のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『オットー・ディックスの版画』展2

2010-12-15 | 展覧会
なんでこんな人間なのかと思いつつも12/12の続きでございます。

第一次世界大戦が勃発するとディックスはすぐさま志願兵として従軍し、100万人以上の死者を数えたソンムの戦いをはじめ、1918年の終戦まで、東西の最前線で戦場の現実と向き合いました。
現実を単に見つめるというよりもえぐり取るようなディックスの鋭いまなざしは戦地においてもいかんなく発揮され、『戦争』シリーズが展示されている地下展示室では、どこを向いてもそりゃもう悲惨きわまりない光景が並んでおります。

人間を知ろうとするなら、このあらゆる束縛を脱した状態の人間を見なければならない...、戦争はまさに獣じみたものだ。飢餓、シラミ、泥濘、無意味な嘘...すべてを私は見なければならない。人生の深淵を自分の眼で見なければならない。だから私は戦地に赴いたのだ
(世界美術大全集 西洋編26・表現主義と社会派 より)

血と泥にまみれた負傷兵の恐怖に満ちた表情。
片目をえぐられ、身体のあちこちにはただれた傷口が開いていたままの、瀕死の兵士。
塹壕の中に転がり、あるいは引きつった姿勢で鉄条網に絡まったまま朽ちて行く無数の死体。
銃を捧げ持ったままの姿勢で息絶えた兵士の死体には、苔むすようにびっしりと虫が群がっております。
Sterne: That mad game the world so loves to play

しかしエグさグロさをとりわけ強調して描いているかというと、意外とそうでもございません。市井の人々をあんなにもグロテスクに描いたディックスではございますが、ここではむしろ、戦場におけるあまりにも即物的な死と破壊、そしてそれに直面した人間の恐れととまどいをつぶさに記録したルポルタージュという印象でございます。

もちろん、戦争がもたらすのは兵士たちの悲惨な死だけではございません。ディックスは戦火に見舞われた街々の地獄絵図をも描き出します。
DIX, Otto | Durch Fliegerbomben zerstortes Haus (Tournai) [House destroyed by aircraft bombs - Tournai], plate 39 from Der Krieg

市街地の戦渦を描いたもののうち、とりわけ強い印象を受けましたのが『サンタ・マリア・ピの狂女』という作品でございます。



片胸をはだけて跪く狂女。その指差す先には、彼女の子供でございましょう、頭に大きな穴のあいた幼児の遺体が転がっております。
死んだ幼児や、それを指差す母親の手、またそのひきつった表情の描写は非常に繊細な、震えるような線で表されているのに対し、それ以外の部分は叩き付けるような、あるいは掻きむしるような荒々しいタッチで描かれております。一般市民である母子を襲った突然の不条理で圧倒的な暴力と、子供の死を前にした母親の驚き、怒り、悲しみ、絶望などが混然となった、激しくもやり場の無い感情が小さな画面の中にほとばしるように表現されており、戦場の兵士たちを描いた作品以上に壮絶でございます。

それにしてもナチスが、現実を直視することを何よりも重んじたディックスに「退廃芸術家」の烙印を押したのは、何とも皮肉なことではございませんか。画家にしてみれば「俺の芸術が退廃してるんじゃなくて、退廃してる現実を俺が描き写したってだけだよ」といった所でございましょう。
ともあれ、ディックスはキルヒナーのように自殺してしまうこともなく2つの大戦を生き延び、1969年7月に78歳で没したのでございました。
展示室の白い壁に並んだ地獄絵図を見ながら、ふと頭をよぎりましたのは、「描く」という表現方法を持っていたディックスはまだしも幸せだったかもしれないということでございます。これらの光景を目の当たりにし、そのただ中で何年も過ごしたのち、自らの体験を吐き出すこともできぬまま生きて行かねばならなかった無数の人々のことを思えば。

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー...ディックスと同時代の画家。新しい表現を模索する画家グループ「ブリュッケ(橋)」を結成するなど積極的に活動し、激しいタッチと色彩を特徴とする先鋭的な作品でドイツ表現主義を牽引した。第一次大戦への従軍で心身を病み、ナチスが政権に就くと「退廃芸術家」として迫害され、作品を没収される。1938年7月、58歳でピストル自殺を遂げた。

『オットー・ディックスの版画』展1

2010-12-12 | 展覧会
師走も半ばに差し掛かってまいりました。
皆様お疲れさまでございます。

さておき
伊丹市立美術館で開催中の直視せよ!オットー・ディックスの版画 戦争と狂乱 1920年代のドイツへ行ってまいりました。

オットー・ディックスといえばクリスタルキングでございます。
いやさ大都会でございます。

ディックスの銅版画を集めた本展は、『大都会』のように娼婦や傷痍軍人をモチーフに据え、都市生活の頽廃と闇を通して人間の美しからざる側面を描き出した作品群と、第一次世界大戦での従軍経験をもとに描かれた連作「戦争」の二部構成となっております。

会場に足を踏み入れますと、さっそくディックスの代表作のひとつマッチ売りの銅版画バージョンが展示されておりました。



両手足、そしておそらくは視力も失った、カイゼル髭ばかりが変に立派な傷痍軍人が、道ばたに座り込んでマッチを売っております。
犬には電柱の代わりにされ、人々は彼を見向きもしせず、その場を足早に立ち去るばかり。
戯画的に表現されてはおりますが、まことに悲惨な光景でございます。それを「誰もが目を背ける」という現実をも含めて、ディックスは描き出します。その眼差しは厳しく、仮借なく、時には嗜虐的ですらあります。

物事には一切のコメントは不要だ。 私にとっては、その物と向き合うことの方が、それについて語るよりよほど重要だ。
と語った画家は、人々があえて向き合わず、ましてや好んで語ろうともしない現実を正面から見据え、作品として画布や版や紙の上に刻み付けました。逆に言えば、人々が目を背けているからこそ、醜くあること、悲惨であることといった現実の負の一面を、ことさら直視せずにはいられなかったのでございましょう。
老いた娼婦の皺のよった首や、あばらの浮き出た胸元、垂れた乳房を。
傲慢と好色の表情をたたえた若い水夫を。老いて盲いた物乞いを。
また、仲間の死体をバリケード代わりにして銃を構える兵士を。


次回に続きます。

『カポディモンテ美術館展』3

2010-11-30 | 展覧会
もっと頑張らなくてはなあと思う一方で頑張るのは嫌だなあとつくづく思うのでございます。
頑張ってみたところでたいした結果にはならないということはつくづく分かっております故。
といったひねた言い訳ならば幾らでも思いつく自分という者がつくづく嫌になる今日この頃。


