のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『交差する表現』展1

2013-04-04 | 展覧会
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さておき。

京都国立近代美術館で開催中の京都国立近代美術館 開館50周年記念特別展 『交差する表現---工芸/デザイン/総合芸術』へ行ってまいりました。

いやあ
開館50周年大感謝祭・コレクション大放出+α・夢二もあるよ!
てな感じでございまして、予想以上に見ごたえがございました。近美のコレクションをたいがい見慣れたつもりでいたのろさんも大満足でございます。

「工芸に焦点をあてた特別展」と聞いた時は壷やら皿やら籠やらばかり並んでいる光景を想像いたしましたが、蓋を開けてみれば壷やら皿やらはほんの一部でございまして、オブジェ・家具・テキスタイル・版画・テーブルウェア・建築・壁紙・ジュエリー・その他商業デザインと、バラエティに富んでおります。
作品の年代も1893年(明治26年)作の平安神宮建築図面に始まり、夢二の千代紙やウィーン工房のコーヒーセット、散歩するザムザ氏やじっと黙ってたたずむハンス・コパーの壷、それに1980年代の突飛なジュエリーやガラスオブジェの数々を経て、人間国宝北村武資氏による2010年作の古代織まで至る、それはもう幅広いものでございました。

これだけ広範囲なものを一堂に並べてあっても、バラバラの寄せ集めという感じがしなかったのは、巧みな展示構成ゆえでございましょう。作品をただ年代順に並べたるだけではなく、作品同士、そして前後のセクション同士が緩くつながりを持つよう配慮された展示というのは、あるいは基本的なことなのかもしれません(ワタクシは博物館学を勉強しなかったので実際の所は存じませんが)。そうだとしても、本展のように射程が広く、散漫にもなりかねない展示を、アクセントを挟みつつスムーズに見せる構成に仕上げられたのは、美術館の力量というものでございましょう。
おかげさまで工芸という大きな括りの中で、素材・技法・概念におけるグラデーションを辿って行く小旅行のような体験をすることができました。

ただ、ですねえ。
京都近美がなぜか個々の作品に解説をつけたがらない美術館であることは、もはや諦め気分で承知しておりますけれども、素材や技法の表記まで省略してしまうというのは、甚だ納得がいきません。出品リストの方に書いてあるのかと思いきや、それもなし。
何だってんです。ゆくゆくは作家名や制作年代の表記も引っ込めてしまうおつもりでしょうか?
よけいな情報を頭に入れずに自分の感性だけを頼りに鑑賞してほしい、という館側の意図なのかもしれませんが、手描きか木版か銅版かぐらいのことが記してあっても、別に鑑賞の妨げにはならないと思いますよ。むしろ今回展示されているジュエリーなどは、かたちだけでなく素材の意外性・革新性も面白いところでしょうに。
京都近美はワタクシ大好きな美術館ではあります。しかしライトユーザーに対して不親切と申しますか、「解る人だけ解ればいいんだよ」という排他的な姿勢を感じることが少なからずございます。客に媚びろというつもりはございませんが、美術ファンの裾野を広げようという気はないのかしらん、とは常々思う所でございます。

まあ文句はこれくらいにいたしまして、印象深かった作品などを挙げてみますと。
やっぱり八木一夫作品がどれも面白うございましたよ。独特の「抜け」感と申しましょうか、深刻になりすぎない感じがよろしうございますね。
それから越智健三氏の金工(たぶん)によるオブジェ『植物の印象』は、上へ上へと向かうシャープな動きと、ふわりと空中に留まる軽やかな浮遊感のバランスがなんとも素晴らしい作品でございました。遠くから見た時は、植物というよりも、どこにもない場所へと飛び立とうとする船かと見え、ハッと心を掴まれました。

さて、のろさんがあの世で出会ったらとりあえず手を合わせて拝みたい人リストには、ウィーン工房のコロマン・モーザーとヨーゼフ・ホフマンの名前が並んでいるわけでございます。本展ではそのヨーゼフ・ホフマンがデザインした家具やテーブルウェアも展示されておりまして、中でも白磁(たぶん)のコーヒー・セットは感涙ものでございました。

かたちはこれ↓と同じものですが、展示されていたものには黒いラインはなく、よりいっそう清楚な趣きでございます。

Mud Babies
Fine arts, porclain/china, coffee cup, milk jug, mocca cup, design by Josef Hoffmann 1870 - 1956. INH-543066 � INTERFOTO

模様ひとつない白磁の肌にうっすらとつけられた縦方向の溝、上下対照の取っ手、ペトリ皿のように寡黙で慎ましいソーサー、いやもううっとりでございます。カップもポットも中央がほんの少しふくらんでおりまして、古代ギリシャ建築の円柱が連想されます。個人的な好みを申せば、ストンとした取りつく島のない円柱形でもよかったと思うのですが、この柔らかなふくらみのおかげで、それ以外の点では禁欲的なデザインのこのコーヒーセットに、おっとりと優しい雰囲気が醸し出されております。この繊細な膨らみは、無愛想な大量生産品でもなく、お高く止まった超高級品でもない、普段使いの美を目指したウィーン工房の理念に沿った、暖かみのひと匙とも申せましょう。


次回に続きます。