『メガマインド』が日本では劇場公開されないって本当ですか?
去年の夏ぐらいから楽しみにしていたのに...
それはさておき
だいぶ前に上映が終ってしまいましたが、『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』はそれはそれは素敵な作品でございましたよ。
まあまずは、この愛すべき作品の魅力をきゅーっと凝縮したようなトレーラーをぜひご覧下さいませ。
映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』予告編
うーむ、いいなあ。また観たくなってくるなあ。
好きなアーティストを取り上げたものや音楽ものは別として、観賞後に「もう一回観たい!」と思うドキュメンタリー作品というのは、ワタクシにはそうそうございません。今思いつくかぎりでは『オランダの光』くらいでしょうか。しかしこの作品は、そんな希な気分を味わわせてくれる快作でございました。
つましいアパート暮らしでありながら、米ナショナル・ギャラリーの学芸員がびっくり仰天するほどのアートコレクターであるハービー&ドロシー・ヴォーゲル夫妻と、彼らと交流のあるアーティストたち、そして米モダンアートの軌跡を廻る、時にはあまりにも庶民的な、時にはあまりにもとんでもないエピソードの数々。その ひとつひとつがたいへん興味深く、思わず笑ってしまうほどおかしくて、しかも何だか、爽快なのでございます。その上、主人公たるこの老夫婦が、登場するアーティストやアート作品をしのぐほどに魅力的なのでございます。
いつもしっかり手をつないで、ギャラリーやアトリエにてくてく乗り込んで行く、ちっちゃな老夫婦。
ハーブさんのNYっ子らしいウィットに富む話しぶりも、ドロシーさんの穏やかながらもしっかりもの感の滲む物腰も、二人のおしどり夫婦ぶりも、とにかくキュートなんでございます。しかしそのマスコット的なかわいらしさとは裏腹に、作品を見据える二人のまなざしはぴりっと鋭い。
その確かな審美眼によって築き上げられた膨大なコレクションは、まさにアートの森。というより密林でございます。いやほんとに。
1LDKのアパートの中に所狭しと積まれ,掛けられ,収納され、あるいはぶら下げられた芸術作品、その間をかき分けるようにして、ちっちゃな二人が、電話をかけたり牛乳を注いだり、ふさふさの猫とたわむれたりとごくあたりまえに生活しているさまは、なんともオモシロものすごい。
こんな状態では奥の方にしまい込んだものは取り出すのも一苦労ではないかと心配になりますが、ドロシーさんの図書館司書らしい喩えにワタクシ、心の中でナルホドと膝をうちましたですよ。曰く「好きな本と同じ。いつも読むわけじゃないけれど、持っているというだけでも幸せなの」そうかあ。そうですよねえ。めったに開かないけれども決して手放したくない本というのはありますよねえ。それがたまりたまって居住スペースを圧迫しているのは承知しつつも...スピノザ本とか...展覧会の図版とか...『ぼのぼの』とか...
さておき。
ヴォーゲル夫妻宅がアート密林状態になったのは、二人が月々のつましい収入の半分をつぎこんで、貪欲かつ情熱的に作品を購入してきたためでもあり、またひとたび手に入れた作品は、たとえその後どんな高値がついたとしても決して売却しないというそのポリシーのためでもあります。その姿勢は清々しいほどに徹底しております。世の中には芸術作品を資産として購入するという人もおりますが、資産家でも何でもない二人が作品を買い求める理由は単純に「好きだから」。
ギャラリーに足しげく通って、アーティストと言葉を交わし、アトリエでは昔の作品からドローイングまで細大漏らさず見せてもらい、時には批評もした上で、本当に気に入ったものを購入する。それもこれも、アートが好きでたまらないから。そしてそれが結果として、若手アーティストを育てることにもつながっている。
コレクションを全て国立美術館に寄贈することが知れ渡ると,ワタシの作品もどうぞとばかりに、二人のもとに多くの作品が送られてくるようになったとのこと。ドロシーさんは「全部送り返してるの」とこともなげに言います。そういう集め方はしないから、と。
本作はアートに全然興味のないかたでも楽しめる作品ではございます。とはいえ二人と関わりのある現代アーティストたちも、いわば証言者として登場いたしますので、モダンアートに詳しいかたはなおいっそう楽しめるのではないかと。ワタクシはクリストと今は亡きジャンヌ・クロードしか存じませんでしたが、二人が有名なヴァレー・カーテンのプロジェクト決行のため現地コロラドに出かけている間、夫妻に飼い猫の世話を見てもらったというエピソードを愉快そうに語るさまには実に心なごみましたですよ。
近年わりとよく見かける「本当の豊かさって何だろう」系のドキュメンタリーと位置づけることもできますが、この二人のアートに対する貪欲さと、それ以外のことに関する無欲さがあまりにも突き抜けておりますので、「豊かさ」という手垢のついた言葉で一般化してしまうのは勿体ないような気がいたします。
この作品の爽快感はむしろ『世界最速のインディアン』に通じるものがございます。「こんなふうに生きる人もいるんだ」と思うだけで、何だかたまらなく嬉しくなってくる、そんな作品なのでございますよ。
去年の夏ぐらいから楽しみにしていたのに...