それはさておき
11/24の続きでございます。

アンテアさんにお別れして食器やランプといった工芸品のセクションを抜けると、いよいよバロックの世界に突入いたします。
そりゃもう聖母子からキューピッドまでバロック三昧なのでございます。


バルトロメオ・スケドーニ 『キューピッド』

いや、しかしこの愛らしさといったら。
幼児らしいぷくぷく体型のキューピッド、暗い背景の前に、白く輝くようなすべすべの肌をさらし、猫っ毛の髪をふわりと空になびかせて、思案顔のませた表情で小首をかしげております。そのポーズのせいで顔には柔らかく影がさして、-----ご夫婦で鑑賞していらっした年配の男性の言葉をお借りするならば-----「また何か悪いことたくらんどるんちゃうか」と言いたくなる風情をかもし出しております。かなり粗いタッチで描かれた羽根の表現も見事でございますね。

さて、青年のヌードを描いたらピカイチなグイド・レーニのアタランテとヒッポメネスの前でベンチに腰掛けて、しばし休息。壁一面を覆う大きな作品を眺めつつ、金のリンゴ欲しさに勝負を投げ打つなんてアタランテも浅はかな女だ、ヒッポメネスを殺してリンゴを奪えば一石二鳥だったろうによ、などと考えたのち、階段をたんたん降りて3階の展示室へ。

3階展示室入ってすぐの壁面には、ハプスブルク展でお目にかかってすっかりファンになりましたバッティステッロの作品が2点展示されておりました。
その内の一点、『カルヴァリオへの道行き』は、ゴルゴタの丘へと向かうイエスとマリア(お母ちゃんの方)と弟子のヨハネ(多分)の3人だけが描かれた作品でございます。重たい十字架をしっかり支えるイエスの細い手、訴えかけるように広げられたマリアの手、そして憤りと悲嘆を耐え忍ぶように固く握りしめられたヨハネの手と、三者三様の手の表情が、顔の表情以上におのおのの心情を雄弁に語っており、道具立ては地味ながらも素晴らしい作品でございました。

しかしその横の『ヴィーナスとアドニス』は、.....ううむ。
作品の芸術性にケチをつけるつもりはございませんけれども、ヴィーナスがちっとも美の女神に見えないのはどうしたことか。ゲッセマネの天使はあんなにもうるわしかったのに。キューピッド聖セバスティアヌスの描写に見られる妙な色気から察するに、この人も同性愛者だったのかもしれません。

そしてこの展示室の中央には、本展のもうひとつの目玉と言ってよろしうございましょう、美術史上に初めてその名を残したとされる女性画家、アルテミジア・ジェンティレスキによる『ユディトとホロフェルネス』が鎮座ましましております。



ユディトは旧約聖書に登場する美しい未亡人でございます。てっとり早く申せば、異教徒の軍に包囲された街を救うために侍女一人だけを従えて単身敵陣へと乗り込み、大将であったホロフェルネスを籠絡したすえ、泥酔した彼の首を切り落として持ち帰るという荒技をやってのけたかたでございます。
重大なミッションを胸に秘めた美女が男を美酒と美貌でべろべろに酔わせておいて寝首をかくというお話は何とも妖しく血なまぐさく、かつドラマチックでございます。旧約聖書の時代にハリウッドがあったならアンジェリーナ・ジョリーあたりを主役に据えてさっそく映画化されていたことでございましょう。

まあそれは冗談としても実際、ユディトのエピソードは画題としてたいそう人気があり、クラナッハからクリムトまで、時代を通じて多くの画家が特色あるユディト像を残しております。中でもおそらくクリムトと並んで最も有名なのがカラヴァッジオのユディト。

Caravaggio: Judith Beheading Holofernes
(本展の展示品ではありません)

血しぶきびゅーん。
アルテミジアのユディトに先立つこと十数年、伝統的には斬首シーンではなく、事が済んだ後、即ち生首を誇らしげに掲げるユディトや、彼女が侍女とともに街へと凱旋する姿が描かれていたこの主題において、今まさに斬っておりますという場面を生々しく描いたこの作品が人々に与えた衝撃はいかばかりであったことか。アルテミジアも大いに刺激をうけた画家の一人であったに違いございません。

しかしアルテミジアのユディトに比べると、カラヴァッジオのユディトはずいぶんとへっぴり腰でございますね。顔にはいかにも嫌々やってるという表情が浮かんでおりますし、侍女のアブラも(ここは伝統にのっとって)首袋をたずさえて控えているだけの老女として描かれております。
それに対してどうです、アルテミジアのユディトのたくましいこと。侍女もここではユディトと同年齢かそれ以下というぐらい若々しく、もがくホロフェルネスを上から押さえつけて、頼りになる協力者として描かれております。
ホロフェルネスは滝のように血を流して今しも息絶えんとしております。その断末魔の表情に対して、ユディトと侍女のまったく落ちついた、冷徹な、ほとんど事務的なまでの眼差しは、その冷たさゆえにかえってリアルで恐ろしいようでございます。
また剣を握りしめたユディトの力のこもった様子はどうです。左腕はホロフェルネスの頭にしっかり突っ張って、右腕に渾身の力を込めた上で、さらに体重を後ろへ傾けて刃を首に食い込ませております。一刀のもとに切り落とせないとあれば、握った剣をギーコギーコと挽くことでございましょう。

聖書によると、ユディトが神に祈りを捧げてから斬りつけると、ただの二振りで首が落ちたということでございます。が、アルテミジアのユディトはこの力仕事にあたって、神様のお力なんぞにすがっているようにはとても見えません。彼女を助けるのは、天にまします父なる神様ではなく、側にいて力を貸してくれる侍女なのでございます。
この作品が描かれた17世紀初頭はケプラーやガリレイが活躍し、科学が少しずつ神学を脅かしはじめた時代でございます。アルテミシアが無神論者だったなどと申すつもりは毛頭ございませんが、この作品に見られる現実的な表現も、ひそやかに神離れが進行していた時代であるからこそ生まれ得たものではないかと想像する次第でございます。

ちなみにアルテミジアは齢18のとき、師匠であった画家のタッシから結婚の口約束をされて性的関係を持つのでございますが、タッシが実は既婚者であることが判明し、それが父オラツィオ(やっぱり画家)の知る所となって裁判沙汰にまでもつれこみ、被害者なのに拷問までされるという心身共にしんどい経験をしております。このあたりの経緯は映画『アルテミシア』に詳しく描かれていることと存じます。ワタクシは未見でございますが。
『ユディトとホロフェルネス』が描かれたのはこの事件直後のこと。彼女のこうした辛い経験が本作を描く動機およびその表現に影響したのであろうとは、つとに語られる所でございます。

