はいはい
通年五月病のくせにいけずうずうしくもまだ生きておりますよ。
何のためかは存じませんけどね。
ほっほっほ。
さておき
福田平八郎展 京都国立近代美術館 へ行ってまいりました。
初期作品から絶筆まで総勢約80点。
代表作である『漣』『雨』『新雪』『水』などがそろい踏みである上に
スケッチ帳まで展示されているというのは嬉しいではございませんか。
上に挙げた代表作はみな、一見抽象画ともとれるほど対象を単純化した具象画でございますが
初期の作品はたいへん緻密な写実的表現がなされております。
モチーフに固有の美、牡丹なら牡丹というものの、茄子なら茄子というものの持つ美を
見極めようとしているようでございます。
『牡丹』のように、むせ返るほどの緻密さで描き込まれた作品も
『朝顔』のように、すっきりとした澄明な作品も
対象を見て、見て、ひたすら見て、執拗なまでの観察と写生を重ねたのちの作品であることが伝わってまいります。
後年になると、画家の興味はモチーフの「かたち」としての面白さに
絞られていったように見受けられました。
鯉を描くにあたっての、「漢時代の銅器のようなところに狙いを持っていた」という画家の言葉からも
そんな傾向が伺われると思うのです。
お好きな画題であったのか、鯉を描いた作品はずいぶん多うございました。
のろは一般に魚というものが好きなんでございますが、鯉はちと苦手でございます。
ぱっくんぱっくんと開く口の感じや、大きく重々しい体型でありながらすいすいと泳ぐ様子が
何やら怖いような生命感を発していて、気圧されるんでございます。
へいはちろうさんの初期の鯉には、あの怖いような生命感がしっかり表現されておりまして
のろにはやっぱりちと怖いものでございました。
後年に描かれたものは、鯉という魚の持つ生命感よりも
ごろっとしたずんどうなかたち、整然と並んだ大ぶりの鱗といった
かたち面の表現に重心が移っているためか、鯉の静的な美しさが表現されており
まことに結構でございました。
かように
初期の写実的な作品と、のちのより装飾的な、抽象に近いような作品とは
画風も雰囲気も異なっているのでございますが、どの時期に描かれた作品においても
本画に先立つひたすらな観察と写生という点において、一貫しているのでございました。
本展には、美術館による作品解説パネルの類はございませんでしたが
所々のパネルで紹介されている、へいはちろうさんご自身の言葉からは
画家の素朴でおだやかなお人柄が伺われ、またこれが何よりの鑑賞ガイドとなっておりました。
ワタクシもそれにならって、これ以上くだくだしく言葉をならべるのはやめて
最後に『漣』についての画家の言葉をご紹介いたしましょう。
「波の形は瞬間の動きでまことに掴みにくいものです。その写生にはいろいろな試みをして実態をつかむのに苦心しました。結局よく見ることが何よりのたよりとなるものです」
通年五月病のくせにいけずうずうしくもまだ生きておりますよ。
何のためかは存じませんけどね。
ほっほっほ。
さておき
福田平八郎展 京都国立近代美術館 へ行ってまいりました。
初期作品から絶筆まで総勢約80点。
代表作である『漣』『雨』『新雪』『水』などがそろい踏みである上に
スケッチ帳まで展示されているというのは嬉しいではございませんか。
上に挙げた代表作はみな、一見抽象画ともとれるほど対象を単純化した具象画でございますが
初期の作品はたいへん緻密な写実的表現がなされております。
モチーフに固有の美、牡丹なら牡丹というものの、茄子なら茄子というものの持つ美を
見極めようとしているようでございます。
『牡丹』のように、むせ返るほどの緻密さで描き込まれた作品も
『朝顔』のように、すっきりとした澄明な作品も
対象を見て、見て、ひたすら見て、執拗なまでの観察と写生を重ねたのちの作品であることが伝わってまいります。
後年になると、画家の興味はモチーフの「かたち」としての面白さに
絞られていったように見受けられました。
鯉を描くにあたっての、「漢時代の銅器のようなところに狙いを持っていた」という画家の言葉からも
そんな傾向が伺われると思うのです。
お好きな画題であったのか、鯉を描いた作品はずいぶん多うございました。
のろは一般に魚というものが好きなんでございますが、鯉はちと苦手でございます。
ぱっくんぱっくんと開く口の感じや、大きく重々しい体型でありながらすいすいと泳ぐ様子が
何やら怖いような生命感を発していて、気圧されるんでございます。
へいはちろうさんの初期の鯉には、あの怖いような生命感がしっかり表現されておりまして
のろにはやっぱりちと怖いものでございました。
後年に描かれたものは、鯉という魚の持つ生命感よりも
ごろっとしたずんどうなかたち、整然と並んだ大ぶりの鱗といった
かたち面の表現に重心が移っているためか、鯉の静的な美しさが表現されており
まことに結構でございました。
かように
初期の写実的な作品と、のちのより装飾的な、抽象に近いような作品とは
画風も雰囲気も異なっているのでございますが、どの時期に描かれた作品においても
本画に先立つひたすらな観察と写生という点において、一貫しているのでございました。
本展には、美術館による作品解説パネルの類はございませんでしたが
所々のパネルで紹介されている、へいはちろうさんご自身の言葉からは
画家の素朴でおだやかなお人柄が伺われ、またこれが何よりの鑑賞ガイドとなっておりました。
ワタクシもそれにならって、これ以上くだくだしく言葉をならべるのはやめて
最後に『漣』についての画家の言葉をご紹介いたしましょう。
「波の形は瞬間の動きでまことに掴みにくいものです。その写生にはいろいろな試みをして実態をつかむのに苦心しました。結局よく見ることが何よりのたよりとなるものです」
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