランドを応援するのに忙しく、13日と14日は『暗黒街のハリー』を読むのに忙しくしていたからでございます。いやあ、面白かった。冷徹、凶悪、頭脳明晰、大胆不敵でナイーヴなハリー・スタークス。「拷問好きのハリー」。んもう最高ざんすね。さて原作を読んだところで、晴れて『The Long Firm』のDVDに取りかかるのでございます。輸入盤なので日本語字幕がないのですが、聴覚障害者用の英語字幕と電子辞書を頼りに、がんばって観賞しますとも。椅子に縛り付けた哀れな裏切り者をあつあつの火掻き棒で拷問するマーク・ストロングが見られるんですもの。ああ楽しみだ。

豆本生活

2010-05-13 | 展覧会
今年も京都の町家を舞台としたイベント、楽町楽家 の開催が近づいてまいりました。
ドン・キホーテからマイケル・ジャクソンまで、面白そうな催しが盛りだくさんでございます。

去年までポスターイラストを担当させていただき、勿体ないことに個展までやらせていただきましたのろ。実は皆様のご好意により、今年も個展をさせていただくこととあいなりました。



会場は今回のイベントからギャラリーとして開業されるNORDさん。
ただ、甚だ心苦しいのございますが、展示内容はほとんど去年と同じなんでございます。詳細は↓リンク先の下から2番目の項目をご覧下さいませ。

楽町楽家’10 イベント内容 見る

せめて1点なりとも新作を出さねばと思い、常のごとくネガティブな独り言をつぶやきながら鋭意製作中でございます。


製作中。

とにもかくにも、これが完成するまでは、滋賀県美のドゥシャン・カーライの超絶絵本とブラチスラヴァの作家たち展も、サントリーミュージアムのレゾナンス 共鳴展も、兵庫県美の写真家 中山岩太「私は美しいものが好きだ。」レトロ・モダン 神戸 展もおあずけでございます。

そうさ。これが終わったら、部屋を掃除して、冬物をしまって、展覧会に行って、たまった本を読んで、The Long FirmのDVDを見て、それからせめてもう少しよい人間になれるよう努力を始めるんだ。
最後のは今すぐにでも始めろって話でございますが。

『革装本の現在』展

2010-05-03 | 展覧会
本日から9日(日)まで、京都市国際交流会館の展示室にて、東京製本倶楽部の展覧会が開催されております。

東京製本倶楽部へようこそ

現代の製本作家たちによるユニークかつ美的センスに溢れる作品もさることながら、ワタクシが何より楽しみにしておりますのは、かのジャン・グロリエ本が出展されるということでございます。

ジャン・グロリエ、ルネサンスを生きた愛書家の鑑。図書館というものが存在しない時代に、その時代の最良の図書を集めて学者や友人たちの利用に供した人。美しい装丁にこだわり、16世紀の革新的出版人アルドゥス・マヌティウスの支援者でもあったグロリエさんの本をこの眼で見られるとあれば、どんな用事を押してでも、ぜひとも出向かねばなりますまい。
今しも京都は新緑の季節、屋外にいるだけで気持ちのいい時候でございます。近隣にお住まいの皆様はこの機会に、お散歩がてら、ぜひ足をお運びんなるようお勧めいたします。

『美しきカントリーライフ』展2

2010-04-20 | 展覧会
4/16の続きでございます。

静まる水底のような新館から、打ちっぱなしコンクリの明るい階段をとんとん上がって地上へ。青空のもと、咲きはじめたかりんの花や瑞々しい若葉をひとしきり愛でたのち、本館へと進んでまいります。

さてチョーサー著作集、と行きたい所でございますがその前に、思いもかけぬ凄まじい逸品が控えておりました。
ひとつの額に納められた、5枚の手彩色木版画でございます。
↓展示されていたものの画像ではございませんが、雰囲気としてはこんな感じ。
Augustine - Falvey Memorial Library
LiNE Zine - Issue 1 - Incunabulum
Woodcut of Circea in a German translation of Boccaccio's De claris mulieribus, Ulm ca 1541 - Freebase

展示パネルには「14-16世紀 インキュナブラ ドイツ」と。
インキュナブラとはマインツでグーテンベルクが世界初の印刷本を出版した西暦1450年頃から、次の世紀の入り口である1500年までの約50年間に印刷された書物、即ち初期印刷本のことでございます。
ハテ、文章が一切無い、絵だけの版画作品も「インキュナブラ」と呼ぶのかしらん?と思って眼を凝らしますと、恐ろしい事実が判明いたしました。紙の裏側から、重厚なゴシック体の文字が漉けて見えているではございませんか。つまりこれはそもそも両面印刷された本の挿絵であったのが、何者かによって切り取られて今のかたちになったということでございます。ギャーー!
こういう不埒なことをする輩は、あの世で存分に鞭打たれかし。