またアルテミジアはユディトを主題とした作品をいくつも残しており、本作と全く同じ構図のものがウフツィ美術館に所蔵されております。

Judith Slaying Holofernes, Uffizi

小学館の『世界美術大全集』によるとこの作品、アルテミジアの名が記されているにも関わらず、ウフィツィに来たときはカラヴァッジオの作品ということにされており、その前のピッティ美術館にあった時は作者名なしの扱いになっていたのだとか。女性であるというだけで生前も死後も不当な扱いを受けるとは、まったく酷い話ではございませんか。


まあそんな具合で
カポディモンテという固有名詞を聞いてもいまいちピンと来なかったのろではございましたが、蓋を開けてみればなかなかどうして充実した展覧会でございました。

京都文化博物館はリニューアル工事のため、本展のあとは来年7月まで閉館するとのことでございます。年末には大阪のサントリーミュージアムが閉まってしまうというのに、こんなタイミングで工事せんでもいいじゃないかと落胆している美術ファンはワタクシだけではございますまい。そんな人々も、ああこれは良いものにしてくれた、半年我慢したかいがあったなあ、とつくづく思えるような、ステキな新生文博を期待しておりますですよ。



『カポディモンテ美術館展』2

2010-11-24 | 展覧会
削り屑まみれになりながら本の小口のヤスリがけをしていたら、玄関のチャイムが鳴るではございませんか。慌てて部屋着をかぶってドアを開けるとそこにはNTTの調査員さんが。

調「どうも。お休みの所すみません」
の「いえいえ」
調「はあ」
の「えー、どういったご用で」
調「光回線の普及状況調査です」
の「はあ。左様で」
調「左様でと来ましたか」
の「はあ。すみません」
調「いえいえ」

振り返ってみると何だか妙なやりとりでございました。

それはさておき
11/20の続きでございます。

角を曲がるとそこはもうマニエリスムのお部屋。グレコ、ティツィアーノに挟まれて、本展の目玉であるパルミジャニーノの『貴婦人の肖像』が佇んでおります。



はい、パルミジャニーノ、『長い首の聖母』の人でございますね。

Madonna with Long Neck - Parmigianino

うーむ。気持ち悪い。
実を申せば、パルミジャニーノはあんまり好きな画家ではございません。歪んだプロポーションを特徴とするマニエリスムの画家の中でも、人体の歪みぐあいがとりわけ気持ち悪いからでございます。薔薇の聖母なんてもう、あちこちえらいことになっております。

今回来日した貴婦人はドレスをしっかり着込んでおりますので、身体の歪みはあまり目立ちません。それでも、右肩から腕にかけてのプロポーションがおかしいことは一見してお分かりになりましょう。顔や手といった部分部分の描写の確かさや、みごとに描き分けられた布や毛皮の質感からは画家の卓越した技巧が伺われます。それだけに、明らかに歪んだ人体のプロポーショはいかにも奇妙であり、背景の暗さも相まって、不気味な凄みのある作品となっております。

歪んだ身体の上には、首長の聖母にそっくりの冷たく整った顔が乗っかっております。ちょっときれいすぎるような卵形の輪郭に、笑っているようないないような微妙な表情の口元。黒いひとみは遠目にはきりっとこちらを見据えているかに思えたものの、近づいてよくよく見たらば「きりっと」を通り越してあまりに冷たく、どこにも焦点を定めずただ宙に見つめているだけのような気がしてまいります。
仮に「アンテア」と呼ばれてはいるものの、本当の名前も身分も来歴も知られていないこの女性は、果たして現実に存在したのだろうか。おそろしく整い、かつ明らかに歪んでいるこの肖像を前にして、そんなことを考えたのでございました。

さて、見るからに歪んだプロポーションや現実離れした色彩、奇抜な演出や極端な遠近法という特徴を持つマニエリスム絵画でございますが、いったい何故このような美術様式が流行したのでございましょうか。美術史の本をひもときますと、いくつかの理由が挙げられております。
曰く、レオナルドやラファエロといった数多くの天才を輩出したルネサンスを経て、自然そのものから直接学ぶことよりも、こうした過去の巨匠たちの手法や様式(マニエラ)を模倣することがもてはやされたため、表現における現実性が失われていった。
曰く、この時代が経験した諸々の精神的危機の反映として、現実よりも主観や幻想に重きを置く精神文化が醸成された。
曰く、宮廷などの閉鎖的な社会において享受されたことから、極度の洗練や奇想へと傾いた。

手法と形式の模倣と、現実からの退避と、閉鎖的サークル内での享受。
ううむ。400年前の美術様式について述べたことなのでございますが、何だか昨今流行りの「萌え絵」についての分析のような気がしてまいりました。してみると今から400年後には、村上隆氏の作品あたりが「第二のマニエリスム」として美術の教科書に紹介されているかもしれませんて。


次回に続きます。

『カポディモンテ美術館展』

2010-11-20 | 展覧会
ノロウイルス真っ盛りでございます。

それはさておき
京都文化博物館で開催中のカポディモンテ美術館展 ルネサンスからバロックまでへ行ってまいりました。

作品保護のためでございましょう、照明はだいぶ落とされております。暗い場内の所々にスポットライトによって光のサークルが作られ、会場全体がバロック的陰影に包まれておりました。

とはいえ展覧会のサブタイトルどおり、まずはルネサンス絵画から始まるのでございます。冒頭を飾るのは、あの画期的な死せるキリスト像を描いたマンテーニャのルドヴィコ・ゴンザーガの肖像(とされているもの)。当時流行した横顔肖像画という取り澄ました形式も手伝ってのことでございましょうか、モデルの個性やまだあどけなさの残る表情を捉えながらも、マンテーニャ独特の硬質な画風が伺われる小品でございます。

さて、マンテーニャやコレッジョや、かなーりレオナルドなルイーニの聖母子像といったルネサンス的な作品を眺めつつ進んで行き、ふとふり返るとそこにはもう、調和と静謐のルネサンスとは趣を異にする作品が待ちかまえておりました。


キリストの復活

作者は『美術家列伝』の著者ジョルジョ・ヴァザーリ。ええっこの人ぁ物書きじゃなかったんかい、と思ってあとで調べてみましたら、画家としても有名である上、ウフィツィの設計者でもあるとのこと。ううむ、全く存じませんでした。自らの浅学を恥じるばかりでございます。解説パネルを読みますと、この絵はフレスコ画を共同製作していた画家の助けを借りて描かれたものなのだそうで。