それはさておき
だいぶ前に上映が終ってしまいましたが、『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』はそれはそれは素敵な作品でございましたよ。
まあまずは、この愛すべき作品の魅力をきゅーっと凝縮したようなトレーラーをぜひご覧下さいませ。
映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』予告編
うーむ、いいなあ。また観たくなってくるなあ。
好きなアーティストを取り上げたものや音楽ものは別として、観賞後に「もう一回観たい!」と思うドキュメンタリー作品というのは、ワタクシにはそうそうございません。今思いつくかぎりでは『オランダの光』くらいでしょうか。しかしこの作品は、そんな希な気分を味わわせてくれる快作でございました。
つましいアパート暮らしでありながら、米ナショナル・ギャラリーの学芸員がびっくり仰天するほどのアートコレクターであるハービー&ドロシー・ヴォーゲル夫妻と、彼らと交流のあるアーティストたち、そして米モダンアートの軌跡を廻る、時にはあまりにも庶民的な、時にはあまりにもとんでもないエピソードの数々。その ひとつひとつがたいへん興味深く、思わず笑ってしまうほどおかしくて、しかも何だか、爽快なのでございます。その上、主人公たるこの老夫婦が、登場するアーティストやアート作品をしのぐほどに魅力的なのでございます。
いつもしっかり手をつないで、ギャラリーやアトリエにてくてく乗り込んで行く、ちっちゃな老夫婦。
ハーブさんのNYっ子らしいウィットに富む話しぶりも、ドロシーさんの穏やかながらもしっかりもの感の滲む物腰も、二人のおしどり夫婦ぶりも、とにかくキュートなんでございます。しかしそのマスコット的なかわいらしさとは裏腹に、作品を見据える二人のまなざしはぴりっと鋭い。
その確かな審美眼によって築き上げられた膨大なコレクションは、まさにアートの森。というより密林でございます。いやほんとに。
1LDKのアパートの中に所狭しと積まれ,掛けられ,収納され、あるいはぶら下げられた芸術作品、その間をかき分けるようにして、ちっちゃな二人が、電話をかけたり牛乳を注いだり、ふさふさの猫とたわむれたりとごくあたりまえに生活しているさまは、なんともオモシロものすごい。
こんな状態では奥の方にしまい込んだものは取り出すのも一苦労ではないかと心配になりますが、ドロシーさんの図書館司書らしい喩えにワタクシ、心の中でナルホドと膝をうちましたですよ。曰く「好きな本と同じ。いつも読むわけじゃないけれど、持っているというだけでも幸せなの」そうかあ。そうですよねえ。めったに開かないけれども決して手放したくない本というのはありますよねえ。それがたまりたまって居住スペースを圧迫しているのは承知しつつも...スピノザ本とか...展覧会の図版とか...『ぼのぼの』とか...
さておき。
ヴォーゲル夫妻宅がアート密林状態になったのは、二人が月々のつましい収入の半分をつぎこんで、貪欲かつ情熱的に作品を購入してきたためでもあり、またひとたび手に入れた作品は、たとえその後どんな高値がついたとしても決して売却しないというそのポリシーのためでもあります。その姿勢は清々しいほどに徹底しております。世の中には芸術作品を資産として購入するという人もおりますが、資産家でも何でもない二人が作品を買い求める理由は単純に「好きだから」。
ギャラリーに足しげく通って、アーティストと言葉を交わし、アトリエでは昔の作品からドローイングまで細大漏らさず見せてもらい、時には批評もした上で、本当に気に入ったものを購入する。それもこれも、アートが好きでたまらないから。そしてそれが結果として、若手アーティストを育てることにもつながっている。
コレクションを全て国立美術館に寄贈することが知れ渡ると,ワタシの作品もどうぞとばかりに、二人のもとに多くの作品が送られてくるようになったとのこと。ドロシーさんは「全部送り返してるの」とこともなげに言います。そういう集め方はしないから、と。
本作はアートに全然興味のないかたでも楽しめる作品ではございます。とはいえ二人と関わりのある現代アーティストたちも、いわば証言者として登場いたしますので、モダンアートに詳しいかたはなおいっそう楽しめるのではないかと。ワタクシはクリストと今は亡きジャンヌ・クロードしか存じませんでしたが、二人が有名なヴァレー・カーテンのプロジェクト決行のため現地コロラドに出かけている間、夫妻に飼い猫の世話を見てもらったというエピソードを愉快そうに語るさまには実に心なごみましたですよ。
近年わりとよく見かける「本当の豊かさって何だろう」系のドキュメンタリーと位置づけることもできますが、この二人のアートに対する貪欲さと、それ以外のことに関する無欲さがあまりにも突き抜けておりますので、「豊かさ」という手垢のついた言葉で一般化してしまうのは勿体ないような気がいたします。
この作品の爽快感はむしろ『世界最速のインディアン』に通じるものがございます。「こんなふうに生きる人もいるんだ」と思うだけで、何だかたまらなく嬉しくなってくる、そんな作品なのでございますよ。