ああ、まったく、今やちっぽけな紙片として額に納められているこれら木版画のもともとの姿、即ち書物としての姿がどんなものであったろうかと考えますと、心痛のあまり気が遠くなるようでございます。が、それはそれとして、裏側からも見て取れる金属活字の確とした圧力たるや、それだけでも感動ものでございます。
手漉き紙の風合い、木版画独特の素朴な線描に、鮮やかで丁寧な彩色。いつまで見ても見飽きません。展示ケースに貼り付くようにして、気付けば小一時間も過ごしておりました。

素朴とは申しましたが、人物はいたって写実的に描かれております。麦畑の中の戦闘を描いたものでは小さな画面の中に、剣を振り上げる者、矢をつがえる者、叫び声を上げながら倒れる者、角笛を吹くもの、祈る者など一人一人の人物の顔や装束が丁寧に描き分けられており、まことに見ごたえがございます。隣の展示ケースには18世紀フランスで制作された、これも木版手彩色のタロットカードが展示されておりますが、こちらの絵はかなり拙い。比べて見るとインキュナブラの方のクオリティがよく分かります。

こういう「もの」としての圧倒的な存在感-----ワタクシはこれを「もの感」と呼んでおりますが-----を持つ作品は、意味とか思想といったものを踏み越えた問答無用の肯定感を発しております。ワタクシには、それが何より有り難い。つまり、根っからの愚か者であるのろはどうせ何もかも滅んで行くこの世界で何かを作ったり、直したりすることに一体何の意味があるのかということをいつも考えてしまうわけですが、こういうものに出会いますと、やっぱり、ものがある、何かが存在するというのは、それだけで素晴らしいことではないか、などと思うわけでございます。

ちと軌道がそれました。
ともあれ、こうしたものは生活と労働が(産業革命以降の世界ほどには)分離しておらず、身の回り物すべてが手工芸品であった時代の、美しき遺物でございます。ここに見られる素朴な手仕事の美こそ、ウィリアム・モリスや彼の賛同者たちが目指したものでございました。

振り向けばそのモリっさん渾身の『チョーサー著作集』が、柔らかな照明の中、緑のビロードの上に鎮座しておりました。
ありがたいことにここの展示ケースはかさが浅い作りとなっております。つまり表面のガラスから展示物までの距離が近く、「世界で最も美しい本」をそれはもう舐めるように見ることができるのでございます。

↓こちらで美麗画像が多数見られます。
ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』 

ケルムスコット・プレスの本、特に『チョーサー~』は、本やWeb上で縮小された画像を見ますと、美しいという以前に装飾過剰でいささか息苦しい印象を受けますけれども、実物を前にいたしますと、大きな版面を埋めつくす唐草模様や空間恐怖的な挿絵の必然性がしかと感じられるのですから不思議なものでございます。
A3はあろうかという大判のページは、その一枚一枚が特製の手漉き紙でございます。その上に整然と並ぶのはモリス自身がデザインしたゴシック活字と、親友で志を共にする画家バーン・ジョーンズがデザインした挿絵。本文を包むのは、小口のチリにまで瀟洒な金箔押しが施された革表紙。おのおのが濃厚なこれらの構成要素が互いに重力をかけあって、モリスが目指した総合芸術としての書物を作り上げております。
モリスが目指したのは手仕事の復権であり、労働に対する誇りと喜びの回復でございました。それはとりもなおさず、短時間でじゃんじゃん生産されては市場に流れ出て行く粗悪品への対抗であり、「手間をかける」、「こだわる」ということへの再評価でございます。ケルムスコット・プレスの重厚さは、みっちり詰め込まれた「喜ばしき手間」の帰結であると申せましょう。

本館にはこの他、手作りのテーブルセットや羊皮紙に描かれた楽譜などが展示されており、手間の美を堪能できる構成となっております。

「理想郷への回帰と旅立ち」という展覧会のサブタイトルにはちと現実逃避的なイメージがございますけれども、アーツ&クラフツや民芸運動は、大量生・産大量消費へとひた走る世界に対して異議を唱えた、いわば19世紀のカウンターカルチャーでございます。単に理想の田舎生活へと逃げ込むのではなく、理想郷を自ら作ってやろう、よいもの、価値あるものを自らの手で作り、発信していこう、とした人々の心意気が、「もの」を通して伝わってくる展覧会でございました。