はりつけにされ、脇腹を刺され、亡くなって埋葬されてから三日の後に、なんと元気に復活するイエッさん。さすが神の子、タフにできております。墓の周りには遺体の盗難を防ぐために番兵が配置されていたのでございますが、聖書自体には復活シーンの記述がない(=目撃証言がない)ことから、番兵さんたちはイエッさん復活の時には眠りこけていたのだという解釈で描かれます。
それにしてもこの作品、兵士たちの眠りこけかたがすごいではございませんか。暗い背景のもと、兵士たちが死体と見まごうばかりにごろごろ折り重なって倒れているのを見て「いや、この絵怖いわ~」とつぶやきながら早々に立ち去って行かれるお客さんも少なくはございませんでした。
しかしこちら側に頭を向け、体をひねったポーズで横たわる人体を(手前の兵士の右足がちょっと変な感じではありますが)目立った破綻なく描いているあたり、見事な技量であると申せましょう。えっ。兵士たちはフレスコ画家さんが描いたんですか。そうですか。

寝転がる兵士たちの上に墓室の扉を蹴り倒してお出ましんなるイエッさん。聖火ランナーよろしく颯爽としたポーズは、扉の下敷きになっている番兵さんたちの体たらくとギャップがありすぎて、ちょっと笑えます。
イエッさんの均整のとれたプロポーションはルネサンスの名残りを留めておりますが、画面全体の暗さや、兵士たちがぐにゃぐにゃと眠りこける姿は、この作品の描かれた1545年にはすでに絵画がマニエリスムの時代に突入していることを伺わせるのでございました。


次回に続きます。


『ブリューゲル 版画の世界』2

2010-11-11 | 展覧会
11/9の続きでございます。

前回の記事では農民画のことばかり申しましたが、本展の目玉は何といっても寓意画の中に登場する魑魅魍魎たちでございましょう。
とりわけ圧巻だったのが7つの大罪をモチーフとしたシリーズでございまして、罪深い人々や怪物たちが画面の中に所狭しと跋扈しております。パネルによる解説が割と充実しておりますので、描かれた動物や怪物が象徴しているものの読み解きはそれなりにできます。しかし中には「そのテーマとこの怪物の間にいったい何の関係が?」と思わず首を傾げてしまう意味不明のクリーチャーも。しかもこれがやたらと可愛いときております。よちよち歩いている鳥(みたいのもの)やら、ヨイヨイ躍っている蛙(みたいなもの)やら。
テーマ自体には教訓や戒めという真面目な意図が込められているとしても、地上と言わず空中と言わず至る所に跳梁する怪物たちの生き生きとした姿は、まるっきり楽しんで描かれているとしか思われません。
特に公式HPのキャラクターギャラリーにおいて「琴ペン」の名で紹介されているやつの愛らしさといったらございません。思わずグッズを買ってしまいました。



それにしても怪物たちの元気なこと。ルネサンスの間に教会の装飾や写本の余白から追い出されたグロテスクな者たちが、やっとここに所を得たかのような騒ぎようではございませんか。


ここにもやけに可愛いのがおりますね。

思えば奇妙な、この世ならぬ、とはいえちょっと心惹かれるような存在というものは、妖精や妖怪や、動物プラスαといったかたちで、洋の東西を問わず描かれたり語られたりしてきたものでございます。あるいは今巷で流行っている「ゆるキャラ」の面々も、この奇妙なクリーチャーの系譜に連なるものなのかもしれませんて。

会場内では、展示されている「誰でも」「大きな魚は小さな魚を食う」をもとに作られた短いアニメーションも見ることができます。そして入ってすぐの壁面では、さまざまなクリーチャーたちが本展のタイトルの周りで戯れる作品が映し出されております。現実にはありえない姿かたちをした奴らがいやに現実的な動きをする、その気持ち悪さと愛嬌のバランスが何とも申せません。DVDがあったら購入しようかと思っておりましたのに、残念ながらショップにはございませんでした。調べてみますと、新潟会場では販売していた模様。 『PARABLE 寓話』の商品名で検索してみた所bunkamuraのネットショップに行き着いたものの、現在は残念ながら在庫切れでございました。

まあそんなわけで
16世紀の風俗の一端をかいま見、構成や描写や想像力におけるブリューゲルの力量に舌を巻き、クリーチャーたちの放縦ぶりになぜか心なごまされと、色々と見どころが多うございます。もとよりけっこう期待を高くして行ったのでございますが、それ以上に楽しめた展覧会でございました。


『ブリューゲル 版画の世界』1

2010-11-09 | 展覧会
美術館「えき」KYOTOで開催中の、ブリューゲルの版画展に行ってまいりました。

なかなか凝った公式HPはこちら。音が出ます。
ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル 版画の世界

ブリューゲルの作品だけかと思いきや、同時代の版画作品も多数展示されておりました。当時流行していた主題を知るという点でも、ブリューゲルとの比較という点でも、これがなかなか面白いものでございました。

例えば、お祭りで浮かれ騒ぐ農民たちを描いた一連の作品。
農民の姿を多く描いたことから「農民のブリューゲル」とも称されるピーテル・ブリューゲル。(長男で父と同名のピーテルと次男ヤンも画家であり、それぞれ得意とした画題にちなんで「地獄のブリューゲル」と「花のブリューゲル」というニックネームがございます。)が、ワタクシこれまで、老ピーテルの農民画がとりわけ「暖かいまなざし」のもとに描かれていると思ったことはございませんでした。はるかな高みから見下ろしたような俯瞰の構図や、生々しいまでのこと細かな描写は、共感や好意といったものよりも、人間の生態を引いた視点から観察する冷徹なまなざしによるものと思われたからでございます。

しかし本展で他の作家による農民画と比較して見て初めて、ブリューゲルの視線が決して冷ややかなものではなかったことが分かりました。
同時代の作家が描いた農村の祝祭風景は、あちらでは酔っぱらいがよろめきながら嘔吐し、こちらでは喧嘩がおっぱじまり、その向こうでは好色そうな表情をうかべた男女が抱き合っておりと、農民たちの粗野な部分や猥雑さがとりわけ強調されておりまして、いささか見世物小屋的な様相を呈しております。
それに対しブリューゲルの作品は、引いた視点で描かれてはいても見世物的なところはなく、農民たちの姿をことさら「悪い見本」として提示する意図も感じられません。むしろ晴れの日を楽しむ農民たちの浮き浮きとした雰囲気を表現することに心を砕いているようでございました。

