当地では本日にて会期終了となってしまいましたが、せっかくなので『パウル・クレー展』の鑑賞レポをちょとだけ。何事もなければ、月末には東京に巡回します。
何事もなければ。なんて言っていられる事態ではないような気もしますけどね、もう今の時点で。
パウル・クレー展 おわらないアトリエ PAUL KLEE:Art in The Making 1883-1940
「おわらないアトリエ」のサブタイトルどおり、アトリエにおける画家のたゆまぬ試行錯誤の跡をたどる、ユニークにして意義深い展覧会でございました。
完成作品として世に出ているものだけでなく、それに先立つ素描や小品も並べられていたり、ある作品の構想段階の姿と、それを大胆にトリミングまたは分割した完成品とが一緒に展示されていたりと、完成作品を見ただけでは伺い知れない製作過程にスポットライトを当てているのが本展の何よりの目玉でございましょう。それによって、クレーがイメージを純化させ、あるいは展開し、時には別の主題へと転用していくさまや、その際の指向性------具体的・説明的になりすぎるのを避け、ひとつのモチーフに集中する傾向-----を見てとることができまして、たいへん勉強になりました。
もちろん勉強になるだけでなく、感覚的にも心地よい展覧会でありました。そこはクレーでございます。味わい深い素描に、絵の中から染み出るような色彩、一行詩のようなタイトル、イノセンス漂う綱渡り師や人形たち。
また会場内では「油彩転写」というクレー独自の製作手法を再現した映像が流れておりました。素描の線に現れた即興性をなるべく損なわないようにするためか、素描を参照しながら本作品を仕上げるのではなく、ほぼ同じサイズの他の紙に転写して、そのおおむね素描そのままの線の上に彩色して仕上げるという描き方でございまして、再現映像を見るとあの独特のけば立った線や、画面の所々に見られる黒いかすれがどのように生み出されたのかがよく分かります。
展示作品数が約170点と多く、またひとつひとつじっくり鑑賞するのが相応しい作品ばかりでございましたので、例によって閉館時間まぎわまで居座ったすえ、ショップで慌ただしくクリアファイルと文庫本カバーを購入して家路についたのでございました。
ああ、変な写真になった。photoshopでいじってみても駄目でした。やっぱり自然光じゃないとうまく撮れないや。
何事もなければ。なんて言っていられる事態ではないような気もしますけどね、もう今の時点で。
パウル・クレー展 おわらないアトリエ PAUL KLEE:Art in The Making 1883-1940
「おわらないアトリエ」のサブタイトルどおり、アトリエにおける画家のたゆまぬ試行錯誤の跡をたどる、ユニークにして意義深い展覧会でございました。
完成作品として世に出ているものだけでなく、それに先立つ素描や小品も並べられていたり、ある作品の構想段階の姿と、それを大胆にトリミングまたは分割した完成品とが一緒に展示されていたりと、完成作品を見ただけでは伺い知れない製作過程にスポットライトを当てているのが本展の何よりの目玉でございましょう。それによって、クレーがイメージを純化させ、あるいは展開し、時には別の主題へと転用していくさまや、その際の指向性------具体的・説明的になりすぎるのを避け、ひとつのモチーフに集中する傾向-----を見てとることができまして、たいへん勉強になりました。
もちろん勉強になるだけでなく、感覚的にも心地よい展覧会でありました。そこはクレーでございます。味わい深い素描に、絵の中から染み出るような色彩、一行詩のようなタイトル、イノセンス漂う綱渡り師や人形たち。
また会場内では「油彩転写」というクレー独自の製作手法を再現した映像が流れておりました。素描の線に現れた即興性をなるべく損なわないようにするためか、素描を参照しながら本作品を仕上げるのではなく、ほぼ同じサイズの他の紙に転写して、そのおおむね素描そのままの線の上に彩色して仕上げるという描き方でございまして、再現映像を見るとあの独特のけば立った線や、画面の所々に見られる黒いかすれがどのように生み出されたのかがよく分かります。
展示作品数が約170点と多く、またひとつひとつじっくり鑑賞するのが相応しい作品ばかりでございましたので、例によって閉館時間まぎわまで居座ったすえ、ショップで慌ただしくクリアファイルと文庫本カバーを購入して家路についたのでございました。
ああ、変な写真になった。photoshopでいじってみても駄目でした。やっぱり自然光じゃないとうまく撮れないや。
関東在住なので、「何事もなければ」月末以降に観に行こうと思います。
前から感じてはおりましたが、もう企業の記者会見といった類のものは時代遅れのショーのような有様になってしまいましたね。
3.11以降、ひねくれ具合にさらに拍車がかかってしまいました。
クレーは透明感溢れる色彩や、理知と無垢とが併存するフォルムもさることながら、真剣なんだかとぼけているんだか分からないようなタイトルもまた魅力ですね。
子供の頃画集をめくっては、さてこの絵の中にどんな物語が隠されているのだろうか、と想像を遊ばせたものです。
もちろん製作の過程や手法が断片的に知れたからといって、その作品の魔術的な魅力が損なわれることはなく、むしろ画家の真摯な(とはいえ、やっぱりどこかとぼけているような気もする)製作姿勢に、いっそうの敬意と親しみを覚えた次第です。
企業の記者会見といえば数年前にエレベーター事故でシンドラー社の社長さんが頭を下げた時は、日本的”謝罪ショー”のパロディを見るような心地がしたものです。
せめて政府発表がショー化しないよう願いたいところではありましたが、危険度レベルの段階的引き上げ笑のありさまを見ると、それも期待しない方がよさそうです。