何です。
理想郷を自ら作るなんて所詮金持ちの道楽じゃないかって。
ええ、まあ、そこがアーツ&クラフツの限界であり、問題点であったわけでございますがね。

『美しきカントリーライフ』展1

2010-04-16 | 展覧会
アサヒビール大山崎山荘美術館で開催中の美しきカントリーライフ~理想郷への回帰とたびだち~ へ行ってまいりました。
別にカントリーライフに憧れているわけではなく、ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』を見るためでございます。ところで「蹴る息子ッと」って変換するのはちょっとどうかと思うのだよmacさん。

さておき。
大山崎山荘は小さな美術館でございます。
京都からも大阪からも少し離れております。
しかし小規模だからこその細やかさ、そしてこのロケーションだからこそ映える企画といった「ここならでは」の展示に心を配っていらっして、いつ訪れても好もしい印象を受けるのでございます。

今回の企画展では、受付で「(大人も楽しめる)中高生向け解説シート」なるものをいただきました。中高生向けと銘打っているだけあって文章はごく平易でございまして、美術史に興味の無い人も含めて、全ての鑑賞者に語りかけようとする美術館の熱心な姿勢が伺われます。いかにもWordで作ったらしい噴き出しやクリップアート入りの文書がごく普通の紙に白黒印刷されているという、手作り感溢れる鑑賞ガイドでございますが、あなどるなかれ、とっつきやすい一方で内容はしっかりしておりましす。
解説シートではフランスのバルビゾン派からイギリスのアーツ&クラフツ運動へと続く「芸術家村」の系譜やその社会背景を解説しつつ、展示されている作品の鑑賞のツボが示唆されております。これを片手に展示室を廻ると、19世紀半ばから20世紀初頭に工業化社会へのアンチテーゼとしてとして形成された芸術運動のつながりが、実際の作品を目の前に置きながら概括できるという趣向となっております。しかもこういうヨーロッパの芸術運動の影響が日本に波及・展開した結果としてできたのがこの建物(大山崎山荘)ナノヨ、という入れ子状のオチがついていて面白い。

順路に従ってまずは新館へと下りてまいります。磨りガラスの自動ドアが左右に開くとちょうど正面に出迎えてくれるのは、澄んだ陽光をたたえたコローの「大農園」でございます。



新館中央には白い壁で囲まれた3メートル四方くらいの空間がございます。ここにはコロー、ミレー、ドービニーの小品が展示されておりました。毛糸を紡ぎながら田舎道を行く女性や、巨木がこんもりとした枝を空に延べている農村風景のエッチングが、慎ましい表情で並んでおります。晴れておりましたので、天窓からは明るい春の陽が降り注ぎます。のろは別にバルビゾン派ファンではないのでございますが、しつらえの妙とでも申しましょうか、こういう空間でこういうものを見られると、ひしひしと幸福感がこみあげて来るのでございました。


次回に続きます。


THE ハプスブルク展4

2010-03-11 | 展覧会
3/5の続きでございます。

ドイツ絵画と聞いて「軽やか」とか「あっさりさっぱり」という言葉を連想するかたもおりますまい。
肖像画の間に続くドイツ絵画の展示室がやたらと狭く感じられたのは、空間の問題というよりも、展示作品のえも言われぬ濃ゆさゆえであったかもしれません。
ともあれ、デューラーの瑞々しい作品若いヴェネチア女性の肖像に再会できたのは嬉しいかぎりでございました。
問題はその隣でございます。


ヨハンネス・クレーベルガーの肖像

ううむ。
デューラーさん、シュルレアリズムに目覚めたんでございましょうか。
あるいは、肖像画を描くついでに空間表現の実験をしてみたらこうなったのでございましょうか。
緻密に描き込まれた肌はそんじょそこらの「写実」を通り越し、生々しさの域にまで達しております。その迫真の描写ゆえに、図像の奇妙さがいっそう際立つ恰好になっているような気も。
デューラーにせよクラナッハにせよ、あるいは本展には来ておりませんがアルトドルファーグリューネヴァルトにせよ、ドイツ・ルネサンスの絵画は「何でそこまで...」と首を傾げたくなるような過剰さがよろしうございますね。

さて、マルガリータは拝んだし、エリザベートも拝んだし、ゴヤにもデューラーにもお目通りがかなったし、これで目玉商品は出尽くしたかなと思いきや、このあとには大御所のフランドル・オランダ絵画が控えていたのでございました。
ヴァン・ダイクの素晴らしい肖像画に吸い寄せられてよろよろ歩いて行きますと、背後から何かとてつもなくよいものの気配が漂って来るではございませんか。これはと思って振り返ると、向かいの壁にティトゥスさんがおりました。
ああ、以前にもこんなことがあったっけ。