もちろん自身も顧客も都市住民であったブリューゲルが、農民たちを「我々とは異なるもの」として観察していたであろうことは想像に難くございません。しかし小さな画面いっぱいに展開される、いとも人間的な彼らの姿からは、「異なるもの」に対して向けられた非難や軽蔑ではなく、愚かでもあれば単純でもある、同じ人間としての愛着が感じられました。また、ワタクシが「冷徹なまなざし」と考えていたブリューゲルの観察眼は、農民たちにのみ向けられたものではなく、自らを含めた人間というもの全体に対して向けられたものであったことが本展を通じてよくわかりましたし、その冷徹さや皮肉も決して単に厭世的なものではなかったということが、輪になって躍る農民たちの屈託ない姿を通じて表現されているようでございました。

ちなみに粗野で卑俗な「悪い見本としての農夫たち」の図像は、もっと洗練された形で17世紀オランダの風俗画へと受け継がれるわけでございますが、本展で見られる農民画は時代的に、15世紀の時祷書などに見られる理想化された農村の風景と、17世紀に流行した風俗画とのちょうど中間に位置しており、その点でも興味深いものでございました。

次回に続きます。


『マン・レイ展』

2010-10-26 | 展覧会
国立国際美術館で開催中のマン・レイ展 知られざる創作の秘密へ行ってまいりました。

全体的にポートレート(肖像写真)が多かったなあという印象。オブジェやフォトグラムによるすっとぼけたシュルレアリスムの作品がもっと見られるかと期待していたワタクシには、やや肩透かしでございました。とはいえ、ピカソやコクトーやモンパルナスのキキといった名だたる人々のポートレートはその人物独特迫力や繊細さ、華やかさといったものがどんぴしゃりと捉えられておりまして、一枚一枚見ごたえがございました。
イサム・ノグチにもお目にかかれて眼福眼福。ワタクシはこの彫刻家の40代のころの風貌が大好きでございまして。ある折に、土門拳が撮影したイサムノグチのポートレートを同僚氏に示して、どうです男前でしょう、と申しましたら一言「はげてるね」と返されたわびしい思い出もございますけれども。はげがなんだい。おかげで歳取ったらバスター・キートンに似て来るんだい。

閑話休題。
ポートレートの対象はマン・レイのミューズをつとめた女性たちをはじめ、レジェ、エルンスト、パスキンやジャコメッティといった造形芸術家から、ヘミングウェイやレイモン・ラディゲなどの文学者、サティにストラヴィンスキーに、バレエ・リュス(ニジンスキーが参加していたバレエ団)のダンサーたち、そして銀幕からはエヴァ・ガードナーにイヴ・モンタンと、各界において一時代を作った人々。ああ、この人もこの人も同時代だったんだなあと思って見ますと、これはこれで感慨深いものがございます。

しかしマン・レイ本人は、実は写真家ではなく画家として認められることを切望していたとのこと。マン・レイといえばまずはフォトアーティスト、と思っておりましたので、これは意外でございました。
ご本人の意図はさておきワタクシとしては、ドローイングや絵画やリトグラフも展示されているこの展覧会で「やっぱりマン・レイは写真とオブジェだわな」という思いを新たにしてしまったのでございました。

オブジェで面白かったのは、代表作のひとつである『天文台の時-----恋人たち』の大空に長々と横たわる唇をそのまま立体にした作品でございます。


『天文台の時-----恋人たち』

↑の唇が金属製のオブジェになったものとご想像ください。大きさは約2.5×10cmと小さいものでございます。
黄色みをおびて鈍く光る色あいからすると真鍮製かしらん、と思ってパネルを見ましたらば、素材の説明にはただひと言「金」とだけ記されておりました。誰もが欲しがる高価な素材でもって、アクセサリーにも実用品にもならない、冷笑的な形をしたクチビルのオブジェを作るという突き抜けた無意味さには、清々しい感動を覚えずにはいられませんです。

上記のクチビルもしかり、マン・レイは気に入ったひとつのモチーフを、写真やドローイングや立体といった異なるいくつかの媒体において作品化する傾向があったようでございます。例えば螺旋形はある時はランプシェードに、ある時はイヤリングに、またある時はぜんまいやスプリングのおもちゃの姿を借りてフォトグラム作品に現れます。眼や手といった人体のパーツに関しては、単にお気に入りというよりフェティシズムの域に突入しているとお見受けしましたが。

本展には未公開の作品の他、愛用の品やフォトグラムの製作に使った小物類、また篠山紀信氏の撮影によるアトリエ風景の写真なども展示されておりますので、マン・レイのファンならいっそう楽しめるのではないかと。

あいちトリエンナーレ・レポ6

2010-09-29 | 展覧会
さてお昼前に名古屋市美術館を出てから、またてくてくと30分ほど歩いて納屋橋会場へ。
こちらにはプロジェクターで大きく映し出された映像作品が多い中、こぢんまりとしたしつらえながらもいたく心に残った作品がございました。

せいぜい三畳かそこらの狭い部屋の片隅に、ごくありきたりな収納付きシンクが設置されております。その前にはちっぽけなテーブルと、シンクの方を向いてきちきちに並んだ椅子が二脚。ふと壁を見ますと、ブルガリアヨーグルトの化粧まわしをしめた琴欧州関の堂々とした全身写真がプリントされております。といってもおそらく、実物よりは3周りくらい小さめの。その向かいの壁には、短パンTシャツに化粧まわしならぬエプロンをしめた、見知らぬあんちゃんの全身写真が。頭と体のバランスから判断するに、こちらは実物もそんなに大きな人ではなさそうでございます。
シンクの上にはテレビが一台乗っておりまして、画面の中ではにエプロン姿のあんちゃん、即ちこの作品"Cultual mussaka"を制作したブルガリア出身のアーティスト、カーメン・ストヤノフ Kamen Stoyanov 氏が、身振りをまじえつつこちらに語りかけていらっしゃいます。

曰く、ブルガリアとオーストリアの国籍を持っているので、本トリエンナーレへの参加にあたって両国に助成を申請したところ、オーストリアは気前よくお金を出してくれたけれども、ブルガリアは国が貧乏なので助成金をもらえなかったこと。トリエンナーレの開会式にはブルガリア大使館の料理人が腕を振るって開会式の参加者にブルガリア料理をふるまうという計画だったけれども、大使館の経費節減のために料理人さんが急に解雇されてしまい、叶わなかったこと。その代わりに開会式にはストヤノフ氏自身が祖国の家庭料理を作って皆にふるまったこと。(「ムサカパーティー」で検索すると、参加された方々のブログやtwitterがヒットしてまいります。楽しそうおいしそうです)

