オニギリの昼食を済ませ、濃ヶ池へ向けて11時に出発。
緩やかに下る
ハクサンイチゲ
水がどばどば流れていた。顔を洗った。気持ち良かった~
ついでにこのスカーフを冷やした。水に濡らして絞ると冷たさが持続すると書いてあったが、それほど長持ちしない。山ではあまり頼りにならないな~
チングルマ?
ウサギギク
チシマギキョウ?
写真を撮っていたら食うかいさんはあんなに向こうに行っちゃった( ̄。 ̄;)
11:26 駒飼ノ池に着いた
池とはいっても水は半分以上干上がっている
食うかいさん撮影。
ここでは休まずにリスタート
んん、橋? それに食うかいさんはずっと下に居る???
橋の真下に梯子があった。おいおい、スゴイ傾斜だな。身体の向きを変えて、一歩ずつ慎重に・・・
「去年の八本場のコルを思い出しますよ~」 勿論食うかいさん撮影
11:41 梯子の少し先で食うかいさんは腰を下ろしていた。こちらもヘトヘトだったのでありがたかった。
現在位置を確認。このCTを見ながら宝剣山荘から30分でここに来るわけ無い。CTがキツすぎだと話していた。他にもこのエリアのCTはあてにならないのに、それを信じて計画を立て、失敗することになる。
下から50~60代位の女性が到着、そのあとその仲間の女性が到着した。彼女達は濃ヶ池方面から登ってきたとのこと。食うかいさんが下の様子など色々と話して居るウチにスゴイ展開になってきた。なんと後から着いた方は数年前にこの付近で道迷いしてビバークした経験があるという。彼女と食うかいさんは道が頭に入っているのだろうが、私は断片的にしかわからなかった。でも、ビバークの一言はしっかり聞こえていた。
12:04 リスタートして数m、ここが地図の分岐のようだ。
この付近で60代位のソロ男性と出会った。濃ヶ池へは殆ど登らなくて良いとのことヾ(^V^)K
鮮やかなクルマユリ
シナノキンバイ
この辺は群生
バイケイソウの葉?
エゾシオガマ
森の中へ
入ったと思ったら抜けた
また森の中へ。結構変化のあるコースだな。
トリカブト・・・細かい分類はわからない。
食うかいさんが見つけたクロユリ
広場に出た。
跳び石を渡りながら
数分前から頭痛、だるさを感じていた。後から考えればプチ熱中症だったかも。歩きながらハイドレーションで水分補給していたのでこのくらいで済んだのかもしれない。
12:41 池に出た ※CTでは20分のところを37分かかっている。無理だよな~
標柱は立派だけど
「ちょっと休んでイイかい?」食うかいさんは大きな岩の上で横になった。食うかいさんも疲れていたのか。
こちらも岩に腰掛け、行動食を無理矢理食べてエネルギーを補給した。
上方から声が聞こえていた。食うかいさんに尋ねると上も登山道、明日通る予定とのこと。
13:03 疲れが取れたわけでは無いが、食うかいさんは山荘に電話で14時到着と伝えたとのこと。あまり遅くなるのはマズい。きつめが予想されるCTもここからジャスト1時間。とにかく出発することにした。
ここからは登り!
13:21 しばらく登ると稜線に出た。ここが地図の八合目らしい。
この後は気持ちの良い道を進むことが出来た。
なんだ、デカイ石があるけど・・・
え、遭難記念碑って・・・食うかいさんは手を合わせていた
調べてみた。木曽駒ヶ岳大量遭難事故Wiki
遭難1913年(大正2年)8月26日から翌日にかけて襲った台風による悪天候に巻き込まれ、木曽駒ヶ岳を登山中の教員・生徒ら38人が遭難、うち11人が将棊頭山付近で死亡した山岳遭難事故である。のちに作家の新田次郎がこの事件をモデルとして小説『聖職の碑』を著し、映画化もされた。
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ハイマツの中に付けられた路を進む
小屋が見えたヾ(^V^)K
「望さん、ほらコマクサ」
「うわぁ~ありがとうございます!うれしいなぁ」
14:02 西駒山荘に到着! ※この区間はほぼCT通りだった。
続きは明日!
気分的にもいいのだろうけど
この谷への道はつらかった。。。
濃ケ池が「遠」ケ池でした。
下りとはいえ疲れましたね。
睡眠は大事ですよね♪
でも、まさにそうでしたね。
今ふりかえっても、この辺を歩いている時が一番きつかったです。
頭痛が高山病によるものか、熱中症なのか、分かりませんが