読書するティトゥス

明暗のバランスの妙。左手の指の間から、光のあたっている手のひらをちらりと見せている所なんかも実によろしうございますね。
レンブラントはもちろん肖像画の名手でございますが、中でも息子ティトゥスを描いた作品は特別でございます。あるいはまっすぐにこちらを見つめ、あるいは視線を斜め下方に落として、親密な人に見せる気取りのない表情をたたえたティトゥス。柔らかい光に包まれたその姿からは、画家が対象に寄せる深い慈しみが感じられるではございませんか。

机の前のティトゥス(1655)
ティトゥス(1658)
修道士に扮するティトゥス (1660)

解説文によるとこの作品、幼さの残る容貌から判断して、モデルが当時(1655年頃)すでに20代半ばであったティトゥスであることを疑問視する説もあるとのこと。
しかしワタクシは学者先生が何と言おうと、ティトゥスに違いないと思っております。
第一、そんなに幼くは見えませんけれどねえ。

絵画部門のあとには工芸品セクションがございました。これはこれで見事なものではあるのですが、いかんせん「こんなのも持ってるのよ」というチラ見せ感が強うございまして、いっそこのスペースを絵画に割いてくれた方がよかったなァと、のろは思った次第でございます。

ともあれ、国もジャンルも幅広いハプスブルク家コレクション、その一端をかいま見られたのはまことに幸せなことでございます。上に挙げたティトゥスやヴェネチア女性の肖像を始め、国内の展覧会でお目にかかったことのある作品もちらほら。そうした作品には、いやあお久しぶり、と知己に会ったような心地で語りかけつつ、欧州に名を馳せた華麗なる一族に思いを致してみるのでございました。




THE ハプスブルク展3

2010-03-05 | 展覧会
3/1の続きでございます。

スペイン絵画セクションの最後に展示されておりますのが、大きな作品ではないのにやたらと存在感のある、ゴヤのカバリェーロ侯ホセ・アントニオの肖像 。ここから次の中央展示室へと、圧巻の肖像画コレクションが展開いたします。

本展の呼び物であるベラスケスの肖像画2点と、「11歳の女帝マリア・テレジア」がひとつの壁面に並んでおります。



21歳でみまかる王女、4歳で逝く皇太子、そして16人の子を産み、政治的手腕を振るって国を繁栄に導いたのち、63歳で往生を遂げることになる「女帝」。その三様の運命が、作品の中に描き込まれているかのようではございませんか。


左端のマルガリータ王女はラス・メニーナスと同じドレスをお召しでございますね。
その隣で、豪奢な家具に囲まれてぽつねんと立っているのはマルガリータの弟、皇太子フェリペ・プロスペロ。可愛らしいお守りや護符をいくつもぶら下げた姿は、何ともはかなげでございます。眉毛の薄い、青白い顔の皇太子は、この絵が描かれた2年後に亡くなったということでございますから、椅子の上に描かれている犬の方が長生きであったかもしれません。実際の所、主役である皇太子よりも、脇でふざけている犬の方がはるかに生き生きとした表情を見せているのでございました。

それにしても、こう、小さな画像にしてみますと、まるで繊維の一本一本まで描き込んでいる緻密な絵のように見えますね。しかしご存知の通りベラスケスの作品は、実際にはかなり荒めのタッチで描かれております。
そうと分かってはいても、作品の近くに寄って、ばさ、ばさ、とほとんど無造作に置かれたかのような筆跡を目の当たりにすると、やはり驚きを覚えずにはいられません。

そして右端で自信に満ちた微笑みを浮かべているのは、表情といいしつらえといい、どことなく少女マンガ的なマリア・テレジア11歳。ぎらりと輝くつややかなドレスをまとった少女は、既に大物然とした風格を漂わせております。
技巧にも観察眼にも卓越したベラスケスと並べられるのはなかなかのハンデでございます。そのハンデを埋め合わせておりますのは、精緻な質感表現よりもむしろ、モデル自身の自信満々の表情でございましょう。

スペインの落日とオーストリアの繁栄を生きた3人の真向かいには、マリア・テレジアの時代から約一世紀の後、ハプスブルク家の黄昏を生きたエリザベートが薄暗い空の下で微笑んでおります。
この両壁の間に立って、時代を彩ったお歴々の肖像画をぐるっと眺めますと、栄枯盛衰という言葉が頭に浮かんでくるのでございました。



あと一回だけちょろっと続きます。