こうした裏事情をなまった英語で語り終えた後、氏はおもむろに「ムサカ」を作りはじめます。作り方を説明しながら手際よく材料を炒めていくその様子はさながら料理番組でございます。
まずは玉ねぎ。にんじん、じゃがいも。ここでひき肉を入れます。料理とアートは似てるんだよ。ある程度炒めたら天板に移して。ソース作りはずっと弱火で。牛乳は少しずつ加えて。ここはちょっと難しいけど、前にも作ったことがあるから大丈夫。ムサカはおいしいし、栄養たっぷり。琴欧州も大好きなんだよ。
そして最後はオーブンで熱々に焼き上がったムサカをヨーグルトと一緒にお皿に盛って、完成。

大仰な「芸術」という言葉からはかけ離れたその映像を見ているうちに、何やらとてもなごやかな気分になってまいりました。こういう些細にして個別的な出会いこそ、異文化交流として最も有効なのではないかしらん。ここで観客が出会うものは家庭料理を作るというごく日常的な行為と、眉毛の濃いい小柄なあんちゃんという全く見知らぬ個人でございます。しかしこうした些細なものごとが、ブルガリアが誇る世界遺産の教会やブルガリアン・ヴォイスの合唱やブルガリア観光のお役立ち情報よりも、ワタクシをブルガリアという国へ心的にぐっと近づけました。

ある宗教や国籍や民族といった大きなくくりをの中にある集団を、十把一絡げにして嫌ったり憎んだり蔑んだりする向きはいつの時代でもあったことであり、残念ながら今もございますし、これからも無くなるとは思えません。しかしその集団の中に、自分と肯定的な出会いを果たした個人が一人でもいたなら、先方を何の留保もなく丸ごと憎むということには(少なくとも容易には)ならないのではないかしらん。
個人発信できるメディアがかくも増大している昨今、この作品との邂逅のような、ささやかなで肯定的な出会いの機会も増えているはずでございます。もちろんそれで経済的・政治的対立そのものが解消されるわけではございません。ただ、対立する相手集団の成員と、些細な、日常的な、肯定的な出会いを経験する人が多ければ、集団間の利害対立がいかに激しかったとしても、暴力の発動という決定的で取り返しのつかない一歩を踏み出すには至らずに済むのではないかと思うのですよ。

とまあ楽観的なことを考えながら名古屋駅へとてくてく歩いているつもりがどこかで曲がりそこねたらしく、気がつけば名古屋城の近くまで来ているではございませんか。帰りもラッシュに巻き込まれるのはどうでも避けたいので競歩選手の勢いで猛然と取って返し、駅の売店で職場へのお土産にきしめんパイをひっ掴み、かろうじて16:30の電車に滑りこみました。暮れ行く車窓の風景を時折眺めつつ『福翁自伝』の続きを読んで京都まで立ちづめ。ゆきっちゃんがお役人を口先三寸で丸め込み、塾の経営資金150両ふんだくったというくだりまで読んだ所で、拙宅もよりの花園駅に到着したのでございました。



あいちトリエンナーレ・レポ5

2010-09-26 | 展覧会
さて9/16にご報告しましたように東横インに一泊し、『鳥の物語』を読みふけり、翌日はてくてく歩いて名古屋市美術館へ。途中の道ばたで思いがけなくストイコビッチの足形と遭遇いたしました。「ピクシーストリート」なのだそうで。

ほぼ開館と同時に入ると床一面にお香を敷き詰めたかぐわしい作品や、深海魚めいた光を放つ、生物と機械のあいだのようなホアン・スー・チエ Huang Shih Chieh の作品が迎えてくれます。



刺激に対して一定の仕方で反応しながらも、周囲の環境と自身の体勢の微妙な変化によって有機的な動きをしてみせるへんてこマシーンたち。
『生物と無生物のあいだ』の福岡伸一さんは生命は自動機械ではないよと再三おっしゃっておりますし、生物学者の御説に対してのろごときが何をか言わんやではございますけれども、やっぱり生物ってのはつまる所、機械と変わらないんじゃないのかなあ、と思うわけでございますよ。ただプログラムと構造における複雑さの度合いがものすごく違うだけで。いやそれとも、そのものすごい度合いの違いこそが決定的な壁なのかしらん、などと考えながらぶらぶら進んで行きますと、突如として後方から美術館にあるまじき喚声が沸き上がり、見る間に小学生の大集団がなだれ込んでまいりました。
幸い、すぐ近くに蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)Tsai Ming Liang のインスタレーション作品が。何が幸いかと申しますと、仕切られた空間に鍵付きの小部屋がたくさん並んでいるという、避難所にはもってこいの作品だからでございます。

背後に迫り来るちびっこの波を感じつつ辛くも小部屋のひとつに飛び込み、しっかり戸を閉め、鍵をかけ、嵐が通り過ぎるのを待ちます。小部屋にはマットレスを敷いた寝台と、テレビとごみ箱とひと巻きのトイレットペーパーが設置されております。テレビには、汚げな石壁に囲まれた狭い空間にこれまた汚いぐすぐすのマットレスが放置されているという閉塞感いっぱいの風景が映し出されております。個室そのものは戸から壁から寝台から全てが真っ白で、不快なことはございませんが何とも殺風景でございまして、こぎれいな独房あるいはいわゆる個室ビデオ店の一室といった趣き。いえ、どちらも入ったことはございませんが。
壁が高いので、寝台の上に立ち上がっても通路や他の部屋の様子は見えません。隣の部屋に人がいたとしても、物音を立てないかぎりはお互いの存在に気付きません。昨今話題の「無縁社会」を象徴するような作品でございます。

もっとも室外に吹き荒れるちびっこたちの喧噪のせいで、ワタクシにとってはこの「無縁社会の縮図」が大層居心地のいい避難所となったのでございました。そもそもその「無縁社会」にしても、人付き合いの甚だ苦手なワタクシには、地縁社会血縁社会よりもずっと生きやすいというのが正直な所。もとより最期は運が良ければ屋根のある所で孤独死、そうでなければ一文無しになったあげくに橋の下かどこかで野垂れ死にするんだろうとは、昔から思っておりますし。
とはいえ飽くまでもワタクシ自身はこれでいいというだけの話であって、隣室でお年寄りが倒れてていることに誰も気付かなかったり、悩みを抱えた人が相談する相手もいないという社会がよいと申しているのではございません。地縁血縁に頼らずとも個人がそこそこ安心して暮らしていける社会システムが構築されてほしいのです。そのためなら税金が多少上がっても構わないと思っておりますけれどもできれば年収150万ののろさんよりもいっぱい儲けてる法人さんからがっつり取ってね。

ああ、それにしても子どもらのうるさいことよ。
背格好から判断するにもう5年生か6年生ではあろうに、狭い通路を走り回るわ、ドアは乱暴に開け閉めするわ、作品の壁はバンバン叩くわ、あげくにビル解体工事現場での会話もかくやとばかりに大音声を張り上げるわ。ここは一体どこなんだと気が遠くなりましたですよ。言っても無駄と思ってか、引率の方もボランティアの監視員さんもいっこうに注意する気配がございません。
もちろんワタクシは、小学生は美術館に行くなと申しているのではございません。芸術に触れるのはたいへん結構なことであり、むしろ推奨したいことでございます。しかし美術館や図書館といった公共の場では静かにするべしという基本的マナーぐらいはガキの、いや失礼お子様の時分に身につけておいてしかるべきではございませんか。そういうことを学ばずに大きくなってしまった人が、大学に入ってから図書館の机の真ん中にお菓子を広げて椅子の上には足を乗せ、かたわらの500ml入り紙パックジュースからは蟻が寄って来そうな匂いをあたり一帯にまきちらしつつ友達とひたすらおしゃべりに興じたり、至る所に張られた「携帯電話禁止」の張り紙を尻目に「あ、もしもし~、今図書館~。ううん~全然いいよ~」と楽しげに通話をおっぱじめ、図書館員に注意されるとうるせーなと言わんばかりの視線を投げかけながら尚も会話を続け、甚だ不当な視線を浴びせられた図書館員が(あからさまな館内秩序霍乱行為に堪え難い思いを味わいながらも)すぐにその場を立ち去る気はないということが分かってから、ようやくしぶしぶ電話を切る、という手合いになるのでございましょう。嘆かわしきことかな。
何です。例えがいやに具体的ですって。
ええ、まあ。

どうもかなりトリエンナーレから話が逸れてしまいましたが、まあ以上のようなことを、真っ白な個室の真っ白な寝台の上で頭を抱えて考えたわけでございます。


あと一回続きます。

あいちトリエンナーレ・レポ4

2010-09-23 | 展覧会
ジャン・ホァン作品とは対照的に繊細さで印象に残ったのが宮永愛子氏の「結(ゆい)」でございました。

↓写真をクリックすると拡大されます。
MIZUMA ART GALLERY : 新着情報 : 宮永愛子があいちトリエンナーレ2010に参加します

塩の神殿とでも申しましょうか。床から天井までいく筋も張られた糸には塩の結晶が付着しており、会場内の淡い光を受けて霜のようにちらちらと輝いております。この塩は名古屋市内を流れる堀川の水から精製したものなのだとか。
淡い光の光源は部屋の中央に置かれている古びたカヌーでございます。中をのぞいてみると、アクリル板で蓋をされた船の中にナフタリンでできた真っ白な靴が置かれております。↑の写真では全ての靴が完全な形をしておりますが、時間とともに気化していくため、ワタクシが見た時にはだいぶ欠けてきており、中にはほとんどなくなっているものもございました。気化したぶんはどこへ行ったかと申しますと、透明な蓋の内側に、今度は自然なかたちの結晶となって点々と付着しております。生物も無生物も、存在する「もの」全てが、時とともに形を変えつつも存在し続ける、何かの消滅が別なものの生成に繋がっている、そんなことを思わしめる作品でございました。

この他にもフィロズ・マハムド Firoz Mahmud 氏の穀物で覆われた戦闘機(21世紀の戦い、軍国主義や火器は全て人民の生存権の搾取によるものである---アーティスト自身の言葉より)や、真っ暗な部屋の中でHELL(地獄)、MORTAL(死すべき者)、FATE(運命)といった言葉が床を這いずっては消えて行き、しまいには床を覆い尽くす白い光となって轟音とともに観客を包み込む、まことに陰鬱なツァン・キンワ Tsang Kin Wah氏の作品、それからオリバー・ヘリング Oliver Herring 氏による、マサチューセッツ、ニューヨーク、そして名古屋のお年寄りたちによる無性に楽しい映像コラボ作品などなど、面白ものがたくさんございましたけれども、あまりに長くなりますので芸術文化センター会場についてはこのへんで。

あと2回ぐらい続きます。

あいちトリエンナーレ・レポ3

2010-09-22 | 展覧会
名古屋市内にいくつかある会場のうち、ワタクシが行ったのは愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、そして納屋橋会場の3つだけでございます。その限りでのことではありますが、映像作品や映像を使ったインスタレーション作品がずいぶん多いようでございました。

さきにご紹介した Staging silence をはじめ、ビデオアートはテクノロジーを利用した表現という点でも、物体としての空間的広がりを持たないという点でも、その手法自体がいかにも現代的なものでございます。
そんな中、大きさと素材感、そして造形性という空間的・直接的な要素に訴えることによって圧倒的な存在感を放っていたのがジャン・ホァン Zhang Huan の ”HERO"でございます。こちらの写真で大きさのほどがお分かりいただけるかと。

泥まみれの巨人のようなものが、展示室いっぱいに足を投げだして座っております。右肩には子どもらしきものがくっついており、膝はむくむくと膨れ上がって今しも何かが生れ出てこようとしております。近づいてみると、泥のように見えたまだら模様は何枚も張り合わされた牛の毛皮でございました。白や黒や茶色のつやつやとした、しかし尻尾や蹄もついたままの毛皮が、むき出しの針金で固定されている親子像。荒々しさと生物のぬくもりとが混在する作品を前にして、恐ろしいような、慕わしいような、何とも名状し難い感覚に襲われました。
たまたま一団をひき連れてやって来た解説ボランティアさんの話によると、発掘された太古の神をイメージしているのだとか。確かに、見る者のプリミティブな部分に訴えて来る作品でございました。

ジャン・ホァン氏は国立国際美術館で昨年開催された『アヴァンギャルド・チャイナ』にも出展しておられました。こちらは映像作品だったのでございますが、アーティスト自身が取り組むほとんど苦行か人体実験のようなパフォーマンスには、やはり強烈なインパクトがございました。
『アヴァンギャルド・チャイナ』 - のろや

芸術文化センター地階のミュジアムショップに作品集があったので少々立ち読みさせていただきましたが、立体もパフォーマンスも、ただもう凄いのひと言でございます。こんな力のあるアーティストの作品をじかに、しかも同時代に見られるのはまことに幸せなことでございます。

本人のHPでドローイングや版画作品も見ることができます。ううむ、これまたいい。

次回に続きます。

あいちトリエンナーレ・レポ2

2010-09-21 | 展覧会
さてフアン・アラウホの白い小部屋から一転して、真っ暗に仕切られた隣の空間ではハンス・オプ・デ・ビークの詩的な映像作品が上映されております。

タイトルは "Staging Silence" (沈黙を上演する)。
スクリーンに映っているのは1m四方ほどの舞台。両側から人の手が現れ、小さな模型や豆電球を使って、舞台上に様々な「沈黙の風景」を演出してゆきます。夜のビル街や誰もいないオフィス、廃墟や月明かりの湖といった風景が次々に出来上がって行く、その様子が実に面白い。

その映像にあわせて、何とも不思議で心地よい音楽が途切れなく流れております。タイトルには「沈黙」と銘打っているものの、20分ほどの上映の間に鑑賞者の耳が沈黙を経験することはございません。変な言い方になりますけれども、鑑賞者が沈黙を経験するのは、視覚を通じてのことなのでございます。あたかも、音も色もないモノクロ無声映画が、観客をして声や音や色彩を頭の中で補わしめるように、この作品はあくまでも視覚に訴えることよって観客の中に沈黙の感覚を生じさせます。鑑賞者の中に生起した「沈黙」は、この作品の一部であり、加えられるべき最後のひと筆なのでございます。

鑑賞者の感覚が作品を完成させる、という点では、いかにも現代美術といった趣きの作品でございます。しかし作り出される風景そのものは、何かこう、タルホ的にノスタルジックで、映像と音楽がかもし出す詩的な雰囲気は目にも耳にも心地よく、展示室内では何も考えずにただただうっとりと眺めておりました。また、ミニチュアによっていかにも静かそうな風景を演出する、という行為に伴う若干のウソっぽさ、わざとらしさは大変のろごのみでもあり、いたく心に残ったのでございました。

なおこの作品、アーティストのHPで全編見ることができます。
HANS OP DE BEECK
トップページからartworks→2009と進むと表示される作品リストの下から2番目でございます。ロードに少々時間がかかるかもしれませんが、なに、ほんの数秒のことでございます。大変美しく心地よい作品でございますので、ぜひご覧下さいまし。


次回に続きます。

あいちトリエンナーレ・レポ1

2010-09-18 | 展覧会
「美の壺」に郷里が取り上げられたので片手間に見ていたら、父が出て来て喋っておりました。まあ知らん間に立派になって。

さておき。
あいちトリエンナーレは名古屋市内のいくつかの会場において開催されております。到着時間が予定よりも遅れたこともあり、一日目は愛知芸術文化センターに的を絞ることといたしました。愛知芸術文化センターは美術館と劇場と図書館を併設した複合施設で、ここに来れば愛知県内の美術・音楽・演劇情報が一手にわかるという、なかなかに羨ましい施設でございます。以前申しましたように、美術館はビル内のフロアとしてあるよりも単独の建物であってほしいというのがワタクシの持論ではございますが、芸術に関する情報が集まっているという点では、この施設の有用性を認めぬわけにはまいりません。

10階の美術館フロアに入るとすぐに草間彌生の花(らしきもの)がお出迎え。取って喰われそうでございます。
登山 博文による、まず十畳敷きはあろうかというすがすがしい大きさの作品を経て進んでまいりますと、白い小部屋にフアン・アラウホの慎ましくも示唆に富む作品が並んでおりました。

一見、ちょと古びた図録が開いて置いてあるだけのようでございます。表紙には「フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル」と。しかし近づいてみると、ちょっと様子がおかしい。実はこれ、上記のカタログ本を写真から小さな文字に至るまで、油彩で描きおこしたものなのでございます。文字が日本語であることは一目で分かるものの、所々かすれたように書かれ(描かれ)ているため、文章として判読するとなるとちと難しい。それに模写されているのは表紙を含めてもほんの数ページのことであって、後はスチレンボードか何かで厚みを出しているだけ。つまりここに展示されているのは、図像や文のレイアウトといったデザイン的要素を愛でることはできるものの、ライト建築の記録と考察というカタログ本来の機能は失われている、なんとも奇妙な物体なのでございます。

機能から解放されたものの美にフォーカスしたんかなと思ったのですが、解説パネルによると「帝国ホテルの一部が明治村に移築され、本来の機能と文脈を失って幽霊のようなイメージとして機能していることを、幾度ものイメージの複製を通じて提示しています」とのこと。とすると、むしろ本来の役割を失ったものがご大層に展示されていることの滑稽さと違和感を表現したものと申せましょうか。
また、模写、と言っていいのかこの場合分かりませんが、平面のものをそのまま描き写すという行為が持つ、アート/表現としての可能性についても改めて考える土壌を与える作品ではないかと。

次回に続きます。

あいちトリエンナーレ

2010-09-16 | 展覧会
というわけで、愛知県へやって参りました。
ただ今名古屋栄恵町東横インのロビーでございます。
『福翁自伝』と中勘助の『鳥の物語』、そして念のため『物語 史記』を携え、最寄り駅を7:14発の電車に乗ったところ、思わぬ混雑にてすし詰め状態。四方八方からあまりにもぎゅうぎゅう押されるので、しまいには笑いがこみ上げてまいりました。

大雨のため先行の特急が遅れたせいで予定より1時間半ほど遅く名古屋駅に到着すると、しとしと雨が降っておりました。傘がないのは別になんともございませんが、カメラを忘れたのは痛恨の極み。撮影可の作品もけっこうあるというのに。常のごとく、時間がもったいないため昼食抜きで美術館に乗り込むつもり満々だったのが、カメラを忘れて来たことに気づくや急にお腹がへってきたのだから面白いもんでございます。

ともあれ、現代アートに半日浸ってまいりました。
『福翁自伝』は、ゆきっちゃんが欧州から帰ってきたら日本は攘夷論まっさかりであら困ったな、という所まで読みまして、後は明日にとっておくのでございます。そして今晩は『鳥の物語』を読みふけるのです。

で、鳩のほうから口ぐちに声をかけた。
「ナザレの大工さん」
「ナザレの大工さん」
「柳の鳩だよ」
「ほらヨルダンの行者さんとこで逢ったじゃないか」
「おお、おお」
二度びっくりした若者は汚れた足元に集まった彼らを一羽一羽迎えた。

『鳩の話』より

ううっ
たまりません中勘助。